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2024-04-06

anond:20240406102147

神道トップ明治時代でっちあげた国家神道での話だけどな。

明治新政府中央集権ゴリゴリやるためにやっぱり天皇を利用して神格化しただけ。

宮中祭祀を司る立場だったのは確かだけど、法王のような宗教トップですらなかった。

なんだかんだ、その時々の権力者に都合が良いから残された感じ。

2024-01-18

anond:20240118132937

英英欧(えいえいおう)

英英欧とは明治維新の頃に流行したスローガンであり、日本語翻訳することな英語のままで英語理解して欧米列強追随しようという理念を表したものである

戦国時代江戸時代にはまだ登場していない言葉なので、時代劇等で「エイエイオー」という掛け声で鼓舞するのは史実ではない。

しかし、これには理由があってのことであり、原因は明治維新後の思想の変遷とそれにともなう明治新政府政策にある。

明治時代初期に英英欧の思想学者の間で生まれると、電信電話網の発達もあってすぐに流行が広がった。

これにより、日本全国で「英英欧」という掛け声が広まっていく。

しかし、国学的な観点から英英欧思想批判も多く、英語日本語翻訳してから理解すべきという対立思想がすぐに多勢を占めることになる。

ことの成り行きを静観していた明治新政府は英英欧思想を取り止めることにしたが時すでに遅く、「英英欧」の掛け声の流行を止めることはできなかったのだ。

政府はこれに対抗するために、「エイエイオー」という掛け声には意味漢字表記も無くその場を盛り上げるためのただの掛け声である意味を後付けした。

さらには、戦国時代時代遅れで野蛮な武将たちに好まれた掛け声であるという印象も含ませることにした。

こうして、英英欧の思想国民の間で根付くことを政府は妨げたのである

時代劇等で殊更に「エイエイオー」という掛け声が使われるのも、当時の政府歌舞伎などの舞台演劇に対して「エイエイオー」の掛け声を用いることを積極的に推進したかである

さら時代が下ると、時代劇だけでなく政治家演説旧日本軍の掛け声などでも用いられるようになったが、無論これは英英欧思想の高揚ではなく国学思想の高揚であることは言うまでもないだろう。

2023-09-02

anond:20230902021424

教科書読めとか言ってる奴がいるけど、

日本幕末の混乱や明治新政府の動向を、清や朝鮮がどう見ていたかって、

高校教科書でそんなレベルまで掘り下げてなんていないよな

西太后はまだしも、大院君が日本をどう見ていたかなんて、立場が二転三転することもあって

教科書記述じゃ把握しきれないでしょ

2022-10-23

anond:20221023195536

神はゴッドでは?としか

キリスト教で言うところの聖霊八百万の神と言いたいのかもだが、

どういう理屈で神性を下げたりゴッドでは無いとしてくるのか理解が及ばない

 

日本宗教国家だがその宗教は「教義」「経典」「教祖」は存在しない薄ぼんやりしたものなので布教や説法などもしない

明治新政府に急に生やされた国家神道は(復活を試みている人もいるが)廃止になってるし

いまも参拝客がたくさんいるわけでもない神社氏子努力によって維持されている

 

かやた「教義」「経典」「教祖」が存在する宗教権威的だしお金も動くものよね

自然と思うのはフツーの感覚に思う

2022-08-03

anond:20220803100734

民主主義を壊すのはテロリストではなく、テロを受けた側の人々だ

薩摩御用盗を使ってできた明治新政府政府テロリスト政府だと言われてないんだから

テロリストが襲撃者をテロリストだと言ってるだけで

壊れたのは偽物の民主主義だろ

外国宗教団体メンバーを使った選挙操作でできた政府だって民主主義政府とは言えないと思うぞ

2022-07-09

明治新政府は、幕府大和国奈良)に大本営大和鎮台を設置した(西暦1868年2月明治元年旧暦1月)。のちには「大和鎮撫総督府」(やまとちんぶそうとくふ)と改称し、有栖川の東征軍で東北北海道に侵攻(西暦旧暦2月)。そして中国四国九州方面には「裁判所総督」兼「鎮台総督」(各軍司令官)を送って日田一揆などを潰し、裁判所技能地元の実力者やカトリック信者死刑にしていった

最高裁判事全15人を勝手に任命して退任した安倍晋三が、銃撃されて人工呼吸も受けずに死んだ場所は、そういうことで、死刑執行軍の発祥地でもある奈良だったとか

裁判所軍の工作員もいたんじゃないか

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2021-06-06

大河ドラマ見てるけど水戸てんでダメじゃん

水戸学明治維新のはしりになったのに、桜田門外の変平岡円四郎暗殺

更には天狗党の話とか、このあとも各派の一族郎党を巻き込んだ粛清合戦で多くの人材を失い、

明治新政府では存在感ゼロという、トータルマイナスと言っていい結果に。


内輪もめなんて内々に穏便に済ませとけばいいものを、殺し合いにまでなったのは、

水戸人の「怒りっぽい、理屈っぽい、骨っぽい」が完全に悪い形で出たというか、

世間一般常識から乖離していることも気づかないくらい、

閉鎖的で同族意識に凝り固まってたのが、破綻しかけて暴発したって話でしょ。

なんかもう、驚異的に頑固で要領悪くて先が読めてないっていう。


仮にも徳川御三家拠点だったのに、黄門様と徳川慶喜を出した以外、てんでダメじゃん。

2021-03-17

anond:20210317100909

日本政体としての「明治新政府も含め1000年近く軍事政権が続いたうえ、市民革命を経ていない」という特徴から来ているのではないか

なので、「長いものに巻かれろ」精神が根強いんじゃないかと思ってる。

討議といっても、「一番偉い奴が持ってきた答えを粛々と認めるだけ」の「最初から答えが出ている会議」がいかに多いことか。

森喜朗発言あらためて痛感した。

2020-11-24

anond:20201124102343

明治新政府以前は平民に「家族の考え方」ってのがなかったってことが言いたいん?

明治新政府以前は氏は一部の限られた人達特権だったんだぞ。それを氏という高級品を平民もも使えるようにしてあげた。

anond:20201124101953

名字」=「家族の考え方」だったら、明治新政府以前は平民に「家族の考え方」ってのがなかったってことが言いたいん?

それとも明治新政府名字義務化して「西洋家族の考え方」が少しずつ定着したって話をしたいん?

2019-10-04

明治新政府穢多非人抹殺しておくべきだった

圧倒的立場のある関電社長らは恫喝されたといって当初は死人に口なしだからでたらめいってるかとおもいきや助役人権教育講師だ。人権教育するやつが恫喝するという意味不明なやつら。だって同和だから関電の連中も特別案件と伏せてるけど同和に屈せず同和と言えばいいんだよ。蛙の子は蛙。同和の子は同和。部落の子部落の子。親からまれてくるのはその親のDNAだ。大昔年貢を抑えきれず逃亡した農民犯罪者穢多非人になる。社会秩序を保つための画期的システムだ。この身分は1.7%程度だ。今の自分という存在先祖を敬い先祖感謝するのなら、逆もまたしかり、いまの自分存在が子や孫にまでおしかかるのは認めなくてはいけない。裕福な農家下の人間にまともな家系図なんてあるのかしらんが、穢多非人はつまりとんでもなく古い先祖の行いがとんでもないほど悪かったということだよ。だからそういう遺伝子の交配だけをしているわけだからの子孫もろくでもない。悪いことをすれば地獄に落ちるというが、彼らや先祖は死んでからではなく生きてるうちに地獄へ落とされただけ。地獄は数十年で終わるわけでもないし何万年だ。人間は肉体ではなく魂、つまり遺伝子で生きている。つまり受け継がれてゆく遺伝子未来永劫地獄が続くということだ。

2015-12-07

僕は懐古主義というか非常に保守的なので

明治新政府が定めた夫婦同姓で勝手な改姓を禁じるというのはやめていただきたい

伝統回帰結婚したら新たな姓を創る自由があるのがいいと思う

もともと日本世界で二番目に姓が多いのはそのようにして自由気ままに姓を作ったからだ

本来であればお隣の国のように非常に少ない姓でもおかしくないのだが

日本では自分本来の姓である物部蘇我や源平藤原など以外に

上司名字を貰ったり、家のあるところや領地官位職業など自由自分名字を決めてしまった

マイナンバー制が進捗すれば姓は行政には必要なくなるので自由に好きな姓を名乗る自由やそもそも姓をもたない自由も認めないといけないのではないか?

2011-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20110829133330

歴史習わなかったのかよ。大日本帝国憲法法律幕府戦争に負けて、明治新政府が制定したものなんだよ。

その思想が国民根付いていて当たり前。

日本の実質はもう武士政権でも幕藩体制でもないんだよ。そこを理解すると数々のおかしニュースは納得がいく。

2011-05-06

県庁所在地名と県名が違う県は旧幕府側に対するなんだかんだという話がある(→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211070082)けども

さっき日米修好通商条約wikipediaを見ていたら

ただし実際に開港したのは神奈川はな横浜7月1日6月2日開港)、兵庫はな神戸であった。このことは条約を結んだ各国から批判もされたが明治新政府になると横浜神奈川県神戸兵庫県として廃藩置県することで半ば強引に正当化した

なんてかいてあったのだけどほんとうかしら

 
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