はてなキーワード: 曹操とは
若い頃の孔明は自らを管仲や楽毅に比肩する才能があると自負していたようだけど、実績からいうと政治・軍略いずれにおいても孔明の才は両者に遠く及ばなかった。
三国志演義に描かれる時代はとくに傑出した人物がでなかったおかげで小競り合いが長引いて、物語の脚色上ろくに実績のない武将や文官まで英雄扱いされてしまっているだけで、
他の戦乱期と比較してみればスケールの大きな人物がほとんど輩出されない小者だらけの時代だった。
創作の世界では三国志最強武将として扱われる呂布も一時期曹操を苦しめていたのが過大評価されてるだけで他の時代の名将たちと比較して華々しい戦歴があるわけではないし、
あくまで三国志前半の物語を盛り上げることのできる特異な経歴をもったトリックスターであったということだけが呂布の強みであり値打ちだった。
嬴政が「戦争をなくすために中華を統一する!」「人間の本質は光だ!」とかぶち上げて侵略戦争してるけど、
秦が中華を統一したところで中国の内戦に限ってすら戦争がなくなることなんて全くなかったわけだし、
統一後も圧政が元になって民衆の恨み買いまくってるし、クソデカ陵墓作らせたり不老不死に執着したり、
董卓や曹操が可愛く思えてくるほどやってることが悪役そのものなんだが、よくこんな人物をここまで美化できるなと思う。
漫画自体は戦争描写がめちゃめちゃ面白いし大好きなんだが、嬴政を正当化するのは無理がありすぎて滑稽ですらある。
極めて現実的な統治を語った呂不韋に対して、何の根拠もない理想論で論破した風に描かれているシーンとか滑稽の極みで、
あれにほだされて蔡沢とかが「胸が苦しい!」みたいになってたのとか、「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」としか思えなかった。
上坂 いろいろなプーチン論があるので、どのプーチン論を採用すべきかは難しいところですね。ただ、私の実感としては、叩き上げかつエリートで、しかも民衆へのプロパガンダも上手だという点は指導者としてすごいなと思います。だって、カレンダー出してるんですよ。本人が出してるのか知らないですけど(笑)。
――虎と一緒のカレンダーですね。
上坂 虎絞めたり、裸で川渡ったり。私は強い指導者ですということを、たとえ字が読めない国民にもイメージで鮮烈に伝えている。対外的には21世紀的な強めの外交もなさっている。あまりプーチン万歳をするわけにもいかないですけれども、これだけ長くロシアを治めているということは、民がこういう指導者を求め続けているということに他ならないんでしょうね。やはりロシアはツァーリ(皇帝)と民衆の国です。
208年、曹操が南征を開始すると、荊州の劉表は死去した。荊州では劉表の後継者争いが起こっており、長男の劉琦を支持する側と、次男の劉琮を支持する側に分かれていが、優勢であった劉琮が荊州牧に就いた。荊州では曹操軍が到来したと知ると、劉琮は王粲の勧めもあり曹操に帰順した。曹操は新野の劉備を攻めようとした。しかし、劉備軍はいち早く撤退したので曹操は軽騎をもって追撃し、当陽県の長坂でこれを大いに撃破した。だが、劉備軍の被害はいたって少なく、彼らは江東の孫権と同盟して曹操軍と対峙するに至った。周瑜は部将黄蓋の進言を採用して、佯降を偽装して接近に成功した黄蓋が、曹操軍の船団に火を放つと忽ち燃え広がり。曹操軍を火計で破った(赤壁の戦い)。周瑜が劉備と再度合流して追走すると、曹操は曹仁と徐晃を江陵の守備に、楽進を襄陽の守備に残し、自らは北方へ撤退した(「呉主伝」)。
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208年、 Cao Cao が南征を開始すると、 Jingzhou の Liu Biao は死去した。 Jingzhou では Liu Biao の後継者争いが起こっており、長男の Liu Qi を支持する側と、次男の Liu Cong を支持する側に分かれていが、優勢であった Liu Cong が Jingzhou 牧に就いた。 Jingzhou では Cao Cao 軍が到来したと知ると、 Liu Cong は Wang Can の勧めもあり Cao Cao に帰順した。 Cao Cao は Xinye の Liu Bei を攻めようとした。しかし、 Liu Bei 軍はいち早く撤退したので Cao Cao は軽騎をもって追撃し、 Dangyang 県の Changban でこれを大いに撃破した。だが、 Liu Bei 軍の被害はいたって少なく、彼らは Jiangdong の Sun Quan と同盟して Cao Cao 軍と対峙するに至った。 Zhou Yu は部将 Huang Gai の進言を採用して、佯降を偽装して接近に成功した Huang Gai が、 Cao Cao 軍の船団に火を放つと忽ち燃え広がり。 Cao Cao 軍を火計で破った( Battle of Red Cliffs )。 Zhou Yu が Liu Bei と再度合流して追走すると、 Cao Cao は Cao Ren と Xu Huang を Jiangling の守備に、 Yue Jin を Xiangyang の守備に残し、自らは北方へ撤退した(「 Biography of the Lord of Wu 」)。
目が泳ぐ。覚えられる気がしない