はてなキーワード: 時機とは
リアルの人に話すとウザがるぐらいには重く、ネットで話したとしてもネタ的に面白みがない。共感されない。
ただの不幸自慢になってしまう。
私の不幸は重いけどありふれたものなんだ。別にありふれた不幸なのは良い。
それがしんどくてずっと孤独だった。辛かった。私は特別不幸ではない。だけど、繊細かつ情緒が不安定なので、自分の不幸を引きずってしまう。それで構ってくれないのが嫌でこうしてSNSで吐き出してしまう。ネットの反応欲しさに。
リアルだと重くてウザく、ネット的にはありふれた不幸。すなわち他の人が聞いて面白みがない私の不幸は以下の通りである。
あまり整理されてなく読みづらいし、面白くもないがもし興味あれば、最後まで聞いて欲しい。
私の家族は、はじめアルコール依存症の父と若干精神的に不安定で私が高校卒業するまでしつけ時に体罰を繰り返す母、私と弟2人と妹の6人家族だった。
両親は昔から折り合いが悪く、私の目の前で何回も夫婦喧嘩を何回も繰り返した。小学生の頃父は酒を飲んで1週間帰ってこないことが何回もあった。母が夫婦喧嘩の時機嫌を悪くしてご飯だけ置いて夜帰ってこないこともあった。
弟が父の事務所からお金を盗んだ時、私のせいにされて、私が謝る手紙を書くまで(1週間ぐらい)家を出て帰ってこなくなった。
当時東京に住んでいたのだが、遠方の母親の実家に父が酔っ払った状態で殴り込みめちゃくちゃにされたこともある。(小5の夏)
この他、私の見ていないところで父から母へのDVがあったようだ。(よく知らんけど小学校入る前にパトカー来たこともあるし)
こんなんだから、当然家庭崩壊が起きる。小6に離婚。その後母親の実家があるところへ引っ越し、学校も転校した。
これでハッピーエンドかと思ったが実際は違かった。引っ越す前の小学校では出来ていた友達が転校先では出来ず、周りから浮いてしまったため中学でいじめのターゲットとされてしまう。
高校からはいじめには遭わなかったが、中学時代をひきずり友達が一人も出来ない状態である。いつも教室で一人だった。一人で行動し、一人で弁当を食べた。
だから学校が嫌いだった。でも行かないと怒られるため中学高校はそれぞれ1日ずつしか休んでいない(大学は不登校気味だが留年しない程度に単位は取ってる)
また、家もあまり居心地がよくなかった。
母は高校を卒業するまでしつけ時に体罰を繰り返し、あざこそは出来なかったけど、キレた時に何発も殴られたり蹴られたりした。
殴られる原因は私にあるんだろうけど、何発も殴る理由がわからなかった。一発でよなくないっすかと。
それが嫌で一度高3の頃家出をしたことがある。この時から私の精神状態はすでに不安定だったんだと思う。
そんなこんなでも首都圏ではないが無事地方の4年制大学に進学することが出来た…が精神状態が悪化し不登校気味。当たり前だが友達もできないままだ。
これが私のありふれた不幸である。
愚痴ばっかりですまん。でも不幸だけじゃなくて恵まれているんだなと思うこともたくさんある。ちゃんと感謝しなきゃいけないことは感謝する。
一つ目は父が養育費を振り込んでくれていて、母も経済観念はしっかりしているため経済的には不自由なく育ったこと
二つ目は無駄になりかけてるけどきちんと教育を受けさせてもらったことである。
だから、親には感謝はしてる。母子家庭だけど、食べることも、住むところも、進学も何不自由なくさせてもらって、塾にも通わせてもらった。周りから見ればふつうに「恵まれた」家で育ったんだろう。
そして離婚した後夫婦喧嘩は激減し、今はほとんどない。(その代わり父には恋人がいるけど)それに、私が家を出て行った後、母の体罰は無くなったらしい。
だからもう終わったことで今は幸せなんだ。そう思って生きようとしている。
私の不幸はありふれたもの。だから気にしないって。小さな幸せを見つけようって。
だけど、今も時々「ありふれた不幸」が小さな幸せを上回ってしまう。それがかなり辛い。
そんな辛さに耐えられない私は、とうとう承認欲求の塊となり、ネット依存症になっている。
ツイッターの裏垢で自分の家族の愚痴を何度も何度も書いている。
親から愛されたかったとはちょっと違うし、ストレス発散させたいためでもない。多分ただ単に愉快犯でも良いから反応が欲しいだけなんだと思う。
それで実際あまり反応がないので口には出さないけどツイッターで「いいね」の数が少ないと他人には当たらないが不機嫌になってしまう。
親がアレだと子どももアレになってしまう典型例なんだと思う。父親はアルコール依存症。私はネットというかスマホ依存症。
この状態は、少なくとも健全な状態ではないと思う。病気だと言われても仕方がない。
さすがに、来年社会人になってまでこのような精神状態のままだとマズイとは思っている。
だから、一応大学のカウンセリングには月一ぐらいで通ってる。ただ中々上手く話せてなくて精神状態が不安定なままだ。
その証拠に、面白みもないのに、見てくれる人もいないのに、ただただこんなに長文を書き連ねている。
これも誰かに構って欲しいからだ。
いたらこんなところに書く必要なんかない。友達というか同学年の人にすらリアルでは話したことがない。話すとドン引きされるってわかるからだ。私が話したのはツイッターの裏垢とカウンセリングの先生と心療内科の先生と大学で福祉、特にケースワークを専門としていて対人援助職の経験があった先生。それぐらいだ。実際専門職の人にしか話していない。
でも専門職の人にはあまり共感されない。それが地味に辛い。私の不幸は共感されないんだって。別に周りからありふれたものだと言われても気にしない。
実際私だって、少数派だなと感じることは多くても、私だけが「特別」不幸だとも思ってない。
ただ、周りからあまり反応がなく(初めて話した時でさえ)共感してもらえなかったのがショックだった。
「あぁ、私の不幸は、しんどい体験は周りの人から見れば、よくわからなくて共感されにくいものなんだなって」
ウザくてごめんよ。でもこれが私の正直な気持ちなんだ。 リアリティが無くて作り話とされちゃうかもしれないんが本当なんだ。
今すごく辛い。ずっと孤独で誰かの反応が欲しい。ずっとずっとそう思ってる。
だから頼む個人情報を晒さない程度に、自分のことを構ってくれw
追記:宛先は控えますが、個人でもはてなブログやってて、似てる内容の記事を書いていたりします。もし、これかな?と思う記事があったらはてなスターください。すごく喜びますw
https://cf.cpcdn.com/info/assets/wp-content/uploads/20160303081613/kabunushishousyuu12.pdf#page=62
この手の監査報告書は、脱税・横領が後に発覚したとしても、基本的に「問題ありません」と書かれていたりする場合がほとんどであるが、
クックパッドの招集通知には岩倉正和監査委員の佐野氏に対する恨み辛み憎しみが、これでもかと言わんばかり書かれていて本当に面白い。
(そして、最後はふざけんな!と罵りながらも、法的にはギリギリの事をされててぐぬぬ、と言わざるを得ないという締め方になっていて、哀愁を誘う本当に良い文章である)
佐野陽光 取締役が、当社に対して、他の株主3名と共に、「株主提案書」を送付した事実が生じており、かかる事実及び 本事業年度中に生じたそれに関連する事項について、監査委員として、全監査委員が合意した前記監査意見に 補足して、以下、意見を述べる。
口頭から「ヒトコト言わせて貰わないと腹の虫が収まらない!」とブチ切れモード全開。
当社社外取締役から上記株主提案書、 特に、上記の客観的事実に反する「提案の理由」について質問されたのに対して、合理的な理由なく、一切の説明を拒否し、更に、外部の弁護士に委任して、上記株主総会において取締役選任議案について委任状争奪戦 を行う準備を進めた。
実際に戦争を仕掛けたのは佐野氏の側だった模様。自分の意見が通らないので、問答無用で喧嘩を始めたようだ。
なお、佐野取締役は、同取締役会に出席しており、当社代表執行役穐田誉 輝取締役と共に、特別利害関係人として決議には参加しなかったが、上記決議後、同取締役会において、同勧告書を受け入れる旨、取締役会に対して表明した。
すごい。例の無茶苦茶な株主提案を提出する直前まで、佐野氏は同意をした風を装っていたようだ。他の取締役にして見れば、まさに寝耳に水だったのだろう。奇襲というべきか。
佐野取締役の行動については(中略)一切の説明を拒否しながら、当社の取締役としての立場を離れて、自らが当社の総株主の議決権の数に対する 43.581%の議決権を保有する株主としての立場に基づき、かかる議決権保有比率を奇貨として、上記2015年 12月18日付取締役会決議を無意味なものとし、かつ同決議で採用されなかった自らの考える事業計画を通そう とするべく、現執行部と上記合意を結んで当社の経営体制を変更しようとしたものであり
佐野氏がやったことは単に自分のエゴを通したいだけのワガママ。説明すらまともにしない無責任な行動。しかも自分の影響力が絶大だって分かっててやってるのが汚すぎる。と、岩倉さんはおっしゃっています。
当社の企業価値の最大 化と少数株主の利益の正当な保護に反するおそれがあり、その方法も含めて、妥当ではなかったものと指摘せ ざるを得ないものである。
なお、もし仮に、日本法上、取締役が株主に対していわゆる信認義務(fiduciary duty)を負うのであれば、佐野取締役の行動は、当該信認義務に違反するおそれがあると思料するものであ る。
おめーのやったこと、見方によれば立派な犯罪だぞ!?とブチ切れ。
次に、執行部については、第一に、佐野取締役の前記の諸行動は、その持株比率からして、少なくとも株主、 投資家の判断に重大な影響を与えるものであることは明らかであるにもかかわらず、社外取締役からの要請を 受けても、その内容を適切かつ適時に開示せず、中途半端な内容及び時機に遅れた開示(特に、佐野取締役らの 株主提案書を受領したにもかかわらず、社外取締役からの要請を受けても、受領の事実及びその内容を速やか に開示しなかった。)
第2に、佐野取締役が当社の総株主 の議決権の数に対する43.581%の議決権を保有するため、佐野取締役が準備していた当社第12回定時株主総会 における委任状争奪戦で敗れることを恐れて、2015年12月18日の当社取締役会決議に反する内容の合意を佐 野取締役と結んだ点において、問題なしとは言えないと指摘せざるを得ないものである。
そして佐野氏だけでなく、佐野氏にビビって自分たちの保身に走った執行部にもブチ切れ。「俺ら外部の人間から指摘するまで、株主提案の受領を公開しなかったよね?ふざけてるの?」
ここまで怒り心頭の岩倉氏、どう考えても理不尽極まりないクソな状況に憤慨しつつも、非合法スレスレで行われた本件に関して為す術もなく、辛酸を舐めて捨てセリフを吐いて報告を終える。
これを一方的に非難することまではできないもの と考えられ、経営判断原則で認められる経営者の合理的裁量の範囲をギリギリ超えないものと評価すべきもの と思料されるところである。
世間の認識とは裏腹に(もしくは意味予想通りに?)これ、原因はどう考えても佐野氏のような気がするが…金の力とは恐ろしい。
あれは小学校に入る1年前のこと。
という教材を母が持ってきた。
会話編と単語編があって、母は会話編を熱心に覚えさせようとしたが、僕は単語編しか興味を示さなかった。
文字列の並びに意味があること、つまりD,O,Gいう文字列が犬を表すこと、それには少し興味がもてた。
記号として、24文字があることには興味がもてて、大文字限定だが、アルファベットの読み方はマスターした。
当時としては時代遅れの機種だったと思う。
ファミコンよりもっと低レベルなゲームのROMも二本もらった。
紫色の表紙のMSXBASICの教本がついてきて、なぜかその本を読みはじめた。
さっき説明したように大文字だけは読めたので、小1か小2だったと思うが、読み進めることが出来た。
画面に線を引くとか、点を打つとか、文字を表示させるとか、その程度しか出来なかったが、ゲームをしてるようだった。
自分でも読めたが、読み聞かせをせがむ甘えん坊だったので、たまに母に読んでもらうと、母は自分がいつも
「アイエヌピーユーティー」と呼ぶ「INPUT」という文字列を
「インプット」と呼び、その度に「インプットってなに?アイエヌピーユーティーのこと?」
と間違いを訂正させた。
母親は僕がなんでこんな本を読み聞かせをせがむのか理解できなかったそうだ。
小2くらいだと、IF関数やループを理解できなくて、母に何度も質問した。
母もわからなくて困ったそうな。
私は座って聞くタイプではなく、自分は他の遊びをしながら母に朗読させるという非常に図々しい読み聞かせを要求する子供だった。
ただでさえ小2には難しく、自分で読むときはギリギリ理解できても、他の遊びをしながらだと、時々理解がぶっ飛んだ。
その瞬間によく転んだ。
よく母も付き合ってくれたものだ。
小3くらいだったか、巻末の50行くらいのブロックくずしのプログラムを入力した。
毎日コツコツと打ち込んで、データレコーダーに保存すること数日。
実行してはエラー。
画面のプログラムと本を舐めるように見比べて、間違いを探しの繰り返し。
始めて動いた時は感動した。
母や父に自慢したが、反応はイマイチだった。
小3だったら読み解くくらいは出来るようになったが、それが精一杯で、自分で作ったりは出来のが大きいかな。
同じプログラムを書いてはパラメーターを変えてみることの繰り返しをしたが、すぐ飽きた。
その頃、パソコンというものとロータス123があるといろいろ便利という噂を聞いて、パソコン雑誌1冊が我が家にきた。
あの頃のパソコン雑誌というものは、投稿プログラムのコーナーが紙面の1/3を占めていて、ロータス123とそれを使える機種以外興味がなかった両親はほとんど開かなかった。
我が家に新しくやってきたPC8801だか9801に僕が一本指タイプで写経する教材となり一か月に1つくらい写経した。
両親はロータス123を使いこなすことができず、(というよりMSDOSでつまづいたと言ってた気がする)
何十万もする高価な箱を自分が占有する形になったが、ゲームが買い与えられたわけでもなく、BASICだけだったらMSXでこと足りたので、楽しいマシンという記憶はない。
そんなこんなののち、1年くらいでBASICの熱は冷めた。
パソコンに自分から触れる機会はその後の人生でほとんどなかった。
卒論や、就職してからの業務でWordとパワポ、Excelの簡単な使い方を覚えたが、
ひょんなことでExcelでIF関数に再開し、懐かしさからいろいろとExcelの関数を使い倒してみた。
ついでにと、本屋でExcelマクロ作例集というものを買ってきて、家で読んでる。
家にパソコンがあれば昔のように写経するのだが、コードの解説を読んで脳内で動きを想像して楽しむことしか出来ない。
この程度なら自分でもすぐ書けそうという反面、仕事に役立てそうなことはあまりない。
某日私はウンコを漏らした。パンツは損傷甚大で止むなく破棄。不幸にもこの後集団の更衣室で着替えなければならない。止むなくいつものコンビニでパンツを買う事にした。
レジの店長一人しかいない早朝のコンビニは実に閑散としている。クソッタレ。飲み物コーナーを物色しつつ、時機を見定める。「こんな早朝にパンツなんて買ったら笑われるんじゃないか」とか思って踏ん切りが付かない。他に客が来る様子もなく、時間もないので覚悟を決めるしかない、と人生で6番目位に大きな決意をした。
トランクスをむんずと掴み、レジへ進む。パンツをぉぉぉおいた!さあ笑え!笑うなら笑えよ!爆笑でも失笑でもしてみろや!!!
予想に反して店長は眉一つ動かさず、淡々と業務を進めた。いつもは「少しは愛想良くしろよ」などと思っていた店長の応対がこんなに有り難く思える瞬間は無かった。これがチャラチャラしたバイトであれば含み笑いの一つされたかもしれない。私は内心馬鹿にしていた自分を恥じた。店長は間違いなくその接客において、私のプライドを守った。内心どう思っているかは分からないけれども、店長のお陰で私は少しだけ他人を信頼出来るようになったし、今でも時々思い出しては世の中もそんなに悪い物じゃないかもなと思ったりするのだ。
なんとなくはじめた。3回め。
まだキママゥと戦うとこくらい
そういや満を持して続編でるんだっけか
でも調べたらPSPのDL版?のセール今年5月に終わっちゃってたらしいんだよねえ・・・
やっぱりノベルゲーは寝っ転がってやりたいよ
あーリモートデスクトップって手もあったか
今調べたらwindows7 homeでもパッチあてればリモートデスクトップできるようになるとか・・・
でも子機(泥タブ)もってねーんだよなあ・・・
ipod touchじゃなくて泥タブ買うかなあ
結局まだipod touch買い換えてないんだよなあ・・・
普段i文庫Sとまとめブログリーダーしか使わないから(あとたっっまーに地図)、とくにipodじゃないとダメってことはないんだよなあ・・・
でもnexus7ももう古いしかといって同じくらいの泥タブでいいのないかって言われたらわかんないし・・・
んーどうしよー
でもさすがにipod touch4世代でtogetterのページ開くと必ずブラウザとかはてぶアプリが落ちるのはちょっとなあ・・・
開くだけで落ちるページってどんだけだよと思う
youtubeアプリも使えなくなったけど、ブラウザからyoutubeのページに飛べばまだyoutubeは見られるし
たまにネットつないでだらだらまとめブログアプリ見てると3時間くらいで電池なくなるかな。
5年選手としてはなかなかだと思うよ
私は2010年ぐらいまでよさこい祭りに参加していて、ソーラン節をiPodに入れるぐらいには好きだった。バランスの整ったよさこい踊りを自宅で踊れるのも嬉しかったし、派手な衣装や振付け、演舞ゲシュタルトもソイヤッそれなり気に入っていた。
それでも、なにかが引っ掛かってよさこいの世界観に埋没しきれなかった。全体としては好きなんだけれどッコイショー、私が嫌いなもの、私とは相容れないものが宿っていると感じていた。それが何なのか表現できないまま、5年間ほど経ってしまったけれど、最近、ある人にヒントを頂いて、その答えがわかったような気がする。
何が引っ掛かっていたのか、その一言でわかった。そうだソイヤッ、よさこい祭りには、東方シリーズの(記号の)匂いがしていたのだ。
同じ四国三大祭りでも、『阿波踊り』『新居浜太鼓祭り』シリーズには、東方シリーズの匂いなど全く感じない。『さぬき高松まつり』もそうだし『松山まつり』『さかいで大橋まつり』もソーランそうだ。音楽はもとより、演舞にすら、弾幕的な匂いが感じられない。
ところがよさこい祭りには、どことなく東方シリーズの匂いが漂っている。BGMのメロディライン、楽器の使い方(特にピアノ!)、演舞表現にすら東方的な何かが籠もっている。「よさこい踊りのどこが東方的?バカな事言ってるんじゃねぇドッコイショー」と言う人もいるだろう。でも、例えばさぬきや高松の盆踊りと比べてみればいい。ビカビカしていて、マスゲームみたいで、ゲシュタルトが踊り狂って迫ってくるのはよさこい踊りだ。しかも、演舞には凝った名前までついている。
東方的と言って語弊はあるなら、“アイドルヲタ”的と言い直したほうがいいだろうか。一糸乱れぬ統率された動きと、色彩感覚で訴えかけるあの感覚!背景の色彩感覚も、あれはトラディショナルなアイドルヲタだけを惹きつけるようなものではなく、もう少しヤンキー寄りの人でも惹き付けられる表現にみえる。
そういえば、よさこい参加グループのネームセンスも、ヤンキー的な漢字仮名遣いというより、オタク中二病的漢字仮名遣いだった。よしんば、あれをヤンキー的漢字仮名遣いと認めたとしても、そのなかでは比較的オタク中二病的漢字仮名遣いに近い。オタク的消費者でも咀嚼できなくもないというか。
たぶん私は、そのあたりが最初から引っ掛かっていたのだ。そして、私が引っ掛かっていたまさにそのオタク的テイストってやつが、よさこい祭りの躍進の一助にもなったのかな、とも想像する。もちろん、それだけでよさこい祭りがブレイクしたわけではないだろうけれど、純然たるヤンキーのほうだけを向いたデザインだったら、たぶん、ああはソイヤッいかなかったのではないか?
よさこい祭りがブレイクしていったゼロ年代は、ヤンキー的なものとサブカル的なもの、ヤンキー的なものとオタク的なものの境目が曖昧になっていき、区別が無意味になっていく途上段階だった。ハッ!そうした融合と拡散が現在進行形だった時代に、二次創作性が高いだけでなく、ヤンキー的な面持ちの裏側にオタク的な間口の広さを隠し持ったコンテンツとしてよさこい祭りが脚光を浴びたのは、幸運な巡り合わせだった、と思う。たぶん、ベストタイミングだったんじゃないのかな?もし、時機を見計らってデザイン&リリースとしたら、高知商工会議所の慧眼恐るべし、である。
飽きてきたのでこのへんでソーラン。
30代童貞だが、この前初陣の機会があった。
不憫に思ってくれたのか、いざ鎌倉という流れになったのである。
前哨戦まではおそらく順調にこなしていたが、突入後に問題は起きたのである。
慣れていない上に、筋肉もついていないのに腰を一生懸命動かすものだから、
別にEDというわけではなく、日常の演習では快調に遂行できているのに。
なんつっても、妙齢の女子の中でしおれさせてしまっているのだから、
このあと滅茶苦茶あやまった。
若い男子だったらちょっと腰が疲れたとしても揺るがない硬度を保てる。
中年になっても豊富な戦場経験があれば、効率のよく正しい腰使いができる。
悔やんでも仕方ないが、実戦訓練を積むのに適した時機を
折れてもくじけぬ心を身につけるためにも、筋トレは良いはずだ。
30代童貞の同志諸君にもそれを伝えるべく、このエントリを書いた次第である。
いつかある初陣に備え、どうか参考にされたし。
だいがくやめようかな・・・ 双極Ⅱ型なのですが今月はめっぽう駄目でした。。
アルバイトは職場のひととお喋りするのも楽しいし、必要とされてる、役に立ててるという実感が受け取れるから出勤で来てるんだと思います・・(推測ですが)
なんでがっこうに行けないんだろう・・・ さいしょは、「あれもできてない」「これもできてない」という焦りからだったと思います。確か
..これは受験が終わって入学までのあいだ勉強さぼってた自分が十割悪いです。
あとなんだろう、、 肩に力入れ過ぎてたんですかね 気持ちばっかり張り切ってました。できないくせに
結局なんだか周りをみては勝手に自分ばっかり被害者面していました。 そして「何で大学行ってるのか訳分からないやもう..」と思うようになったんだと思います。たぶん。
まだ20年くらいしか生きてませんが 正直に自分の人生に対しては「充分惨めな人生を送ってきたなぁ」と云う感想です
ちょっと嫌なことがあるとすぐ「寝ちゃお」ってなります。 好きなテレビや漫画とかもどうでもよくなって 昔のことを思い出しては布団の中でぴーぴー泣くの繰り返しです。
暫く調子がいいときが折角つづいても時機にこの周期が訪れます。(なにか嫌なことがあったのちに)
怒りの沸点は低くないと思います ただ、自分が期待していたことが意に反されたとき もう二度と取り返しのつかないこととなってしまったとき etc..
怒ったときは「あぁ、こうやって無差別殺人とかの事件が起こるのかしら・・」と思うこともあります。ちがうと思うけど
そうして嫌な思いをしたら寝込んで鬱周期にはいっちゃうんですかね.. 気持ちがいそがしくて疲れます。自分のことなんですが
気分がいい(躁)のときは好戦的になります お金も使います(買い物すると気分良いから) 喋り方とかも挑発的になって親と喧嘩になる場面が多くなります。
「もう私はなおった」みたいな「もう同じ愚行は繰り返さない」と張り切って生活を送ろうとしますが駄目ですた すぐ挫けます。 三か月はつづかないです。
お金もわたしの心を圧迫してきます。 垂れ流しと化している授業料数百万のことと向き合うなんて一刻も早く自殺したくなります。自業自得です
両親はあと3年分は出してやると言ってくれています。でも3年以内にちゃんと単位とって卒業にこぎつけられるかと聞かれたら怪しいです。自信ないです ..頑張るのに抵抗を感じてしまいます
すでに学校からは一度「(大学辞めて)専門とかにいかれてはどうですか」とお達しが親の方へあったようです。
話の繋がりはあんまりないんだけどさ
シロクマだっけ?が以前「紅莉栖が人気なのは彼女が精神的に男性であってそこに男オタどもが『俺でも拒否されないかも』みたいな安心感を感じるから」とかいう主張をしてたと記憶してるんだけど、何このニワカはしたり顔で三周遅れのへっぽこ分析してんだよって思ったわ
女性キャラの中の男性性論で一席ぶつのは泉こなたくらいでやめとけよっていう
だってあれじゃん?紅莉栖好きの9割ぐらいが思ってることは「オカリンと紅莉栖をちゅっちゅさせたいよぉ~」であって、別に自分が紅莉栖とちゅっちゅしたいわけじゃないじゃん?
それに比べるとまゆしぃは作中での関係があくまで一線を越えなかったせいか、ファンからの愛され方ももうちょっと多様になってる気がする
俺は十年も前、思春期に考えた。
思春期に彼女が出来ないような人間は後から何しても無駄じゃん、と。
よく、「学生時代に冴えなかった奴が社会的に成功して逆転」みたいな話があって
だから頑張れ人生はこれからだみたいに励まされるしそれは正しいんだけど、
「本来異性に好かれないような人間が財産や地位を築き、そういうのに寄ってくる異性と付き合う」
醜いよね。社会的見下しの対象でもある。
(よく世間的な揶揄の対象になるのも、「正しいカップル」より一段以上低い・卑しいものだからだろう
「正しいカップル」最上位は勿論、若く互いにホルモンに突き動かされて付き合ってるような2人)
まずこれ目指して頑張るっていうのは俺は気力が湧かなかった。
一番恋人とか欲しいのは十代から二十代の初めまで。 精神的にも肉体的にも。
二十代後半だの三十代だので異性に寄ってこられてもそもそもあんま嬉しくなくね?
少なくとも嬉しさ十分の一ぐらいかそれ以下だよ、思春期だったらに比べて。
また、その異性が同い歳前後だとすると、言っちゃなんだけど、相手の市場価値もがた落ちした頃だよね。
取引が成立する頃にはもう取引をする動機がかなりうせてるんじゃないかと予想した。
最重要。
だって、金や地位でひきつけた異性なんて、本当は俺の相手なんかしたくないわけで。
俺と居る間ずっと打算や仕事気分でいる人が欲しかったんじゃない。
俺のプレゼントを即効で換金して本当に好きな人にプレゼント買う異性にプレゼントしても楽しくない。
と考えるとこんなの全然、わざわざ獲得する価値がないモノとわかる。
(シミュレートすると、愛人作ってガッハッハというタイプの男のマッチョさは想像を絶する
相手が腹で自分を好いてなかったり憎んだりしててもそんなのお構い無しで楽しんじゃうんだから)
こういう予測を十代の頃に立てて、
(予測を立てたと言うかあらゆるルートの絶望が身に染みただけだが)
仕事や趣味は頑張ろう、しかし恋愛とかはすっぱり諦めて降りるしかないんだ・・・と決めた。
そして今二十代後半になった俺は、一応社会的ステータスのある資格の仕事についたけど
キリンですし元増田の言うことがよくわかる大人になっちゃいました。
とっぴんぱらりのぷう。
http://anond.hatelabo.jp/20120310202830
俺は起業するつもりでいたから就職なんて全く真面目に考えていなかった。
適当にやり過ごしてチャンスが来たらとっとと辞めればいいと考えていた。
17歳で会社を作って(ただしほとんどおままごとの延長のようなもので儲けなどない)
腰掛けのつもりでIT系専門学校に特待生入学して肌に合わないから3ヶ月で中退して
20歳近くなって、親のコネでベンチャー企業にアルバイトとして入社して
周りはみんな優しくて温室のような環境なのが逆に不満だったりした。
でも1年半して会社が潰れそうになったので、転職サイトに登録して
(2005年当時はIT系は人手不足で俺みたいな経歴でもわりと潜り込めた)
今何をしていてもどこかで大逆転できるとたかをくくっていたから、
就職活動なんてせずに広き門を歩み続けてきた。
そんな俺も30歳を過ぎて思うのは、自己分析力やアピール力、
そして「嘘を付く力」が圧倒的に欠けているということ。
適当に生きてきた分、今になって苦労している感じだけど、
でもまあ、「0」を「1」にしたり「1」を「100」にしたりせずに
やりたい職種を進んできたので、別に潰れたりはしない。
起業の夢はとっくに潰えたけどな!
まあ何を言いたいかというと、
・就職活動の機会があるなら訓練の場として最大限に生かせば自分の糧になるんじゃね?(やったことないから知らんけど)
・就職活動に失敗しても、(アルバイトからでも)やりたい道に進んで時機を待ってれば、案外何とかなるんじゃね?
・エリートは嘘をいっぱい付かなきゃいけなくて大変だね^^ 嘘をあまり付かなくてもいい底辺っていいよね^^
って感じ。あじゃじゃしたー。
僕と同じ背丈で、同じ年で、違う町に住んでるけど同じ駅で家に帰るから、帰り道はよく一緒になりました。
卒業式の時に第二ボタンと抱き合わせに告白されて、時機も時機なのでオッケーして抱きしめてキスしちゃったそうです。
で、僕もそのことは聞いているからそれなりに話をしたりされたりする関係で、打ち解けてました。
でも、僕は彼女が好きでした。
僕は首都圏にある国立大学に進学して、彼女は地方の国立大学に進学しました。
しばらくは会えなくなるな、と、もしかしたら、もう縁が切れちゃうかもな、と、いろいろ考えて、悩みに悩んで、
で、告白したら、ふられました。
当然ですよね。二股を求めるなんて、失礼にも程があると思います。最低です。人外です。死ぬべきです。
大学に進学してからというもの、すっかり燃え尽き症候群となった僕は大して学業にもサークルにもバイトにも打ち込めず、成績は真ん中よりかなり下、サークルも幹部にならず、バイトも惰性で続ける有様、人生を不満喫していたのです。
それを受けてかどうか、就職活動も力が入らず、あまり労働環境のよいとはいえない地元の中小企業に内定が決まるやすぐに辞めてしまいました。
ぶちスライムをブーメランで刈り取るかの勢いで大企業に次々に内定する友人を見ておめでとうとは言うものの、大してコンプレックスも湧かず、でももったいなかったかな、と思うこともあり、もやもやぁっとした感情もありました。
で、地元に帰るかどうかというところで同窓会のおさそいが届いたのですね。
なつかしいなあ、みんなどうしてるのかなあ、と思う刹那、さっそくメールで返事を電信したわけです。
来てない人もそれなりにいたけれど、まあ半分以上は参加していて、そこに彼女の姿もあったわけです。
で、再会の思いを交歓したのですけれど、なんと彼女、彼氏とは別れたというではありませんか。
もうこの時点でぼくは自己主張してしまったのですが、それを隠しながらもいろいろ話をして、その場はおひらきになりました。
二次会に行く人は二次会へ、僕は家路につくのですが、彼女がついてきました。
なんだかいい気分だし、ぼくも冷めていないので、えいやっといちゃついてみたら、それやっといちゃつきかえされたので、もうここしかあるまいと、キスをしたらアルコール臭くて顔がムニェってなって、それを見た彼女が微笑んで、そのままホテルに行って昇華しました。人生の極相です。ぼくしあわせ。
という半年前の話があったわけで、今この増田を書いているのですが、彼女の浪費癖で家計がストレステストです。でも諦めちゃだめだよね。
トゥギャッターにまとめのあがっていた27歳病の話は全然ぴんとこなかった……。
それはそれとして今年27歳の俺が最近考えているのは、そろそろ世界に対してうってでる時機だ、ということだ。
就職して仕事に慣れて・給料も上がって・貯金もできて・仲のいい友達もいるっつーことで多分このままだらだらっと生きていけばまずまず幸せな人生が送れそうな雰囲気だ。
彼女はいないけど最近合コンに何回か行ったら、高望みはできないけど、俺が得意とするパターンの女っていうのは結構いるのでそういうのを狙うとかなりの打率で打てるとわかった。
30代には結婚も出来るだろう。
でも、このまま小さくまとまって人生を終えてはいけないと思う。
俺は一瞬でいいから世界に風穴を開けたい。
世界がひとつの会議室で、そこに沢山の人がいて、それぞれ小さな塊になってそれぞれの議題を話し合っているとして……、俺はそこで大きな声を出してできるだけ多くの人の注目を集め、自分の思いを伝えたい。
それで世界がどうなるってもんでもないと思うけど、まあせっかくこの世界にこんにちはとやってきたのだから思い通りのことをやった方がいいと思うんだよね。
要は会社辞めるぜってことだ。
そもそもなんで就職したかと言えば、就職する前はまともに会社勤めできる気がしなくて、だからこそ逃げたくなくて就職した(逆境にTRY)っつーことなんだけど、それについてはとりあえず俺は自分との勝負に勝ったと思う。
伊藤之雄先生も昨年本を出してるけど、こっちは不勉強でまだ読んでない。
瀧川先生は伊藤をよく弁護してるよ。「ヤヌスの顔」、硬軟両面があったって。
議会も設置して、自治をうながそうとしてたんじゃないかって。
でもさあ、あなたのような事実の認定は、してないな。
伊藤が二年で併合策に与した、という箇所は、この通り。
伊藤が翻意して併合を認めたのは、一九〇九年四月である。この年の三月三十日、
小村寿太郎外相は桂首相に「対韓大方針」および「対韓施設大綱」を提出した。
それは「適当の時機に於て韓国の併合を断行すること」を掲げ、韓国併合の閣議決定を迫ったものだった。
桂としては異存はないが、懸案は伊藤の意向だった。桂と小村は、
伊藤が併合に反対であることを熟知していたのである。
二人は伊藤に併合の直談判を行うことに決し、四月一〇日、相当の覚悟をもって上京中の
あなたは、最新の研究でも支持されている、伊藤が暗殺前に韓国併合に同意していたという物の見方を、
「『そういう説もある』程度の話」と一蹴するけれど、
では別の見解をいう研究者や論文は、具体的にどんなものがあるのだろうか?
ぜひ見てみたいから、教えて欲しい。見てみないとわからない。
伊藤・桂・小村の会談の事実は、伝えられているものと違うだろうか?
あるいは、伊藤が表向き続けていたかもしれない併合への慎重な態度の方こそ、
本心だったといいたいのだろうか?
そりゃあね、ここからの判断は、史料を読む側が決めることかもしれないよ。
だけど、総理大臣と外務大臣の訪問を受け、同意をあたえたというのは、よほど重い決断じゃないの?
俺だったらそっちを取るよ。
伊藤があくまで併合反対に固執するなら、閣議決定につながる言質をあたえるようなことは、するわけないんじゃん?
あとさ、高宗を退位させたのも伊藤でしょ?
いくら併合に慎重な姿勢をとってたからって、植民地経営の矢面にたって色々せざるをえなかったんだから、
恨まれて当然じゃない?
仮に、山県なり桂の方が併合推進派だった、と安重根が知ってたとしても、やはり伊藤を狙ったんじゃないか。
想像してみろ
何も築いてこなかったおまえらに
いわゆるレールの上を行く 男たちの人生を
おまえらのようにボォーッとしちゃいないぞ‥‥!
一流大学に入る‥‥‥
入って3年もすれば
頭を下げ
足を棒にしてやっと取る内定‥‥‥
やっと入る一流企業‥‥
これが一つのゴールだが‥‥‥‥‥
ホッとするのも束の間
すぐ気が付く
レースがまだまだ終わってないことを‥‥
まだまだ自制していかねばならぬ‥‥!
ギャンブルにも 酒にも女にも溺れず
仕事を第一に考え
ゲスな上司にへつらい
取り引き先にはおべっか
遅れず サボらず ミスもせず‥‥‥
毎日律儀に 定時に会社へ通い
残業をし
夏休みは数日‥‥‥
そんな生活を10年余続けて
気が付けばもう若くない
30台半ば‥‥ 40‥‥‥
そういう年になって
やっと蓄えられる預金高が‥‥‥
1千‥‥2千万という金なんだ‥‥
わかるか‥‥‥?
大金なんだ‥‥‥‥!
世間一般の道‥‥‥‥
つまり命を薄めて手に入れる場合は
これだけのことをしなければならない
それに比べて おまえらはなんだ‥‥!?
必死に勉強したわけでもなく‥‥‥‥
懸命に働いたわけでもない‥‥‥‥‥‥
何も築かず‥‥‥‥‥
何も耐えず‥‥‥‥‥
何も乗り越えず‥‥‥‥
ただダラダラと過ごし‥‥
やっとことと言えば
ほんの十数分の余興‥‥
なめるなっ‥‥!
でもマシじゃなかった。もうしばらく麻生に続けさせた方がよっぽどマシだった。それは認めるよな?
そこに関しては麻生に気の毒な面がなくはない。衆議院の任期切れという要素があって、2009年8月の時点での個人能力という点では麻生>鳩山であったにもかかわらず、自民党という泥船と一緒に撃沈させられたのは確か。
だが、麻生のやってることは「劣化小渕路線」とでも言うべきもので、決して褒められたレベルでも何でもなかったぞ。しかも、同じような性格の政策転換であっても、橋本→小渕のときよりも小泉→麻生の変化は、小泉が橋本よりよほど急進的だったという点で、有権者への裏切り度合いが極めて強い。到底、自民党政権をあと最大4年延命してもよいと思える要素はなかった。麻生は悲劇のヒーローなんかではない。安倍、福田のあとで有能なリーダーが求められるときに出てきたのが「それなりに無能」な麻生ではどうにもならん。野党案を丸呑みして小沢と連立してでもやるべきことをやった小渕と、端金の定額給付金一つで些事にこだわって時機を逸した麻生を比べればそれは明らかすぎた。
しかも、麻生内閣は中川(酒)で持ってた面が多分にある一方で、中川はいずれ時間の問題で再起不能になってたわけだから、結果論としても、麻生政権が継続していてもどうにもならなかった可能性が強いわけだからな。
http://anond.hatelabo.jp/20100324210157
思春期に彼女が出来ないような人間は後から何しても無駄じゃん、と。
よく、「学生時代に冴えなかった奴が社会的に成功して逆転」みたいな話があって
だから頑張れ人生はこれからだみたいに励まされるしそれは正しいんだけど、
恋愛とか異性関係については全然あてはまらないんだよね。
「本来異性に好かれないような人間が財産や地位を築き、そういうのに寄ってくる異性と付き合う」
1.客観的に醜い・見苦しい
醜いよね。社会的見下しの対象でもある。
(よく世間的な揶揄の対象になるのも、「正しいカップル」より一段以上低い・卑しいものだからだろう
「正しいカップル」最上位は勿論、若く互いにホルモンに突き動かされて付き合ってるような2人)
まずこれ目指して頑張るっていうのは俺は気力が湧かなかった。
2.時期のズレ
一番恋人とか欲しいのは十代から二十代の初めまで。 精神的にも肉体的にも。
二十代後半だの三十代だので異性に寄ってこられてもそもそもあんま嬉しくなくね?
少なくとも嬉しさ十分の一ぐらいかそれ以下だよ、思春期だったらに比べて。
また、その異性が同い歳前後だとすると、言っちゃなんだけど、相手の市場価値もがた落ちした頃だよね。
双方向から時機を逸する。
取引が成立する頃にはもう取引をする動機がかなりうせてるんじゃないかと予想した。
最重要。
だって、金や地位でひきつけた異性なんて、本当は俺の相手なんかしたくないわけで。
俺と居る間ずっと打算や仕事気分でいる人が欲しかったんじゃない。
俺のプレゼントを即効で換金して本当に好きな人にプレゼント買う異性にプレゼントしても楽しくない。
と考えるとこんなの全然、わざわざ獲得する価値がないモノとわかる。
(シミュレートすると、愛人作ってガッハッハというタイプの男のマッチョさは想像を絶する
相手が腹で自分を好いてなかったり憎んだりしててもそんなのお構い無しで楽しんじゃうんだから)
こういう予測を十代の頃に立てて、
(予測を立てたと言うかあらゆるルートの絶望が身に染みただけだが)
仕事や趣味は頑張ろう、しかし恋愛とかはすっぱり諦めて降りるしかないんだ・・・と決めた。
そして今二十代後半になった俺は、一応社会的ステータスのある資格の仕事についたけど
キリンですし元増田の言うことがよくわかる大人になっちゃいました。
とっぴんぱらりのぷう。
いや、どこまで行ってもこれは規模の問題だよ。
彼らの言い分を嘘だと認定するには彼らは多すぎるし時機も逸しすぎた。これがせいぜい数百人レベルなら話は違ったかも知れないが。
夜と霧
ヴィクトール・E・フランクル
収容所で集団を対象に精神的ケアをほどこす可能性はきわめて限られていた。これには言葉よりも効果のあるものがあった。模範だ。たとえば居住棟の班長の中に公正な人物がいたが、その毅然とした、見ているだけでも勇気づけられる存在は、ことあるごとに彼の統率下の被収容者に深く広く影響をおよぼしていた。存在、それも模範的存在の直接の影響は、言葉よりも大きいものだ。だが、なんらかの外的根拠を挙げて内的な共感をよびさますときには、言葉も有効だった。わたしは集団に話をし、外的状況を伝えて一居住棟のすべての被収容者に心の準備をさせ、精神的なケアに役立てたことがある。
あれは最悪の日だった。今しがたの点呼で、古い毛布を帯状に切り取ることも(即座にゲートルを作るのによく使った手口だ)、ほんのささいな「窃盗」も、今後すべてサボタージュと見なし、即刻、絞首刑をもって罰せられる、という布告がなされた。さて数日前、飢えかけた被収容者がじゃがいも倉庫に忍びこみ、数キロのジャガイモを盗むという事件が起こった。浸入は露見し、被収容者たちは、「侵入者」が誰か、知っていた。収容所当局は、このことをどこかから聞きおよび、違反者の引渡しを要求してきた。これを拒めば、収容所の全員に一日の絶食を課すという。もちろん、二千五百名の仲間は、ひとりを絞首台にゆだねるよりは断食のほうがましだと判断した。
この断食日の夕方、わたしたちはむき出しの土の床の居住棟にごろごろしていた。気分は最悪だった。ほとんど口をきく者もいない。なにか聞こえるとすれば、とげとげしい言葉だった。そこへ、停電が追い討ちをかけた。悪い雰囲気はここに極まった。居住棟の班長は賢明な男だったが、全員が耳をそばだてるような短い話をした。ここ数日に病死したり自殺したりした仲間のことを語ったのだ。そして、死因はさまざまでも、彼らの死のほんとうの原因は自己放棄だと言い、これについて、そしてどうしたら精神的な崩壊でつぎの犠牲者が出ることを未然に防げるか、少しばかり解説してもらいたいのだが、といって私を指名したのだ。
私は、心理学の視点から解説をしたり、居住棟の仲間に精神医として話をして、いわば医者としての立場から魂を教導するなどとんでもないという気分だった。寒さに凍え、空腹で、ぐったりとし、またいらいらしていた。だが、わたしは力をふりしぼって立ち上がり、このまたとない機会を利用した。なぜなら、今話をすることは、かつてないほど必要だったからだ。
医師、魂を教導する
こうして、わたしは語りはじめた。まず、とらわれのない目には、お先まっ暗だと移ってもしかたない、と言った。また、わたしたちはそれぞれに、自分が生き延びる蓋然性はきわめて低いと予測しているだろう、ともつけ加えた。収容所にはまだ発疹チフスはひろまっていなかったが、生存率は五パーセントと見積もっていた。そして、そのことを人々に告げた。わたしは、にもかかわらずわたし個人としては、希望を捨て、投げやりになる気はない、とも言った。なぜなら、未来のことはだれにもわからないし、つぎの瞬間自分になにが起こるかさえわからないからだ。そして、たとえあしたにも劇的な戦況の展開が起こるとは期待できないとしても、収容所での経験から、すくなくとも個人のレベルでは大きなチャンスは前触れもなくやってくることを、わたしたちはよく知っている。たとえば、とびきり労働条件のいい特別中隊への小規模な移送団に思いがけなく編入されるとか、同じような羨望の的の、被収容者を「幸福」で舞い上がらせるようなことは、いつも突然起こるのだ。
わたしは未来について、またありがたいことに未来は未定だということについて、さらには苦渋に満ちた現在について語ったが、それだけでなく、過去についても語った。過去の喜びと、わたしたちの暗い日々を今なお照らしてくれる過去からの光について語った。わたしは詩人の言葉を引用した。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験のなかで実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。そして、わたしたちが経験したことだけでなく、わたしたちがなしたことも、わたしたちが苦しんだことも、すべてはいつでも現実のなかへと救いあげられている。それらもいつかは過去のものになるのだが、まさに過去のなかで、永遠に保存されるのだ。なぜなら、過去で<ある>ことも、一種の<ある>ことであり、おそらくはもっとも確実な<ある>ことなのだ。
そしてわたしは最後に、生きることを意味で満たすさまざまな可能性について語った。わたしは仲間たちに語った。横たわる仲間たちはひっそりと静まり返り、ほとんどぴくりとも動かさなかった。せいぜい、時折かすかにそれとわかるため息が聞こえるだけだった。人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をもふくむのだ、とわたしは語った。そしてこの真っ暗な居住棟でわたしの話に耳をすましている哀れな人々に、ものごとを、わたしたちの状況の深刻さを直視して、なおかつ意気消沈することなく、わたしたちの戦いが楽観を許さないことは戦いの意味や尊さをいささかも貶めるものではないことをしっかりと意識して、勇気をもちつづけてほしい、と言った。わたしたちひとりひとりは、この困難なとき、そして多くにとっては最期の時が近づいている今このとき、だれかの促すようなまなざしに見下ろされている、とわたしは語った。だれかとは、友かもしれないし、妻かもしれない。生者かもしれないし、死者かもしれない。あるいは神かもしれない。そして、わたしたちを見下ろしている者は、失望させないでほしいと、惨めに苦しまないでほしいと、そうではなく誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしいと願っているのだ、と。
そしてしめくくりとして、犠牲としてのわたしたちについて語った。いずれにしても、そのことに意味はあるのだ、と。犠牲の本質は、政治的理念のための自己犠牲であれ、他者のための自己犠牲であれ、この空しい世界では、一見なにももたらさないという前提のもとになされるところにある、と。もちろん、わたしたちのなかの信仰をもっているものには、それは自明のことだろうし、わたしもそのひとりだ、と。
わたしは、ひとりの仲間について語った。彼は収容所に入ってまもないころ、点と契約を結んだ。つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。彼は意味もなく苦しんだり死んだりすることを望まなかった。わたしたちもひとり残らず、意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。この究極の意味をここ、この居住棟で、今、実際には見込みなどまるでない状況で、わたしたちが生きることにあたえるためにこそ、わたしはこうして言葉をしぼりだしているのだ、とわたしは語り納めた。
わたしの努力が報われたことを知ったのは、それからほどなくのことだった。居住棟の梁に電球がひとつともった。そしてわたしは、涙を浮かべてわたしのほうへ、礼を言おうとよろめき寄ってくるぼろぼろの仲間の姿の見たのだ。しかし、この夜のように、苦しみをともにする仲間の心の奥底に触れようとふるい立つだけの精神力をもてたのはごくまれなことで、こうした機会はいくらでもあったのにそれを利用しなかったことを、わたしはここで告白しなければならない。
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