はてなキーワード: 最初とは
まず反出生主義には、アンチ「出生主義」と、「アンチ出生」主義の2つがある。
そして日本語の「主義」という言葉自体に大まかに「国家や地域の運営方針」「個人もしくは集団の主張・思想」の2つがある。
の2つが存在するわけだ。
そしてこの2つも別に「子供を沢山増やすと国家がたち行かないぞ(一人っ子政策)」 「人間が存在していることが間違っている(ある主の原罪思想)」の2つだけという訳じゃない。
特に主張や思想は多岐に渡り「人生で得られる幸福を不幸が上回ってるから産まれてこない方がマシ」 「セックスはキモいからこんなことをするぐらいな滅んだほうがマシ」 「親ガチャ時代ガチャといった理不尽を子供が許容できる事前承認も得てないのに生命を作るな」 など個々人ごとの多様な考えが展開されている。
そしてこれがアンチ「出生主義」になると出生主義自体をどういうものとして捉えるのかについての議論が始まり更に状況は混沌とする。
なぜなら「出生主義」自体が上にあげた「アンチ出生」主義の様々なパターンを持っていうえに、それに対してアンチテーゼや対立政策を投げかける理由もそれぞれで違うからだ。
つまり、「A」を批判するために「B」を持ち出すという状況における、「A」「B」の中身がそれぞれいくらでも存在しており組み合わせ無限大状態なのだ。
「反出生主義」と一口に言ったときに、それが何を意味しているのかを整理しなければ全く別のものについて皆で議論することになるわけだ。
こんなのは「田中ってヤバいよな」といきなり語りだして、どの「田中」を指しているのかを誰も確かめることなく延々語り合うようなものだ。
話す内になんとなく「あれ?俺の考えてる田中と違うんじゃね?」と違和感を覚え、確かめてみたら結局全員が違う「田中」について愚痴や擁護をしあっていたという虚無空間が誕生する未来は確定事項とさえ言える。
マジで、何度でも言うが、「反出生主義について語りだすときに、その反出生主義の内訳を最初にちゃんと定義しないやつは相手にする価値のない馬鹿と断じてしまって問題ない」が現状だ。
「『女の子』に金出させるのなんてありえない!」
と言って、新人や若手の男にまで『女の子』の、自分や女同僚の分まで支払わせる
(30歳~40歳超えた女性が『女の子』と定義するのであれば話は別だが)
上司本人はコース外のものも散々飲み食いしてて、会計は一人当たり万を超える事もしょっちゅう
あえてあまり気に入ってない男社員や新人~若手らを連れてって奢らせる事もあり、もはや一種のイジメだった
当然奢らせられる面々は不満で、ハラスメントだと抗議もあったが
会社側は「社会ではよくある事」「たかが飲み会代ぐらいで…」「もうちょっと上司さんと話し合って」とスルー
しかし、最初はなあなあだった会社も、女上司理由の休職・転職・退職が増えるとさすがにスルーできなくなったらしく
ガン泣きするまで詰められた女上司はしばらく大人しかったが、コロナ禍が落ち着き飲み会再開ムードになった時、再度色々やらかした
またもや週一ペースで飲み会を開催、散々飲み食いして、新人や若手は女上司含めた「女の子」の同僚らの送迎をさせられた
参加を拒否したり、扱いに抗議したら、「男らしくない!」とバッシング
仕事上でも罵倒したり不利益に扱い、病んで退職する者も出てきた
ここまでくると、当初は上司に悪ノリしていた他の女社員達も、奢られさせられた側からも立場が無くなると、あっさり手のひらを返し
女性陣からも直々に本社にまで通報があり、ようやく大事になって降格ほぼ確定の処分
しかしそれにしても、電通の件じゃないけど、あれだけ男社員からの抗議があってもなあなあスルーで
今年から配属された子に対してネチネチ細かく管理するようになってしまった
うちは専門商社で営業をやっていて小型・大型案件やその他雑務諸々様々な仕事が振ってくる
今までも部下何人か持ってたが高学歴の体育会系が多くみなある程度理解力あって何より自主性があり比較的放任でも問題なかった
だが今回配属された二年目の子は二浪中堅大学と周りより経歴が劣るがそれを百歩譲ってもかなりのコミュ障かつ常識足らずで困っている
最初はそっと見守っていたが、その子は何でも先延ばしするくせがあり大した事ない問い合わせでも「時間が掛かる」と回答し、その上放置を連発したため取引先複数社からクレームが入った
本人に事情を聞くも時間がかかるとさえ言えばどれだけ待たせても問題ないと思ったらしく注意した
そしたら今度は時間が掛かるというアナウンスすらせずただ仕事を放置するようになりまたクレームを受けてしまった
これはまずいと思い案件を毎日日報で報告するように指示しても日報すら三日坊主で取り組まなくなってしまった
そもそも本人の理解力がかなり乏しく、本社への会議に一人で行かせて支社みんなの前で報告させたら何一つ会議の内容を喋れない(議題を読み上げただけ)という悲惨なこともあった
普段はどんな仕事ぶりなのかを見ると客の前では異常に早口になり何を説明しているか分からない、社内ではキーボードを人差し指で打つのにもびっくりしたがフリーズしている時間が長かった
他にも書ききれないほど問題があるがそんなんだから今は超マイクロマネジメントでそいつをコントローラ操作するが如くあらゆることに対して細かく指示出ししている
従来の歴史学では、メソポタミア、エジプト、インダス、中国が世界の4大文明と言われ、日本は文明を中国から教わった後進地域と言われていました。しかし、この歴史観を近年の考古学が覆しつつあります。
我が国の縄文時代の始まりは、今から一万六千五百年前とされています。これは青森県の大平山元一(おおだいやまもといち)遺跡で、わが国最古の土器が発掘されたことによります。この終期はおよそ三千年ほど前で、そこから弥生時代が始まります。従って、縄文時代はおよそ一万四千年という途方もなく永い時代です。このことはキリスト歴の始まりからまだ西暦で二千年と少ししかたっていないことを考えれば途方もなく永い期間であったことが分かります。
あなたはご存知でしょうか。縄文人による世界最古の科学発明品を。この最古の科学発明品は、当時から2万年を経た現在でも最新・最先端の材料として使われています。この世界最古の科学発明品は「宇宙船」に貼りめぐらされています。また、2020年にはロシアで4000℃に耐えるこの「最古の科学発明品」が発表され、話題になりました。
ではその、縄文人が発明した「世界最古の科学発明品」であり、最新の宇宙船にも使われるものとは、「土器」、またの名を「セラミックス」です。「土器」と聞くと、「大したことがない」と感じるかもしれませんが。実は「土器」は人類の運命を2つの意味で大きく変えた代物です。
まず1つ目の理由ですが、
実は土器はただの「土の器」ではありません。本来は水に溶けてしまう粘土を、水に浸けても溶けない、そして耐火性を備える器に化学変化させているのです。土器、陶磁器、ガラス、耐火レンズは総じて「セラミックス」と呼ばれますが、この「セラミックス」こそ、人類が科学で得た最初の道具、材料です。つまり、人類が科学を応用したものこそ土器だったのです。
また、「土器(セラミックス)」はもう1つの意味で人類の運命を大きく変えました。それは、土器が世界最古の科学発明であると同時に、「食の料理革命」でもあったからです。というのも、土器が発明されるまでの古代人は、生で食す以外の食べ方は、焼く程度のものだったからです。
しかし、土器が生まれたことで、この状況は一変しました。土器は硬い食物を柔らかくする
「煮る」という調理を可能にしたからです。その結果、さまざまな味付けもできるようになり、人類の可食範囲を飛躍的に拡大したのです。そして土器が生まれた結果、縄文人は現代の私達よりも豊富な種類の食生活を送っていました。
その証拠に、縄文遺跡からはなんと陸上動物60種類、魚類70種類、貝類300種類が出土しています。例えば、縄文人はイノシシ、シカ、クジラ、ウニ、牡蠣、アワビ、ゼンマイ、ワラビ、栗など、色々な食材を食べ、季節の旬に応じて自然から恵みを食していました。
もし土器(セラミックス)が誕生していなければ、このような食生活は実現できず、人類の運命は大きく変わっていたでしょう。ちなみに、日本人が四季折々の旬のものをいただく文化があるのも、日本料理に「煮っころがし」や「肉じゃが」といった「煮る料理」が多いのも、縄文の名残だと言われているそうです。
このような、世界最古の科学発明品である土器(セミラックス)を生み出した縄文文明ですが、
実はこのような事実は、縄文文明が世界中から注目される理由のほんの一例に過ぎません。
縄文文明が世界から注目される本当の理由は世界最長の1万年以上もこの文明が続いたからです。ではその、縄文文明がなぜ一万年以上続いたのか。この謎を解く鍵は、世界中の遺跡で見つかるのに縄文遺跡でだけ見つからないもののなかにありました。
この事実を知った時、世界四大文明とは全く異なる縄文文明の姿が浮かび上がり、日本人のルーツが見えてきます。
では、世界中の遺跡で見つかるのに縄文遺跡でだけ見つからないものとは一体何でしょうか。
それは「対人用の武器」です。つまり、1万年以上も続いた縄文文明において「大規模な戦争が起こらなかった」ということです。今は、西暦が始まってからまだ2000年と少しです。1万年というと、この5倍ほどの時間があったのです。にもかかわらず、その間戦争が起こらなかったのです。
世界史を見ると、江戸時代の250年の平和ですら、他に類を見ないほど珍しい時代です。その250年を遥かに超える1万年以上も戦争が起こらなかったのですから、もはや縄文文明は人類史の奇跡でしょう。
だから縄文文明は1万年以上も続いたのですが、縄文文明が他の文明と異なるのは、単に「戦争が起こらなかっただけ」だけではありません。
縄文文明以外の他の文明は、メソポタミア文明にせよ、エジプト文明にせよ、インダス文明にせよ、黄河文明にせよ自然を破壊しています。
例えば、今のメソポタミアやエジプトは、昔は森林地帯でした。特にメソポタミアはレバノン杉だらけでした。しかし今、私たちがメソポタミアに持つイメージはどうでしょうか。砂漠、あるいは荒地
という印象ではないでしょうか。それは縄文文明以外の文明が、自然を管理、支配し、破壊してきたからです。しかし、縄文文明は自然と共生し生きていました。
四季折々の旬の恵みをいただく食生活をしていたのも、その証拠の1つです。 要するに、他の文明と縄文文明の生き方は全く異なるのです。
すなわち、文明の持続可能性と言う点から言っても、縄文文明は、自然との和、共同体の和をベースにした持続可能な文明だったわけで、対して、黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、長江文明などの世界の古代文明は、畑作、牧畜による自然破壊で、持続不可能な文明だったということです。
しかし、この素晴らしい日本人のルーツを戦後はGHQに消され、今や忘れ去られようとしています。日本人を日本人たらしめていると言っても過言ではない、縄文文明を想い出しましょう。
ほんと今さらな話だけど、インデックス投資の何がいいって個別銘柄で悩まなくていいこと、もっと言えば投資先を気にしなくていいことに尽きる
やることと言えば
で、まぁオルカン買うまではみんなやると思うんだけど、まとまってお金が入ったら脳死で追加投資するのと、NISA上限溢れた金でも気にせず特定で買うのも大事だと思う。
特定に入れると利益の20%は税金で抜かれるんだけど、元本が減るわけじゃないし、それ気にして他のことするぐらいなら脳死でインデックス投資続ける方が時間使わなくていい。
自分の周りで、余ったら個別銘柄物色してるとか言う人いるけど、どう考えてもアホな銘柄買って損してる。
それぐらいなら最初から何も考えずにインデックス買ってたらよろしいのに。。
損するのもあれだけど、物色する時間がもったいないのよほんと。
というのを続けて10年前は200万ぐらいしか貯金なかったけど、いまや2,500万よ。
男って「戦場や修羅場を渡り歩いて世界の辛酸を舐めて、成長してきた俺」がかっこいいみたいな感性があるじゃん
男用ポルノというか
でもまあ実際の成長に繋がるから悪い点ばっかでもないと思う
んで、女がツイッターとかで「使えない旦那、可哀そうな私」とか「周囲は意地悪いけど耐える私」みたいな量産型テンプレ漫画上げまくってるじゃん
学園アイドルマスターを発表から追ってる奇特な奴はこれだけのものが触れられた
・その他のいろんな告知施策
そのうえで追ってる奴の認識はこうだ
・チラっと映ったゲーム画面からシャニマスやウマ娘のように1回で最終目標までたどりつかなそうなことが想像できている
・最終目標を達成するまで失敗を積み重ねられる忍耐力がある
なので積み重ねた先がなにかをわかっているのでそれがモチベになっている
でもたまたま知ってインストールした奴が受けるゲーム体験はこうだ
・なんかチュートリアルやったけど1位とれんかった
・そのままプロデュースはじめたけど観客がまばらなライブで終わった
・「なんこれ?」
これが初期ウマ娘だったらURAで入賞できてたら美麗なライブには出られるし、今度は1位やってみっかーってなるだろうけど、
学マスはそうじゃなくて見た目上よさげな結果とれても、Trueエンドじゃないと地下ドルみたいな結果しかお出ししてくれないので
たまたまインストールした奴のモチベには何も繋がらなくて継続率やばそうっておもったってところだ
ほなまたプロデュースしてくるわ……
「これ迷惑がられてるな」
「距離置きたがられてるな」
と勘づいても止められない。突き進んでしまう。
会社の後輩(既婚、子なし)からウザがられてることを肌で感じながらも土日遊びに誘って連れ回してた。
断られると「お前のためにならない」とシリアスに説教して渋々了解させてた。
「嫁がメンタルやったのでこれまでみたいに遊びに行けなくなる」
「俺ができることならなんでもする。きっと心にも良いから3人で旅行に行こう」
と提案したら凄い顔された。あの顔は忘れられない。
後輩は会社を辞めた。
一切連絡がつかなくなった。
凄いよな。
嫌われてるのわかってても自分のほうが可愛いから絡みに行くのやめられないの。
誰か俺を救ってくれ、
昨夜苦しくなって、
「俺は嫌われている」という自覚を封じ込めず対峙しながら胸のうちを明かす、
ということを久しぶりにやった。
「弱いのが醜い」という属性の人間による弱さの暴露だったのにもかかわらず、思いがけず反応が多くてありがとう。
これらによって自分を少し客観的に視られるようになったために新たな発見があったので、それを書いておこうと思う。
自分のようなタイプの人間は他人から見て「デリカシー無さすぎて理解できない」状態のままにとどまりがちで、自己反省している様を表に出さない。
自分が自己反省や言語化を試みることで他人から多少の理解が進んだり、アドバイスを得られたりという効用があるかもしれないのでここに書いておく。
・なぜ嫌われていることを察しても突き進んでしまうのか?
→反省して我慢するなどの「ハッピーじゃない」状況を受け入れるコストが高すぎるから。
「あいつ俺と距離置きたがってる感じだったけど普通に笑顔で挨拶返してくれるし、雑談も相変わらずしてくれた」
「俺より明らかに優先順位高いであろう家族や恋人の話とか、プライベートで困ったことの話とかを普通に会話のなかで出してくれる」
とかで精神的に安心して「まだこのままでも平気だ。三行半突きつけられていないからまだ俺は平気なんだ」というふうに捉える。
これが自分の身勝手な行動を改めずに「突き進んでしまう」原因だと考えた
・なぜ薄々でも気づけたのか?
→淫夢ネタが好きで、いつも一人でネットでホモビネタを見ながら大笑いしてる。
そのなかで、
「ホモセ仲間の後輩から突然『ついに嫁との子供ができたからもうこんなこと続けられません』と突然別れを切り出されてしまった男の哀しい想いと愛を綴ったウソ歌詞があるのだが、
ネット民の大爆笑をかっさらう一方で自分のほうは初めて見た時にその日の夕飯何も食えないほど精神的に落ち込んだことがきっかけ。
嫌でも「これ俺じゃん…」と自覚させられてしまって落ち込んだのだ。
実際、件の後輩夫婦に対してずーっとずーっと「お願いだから子供はできないでくれ!!作らないでくれ!!」とかなり切実に願っていた。
命をかけられるほど大きな存在である子供が彼らの夫婦の人生に登場することで、瞬く間に自分への態度や振る舞いが遠慮なくキッパリ強いものになるだろうと予感して怯えたのだ。
・キャバクラは?
→女が百戦錬磨なので勝てないと最初からわかっているから全く好きじゃないし絶対にハマることはないはず。
自分は元来から、立場が下だったり、お人好し的人間を見抜いて「尊重して欲しい」と付きまとうタイプだったんだろうと思った。
・社会人サークルは?
→自分よりひとまわり、ふたまわり歳が若い人間に囲まれることに対する想いが強く、他の余暇の潰し方に一切興味がもてない。
抽象的な言い方になるが、
「太陽が燦々と降り注ぐビーチで若い女の子達がピースサイン、最前列でお調子者っぽい若い兄ちゃんが二人くらい寝そべりながらピース、その他の男達は皆同じ謎の面白ポーズをしている」
とにかく「祭り!!」みたいなのがいい
フルリモート勤務なので更に快適な都会生活を送れておりますゆえ。
都会でも流石にこれは大変。荷物は配送か、最初からAmazonになっちまう。
ホームセンター大好きっ子のワイとしては割と悲しい。おのれ。
マチアプで知り合った女性からLINEが来て、ある大手の結婚相談所連盟の個人経営の結婚相談所に入ったと。
で、入って後悔したと言ってる。
60人申し込んで返事ゼロ。
離婚歴はある。
本当は薬がないと生きていけない程に重度だが、全く書いていない。
機微情報とは言え、重大な持病を隠して婚活する女性には正直懸念しかない。
というか、キツい言い方かもしれないけど、
お見合した相手が重い病気を実は持っていてそれを全く最初から言わないなんて、欺しなんだけど。
で、ある時、その女性が通話したいと言うから通話してあげたのだけど、
相談所の話をしていたら、自分から結婚相談所の話題を出したのに「もうその話はしたくない」と言うし、
離婚した旦那の話題を自分から出したのに、「旦那の話はしないでくれる?」と言うし、
とにかく、わがままだ。
自分は何も相手に提供できないのに、元夫は年収700万だったから、次の相手も年収700万以上が希望と言う。
ただ、その元夫は残業・休日出勤が非常に多く、管理職でもあったらしい。
そんな発想をする人は初めて出会った。
相談所の質が悪ければ、こういう、言うと本当に悪いけれど、質の悪い会員が来るんだなと思って。
お見合申込は、会員→会員に直接届くのではなく、
会員 → 自分の担当カウンセラー → 相手方カウンセラー → 会員
のようにカウンセラーを経由して届く。
必ずしもプロフィールに条件が全て書かれているわけではない。
年収800万以上だと思っていても、わざわざプロフに書くのは下心が見えすぎだから、こうはって事前にフィルタリングするのだ。
で、何が言いたいかと言うと、このフィルタリングの仕組みのことで、
質の悪い相談所や、相手方カウンセラーが予め把握している微妙な会員を排除する仕組みがあること。
僕は南の島で生まれた。僕がまだ母のお腹にいた時に、父が軽はずみな悪戯をした。母は気を失い、倒れた。それは僕の運命を狂わせ、家族の運命も変える重大な結果をもたらした。僕は脚に障害を持って生まれ、その障害を治せる医療機関は島にも近隣にもなく、関東か関西の子供専門病院での長期にわたる入院治療が必要とされた。両親は治療費と移住費を捻出するため、先祖伝来の家屋土地、田畑をほとんどすべて売り払い、僕が2歳の冬、家族揃って島を出て、関西のある県に移住した。僕はその県の県庁所在地のある子供専門病院に入院することになった。
僕が入院した日、窓の外の山々が人生で初めて見る雪で真っ白になっていたことを今でも鮮明に覚えている。両親は家に帰りたいと泣く僕を残して帰っていった。僕はそれから4歳になるまで約2年間入院し、5回の手術を受けた。僕の脚は完治はしなかったけれど、障害者と判定されないくらいまでには改善した。島を出た時は、僕はまともに立つことすらできなかった。退院した時は自分の足で歩いて病院を出た。担当の先生や看護師さんたちが涙を流して見送ってくれたことを覚えている。
入院により僕の障害は改善したが、同時に子どもの成長に必要とされる多くの大切なものを得られなかった。両親からの愛情、家族や他人との人間関係を築くための社会性を身につける機会、病院食ばかりで食べ物の好き嫌いを克服する機会、成長に必要な体力と運動能力を得る機会などだ。このため、僕の後の人生で苦しむことになる。前回の日記では、特定の幾つかの出来事だけを挙げ、それが対人恐怖症や人間不信に繋がったように書いたが、実際にはそうではない。
退院したばかりの頃の僕は、体力がないため、同世代の男の子たちとは遊べず、妹の後ばかりをついて回った。そして彼女や彼女の友達と一緒に遊んだ。それは主に、体力を必要としないままごとや人形遊びだった。ある時、駄菓子屋さんで妹たちが紙製の着せ替え人形を買った。僕も買おうとしたら店の人に「あなた男の子でしょ!」と叱られた。よく女の子みたいだと言われた。そして、それからもずっとそう言われ続けることになる。
5歳の春、僕は幼稚園に入った。入園日の翌日から、午前中は親から離れて園で過ごす日々が始まったが、その初日で躓いた。僕は園に着いて僕を置いて帰る母を見てパニックになり、大号泣した。僕は病院で育った影響か、感情表現が下手で滅多に感情を表に表さないが、入院した日のようにまた家族と引き離されると思い、その時は全力で抵抗した。それは単に僕の勘違いだったけれど。入園日や卒園日のことは一切覚えていないが、この大泣きした時のことだけは記憶に残っている。
その後、僕は順調に幼稚園に通うことになる、はずだった。
近所に山川君という同級生の男の子がいた。同じ幼稚園に通い、小中学校も同じだった。幼稚園に入った4月の末、彼は、突然、僕の首を締めた。息ができなくなり、眼の前が真っ暗になり、意識がどんどん遠のいていった。僕が意識を失う寸前に彼は手を放した。その後、僕の登園手帳の5月と6月のカレンダーは、登園をしたこと示す判子が押されず殆どが空欄になっている。僕は首を締められたことにより、様々な感染症にかかり、ずっと寝込むことになった。
その出来事があってからは僕の母は彼を見ると、手を上げて打(ぶ)つ真似をして、「あんたのせいで」と怒った。その度に彼は彼の母の後に逃げ込んだ。母は彼のことをずっと後まで憎んでいたが、僕は彼のことをそんなに憎んではいなかった。小中学校で、彼は僕がいじめられているのを知ると、時には相手に鉄拳制裁を加え、僕を二度といじめるなと言ってくれた。その方法の善悪は別として、実際にそれは効果があったし、僕はそれに感謝している。
彼自身は、なぜ僕の首を締めたのか、それがどんな結果をもたらすのか分かっていなかったと思う。僕は、後に、同級生から他の人の見ていない所でよく抓(つね)られたりしたが、彼は同じような軽い気持ちだったのかもしれない。10代後半の彼が自ら語ったところでは、彼は先天的(おそらく遺伝性の)精神疾患を患い、その治療を受けていた。先天的という意味では僕と彼は同じ境遇で、それは僕ら自身の力ではどうしようもないことだった。僕の物理的に変形した脚では、いくら頑張っても障害のない人のように歩いたり走ったりすることはできない。物理法則を、意思の力や努力で変えることは不可能だ。脳も物理法則に支配されているのだから、精神疾患だって本人の意思の力や努力だけではどうしようもない。
結局、僕は幼稚園を1ヶ月半以上も休むことになり、十分な体力も付けられずに小学校に上がった。入学式の初日に、隣りに座った立花君に抓られた。その後に何度も経験することになる、隠れた場所でのイジメだった。僕は他の誰も見ていない2人だけの場所で、抓られたり蹴られたり嫌味を言われたりよくした。また、3年生の時に、近所の年上の男の子とプロレスごっこをしていて、抱きつかれたこともある。抱きつかれたというより抱きしめられたような感じで、その後、凄く気まずくなった。だから、僕はできるだけ他人と二人きりにならないように気をつけた。後から考えると、これは僕が適切な人間関係を築いていく上での弊害になったと思う。
ちなみに、僕を最初に抓った立花君は高校まで同じだったが、後には友だちになった。当時、僕の住んでいたのは某ラノベの舞台と言われる市で、公立高校の入試にいわゆる学区割というシステムを導入しており、成績上位者の一部を除いて、住んでいる学区で通う高校を指定された。だから小学校から高校まで、多くの同級生たちと同じ学校に通った。小中のしがらみを抱えたまま高校まで進学するのは、ある意味きつかった。
小1の時は、いろんな子にいじめられた。抓ってくる子が多かった。クラスで学力1、2位を争っていた男子と女子によく悪口を言われた。彼らは進学塾に通っていたけれど、塾にも通わないのに教科書をスラスラ読める僕に嫉妬したのだと思う。僕は、入院中の毎晩の看護師さんたちによる絵本の読み聞かせで、3歳になる頃には平仮名を全て覚え、絵本も一人で読めるようになっていた。僕のテキストは「くまのプーさん」だった。だから今でもくまのプーさんを見ると、特別な感情を抱く。入院で失ったものも多かったが、得たものも大きかった。
いつからかは覚えていないが、僕がイジメられるのを見かねた新池さんという女子が僕を守ってくれるようになった。彼女は本当に心が真っすぐな子だった。彼女は僕より背が低くかったが、人一倍勝ち気で男子相手の喧嘩でも一歩も引かなかった。だから彼女は学年中の男子から、新池ゴリラと呼ばれていた。新池さんは授業が終わり、帰宅する時もずっと僕の側にいてくれた。
新池さんとは中学まで一緒だったが、同じクラスになったのは小1の時だけだった。彼女は彼女の妹の面倒をよくみていた。彼女はいつも妹と一緒にいた印象がある。彼女は僕のことも彼女の妹と同じように庇護すべき対象と思ったのかもしれない。彼女は僕にとっては同級生というより、姉のような存在だった。
僕は前の日記で新池さんをゴリラ女子と書いてしまったが、それは仮名(かめい)を使わなかったから読み易いようにそうしただけで、僕が実際に彼女をゴリラと呼んだことは一度もない。そんなことしたら罰が当たる。彼女は僕の守護神だった。彼女は本当にかわいい子だった。だけど、僕には彼女を慕う気持ちはあったが、恋愛感情は一切なかった。そこははっきりさせておきたい。
小2になると別の守護神が現れた。担任の田口先生だった。田口先生は女性で優しかったが、弱い者イジメは絶対に許さなかった。先生は最初の授業で、僕には障害があるからクラスみんなで守ってあげて下さいと言ってくれた。僕はクラスで一番最後に逆上がりができるようになったが、先生がそれを母に報告すると母は泣いたらしい。先生はその話をクラス全員の前で話し、みんなも一緒に喜んで欲しいと言った。当時は、逆上がりくらいでと僕は恥ずかしかったが、今思うと本当にいい先生だったと心から感謝している。
そんな先生の下でもイジメをする子はいた。僕は病院食を食べて育ったため、好き嫌いが多く、食べられない給食が多かった。ある日、給食にチキンクリームスープが出た。僕は鶏肉が食べられなかった。無理して食べ、最後は戻してしまった。それを見たクラスの安田君という男子が「汚ねっ!」と言って、嘔吐物に唾を吐いた。別の誰かに呼ばれて駆けつけた担任の田口先生がそれを見ていた。先生はクラス全員が縮み上がるほどの鬼の形相で、烈火のごとく怒った。安田君はわんわん泣きながら、僕と一緒に嘔吐物の片付けをさせられた。僕はそれ以来、毎朝給食メニューをチェックし、ビニール袋を給食袋に忍ばせ、食べられない給食をこっそり持ち帰るようにした。まだ給食は残さず食べるというのが当たり前の時代で、おそらく田口先生は僕の行動に気付いていたと思うが、何も言われなかった。同級生の中には、精神的な理由から肉類を食べられないことを公言し、それを許容されていた子もいた。本来は、学校に僕が好き嫌いが多い理由をきちんと説明しておけばよかったのかもしれないが、僕は親にそういうことを相談できなかった。僕は、いじめのことも親に相談できなかった。
小2の2学期に徳田君という転校生が来た。ある日、体育の時間が終わった後、彼は僕を抓った。それをクラスの別の子が見ていた。僕はジャングルジムの上に避難させられ、徳田君はみんなに引きづられてギャンギャン泣きながら田口先生のところへ連行された。徳田君は転校してきたばかりで田口先生の方針を知らなかった。彼は僕をいじめたことで、クラスの大半を的に回してしまった。
徳田君は相当に困ったようで、苦肉の策だったのか僕に接近してきた。自分の家に遊びに来いとしつこく僕を誘った。僕は彼が怖かったから何かと理由をつけて断った。彼の最後の手は「うちにはお金が倍になるゲームがある」だった。家が貧乏だった僕は、その言葉に簡単に転んだ。彼の家は僕の家から100メートルも離れていなかった。当時、僕たち家族は、両親が市役所に転入届けを出しに行った際、役所の人が「市内一の貧乏アパートだから早めに出た方がいい」と助言したくらいの貧乏長屋に住んでいた。2階建てで庭に木まで植えてある彼の家は、実際はそう大きくはなかったが、僕には豪邸に思えた。彼の家の中に入れてもらうと、転校して初めて来た友達だからだと思うが、彼の母と祖父母が僕を歓待してくれた。そして、いろんなゲームを二人でした。当然のことだが、最後までお金が倍になるゲームなど出て来なかった。彼が家の外まで一緒に出て見送りしてくれた時に、僕は思い切ってそのゲームのことを聞いてみた。彼は「そんなのあるわけ無いじゃん」とけろっとした顔でいった。そんなにも平然と嘘を付く人がいるという現実に僕は戸惑った。そんな僕に、彼は全く屈託のない笑顔で、「また、必ず遊びに来てね」と言い、手を振った。その後、彼には多くの友だちができ、彼が僕を家に招待することは二度と無かった。それどころか、僕のことなど一切相手にもしなくなった。僕がその後の人生で、悪徳商法や詐欺などの被害にあわないで済んだのは、間違いなくこの時の教訓があったからだと思う。それは人を簡単に信用してはいけないという僕の人間不信を強固にする出来事でもあったと思う。
徳田君の名誉のために補足すると、彼は詐欺師などにはならず真っ当な人生を歩み、今では小さいながら自らの事業を立ち上げ、一人で切り盛りしている。彼とは社会人になってから何度か会っているが、苦労が顔に滲み出ていて、気配りのできる本当にいい大人になっている。
小3から中3の話は別の日記や別の媒体でも書いているので省略する。
僕は脚の障害のため、短距離走は誰よりも遅かったが、心肺能力は人一倍優れていたと思う。僕の体は、例えるなら、パンクしたタイヤを装着した高性能エンジン車のようなものだった。脚の悪さを心肺機能で補うことで、持久走はかなり速く走れた。学校のマラソン大会は中学で200人中5位、高校では700人中10位だった。これは自慢しているのではない。僕は高校では陸上部に所属し、中長距離走の選手として成果を出したかったが、競技者レベルには全く達していなかったというのが現実だ。そのため、僕は高2になるまで試合には一度も出して貰えなかった。
高2で初めて800メートル走に出場した時のことは鮮明に記憶している。それは県の全高校の陸上選手が集う競技会だった。観客席には選手や監督、コーチ、マネージャーなど数千人がいた。
スタートのピストルの音とともに出場者全員が出走すると、会場全体がざわつき、どっと笑いに包まれた。僕の走り方がとてもヘンテコリンだったからだ。それまでにも走り方を笑われることはよくあったが、数千人いる会場であんなに大勢に笑われるとは思いもしなかった。走り方一つで何千人もの人たちを笑わせられるなんて、僕はお笑い芸人より凄いかもしれない。
僕の高校の陸上部員の僕に対する声援は会場全体を包む笑い声にかき消されてしまった。どんなに笑われても、監督が苦労して僕を試合に出させてくれた以上、途中で棄権することは絶対にできないので、僕は死にものぐるいで走った。僕が最後尾で第4コーナーを回り、正面スタンド前に来た時に、その奇跡のような出来事は起きた。もの凄い声援が湧き起こった。走りながら、僕がスタンドの方へ目をやると、よく合同練習していた隣の高校の陸上部のキャプテンが身を乗り出し、両手を口に当て「〇〇、ファイトー!」と僕の名を絶叫し、それに続いて他の部員たち全員が大声で声援してくれた。走りながら僕は体中に鳥肌が立った。その声援は僕の高校の部員たちの声援を遥かに上回っていた。そして、その声援は会場全体に響きわたった。一瞬にして会場が静まっり返った。水を打ったようというのはああいう状況を言うのだと思う。たった30人ほどの人たちの声援が、何千人もの人たちの笑い声とざわめきを一瞬にして吹き飛ばしてしまった。気まずい空気が会場全体を覆った。急に静かになった競技場の残り400メートルを僕は力の限り走った。
結局、成績は最下位だったけれど、あんな奇跡のような体験をできただけでも、僕は競技会に出場した甲斐があったと思う。隣の高校の陸上部キャプテンの水野君、そして、彼に続いてくれた部員たちには、今でも本当に感謝している。当然、僕の高校の部の人たちにも。
社会人2年目の4月に本社異動になった僕は、地元に戻ってきた。地元には戻ったが実家には戻らず、会社の寮に入った。ゴールデンウィークに実家に戻ると、高校時代に同じ陸上部にいた津木と岡崎から飲みに誘われた。焼き肉屋で空腹を満たした後、津木がおもしろい場所に連れて行ってやると言った。
それは岡崎の家の近くの小さなスナックだった。津木がドアを開けると、2人の女性が明るく迎えてくれた。僕は本当に驚いた。そこにいたのは小1の頃、僕のことをずっと守ってくれた新池さんだった。彼女は小1の頃と全く変わらない笑顔で、僕たちを迎えてくれた。僕がいることに気づき、彼女も驚いていた。新池さんは全然変わっていなかった。彼女の隣にいたのは彼女の母だった。彼女の妹も一緒に働いている三人の店だということだった。もう彼女と何を話たのかは忘れてしまったけれど、津木ばかりが話していて、僕はあまり彼女と話せなかったように思う。僕は、小1の時の感謝を彼女に伝えたかったが、うまくタイミングが掴めず、結局は伝えられなかった。地元だからいつでもまた会えるという思いもあった。
しかし翌年、僕は今の妻となる人出会い、翌々年に結婚し、地方へ転勤となってしまった。4年後、僕が転職して地元に戻って来た時には、もうその店は無くなり、彼女の行方もわからなくなってしまっていた。彼女は小1の同じクラスの同級生で僕がフルネームを漢字でも書ける唯一の人だが、SNSの友達繋がりでも彼女の名前は見当たらない。その後、僕はまた別の会社に転職し、関東へ住居を移した。あの社会人2年目以降、僕は彼女とは一度も会えていない。感謝の気持ちは伝えられる時にきちんと伝えるべきだったと、本当に後悔している。
補足
食いたいなぁ、でもお高いよなぁ・・・と3分ほど逡巡したが、今日の俺は食うと決断した。
「夏野菜たっぷりカレー」とかあったらいいなと思いつつ向かう。たどり着く。
店舗の前の、のぼり旗によると、今はチキンカレーが売りらしい。なんで?夏野菜を推せよ
「空いてる席にどうぞ」と言われたので適当に座る。
最初に目に入ってくるメニューはやはりチキンカレーだ。うるさい。
チキンつったらアレだろうが。ポークの代用としてお安く出てくる奴だろうが。
それが1000円超えるとは何事だ。けしからん。
頑張って「夏野菜たっぷりカレー」を探すが見当たらない。チクショウ。
おススメらしき定番トッピングを一通り観るが琴線に触れるものが無い。お前の力はそんなものかCoCo壱番屋。
仕方がないのでトッピングの一覧をにらみ、理想のカレーを一から構築する。あぁ面倒くさい。
と、思ったら、ポーク?ビーフ?ベジカレー?辛さ?ご飯の量?あぁもう面倒くさい。
トッピングにたどり着くまでがもう面倒くさい。お腹が空いているのにこんなストレスかけないで欲しい。
CoCo壱番屋の手前のコンビニで500円でカレー売ってたけど、あれで良かったんじゃないかと思い始める。
それっぽいのは、ナス(ハーフ)のみ。ギィィィ!!!トマトとかズッキーニとか無いのか!あと、ハーフって何!
仕方がないので、ベジカレー,2辛,ご飯200g,ナス(ハーフ),ほうれん草(ハーフ)とシーザーサラダを注文する。
ご飯を減らしたが、ソースまで減るとは気づいておらず、後でガッカリする。
待っている間店内を見回す。
名探偵コナンの単行本が1巻から置いてある。何回通えば読破できるのだろう。
シーザードレッシング?は偉大だな。シーザーが偉大なのかは知らない。ブルータスに裏切られた人だっけ
カレーが届く。
腹いせに福神漬けをこれでもかと盛る。あれ、大根になったんだっけ?確かにやけにシンプルな漬物だ。
カレーを食う。美味い。正直、何も特別なものは感じない。でもカレーは美味い。そうだった。忘れていた。
福神漬け(のような漬物)とカレーにまみれたご飯を食う。美味い。
でも漬物は流石に入れ過ぎた。しょっぱい。
ほんの一例の話。
細い階段で持っていた荷物を落としてばら蒔いてしまった。慌てて拾っていたが量が多く指に麻痺があるのでなかなか上手く拾えず時間がかかってしまっていた。
最初に通った若い女性は邪魔!って言いながら荷物を踏みつけて通り過ぎた上にこちらを振り返り憎しみを込めた目でにらみつけられた。悪意凄いな…とポカンとしてしまった。
後で通った若い男性と初老の男性は大丈夫ですか?と声をかけてくれて荷物を拾うのを手伝ってくれた。ごめんさない、ありがとうと伝えた私に気にしないでくださいと笑ってくれた。
これは今日のことで昔話ではないし私は女なので異性に警戒という訳でもない。ついでにおばはんなので男性に下心がという説も100%ない。
たった一例を全てに当て嵌めるのは駄目だと分かっていても一度植えついた思考というのはなかなか離れてくれない。だから少し前に話題になっていた女性の方が助けるとか共助意識が高いって話を今は信じることが出来ない。この事件が起きるまではそう思っていたのに。
そしてどちらかといえばフェミニスト寄りだったが何でもかんでも女は正義だと言い張る思考が気持ちの悪いと思った。男性にも女性にも等しく優しい人はいるし悪い人も勿論いる。ネット上の優しい身内の言葉だけではなく外の世界でこういう体験をして中立を維持するべきなのかもしれない。
ともあれあの時の男性の御二方、本当にありがとうございました。
俺はメリットと言っただけで最初から「直接的なメリット」ではないものを想定してるのに、勝手に「直接的なメリット」の話と解釈して否定されたらニュアンスが通じなかった〜とか言われるのは心外すぎる。
https://twitter.com/himasoraakane/status/1791344565057921161
これね。
俺はまず共同親権の問題に興味を持たないと言う形でクソフェミへの仕返しとしてたのだが、それでも流れてくる情報を軽く流し見た感じ、別に共同親権に問題は感じなかった
女さんが外国の子供誘拐したりしてた結果だよ?クソフェミさんたちの言う通り世界基準になれてよかったじゃん。
男がどんだけ金持ってようが親権を持っていくのは生活能力のない女さん。こんなんだから貧困の連鎖が止まらないんだよね?そこにメス入れたのは評価できる。
「共同親権なくても面会はできる!」うん、外国の子供誘拐してるよね?面会権とかが有名無実化してるからこうなったんですよ?「養育費ガー」だから面会した時に話できるんだからよかったじゃん。女さんってラインとかでも嫌いな相手ってシカトしてたら消えるみたいに思ってる節あるよね?そんなんだから養育費貰えないんだよ?女さんだけじゃなーんにもできないから法律で後押ししてあげてるだけじゃん。
「DVガー」いや証拠揃えろ?痴漢冤罪やセクハラみたいに女さんが騒いだら男が有罪!みたいなの本来はおかしいから。お気持ちで男の権利どうにでもできるって思ってるよね、女さんたちって。そう思ってないとリーガルハラスメントとか言わないからw一個人が法律上の権利を主張してるだけだからw
そもそもDVするような男選んだのお前だよね?嫌ならチー牛選べばよかったやんwチーが優しいかどうかは知らないが、チーは絶対に手をあげないよ?なぜならそんな度胸もなければ腕力もないので普通に喧嘩に負けるかもしれないからwww
女の腐った部分が集約された案件でしたね