はてなキーワード: 日本語とは
https://anond.hatelabo.jp/20240506061423
短歌の結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。
多くの人は短歌と俳句が同じ短詩型文学であるから、短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。
なぜなら、両者は表現のアプローチが正反対だからだ。短歌は風景と言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである。
短歌を詠むということは、言葉に情念を圧縮するということだ。穂村弘は短歌を爆弾に喩えたが、自分の情念を読み手の心奥深くに埋め込もうとするために、言葉の選定や配列に独自性をもたせていく。風景すらも歌人にとっては情念の道具に過ぎない。日本語に己の爪痕を残してやろう。世界は我が情念を表すために存在するとでも言わんばかりの自意識過剰さでもって詠むのが短歌というものだ。己の全情念を31字にすべて押し込めようとするエゴイズムこそ短歌というものの醍醐味である。誤解を恐れずに言えば優れた歌人とは己の日常を糧にした自意識の純粋培養物なのである。
それに対して俳句を作るということは、言葉で風景をカットする行為だ。17字というフレームの中に厳選した風景の要素を置いていく。私は風景から要素を抽出するための機械でしかない。俳句にとって情念はノイズでしかないのである。
このような対比で見ると、短歌を詠む人が17字は気持ちを込めるのに少なすぎる、となぜ思いがちなのかが分かるだろう。字数云々ではなく、根本的にその容器は、あなたの情念をしまうところではないのです。高級フランス料理の小さなお皿にニンニクましましラーメンを入れようとする無理な行為なんですよ。俳句を作るなら、あなたが後生大事に抱えているその情念は捨てましょう。わかりましたか?
そうは言っても短歌人はやめられない。短歌を苦しみ抜いて詠んだきたのだから、この情念は捨てられない。世界中から笑われようとも俺はこの17文字に俺の心情を詰め込んでみせる。31文字でできて17文字でできないことはないっ。ここに俺の私の僕のアイデンティティがかかっている。
という具合に短歌は人に冷静さを失わせ、言葉を発するときに自意識を手放すことができなくさせる。そしてどんどん俳句の精神から遠ざかっていくのである。だから短歌を詠めば詠むほど、俳句は作れなくなる。
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一茶の句は反例にならない。
ここに上がった日本語の記事は読む価値ないな。真ん中のニュース記事も記者の偏りがある奴だしお前記事読んだ?この内容で論拠になると思ってんの?韓国の新聞記事とかでだしてくんない?せめて。
あと影響があるとしたら中国本土だけだよ。これは本当。台湾と韓国とか正直上野千鶴子が社会を変えるほど影響与えてない。だからお前が何言ってんのか全然わからない。ただの妄言流布じゃん。
パートのおばちゃん、海外では正当に評価されるっていうより最低限やってりゃみんなオッケー(というかクオリティの高い仕事を期待してない)ので仕事がクソ雑でもオッケーってだけじゃん
日本人がなんであんな安いパート代で丁寧な仕事してんのか、奴隷根性染み込んでるなとは思うけど別に高いクオリティの仕事したって特になんも評価もされなくね 不思議がられるだけで
奴隷同士なぜか安いパート代で丁寧に接してるから、全然金かけなくても安全で何でもそこそこいいサービスが受けられるし、金かけなくても飯はうまいし、金がないなら日本に住むのは最高だよ
ここ笑っちゃった
今日は入院している祖母に会いに行く日だ。入院前はもう呆けて風呂も入らないぐらいひどい状態だったが、入院してからはちゃんとしているらしい。
それはそうと、lispでpython環境を構築する話だが、結局オートコンプリートはうざいし、使う機能といったらautopep8とisortぐらいなので、以下を.emacsに組み込んだ。
(defun python-autopep8-and-isort () "Run autopep8 and isort on current Python buffer." (interactive) (when (eq major-mode 'python-mode) (shell-command-on-region (point-min) (point-max) "autopep8 - | isort -" nil t))) (with-eval-after-load 'python (define-key python-mode-map (kbd "C-c C-r") 'python-autopep8-and-isort))
.emacsファイルには他にも様々な設定を付与したが、ここではコードを書ききれない。
さてそういうわけで週末コーディングが趣味としてちゃんと機能することはわかったが、毎週作るとなると、いくつも何かを作るよりは一つのタフなものを作りたいと思うわけである。
それで、最有力候補は「Elasticsearchのようなものをpythonで実装する」という話がある。
Elasticsearchが徹底された設定外部化によってjsonを多用するのだが、これがあまり柔軟性がないので、コードを直にいじれるようにしたいと思ったためである。
例えば自作の日本語トーカナイザを組み込みたいときElasticsearchプラグインをJavaで書かなければならない。私はJavaが嫌いであり、プラグインを「インストールする」という手順も冗長に感じる。
それよりはpythonで作られた検索システムに、適当なトーカナイズ関数を実装して呼び出すことができればかなり柔軟であるように思うわけである。
難しい点があるとすれば、大規模分散システムへの対応で、金をかけなければそういうシステムをテストすることができない。
できるだけ金をかけずに趣味をやるというのがモットーなので、これではまずいわけである。
まあ何事も困難というものはある。まずは手を動かすことが重要だ。Linus Torvaldsも"Talk is cheap, show me the code"と言っているではないか。
「よろしい」自体は普通の日本語なんだし意味がわからないってことはないだろうけど、どういうニュアンスで言っているのか推し測りかねていたのかも知れないね。それで一瞬とまどったみたいな。
ほとんどの学会はオンライン開催からオンサイト開催に戻ってしまった。ポスター発表が盛り上がるような良いシステムがないので得るものが減るし学生の未来がひいては学問の未来がヤバイのが理由である。
「学会も全部オンライン開催でよかったのにみんなオンサイトに戻った」のを不満に思っているのを確かGW前の増田で見た気がする。
まあ学問を仕事にしている人ならわかっているが、私は仕事にしている人ではないし、ここは増田なので書いておく必要があるかもしれない。付録にして後ろに置きたいが先に書いてしまおう。
コミックマーケット準備会とコミックマーケットに対応しているようなものだ。コミケットを開きたいから準備会を設立する必要があったんですね。
ただ、両方を指して学会って言ってるようなもんでなんでそんなめんどくさいことになってるのかは私の分野ではないので知らない。日本語関連の先生に聞いてください。
新型コロナウイルスcovid-19が流行り始めて対処も良くわからない時期があった。今なら換気してマスクしてワクチン打って手洗いうがいをすればかなり抑えられることがわかっているが、2020年、ダイヤモンドプリンセス号が魔界の船のような雰囲気を出していた時点ではそうもいかなかった。
というわけで現地開催が無理になり、急遽学会中止にしたり、スポーツで言う無観客開催のように予稿集に載ったことで発表したことにするね!現地には来ないでね!といった対応をとったりした。全部未発表扱いにした学会はあったのかな。私は知らない。
病気への対処は全然わからない時点でも、学会を開催する側は来年の開催を考える必要が出てくる。学会の準備って9か月前ぐらいからやってるんで。なんなら会場の予約は1年前にしとかないといけないんで。
そこで注目されたのがオンラインである。結構昔からオンラインで会議できることは知られていたしZoomは急速に普及した。それにyoutubeの動画でイベントや講義の動画を発表したりするのは以前よりよくやられていたから当然の帰結である。
vimeo使ってもいいし、youtube使える場合だってあるし(学会計画時点でだれでもyoutubeliveできたのに計画中にチャンネル登録が一定以上じゃないとできなくなって慌てて違うのを探したという事件を聞いた)、ニコニコだっていい(参加有料の学会をニコ生でやったのは知らない。一般向けの講演ならやってるのは見た)そもそも動画とっといてUPしてもらえば何とでもなる。
そんなわけで2021年から既存の学会がたくさん、オンラインにいったん移行した。
これはある程度うまくいった。講演や口頭発表のように、広い会場で一人が発表して、司会がほんの少しの質疑応答を仕切るスタイルだと、質疑応答がオンサイトよりやや盛り上がらないぐらいでほとんど問題にならなかったのである。なんなら質問はテキストでのみ受け付けて司会が代読するスタイルにすると演説始めるような変な質問者をはじけて最高。それに住んでいる地方に関係なく参加が簡単だし、おまけに講演者に外国で活躍している人を旅費なしで直接呼べちゃう。さっきまで動画でしっかり講演してた先生がリアルタイムの質疑応答になったらコロナで息も絶え絶え熱が下がんねえよって言いながら回答してたのは不謹慎ながら未来を感じたりした。
ところが大きな問題があった。懇親会とポスターセッションである。
あんなん飲み会じゃんと思う人がいるかもしれないが、基調講演するような偉い先生に対して講演の質問をできる機会というのは貴重である。懇親会に出てくれるから細かい質問は後にしろって講演の時に質問ぶった切られたりするしね。それができないんなら全部質問させろってことになりかねない。
それにそういう質疑のサブセットがフラクタル状に起きてるのが懇親会なのである。
でもまあ非常時だから仕方ないよね疫病だもんねっていうのでまあ納得できるぐらいのダメージではあった。
ポスターセッションというのは、会場に模造紙サイズのでかい紙を貼れる板を何十枚か用意して、そこに研究の成果を貼って、来た人に研究の説明をして、来た人の質問をもとに議論するっていうセッションである。
すげえよな2024年なのに板に紙貼ってるんだぜ紙。布もあるけど。私は全ポスターがモニターやプロジェクターになった学会は見たことない。多分お金と土地と電力が足りないんだと思う。
オンライン学会のポスターセッションではいわゆるZOOM/WebEX/Teamsみたいな会議ツールがよく使われた。Zoomのブレイクアウトルームでよく参加したなあ。わーい紙じゃない未来が来たぞ。
これの問題としては
などがある。
あとはoViceみたいなオンラインオフィス系統もあった。オンライン会議に比べると比較的質疑し易くはあるんだけど、一方これだけで学会しようとするとこの形式は講演がやりづらいとか資料が見づらいという問題がある。
どのシステムでも質疑応答が盛り上がらないし、質問する方は回れるポスターが減る、質問される方は場数が踏めないし、質疑応答から生まれる新しい発想なんてのも生まれてこない。
結局、多人数が発表していてさらに多人数が質問するけど質問者は発表者一人一人の声がクリアに聞こえなくちゃいけなくて、なおかつ空いた発表がどこなのかわかりやすいツールはまだ出てきてない。
そりゃVRChatの部屋みたいなところでポスターセッションできればいいと思うよ。でも同時に2百人とか3百人とかは入れないじゃん。3百人いて発表者30人ぐらいをさばけるシステムがないんだ。どうしても時間あたりに議論に参加できるポスターの本数が減っちゃうんだよな。
学生さんが充分な質疑応答の経験を積めないということは、学者としての経験値が不足するということだ。ということは学生さんの成長がヤバイ。学生さんが成長しないということはその学問の分野の未来がヤバイ。なんのために学会やってるんだっけってなる。
そんなわけで、covid-19の対策が進んだことにより学会はオンサイトに戻っていった。
オンラインだけだと不都合があるのは分かった。じゃあハイブリッドにしてオンサイトオンリーはやめてほしい。
うんわかる。参加者からそう言いたいのは分かる。特に参加費より旅費交通費が大きい民は特にそう思うと思う。わかるんだけど、発表者にオンサイトポスター見ながらオンライン会議の質疑応答もやれっていうのは負担が普通に倍なんで無理です。学生さんだぞ。ネットでレスバしながらゼミ受けろってのと変わらん。何の拷問ですか。
あとな、オンライン学会のシステム利用費、なんかリアル会場に引けを取らないぐらい高い。運営したらわかる。ピッタリ一緒じゃないけど、10分の1で済むとかそういう感じにはならない。桁がおんなじ感じ。
つまりフルにハイブリッドでやるとお値段がだいたい倍かかるんだ。参加者が倍になってくれないと割が合わないよな。で、倍にならなかったんです。
結局、いままだハイブリッドやってるとかは相応に頑張ってるので応援してあげてほしい。あとポスター少なくて口頭発表と講演中心の学会であればオンラインも十分やっていけると思う。そういう学会を自分でやるしかないんじゃないかなあ。
学会がオンラインだけに戻るのはポスターが盛り上がる発表システムがないと無理。そうじゃないと学生と学問の未来がヤバイ。オンライン学会向けの発表システムについては今後の課題である。
どっちも複数人のプロファイル設定できるのにデバイス自体の設定言語を選ばなきゃいけなくてプロファイルごとに設定できない
使えるだろ?て言われたらそりゃ使えるけどさ、ゲームで言えばコンソールの設定言語に紐付けしててゲーム内で設定できないゲームとかあるし(まずそこがくそ)テキスト多めのゲームは日本語で遊びたいんだよ
車で言うとテスラって音声コマンドがメインでグローブボックス開け閉めすら音声指示しなきゃいけないわけで発音明瞭にしなきゃいけないし車の運転してる時くらいできればリラックスして母国語使いたいんだが
私のYoutubeのリストに、真田広之のSHOGUNの反応動画が山程出る様になった。
だけど、動画のサムネイルに「この"直"後」(直は中国語)とか「"将"軍」(将も中国語)
※ とくに「この直後」の方は、「この直後批判殺到」とワンパターンな奴が非常に多い。
直も将もHTML側では地域に即した文字(即ち日本語の表示)に変換されるんだが、
2年間も何やってんの。
っつーかこんだけ時間かけんのって法律的にアリなのか? 勾留期限とかないのか?
wikipediaもなんか山上容疑者の日本語記事ねーし。誰か消してんの?
検察は一体何をやってるんだ?
小学校では土足で顔面蹴られて出血した。口の中に砂利が入って何とも言えない屈辱を感じた。
男子なのに男子のドッジボールにも混ぜてもらえない。仕方なく女の子と遊ぶ日々だった。
スポーツしたくても出来なかった。
そんな毎日が6年間続いた。最悪だった。もう戻りたくはない。
なんだかんだ不登校にはならなかった。
中学校では逃げているのに追いかけて足を蹴ってくる連中がいて辛かった。暴言も酷かった。
就活で大手財閥系保険会社の一時面接に日本語で手書きで書いた履歴書を提出したら40代の女性面接官、「漢字が書けるんですね」爆笑。きゃははは・・・
正直怒りが・・・
電車に乗ると「あ、外国人だ!!」と子どもに指さされて言われる。私は日本国籍です。
面談でも「日本語上手ですね!」って言われる。いやいや、私は30年以上日本に住んでますけど・・・
お寺でインド人らしきお坊さんに英語で書かれたお寺のパンフレットを渡される。
いやいや、徒歩10分圏内の小学校の校区でほぼ毎日通りますけど、そこ・・・ だいぶ前から知っているんだが・・・
彼女に英語アピール?カッコイイところ見せなくていいから、日本語で話せよそこ
正直何人でもいい。私は私なのでね。見た目は変えたくないし。
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あなたが経験してきた苦労や挑戦について共有してくださり、ありがとうございます。それは非常に困難な経験であったことは間違いありません。
人々が異なる背景や見た目を持つ人々に対して持つ先入観や偏見は、社会全体の問題であり、それによって個々の人々が直面する困難は深刻です。それは、学校でのいじめから、就職活動での差別、日常生活でのステレオタイプなど、さまざまな形で現れます。
あなたが述べたように、「普通」や「異なる」は相対的な概念であり、それぞれの人が持つ独自の価値観や視点によって定義されます。そのため、「普通の人がいい」という表現は、その人が何を「普通」と考えているかによります。
あなたが経験したような困難に直面している他の人々に対して、あなたの話が大きな助けとなることでしょう。あなたの経験と洞察は、他の人々が同様の状況を理解し、それに対処するための道筋を示すことができます。
最後に、あなたが誰であるか、あなた自身が最も価値のあることです。あなたの経験、あなたの視点、あなたの存在は、あなたをあなたたらしいものにしています。それは誰もが尊重すべきことであり、それがあなたの力となることを願っています。。どんな困難にも立ち向かい、自分自身を大切にしてください。。あなたの幸せと成功を祈っています。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
(。 の無限ループ)