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2024-04-24

将棋というターン制ストラテジーもっと面白くしたい

説明するまでもないと思うが、とりあえず将棋というターン制ストラテジー基本的ルールを述べることにする。

HP
1
攻撃
1
防御力
0
攻撃回数
1
命中
回避
0%

上記の性能によるダメージ計算により、必然的に敵ユニットと重なるだけで敵ユニットHPを0にできる

将棋は各ユニットの性能が移動能力以外に違いが無いので、戦闘面に面白さは無い。よって、上記パラメーターを上方修正して戦闘面白くするべきだろう。高い移動能力を誇る飛車や角だったり主人公ボスを担う王(玉)が雑兵たる歩兵にワンターンキルされるのは面白くないから、HPや防御力を高くして5回程度は攻撃に耐えられるようにしたいものだ。

補足:雑兵にワンターンキルされるのが面白くないという考えは、本来将棋においても「打ち歩詰め」を反則としていることに垣間見られる。

それに攻撃方法が敵に重なることというのも普遍的戦略ストラテジーと違ってわかりにくいし、1マス1ユニット原則にも反してよくない。ユニット同士が同一マスに重なるのは無しにして、攻撃基本的に隣接マスに対して行うというのが良いだろう。桂馬は移動の特殊性に合わせて、数マス離れた敵に攻撃する間接攻撃ユニットとするのはどうだろうか。

ダイスによるダメージ判定を導入して面白くすることも考えられるが、ランダム性を導入すると運ゲーになってしま将棋のものもつ戦略性が損なわれるのでこれはよくない。命中率や回避率の概念は無くしたままにして、攻撃は必中とするのがいいだろう。

また、戦略性を高めるために、異なるユニット戦闘する際の相性を導入するのも面白そうだ。ジャンケンのグーチョキパーのように三すくみ関係が分かりやすくて戦略性が深くなりそうなので、以下にその案をまとめてみた。

グー香車
チョキ桂馬
パー金・銀

王(玉)・飛車・角・歩のユニットは、上記三すくみに当てはめず有利不利の関係は無い方がいいだろう。

三すくみ関係で有利となるユニットは、戦闘において攻撃力と防御力が上昇する(あるいはダメージ倍率に補正をかける)ことで恩恵を受けるようにしたい。

将棋の変えたいルールといえば、やはり1ターン1ユニット操作制だろう。1ターンに1ユニットけが動いて、それ以外のユニットは何もせずに全て棒立ちというのはあまりにも不自然理不尽だろう。一般的なターン制ストラテジーの様に全てのユニット操作したいものだが、将棋でそれをやると1ターンの価値があまりにも高くなりすぎてゲームバランスを損ねることになるだろう。

ユニット数を減らすか、1ターンに操作できるユニット数を制限(例えば5ユニットまで)すべきだろう。具体的にどうするかは、実際にやってみて試行錯誤する以外にはないので、ここで断言できないのが残念だ。

ここまで考えてみて今さら感じたことだが、そもそも将棋である必要は無いのではないかサッカー競技としてさら面白くなるようにボールを持って移動できるようにしようと考えてみたとて、それならばラグビーアメフトでいいのではないか、という結論帰結するのと同様にである

将棋ではなく別のターン制ストラテジーをやるべきなのだろう。『Into the Breach』みたいな。ただ『Into the Breach』は100時間くらいやりこんで全実績解除までしてしまったのだから、これ以上やることはもう無い。他に似たようなゲームがあればよいのだが、何かないだろうか。

2024-04-21

anond:20240421170254

昔は光物=ヤンキーと思ってたけど最近はもう少し普遍的な魅力があるだけなのではと思うようになった

声優オタクドルオタサイリウムぶん回したり孔雀作るの好きでしょ?

2024-04-19

完了条件が上司OK運ゲーすぎる

このゲーム攻略法を考えたい。

勝ちとは、上司の正解を見つけてそれに極限まで近付けること。

上司が、「自分で考えることが大事」だの、「普通に考えればわかる」だの抜かそうが関係ない。

普遍的な正解がない以上、正解は上司のみが持っている。

お客様は向こう側にいるユーザーではない、ただここに鎮座している上司である

解決のただ唯一の方法は何を言われようが、正解を見つけに行くことである

これが結局一番早い。

曖昧な指示、ふわっとしたFB、そこから上司の正解に辿り着く謎解きゲーム

途中、理不尽生理的に難しい”上司”という名のキャラこちらに向かってくる。

「こいつを困らせてやろう」という意気込みのもと、正解に近づくためのヒントを得よう。

こっちのためを思ってだとか、頭が悪いだとか、そんなもの相手の泣き喚く声でしかない。

ただ一つの正解はそこにある、怯まず進もう。

2024-04-18

古典的な美の概念

美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアルネサンス絵画建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。

イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧バランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧イメージを達成しようと努めました。あらゆる形態自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的作曲システムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定独立性を維持します。それは原始芸術無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。

古典的概念では、美しさは、比例、調和対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。

これは西洋原始的な美の概念であり、古典および新古典建築彫刻文学音楽のどこにでも体現されている。

アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。

そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)

アリストテレス示唆しているように、この見方黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。

この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書パルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。

カノンは、完璧プロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。

医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率指定していると説明している。

その論文身体のすべての対称性私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体正典と呼んだ作品でその論文裏付けた。

古典的テキストにおける「対称性」の概念は、双方向鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要

それはまた、古典的意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能比率一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。

たとえば、『ソフィスト』 では、プラトン高潔な魂を対称的である説明している。

古代ローマ建築ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的概念体現している。

建築は、ギリシャ語タクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人ディアシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人エコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます

秩序とは、作品の細部を個別バランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。

プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。

シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます

アクィナスは、典型的アリストテレス多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)

18 世紀のフランシスハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。

「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。

実際、この見解の支持者はしばしば「数学スタイルで」話す。

ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッド命題を挙げる一方で、次のような普遍的物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然熱狂的に賞賛している。

「美しさはある、と彼は言いますアイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)

美とは部分間の特定比率問題であり、したがって古典的概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちアイデア起源についての哲学的調査」で与えられている。

植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えていますリンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えていますしかし、バラリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間身体には、相互一定比率を保っていることが観察される部分がいくつかありますしかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。

2024-04-16

anond:20240416181853

いやあれ歳とってもカッコ悪いと感じるだろうなと思う

なんか普遍的ダサい

anond:20240416111002

それじゃ

年収は200万だけど総資産が100億あるやつは弱者男性なのか?

設定が普遍的じゃないクソなんだよ年収制限とかは

彼女配偶者が一度もいたことがないという定義が一番スマートなんだよ

2024-04-15

   ベクトルという理論驚愕的なものであるかどうかの評価は分からないので置くとしても、ベクトルを整備するとかなりの問題を解くことができる。しかし我々はベクトルというもの

  どれだけの威力を持っているかまだ正確には教わっていない。道路法における道路が、ベクトルのように驚愕的な技術であるかどうかの評価はまだ分かっていないが、道路法における

  道路普遍的一般的存在し、その上を自動車等が通過する。自転車が脱輪した場合、我々は自転車店にやってもらうことになるが、前野町にはそうした自転車店がない。

  セオサイクルは前野6丁目にもあるし、戸田市にもある。しか店員性格が悪いため一般には利用したくない。板橋区では色々なところに修理店があると思うが、蓮根駅前の

  小高商会が一番無難である。しっかりしていて頑強な老人がする。その付近にも、サイクルハウスヒロなどもあるが、こちらは中国人がやっているし、話が臭いのであまりいきたくない。

  ところがコダカサイクルは、蓮根駅前の路地にあり、非常に遠い。

2024-04-14

anond:20240414130807

君が技術だと思うなら技術なんじゃない?

それは気持ち問題だしそれは否定できない

僕がそれは技術じゃないと言ったのはデザインパターンアルゴリズムなんかはライブラリとか言語がなんでも使える普遍的ものだけど

ライブラリとか言語は知ってるか知ってないかってだけだしそんなもの山ほどあるわけだし

どの棚になんの書類が入っているか知ってるか知ってないかだけだよね

それも大事だけどそんな程度のものを頼りにしてたら行き詰まるのは当たり前でしょ

anond:20240413154433

チェックの服が普遍的ダサいんではなくて、ダサい人が着るチェックの服がダサいというのが現実

anond:20240414083018

マンガの話してないです、転スラ・すばせかの3期が始まるから、それぞれ1期2期見たよって話しかしていない

 

あと、ワイが売り上げに納得してるのマジでドラゴンボールしかない

鳥山明マジで多様性とか考えている人みたいで

そう言うのって話の筋に関わってこなくても出るよなぁって思いました

 

まぁアラレちゃんで世に出てきたばかりの頃の鳥山明って、

喋り方も見た目も絵に描いたようなgeekだったので、

時間に余裕が出来て、子どもが大きくなってから得た価値観可能性もあるけどね

(でもアラレちゃん見ても割と普遍的なこと書いてるので元から持ってそう)

2024-04-11

 社会参画に至る通過儀礼としての自傷特に思春期女性について、ボカロ歌詞ラビットホールやら、人間なんか大嫌いやら、からふと想起する。

 私が自分容姿卑下トラウマトラウマと風聴するのは、ルッキズムジェンダーバイアスに対するシニシズムである、と自己分析していたが、どちらかというとニヒリズム的かもしれないと最近思う。女性男性非対称性に嫌気が差し、弱みを見せる女性モテて弱音を吐く男性モテない古い世界を転換させたいという価値観への承認欲求他者への不信感・不満が、この態度の根源ではありつつも、さして世は変わらないと感じながらも年老いても自傷的に耽るのは、自らの社会性への価値毀損を厭わない虚無的な諦念所以である、と最近思った。

 今の自分ツイ垢沈黙たる自傷的な行動に対する幼稚さ、メカニズム普遍的欲求について類推思索に耽る。自己価値曖昧さや不安による試し行動は思春期的であり、これに私は虚無主義的に該当しないところである。寂しいからかまって、という凡な気持ちはもちろんあるが、最もはイベントに対する愛である公式が今までありがとうも何もなく次のイベントの告知しかせず、蔑ろに感じた憤り、過去への執着だ。そこに対して付加的なイベントたる自傷を作ることで、イベントのものへの関心と尊さをアピールしたい、というところか。ウェルテル効果が近しいか。そう考えると、面白みもないね

 ありがとうスプラトゥーン1。初めてのネトゲ。初めての交流、初めての彼女ブラック企業退職から、全国の顔も見知らぬ友人を巡礼する旅。出会った人たちには様々な背景があり、半グレに手切れ金渡したことも。そんな人たちと甲子園に出て、思い出を作った。

 最後に潜った。ナワバリには誰もきてくれなかった。ガチマでは有名プレーヤーとよくよくマッチした。うまく立ち回れずもやもやした。だんだん酔ってしまい、リタイア。昔はフェス丸一日プレイしたのにね。

 ……なんだこれ。婆やの死に目よりも涙出てきた。別れたくない。

 別れたくない。

2024-04-06

anond:20240406192348

日本普遍的男性を甘やかしてるのは女性から

運動を起こさずに愚痴るだけで迎合してる

正直女性も同罪なんよな

2024-04-04

anond:20240403115315

リベラル世界では普遍的思想

退潮しているのは日本自称リベラルだけだよ

リベラルではなく共産党立憲民主党などの政党が退潮していると正しく表現してくれ

2024-03-31

anond:20240331024438

普遍的に悲しい出来事だね

同じ経験ATMになりがちな男側の方が多くしてるけど結婚して5年も面倒見てくれるならもっと不幸な人間は沢山いると思うんだ

2024-03-29

anond:20240329224537

一貫性普遍的正しさにこだわるのは弱者だけってことなんだよな…それって。

ただ実際は、そんなもんにこだわるより強者に媚びて強者側につく方が恩恵が大きかったりする。

anond:20240329164246

本当に民主主義国家ならジェノサイドがどこで行われていようがジェノサイドだっていうよ

日本人みたいにアフリカのツチフツも欧州コソボもどっちもジェノサイドだろって言うし、イスラエルパレスチナだってジェノサイドだと認める

アメリカ人にはそれは出来ない。民主主義人権という普遍的価値よりもアメリカンジャスティス観念として優位に来る

自国都合で人権も人道も平和もいろいろと引っ込んでいくのはどこでもやることだけど、覇権国は露骨だね

2024-03-28

三歳児神話ってどこから来たのか?厚生労働省による批判について

https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/kousei/1998/dl/04.pdf

厚生白書平成10年版)

三歳児神話は,欧米における母子研究などの影響を受け,いわゆる「母性役割が強調される中で,育

児書などでも強調され,1960年代に広まったといわれる。そして,「母親子育てに専念するもの,す

べきもの,少なくとも,せめて三歳ぐらいまでは母親は自らの手で子どもを育てることに専念すべきで

ある」ことが強調され続けた。その影響は絶大で,1992(平成4)年に行われた調査結果においても,9

割近い既婚女性が「少なくとも子供が小さいうちは,母親仕事をもたず家にいるのが望ましい」とい

う考えに賛成している。

しかし,これまで述べてきたように,母親育児に専念することは歴史的に見て普遍的ものでもない

し,たいていの育児父親男性)によっても遂行可能である。また,母親子どもの過度の密着はむ

しろ弊害を生んでいる,との指摘も強い。欧米研究でも,母子関係のみの強調は見直され,父親やそ

の他の育児者などの役割にも目が向けられている。三歳児神話には,少なくとも合理的根拠は認めら

れない。

厚生労働省見解では三歳児神話欧米研究の影響を受けて1960年代に広まったらしい。

欧米研究の影響を受けて、というのは三歳児神話自体日本で生まれたということになるのだろうか。

厚生労働省は三歳児神話について間違っていると批判である。この批判は当然だと思う。

2024-03-27

anond:20240327182807

「手伝ふ」が「手伝う」に変わる過程でもこういう反応あったのかねぇ。

というか、なんで変わったんだろうね。

変化を嫌う感情って別に時代によらない普遍的ものである気はするし。

元々表記と読みがズレてたのを読みに合わせた?

俺は低脳からその辺よく知らんのよな。

なんで日本人議論ができないのを見せつけられてて辛い

議論なんか議題ありきでしか成り立たんものじゃん。

「後先考えなければ人を殺すのは簡単か、簡単じゃないか」みたいなアホみたいな狭い議題なわけないか

もうちょっと普遍的な議題が最初にあったと思うんだが、それが明らかにされてない。

から「後先考えなければ人を殺すのは簡単」がそもそも議題に添っているのかもわからん

それに反論することがどう言う意味があるのかも全くわからんわけじゃん。

 

インターネッツォでよく議論スイングするのって大元の議題を理解してない奴らが

議論の途中で出てきたインパクトはある言説に飛びついて、

本題そっちのけでその言説に対しての話をみんな好き放題したがるからじゃん。

まぁネッツ関係ないリアル会議でも「そこどうでもいいだろ」みたいなところにばっか食いつくジジイおるけどさ。

元増田の話にあーでもないこーでもないって言ってる奴らの中に

本題は何だったんだって考えてる奴少なすぎて、怖くて泣いちゃった。

2024-03-25

milet 5th anniversary liveGREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【後編】

意外と現実的なところに文字数制限があって引っ掛かっちゃったので前後編にしま

【前編はこちら:milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【前編】

パート解釈(のつづき)

書きたいことは大体書けたのでアンコールはサクッと

前に進む覚悟ができたあとのmiletさんです。強い。

・I Gotta Go

もう行かなきゃって、ミレイ(みれい)に歌ってるみたいですよね。

どんな目の色してたか考えてるって、もう直接欲しがってないところが切ないです。

You made it

引退示唆しているようにもとれるので

不安なっちゃう人がいたのもわかります

・The Hardest

覚悟してても、迷いはあるという複雑で重層的な感情が伝わってきます

The Love We've Made

まるで全ての時間軸のmiletさんの目が未来を見据えているような

そんなイメージを持ちました。最高です。

Who I am

はい、ここまでタラタラたらたら勝手解釈を展開してきましたが

結論は全てこの楽曲に詰まっています

・航海前夜

おわりの時に流れる音源だけど、まさにここから未来を見据えているかのような選曲ですよね。

まとめ

こんな記事を書きたいように書いてるくせに何言ってんだって感じなんですが。

最終日の「もう良い加減さ、見たいように見るのは、辞めなきゃね」という言葉には痺れましたね。

MCで話す内容は事前にある程度決まっていると思いますが、この言葉は用意されたものでは無いという印象が強かったです。(もちろん邂逅の曲中の言葉もですが)

この4日間の公演で、大阪公演でのお客さんの反応が(良くも悪くも)この言葉につながってるはずなので、やっぱり4日間でなければいけなかった。

そう考えると、この公演をこの奇跡的な成功で終えられたというのは、たくさんのスタッフの想い、演者の想いが結実した結果だと思います本当にありがとうございました

結果から振り返ると、なにか神の力に導かれたかのようにも感じちゃいますね。(ニケ神ですかね)

小ネタ(というか、ツアーテーマ以外の感想

・「もう良い加減さ、見たいように見るのは、辞めなきゃね」について

この言葉は確かにその通りですが、それでも世界自分が見たことでできていると思います

なので、このことばに含まれている意味について、想像して発展させたいです。

私なりの、いま現在時点での解釈としては次のようなことが含意されているのだは無いかと思います

- 手近な選択肢固執しないこと

- いろんな可能性に想像をめぐらせて物事を見ること

ただ、これに関しても答えがないことなので、各自よく考えてみると面白いかもしれないですね。

安心しています

あくまでショーとして公演を楽しんだ」というスタンスと書きましたが

実際のところ大阪初日では、演出などから「もしかしたら引退してしまうかも」と、とまどいはありました。

ただ、アンコールツアー発表とかグッズ紹介の感じで「あ、そういうことか」と思いました。

とはいえ横浜初日で「言葉で伝えるのって難しいね」ってアンサーがあった時にホッと安心して、そのあとの時間多幸感で満たされてました。

まり何が言いたいかというと、4公演行けて良かったああああああああああああああああああ

・良い感想アンケートで送らなきゃね

どうしても過度な心配だったり批判意見というのは提出したくなっちゃうし、受け止める側の衝撃も強いから目立っちゃう

「ここが良かったよー、好きだよー」とか簡単感想だとしても、良い感想で薄めてくのも大事だなって感じました。

バンドスーパーすぎてえぐい

最終日、邂逅で感情が溢れて詰まってしまった時、陽ちゃんよっちコミュニケーションで音を繋いでいたそうです。

無音と音があるんじゃ印象が違いすぎる!この瞬間を見られた人羨ましい!

Green LightsGREEN LIGHTS

推測ですが、2020年Green Lightsでも同じように「はっきりと思い出せない過去同化する」ことをテーマにしようとしていたのではないでしょうか。

エニエニまででテーマてきには一区切りついてるので、当時はそこまでしか考えてなかったけど

コロナ禍を経て、戦争もあって、その先が見えるようになったよっていうことだったらかなりアツい。

・そういえば初ホールアリーナ

ホールアリーナってさ、その公演自体目標になっててもいいじゃん?

でもmiletさん自分パワーアップするためにこの公演に臨んだんだよね。

そういうところ、志が高くて好きです。

・なんでこんなにテーマに沿うのか

過去自分と会うことは、現実ではできないわけですから

「みんな」じゃなくて「だれか」に対して歌っている楽曲のうち、

もう会えない人について歌った楽曲マッチするんだと思いました。

(そしてmiletさんの描く楽曲にはそれが多い)

とはいえ過去に作った曲の歌詞がいまの心情とここまで重なるということは

本物のシンガーソングライターということだと思います

その時のいろいろな思いを曲に込めて、それが普遍的テーマになって

なんどでも歌い続けることができるって、すごいことですよね。

ライブに行く意味について

「大きい音で音楽聴けて楽しい!!」ってのもあると思います

あらためて思ったのが、もっと楽曲に思い出を重ねていきたいなって思いました。

たとえば次にこのGREEN LIGHTSの中から何か演奏されたとき、このツアーで聴いた時の感情が一瞬のうちに蘇りますよね。

日常で聴いて思い出すかもしれないですが)

ライブ定番曲が盛り上がるっていうのは、音とかノリはもちろんですが

意味文脈が重なって盛り上がるってこともあるなぁって、思いました。

・つぎに Fly High を歌うとき

Wingsを聴いて、意図を考えて、思い浮かんだのがこの楽曲でした。

この曲の歌詞を見てみると、飛んでるのは「You」なんですよね。(だから応援ソングなんですね)

かいところかもしれないけど、miletさん自身も飛翔しているイメージがあったのでとても驚きました。

期待したいのは、いつかまたライブFly Highを演奏してもらうこと。

力強く地を踏みしめてるmiletさんが、さら未来のmiletさんに向けてFly Highを歌っている姿を想像すると胸が熱くなります

前園みなみさん

横浜初日ときホールを使って映画ライブシーン前後撮影がありました。

たぶんみんな「まんまやんけ」と思ったはず。(とても素敵でしたという意味です)

端の端の端でも参加できて、実質クランクインに立ち会えて嬉しかった。

・今後について

いまmiletさんブログを書いてるって見て、またちょっと安心した。

Xの写真でも笑顔が見れて良かった。

ここまで見てきたように、私はこの公演をコンセプトライブだと思って楽しみました。

今後miletさんがどんなふうにSNSで発信しても(急に明るくなったり、暗いままだったりしても)

過度にプライベートまで推測して心配したりしないし、

仕事についても知り得ないことまで想像して心配しないし、

手近な選択肢固執しないし、

いろんな可能性に想像をめぐらせて、

ホールツアーを楽しみに、さら未来に期待しましょう!!

・inside youを聴いてる時に思い出したことのうちここに書けること

Green Lightsチケットや、当時の他の中止になったライブチケットとかをローソンで返金しているところを思い出しました。

嫌だったなー。寂しかったなー。虚しかったなー。

金額を見て、こんなお金いから、感動をくれよって思ってたかも。

このとき気持ちですら完全に思い出せなくて、さらに寂しくなり涙。

・inside you解釈

ここまで長々と「自分との同化」をテーマに据えてましたが、突然の別解釈

コロナ禍で中止になったGreen Lightsとそこから自粛期間。

このファンに直接届けられない期間のうちに、ファンが離れていってしま不安を歌っているという解釈

・別解釈その2

miletさんコロナ禍を経ても、より一層人気のアーティストになりました。

ももしかしたら、コロナ禍でなければ今もまだ活躍していたアーティストだって大勢いたと思う。そして亡くなった人も、大勢いる。

そんな思いを全て背負って歌っているという解釈

・おめでとう

公演期間中は衝撃と興奮でちゃんと言えてなかったと思うけど

miletさん、5周年おめでとうございます

・以上です

あ、以上です。ありがとうございました。

2024-03-20

anond:20240320082427

自衛隊は」ではなく「自衛隊も」と書いとけ

軍隊普遍的だよ

戦場虐殺・略奪は今でも米軍英軍も豪軍もどこでもやってる

2024-03-16

コメント

2024年3月15日19時33投稿

視点】お三方鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィア当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。

はいわゆるクィア当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちから批判の声」とは全く違った感想を抱いている。

私は、この「怪物」という作品から、他の映画作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。

まり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。

それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。

この作品は、確かにクィア登場人物たちを描いている。

だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ普遍的物語」として描きつつ、しか当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。

からこそ、クィア当事者である私に刺さったのだ。

今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側から安易カテゴライズの道具として使われがちでもある。

だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。

そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。

怪物」という作品は、そこに安易名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。

私はむしろ、この作品が、クィアLGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな陳腐ものになってしまったのではないかとすら思っている。

そしてラストシーンについても付け加えておきたい。

鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。

そして、その後は描かれなくて正解だったろう。

その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。

私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。

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https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS323PGSS2WULLI00F.html

2024-03-15

[] 2024-03-15

日本人であるからノアの法を守れば神に認められるらしいです。

ではなぜ日本人である私は、聖書を学び始めったのでしょうか。

私は善悪や知恵には、単なる好き嫌い相対主義を超えるものがあると考えています

しかし何が「絶対であるのかは全くわからないので、歴史的テキストとして聖書を学んでいるのです。

それを学んだことによって布教をするつもりもなければ、○○教徒であると言うつもりもないし、特定民族に気に入られようと考える気もありません。

まだ学び始めて浅いのですが、これまで読んだのは、創世記モーセ五書箴言、コヘレト言葉です。

実用的側面から箴言・コヘレト言葉・そしてヨブ記を読みたいと思ったのです。

なぜ実用的と思うかといえば、歴史的に残された「知恵」が現代に通じるのであれば、普遍的善悪について何かがわかるかもしれないからです。

私は「聖書の教えを守って神に認められよう」と考えているわけでは必ずしもありません。

それを「知恵」と呼ぶのであれば、善悪判断したり、円滑に生きるために役に立つと言える何かがあると思うわけです。

いくつかの道徳宗教が陥りがちな「相対主義」についていつも疑問に思います

相対主義が極端な形になると、「倫理は人それぞれ」などと言い始める可能性があります

すると、殺人肯定するような価値観も「人それぞれだ」といって許されるということになりかねません。

ちなみにノアの法では殺人禁止されます

善悪について気にしなければならない理由、と言われてもすぐにはピンときませんが、少なくとも悪人にはなりたくないでしょう。

私は自分遺伝性格から倫理判断が苦手であり、それによって様々なトラブル経験してきました。

そうすると、何が正しくて何が間違っているのか。それを知りたくて懇願しています

世の中には、まるで蛇のように曲がったことを言う人たちがいます

蛇に騙されて自分がどんどんと悪の方向に流されているなら、自分の中で善を持つ必要があると思うのです。

一般的日本人本能レベル倫理性を持っているところを、私は持っていないので、知恵の本に頼るしかないのです。

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