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はてなキーワード: 暗誦とは

2023-03-08

私は人力テレビなのでは?!?

一歳三カ月の我が子、絵本が好きでとにかく毎日読めと要求。一冊につき2回リピートのこだわりつき。1日50冊は絵本読んでる。

それで気づいたんだけど、音読する機械である私とテレビって大差ないんじゃないかって。

保健師からテレビは1日2時間までと指導されたりもしたけど、実のところテレビによる悪影響ってあまりないのでは?

お母さんは同じ絵本を読みすぎて飽きました。目を閉じながら絵本読み聞かせする一人暗誦ゲームもはじめたほどです。

中古絵本を大量発注したので、新しい絵本が待ち遠しいです。

2022-09-25

福沢諭吉貧困ポスドク無用の長物経済を妨ぐる食客

学問のすすめ 二編 端書

 文字学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。槌・鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯学問に暗き男と言うべし。経書・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能わざる者は、これを帳合いの学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金を費やして洋学成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎とき人なり。これらの人物はただこれを文字問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。

2022-08-16

anond:20220816160509

覚えるってどのレベルで?

名前だけポケモン言えるかななのか顔と名前が一致するレベルタイプや主要技も覚えたいのか主な対戦での型や役割育成方針も把握しときたいのか種族値暗誦レベル

2022-04-22

祈りたい

1日の終わりにそっと祈って穏やかな気持ちになりたい

神とか宗教でもいいんだけど、どちらかというと、ままならない諸々のことで疲弊しきっている自分の心と穏やかに向き合いたい感じなんだけど、いい方法ある?


とりあえず現状は、元気があるとき日記をつけたり、ニーバー祈り暗誦したりしている。

2021-06-10

倍速視聴とSCREENカセットテープ

 映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的昭和の思い出話である

 歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。

 それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画オカルト映画パニック映画流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。

 やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSFオカルトパニック作品関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれ子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである

 話を戻すと、こうして結果的活字記事も読むようになった私は、雑誌SCREEN』に淀川長治連載記事掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者から質問相談淀川長治が答えるコーナーであった。

 読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。

 「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。

 馬鹿小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品オネアミスの翼』を製作劇場公開した時のことである

 中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。

 さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品監督を務めた山賀博之氏のインタビュー掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである

 雑誌SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女コーチ奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』であるテイタム・オニールかわいい山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。

 「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。

 ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代コンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定理由合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分レーダーに引っ掛かるモノを持つ作品出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。

 ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayDVDレーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードカセットテープ販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品フィルムテープリール販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から兄弟のツテでカセットテープダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフ暗誦できる。何の自慢にもならないが。

 そして、歳月が流れた。

 後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家ビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対行為である

 ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。

 大人になって、現在宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。

 子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。

 それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。

2020-07-17

世の中にはどんなに努力しても合理的思考できない人がいる

など。

物事をこういうふうに認識している人を、何らかの話題論理的に説得するのは困難を極める。そもそも常識的思考力が衰えているから。

2020-05-24

駿大英語科って、令和時代にもなってまだ「700選」の暗誦とかさせてんの?

もしそうだとしたら馬鹿だろ。子供がいたら絶対に通わせたくないw

2020-03-21

4月から新大学生になる人への助言

 従兄の慎一くんは、私の父の兄の子だった。彼は自分父親のことを、かならずしもふざけているわけではなく、よく「ご当主」と呼んでいた。

 大学ではゴルフ部主将を務め、それとは別になんだかよくわからないイベントを季節ごとに催すインカレサークルも創設していて、むしろラグビーよりはそっちで有名だったと聞いた。

 私が入学して一週間とたたないうちに、あらたまって訪ねてきた彼はお茶を共にした。

 蜂蜜入りの菓子パンアンチョビをのせたトースト、今はなきフラム・ド・フラムで買ってきた胡桃入りのドフィノワと、たっぷり平らげてからタバコに火をつけて籐椅子に体を沈めた彼は、大学生活で私が守るべき心得をつぎつぎに並べてきかせたが、その忠告大学生活のほとんどすべての分野にわたった。

 わたしは今でも、そのときの彼の言葉を一語一語、あらかた暗誦できる。


「……君の志望は歴史だったね。歴史なら申し分ない。

 いちばんいけないのが英文学、次が哲学だ。

 試験では、優になるか不可になるか、どちらかだな。中途半端じゃ無意味だ。良になってみても無駄だよ。

 自分の専攻なんか無視して、最高の講師講義ばかりとるんだ――例えば、アークライトデモステネスとか……。

 服装はね、なるべく立派なのがいい。ユニクロシャツチノパンなんていう格好はいけない。手頃なショップ見立ててもらうんだね。

 ……サークルはさしあたりボランティア関係に入っておいて、並行して自分の興味のあるサークルも兼部して、二年の初めに後者に専念するといい。文化祭に関わるのはやめておけ。

 ……地方人間とはつきあうなよ。田舎金持ちより都会の中流家庭のほうがまだ付き合いやすい」


 向かい建物の切妻の向こうの空が夕日にかっと赤くなったと思うと、しだいに暗くなってきた。

 私が暖炉に薪木を足して電灯をつけると、光のなかに従兄の上品ロンドン仕立てのゴルフズボンと、チェック柄のネクタイが浮かび上がった。

「……大学先生たちを、中学高校先生みたいに扱っちゃいけない。近所の坊さんに対するような態度で接することだ。

 ……二年目の半分は、一年目にできた好ましくない友だちと手を切るのに使うことになる。

 ……K大の連中には気をつけろよ――ーあいつらはみんな不愉快な口をききかたをするホモ野郎だ。と、いうより、あの手の連中にはいっさい近づかないことだな。ろくなことはないよ……」


 帰りがけに、彼はさらにこう言った。

「もうひとつ。この下宿は引っ越すんだな」

 その部屋は広くて快適で、大学からも近く、新入生の身でこんな部屋にあたった私は幸せものだと思っていた。

大学に近すぎる部屋に入ったばっかりにだめになったやつはいくらでもいる」と言った従兄の声は実に重々しかった。

「色んな人間が気安く入ってくるようになるんだ。翌日に使う教科書を預けていっては、翌日の昼に取りによる。君は缶チューハイをだしてやるようになる。そして気がつくと、大学じゅうの不良学生にただで居酒屋を開いてやったような結果になるんだ」


 私には、彼の忠告ひとつとして正直に実行した覚えはない。すくなくとも、部屋はぜったいに変えなかった。窓の下にはニオイアラセイトウが生えていて、夏の夕暮などには、その香りが窓一杯に流れこんできたのだから

2018-06-24

最近番宣CMで「健康で文化的な最低限度の生活」ってよく見かけるけど、子ども時代は左を拗らせた教師共に担任されたのでトラウマレベルなのでやめてほしいわ

こういう教育受けた人って全国的にいるのかな?

日本国憲法の前文の暗誦はあたりまえ

憲法学習9条と25条を重点的に

おかあさんの木の朗読戦争反対感想

障碍者学級との交流

屠殺場のビデオ

枯山水被差別部落の人たちがつくりだしたすばらしいもの的なビデオ

うちの小学校にはパワー系の知的障碍者が何人もいて、低学年の頃にボコられてあうあう言ってる障碍者が近くに来ると今でも身が竦むし冷や汗が止まらなくなる

そのとき教師たちはパワー系の知的障碍者を庇うばかり

今でも日教組の「子どもを守れ」とかのシュプレヒコールには反吐がでる

2017-01-31

遺骨と記憶

昭和集合住宅に住んでいて平成不況人口流出で空室が多いんだが、火災報知器が昨日誤作動して消防出動の事態になったからか、工事をしていてうるさい。うるさくてつらいので、ヘッドフォンで昔に買った音楽を聴いている。それでふと思い起こしてこの人のブログを見たんだが、いまも死んだペットのことに執着しているらしい http://ameblo.jp/mariko-kouda/entry-12243053638.html

さて、私は仏教徒から遺骨には執着しない。遺骨に後生大事に執着するのは儒教徒だ。ちなみに中国仏教儒教習合してしまって渡来たか日本では混同されている。

私は数年前にもペットが死んだけど、遺骨は残さずにパアッと処分してしまった。私は、片親殺されているが、親の遺骨を相続したくないし、親の遺産相続したくない。

遺骨が残るのは、超高温でもなければ燃え残るからだ。火葬にするのは、インドではおそらく、遺体が腐ってむごくなるのを避けたかたか火葬にしたわけで、そうやって火葬された人の霊魂は報われていいとこに生まれかわると信じられていた。だから、偉い人、偲ばれている人は、火葬にされる。火葬にもされなかった人はいいとこに生まれかわれないと思われていた。

遺骨は残さない方が本当はよい。遺骨に執着するのは凶相だ。ちなみに世の中には「お焚きあげ」というのがあるが、捨てるに捨てられないものを焼却処分してもらう、ごみ処理である。以前流行った(流行らせた)ことばでいえば「断捨離である。例えば写真にしても、焚きあげて処分してもらう。それを、いまでも世の中にはなんでもかんでも写真に撮りたがる人々がいるが、画像データが大変だ。そして、見て記憶に残すことを忘れて、カメラで撮るのに必死になっている。

千の風になって」ではないが、遺骨はナノ単位にでも砕いて風葬にでもした方がよい。それとも、処分に困ったら一心寺にでも持っていけばいい。遺骨を墓碑か寺院にでも納める人は多いと思う、遺骨を手元に置いて仏壇にでも納めていると大変だ。ましてや、遺骨や位牌に執着して逃げ遅れて死ぬ人がいるが、正直に言って客観的にみて、滑稽だ。

遺骨は生きていないし、生前のものでもない。古代エジプト人ではないから、ミイラにしたらいつか復活するとも思っていないし。

生きているというのは状態であって、実体ではない。生きものというのは状態である

死んでもうこの世にない生きもののことは、記憶には残る。忘れられない。しかしその記憶所詮細胞状態しかない。記憶している人もそのうち死ぬ。残された記録もデータであって、実体ではない。

日記であろうが、枕草子であろうが徒然草であろうが愚管抄であろうが、経典であろうが、データである日本では驚異的なまでに昔の経巻が保存されているそうだが、それも経巻の内容より経巻そのものに執着し信仰してきたかららしく、「御真影」ではないが火事になっても必死に経巻を運び出したからだそうだ。しかし経巻を後生大事にとっておいてもしかたがない。それなら中村元岩波文庫のやつでも読んだほうがよい。

そうならないのは、貴重な経巻が残っているということが寺院資産であり「箔」が付くからでもあり、それで檀信徒から財施(供養)をもらっている。法要にでもなれば、漢訳経典暗誦するんだが、聞いている方は意味不明だ。我々は漢文ネイティブではないし、そもそもその漢文はいま「生きている」言語ではなく中国に行っても話さないだろう、ラテン語みたいに学術のものしかない。それでもその檀信徒財施をするのも、彼らがモノに執着しているからであり、だから古い仏像とか経巻とか建物とかをみて大したもんだといい、布施をするのである。そして、経典の中味ではなく、経典を読むこと自体目的化している。

あの人も、遺骨もアロマドームも生きていないしうまくすれば朽ちないだろうから後生大事に持っていれば何十年後かわからないが自分死ぬ方が先だろう。

忘れられないのはわかるし、忘れてはいけないのかもしれない。死なないと消えない記憶というのは、ときには快いかもしれないし、ときには残念かもしれないが、ある。空襲だか「鉄の暴風」だかに遭ったり、ベトナム戦争だかイラク戦争だかに行ったりした人は、忘れられないトラウマが残ってつらいものである。ヘタすれば人は80年とか100年とか生きられてしまうから大変であるしかしその記憶データであって、細胞状態である

本当に火事になったら私は死ぬかもしれないし、そうでなくとも私もいつか死ぬ。いま聴いている音楽も、データしかなく、ディスククラッシュでもしたら消える。人類が滅亡したらヒトの遺伝子も失われる、それがいつのことかは、ちょっと、わからないけど。

それにしても、あの人もそのうち50である。どうなんだろう。たしか40を「不惑」とかいったと思うが。当人も、未だに残っているファンも、互いに執着して、共依存して、期待される姿を互いに演じて定着してしまっているということもあるかもしれない。しかしそうした姿は、私の望んでいることではなかった。

私も歳とった。個人的には早く死にたいんだけれど、それもエゴか。

なお、この日記にはオチはないしTL;DRも書かない。

2016-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20160713125359

wikipediaの「同音の漢字による書きかえ 」項目より抜粋

暗誦→暗唱

闇夜→暗夜 ほか[5]

意嚮→意向

慰藉料→慰謝料

衣裳→衣装

陰翳→陰影

穎才→英才

叡智→英知

掩護→援護

恩誼→恩義

廻転→回転 ほか

火焰(焔)→火炎 ほか

挌闘→格闘

活潑(溌)→活発

間歇→間欠

肝腎→肝心

稀少→希少 ほか

奇蹟→奇跡 ほか

兇器→凶器 ほか

漁撈→漁労

伎倆(技倆)→技量[6]

区劃→区画 ほか

掘鑿→掘削

訓誡→訓戒 ほか

燻製薫製

決潰→決壊 ほか

蹶起→決起

訣別→決別

絃歌→弦歌 ほか

儼然→厳然

嶮岨→険阻

交叉→交差

扣除→控除

礦石→鉱石 ほか

香奠→香典

広汎→広範

亢奮→興奮

昂奮→興奮

弘報→広報

曠野広野

媾和→講和

涸渇→枯渇

骨骼→骨格

雇傭→雇用

根柢→根底

醋酸→酢酸

坐視→座視 ほか

雑沓→雑踏

讃辞→賛辞 ほか

撒水[7]→散水

刺戟→刺激

屍体→死体

車輛車両 ほか

蒐集収集

終熄→終息

聚落→集落

障碍→障害 ほか

銷却→消却 ほか

陞叙→昇叙 ほか

焦躁→焦燥

牆壁→障壁

蒸溜→蒸留

書翰→書簡

抒情→叙情

試煉→試練

浸蝕→浸食 ほか

伸暢→伸長

滲透→浸透

訊問尋問

衰頽→衰退 ほか

尖鋭→先鋭 ほか

銓衡→選考

洗滌[8]→洗浄

煽情扇情

擅断→専断

戦歿→戦没 ほか

象嵌象眼

綜合→総合

相剋→相克 ほか

剿滅→掃滅

簇生→族生

沮止→阻止 ほか

疏通→疎通 ほか

褪色→退色

歎願→嘆願 ほか

煖房→暖房

智慧→知恵

註釈→注釈 ほか

沈澱→沈殿

牴触(觝触)→抵触

鄭重→丁重

叮嚀→丁寧

碇泊→停泊

手帖→手帳

顚(顛)倒→転倒 ほか

蹈襲→踏襲 ほか

杜絶→途絶

悖徳→背徳 ほか

破毀→破棄 ほか

曝露→暴露

破摧→破砕

醱(醗)酵→発酵

抜萃→抜粋

叛乱→反乱 ほか

蜚語→飛語

符牒→符丁

篇→編

編輯→編集 ほか

抛棄→放棄

防禦→防御

繃帯→包帯

厖大→膨大

庖丁→包丁

輔佐→補佐 ほか

摸索→模索 ほか

野鄙→野卑

熔接→溶接 ほか

慾→欲

理窟理屈

悧巧→利口

掠奪→略奪 ほか

諒解了解 ほか

輪廓→輪郭 ほか

連繫(繋)→連係

聯合→連合 ほか

彎曲→湾曲 ほか





https://ja.wikipedia.org/wiki/同音の漢字による書きかえ

2016-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20160403204012

トラバ先を書いた増田だけど。

星界の紋章ってみんなもう忘れてるくせに

アーヴはキモオタのオナペットだとかキモオタ叩きに使われたり

こういうフェミ臭い文章のだしに登場したり

ろくな使われ方してないのばっか見かけて

うんざりだわ

なんでそうなるのかなぁ。星界シリーズ大好きだよ。忘れてなんかない。副読本も買ってアーヴ語会話の練習したこともあるし主要キャラフルネームはたいていアーヴ語で暗唱できるよ(訛ってるとは思うが指摘できるのは創造主だけだし本人もどっかでそういうこと書いてたからいいや)。ドゥサーニュ殿下の声が変わっちゃったのは残念だなーと思ってるよ。星界の戦旗第2部はいつまでも待ってる。ついでに言うと銀英伝も大好きだよ。一番好きなキャラは義眼の総参謀長だし名台詞はすらすら暗誦できるし一時期はバイブルといってもいい感じで持ち歩いてたよ。やっぱりキルヒアイス道原かつみ絵がかっこいいんじゃないかなあとか思ってるので古参ヲタからは怒られるかもしれない。

大勢オタクは忘れてるのかもしんないけどさ、他人勝手に「忘れてる」側にくくんないでよ。

2013-12-06

読書好きの女子のファッショ

 世間一般様から読書家」とひとくりりにされ、一束十円のブックオフ価格流通している今日このごろの読書ファッションクソ野郎どもであるけれど、その内実はピンキリで、とりあえずジャンルや内容や分量に関わらず月に三冊以上読んでいれば全国平均的に照らして「かなり読んでいる」ほうの部類に入る。

 数を誇りがちなのは男だ。

 数をこなしたからといって偉いわけではないと口ではうそぶきつつ、「いやあ、今年は千冊も読めなかったよ」だとか「一日頑張れば十冊は行けるね」だとか「○○の必読本リストは○冊しか読めてないな」だとかなんでもかんでも数字還元する。

 別に速読はクソだとか熟読こそ至高だとかいう議論をしたいわけじゃない。ヴォルターベンヤミンは生涯で1700冊しか本を読まず、一方でレヴィ=ストロースは一冊書くために7000冊を読み、イケダハヤトは年速500冊を読破し、ボルヘスは「1000冊も読める人間など存在しない」と主張した。この四人の言う「読む」はおそらくそれぞれ意味が大いに異なる。だが今はそんなことは関係ない。「本を読む、とはどういうことか」じゃない。傾向の話だ。重要なのはベンヤミンレヴィ=ストロースイケダハヤトボルヘス松岡正剛佐藤優もそのへんのラノベ評論家ブログやってるビジネスマンもみな男だという事実だ。

 男は自分についてであれ他人についてであれ、読書について言及するときに数の話をしたがる傾向にある。

 数が多い方が偉くて強い。そういう世界は微笑ましい。人によっては浅薄で醜いと断じるかもしれない。けれど、浅い分理解しやすくはある。

 そこに現れているのは一種体育会系的な価値観だ。どんなメガネモヤシとて鬱屈したヲタとて、オスである以上は筋肉量に憧れるのだ。私の読書冊数は十三万です。

 強い。わかりやすい。

 読書メーターが珍重される理由もそこに関係している。RPGみたいに、読書家のステータス可視化してくれるのだ。今までの読書冊数がHPなら、月あたりの読書冊数がすばやさ、コメントがパワー。

 既読冊数も数なら、読んだ本の内容も数だ。実のところ「読んだ本の数より、どれだけ内容を理解しているかのほうが重要だろ」と、男が言うときに使う「理解」という単語はそのまま「記憶」に置き換えうる。つまり、本の筋や要点をどれだけ他人の前でそのまま垂れ流せるか、どれだけ脳にストックしてある別の本と(それぞれの文脈を無視した上で)リンクさせられるかが男の言うところの「理解」となる。ぷよぷよとかミスタードリラーとか、そのへんの連鎖パズルゲームをやってるのとあまりかわらない。


 ひるがえって、女は数の話をしない。そもそも数えない。目の前を流れてゆく本にただ好きか嫌いかのスタンプを流れ作業で押していく。

 小説についての話をすると、まず自分がある登場人物をいか好きか/嫌いかを述べだす。本気で。ぼんくら男子同士が「ビッチ」だと「処女」だのとぼんくら慣れ合いのための属性を貼り付けて表面的に消費するのとわけが違う。彼女らは本気でキャラを憎み、愛している。

 そして、いきなり自分語りを始める。マミさんによく似たバイト先の先輩の話を始める。そんな先輩がいらっしゃるならぜひ紹介していただきたい、というこちらの懇願無視して、いかにその先輩とそりがあわないか、先輩がクズかをとうとうと語り、最終的にバイト先がかつてマルクス予言し憂慮した末期資本主義的状況下にあり私はとてもつらいんです大変なんです疎外されてるんですだからマミさんは最低な女だと思います、という実に革命前夜なティロ・フィナーレに行き着く。

 よくわからない。よくわからないと言えないまま、また別の本と別の現実の話題にうつる

 マミさんが嫌いな女子とは別の知り合いで、村上春樹を嫌いな女子がいる。その子村上春樹がそりゃあもう大っ嫌いだ。春樹に関係するものすべてを憎悪していて、村上春樹本人も嫌いなら、ファンも勿論大嫌いで、村上春樹フェアをやってる書店も嫌いで、『色彩を持たない多崎つくる』が大ヒットしている現代日本社会も嫌っている。読まず嫌いというわけでなく少なくとも数冊は読んでいるはずのその子本質的村上の何が嫌いかはよくわからなくて、理由を訊いても「キザっぽくて嫌だ」とか「セックスだけじゃん」とか、いまいち要領をえない。だって、おまえ、バタイユとかサドとかロブ=グリエとか喜々として読んでるじゃん。

 男子にも村上春樹とそのファンとその社会を嫌うやつはそれなりにいて、でもそういうやつらはなぜか「『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だけは好きだね」などと妙に言い訳地味た予防線を忘れない。続いて、聞いてもないのに春樹論について語りだす。「俺は基本的に春樹嫌いだけど、文学性や価値は理解できるし、いいところがあれば認める度量もあるよ」と言いたいわけだ。春樹以外の気に食わない作家陣に対しても似たような態度しかとれない。嫌うのに社会的にコレクトな理屈を探そうとする。それを見つけたあとでも、けなしはしても全面的な攻撃はしかけない。そんな度胸はないんだよ。俺もお前も。

 女は退かない、媚びない、顧みない。嫌った相手には容赦しない。同時に自分正当性正義も疑わない。よって言い訳をしない。理屈を探さない。よその基準など関係ない。私の人生が伊坂はクソだと告げている。

 虚構と現実境界線をきちんと引き、作品世界をきっちり読み込み把握したうえで、手前の価値観物差しのみを武器に全身全霊をもって襲い掛かってくる。彼女たちは数を数えない。だから物差しで切り捨てた数もおぼえていない。


 あなたがもし男であるならば、女と本についてトークするのはオススメしない。なぜなら、あなたは弱い。あなたはその本について、内容を記憶しているだけで実は何も独自の見解を有していない。その場でとっさにひねりだした解釈に、あなた確信を持てない。それでは耐えられない。あなた読書を通じてコミュニケートする、ということがどんなに恐ろしいことか、リアルオリジナル見解を持っている人間狂気がどんなに鋭利か、わかっていない。年間三千百冊を読了できたとしても、それらの内容を一字一句違わず暗誦できたとしても、絶対に辿りつけない彼岸がこの世界には存在するのだ。そこでは数や引用など意味を持たない。愛情感情がすべてだ。あなた死ぬ。死にたくないなら他人と金輪際本の話をするな。外に出ろ。ゲーセンにいけ。三鷹駅裏のゲーセンではまだ『ぷよぷよ通』が現役で稼働している。あなたの居場所はまだそこに残されている。生きて欲しい。生き延びてほしい。


http://unimochi.hatenablog.com/entry/2013/12/05/174304

2007-12-05

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[上層ノンマニュアル][文化資本][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利

[教育][三つの教育][モンテスキュー]

子どもたちの相似は強制の効果である。卒業するや強制が終わる。

子供たちをトラブルから遠ざける方法。ウォルト・ディズニー

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう

益川さんと小林さん、文科相ら表敬…教育行政を手厳しく批判 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

大学受験などで、難しい問題は深く考えず易しい問題だけを選んで解くよう指導している学校の現状を指摘。

「これでは、考えない人間を作る『教育汚染』だ。親も、じつは教育熱心じゃなくて『教育結果熱心』だ」と教育のあり方を手厳しく批判

日本の子どもを幸福にする23の提言―LOOK FORWARD! | 中村 修二 | 本 | Amazon.co.jp

日本の「暗記中心、知識詰め込み型の教育である

大学入試は“ウルトラクイズ”と同じだと指摘し、受験勉強ばかりに時間を割く結果、

目的視野が狭く、社会を知らない若者が大量に生まれていると嘆く。

エリート教育のやり方の違い。日本では高校卒業時に詰め込み教育を行い、フランスでは高校卒業後に詰め込み教育を行い、アメリカではそれが学部後半以降になる、それだけのこと。

スタンフォードの心理学教授に学ぶ子供のほめ方

能力をほめるのをやめよう

小中高までの教育議論をみていると

結局のところ、日本指導ポジションにいる老人達

円環的時間なかに子どもを閉じ込めて、

自分達の予期可能な範囲のことしか出来ない人々だけを生産したいってこと?


「子供が考える時間を」「授業方法の改善を」 OECDテストで求められる対策 - MSN産経ニュース

日本より授業時間が少ないフィンランドが前回に続き、最高位を獲得している

【脱ゆとり教育】フィンランド、日本より授業数少ないのに好成績…授業数増で「詰め込み教育」に戻るのは避けたい

経済協力開発機構OECD)の国際学調査では、授業時間日本より少ないフィンランドが好成績をあげている。

授業増が学力向上につながると考えるのは早計だろう。

授業時間を増やしても、知識を暗記するだけの詰め込みに終始するならば肝心の「考える力」も育つまい。

「ゆとり教育」で成績アップ ホントなのかウソなのか : J-CASTニュース

茂木健一郎さんが本当に言わなくてはならなかったこと

第3章「第3の教育を創る」

デンマークでは中学3年までペーパーテストによる評価をせず、一人一人がのびのびと自己表現することが奨励されます

第1章 「デンマークでの経験」

日本サラリーマンは遅くまでよく働きます

公称の労働時間は約2100時間といわれています

ドイツは1400,デンマークは1500時間です。これだけ働いて何を得ているのでしょうか?家一軒も買えない場合が多い。

夏休みたっぷり1ヶ月とります。

からといって日本に比べて仕事の面で劣っていると言うことは全くありません。

デンマーク日本に対して貿易黒字です。

テストをしなければ子供は伸びる:日経ビジネスオンライン

高2まで、定期テストも通知表もない素敵な高校

はてなブックマーク - わが子に「学校」はいらない(AERA) - Yahoo!ニュース

家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?

単純に進度が速いのだ。

公立高校生が3年間一杯一杯で学習するまでの内容を、

多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。

単純に早く終わるというだけでも、

ぎりぎりまで受験範囲学習に追われるよりもアドバンテージはあるし、

さらに、その結果生まれゆとり時間を使って、

演習などの受験対策も行なってもらえる。

  :日本経済新聞

ただ一方で米国制度完璧というわけではないと思います

有名校に行くために自己推薦が重視されるため、ボランティア活動ばかりに精を出す人もいます

一概にどちらがいいとは言えないかもしれません。

セクハラを防ぐには | On Off and Beyond

アメリカ中高生は、災害があると活気付く。

カトリーナ募金』とか『ツナミ募金』といったグループを結成して自分リーダーになろうと必死

大学受験で、ボランティア活動の実績やリーダーシップ力が問われるから

なんだか皮相的な感じがするのよねぇ。」

asahi.com:机はコの字、チョークなし教壇なし 進む「教室革命」 - 社会

「ドラゴン桜」の対極だ! 「ゆとり教育」で京大合格 : J-CASTテレビウォッチ

本当に「ゆとり教育に伴う思考力の低下」が原因なのだろうか? - Thirのノート

シュリーマンの英語を半年で習得する方法 - 音読と暗誦

百マス計算、インド式九九では数学力は育たない: ホットコーナー

暗記・暗唱 暗記・暗唱に頼る教育は、それ自体敗北である。

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子どもに「ゆとり」を与えなかったゆとり教育の失敗と教育再生

先日、友人の家族と夕食を共にした席で、大学3年生のお子さんが言いました。

小学生の時に父さんに言われてサッカークラブを通ったが、僕はいつも天気が悪くなるのを願っていたよ。

雨でも降れば練習に行かなくてすむと思って」。

聞いた友人はしばらく沈黙し、「お前がそこまで嫌だったのか。父さんは悪かった」と謝りました。

http://anond.hatelabo.jp/20081117115533

 
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