はてなキーワード: 早生まれとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/18aac0fcb692573b3f7c70a8b1f354f578deddd6
いじめた人は一瞬で忘れるが僕は一生恨んでいる、それはそう。じゃあ自分が一瞬で忘れて一生恨まれてる可能性に関しては考えないの?そこに言及のない人を俺は信用できない。
ブコメじゃあドッキリ番組で好感度上がったとか言ってる人もいてさ。ゲーってなる。ぴゅあぴゅあはーとかよ。本気でクロちゃんのこと憎悪してそう。
だいたい、いじめが問題だと思ってるならそもそもドッキリみたいなイジメ番組許すんじゃないよ。
俺もさ小学校までいじめられっ子だったのよ。早生まれでヒョロガリでさ。今思うと死んでてもおかしくない(自死ではなく)いじめもあって子供ってやべえなって思うんだけど。
中学上がるくらいに背が馬鹿みたいに伸びたのと転校したのでイジメにはあわなくなってまあ楽しくやってたのね。
表立っていじめに加担していたわけではないと自分では思っていたけど、いじめられてるのはヘラヘラ見てたし、あいつ置いて先行こうぜみたいのも否定しないし、加担してるな。これは加担してる。
その子は結局不登校になっちゃって、きっとその子にとっては俺も一生許さない相手なんだよな。
俺がもっと大人だったらもっとうまいことできたのかなとか、プリント持ってくときに一声かけたけど、それもあの子にとっては恐怖だったのかもしれないとか。未だに引っかかってるんだよ。
自分がもっと大人だったら、もっとうまいことできたのかなあとか。あ、なんか少し涙でてきた。俺が泣くような話じゃねえのにな。失礼だよな。
でもはっきり覚えてるだけでもコレだかんね。一瞬で忘れて、一生恨まれてることが他にもたぶんあるんだろうと思う。
人はどっかの時点で被害者でも、他のどっかの時点で加害者だったり、あるいは同時進行で他の人を虐げているかもしれないし、いじめっ子は家で虐げられてたのかもしれないし、とはいえ一生許せないっていう感情も否定できないし。
そういう葛藤、ねえのかなと。
俺自身はそんなにテレビみないからジャンポケの斎藤さんという人の人となりは知らなくて、記事で読んだことが全てなんだけど。
野球部から吉本だろ?偏見なのは承知だけどさ。その環境でいじめ的なものの被害者か加害者にならないことってある?
まあ表に出てないだけで葛藤はあるのかもしれんけどさ。せっかく勇気をだして壮絶な体験を語り続けてインタビューも受けてるのに、そっちがわの話が出てこないのは片手落ちというか、不誠実に俺はは見える。
送り迎えの時に見ただけでももう何回も、
同じクラスのクソガキがうちの息子を叩いたり蹴ったりしているところをみたことがある。
うちの息子は早生まれで成長が少し遅く、クラスの中でも小さく、おっとりしている。
あまり声を荒げたりすることはなく、嫌なことがあっても叩いたり蹴ったりすることはない。
だからだろうか、クソガキにターゲットにされているようで他の子には目もくれず
登園したらすぐにうちの子供のところに来て叩いたり蹴ったりする。
「他の子供にも強く当たることがあり、その都度注意している」という話だった。
まあ子供同士だし、仲良くしているときがあることも知っているからその時は引き下がった。
しかし、それからクソガキの暴力は一向にやまず、注意してみているが
今朝もクソガキが教室に入ってくるなりうちの子供めがけて走ってきて叩き出して
(母親は「こら、叩いたらダメでしょ」と口頭で優しめの注意をしただけ)、
園の入り口あたりで息子の鳴き声とクソガキ母の注意が聞こえたので恐らくまたやらかしていたんだと思う。
「叩いてくるから嫌だ」「好きじゃない」とべそをかいて報告してくる息子を見ると
幼少の頃、俺には親友がいた。
俺が通っていた幼稚園にそいつは転入して来た。俺たちはすぐに仲良くなった。
未熟児で早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。
そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。
一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、二人でドキドキして列に並び、名簿を見た。
俺たちは同じクラスだった。
放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。
家に遊びに行く前には必ず電話をした。
当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。
「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」
社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。
夏休み、一緒ドラゴンボールの映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。
ある時、そいつの家で、そいつの兄が持っていたドラクエ2をやった。
まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。あの難しいゲームを進められるわけがない。
どうすればいいかわからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言。
「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」
知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。
でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。
「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。
2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。
そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。
俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。
俺とそいつは手をつないで館内を回った。楽しかった。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。
船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。
3月になり、ついに別れの日が訪れた。
初めて乗る始発の電車。ガラガラの席に2人並んで、いつもと変わらない話をした。
どうか着かないで欲しいと願いながら、やっぱり行かないと言って欲しいと願いながら。
そんな子供の願いは当然叶うことはなく、電車はすぐに終着駅に着いた。
「バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」
5年生の頃だ。
俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉が不自由だ。
クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。
俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。
そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。
当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。
殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。
その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。
親には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。
その時自分を庇い、寄り添ってくれるような友人は一人もいなかった。
俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。
泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。
俺はそのシールを、当時自分にとって一番大切なものだったスーファミの本体に貼った。
なんて返事をしたかは覚えていない。
時は過ぎ、中学2年生になった。
あの別れから6年後。ついにそいつが帰ってきた。同じ学区内。同じ中学校だ。
その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、
鬱屈とした気持ちが収まることはなく、人から向けられる悪意に敏感な人間になっていた。
俺は早く親友と会いたかった。親友と再会すれば、きっと俺の味方になってくれる。
始業式の日、ドキドキしながら学校に向かい、クラス分けの名簿を見た。そいつと同じクラスだった。
教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。
俺たちは手を取りあって6年ぶりの再会を喜んだ。
どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。
そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。
そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、帰国子女であることを鼻にかけ、
スクールカースト上位グループに絡みたがるような痛々しいやつになっていた。
そいつは部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。
俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。
一緒に他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。
でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。
何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。
俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分の気持ちはあの頃から変わっていないと思っていた。
でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。
いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで自分のプライドを守っていたのかもしれない。
俺の部屋の、そいつから貰ったシールが貼られたスーファミは、その頃にはもうプレステに代わっていた。
つい先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。
ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、
そして人生で一番辛かったときに、そばにいてほしかった。俺を救って欲しかった。
そうして育んだ絆の上になら、きっと「それ以降」が続いたはずなんだ。
今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽を聴くと、少し涙が出そうになる。
「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺には幼少の頃、親友がいたんだ。
今年で40歳になる。心の中では、年が明けたら一つ歳を取るような気分でいる。だが私は早生まれではないので、口に出して「40です」と言うと、誕生日の頃に混乱が生じるので、言わないけど。
四年くらいで坂を転げるように老け込んで、顔の造形自体はあまり変わっていないのにヨボヨボな印象になった。人って、こんなに簡単に老化するんだ……。
最近は、首が痛くてラジオ体操で空を仰ぐようなポーズをするのが辛い。『きのう、何食べた』でシロさんが「死なないために健康に気を配らなくてはならない年齢」を嘆くところが刺さり過ぎてつらい。
うつぶせ寝で本を読みながら脚をバタバタさせると、不意に膝があらぬ方へ曲がって「あ゛ーーーっ!!」って本気の悲鳴出る。奥歯をせっせとフロスしても歯間はドブのような臭い。
この間、子供の習い事の保護者会があった。上級生の子の親達は年齢がかなりバラけていて、下はピチピチの30代、上は余裕の五十路。下級生の保護者の一人が、ある上級生保護者コンビに面と向かって、
「ずっと二人は親子なのかと思ってました」
と言った。そしたら二人のうちの年上の方の人がすかさず、
「それって私が娘ってこと?」
と言った。その切り返しの速さたるや。年長者の人達はそういうのが上手い。そんな風にさらっと受け流すスキルが身に付くなら歳を取るのも悪くはないなとおもうけど、誰もがそんな風に歳を取るごとにコミュ強になったりはしないんだろうな。
いい加減もう女を降りたいと切実に思う今日この頃だったりする。接客業なので仕事のときだけはがんばって身綺麗にはしているけれど、若い女の子と張り合っているように見られるのが嫌だ。
同僚で、唯一の私と同年代の人がいて、その人は私より一つ年下なのだけど、ある日イメチェンして前髪を眉の上で切り揃えたところ、男の客からいきなり
と暴言を吐かれた。たかがそんなことで言われなきゃならんのか。
私はこれはこれで見苦しいとか苦情をつけて来る奴はいるだろうなと思いつつ、白髪をあえて放置している。まだ目立たないからではなく、むしろかなり目立つ量だが真っ白になるには程遠いくらいの量の白髪だ。この通りばばあだからかまってくれるなと思いつつ、存在感が透明な空気になってほしいと思いながら働いている。
こんなんだが、楽しみのない人生を送っているのかといえば、そうでもない。漫画や小説を読むのが若い頃以上の楽しみとなっていて、新刊の発売日を心待ちにしている。が、心待ちにする時の思いがいまだかつてなく悲愴だ。
発売日まであと何日。無事購入して読みきるまで私はがんばって生きるし、家族も世界も健やかに平安無事に生きていてくれと、切実にねがってやまない。
産む前から男女の産み分けとか早生まれは損とか産む時期まで言われて偏差値60くらいの子育てをしろと刷り込まれる。競争の始まりだ。
妊娠中にはサプリを飲め、薬を飲むな自閉症になるぞ、体重を増やすなよと毎週いわれ、血糖値を上げるな運動してヨガしろ、夫婦で上手くやってますか?産んだあとやっていけるか?と言われる。必要なことでもあるんだけど、中々これも辛い。体重とか言いすぎレベルで言ってくる。これのせいで傾向として低体重になってないか?
産んだあとは産んだあとで、子守のようなのんびりと見ているだけの育児なんか許されないからね。予防注射ラッシュにはじまり母乳育児の推奨で母親の乳首は裂ける。
発達段階のチェックで親は自分の子供が発達障害じゃないかビクビクし遅れがあったりちょっと変わっていたら周りの人間にごちゃごちゃ言われる。コーチングや療育の本を読み、公園で話しかけてくるスピリチュアル育児女や詐欺師や宗教野郎から逃げながら、変なママ友やマウンティングママ友をいなし、子供と遊びながらコミュニケーションを取り、語彙を増やし適切な関わりを覚えさせて行儀よく育てないと幼稚園や保育園の面談で長々言われる。いつまでも育児書を読まない夫の不適切な関わりも訂正かつ教育だ。やだてられっかお前Excelの本読んでるだろ育児も勉強しろよ。育児も勉強しないともうついていけない時代が来ている。ソーシャルスキルトレーニングにレジリエンスをもたせる方法、声掛け変換表、プログラムの勉強、賢く育てるには?行儀良く育てるには?発達障害の診断が降りたなら二次障害を防ぎましょう!親がすること多すぎ!
偏差値60以上をみんな目指して子供にリソースを注ぎ込むのが普通。そしてうまくいくお家のお子さん群がM字の上の方にごちゃ~っとたくさんいて、その子達が今の主流。しつけの行き届いた見た目の清潔で明るく自分の気持ちをきちんと話せる子たち。
真ん中がガクッと減る。一番少ない。適当に
そして下もどちゃーっといる。
そしてトラブルがあればすぐ親が呼ばれる。仕事してても呼ばれる。トラブル対応も毎度しないといけない。共働きを想定してない。毎度毎度ばかばかしーことでよばれる。保護者同士もうんざりしてて、そんなことでお互い電話やめようぜ…みたいな家も多い。噛んだくらいで菓子折りとかアタオカか?そういうのを求める家もある。アタオカだ…と評判のお家もある。もうめんどくさい。モンペ対応が主流になっててわけわからん。子守なんてのんびりしたもんではない。親にはかなりの社会性が問われつづける。
そんなに長く生きたいと思えないので、もしものために遺書代わりで投稿します。
どうせすぐには死ねない。
今は転職して2つめの会社に所属してるが、生きることが辛く感じてしまっている。
ITから流れに流されITに転職したが、職場に行くのも辛いし、そもそも働きたくない気持ちが増すばかりだ。
前職は1年ちょっとで辞め、1年もブランクを空けて結局IT。入社して2ヵ月、現場配属されて1週間でこの様だ。
強いて言えば今はシフト夜勤勤務であるが、そうなる以前から苦しかった。
とにかく原因がはっきりとしない。
お医者さんに訪ねる事も考えたが、現住所から行ける場所だと予約で溢れている。
行きたくても負担ばかりかかる。
趣味はある。でもそれが生きる気力になれていない。
やりたい仕事もある。そう思っていたが、いつの間にか何も無くなってしまった。
転職活動してもIT経験者に該当されるからか、次の就職先とIT絡みになってしまう。
直接はいわないが、IT以外はブラックだと脅されているようにも感じる。
その癖、まだ若いから大丈夫と言ってくる。(今は24歳、早生まれ)
いまは早くこの世を去る事ばかり考えている。楽になりたい。
少なくとも40代50代まで生きていたいと思えない。
安楽死があればいいのにと常に考えている。
誰かに助けて欲しいから、こうしてネット上にあげているのだと思う。
ただそれが叶わないのが現実でもある。
知らない一人の為にできる人はいない。
何かを宗教している人が羨ましく感じる時がある。
何かに狂って縋りたい。
それだけで救われるかもしれないから。
とにかく客先配属は向いていない。衝撃だったのが配属先面談の時。経歴のシートを用意する必要があるが、1年のブランクを無かった事にして、前職に2年勤めたことになっていた。この業界では良くあることだそうだ。
正直それが本当にキツい。ずっと嘘をついていることになる。
客先配属は週行場所がコロコロと変わるのも辛い。落ち着いて過ごせない。
息が詰まる。
楽になりたい。
Twitterにも全く同じ文面を投稿したが、かまってほしいんだろうな。
面倒な人間だよ。