はてなキーワード: 最前列とは
こういうのに対して
とか言い出したら狂ってる人だと思うだろ?
でもこれが身障者となると裏返ると「本気で」思ってる人らが居て反吐が出る
でも、それを個人で負担しろってのは障害者にきついから、補助しましょうってのが一般的なわけ
高身長の人は、頑張って働いて割高な服を買わなきゃいけないけど補助なんて出ない
で、映画館でうるさい人ってのを、多動性障害やらに絡めて、障害者は映画を見るなっていうのかーって吹き上がるの
バカジャネーノ
基本誰でも映画は静かに見たいんだよ(応援上映とか、子供向けアニメとかは例外だ)
ガサガサ音立ててポップコーン食ってたクズでも、隣で喋った奴にはキレ散らかす
そういうところなんだよ映画館は
SAOみたいな傾向のアニメ映画は、多動性の人が見に来る確率が高いんだが
最前列で立ったり座ったりしてギャーギャー騒いでても誰も追い出したりしないし
運が悪かったなと諦めて見る
日本は良い国だと思うぞ、殴りかかったり、引きずり出したりしない
多動性の人間がスクリーンの前で視界の中をウロウロするのも劇場の醍醐味だってか?
勘弁しろよ
最近は色々あって本当に疲れて、何もしても何を食べても無味乾燥な時期があった。
そんなときに地下アイドルのことを知ってなんとなく足を運んだ。
曲が始まるとステージ上のライトが色めき、アイドルが一人ずつ登場してポーズをとる。
全員が登場し終えると定位置につき、一瞬曲が止む。
途端、怒声のような声が耳を劈いた。
ハッとして前を見ると観客席の最前列にはバキ童に似た人が大声を上げていて、周りも負けじとメンバー名らしき名前を叫んでいた。
曲の間には合いの手のような大声が響き、「〇〇愛してるーっ!!」という濁った大声が響く。
ふっふー!とか、ア”ア”ア”ア”ッア”ーーー!!といったダミ声が挟まれ、異様な空間であり、ラジオ体操『体を回す運動』を三倍速にしたような動くが辺りそこらで散見される。
唖然としながらも何故か悪い気はしなかった。
久しく忘れていた感情がふっと、湧き上がってくるのを感じた。
みんな酔っていた。
アイドルも、観客も一体になって何かに酔っているように見えた。
なんなんだ……なんだんだこれは!!!?
ライブが終わった後も高揚感は収まらず、家に帰ると久しぶりにお酒を少し飲んだ。
「おっかけ」というとアイドルのようで違和感があるが,まあやっていたことはおっかけというのが一番早い。
当たり前だがアイドル的に好きだったわけではないので入り待ち出待ち差し入れなどは一切したことがない。
何故わざわざほぼ全公演行っていたかというと,亀川千代のベースが聴きたかったからだ。
ゆらゆら帝国については「昆虫ロック」のイメージしかなかったのだが,ある日たまたまタワレコで「ゆらゆら帝国のしびれ」の「ハラペコのガキの歌」を試聴して衝撃を受けた。
ライブに行ってみよう,と思った。
ライブで「恋がしたい」を聴いて,もっと正確に言うと「恋がしたい」の亀川千代のベースを聴いて,世界が変わった。
今までベースにそれほど心惹かれることはなかったが,亀川千代のベースはまるで歌っているみたいなベースだった。
最初は関東の公演を全部行くくらいで済んでいたが,何回も行くうちに毎回ベースラインのアレンジが違うので,もっと聴きたいという欲が収まらなくなった。
CDとほぼ変わらないときもあるのだが,亀川千代のテンションによって時々驚くような神アレンジを聴かせてくれることがある。
もともとただ彼のベースを聴いているだけで幸せなのに,時に神のような音を聴かせてくれるので,それを聞き逃してはならないといつしか全国の公演に行くようになっていた。
とはいえ飛行機が苦手だったりお金に限りもあるので全て行けたわけではない。
でも,ある時期の彼らのライブはほぼ全て行っていたと思う。
顔ファンだったわけではないが,ベースを弾くたたずまいがとても絵になる人だった。
直に鳴る音を聴いたり指遣いを見たりもしたかった。
モッシュとかダイヴとかしたいわけではないので最前でひたすら柵にしがみついて亀川千代を凝視していた女は私だ。
それから何年も経った。
私は就職したり結婚したりそれに伴って転居したり出産したりしてそんな生活はできなくなってしまった。
亀川千代のベースが好きだったので,石原さんとやっていたSTARSもよく見に行ってはいたが,ゆらゆら帝国が解散したことで私の中で一区切りがついた。
正直言うとここ数年ゆらゆら帝国のCDを家で聴いたりすることもなかったし,
ゆらゆら帝国を思い出したりもしなくなった。
音楽自体,そもそもロックを聴かなくなり新しい音楽も探さなくなり今はクラシック音楽ばかり聴く生活をしている。
しかし,昨日の深夜訃報を目にして自分でも驚くほど泣いてしまった。
私の中に亀川千代への思いは大切にしまわれていて,私の一部としてちゃんと残っていた,そのことに驚いた。
発光体のソロやラメパンよりも,亀川千代のベースを堪能するなら私は「星になれた」を挙げたい。
本当に久しぶりに聴いたのだが今でも全部歌えることに驚いた。
どうかこのライブ版「星になれた」のベースラインを追って聴いてほしい。
https://youtu.be/GpIMc_7-BgM?si=z_AktwCgF7EhIiWQ
ラストのベースのソロ,本当に素晴らしい。まるで歌っているみたいなベースだ。
今も聴きながら泣いている。
ライブで「星になれた」をやってくれた日は本当にうれしかったな。
千代さん,星になったのかな。
「もう触れはしないような,だけど今も側で羽を磨いているような」星に。
安らかにお眠りください。
2024年3月23日@名古屋DIAMOND HALL 2024年3月24日 GRAPEVINE Almost There extra show @なんばHatch
自分の誕生日に好きなバンドのライブを観るのが昔からの夢だったのでGRAPEVINEでその夢が叶えられて嬉しかったし何より友達の強チケ運によりアニキ正面最前列でライブが観れる事に…!!本当に有難い…;_;
大阪は田中さんがトロミのある白シャツにピンクのパンツで正直似合ってなかった…笑 骨格ストレートなんかな?アニキはデニムっぽい生地のジャケットと半袖(名古屋では暑かったのかジャケット途中で脱いでた)亀ちゃんはハンチング復活してた。
以下、印象に残った曲の感想など。
·一曲目から雀の子でぶっ放してくる所がバインらしい。サビのぐわーって渦巻く様なアニキのギターが気持ち良い。お金は貯まって連れは増えたらしいです(歌詞変えてた)名古屋は味噌煮込みうどん、大阪はかすうどん食わしたろかでした。
·2曲目がNeo Burlesque!大阪帰りの新幹線で友達とそんなに古くない曲だと思うって話てたのに調べたら真昼のストレンジランドで普通に古かったの笑った。私達の「昔」の感覚が狂っている…笑 好きな曲なので嬉しい。
·マダカレー近年、割とやる気がする(アナスカ再現ライブは置いといたとしても)この曲はアニキのギターが割と原曲通りな印象。アニキのギターソロ最高。
·それは永遠、ライブだと期待値超えてこない感じなんだけど(好きな曲なので期待値が高いせいもあるけど)その理由が大阪で分かったのは大きな気付きかもしれない。理由は書かないけど…。亀ちゃんの作曲能力はすごいなぁとしみじみ感じる曲でもある。
·TOKAKU、アニキが指にスライドバーを嵌めたままギター弾いてたんだけどスライドバーを嵌めながらあのギターが弾けるの凄すぎる…!!美しささえある運指に見とれてしまった…。
·ねずみ浄土、前より演奏がぐんと良くなってる気がする。相変わらずアニキのギターが気持ち良い曲。
·停電の夜、田中さんがジェスチャーしながら歌ってるのめっちゃボーカリストって感じでカッコいい。ともすればダサい感じになりそうなのにめちゃくちゃ似合ってる。あと歌に感情がのってるのが良い。
·アマテラス、ギターソロの後の「さながらAI生成するフロウ〜」を歌いながらあのギターを弾く田中さん凄すぎる…。3ピースでも充分成立するギターの腕と音感を持ってるな…。わだしょ並なのでは…?
·Loss(Angels)、歌詞が好きだからライブでじっくり聴けて嬉しい。あとこの曲みたいなアニキのギターソロがすごく好きなので(けして派手ではないけれど一音一音を大切にする美しいソロ)内心爆発的に興奮していた(興奮する曲でもないので表面上は我慢してたけど…)
·実はもう熟れ、名古屋では爆踊りしてたけど大阪では最前列だったので微妙に恥ずかしくなって控えめに楽しんだ笑 思ったより皆静かなんだよなぁ…。この曲の口上は封印した(by名古屋)そうです。私は特に気に入ってなかったので別になくても良いかな…笑
·Glareは何度聴いても最高!!!毎回やって欲しい曲の一曲。サビで田中さんになりきってアウトロでトリップするの楽し過ぎる。この曲聴くと亀ちゃん天才…って毎回思う笑
·Scare、普段聴く選択肢にはあまり入らないけどライブで聴くと気持ち良い曲だなぁと聴く度に思う。
·超えるも個人的には割とやってる様に感じてるけど実際どうなんだろう?でも曲にHAPPYな空気感があってライブで聴くと自然とニコニコしてしまう。
·Reday〜、大阪ではイントロ部分をアニキと田中さんが向かい合ってギターを弾いてて、割とギリギリ迄向かい合ってたせいで田中さんが歌い出しギリギリになって横向きで歌ってたのちょっと面白いなって思いつつふとアニキを見たらアニキも超ニコニコしてて「可愛っ…!!」ってなってしまった笑 大阪は最前列だったのでアニキが前に出てきた時近すぎて直視出来ない!!って思って全然見れなかったけど(2回目はちょっと離れてたからガン見しました^-^)後で友達にその話したら友達が「アニキは絶対にファンを見てないから私は見た」って話してて確かに…!!ってなった笑 がっつり見なかった事を後悔…笑
·SEX、名古屋では演奏が「これ正解…?」って言う感じがしたけど大阪はすごく良かった。
·E.nは名古屋が阿、光について、Alrightで大阪が阿、
shame、Armaだった。私は光についてはもう本当にお腹一杯でアレなんだけど笑 亀ちゃんのシンバルですぐ光についてだと察してしまって隣に立ってた友達の方を見たら目が合って笑った。言葉は発せずとも通じ合うものがあった瞬間…笑 shame個人的に好きな曲なのでめちゃくちゃテンション上がって一人だけ盛り上がっていた…笑 アニキのギターが最高に気持ち良い〜!!Armaも大団円って感じですごく好きなのでアンコールは個人的に大阪に軍配上がってました。
·田中さん「重大発表があります!…もう発表されとるけど…御堂筋線が伸びました!笑」って話してる時から亀ちゃんがめちゃくちゃニヤニヤしてたの笑った。「うちには箕面の王子がいるので…!」って紹介から亀ちゃんの笑顔が爆発してて可愛い。亀ちゃんが「御堂筋線沿線おめでとうございます」とマイクで喋ってた。ちょっと前の亀ちゃんの誕生日ライブ以来?にライブで喋ってるの見た気がする。「箕面に帰るとお帰りなさいお坊ちゃま〜って迎えられますから」って田中さんが言ってて笑った。
·田中さんがMCしてる時に黙々と練習をするアニキ笑 TOKAKUの練習かな? と思う感じの運指だった。
·ギターチェンジの時にアニキが足元をいじっててローディーさんが隣で待ってるの気付いてなくて、少し経ってからはって気付いて「…すみません照笑」って言ってたのほっっんとーに可愛かった…!!歳下のローディーさんにちゃんと敬語使ってる所もポイント高い。
·名古屋には来る予定決まってないっぽかったけど大阪は決まってて良かった!!(28日現在)
これ毎回書いてる気がするけど、私は結局ずっとあの件が心の隅にあって田中さんを人としてはもう好きになれそうにないんだけど…やっぱりGRAPEVINEの音楽は本当に大好きなんだよなぁ。正直あれ以来前よりバンドに対する情熱的なのは少なくなってる自覚はある。けれどやっぱり最高なんですよ、GRAPEVINEの音楽は。なので8月も楽しみです。
1.雀の子
2.Neo Burlesque
4.EVLL EYE
5.マダカレークッテナイデショー
6.それは永遠
7.TOKAKU
11.Ophelia
13.Loss(angels)
14.Goodbey,Annie
15.実はもう熟れ
16.Glare
17.Scare
18.超える
E.N(名古屋)
21.阿
22.光について
23.Alright
E.N(大阪)
21.阿
22.shame
“車椅子でイオンシネマを利用するには、事前に電話確認するか、ぶっつけ本番で(ほとんど自動券売機とネット発券に置換されて窓口数が激減したために週末は大混雑の)窓口に並んで係員に確認するかのどちらかになるわけ。で、ぶっつけ本番で行くと、……出禁になる。”
“鑑賞券ガチャのために電話代を払うばからしさや、苦労して取った車椅子席が最前列左右端とかになるアホらしさが痛いほど理解できるはずですよね”
“問い合わせ対応から誘導方法まで、車椅子対応のいっさいをシアター従業員に丸投げしてんじゃないの?マニュアルもガイドラインもなにも用意してないんじゃないの?”
“「普通の市民」がナチスのサイドに完全に堕ちているようなことを平然と口にし、それに大量の共感が集まっている様子が可視化されてしまう今は、私が生きてきた中で最も怖い時代だと思っています。”
昨日、近所のグランドシネマサンシャイン行ったんです。グランドシネマサンシャイン。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、「デューン 砂の惑星2」IMAX上映、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。お前らな、「デューン 砂の惑星2」如きで普段来てないグランドシネマサンシャインに来てんじゃねーよ、ボケが。
「デューン 砂の惑星2」だよ、「デューン 砂の惑星2」。なんか親子連れとかもいるし。一家4人でIMAXか。おめでてーな。
よーしパパ最前列の真ん中座るぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。お前らな、800円やるからその席空けろと。
IMAXってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。隣に座った奴がいつスマホ光らせて喧嘩が始まってもおかしくない、注意するか我慢するか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。
にわかファンは、すっこんでろ。で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、上映中にスマホいじってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。あのな、上映中のスマホなんてきょうび映画館でやっちゃダメなんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、上映中のスマホだ。お前は本当に映画を楽しみたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、スマホ光らせたいだけちゃうんかと。映画通の俺から言わせてもらえば今、映画通の間での最新流行はやっぱり、スマホの電源を切る、これだね。
上映中はスマホの電源を完全に切る。これが通の鑑賞スタイル。スマホの電源を切ることで誘惑に負けない。
そん代わり上映中に連絡取れない。これ。で、それにトイレにも行けない。これ最強。
くだんの車椅子の件は
「グランシアター」の話なんよ
グランシアターってのは、3000円取るけど、リクライニングできる高級シートでドリンク付きの鑑賞ができますよ
観客数も少ないですって奴なのね
グランシアターに身障者スペースを作れるほど、多分利用者はいない
そうした場合、その負担を従業員や施設はどこまで背負うべきだろうか?
同様に狭小な階段を経由する2階にある飲食店はマスターが車椅子を担ぎ上げるべきだろうか?
イオンシネマは普通に車椅子スペースがあって、最前列で見難いって人もいるだろうが
ただまぁ、これ逆差別にもなり得るやつよね、だってその場所には健常者は座れないのだもの
もちろん、必要な声ってのはあるだろう
はてさて、犠牲にするのは何であろう?
駅員が100kg超えの車椅子を担ぐこと?
飲食店や服飾店がデザイン重視で螺旋階段を設置するのは差別だろうか?
はてさて
ジャニーズJr.っていうのはテレビに出てるジャニーズの後ろでペラペラな割に色やスパンコールやフリンジのきついジャケットと黒いタンクトップを着て踊ってたりするアレで、今まで全くそういうのに興味がなかったのに大学生になってからはじめて本格的に好きになった。山Pはずっと好きだったけど毎月毎月見たいっていう欲求はなかった。テレビでよかった。今はテレビでよくないので、これは異変なんだと思う。
いろいろあって、そのジャニーズJr.にはまってから1年間で100万円使った。これはチケット代だけの金額で、遠くの会場でのコンサートにも行ったから交通費もたくさんかかったしいろいろなプレゼントも渡したけどその費用は別。計算が面倒なのでしません。
100万円という金額が多いのか少ないのかはわからない。都内実家在住、親からはジャニーズのために1円も出してもらってないのでそこそこ頑張ってる方だとは思う。上を見ればいくらでも上はいるし、若手のジャニーズでも舞台の最前列はヤフオクで15万円くらいで転売されてると聞く。そういう良い席を買い集めるために風俗をやっている人もいるし、突き詰めていけばキリがない。
(ちなみにこの記事、ジャニヲタの金銭面のサンプルとしてとても参考になると思いますので興味のある方は是非。 http://jma.hateblo.jp/entry/2013/08/26/120132 )
ジャニーズJr.はすぐ認知してくれる。もちろんひとりひとりにタイプの違いはあるから一概には言えない、全くファンの顔を覚えないし手を振ったりもしないことで有名なJr.もいればその逆もいる。でも恐らくテレビに出てるアイドルよりは遥かに難易度が低いと思う。
匿名ダイアリーに書くのに隠す意味がないから書くけど、帝国劇場や日生劇場やNHKホールには「列」といわれて出待ち文化が未だに根強く残っている。待っている間はあまりしゃべってはいけない(という空気だ)しスマホもいじってはいけない、若い女の子がひとことも発さず有楽町の地下にずらっと列を作っている光景は宗教っぽいなと毎度思う。全然関係ない一般人が「ここで待たないでください」とか怒鳴られてるのを見ると可哀想だなと思う。
出待ち文化はジャニーズ事務所半公認で、ファミリークラブという「ヲタク統括組織」的なものの下っ端がその出待ち少女の大名行列を整理している。未だに存在している事実をジャニヲタはなぜか必死に隠したがって「れ◯」とか「並んでくる」と婉曲的な表現に終始するけど、バカっぽいからやめたほうが良い。
そういう意外とローカルな「アイドルとファンの繋がり」が未だに残っている。自分でも出待ちは80'sアイドルの代名詞だと思っていた。その反面いまは誰でもスマートフォンを持っているからSNS文化に則した発展もなされている。
ジャニヲタのあいだで伝言ゲーム的に広げられていくアングラ匿名掲示板が存在する。海外の無料サーバーに何者かが設置していて、パスワードがついている。パスワードも伝言ゲーム的に広がっていく。
「ヲタ糧」とか「列糧」とかある。ヲタ糧は「ヲタクの話をする糧(=カテゴリの略)」でひたすらジャニヲタが特定個人を誹謗中傷してる。例えば「松本潤担」(担=担当。「推し」と同義)っていうスレッドがあると「今日どこどこの席にいた松本担のツイッターわかる?」とかそういう書き込みが延々なされている。裾野の広い相互監視社会って感じである。「列糧」は出待ちに関する話を延々としてる。今日は◯◯くんの機嫌よかったね、とか。
つまりファミレスとかですればいい女子特有の噂話をジャニヲタはみんな顔を合わせずにアングラ匿名掲示板で行っている。特定個人の誹謗中傷をする掲示板があるという事実だけでも冷静に考えてみるとヤバすぎるし、容易に一般人が首を突っ込んでいいかというと恐らくよくない範囲の話になってしまう。
そして一般的な認知に至るまでのプロセスとしては、出待ちに通ったり、毎月あるジャニーズJr.歌番組の収録に行ったり、舞台に行ったりコンサートに行ったりして認知されていく。
最初は自分にとってそのジャニーズは神にも等しい存在で、多少遠くてもその姿を確認できて踊っているところが見られるだけで「美しい」という感想を抱きながら家に帰れたし、たまに良い席に入ってそのジャニーズが近くに来ようものならもう狂喜乱舞といった感じで、はじめの頃は泣きながら駅のホームで電車を待ったりしていた。うちわに「◯◯くんダブルピースして」とかの文字を書いてダブルピースされようものなら途端にすべての悲しみや苦しみがスッと失くなって足元がふわふわと浮かぶような気分になった。
「リア恋」という言葉がある。リアルに恋してる、の略で恐らく「ガチ恋」等の単語と同義。アイドルを本気で好きになってしまう現象、その状態、そうなっている人のことを指すけれどまさにその単語に当てはまると思う。恋で頭が混乱して、「好きなジャニーズが近くに来る座席を狙ってヤフオクで落札する」という行為がどうしても辞められなくなってしまいものすごく働くことになった。ものすごく働くと疲れるけれど、アイドルのことを考えると全然つらくはない。肉体的な疲労はあるけれど精神的なものはすべてアイドルが癒してくれるので、肉体は横たえておけば良い。
最初から認知されようと思って追いかけていたわけではなくて、「とにかく好きすぎて見に行かないと耐えられない」という衝動から追いかけ始めた。自分は「副産物としての認知」タイプだと思うけれど、もちろん最初から「アイドルに認知されたい」という承認の欲求ありきで追いかける人もいるだろう。それもひとつの形だし、原動力がなんにしろ、どんなにやましいものにしろお金を落とすなら別に良いんじゃないかなと思う。
1年近く「◯◯くんを近くで見たい」以外の感情が無かった。「◯◯くんダブルピースして」の少し特殊なバージョンを長くやり続けていたら、見せなくてもやってくれるようになってそのときに「あ、覚えられてるんだ」と思った。はっきり言ってあまり人気がない方のジャニーズで、同じジャニーズのファンで現場に通っている人はあまりいない。いても毎回、執着的に良い席ばかりでは来ていない。
あっという間にそのファンコミュニティで有名になってしまい、最近では自分が知らない人にも知られているようになった。
近ごろ、なんとなく落ち着き始めた。
毎回、自分が視界に入ると彼は「いつもの」合図をしてくれるし、目も意識的に合わせてくれるようになった。手紙も返事が来て、出待ちにいることも把握されている。(冗談だと思われても良いし、イタい妄想だと思われても良いように匿名で書いてる)
最初そのアイドルを好きになった時の自分は「見たい」という原動力で追いかけていたのに、最近では「見られたい」「いることをわかってほしい」ことがメインになっているように思えてはっとした。副産物が主な目的になってしまっている、という自覚を持って恐くなった。
この前、わざと後ろの方の席をツイッターで譲ってもらって舞台を見た。「わたしは見ているのに、彼からは絶対に見られない」という状況が好きになった最初の頃を思い出させて、ぼんやりと認知ってなんなんだろうと考えた。
本質的に自分がお客様、お金を出しているから優位に立っている。アイドルファンには選択の自由がある。Aが気に入らなかったらBに担降り、ないしは推し変すればよい。でも向こう側に「自分の客」として認識されてしまうとその自由は奪われる。一対一で接客してくれるセレクトショップで「やっぱり良いです」と言いづらいのと同じ心理状況。
もちろん、そんなの気にしなければ良い、と言う一般人はものすごくたくさんいると思うけれど、どんな人でも文字のついたうちわを持って横浜アリーナのセンターに座って景色を見てみればきっと少しは理解してくれる、とまだ私は信じている。
「認知の重圧」というフレーズが気に入っていて最近よく使っている。自意識過剰と言われるかもしれないし、「バカっぽい」と自分を形容することも多いけれど、"俺のファンでいて"、"応援していて"というメッセージを受け取って、そして自分よりも熱烈に強烈に応援しているファンがいない状況を目の当たりにすると、彼の応援を放棄して他のことに眼を向けることができない。
わざと後ろの方の席で見たのは舞台期間の10日目だった。数回目の舞台で、はじめてどういう舞台なのか、どういうストーリーなのか、誰が出ているのかを把握できた。
彼の視界にいるとどうしても彼以外に目線を向けることが憚られる。アイドルは自分たちが思っている以上に目線を気にしている。彼しか見ていないので一切舞台の内容が理解できていなかったし、彼しか見ていないと彼以外のことがどうでもいいから全体像を把握する気にもならない事実を改めて認識して本末転倒さを感じた。
「認知されている」優越感はものすごい。何も持っていなくてもピンポイントで手を振ってもらえること、ある程度遠くの席でも見つけてもらえること、周りのファンから羨望の目で見られること。
でもそれは絶対的な優越感じゃなくて周りのファンとの力関係を前提にした相対的な優越感だから、毎日毎晩不安に苛まれている。わりと本気である日ものすごいマダムが彼のファンになったらどうしようと思っているし、そもそもある日彼にぷいっと気を損ねられて嫌われてしまったら何を生き甲斐にしたら良いのかわからない。
それでも根底にあるのは「好き」という気持ちだから、悩んだりしつつ明日も私はバイトに行くし休憩時間には執拗にチケット流通センターをチェックすると思う。
はっきり言って何も残らない。思い出が消えたら半券しか残らない。でもけっこう本気で、死ぬ間際の走馬灯に横浜アリーナが映ったら良いなと思ってる。
学生時代に出会った女性。Aは22歳。俺は19…いや20歳だったか。
Aはモテた。当時、Aの事を好きだと言っていた人を少なくても4人知っている。俺の友人もAの事が好きだった。
俺の部屋に友人とAはよく遊びに来た。俺と友人のAの3人で旅行に行った事もある。
友人はその旅行で告白する事を決めていた。俺と友人で同部屋。女性のAは別部屋。夜、友人はAの部屋に行った。
数十分後に部屋に友人が戻ってきた。かわりにAが俺を自室に呼んだ。
部屋に行くと彼女は「そんなつもりじゃなかった…」「友人としては好きだけど彼氏としては…」と言った。
友人は先に卒業し、俺はまた違う友達と連むようになった。新しい友人とはバンドを組んだ。
ある日、Aから「実は付き合っている人がいる」と言われた。俺とバンドをやっている友人だった。
俺にも彼女ができた。俺が好きになって告白した彼女。Aとは疎遠になった。バンドもほどなくして解散した。
数ヶ月後、夜中にAから電話。「すぐに来てほしい」と言う。車で30分ほど離れたとある駅に向かった。
駅前のロータリーでAは泣いていた。友人と喧嘩をして手を上げられたらしい。
家を飛び出したものの途中で電車が無くなったので俺を呼んだとのこと。
俺はAの嗚咽と愚痴を聞きながら車に乗せて家に送った。
数年後、俺は付き合っていた彼女と結婚した。Aから連絡が来る事は無くなった。
去年、久しぶりにAから連絡が来た。結婚したそうだ。俺の知らない人と。
数日後、Aから手紙が来た。「もっと気軽に連絡とりたいからLINEを教えて」と。
俺は逐一スマホを見る性分ではないし既読が積もるのがとても苦手だ。
Aがお前に怒っていると。あんなに仲良かったのに冷たい対応をされたと。
学生の頃の友人は俺がAのことを好きだったと思っている。俺はAが好きだったことは1度も無い。
好きなのはAではなく、Aを中心として巻き起こる様々なことで、俺はそれを見るのが好きだった。
「私なんて」と言いながらステージのど真ん中にいるA。巻き込まれていく友人たち。
当時、俺はその一部始終を最前列で見る優越感に浸っていた。俯瞰で観察している気分。
まあそれも学生だったからの話で、今となっては俺も馬鹿だったなとしか思えない。
Aの怒っている気持ちはわからないし、当時のAの気持ちもわからない。
俺はわからないで良いと思っている。正直どうでもいい。
去年は色々あって本当に疲れて、何もしても何を食べても無味乾燥な時期があった。
そんなときに地下アイドルのことを知ってなんとなく足を運んだ。
曲が始まるとステージ上のライトが色めき、アイドルが一人ずつ登場してポーズをとる。
全員が登場し終えると定位置につき、一瞬曲が止む。
途端、怒声のような声が耳を劈いた。
ハッとして前を見ると観客席の最前列にはバキ童に似た人が大声を上げていて、周りも負けじとメンバー名らしき名前を叫んでいた。
曲の間には合いの手のような大声が響き、「〇〇愛してるーっ!!」という濁った大声が響く。
ふっふー!とか、ア”ア”ア”ア”ッア”ーーー!!といったダミ声が挟まれ、異様な空間であり、ラジオ体操『体を回す運動』を三倍速にしたような動くが辺りそこらで散見される。
唖然としながらも何故か悪い気はしなかった。
久しく忘れていた感情がふっと、湧き上がってくるのを感じた。
みんな酔っていた。
アイドルも、観客も一体になって何かに酔っているように見えた。
なんなんだ……なんだんだこれは!!!?
ライブが終わった後も高揚感は収まらず、家に帰ると久しぶりにお酒を少し飲んだ。
映画ファンを長いことやってます。ニュースとかSNSでハリウッドスターが来日すると空港とかで出待ちしたり配給会社が主催するレッドカーペットで
沢山ファンがサインや自撮り欲しさに群がってるシーンをよく見ると思いますが、あれに参加する人たちについて順を追って説明していきたいと思います。
あくまで私はハリウッドスターのイベントにしか参加して居ないのでアイドルなどに関しては分かりません。その点ご了承ください。
ハリウッドスターは余程のことがない限り飛行機で来日します。大体、来日する前にどういうイベントで来日する事が公になりますので大まかな来日日の目星をここでつけます。
基本的にイベント日が公開されても来日する日時まで判断するのは難しい為、ハリウッドスターのSNSをウォッチして、飛行機に搭乗する投稿を見つけて搭乗した空港の情報から何時ごろに
日本に到着するか割り出して着陸の3時間前ごろから到着口で張り込みを開始します。ただし、大物の場合はチャーター機を使って一般口から現れないのも知っているため
その辺は都度都度判断している場合が多いです。到着口で張り込む場合、途中でトイレ等で離脱した場合誰かしら見張りを立たせておかないと二度とその列に戻ることは
できないため、ソロ参加者には圧倒的に不利になるのでグループで組むことが多いです。基本的にスターは到着口に留まっていると警備員に追い立てられるので
サインを貰うことは少数であることが多いです。そのため到着時刻の15分ぐらい前から殺気だった雰囲気の集団がいくつもできる事になります。
普通の俳優なら5、6人にサインできれば多い方でしょう。この間のシャラメみたいなケースは稀です。運が悪いと小競り合いに発展することもあるので
羽田空港はかなりガードが固くなったのは有名な話です。
ハリウッドスターは来日すると配給会社のレッドカーペット(スターお披露目)のために登壇するイベントに参加します。その際にファンサービスの一環として
サインをしてくれたりセルフィーをしてくれる時間があるのですが、ファン向けの参加枠があるので映画ファンはそれに応募して抽選に当選しなければなりません。
そのためにそういう人達は本人兄弟親族の名義を持っていると思うかもしれませんが、意外にそこまで多重抽選をかける人は多くなかったりします。
この手のイベントなんですが、当選すると当選者本人と同伴者一名を参加することができるのが殆どなので、グループのメンバーの内半分でも当選していれば
全員が参加することが可能なのです。なので、不正で当選権を没収されるよりかはSNSでのアピールに全力を注いで純粋に当選を目指す人が安全ですし、
最悪外れたとしても「コイツはSNSで宣伝できるな」と配給サイドに思わせることができれば次回につなげることもできます。なので正攻法をメンバーで駆使して半分の当選を目指していくのです。
そのためグループ内では「抽選に当たったら外れたメンバーと共有して参加するのが当然」という空気が醸成されています。
純粋にグループ内全員が参加できた上で参加枠が余ったのであれば第三者を誘うことは問題ありませんが万一メンバーがあぶれた状態で他人に誘いをかけた場合は
その時点でグループからの追放が確定的となるのはいうまでもありません。こういう内輪で当選枠を共有する行為がレッドカーペットや試写会では横行しているので
必然的に参加者が同じ人間で偏るようになるのです。更にある程度のインフルエンサーになるとSNSで落選したアピールをするとその信者が同行枠を献上するので
事実上一見で参加するのはかなり困難と考えた方が自然です。当然そういうことをするインフルエンサーは評判が悪いですし、映画ファンから敵視されています。
さて、レッドカーペットに当選すると指定された時間に整理券を貰います。以前はもらった順にレッドカーペットのファン枠に入れたので徹夜をするマナーの悪い人がいたので
今はアトランダムに番号が振られているようになりました。もらった整理券に集合時間が書かれていますのでその時間に再度集合すると番号順にスターが通る通路の脇の空間に
人を入れていきます。どれくらいかは会場によりけりですが、最前列にいられるのは多くても30人が良い所でしょう。そこから何列も形成されていき、ハリウッドスターの入場を
待ちます。この時点でかなり人口密度が高くなっているのはいうまでもありません。時間になるとスターが手を振りながらこっちへと向かってきますがこの時点で押し合いへし合いが
始まっています。正直、身長の高さと体幹の強さがモノをいう戦場と化します。スターが来たらあとは兎に角サインを貰うためにグッズを差し出して祈るだけです。仮に貰えたとして
後ろの列の人に譲るかと言われると興奮しているのでそんな配慮ができる人はあまり多くありません。(と、いうか大体の人はスマホでセルフィーをそのまま求めます)
できたとしても前に出ようとする圧が凄まじいので逆に引っ込むことも難しいことが多いです。なので、サインや写真をもらえることができるのは2列までがイイところです。
そうしてサービスタイムが終わると目的が達成できた人とそうで無い人で顔色が分かれることとなるのです。トムクルーズのような神対応をしてくれることは稀で運とエゴの勝負なのが実情です。
ファンがサインを求める姿はあまりにギスギスしているのでメディア向けに雇ったバイトを設置して平和にサインしてる光景を撮らせる区画があったりします。
大体バイトの参加者限定に配られるサインさせるグッズがあるのでSNSで投稿されると一発で見抜かれて陰でバッシングされます。
死ぬ前に小説書いてさ、それで全然伸びないの見てから「よっしゃ!人生使い切った!」で死ぬ予定だった。
なんならそっから突然成功した矢先に末期癌が見つかって伊藤計劃コースみたいのもありかなって。
いざ金が貯まってみると、3年ニートした所で別に対して面白くないだろうなと感じたわけだよ。
なんつうのかな……1日で味わえる楽しいの上限みたいのがあって、ソレを考えるとひたすらダラダラしてもそこまで楽しくなさそうなわけ。
そしてなんだかんだ世の中って毎日色々面白いニュースが入ってきて、最近もカルトの教祖が連続して死んでいって「おっと面白くなってきたじゃないの」なんて状態なわけじゃないの。
自分の人生がクソだとしても、世の中が面白いならまあ別に生きててもそこそこ楽しいんだが、そのためには世の中に動いて貰う必要がある。
つまり、時間が経って貰う必要があるわけで、自分一人が生き急いで引きこもりながらひたすらゲームやネットに浸っても案外そこまで楽しさは変わらなそうなんだな。
そうして、俺の人生の損切り計画はその始まりであった損得勘定に再度かけた結果中止、少なくとも延期を続けているわけだ。
それでもまあそこそこ金はあるわけだし、どうせ死ぬわけだし、頑張って働かないで良い程度の生活をするのに貯金を使うのはどうかと考えたわけだ。
つまり、仕事の量や質を減らして見ようかな、と思ったんだが、仕事の量減らすとどうも付き合う相手の質が大きく下がるっぽいんだよね。
質を減らしたら底辺や人格破綻者と関わる機会が増えるのは分かるんだが、どうも量を減らすだけでも人間性が腐った連中と関わる機会が増えるっぽい。
なんつうのかな……社会適応に対しての耐性が低い人間が死なないギリギリまで労働時間を減らしているのと鉢合わせることになる感じ?
まあ自分で試したってよりも知り合いやネットから集めた情報の統計でしか無いんだけど。
仕事や人間をやたらと嫌う人間ってなんていうか社会と噛み合うのがすげー苦手だったり、尋常でなく独善的で自分の理想通りに行かないことに対してのストレス耐性がカスすぎたりするわけだよ。
とにかく自分の思い通りに行かないと悲劇のヒロインぶって叫びだすしょーもないオッサンが色んな職場にいるでしょ?
業務時間の少なさを基準に仕事を選んでいくと、それが大量に詰め込まれた地獄に放り込まれるみたいなんだな。
「地獄」って表現したけど、まさに仏教世界における地獄って概念は「クソみたいな生き方をすると同じようなクソが詰め込まれた場所に行くことになるよ」っていう教えだと思うわけよ。
度を超えたクズさってのは同類だから大丈夫なんてことは全く無くて、お互いがお互いを憎しみ合う万人闘争の究極なんだと思うんだよ。
自分こそが最前列でカメラを構える権利があるのだと盲信する鉄道オタクを100人集めたら100人全員が最前列を目指して押し合いへし合い晒し合いそのくせ全員が被害者面して加害者意識ゼロっていう感じの地獄。
仕事を減らすにしても貯蓄を直に切り崩すレベルで減らすのではなく、毎年の貯蓄額が減るぐらいのレベルで留めるべきで、労働強度はそれ相応のものにしておいた方がいい。
労働強度がある程度強ければ、その労働強度に耐えられない強烈なエゴの持ち主が振り落とされた場所で過ごすことが出来る。
もちろん、労働強度を強くしすぎるとそれに耐えられるレベルの狂人しか生き残れなくなり周囲を狂人に囲まれることになるから、強くしすぎない方がいい。
ほどほどがいいんだろうな。
自分を押し殺すことが一切できない人間が足切りされる環境ってのは、自分を押し殺すこと抜きには生き延びられない空間ってことだからな。
つまり、ちょっと金が溜まったからって人生楽できるかというと別にそうでもないっぽい。
本当にFIRE出来るほど金を貯めて完全に社会から足を洗うか、それともそこそこに金が貯まる環境でダラダラと歳を重ねるかしかない。
まあでも金なんて半端にあっても特にこれといった趣味もないならい、ざなんかあったときに高額医療費制度を使えないような新薬を使うことが出来る程度なんよな。
半端な金の使い道に迷って変な散財の仕方を覚える連中があとを立たんのも分かるね。
飽きたツムツムのスタミナとか、一通り読み飽きたマンガアプリのチケットとか、旅館で貰った地元応援クーポンとか、そういう「使っちまわないともったいないけど、でも無理して使おうとすること自体が地獄への入口になりかねない鶏肋」なんだな。
いやいや金さえそれなりに貯めたら仕事思いっきり休めるなんて期待してたけど、意外とそうでもねえなあ。
こりゃ本当に「ある日と突然働けなくなった時、生活保護を受けるまでのカウントダウンを引き伸ばすだけの保険」ぐらいの意味しかなくなってきたぞ。
井の頭線、なんであんな混んでいるんだか。私も仕方なく毎日乗っているけど最近楽に乗る方法を見つけたので紹介したい。それは荷物をハンドキャリーにすること。あまり大きいと自分の負担になるので国内線の持込みできるサイズとかがいいと思う。これを持ると自分の体の前にどんなに混んでいても空間ができる。だから本読んだり携帯いじったりが楽にできるし、何より自分の顔の前に人がいなくていい。私は最前列でこれをやって、渋谷で降りるときはハンドキャリー部分をいっぱい伸ばしてコロコロ転がす。これも実はメリットがあって、後ろから無理に追い抜こうとする人をけん制することができる。前から来る人にぶつかりそうになったらすかさず荷物を前にもってきて歩く速度を落とすか、立ち止まると、向こうがよけていってくれる。
もちろん、これは荷物入れなわけだから、カバン持たなくていいのも楽でいい。夏だとペットボトル持ち歩いたりするからカバン重くなるしね。お試しあれ。
具体的には福岡サンパレスでおこなわれたTM NETWORKのライブでした。
中学の頃に小室哲哉にハマりそれからずっと聴いていたのですが、小室哲哉さんもまぁいろいろありまして、いつまでお目にかかるチャンスがあるかわからないわけです。
ということで、重い腰をあげてライブに行ってみることにしたのですが、なんとライブのほぼ一カ月前に事故を起こしてしまい、鎖骨を骨折。
鎖骨にプレートが入っているので腕は頑張れば上がるのですが、まだ肩をはげしく動かすと痛みがあり、腕を肩以上に上げることができない状態でライブに行きました。
それがどうしたと思われるかもしれないのですが、ライブ映像ではほとんどの人が手を上げていて、手をあげていない少数派にに対して「ノリが悪いな~」と思っていました。
行ったこともないくせに。
こうして実際、自分が骨折して、やっとこさ「手を上げていなかった人にもいろいろな事情があったんだろうな」と痛感しました。
もちろんそんな心の狭い人、僕以外にはいないとは思いたいのですが、僕らの世代は浜崎あゆみさんが最前列で座っている人に「感じ悪いよね~」事件もあり、多少なりともノリ悪いと思ってる人がいるのではと思ってしまいます。(浜崎あゆみさんに関しては諸説あります)
そして”ノリが悪いな”と思ってしまっていた以上、自分もそう思われてるのでは?という気持ちがライブ中ずっと頭の片隅にありました。
拍手するのも鎖骨に響くため180センチ以上ある大人が突っ立ってるだけでライブ見てるわけですよ。
関係者かな?
バスを待っているとまったくちがうところに行列ができていた。そこが乗車口らしかった。そんな指示はどこにもなかったがとにかく行列の最後尾に並び直した。人数は多く座席に座れるか微妙なところだった。しばらくするとバスが来たので乗り込んだ。右側最前列、運転席の後ろに座ることができた。右前輪の上にあるため2段ほどステップを踏んだ上の座席で見晴らしはよかった。バスが出発する直前に駆け込んできた客が私のそばに立った。新幹線で隣の席だった子だ。奇遇なのか意図があるのかまったくわからなかった。なぜ私なんかのすぐそばに立つのかもわからなかった。さすがに乗り合いバスの中で意匠設計はできないので本を読みはじめた。彼女は途中の停留所で降りていった。
会見のルール問題やNGリスト問題とは別に、「ジャニーズは会見で望月の質問に回答しなかった」との誤解が多そうだから書いておくけど、ジャニーズ会見で望月衣塑子らは確かに司会に指名されなかった、でも最前列から地声で他社の質問の合間に質問して、東山紀之はその不規則な質問に回答をしている。特に最後は「これで会見終了です」と挨拶した後に、望月衣塑子に付き合って複数回の応答で回答してるよ。マイクもらって名乗ること出来てないから記者が誰かは声からの類推だけど東山の目線から言っても最前列にいたという望月記者の質問だろう。
ジャニーズ会見はノーカット動画がYouTubeにいくつも転がってるから見てみてね。最後のほうだよ。
■【ノーカット】ジャニーズ事務所が会見 社名をSMILE-UP.(スマイルアップ)に変更 東山紀之氏「ジャニーズという名前は全て消す」(2023年10月2日)| TBS NEWS DIG - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O6pM9Qpq-j4
ジャニーズ事務所の会見。最前列の真ん中に座って、ずっと手を挙げ続けた私と望月さんを絶対に当てないことを事前に決めていたとしか思えない会見で、失望し、憤りを覚えました。井ノ原氏は「ルールを守って」と私に言い、隣の芸能レポーターたちは拍手していました。しかし、厳しい質問をするであろう私と望月さんを絶対に当てない、という八百長のような不正なルールを容認するわけにはいきません。
最初は当然質問が当たるだろうと思って、黙って手を挙げていました。が、ジャニーズ事務所と司会者側の最前列の私たちを当てないという意思が、会見が進むにつれて明白になりました。途中から、会場で声を上げざるを得ませんでした。
米国など主要国の普通の記者会見は最前列の人たちから順々に当たっていくのが常です。それは、私が出てきたトランプ大統領会見や、オバマ大統領会見でもそうですし、安倍元首相ら日本の会見もそうでした。芸能リポーターたちの芸能人の囲みの会見でも一番前にいる人たちがまず質問します。今回の会見は、芸能リポーターがタレントを二重か三重で囲んでいる会見で、その輪から遠く離れた部屋の向こう側にいる人をわざわざ探して当てているような、不自然極まりないものでした。
ジャニーズ事務所が今日行った会見https://youtube.com/live/jfMqNazPRuMは、こうした世界や日本の会見のルールとは全く違い、私たちArc Timesをとにかく当てない「八百長会見」でした。井ノ原氏は、「大人はルールを守って」という趣旨のことを言いました、しかし、そもそも八百長といっていい「ルール」を敷いていたジャニーズ事務所こそが、日本や世界の会見のルールを守っていないと思います。私はオバマ大統領会見やスペースXのイーロン・マスクCEOの会見など世界各地で信頼を得て質問してきましたし、「ルールを守れ」などと言われたことはありません。むしろ海外では、質問させるべきだ、と他の記者が加勢してくれるのが常です。
最前列にいる記者は質問するためにかなり早い時間に来て待っています。私たちは今日、受付の1時間以上前から並んで待って最前列に座りました。最前列は、記者の意欲の表れです。だから、トランプ大統領でも、イーロン・マスク氏でも、安倍元首相でも、近くにいる記者から質問を当てていました。その世界や日本の普通の会見と比べて、今日の会見は異常でした。あそこまで、私たちからの質問から逃げるジャニーズ事務所は、一体何を怖がっているのでしょうか。性加害問題で、説明責任を逃げずに果たすつもりはないのでしょうか。
驚いたのは、真面目に質問しようとする私たちに対する、テレビや新聞の大手メディアのスチールカメラマンやビデオカメラマンたち、芸能リポーターたちからのヤジでした。不正な「ルール」であってもジャニーズ事務所の意向に従え、と言う彼ら彼女らの忖度と共犯性が、ジャニー喜多川氏の性加害を50年にわたって続けさせてきた原動力であり、その共犯関係がいまも根強く続いていることを思い知りました。
カメラマンが私をヤジりながら、レンズを私に向けたので、私も彼らを動画におさめました。
多くのメディアが、私や望月さんを批判する記事を書くでしょう。私は彼らに問いたいと思います。あなたは、八百長を強要するルールを守れと言うのか。そして、あなたたちはジャニー喜多川氏の数十年に及ぶ性加害のなかで、何をしてきたのか。メディア人としての悔恨や怒り、責任感は全くないのか、と。
今日あったのは、1950年代から、少なくて数百人、2週間前に開いた補償窓口にすでに400人超が問い合わせていることを考えれば、おそらく数千人の子供たちへの性加害を容認してきた企業の記者会見です。これは、米国のジェフリー・エプスタイン事件やハービー・ワインスタイル事件よりおぞましい、戦後史に残る、世界でも最悪といっていい性加害事件です。
その場で、新社長や新副社長に説明責任を求める私たちの質問から、ジャニーズ事務所は徹底して逃げようとしました。東山氏は私の質問に少しだけ答えましたが、マイクを持った質問はさせてもらえませんでした。
そしてその状況を、社会の公器である、記者やカメラマンたちが、性加害問題を解明しようとは全くせずに、逃げるジャニーズ事務所に同調して私たちに匿名でヤジを浴びせ、ジャニーズ側に同調して拍手までしている。
今日の会見で性加害問題を数十年隠蔽してきたジャニーズ事務所の体質が全く変わっていないことが露呈しました。そして共犯であるテレビ・新聞が、追及しようとする記者たちに怒号を浴びせる、おぞましい姿を目の当たりにしました。
この問題は全く終わっておらず、むしろ解明が始まったばかりであり、ジャニーズ事務所やそれを取り巻くメディアが必死の隠蔽を続けようとしているのだ、ということを体感しました。それは多くの方に伝わったと思います。
https://x.com/ToshihikoOgata/status/1708775014458372199/
より。
広島サミットの「逃げるんですか」でも話題になったアークタイムズの尾形聡彦氏による投稿。
不正なルールのある会見だったと訴え、芸能界とマスメディアの体質についても問題提起している。
内容の真偽は現時点ではなんともいえない。
望月衣塑子氏の独善的な姿勢には度々問題を感じるが、オリコンが名指しの記事を即座に上げてネットで批判が盛り上がっている現状には疑問もある。
あなたはどう考えるだろうか?
京アニ放火事件の青葉被告の、裁判での言動が日々メディアを騒がせている。
ヤフコメやXで見られる反応では青葉被告を徹底的に断罪したいようだが、私は公の法廷に現れた存在としての青葉被告を応援しているし、彼が無罪になればいいとも思っている。
少なくとも、青葉被告が、予定調和的に死刑になることは絶対に望んでいない。
被害者(=京アニ)についてはよく知らないし、遺族ほかを非難するつもりもない。これはただ私の思い入れこみによる勝手な文だ。
「もしお前やお前の家族が殺されたらどう思う」みたいな質問はここでは意味をなさない。そんな質問しかできない時点で、大きな断絶があるのだ。
青葉被告の死刑を容認する人々でさえも一部が指摘しているように、世間には「青葉」的な者がいる。そしてそれは、どんどん増えている。
魔の82年生まれとか発達障害の増加とかそういうお茶の濁し方ではなく、明確に、「青葉」被告的な苦痛に満ちた者が増えているのだ。
世間は少なくともそれをずっと認知して来た。それも、机上のグラフの上の数値ではない。
クラスに一人はいる彼。職場に一人紛れ込む彼女。近所や親戚に一人いるあいつ。
青葉の体験を一般化することはできないだろうが、あえて広く「彼等」の問題として考えたい。
彼等がコミュニケーションに行き詰った時、あなたはどう振舞っていたのか。
彼等がコンビニの列の最前列で何かにつっかえた時、あなたは舌打ちしなかったか。
彼等が同じ教室・職場で、教師・上司に何度も叱責される中で、ただ「そう」であることで評価を下げていなかったか。
私は、平均とか標準という考え方で言えば、「青葉」側の人間である。
ただ、例えば、世間の人々が得られる「幸せ」をあきらめることには納得はいく。
しかし、世間の人々に与えられる「逃げ道」をなぜか私が使えないとなったとき、その惨めさは何百倍にも何千倍にもなる。
私は青葉被告のどうにもならない体験を見て、そんな説明をひねり出すことができた。だが過去のいろいろな事件の時点でひねり出すべきだった。
小学校・中学校を通して、本人でもうまく説明が出来ない様な過ちをして、しょっちゅう教師にクラスメイトの面前で厳しく叱責されている、今でいえば学習障害とか自閉症なのだろうか、そんな同級生がいた。
この男子同級生はとても「愚か」「間抜け」ということになっていて、実際何を考えているのか、私達にもわからなかった。いや、わからないようになっていった。教師の度重なる叱責や軽視によって。彼が精いっぱい受け答えを捻りだすたびに、教師はその言動を叩き潰した。
今考えれば、教師は彼を叱責すべきではなく、話をゆっくりと聞くべきだった。もっと言ってしまえば、もはや「赦す」べきだった。教師こそがこの同級生の代弁を私達にすべきだった。
大げさに言えば、人に生きる意味を考えさせ、死の世界から遠ざける、ということをこの教師や社会はしていなかった。健全な市民を育むとかそんなのはどうしようもない建前だ。
そしてそれが為されないとき、この同級生が、教師を刺し殺したり私たちごと教室に「理不尽に」「逆恨みで」放火したとしても、私はもはや文句は言えない。これは一言で言えば「窮鼠猫を嚙む」という格言であり、逃げ場の許されない中で当然生じうる人間のむしろ正常な反応だとおもう。
そうできないならば、世間が彼を徹底的にバカにした通りに、彼はナイフやマッチの使い方もわからないまま見当違いの人を刺して燃やす。それは自然なことでしかない。世間が彼をそうさせた。
人を大切にしない社会は、そのどこをやりかえされてもしょうがないとおもう。
私は、あの同級生やそれと同じ人々が何千人と重なって一人となり、被告となって証言台に立っているのだとすら思う。
監禁された人間が「ストックホルム症候群」を起すことには同情されるのに、なぜ狭い世界で逃げ場を失った人間の行動には同情がされないのか。
そこで世間の人々は目を逸らし、「仕方ない、悲惨だけど、死刑」などという。
私は堂々と「青葉は無罪だ。無罪にすべきだ」という。それだけの問題提起をすべき理由がある。青葉を診療し死の淵から回復させた医者は「生きて裁かせる」という信念があったそうだが、直接関係ない私は「生きて無罪になれ」といいたい。
そして99%くらいの確率で青葉が死刑になったとしても、私はいい続ける。似た様な事件がまた起きればその被告を擁護する。
世間は、事件を繰り返させる前に、「青葉」的なものを真摯に今度こそ見つめ、「赦し」、我々の社会の要素として自然に見なすべきだ。それが達成されるまで、世間が目を背けた回数の分だけ事件が起きても、無罪にすべきだ。
十九世紀末のヨーロッパでも、社会の矛盾に対し、富裕層の集まる場所や公務員への爆弾攻撃で答えたアナーキストたちがいた。彼らは少なくとも自分の言葉と道具があった。
今は自分の言葉も道具すらも持てない時代が来ている。少しでもそんな時代から遠ざかるために。
私の匿名の日記は世間には何の影響も与えないだろうが、たくさんある非難に対して一つでもこういう意見があったと、どこかで思い出してもらえればいいなとおもっています。