はてなキーワード: 明徳義塾高校とは
>実力がないけど勝たなきゃないんだから、勝つためならルール内でなら何をしてもいい、という考え方はよくないよ。
>完璧なルール作りが至難であるのだから、ルールには書かれてなくてもモラルでもって禁ずるべきことはあるし、
>それによって負けてしまうのであれば、それはまだ勝つべき存在ではなかったということで敗退を受け入れるべき。
>そして地道に力をつけて、堂々と勝てるようになった時に勝てばいい。
例えば1992年の星陵高校・松井秀喜の5打席連続敬遠についてはどう思う? 当時の明徳義塾高校の馬淵監督は「当時の星陵には一人、松井と言うプロが混じっていた」と回想している。素人の高校生が、事実上プロの松井にどうやって勝てばいいわけ?
>勝ち進むことが最優先目的であり最上の価値だと考える人間は「ルール内なら何をやっても、結果を出せばいい、結果が全て」とか言う人もいるけど、その価値観はよくない。
FIFAの大会行動規範には「勝つためにプレーする」という文言がありますけど?
1.Play to Win
Winning is the object of playing any game. Never set out to lose. If you do not play to win, you are cheating your opponents, deceiving those who are watching, and also fooling yourself. Never give up against stronger opponents but never relent against weaker ones. It is an insult to any opponent to play at less than full strength. Play to win, until the final whistle.
>卑劣な振る舞いをしたことで、一般人がサッカーという競技に興味を失ったり、子供が失望したり、世界から日本への信用(実力の有無への信用ではなく、誠実さへの信用)を失ったりして、それでもなお決勝トーナメント進出には無上の価値があるなんていうのは間違ってる。
卑劣かどうかは、主観によるよね。前述の松井五打席連続敬遠について言えば、当時は高知県民は比較的好意的に受け止めていた。
>別の言い方をすれば、大会内の順位ではなく、競技や日本サッカー界へのイメージへの影響なども含めてが結果なのであって、「結果が全て」ならそういうことも含めて考えるべきだ。
そんなことを言い出したら、ハリル前監督や西野監督の「ベスト8を目指す」という目標設定自体がおかしい、という話になてくる。
日本-ポーランド戦の後半最後の6分間の、日本のパス回しがフェアではない、という論調のニュースを聞いていて、表題のことを思いついた。
松井秀喜5打席連続敬遠とは、1992年8月の甲子園本戦において起きた出来事のこと。
30代~40代の人はリアルタイムで見ていただろうけど、若い人は知らないかもしれないね。
本戦2回戦の明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)戦において、明徳義塾が当時の3年の松井を五打席連続敬遠でバットを振らせず、結果として星陵が敗退した。
当時も、今回の日本-ポーランド戦と同じくらいの批判と議論が巻き起こった記憶がある。
wikiで調べてみると、試合後に明徳義塾高校の生徒たちに殺人予告まで送られてきたらしい。
当時、テレビで見ていた私自身も明徳義塾の敬遠のやり方を快く思っていなかったけど、それは私自身が「傍観者」だったから言えたことだったのだ。
高校野球・甲子園は県別対抗トーナメントなので、高知県民ではない私は明徳義塾には何の思い入れもない。
しかし、もし私が高知県民で明徳義塾を応援していたら、五打席連続敬遠の手法も受け入れていた可能性が高い。
高校野球は日本国内のローカルなのに対して、ワールドカップは国別対抗であり、私を含めた全ての日本人は傍観者ではなく「当事者」に引き上げられる。
当事者の私としては、ワールドカップの予選突破のためなら、汚名を受け入れてでもやってほしいと考えている。
日本人の一人としてワールドカップに熱くなれるのは、やはり過去20年間の日本代表チームの苦労を見てきているから。
1994年のドーハの悲劇、2002年の日韓ワールドカップの史上初めての決勝トーナメント進出、2010年の8年ぶりの決勝トーナメント進出、2014年の予選敗退・・・。