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2024-10-03

anond:20241003025811

パワーカップルとかから派生してるんだろうけどジャクダンといいなにがつよいかよわいかが全く曖昧模糊としている。

エリートさんだよっていいたいのか

金持ちだろっていいたいのか。

こうも堂々とひがみをみせればそこで試合は終了だとおもうがね。

2024-10-02

トランスジェンダリズムと「ジョグジャカルタ原則

https://note.com/takahashi_shiro1/n/n50d842e6a877

 駒澤大学森田成也氏(マルクス経済学)がトランスジェンダリズムに疑問を持つに至った理由第一は、主として海外情報から、とりわけラディカル・フェミニストに対してひどい攻撃脅迫暴力を振るっていることを知ったこと。第二は、熱心なトランスジェンダー派ほど、売買春肯定ポルノ肯定であることを知ったこと。第三に、トランスジェンダーとは性同一性障害の人のことと思っていたが、実際には後者トランスジェンダーのごく少数の一部に過ぎないことを知ったこと。第四に、2020年6月にJ.K、ローリングさんが、トランス当事者に対して非常に配慮しつつも女性の「身体性別に基づく権利」の重要性を訴えた声明文(https://note.com/f_overseas_info/n/nb9dee80c5f82)に対して、全世界トランス活動家左派が信じたいほど暴力的で誹謗中傷的な攻撃をしているのを目の当たりにしたことである

 注目すべきはアメリカリベラル新聞ニューヨーク・タイムズ』やイギリス左派新聞『がーディアン』などが相次いで、子供拙速性別移行措置に対する強い懸念を示す記事掲載したことであるローリング攻撃に加担してきた両紙が全面的擁護に一変したのは画期的といえる。

 トランスジェンダリズムには、「生物学性別」を認めつつ、それとは異なる「心の性別」ないし何等かの生得的な「性自認」が存在するとみなし、後者を前者よりも優先させようとするソフトバージョン自治体国際機関などの公的機関など)とハードバージョン(ジェンダー学者トランス活動家など)がある。

 ハードバージョンは「身体性別」すなわち「生物学性別」の存在のものを認めず、「性自認」「性表現」等の曖昧模糊としたものが唯一絶対性別決定要因であるとみなすトランス活動家たちはトランスジェンダリズムへの異論を「差別者」ないし「ヘイタ―」の誘惑として、読むな、見るな、議論するなと主張する。彼らはトランス当事者のために運動しているのではなく、トランスジェンダリズムというイデオロギーのために運動しているイデオロギー優先の「カルト集団」と見做すべきである

 クビー著『グローバル革命』によれば、2007年インドネシアジョグジャカルタで29の「ジョグジャカルタ原則」が作成され、それを実行するためにJGBT活動家のための200頁の『ジョグジャカルタ原則活動家ガイドハンドブックが作成され、「混乱を招く方法」「LGBT問題目標を実現するための具体的な実行方法」等を明示した。

 同序文には、「どのような類型性的嗜好行為も、小児性愛近親相姦一夫多妻不特定多数との性的関係あるいは獣姦までも排除されない」と書かれている。

2024-10-01

与次郎用事というのはこうである。――今夜の会自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎与次郎に口を添えて極力先生賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎広田食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩い広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいから大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来性質のいい運動から三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町神社鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久かいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわあいにおちついて静かである煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎熊本赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である熊本学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しか与次郎相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎ますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生ハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったもの自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である演説いたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合ビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通会合であるしかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間普通人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己運命の膨脹を自覚しえた。  政治自由を説いたのは昔の事である言論の自由を説いたのも過去の事である自由とは単にこれらの表面にあらわれやす事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋文芸研究する者であるしか研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通人間とは異なっている。文芸技術でもない、事務でもない。より多く人生根本義に触れた社会原動力である。我々はこの意味において文芸研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通ビールコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールコーヒーである。  演説意味ざっとこんなものである演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎もっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないか大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっと三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまりわずに出た。ゆうべから急に新時代青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆ価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口運動場の南のすみにある。大きな日の丸イギリス国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリス国旗はなんのためだかからない。三四郎日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟大学陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しか外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎失望したのは婦人席が別になっていて、普通人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離から顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しか婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎自分無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはい婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。

砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。

 それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会めいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。

 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。

 三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちからまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。

あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐ものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいもの出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。

 美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。

「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。

「今まで見ていたんですが、つまらいからやめて来たのです」

 よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、

「それより、あなたたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。

「もう宅へ帰るんですか」

 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。

「どこかへ行くんですか」

「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。

高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」

 美禰子は軽く笑ったばかりである三四郎も黙っている。三四郎高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。

「この上には何かおもしろものがあって?」

 この上には石があって、崖があるばかりであるおもしろものがありようはずがない。

「なんにもないです」

「そう」と疑いを残したように言った。

「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。

あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。

「いいからいらっしゃいよ」

 よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、

「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」

 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。

あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。

「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。

 やがて女二人のあいだに用談が始まった。

あなた、いらしって」と美禰子が言う。

「ええ。あなたは」とよし子が言う。

「どうしましょう」

「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」

「そうね」

 なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院看護婦のところへ、ついでだからちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。

 よし子は、すなおに気の軽い女だからしまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。

 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。

「あの木を知っていらしって」と言う。

「あれは椎」

 女は笑い出した。

「よく覚えていらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

 今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」

 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院あんまり暑いものから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」

「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから

だってだいぶ得意のようじゃありませんか」

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」

「なぜですか」

だってまさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」

 三四郎はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」

「会場で?」

「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。

あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」

 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。

あなた原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「そう」

「どうかしましたか

「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」

 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎自分いかにも愚物のような気がした。

「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの

 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやす下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活永久にやめる時機がこないともかぎらない。

 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。

 三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

「お兄いさんは下宿なすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。

「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。

 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通学生同様な下宿はいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである

 三四郎赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分田舎から出て大学はいったばかりである学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらいから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生帽子をとって礼をしながら、

「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

anond:20241001201601

anond:20241001163140

まだちょっと足りなくて、本来具体的な愚痴はどこでも言うべきじゃないんだ

どういう繋がりで届くかわからないわけだし。

愚痴は全部を言うべきじゃないんだけど

譲歩して曖昧愚痴くらいは許す

2024-09-30

月末借金先生

借金先生キャラ変えして最期ありがとうございますマンになっていたのに元のキャラみたいなビキビキヤクザマンに戻っちまっただ…

ついでに会ってお話しましょと一昔前の胡散臭い人間仕草もしちまって巻き戻すダイヤルをひねりすぎている…

 

先生提案素人の傍目で読んでも「そりゃ曖昧すぎでしょ…」と蹴られるだろうなという内容だった。返答は+彼らしい内容でしたけど

いまはことさら自分以外の様々な大きなものを背負っている・慮っているという面をアピールしているけど(前からしてたけど)ずっと借金先生個人へ焦点を当てることを自他共に避けさせているように見えて、先生の思惑通り直視に耐えられない

出版社や世の中の障害者内縁の妻だとかもいいけれど、行動を転嫁しすぎて自分意思で動きたくない、動いたことにしたくないのかな、と考えてしま

 

しかしまあ一部金銭勝利しましたし、ここまで先生に利がありそうな騒動でこうなったのかには興味があるのでぜひ筆は折らずに頑張って欲しいとおもいます

個人的には金川先生のことを推しているので二人の友情エピソードなどを盛ってくれると嬉しいです

anond:20240930175102

ほとんど覚えてないが、研究したことないように思う

木で適当バランスゲーム作ったのは覚えてる

あの慣習は「研究」が何をすることを指すのか曖昧にさせる効果があると思う

在宅vs出社の議論ってアホすぎない?だって、在宅で生産性が上がるタイプと出社で生産性が上がるタイプ、2つのタイプがいるだけでしょ?

今、NHKでやってるの見てて思ったんだけど、どっちが生産性が上がるか?じゃねーんだよ…😟

人間はみんな同じじゃない

最近やってたマケインアニメだって言ってたじゃん

主人公の温水は孤独なんじゃなくて、一人でも平気なタイプ

勝手自分と同じタイプだと思った背の低い赤髪は一人では平気じゃない普通女の子だって

俺も主人公の温水とか、ぼっちざろっくのベースと同じで、一人がつらくないタイプ

まあ、寂しい気持ちときどきなるのは否めないけど、楽器弾いたり、絵を描いたり、ボクササイズしたり、なんか色々やってればそういうのは忘れられる

そういう趣味とか娯楽とかさえあれば、宇宙船の閉鎖環境みたいなところでもかなり生きていける自信がある

まあ、閉所恐怖症なのは問題だけど…😟

話を戻すと、ぶっちゃけプログラミング仕事だったら、俺は在宅が一番生産性が上がる

家には大量の技術書数学物理機械関係音楽関係、数万円するような絵画資料もある

あと、自分は社交不安とか、外出した環境で過剰なストレスを感じてしまって、大量の汗が出たり、汚い話だけどウンコ漏らしたこともあったし、

家だったらすぐに着替えて、シャワーが浴びられる、好きな紅茶が飲めるし、数年前の自分はもうちょっと健康だったか散歩にも行ってた

良くないことだけど、フリーランスとかやってた頃は仕事が止まらなくて、深夜までやってたりした

客の時間外の連絡にも対応して、データを読み込むスクリプト即興で書いて、客からデータを受け取り、DBに流し込んで、

流し込んだデータ地図データで間違えが多かったので、それを修正するためのツール作成して、客に提供した

安い報酬でかなりのサービスをした

その客とは、ちょっと色々後にトラブルがあって、最近は連絡を取っていないのだけど、在宅の怖い所は、仕事楽しいと止まらなくなるところ

あと、よく言われるように、客とか同僚の指示が曖昧、なんかチャットからでも伝わってくる空気が不穏、みたいなのは在宅だと確かに困る

だらだら机に向かってるだけで、仕事を進めようにも自分以外の理由ペンディングしてしまうわけだから、周りに人がいて、おい、ここからどうするよ?みたいに話せないのは凄い不安ではある

しかし、プログラミングをひたすらガリガリ書く作業になったら、在宅がいい

余計な電話対応をさせられたり、指示が明確になってないのに呼ばれて、ぐだぐださせられたり、ちゃんと話をまとめてから指示してくれ、と思うわけだけど、

在宅だとその辺がきっちりすることがあるし、それでもきっちりしない指示の人だったりしても、チャットならまあ聞き流し、というか読み流していられる

納期カリカリに迫っていなければ、チャットに~の部分は~使っていいですか?とか、~の部分どうやったらいいのか分からない、論文とかありますか?みたいに書いておいて、

非同期で誰かが対応してくれるから、そういうのが楽、在宅というよりチャットの話だけど

これを出社で、リアルタイムでせっついてこられるようになると困る

もしくは、こっちからせっつくことを強要されるような仕事環境も凄く不愉快

でも、業種によっては、プログラミングなんかじゃなければ、明らかに出社じゃないと成り立たない仕事職種、業種は存在するし、

在宅vs出社で生産性比較する議論なんて、本当に馬鹿げている

仕事の数だけ、人の数だけ、違うに決まっているじゃないか

で、それをちゃんと見極めたりするのが人事の本来仕事なんだろうけど、ぶっちゃけ人事って実務を知らないアホが多かったりするから、役に立たないことが多いんだよな

そのくせ、文系出世コースでもあるから、人事は他人選択したり切り捨てる人事権があるし、社長より自分は偉いと錯覚してるような輩までいる

人事が、この人は在宅が適任、この人は出社が適任というのを見極めるべきだし、

現実は誰もが在宅と出社のハイブリッドであるべきで、その比率みたいなのも仕事によって違うわけで…😟

無性にジャンガレが食いたくなった。

山岡屋とともにずっと気になってはいるけれど、どちらも絶妙アクセスが悪い。車も乗らないし。

日常重力というものは中々強くて、行動圏内を逸脱するのにラーメン屋だけではちょっと弱い。そのためだけにわざわざ足を伸ばすのもなんだかさもしいお出かけに思える。

でも普段のおれの過ごし方も大概だ。

頭に浮かんだ単語自分でこねくり回す事もせず、SNS検索ボックスに放り込む。そこに出る他人がまとめた言葉に乗っかって、何かを考えたような気になる。もしかしたらコミュニケーションをした気になってるのかもしれない。何度も同じ言葉検索したりもする。

反復の日々の中で内容を変化させる刺激もなく、何度も同じ話を繰り返す老人と同じだ。

更新など来てないだろうと分かりながら、YoutubeTVerWeb漫画サイトをぐるぐるローテーションしたりもする。それにも飽きたら過去面白かった回を見たり。同じ回を何度も繰り返し見ていれば味もしなくなってくる。

それか、変わり映えしない手癖でギターを弾くか。頭の中で漂う音を取り出したいが、ろくに技術もない。そのためのセオリーを知ろうと知識検索まではするが、頭に入れようとはしない。開きまくったタブを閉じるのもなんだか惜しくて、ブラウザの隅にグループにまとめられたまま。埃でも積もれば少しはやる気にもなったのかもしれない。

こんな過ごし方なら出かけた方が少しはマシかもしれない。

週末、ジャンガレへ向かう決意をした。

山岡もついでに行きたいが、微妙場所がズレている。まあ折角出かけるのだから両方回ってやろう。

と思っていたが、ベッドでダラダラ過ごしていたら出発時間がズルズル延びていく。

結局山岡家は諦め、比較アクセスのマシなジャンガ新所沢店を目指す。

縦の移動を滅多にしないので気付かないが、埼玉は意外と近い。国分寺から西武に乗り換えればすぐだ。

近場でも県を跨げばなんだか旅行気分になる。それが移動の楽しさでもあり、億劫さを生じてもいる。

国分寺線は車内に電子表示がないらしい。イヤホンつけてスマホ凝視している現代の陰気人間に対して実に優しくない。Yahoo路線googleマップ現在地を神経質に確認しつつ、新所沢駅へと降り立つ。

西友と一体化した駅のロータリーは、郊外平均の生活感漂う趣。決して高円寺やそこらの「生活感」ではない。

都心に住んでる者には田舎郊外に住む者には日常光景ガチ田舎に住む者には割と都会。寂れはせずとも活気もない風景は決して気分の上がるものではない。

ジャンガレを目指し脇の通りに出ると飲み屋が並ぶ。町の息づきを隠しやがって、と思うのも束の間、スタスタ歩いているとそれも一瞬で過ぎ去り国道沿いへと放り出される。歩道車道曖昧さに少し田舎さを感じる。いやむしろ駅に近いからか。

コンビニファミレスか、塾やら車屋やらブックオフやらが点在する、ネットバカにされがちなあの光景

中高生の頃もほっつき回れる範囲は「コレ」か住宅外の二択だった。

晩飯までの時間制限はそのまま距離制限になる。電車あっちこっち行くような金もない。楽しげな景色は全て画面の向こう側だったな。せめて河川敷でもあれば良かったのだけど。

歩行者マイノリティのそういう道を歩く度、当時の事を思い出す。目に入る情報が少ないと意識自分の内に向きがちなのかもしれない。今も昔も。

ジャンガレは駅から離れるとすぐに見つかった。

小綺麗で小さめの店内にもう一軒ラーメンの入った、二店舗だけのフードコート形式

卵なしまそば(790JPY)の食券を購入し、受け渡し口へ。

トッピングを聞かれ、慣れた風にニンニクWとだけ。

店員のおばちゃんの声色と表情が「それだけでええんか……?」的な雰囲気を漂わせる。

別にいいだろ。おれは口の中の味が少ない方が好きなんだよ。

何やらメニュー表の写真を指差しながら説明しているが、ここで掌を返せば自分が不慣れのようではないか。実際不慣れなのだから何ら恥じることはないのだが、意地になってロクに確認もせず「それで大丈夫です」で通す。

そこまで言うからにはよほど質素な素ラーメンが供されるのではないかと若干怯えつつ、10秒程度の駆け引きを済ませる。フードコート特有のブーブー鳴るアレを渡され、テーブル席へ陣取る。

すぐさま脳内自分反省回を開く。おれのトッピングは変だったのだろうか。

数m先のメニュー表を確認することなく、インターネット無料トッピング情報を探る。

ニンニク。入れた。

エビマヨチーズ。いらん。味がゴチャゴチャする。

ベビースター。いらん。カリッとしたもんをわざわざふやかすのは嫌いだ。

辛味。まあ初回だしいらんだろう。

あ、アブラを入れ忘れてた……

まあ致命的なミスはなかろう。

スマホを置き店内を改めて見渡すと、数割の埋まり具合といったところ。

若者連れ、ご婦人ペアソロ中年男性

二郎(系)特有の窮屈で急かされてるような雰囲気はない。もう一軒普通(?)のラーメン屋も入ってるしな。

これを求めてたんだよ。家で手間をかけることもなくゆったり食える。

二郎は好きだけどあのガツガツした空気は嫌いだ。早食い美徳とも思わない。回転率とか店の都合だし 。

ナイトホークスとまでは言わないが、郊外の週末夕方の気怠い空気が心地よい。

地元の店といった趣はむしろアウェイ感すら抱かせるほどだ。

時間がゆったりと流れるような感覚。でも給水器の水の出がやたら遅かったのは多分気のせいではない。

呼び出しのブザーが鳴る。

ネット確認して尚も素ラーメンが出てくるのを若干恐れつつ、受け取りへ。

なんだ、ちゃん二郎系の姿をしてるじゃないか

受け取り口脇で紙エプロンが目につく。周りに目を遣ると着けてる奴はいない。こういう時、なんかお上ぶってるみたいで使うのが恥ずかしい。だが、週末のお出かけだしと着てきたお気に入りの白シャツは守りたい。

と悩んでいると、店員から「よければ紙エプロンどうぞ」の声が。渡りに船。まあ、勧められたなら使っといてやるか。

席へ戻る。卓上のカエシを垂らし、ヤサイを除去するように喰らう。コショウをドバドバ振り撒いてブタを喰らう。ニンニクをかき混ぜて麺を喰らう。

うまい。濃くてうまい。味がしてうまい

他の二郎系と何が違うのかはよく分からんけど、かねてから実行しかねていた欲求をきちんと消化し、しかも美味いのだ。何の不満があろうか。

と、汁がシャツの裾に飛ぶ。ちょうど紙ナプキン範囲外へ。

一気に萎える。

コップの水を紙ナプキンに浸して拭うが、薄まりもしない。

シミ抜きめんどくせえな。忘れないようアラームをつけ、自分で抱えてると気の滅入る記憶を外部委託する。

最後の一啜りを慎重に済ませ、退店。

まだ7時頃だかすっかり日も暮れた。もう夏も終わりか。

道路沿いで光り輝く塾の中でガキ共が勉強してやがる。こいつらは幸せなんだろうか。幸せになれるんだろうか。まあおれの知ったことではない。

完全に一服の口になってきたので、googleマップ喫煙所を探す。駅前タバコ屋があるらしい。

喫煙所のある街は良い所だ。目に楽しい街は傾向的に大体パブリック喫煙所が設置されている。寛容さとか、そういう抽象的な理屈じゃなく。

プライベートサービスの灰皿があるだけとなると、ギリギリ及第点といったところか。まあそれもすぐ消えゆくのかもしれない。

タバコ屋へに辿り着くと、分煙へったくれもなく灰皿だけが置かれたストロングスタイル

くどいラーメン後の一服は実にうまい。肉体作業でもした後ならさぞ染み渡るんだろうな。まあそんなんしなとも十分満足だ。さて帰るか。

駅でオシッコしようとしたら、トイレは仮設らしい。小×2と大×1の窮屈なボックスが3つ並ぶだけ。駅の規模の割に小さい。ええんかこれで。

スッキリした所で、ガラガラ新宿行きへドカッと座り込む。

このまま新宿まで行ってしまおうか。映画でも観て、バスタ高島屋でボーッと夜景でも眺めたら締まりのある週末だ。

乗り換えるまでの数駅分の猶予で、まあ今日はもういいかなと思った。

車窓の向こうは晩夏か初秋の暗闇。団地とタワマンの灯りだけがかぶ

家までの帰り道、せめてもの抵抗ゲーセン寄ってった。

なんというか、西武線に揺られ所沢に降り立ちジャンガレを啜るという全ての体験所沢感、というか郊外感があったな。非日常にすら感じるほどの、絵に描いたような日常。それに抗うつもりでゲーセン行ったのがむしろ更にそれを強める。

これをいつもの週末にしたくはないなって思いと、そうなりそうな予感があった。

帰ってフロがてらシャツのシミをシコシコ落とす。かったるい。汚れてもいいTシャツで近所をうろつくばかりの日々はもうすぐそこまで来てるのかもしれない。

後日山岡家も行った。

瑞穂店。どこだよマジで

最寄りは箱根ヶ崎かい温泉街パチモンみたいな名前しといて、実態八高線田舎駅。ドアの開閉はボタン式。狛犬ポジションの罪は重い。

駅前ロータリーコンビニけが目を引く。

国道沿いの道は片側二車線で、より歩行者の疎外感が強い。リサイクルショップの掲げる「作業靴買い取ります」の文言に色々な想像を浮かべる。

所沢って結構マシだったのかも。

15分ほど歩き山岡家に着く。駐車場はかなり埋まってる。思ってたほど臭くねえ。

醤油大盛り

店内は金髪ツーブロの兄ちゃん家族連れ。一人者にテーブル席は許されず、肩身の狭いカウンターへ。

しばし待たされ着丼。

啜る。なんなシメ雑炊出汁みてえな味がする。気がする。分からん。濃くてうまい

ニンニクコショウをドバドバ入れると、叩かれがちな壱系とあんまり変わらん気がする。まあ美味いのでいい。

帰りに寄る場所もなく、来た道をそっくりそのまま辿る。

おれの人生から日常はどんどん失われて、着実に「これ」へと染まりつつあるのかもしれない。

2ch脳じみた考えもとっくに薄れてきて、そういう日常バカにする気もあんまりなくなってきた。自分楽しいか、満足してるか、納得してるか。それが全てなんだし。

大して違いが分からなくたって、美味いと思えるものが食えたらいい。

別に美術館図書館デパートも行かない。

から出なくたってネットに色んなものが転がってる。

でも楽しい景色はこの目で見たいし、自分の足で踏みしめたいんですよぇ。

2024-09-29

一般論として「頭の悪い人を馬鹿にするのは良くない」は正しいと思う。

しかしこれが「自分に対して害のある頭の悪い人を馬鹿にするのは」どうだろうか?

いや、褒められたものではないという事は理解できるよ。でもさぁ。。。

 

例えば私の妻がこれに該当し、それを見下しているのが私である

そして妻に「私の事を馬鹿にしてるでしょ」と非難されるわけだが

はい馬鹿にしてます」とも言えないか曖昧な反応をするしかない。

もちろん否定するのは無理だ。だって馬鹿にしてるもの

 

そういう馬鹿相手でも見下さずに辛抱強く寛容な姿勢で接する事ができる人なんて居るのかなぁ

若い頃(?)HPVワクチン打てなかった勢だけど私以外もいるよね?

当時の記憶曖昧なんだけど、うちは母親マスゴミ報道をすごい気にしてて打たせなかったっぽい。

別に反ワクだったとか自然派とかではなくて、母が困ったような顔をして「でもなあ…何かあったら怖いしなあ…」とすごく怖がっていたのを覚えている。

ありがとう、お母さん。心配気持ちはとても嬉しかったよ。今でもそう思う。

ただその後、私生活ものすごく大変になって、キャッチアップがなんたら~みたいな情報を取り逃してしまったっぽい。

事故だの病気だのめっちゃ色々あって、ここ数年でやっっっっと経済的に落ち着いてきて、ユニクロワンピースを買えるようになった感じよ。

今の年齢的にあと数年、感染するようなことをしなければ、もういいのかなと思ったりする。

だって自己負担MAX10万円だよ?決断できる?それも期間あけて3回。

そういう経験する予定も一切ないのに、今アラフォーで性加害に遭う可能性だけ心配して10万円って。

あーあ、なんだかなあーー!

生成AI切り貼りコラージュである

未だにこの主張をしている人たちが居て呆れるが、一周回って彼らがどんな思考をしているのか気になってきた

そもそも切り貼りコラージュ」と簡単に言うが、これをシステムで実現するのは相当難しい

具体的には以下の様な工程必要になる

コラージュ元の全ての画像システムに保存する

→膨大な保存領域必要になるがこれが無ければコラージュが出来ない。その都度ネット検索する方法も考えられるが、相当数のダウンロードと②の工程必要になり時間がかかる

②全ての画像の全ての要素を区分けし、ラベル付けする

→各画像の各要素を区分けし(この時点でかなり難しい)、その要素が何かをラベル付けできなければ「切り貼り」の切る工程すら実現できない

③ラベル付けした各要素を1枚の画像違和感なく合成する

プロンプトに従い良い感じの要素を抽出し、それらを良い感じの位置に配置しいい感じに繋ぎ合わせなくてはならない。曖昧な書き方になったがどう実現すればよいのか分からないのでしょうがない。

正直言ってこれを実現出来たら生成AIどころの話ではない、②だけでもあらゆる分野に応用できる。完全自動運転も今すぐに実現するだろう。

上記は私が適当に考えたコラージュシステムだが、彼らの脳内ではどうなっているのか気になる

出身地」に関する法律を作るべきではないか

世の中当たり前に「出身地」って使っているが、定義曖昧すぎるだろ。出生地出身地って思って使っている人もいるし。

物心つかない頃に住んでいた場所出身地とするのもおかしいし、働けるようになった年齢で住んでいた場所出身地とするのもおかしい。

小学校中学校の時に住んでいた住所を出身地と定めると法律を定めるべきだと思う。

もちろん転勤族とかで複数場所に住んでいた人もいるから、上限3で任意に選ぶとかにすればいいと思う。

anond:20240929122717

「傾向がある」と言われていればそれで正しい

ただし主語が大きい罵倒100%で捉えられるので、反例1つ挙げるだけで論破になる

「◯割」ならそう書くべき。だがそれだとクリックベイトとして弱いから大きな主語を使うのだろう。強調のレトリックとして逃げれるから

しかもまとめて罵倒することでその属性全員に不愉快な思いをさせことになる

反論者が日本語不自由なのではない

最初に言った人物曖昧にどっちにもとれるように使っているから、どっちともとれるように反論しているわけだ

それに「日本語不自由」という考え方は、自己中心性を内包している。なぜ内包しているといえるのか?これはお前が解くべき宿題としておこう

anond:20240929000416

知的障害者は君が想像するよりもはるか無秩序に行動するし、身内の人間施設職員はそんな彼らに振り回される中でだんだんとそのへんの境界線曖昧になってくるのもよくあることである

2024-09-28

anond:20240928064713

それもそうだな。

一般人からしたらやばそうな女イメージでなんとなく避けるけど議員がそんな曖昧雰囲気で選ばんか

無理なママ友

子持ちの友人と会うときにお互いに子連れでも良いよと思える人とうーんめんどくさ…!ってなる人がいて何の違いかな、そもそもの仲の良さか?とか思ってたけど、

たぶん子どもとの自他境界曖昧だったり、自己肯定感的なもの子育てのみに依存してる人だったりすると無理なのかなって思った。

同じ子持ちでもキツイわ。

育児という孤独な真っ暗闇の中で戦う私達ママは……」みたいな自意識で生きてる系の子、たぶん自分に自信がないのかな、と。

子育てしてるとわたし自分が守らないと死ぬ生き物がいることで万能感?有能感?でアドレナリンをギュンギュンに感じるときはあるな〜と思うし、それ以外に自尊心のよりどころがない人はそうなるのかなあと。

そういう子と会って話すとなにかにつけて子ども旦那や周囲の人に結びつけられるし、結びつけないと話ができない。

すべての会話が「それうちの子供(または旦那)が好きで〜」みたいな感じで収束される。

私の友人はあなた旦那でも子どもでもなく、あなたであって、私はあなたあなたの話をしたくて時間をつくって会っているんですが…。

生活の中心が家庭になっても私は自分の話いくらでもできてしまうけど…。

自他境界曖昧ですぐ子ども写真見せたり鍵垢といえどSNSに載せたりLINEアイコンにしたりも怖い。

自分がヨダレたらして寝てる写真おもしろおかしく使われたいか自己主張できない子どもならそういうことしても良いと思ってるのか?と感じてしまう。

モヤモヤしたことの正体はここが大きいかもしれない。

遊びに行く話してるときに「子ども連れていっても良い?」って言う子に一度独身の友人がやんわりと「じゃあ私もその日ショートステイからおばあちゃん帰って来るし連れて行こうかな」って本気か冗談わからん感じで言ったことがあって、そのときわたしの中にも「育児という孤独な真っ暗闇の中で戦う私達ママは……」みたいな自意識があることに気付かされた。

なんか周囲に申し訳ない気持ち育児してますみたいなことを言いながら、当たり前に優先されて当然でみたいな感覚はどこかにあるし、育児以外で家族サポートをしてる人をナチュラルに透明化したり下に見てたなと。

何て言ったら良いかからなくて子持ち側が困ってまごついてる間に独身の子には「冗談だよ」って言われたけどあれは彼女なりに自分客観視できてないよっていう忠告だったなと思った。

私は気づかせてもらえる機会があったけど、そういう機会がないと客観視できないまま「孤独な真っ暗闇で戦う自分」に酔い続けてしまうんだろうなあ。

2024-09-27

Twitterは良質なネット友達を作る最後の手段だった

ネット友達を作る手段として、Twitter以上に優れたツールはなかった

これら要素により、個の強さが目立ち過ぎず、クラスタごとの断絶も無い、緩やかなムラのような集団形成可能となっていた。その結果、近い嗜好、思考様式人間がなんとなーく緩やかに結びついたストレスレス関係性がいろんな分野で生まれていた

イーロンに買収される前まではずっと良いツールであり続けていたと思うが、個人的には2011年くらいまでが特に素晴らしかったと思う。比較テキストベースコミュニケーションが得意なユーザーたちと、巨大な一つのムラの中でわちゃわちゃやったり、それを眺めたりする楽しさはそれまでのどのネットコミュニティにも存在しなかった

画像動画ツイート可能になったり、震災きっかけに少しユーザーの質が変化してきたのが2010年代前半だったが、それでもまだ自衛すれば全然よかった。2010年代後半からだんだんつらくなっていった。スマホの普及が本格化した結果、Twitter一般化、大衆化し、現実社会と同じ面倒臭さを持った人間異論を認めないマウント大好き界隈)がジャンルを問わず跋扈するようになった。イーロンマスクがとどめを刺した後の現状は語るまでもない。

今はDiscordに引きこもって身内とまあまあ楽しく過ごしているけど、その身内ってほとんどTwitter出会った人たちなんだよな。今何もない状況から彼らと知り合って友達になる方法は思いつかない。はっきり言って今のTwitter出会った人とオフ会とかしたいと思えない

Twitter創世記は誰でも簡単に気の合う友達ができる最初最後のチャンスだったのではないかと思っている

イラストレーターの本当の敵は《生成AI》ではない。

Xで気軽に出来なくなった話題匿名という立場をいいことに書き記そうと決めた。

この文章は殴り書きに近く、分かりやすく熟慮しやすいように噛み砕いた文章を書く才がないことを先に謝罪しなければいけない。

ここにそういう人がいるかは分からないけど、一人でも私の気持ち理解してくれる人がいれば救われると思う。

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こういう話題SNSで話そうものならAI推進派や反生成AI攻撃されるのを知ると、とてもじゃないが素性を明かしての発言が出来ない。

少し名のある漫画家イラストレーターが生成AIに対して褒めればAI推進派と決めつけて燃やされる。

同じように忌避感が少しでもあれば反生成AIというレッテルを貼られる。

画像生成AIを使っていないのにAIイラストだと疑われて潔白を証明しても謝ってくれない。

自分気持ちを表明してもお気持ちだと笑われて理解してもらえない。

そうやって気持ち蔑ろにされたクリエイターは多いはず、私もその一人だから

卑怯な私は匿名でこうやって吐き出すことで消化することしか出来ない。

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SNSにおいて出身学歴、どんな人であるかはもはや関係ない。

おもちゃになるか、おもちゃにされるか、傍観者の三種類しかない。

クリエイターだろうが一般人であろうが意味を成さない、私からしてみれば反生成AIはただの蒙昧無知ピエロなのだ

何故名のあるクリエイターたちが間違った知識を振りかざしてピエロとして踊るのか、TLを見て共通点があることに気づいた。

もしかして無断学習に怒るイラストレーターの中に無断転載トレースなどさまざまな被害者が多いのでは?

人間は傷ついたり怒ったりすると正常な判断が出来なくなって感情洪水に飲み込まれ法律の正しい意味を読み取れなくなり、法律マナー区別トレースパクリ学習(ディープラーニング)の区別曖昧になってしまい反生成AIというピエロ誕生してしまったのではと推測してる。

SNSさえなければ間違った思想に染まることも哀れなピエロを演じることはなかった。

画像生成AIに対して忌避感があるのは否定しないし、間違った知識を振りかざすことは誰しもが起きうること。

間違ったことを正したいのも理解出来る。

画像生成AIからまれAIイラストを絶賛することも間違っていない。

しかし間違った知識を振りかざせば正論されて、納得いかず反発することを繰り返す。

それらを利用反生成AIAI推進派に話題として消費されるのも事実としてある。

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クリエイターの本当の敵は《生成AI》ではなく《生成AI》という言葉を利用してクリエイターたちを蔑ろにする人間だ。

画像生成AIを使わないイラストレーターAIイラストだと疑ったり決めつけて攻撃するのは《生成AI》のせいではない。

些細なきっかから火種が大きくなり、戦争などに発展して収拾つかなくなることが多いけど、その原因を作っているのは昔も今も人間しかいない。

人間の敵はいだって人間だけということを認識しなければいけない。

怒り、悲しみ、疑心が生成AIという武器に変わってそれを使って殴り始めた。

包丁凶器に変わって人を殺めるのと同じ状況になってしまった。

イラストレーターは《生成AI》ではなく人間に殺されている。

この問題クリエイターたちは重く受け止めるべきだと思う。

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絵を生業としている人間は何故か下に見られがちな職種だと思う。

他の職種と比べて受ける劣等感は大きく、名が売れなければ自己肯定感が下がってしまう。

頑張って描いたのに下手くそと言われた。

頑張って描いたのに無断転載された。

自分名前や絵柄を利用されてイメージを下げられた。

依頼してくれたと思ったら安く値踏まれた。

せっかく描いたのにお金を払わず逃げられてしまった。

さまざまな被害を受けて傷ついた心を癒そうと都合のいい言葉しか耳を貸さなくなり、目に入らなくなったのが反生成AIになる理由ではないかと思う。

心当たりがある人はSNSから離れて外に出て空気を吸いに行こう。

そこで感じた光景SNS殺伐とした雰囲気と違ってとても平和から

閉じられたコミュニティで殴り合うより絵を描いたり、外で体を動かす方が健全だと思う。

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何も悩まずに絵を描きたい。

AIで作られたものかどうか疑わず自分作品を見て。

画像生成AI忌避することを否定しないで。

生成AIを使うことを認めよう。

間違ったことを強く責めないであげて。

正しい知識を学ぼう。

この言葉が届く人はもう周りにいなくなってしまった。

願わくば行き場のない怒りや悲しみを生成AIに向けないでください。

クリエイターたちを蔑ろにしないでください。

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小括:イラストレーターの本当の敵は《生成AI》ではなく《攻撃する人間たち》である

反生成AIは蒙昧無知ピエロである

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小括でまとめた三行を読んで理解出来るクリエイターがいることを願って筆を擱く。

2024-09-26

anond:20240926001603

親の財産相続しようとするやつは自他協会曖昧乞食

親の財産は好きに使わしてやれよ

お前はお前の稼ぎで暮らせよ

乞食になるなよ

生成AIについてのアンケートをはじめました

生成AIについてのアンケートをはじめました

生成AI規制派(いわゆる反AI)も生成AI推進派も答えてほしいなと思って作ってみたのですが、答える人が来ないのでこちらにURLを貼って集まってくる人を待ってみます

https://pol.is/47mm8marmk

記事への感想ありがとうございます

曖昧質問多いのはすみません。一応、質問項目は追加できるので、これを聞きたいというのがあったら追加しても良いですよ

2024-09-25

anond:20240925170458

ヘイト集めてるか逆に感謝されてるか」のどこか曖昧なの?小学生でも理解できる具体的すぎる定義だろ。

anond:20240925165930

その価値定義が凄い曖昧

お前が気にくわないポイントしかないじゃん

お前は王でも貴族でもないのでそんなポイント意味はない

anond:20240925113953

広辞苑差別は『差をつけて取りあつかうこと。 わけへだて。 正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。』となってるから曖昧さなんてないぞ

言葉意味定義辞書ひこうぜ

差別という言葉曖昧

差別論ってアホが自分の不満をいか一般化して正当化するかってのを延々やってるよね。

たとえば事務員採用条件に美醜や身長を用いるのは差別(悪い区別)だろうけど

恋愛関係判断に美醜や身長を用いるのは差別(悪い区別)ではないだろ。

差別という言葉曖昧

悪い区別意味したり区別すべてを意味したりブレだし

その曖昧語の上にルッキズム(不適切な美醜判断or美醜判断すべて) って曖昧語を重ねて

もう誰にも正確な意味の取れない語りを延々やってる

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