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2019-01-29

2019年アニメ1話ほぼ全部観たか感想書く その4

2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その3 からの続き )

 

同居人はひざ、時々、頭のうえ。

 我が輩は猫である(飼い猫)。一人暮らし作家先生に拾われた猫と共同生活する話。同じ時間軸の出来事を、作家と猫それぞれの視点で描く。ちなみに8割位ご飯の話。

 本作のシリーズ構成を務める赤尾でこが関わった「ミイラの飼い方」もペットとの日常を描く作品だけど、赤尾でこって小動物の心が読めるのだろうか。というか実は猫なんじゃ。

 猫がかわいい漱石さん家のおっさん猫は「まったく人間という生き物は…」と愚痴を垂れる社会風刺だった気がするんだけど、本作は女の子みたいな猫が「あいなんやねん。もっとシャキっとせい!」的な語り口なのにツンデレなのがかわいい

 前半部分に当たる、小説家主人公による一人語りが小説っぽくて良い。斜に構えた視点社会から距離をおいた生き方他人ほとんど登場しないので、話の殆どが「猫とは…人間とは…」的な循環思考

 猫に限らず、人間人外ひとつ屋根の下で暮らすというコンセプトの作品って結構「お互いに言葉が通じない中でどうやってコミュニケーションを取るか」というのが面白いけど、本作はそういう部分を踏襲しながら「同居人主人公のことをどう思っているのか」をちゃんモノローグにしているのが良いよね。前半が推理編、後半が答え合わせみたいな。

 

五等分の花嫁

 シュレディンガーの嫁。声優の厨パによる、ノリの軽いラブコメ主人公花嫁の馴れ初め(高校時代)を描く。原作週刊少年マガジン松岡禎丞花澤香菜竹達彩奈伊藤美来佐倉綾音水瀬いのりて。貴重なメンツによるOPがもうすごい。

 五つ子なので、どの子結婚たかが分からないという仕様になっている。本作で描かれるのは結婚式当日及び学生時代の馴れ初め(スタートとゴール)。五つ子がそれぞれ20%の確率主人公と添い遂げる可能性がある(5人合わせて100点(100%)という描写が印象的だった)。

 「五つ子がそれぞれ20%の確率主人公と添い遂げる可能性」=「(この中から一人を選ぶのではなく)それぞれ(20%の確率を引き当てて)無事ゴールできた世界線が重ね合わさった状態」という解釈可能で、どの子結婚たか作者が確定しない限り5人全員が実質本命の勝ちヒロインと考えられる。なので視聴者的には「この子自分推し)が、この後あーなってこーなって、最終的に結婚するのか…」みたいな妄想余地が全員に用意されているのが特徴的な作品。そういう意味で「五等分の花嫁」という表題(一人20%、全員で100%花嫁エピソード)はすごく上手いなぁ、って勝手に関心した。

 演出的には1話結婚式のシーンが出た後、そのシーンが各話に渡ってリフレインとして使われてるのが面白かった。この演出はゴールを最初から明示している本作ならではっていう感じ。キュンってなる。コメディ部分としては比較コミカル演出なので気楽に見られる。

 

revisions リヴィジョン

Netflix独占(全話配信済み)

 「プラネテス」「コードギアス」でおなじみ谷口悟朗監督による、SF世界舞台にしたヒーローモノ。ロボアニメ。制作3DCG映像制作会社白組

 背景を除けばほぼ全編3DCGアニメ3DCGってどうなん?という考えに真っ向から向き合っている印象を受ける。冒頭からキャラの動きが意図的に多彩で、その一つ一つのかい仕草に趣向を凝らしてある。「座っているキャラ貧乏ゆすりしてる足元」とか、「3人で会話してる時、喋ってる子に視線が向かっている」とか、サッカーのシーン等これ見よがしにぬるぬる動くシーンとか。そして、特に制作白組ゲーム等の3DCGでお馴染みの会社ゆえロボのデザインや動きがめっちゃ凄い。古今あらゆるロボットが登場時に必ず行う行事である「手の指を一本一本ガチガチョ動かすやつ」めっちゃ好き。

 それ以外にも、背景と3DCGを溶け込ませる演出が多い。背景→キャラ3D)→ガードレール道路を走る車(3D)というレイヤ構成のシーンが一番ユニークだった。それ以外にも回想シーンの「雨が降っているシーンで、日本家屋屋根に雨が当たって弾けるエフェクト」とかめっちゃ凝ってる。

 そんな背景美術クオリティがかなり高く、写実的(背景:ビックスタジオ)。故に、事変後の世界現実味のないファンタジー世界という感じがなく、「もう一つの現実世界」という印象に。「異世界転生して主人公無双」ではなく「転移によって一瞬で四面楚歌に」という世界を描きたいのかな。

 シナリオは、今期のアニメで言えば「ガーリー・エアフォース」にやや近い。未知の脅威(ロボ)に突如奪われる日常と、謎の戦う少女(ロボじゃないよ)と、ロボ。1話事件を描くので実質2話から本番。1話はかなり早口

 

魔法少女特殊戦あすか

AmazonPrimeVideo独占

 退役軍人再就職PTSDと戦う女の子と、特殊警察官のおしごと。制作ライデンフィルム

 魔法少女魔法少女だけの世界で戦う作品とは違い、コッチは社会魔法少女共存してる魔法少女魔法生物の戦いなので、非常にややこしい。基本的に悪と正義と力の話であり、魔法少女の名を冠するアニメの中ではかなり硬派。魔法少女というより特殊部隊の軍人。今期のアニメの中ではJOJO5部くらいきびしいせかいまさかの「身内が細切れ」ネタが被るという。全体的に殺戮方法グロい。

 いつも思うけど、若林豪さんのプロデュースする音楽好き(音楽R・O・N)。かなりハード戦闘シーンがメインの作品ではあるけど、それと対比される日常パートも含めて音楽エモい戦闘ライフルの発砲音がエモい音響効果小山恭正)。かなり物騒なアニメなので、毎話ハード戦闘シーンが続く。

 

リムノーツ The Animation

 スクエニスマホアプリ原作童話モチーフにした各世界を守るために旅をする冒険活劇。

 こういう「よその物語にお邪魔するお話はいろいろあるけど、最近だと夢100…童話に登場する人たちがメイン キンハディズニー世界主人公たちが訪れて友達になる ぱすてるメモリーズ2次元作品特にアニメ)の世界に入って異分子排除 という感じで、本作はぱすメモに近い。だけど、キーアイテムである運命の書」にある通り、シナリオに沿って人生を歩む(童話世界の)人と、そうでない人(主人公たち)の対比が描かれているのが印象的だった。ラプラスの悪魔、までは行かないけどアイデンティティを探す旅っていう側面も掘り下げていくのかな。

 各童話が異分子によって改変されてしまったため、修正するために奔走するというのが大まかな流れ。単なる改変というより、登場人物たちの心をより掘り下げる方向に改変されている傾向があって面白い特に1話赤ずきんからエモいボス戦。

 

W'z

 Gohandsの新作。大阪舞台にした厨ニ聖杯戦争。新作とはいえ同じスタッフによるオリジナルアニメハンドシェイカー」の続編に相当するので、まずはハンドシェイカー観てね。

 この作品に限らず、Gohandsアニメは独特な雰囲気がある。特にハンドシェイカー、W'zはGohandsみがつよい。魚眼レンズ風の独特なカットを多用(背景はいものスタジオちゅーりっぷ)、ゆっくりカメラを回すように動かす演出、独特なキャラクターの演技(Gohandsは自前で動画を描いてる事が多い。本作の1話は全部自前)、強めのコントラスト、光の反射、常に流れる雲、特殊効果の使い方、etc初見だとどこに視点を持っていけばいいのか分からない事がよくある。特に3DCGエフェクト作画キャラアクションが入り乱れる戦闘シーンは目が回りそう。

 ハンドシェイカーでも独特な雰囲気を出していた音楽に磨きがかかってる(音楽:GOON TRAX)。主人公DJという設定もあり、全編に渡りJAZZ HIPHOP流れるMVみたいなアニメに。

 

CIRCLET PRINCESS

 あの大人スポーツ、サークレットバウトに目覚めた高校生が青春するスポ根アニメDMMゲーム原作

 サークレットバウト…MR空間で、変身した女の子武器を使って戦うスポーツ。作中でMRって言ってるけど、VR+ARという感じ。e-sports意識したのかな。超現実的な華やかさを備えつつ、かといって身体的な表現を伴わないゲームでも無く、スポ根モノにおける泥臭くてストイック練習距離を置いた、高校スポーツe-sportsのいいとこ取りみたいな印象がある。

 スポ根モノの王道ストーリーでかつ比較的ゆるめなので、のんびり見よう。

 

ぱすてるメモリーズ

 タイトルを要約すると「2次元文化」みたいな感じ。原作フリュースマホアプリフリューゲームアニメ化するのは去年のカリギュラ以来。秋葉原にあるメイド喫茶店員コスプレして戦うアニメ。なんでみんなおっぱい大きいの?

 今期のグリムノーツに近いシナリオおとぎ話世界を守るお話なのだけれど、登場するおとぎ話最近アニメ作品だったりする。最初に登場したのはあのごちうな。正式コラボではないのでアニメガタリズみたいな感じになってるけど、構図や背景をほぼ完璧トレスしてて笑った。「あのアニメのシーン、一度でいいから実際に体験してみたかった…!」的な妄想全開のオタクキャラが出てくるあたり、そういう層向けの作品っぽい。

 公式サイトとか見ると何故かスチームパンク推しだけど、「甲鉄城のカバネリ」「プリンセス・プリンシパル」と比べるとあんまりスチームパンク要素は無い。コス姿を楽しむのじゃ。

 全体的なノリはかなり軽いので気軽に見れる。戦闘パートも「ラストピリオド」のワイズマンみたいな感じ。あそこまで軽くは無いか

 

バミューダトライアングル

 ブシロードカードゲームカードファイト!! ヴァンガード」のスピンオフバミューダ△の人魚を主役とした日常アニメ

 凪あすよりも人魚人魚してる世界。描き方も独特で、基本的普通の地上と同じなのに微妙にこぽこぽしてたりスイーって移動したり、なんか不思議キャラクターが画面に集まるとき画面全体にキャラが配置されるところも水中ならではの演出っぽいよね。水中でお茶。水中でケーキ。水中でベッド。水中で(ry

 何かが起きそうで何も起きない。のんびり見よう。

 

Dimension ハイスクール

 まるで実写。監督ウルトラマン等実写畑の人で、出演者2.5次元俳優がメイン。超次元ギャグアニメと見せかけてTVドラマ

 3Dアニメパートモーションキャプチャなので、一般的3Dアニメーションより動きが自由リップシンクちゃんとしてる。

 蒼井翔太です!!的なポジションキャラに期待。

まだ1期が観終わってなくてお預け食らってる作品

モブサイコ100

 1期はネトフリ独占だったけど、2期放送タイミングで各配信サイト配信を開始。制作は「一切妥協しない制作会社」ことボンズ(他にもIG、京アニ神風マッドハウスとか?)。相変わらずOP作画がエグい。

 

ピアノの森 第2シリーズ

 引き続きネトフリ配信

 

3D彼女 リアルガール 第2シリーズ

 制作は「メルヘン・メドヘン」でおなじみフッズエンタテインメント。1期の始まった当初は心配だったけど、無事に2期放送開始したようで一安心

 内容はラブストーリー不器用な二人が何気ないことで傷ついたり傷つけたり、距離が離れたり近づいたり、「ハリネズミのジレンマ」を体現したストーリーになっている。

 

賭ケグルイ××

 本当は怖い「あそびあそばせ」。1期に引き続きネトフリ独占配信制作は「ゾンビランドサガ」でおなじみMAPPAMAPPA最近、毎期2作品ずつ放送している上2クール作品複数作ってるし、相当体力のある会社になってるみたい。

総評

 今期は特に2期の作品が多い。「新規投資できる器がない」「1作品あたりの投資が大きくなった」みたいな事情は一切知らないけど、ファンと一緒に育っていく作品を観られるのは幸せなのかもしれない。

 1年前のラインナップでも思ったけど、やはりアマプラ、ネトフリはハード作品を敢えて選んで配信しているみたい。今期ハードじゃない独占配信作品ピアノの森とドメカノくらい?海外ドラマ好きな人と層がかぶってるのかな。ネトフリ配信作品HERO MASK」なんかまさに海外刑事ドラマって感じだし。

最後

 1話全部視聴はおすすめしない。ところで私は「宇宙よりも遠い場所」が大好きなんだけど、その根拠は決して「よりもいが面白いアニメから」だけではなく「BDを揃えた」「何度も何度も見返した」「演出の一つ一つを研究した」「監督トークイベントで色んな話を聞いた」「極地研に行ってみた」「よりもい関連のニュース記事を見かけた」「思い出して泣いた」「思い出して笑った」「ふと自分の親を思い出した」等、本当に些細で個人的な周辺記憶の一つ一つが、私にとって「よりもい」の価値規定してたりする。個人的に広く浅く心血を注いでいた去年のアニメシーンでは特定作品を「些細な周辺記憶の積み重ねによって(よりもいのように)大好きに昇華」するのが非常に難しく、結果として「大好きなアニメ」に出会う機会を逸してしまった感が否めない(好きな作品は爆発的に増えたので、一概に否定することも出来ないけど)。「何度も見返せばよかた」「もっとあのアニメのこと考えながら毎日過ごせばよかった」「ゲームアプリさっさと始めればよかった」「聖地に行けばよかった」「ライブ行けばよかった」等。その一つ一つが自分にとって特定作品自分にとってかけがえのないものにし得る可能性だったと思うと、非常にもったいないことをしている気がする。なので(全体的な傾向として)コアファンに支えられがちなメディアであるアニメの楽しみ方は「広く浅く」より「狭く深く」の方を推したい。一人でも多くの人が「大好きなアニメ」に出会えることを祈っている。そういう意味でも、1話全部視聴はおすすめしない。

2018-12-31

anond:20181231160357

アッパードルこそ、都会に住んでるから親戚皆で集まったりしないし

おせちは当然買ってくるし(勿論デパートとかでな、イオンじゃないぞ)

大掃除なんて外注だろ…

田舎しかしないよあんなの。

ってか「古い日本家屋10数人集まって嫁が姑にいびられながら家事してる」って光景金持ちっぽさを感じてる人がいるとは思わなかった。

すげー貧乏くさいとしか思えないんだが。

フェミ女が叩くお正月

例に出てくる藁人形は、もはや少数派と言っていい有閑階級アッパードル層のお正月ばかり。

親族が大きな日本家屋10数人集まって、姑にいびられながら家事をこなすことになってるらしい。

中間層でもそんなことやれるような家はまれだろ。

あのな、今の庶民家庭というのはな、もう一人の兄弟といっしょに高齢の両親におみやげわたし世間話して終わりだぞ。

おせちも買ってくるものだし、大掃除なんてほぼやらないわけ。

お前ら自称フェミ本音は、お正月海外旅行に行くような金持ち家庭に嫁ぎたかった、ただそれだけだろ。

2018-07-30

夏になると思い出す話。

数年前、隣の家の床下(典型的日本家屋)で野良猫さまがこぬこを産んだ。

その野良様は、女だてら近所のボス猫で頭も良かった。うちは家族ぬこ嫌いなので、私は隠れてこっそりぬこ様に差し入れをしてた。

ある時、ふと思い立って「毎日差し入れしてるんだから、お子さん見せてよ」と、冗談で言ってみた。

…そしたら差し入れを食べている途中だったのに、ぬこ様は隣家の床下へ戻って、生後間もないこぬこを連れてきてくれたのさ!

それ以来、差し入れするとぬこ様はこぬこを見せてくれるようになった。

今日みたいに暑い日は、うちの庭先で親ぬこ様が涼んでいる間、私がこぬこ様のおもりをする関係にまでなった。

しかし秋口になったころ、親子は揃って姿を消した。あのぬこ様は、頭がいいからこぬこ私立幼稚園に入れるために引っ越したんだと思ってる(うちは田舎)。

でも置きみやげに、ゴキの死骸を10匹も置いていかれて少し泣いた。

俺『Fack kopipe!』

外人『oh』

外人『miss spell』

外人『Fuck copypa』

俺『Fuck copypa』

外人『good!』

その後、一緒にコピペ警察になった。

2018-02-09

日本家屋はクソ。寒すぎる。

夏涼しく冬暖かいかい木造自由宅に対する過大評価からはじまり日本家屋の断熱性がひどすぎる。

から日本人四季を楽しみだとなんだのとかいうが昔の人だってエアコンやガスファンヒータがあったらそっちつかってるに決まってる。

窓開いてるから寒かったか、なるほど

と思い窓にいくと閉まってる。窓から伝わる冷気がやばい。ドア本体や隙間から入ってくる冷気がやばい風呂に入ったら床が冷たくてやばい

窓もドアも風呂もいらないと思えるぐらい寒い

ヒートショックで毎年19,000人が死んでる。11月~3月までの5ヶ月だとすると150日。一日に126人も死んでることになる。やばすぎ。そりゃそうだわ。

もうガンガンに断熱性の高い家屋にしていくべき。通気性とかガン無視OK木造は木の収縮で湿気をどうのとかいうがエアコンの方が湿気とるし、温度も管理できる。

暖房器具を使い徹底的に家全体の温度コントロールすべき。もう木造のできる範疇を超えてる。木造信奉をやめろ。

この部屋は暖かくてあっちの部屋は寒いとか間抜けすぎる。そりゃヒートショックも起こすわ。

研究所ドイツ人が「なんで日本ビル廊下とかは冷房かけないんだ?」と聞いてきたから「そっちの方が省エネじゃん」と答えたが

理解してもらえなかった。ドイツ人的にはむしろ廊下も冷やしたほうが省エネだということだった。

今になって思えばきっとドイツビルの断熱性の高さから言える話なんだろう。

かにヤツのドイツの家に泊めてもらったが断熱性がすごく、床暖房が効いててものすごく快適だった。

寒い

2017-12-26

電線エヴァ庵野宮沢賢治

日本アニメではなぜ徹底的に電線が描かれるのか?を海外メディアが推察

https://gigazine.net/news/20171225-why-anime-power-lines/


電線アニメ嚆矢エヴァである、という彼の推測は正しい。

アニメにおいて背景・風景として電線描写されることはエヴァ以前からもちろんあった。

ドラえもんにおける空き地土管。高度成長で開発されゆく街。

サザエさんの板塀や引き戸日本家屋。三丁目付近夕陽

そういった時代記憶を引き写した風景の中であくまで添え物として、

あるいは便利なオブジェクトとして最低限の作画で描かれていたのが、電柱電線

鳥が電線にとまっている、ゲイラカイト電線にひっかかった、犬が電柱に小便、電柱に隠れて尾行

そこに電線電柱への愛着美学はない。


エヴァとは何か。

それは深夜アニメの祖である

エヴァの深夜再放送高視聴率深夜アニメパイロット版として働いた。

その後、エルフを狩る者たちから深夜アニメ放送歴史が幕開ける。

異様なこだわり作画作画崩壊との背中合わせも既にしてその内に秘めていながら自身夕方アニメ

一人のユダヤ教徒でありながら死して新しく宗教を作ったイエス福音だね。


そのこだわりの一つに電線がある。

電線、無くてもいいですよね、そこ描く手間と映す時間キャラに割きますよね普通

そうじゃないのが、庵野

ただの背景以上の電線

街並みのディテールアップに電線

シーンチェンジ電線

使徒で揺れるのはシャッター電線

2015年第3新東京市ツイッタラーは、揺れたら「電線」ってツイートするから

そう、1995年に描かれた20年先の近未来2015年日本を描いてあの電線

エヴァより先を生きている私達は知っている。

まだ相当に電線してる。


庵野特撮なのは言うまでもなく、電線特撮由来であろう。

怪獣スケールが合うのは高圧送電線の鉄塔、架線に接して火花散るインスタ映え

逃げ惑う地上から怪獣を見上げる時には電線

なんて、俺が語るより本人がいろいろ語ってるし。

庵野秀明世界トークショーレポート2回目 「電柱積極的に残すべきだ」「特撮もやりたい」

http://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-3368.html

庵野「同じ電柱はないんですよね CGコピペしても違和感がある ナナメになっているのもいい」

氷川エヴァ以降、電柱を描くアニメ作品も増えているが 垂直な電柱が多いですね」

庵野電柱に対して愛情が足りない 表層だけ真似ても魂が入らない」


さて、庵野最新作といえば『シン・ゴジラ』。

冒頭の無人漂流船内に残されていた本は、宮沢賢治の『春と修羅』。

「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」

そう、交流こそが真の天才発明。なのになぜ直流電気自動車

注文の多い料理店』所収の「月夜のでんしんばしら」も電柱モノのハシリである

戦前宮沢賢治時代から電柱風景とともに日本はあった。

文明開化で産まれた、すき焼きカレーライスあんパン現代日本食文化であると言えるならば

現代日本原風景電柱と言うのは過言ではない。

日本最後電気が来たのは宮沢賢治故郷岩手の「タイマグラ」。

開通はなんと1988年12月

電信テレグラムの「でんしんばしら」から電話電気USEN光通信

時代が変わり載せるものが変わっても STAND BY ME 電柱

2017-12-04

anond:20171202180817

詳しくはココ。

http://sotodan-npo.org

low-e複層ガラス

→2枚のガラスの間に断熱性の高いアルゴンガスを封入したサッシ。ドイツではシングルガラスのサッシが禁止されて久しいので、もう複層の方が安い。歴史的建造物復元とかでシングルガラスが使われるときはなかなか手に入らんで大変とか聞いた。

・外断熱というのは具体的にどういうものなのか

簡単に言うと建物の躯体を断熱材ですっぽり覆うもの。外の気温の影響が小さくなるので躯体自体の温度の上下幅が少なくなり、夏涼しくて冬暖かくなる。躯体が雨風に晒されないので寿命が劇的に伸びる。木造日本家屋でも外張り断熱の技術が完成している。

ゼロ・エミッション住宅について

Co2排出(emittion)がゼロ

・「結露する窓は駄目ゼッタイ」?

→複層やと、アルゴンガスの断熱性で内側のガラスが冷えないので、結露しない

・湿気に強いってところ

→内断熱やと、夏に冷房で躯体の内側に結露するので、湿気がどんどんたまって、内装がカビたりダニ繁殖やすい。外断熱やと、内外の温度差は建物の外にあるので、内側に湿度はたまらない。ただし、断熱層と躯体の間に通気層が必要

内地建築士特に意識が低い。

→縁側があって広くひらく開口部があって通気性を大きく取るのが日本家屋という先入観か。外断熱は夏に弱いという誤解か。ともかく、北海道では夜のうちにストーブが切れることは凍死を意味する時代もあったわけで、チョー切実な問題やったてことやねん。と言っても、北海道ですらあんま分かってない建築士も多い。技術屋とは建築士設備設計士のことです。

札幌市小学校体育館

東札幌小学校体育館における実証実験

・一体日本のどこなんだ

札幌市厚別区やった気がするが…

・あとFITというのも俺は初耳で

自然エネルギー固定価格買い取り制度。feed in tariff。風車とかの設置費用が高くて普及しないのを解決するため、風車で作った電力をペイする金額一定期間高く買い取ることを約束する制度。必ず儲かるのでバンバン普及→規模の経済が働いて風車が安くなる→さら風車が増える→…。ただ、高く買い取る分を誰と誰がどんな割合負担するか決めたりとか安くなっていく分を正確に見積って適時に買取価格を下げたりとか大変。

2017-09-07

血はつながっていないけどばあちゃんは確かに俺らのばあちゃんだった

少し前の話だが、ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんと言っても血は繋がっていない。隣に住んでるばあちゃんだ。

うちは母子家庭で、当時40になったくらいの母さんと、小学生のおれと、弟の3人家族だった。

まぁ母さん一人の稼ぎじゃもちろん裕福ではなく、地味な暮らしをしてた。

小学生だった俺ら兄弟はまだ金の使い方も知らなくて、友達の持ってるゲーム機とか、はやりのソフト

カードゲームなんかをいいなぁと思いながら、ま~子どもと言ってもその辺の雰囲気は分かるから

いい子ちゃんしてわがままもそんな言わなかった(小学1年の弟はまぁまぁ駄々をこねてたけど)。

それより俺らがしんどかったのは、母さんが全然家にいないことだった。

小4と言ってもまだまだ子どもなので、寂しいは寂しい。

朝俺らを送り出して仕事にいく母さんは、9時10時まで帰ってこなかった。

そうなると俺は小1の弟を放っておけないから家に居がちになるし、夜はどうしても家で2人ぼっちになって、

母さんが作ってってくれたご飯やら買っておいてくれたパンやらを食べて、テレビを見たり2人で小突きあって時間を過ごした。

そんな俺らに救世主が現れた。隣の家のばあちゃんだ。いま思えば60代前半のばあちゃんは

「おばあさん」ていう歳ではなかったのかもしれないが、俺らはばあちゃんて呼んでた。

ばあちゃんとじいちゃんは、月4万5千円のボロ戸建てに住む俺らの家の隣の、それなりに広くてきれいな一軒家にずっと2人だけで住んでた。

日本家屋って感じの畳部屋ばっかの家で、中庭があってっていう少し広めの家だ。2人の子ももいたけど、あまり見かけたことはない。

ばあちゃんとの出会いは、笑っちゃうんだけど、柿どろぼうだった。

ばあちゃん家の庭には大きな木が何本かあって、中でも2階以上の高さの柿の木は、毎年沢山実をつける。

俺らは塀越しに手を伸ばして棒とか使ってとってたんだけど、ある時、「上の方のならもっと獲っても気づかれなくね?」

ってなって、こっそり隣の庭に入って木に登って獲ってたんだ(普通にDQNだな)。

ガラって音がして家の窓が開いて、あ、ヤバイってそっちを見たら、にこにこしたばあちゃんが顔を出して、「おとなりの●●くんと●●くんね」って言われた。

俺らは怒られるものとばっかり思ってたから拍子抜けして、「こ、こんにちわ~」って間の抜けた返事しかできなくて、

そしたらばあちゃんが「柿が好きなの?沢山持って帰りなさいね」って。

「え、いいんですか?」って聞いたら「私たちだけじゃ食べられないし、木にも登れないから、窓から手が届くところ以外は鳥のえさなの。

だったら沢山食べてもらった方が柿も喜ぶからね。お母さんに持ってってあげて」って言った。

緊張が解けてどっと安心して、ずうずうしく「あざ~す」みたいにそのまま沢山とって、ばあちゃんがくれたビニール袋に入れて持って帰った。

夜に母さんがたくさんの柿を見て驚いて、勝手に入っちゃったけど怒って無かったよって言ったら、ちゃんと謝ってこい!って怒られた。

翌日母さんに持たされたりんご持って謝りに行ったら、「そんなことよりうちにあがんなさいよ。蒸しパン沢山作ったのよ」

って言われて、またほいほい中に入って食わせてもらった。

それをきっかけにお隣によく上がりこむようになって、ご飯だのお菓子だの沢山食わせてもらった。

一度、「柿盗んでた時なんで怒んなかったの?」って聞いたら、「うちにはもう息子たちも寄り付かなくって孫にも中々会えないから、

何かあの木に登ってるところ見たら嬉しくなっちゃった」って言ってた。

今思うと、ばあちゃんも寂しかったのかもしれないし、何より隣だから母さんは母子家庭だってことを話してたと思うし、

ばあちゃんは俺らが2人だけで家で過ごしてることとか、うちがあんまり裕福じゃないこととかもわかった上でそう言ってくれたのかなぁって思う。

チビだった弟はことさらばあちゃんになついて、子犬みたいにばあちゃんの近くをうろうろしてた。

多分話を沢山聞いてもらえることとか、すごいねえらいねって褒めてもらえることとかが嬉しかったし、やさしいばあちゃんが好きだったんだと思う。

家庭環境からお察しだが、今まで周りにじっくり話を聞いてくれる大人なんかいなかったから。

そんなこんなでばあちゃんには沢山世話になって、俺が高校入って部活に精を出したり、

弟も大人びてきて友達と外で遊んでばっかりだったりして通う頻度は減ったけど、ばあちゃんは変わらず俺らを可愛がってくれてた。

ばあちゃん家に呼ばれた日のご飯は育ち盛りのおれらを意識して、どんどん肉が盛り込まれ、量もすごいことになってた。

夏は庭で花火をして、すいかトマトやらきゅうりやらを冷やしながら食べた。

(もちろん、じいちゃんも色々世話をやいてくれたし、ばあちゃんがそんだけ俺らに手をかけてくれたのもじいちゃんの広い心のたまものだと思うからめちゃくちゃ感謝はしてる)

そんな時だった。ばあちゃんが脳溢血で倒れて、後遺症からじいちゃん一人では世話が難しく、しばらく入院した後施設に入ることになった。

俺らは病院へお見舞いに行ったりしたけど施設となるとなかなか行きづらく、

施設も遠くて、大学に入って日常生活がにぎやかに忙しくなっていた俺は自然と疎遠になってしまっていた。

弟はたまにお見舞いに行ってたみたいだ。

そこから2年ほどで、ばあちゃんが死んだという知らせがきた。

母さんから電話でその知らせを受けて、俺は泣きだしてしまった。でも、泣き出してしまった自分に驚いた。

なぜなら遠くに住んでた方のじいちゃんが死んだ時は、葬式では少し涙ぐんだが、こんなに泣いたりはしなかったからだ。

堰を切ったように自然と涙がボロボロ出てきて、ああ、家族が死んだんだ、もう会えないんだっていう寂しさつらさがガーって襲ってきた。

急いで家に帰ったら、同じく飛んで帰ってきた弟がいて、顔を合わせた瞬間またボロボロ泣いて、

「にいちゃんばあちゃんが死んじゃった」って子どもみたいに泣いてて、ああ、こいつも同じなんだなって思った。

通夜にも告別式にも出た俺らはあちゃんばあちゃんってボロボロ泣いて、花入れて出棺する時はことさら泣いた。

しわくちゃになったばあちゃんが、穏かな顔で寝てるみたいで、手を触っても硬くてひんやりしてて、たまらない気持ちでいっぱいだった。

実際の孫たち(もちろん顔見知りではあった)はそこまで泣いておらず、

俺ら兄弟尋常じゃない様子に若干引いてた。

じいちゃんは、俺らのそんな様子を見て、「ありがとうな…」って涙ぐんでた。

ばあちゃんがいない喪失感は大きく、何か実感がわかないなぁってしばらく思ってた。

ばあちゃんは俺らの本当のばあちゃんだったよ。沢山可愛がってくれたばあちゃんは、本当のばあちゃん以上に俺と弟のばあちゃんだった。

血のつながりも大事だ。だけど人と人の絆には、血縁関係ないと思う。

一緒に過ごした時間や思い出が多ければ多いほど、繋がれるものなんだと思う。

から、俺らとばあちゃんを一緒に過ごさせてくれた全部と、ばあちゃん本人に感謝してる。

ばあちゃん、愛して育んでくれて、ありがとう

ばあちゃんの蒸しパンがまた食べたくてしょうがないよ。

すげえ長くなってしまった。どうしても吐き出さずにはいられなかった。読んでくれた人はありがとう

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822022711

そもそも斜めドラムは、ユーザー目線と称して洗濯槽傾けたせいで、洗剤液に叩きつけるまでの距離が稼げずに、通常より洗浄力が落ちてどうしようもなかったやつを、温度機能つけて誤魔化したんだよ。

洗濯槽を斜めにしたことで、スペースは無駄にあるからヒートユニットも実現できたの。

本当は温度機能乾燥機もつけたいが、そのユニット加えるだけで、総体積も大きくなるし、海外と比してウサギ小屋レベルに小さい日本家屋に置けなくなる。

この湿気大国で部屋干ししたり、洗濯槽のクリーニング中途半端遂行しようとするのが間違い。

洗濯槽に関しては、使って数ヶ月、数年経ってバイオフィルム取り除こうとするからワカメが出る。

寝た子は起こさないか、買った当初から月一は洗濯クリーニングと決めて洗うのが一番。

乾燥機置けない分、浴室乾燥を駆使すれば日本洗濯はまだ救われると思う。乾燥機じゃないか局所的に熱くなることもないので服の種類を選ばないし。浴室にUV機能つけてくれたら、殺菌も見込めるんだけど。

2017-07-30

何で古典古典化したのか

理由の一つに、高度経済成長期に「モーレツ」に働き過ぎた点があるように思う。

あの時代の直前までは、芸者遊びみたいなのが、どこの都市にもあった。

私の暮らす地方都市にすら、かつてちゃんと見番があって芸妓がいて、料亭があった。


あなたは、「長唄」と「謡」の違いについて、いきなり説明を求められて答えられるか?

代表的演目や、例えば常磐津との関係とかを答えられるか?

これらの芸能が、あなたの住む町のどこで習うことができるか知っているか

調子こいたけど、俺も詳しく知らん。


当時は、市役所上層部会社社長銀行幹部や、金持ち農家なんかが長唄や謡いなんかを習っていて、そして夜は料亭遊んだわけだ。

そこでは古典に題材を獲った芸が行なわれていて、それを見て聴いてわかるリテラシーがあったわけだ。

金持ちたちは、何かを習ったり、そのリテラシーを楽しむ時間的余裕を持っていたし、そういうのに金を費やす心意気を持っていた。

彼らは「旦那衆」と呼ばれた。


経済成長の結果かなりの人間が、昔より金銭的に余裕ができたし生活の質は向上した。

だけれどその代償か、遊びは、どこかで失われてしまった。

芸者から女給の時代になった

現今ネットでは、短い間に特定ミーム流行ってそしてすぐに消えていく。

2chで「ぬるぽ」というとどうなるか?

ニコニコ動画車などが追突した場合、何と書かれるか?

航空事故に関連する話題で「はい」と書き込まれ場合、どうリアクションするのが正しいか

人間はある種のパターンミームみたいなのが大好きなのだ


昔はそれが、源氏物語だったり平家物語だったり太平記だったりしたのだ。原文を読まずとも、なにかそれへのきっかけになる芸能があった。

私たちは、高度経済成長期以降、着物を着なくなって伝統的な日本家屋に住まなくなって井戸を止めて上下水道になってテレビのせいで方言差異が減って……。んで伝統芸能へのアクセス手段も減ってしまった。みんな余裕ができたんだから、みんなが長唄や謡や、踊りや三味線リテラシーがある社会になってもおかしくなかったのに。


こうした断絶を経て、今ネット社会はある。

SFみたいな世界に生きているんだな、と思うことがある。

2016-12-07

保育所に屋外遊戯室は必要なのか?

ウサギ小屋のような日本家屋で育てられている子供でもまともに育ってるんだからいいじゃない。

土地無いんだからビルの中に作るしかないでしょ。

保育士免許ザルにして、まずは、とりあえず増やさない?

2016-10-26

玄関で靴を脱ぎ履きしなければならない日本家屋文化には身体障碍者への配慮は伺えない

おそらく世界一健康人間しかいない国なのだろう

2016-04-09

長身は、本当は欠陥体型であり有害なだけだ。

短命、暑さに弱い、スタミナがない、息が荒い、大食いで食費がかかる、病気や癌だらけ、日本家屋で窮屈、

不器用、足・腰・肩・膝を傷めやすい、老後は寝たきり、介護地獄臭いトロい、ゴツい顔でキモい、早老、

上から目線威圧的、怖い、木偶の坊で知恵が回らない・・・

歳を取ると急激に劣化し老後は寝たきりで短命な高身長が頼りになるでしょうか?

介護制度は今後ますます厳しくなり費用も掛かりますよ?年取った奥さんは高身長の巨体を介護できるのでしょうか?

高身長が頼りになる?いいえ、そんなのは事実正反対の嘘っぱちですよ。

高身長は30代までです。

身長に比べると、高身長40代以降は頼りになるどころか、巨体と高負担で周囲に迷惑を掛け続ける、頼りない存在しかないのです。

古来より日本では寓話や諺などで高身長になることを戒めてきました。

人は物心もつかない幼少期から高身長人間ばかり見せられ、

はい長身の方がイケメンでしょ?長身の方がイケメンでしょ?」と連呼されればそのように洗脳されて当たり前なのです。

しかし、その価値観自体が「マスコミによって人工的に作られたもの」なのです。

2015-10-05

好きなだけ独り言をぶつぶつ出来る環境だったならば少しは人格形成が違っていたかもしれない。

日本家屋壁薄すぎ。部屋の仕切りが戸板一枚とかありえない。

少しは自分で望んだ面もある。文句いいはじめたらきりない。

2015-07-22

水琴窟

旦那実家日本家屋

今縁側で子供と涼んでいる

雨の降りしきる庭から音が聞こえる

子供とき旦那に教えてもらった

あれは水琴窟の音だ

なんだか少し涼しい気分になる

2015-07-18

報われたい

自分人生めっちゃ疲れた

色んなことに報われない人って沢山いると思うけどその中の一人に私がいて、まぁ苦労自慢ってわけではなくとりあえず整理整頓したいからここに書こうと思う。何か報われる方法があったら教えてください。

とりあえず私は報われない

保育園年中のとき お昼を食べるのがめちゃくちゃ遅くて、そしたら先生が突然わたしのデザートをとりあげて友達にあげてた。ゆるせないままだった。

なんか覚えてないけど私がその子タヒねって言ったらしくその子が来なくなって誤り行った思い出があるけど、悪いのは私じゃなくて先生じゃん?って思う。

小学校2年生の時に親が離婚した 当時私の中でしょうもない嘘をつくのが流行ってて、父が仕事から帰宅した時に「おかーさん明日出て行っちゃうだってぇ」なんてバカみたいな嘘ついてたら翌日それが本当になった。 母が言うには私の言ったことでなんか色々怖くなったかららしい。

その前から家の中は不穏だったし喧嘩なんてほぼ毎日。私と、双子の妹が居ようが居ないがお構いなし。結果母は鬱病になって私たち子供を連れてナチュラル家出した。夏休みの事でした

小学校四年生とき 授業でわたしのかいてたものクラスの子バカにされたかんじがして、聞いたらキレられて「殺す!」とか言われた。担任にチクったけどこの担任がすごぶるクソババアで、放課~次の授業の最初あたりまで教室で話し合いしてた。次の授業は体育で外だったんだけど、授業はじまる時にみんなに向かって「バカのせいで授業が遅れたわ」とかいっててタヒねって思った。

小学校6年生の時に母が再婚した お見合いに会員登録してめかしこんだ写真撮って女性はお目当ての男をひたすらサイトで探す方法だった。

妹たちとうわーこの人動物園飼育だって~とかこの人年収○○○円ある!とかきゃいきゃいやってたのを覚えてる。結果再婚したのは有名企業ちょっと言えないところで働いてるぶっさいくでどもりのあるクソ男だった。私と妹たちはこいつがしぬほど嫌いだった。私より一つ下の男の子がいたけどこっちは性格がすごぶる悪かった。育ちが悪いってこういうことかーなんて考えながら、めちゃくちゃ楽しかった小学校と大好きだった先生友達さよならして都会から田舎引っ越したけどそこからめっちゃ地獄現在引越し前の所で住んでるけど、もう田舎なんて一生住みたくないと思ってる。 小6の夏休み暑い友達いないし行くところもないし本当に毎日無駄だった。

転校初日クラス男子に「○○○市とか、都会じゃん!」って言われて田舎乙とか心の中でめっちゃバカにしたよ

中1 なんか友達いないわけじゃないけど二人グループ作れって言われたら残り物になるようになった。同じ時期に田舎引っ越してきた子は輪に入れてるのに自分だけ外野感。皆がやりたがらない委員会を買って出て、それが生活安全委員っていう毎週特にコレを気をつけるみたいな規則をつくってそれをクラス人間に守らせる委員会だった。

任された仕事は徹底的にやる主義だから一生懸命にやって、だから達成できなかった時はめちゃくちゃ怒った もう一人の生活安全委員全然働いてくれなくて、皆私にあんまり近寄らなくなって、話を聞いてくれる相手がいる人間を心底恨んでた。この時の担任はめちゃくちゃいい人だった。

あと学校書道大会で銀賞取った。金じゃなくて銀かよって思った。

父のところへ帰りたくて夏休みの間に泊まりに行ったけど、そこから帰ったら母の機嫌はめちゃくちゃに悪かった。たまに父と会うけどその日の母はバカみたいに機嫌悪くてほんとしょうもないクズだなぁって思ってる。

中二 クラスに絵がまぁまぁうまい子がいた。ここまで言ってなかったけど私は絵をかくのが好きで、保育園年長で絵の上手い子がかいてるの見て「いいなー」って思ってたけど小学一年生ときに「りぼん」を読んでから将来の夢は漫画家だったくらい。ちなみに小一の時に授業でかい遠足の絵が選ばれて階段の壁?に貼られてめちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えてる。 で、まぁこの上手い子が担任にも贔屓されてて、私はというと特に仲のいい友達もいないしま生活安全委員やってまたもう一人が働かなくてって感じで毎日死んだ顔してた ついには泣いた 一生懸命やってるのになんでお前はやらねーんだよ何正義感ありありで立候補しといてやわねーんだよって感じ。

文化祭でうちの学校は有志のかいた絵から一枚選んでそれを全学年ででっかいモザイクアートにするんだけど、それに私と上手い子が応募した。私は賞なしで上手い子は賞もらってた。 ていうかここまで上手い子ってかいてるけどそこまで上手くない。わりとマジで

中3 家を追い出された。実父に迎えに来てもらって、1ヶ月くらい実父の彼女の家で住んでた。一晩とまってから学校に行って、ちょっと話して、先生に母から電話だよ、持ってきて欲しいものを聞きたいみたいって電話変わったら「なんで学校に来るんだよブツブツブツ」って話されて怖くて何も言わずに切った。受験生夏休みだけど補習もあって、高速で往復2000はかかる道のりを送り迎えしてもらったり服を買ってもらったりした。彼女さんはとてもいい人だったし結婚しちまえと思ったけど中国人だったから祖母と祖父が猛反対してだめらしかった

小6から、クソ義父に祝われたくなくて一切拒否してた誕生日会をこの時彼女さんと実父とで久しぶりにやった。

なんでかしらないけど父の財布からお金を盗んで色んなものを買い込んでた。お父さんごめんなさい。母にお金を使い込んでた事が帰ってからバレたとき一緒に嘘ついてくれた。きっと盗んでること知ってると思うけど何も言われなかった。

夏休み終わるちょっと前に母から謝罪を受けて戻ったけどここで戻らなきゃ良かったってずっと思ってる。

あとスケッチ会で初めて賞をもらったけど銀だった。うまい子は金だったけどぜんぜんうまくなかった。

高1 いろんな人間を説得して押し切ってデザイン系の学校に通うことにした。田舎学校はいやすぎて○○市の学校にした。といっても公立はなんか受かる自信ないし受けるの面倒だしってクソみたいな考えしてたか私立落ちこぼれ校みたいな所に入った。まぁまぁうまい子もそれなりにはいたけど皆デッサンもまともにできないようなやつばっかで引いた。いやデッサン試験でやりましたやん皆さんどうしたんですか?って感じに。

スケッチ会は選考に残って中々返されなかったから期待してたけど賞はなかった。あと体育祭Tシャツデザインも票はいくらか入ってたけど落ちた。どっちも選ばれてたのは高校でできた絵の上手い友達だった。

秋に突然母に「引っ越すから」って言われて引越し前の所へ母私妹で戻った。ちなみに離婚はしてない。離れた理由が「私(母)の病院が近いから 」って聞いてたのに母は怒ると「あんたの学校が○○市だから!!!あんたたちが○○さんと上手くやらないから!!!!」なんて暴れだした。理不尽だなぁってずっと思いつつだんまりでやりすごしていた。

高2 進路決めで揉める 私は日本画を学びたいって中3の時から思ってたけど予算的にムリとか母にいわれた。 いやアンタに手助けしてもらったら一生「あの時払ったのは私だ」って言い続けるじゃんってわかってたか就職するって嘘ついておいた。ちなみに希望は父の経営する会社

母とは話が通じない、父にはお願いしてもはぐらかされてひきとってもらえない。めちゃくちゃ辛い。体でも売ってどこかを点々としたいとか思ってる。なんか憑かれてるとか○○神宮に好かれてないとかなんか色々霊的なことで混乱した。

平日に素描担当非常勤先生にお願いして居残りでデッサンとかクロッキーをやってた。ひたすらにがんばった。木炭紙大の人物クロッキー冷房の効いた素描室で汗たらしながらかいた。がんばったけど素描の成績は、3だった。

その年のスケッチ会は、めちゃくちゃがんばろうとおもって、場所がお城だったんだけどお城がかけない私は私なりに考えて敷地内で日本家屋っぽい建物(これがべらぼうに得意な対象)をみつけてそこを描いた。担任にヘコヘコ「あともう少しなので」って期限を延ばしてもらって、出したのは最初に決まってた期限の3週間後だった。

B3のイラストボード鉛筆と水彩で一生懸命かい風景画、素描先生に「みんな人物をかかなさすぎる。君はかいたほうがいいよ」って言われて3人も入れた。結果は、賞すら取れなかった。

一番いい賞をとったのは去年佳作をとったうまい友達で、一学期努力賞(総評でいい子がえらばれるみたいな賞)に選ばれたのもその友達で、あと体験入学の手伝いに誘われたのもその友達。わたしはなにもなくて、結果を聞いた瞬間と学校からの帰りの電車で何度も何度も思い出しては泣きそうになった。なんかもうだめだとおもった。

すごい無駄時間を過ごしたなぁ なんで言われたとおりにしたしがんばったのに何も無いんだろう

もう全部やめたい 私にはなにもない

2015-05-30

ばあちゃんの話。

ばあちゃんは今82歳。

現役時代中学家庭科先生で、定年までしっかり勤め上げた真面目で優しい人だ。

私の名前は「芋子」としよう。

ばあちゃんの旦那であるじいちゃんは、私が高校生の時肺がん鬼籍に入り、

婿養子だったじいちゃんが死んだことで、ばあちゃんは実の母である曾祖母と2人暮らしになった。

当時80過ぎの曾祖母はその歳まで仕立ての仕事を続けていたスーパーウーマンで、

一族の母たるそんな曾祖母に、ばあちゃんは頼りっきり。

一卵性親子かと思うくらい何をするにも一緒だった。

曾祖母はよく「あの子は優しいけどちょっとボケとるであかんわ」と心配していた。

けれど私はそんな優しいばあちゃんが大好きで、泊まりに行く度にわがままを言って好物を作ってもらっていた。

ちょっと辛い卵入りのお味噌汁

大きくて、サツマイモゴロゴロ入ったモチモチ鬼まんじゅう

ちょっと分厚いけどパリパリポテトチップス

甘くてホクホクの大学芋

芋ばっかり好きだから、よく「芋子ちゃん。プーがでるよ。」と言われた。

一緒に買い物しに出かけたり、ご飯も食べに行った。

特にとある中華料理屋の五目ラーメンが2人とも好きで、

「また五目ラーメン食べに行こうね」がばあちゃんの口癖にもなっていた。

そんなばあちゃんは、曾祖母が亡くなった時からしづつ元気がなくなって行った。

96歳の大往生だったのだけど、半身が無くなったかのような感覚だったのだろう。

忘れっぽくもなり、神経科に診てもらったりしていた。

そんな中、気分転換しようと親戚も集めて、一泊二日の温泉旅行に行くことになった。

社会人になって一人暮らしの私は、金曜の夜に前入りしてゆっくり過ごし、土曜の朝に集まる親戚や母を待つ事にした。

久しぶりのばあちゃんの料理で夕飯をすませ、ちょっと寒い風呂場でゆっくり湯船につかり、

広い日本家屋の座敷に布団を2つ並べて他愛のない話をしながら11時頃には眠りについた。

午前1時頃、何故か目が覚めた。

隣の布団にばあちゃんが居ない。

トイレだろうと思い、目をつむった。20分後にまた起きた。

まだいない。

おかしい、とトイレに様子を見に行った。

ばあちゃんが倒れていた。

床は糞尿で汚れていた。

「芋子ちゃん、立てなくて…ごめんね、ごめんね…」

気がつけば私は驚くほど冷静に対処していた。

怪我の有無を確認し、身体を拭いて着替えさせ、太り気味の体を支えてコタツまで運び、

汚れたトイレの床を掃除した。

若干潔癖性の私が、汚いとも臭いとも思わなかった。

ばあちゃんはその間ずっと私に話しかけている。

「芋子ちゃん、コタツの上に小さい兵隊さんがいっぱいいるわ…」

天井に穴をあけてヘビが入ってくるから追いやって…」


幻覚を伴う痴呆症の症状。


総てを処理し終えた私は一緒にコタツに入りそれに答えた。

ばあちゃんは私を見ていない。どこを見てるかもわからない。

兵隊さんはどんな格好をしているの?」「わからない。これから戦争にいく」

「ヘビはちゃんと巣に戻るよ。安心して」「今度はスズメが入って来た」

「今度鬼まんじゅうの作り方教えてよ」「…お芋をね…ひいばあちゃんはどこにいるの?」

そのときの私は、何故かそれらの言葉否定してはいけないと思い、

幻覚を受け止めた上で返事をしながら、必死に戻る道を探していた。

今、あっちの世界から連れて帰ってこなければ、ばあちゃんは私を一生見ないかもしれない。

兵隊さんに連れて行かれてしまうかもしれない。

明日温泉楽しみだねえ。久しぶりだよねえ」「そうだねえ……」

「五目ラーメンいつ食べに行く?」「……」

虚空に留まっていた視線は徐々に下がって行き、ばあちゃんは眠りについた。

夜中3時を過ぎていた。

自分の行動が正しかたかどうかも判らぬまま、疲れた私も眠りについた。

日がのぼり、疲れの残る身体を起こすと、すでに起きていたばあちゃんは私を見ながら

おはよう芋子ちゃん」と言った。

よかった!戻って来た!!!

喜んだ私は布団から飛び起き、卵入りのみそ汁が食べたい、とお願いした。

台所でばあちゃんが支度をする間、私は母に報告のメールを送った。

夜中に私が送ったメール確認して、慌ててこちらに向かっているとの連絡が来ていたからだ。

『何とか大丈夫そう。足腰立たなくなってただけで転んだわけではないらしい。ちょっと寝ぼけていただけかも』

親戚にも連絡を取り、お腹がすいて来た私は台所に向かった。

台所の扉を開けると、ばあちゃんがまたどこかを見ていた。

そして私の後ろを指して言った。

「芋子ちゃん。そこにおる兵隊さんに、アンタにやる味噌汁は無いと言って!!」

ギョッとして振り向いたが、誰もいない。

「ばあちゃん、大丈夫兵隊さんはもう帰るから…」

「アンタにやる味噌汁はない!」

駄目だった。連れて帰って来れなかったんだ。

そう思いながらダイニングに座らせる。

「お味噌汁はできた?」

「うん」

火にかけられた鍋のふたをあけた。ただのお湯だった。



それから数年、ばあちゃんはゆっくりと確実に違う世界の住人になっていった。

レビ小体型認知症

幻覚と、パーキンソンの運動障害。

突発的な暴力(力は弱いけど)と暴言

今では体重は半分近くになり、動かなくなった身体を車椅子に預け、目はほぼ虚空を見つめたままだ。




それでも帰省する度に施設に見舞いに行き、色々な報告をすることにしている。

転職できたこと。

兄弟大学合格したこと。

デパ地下で買う大学芋よりばあちゃんの大学芋の方が美味しい事。

応えはもちろん返ってこない。


後悔するとしたら、どこをすればいいのか判らない。

トイレで倒れてた日か、旅行の計画を立てたときか、曾祖母が死んだときか。

五目ラーメンをまた一緒に食べに行けなかった事か。


痛みを伴う病に臥せって死を待つより、その目と脳で認識する世界が安らでありますように、と願っている。

2014-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20141218123559

さりげなく、でも伝えたい布教のコツは「どんなジャンルの話で、どういうふうに面白い話なのか」だけを言うという事。ストーリーや設定や固有名詞はなるべく出さないくらいの方が冗長にならない。せいぜい主人公名前やそのアニメタイトルの絡み位。「ジャンル」がこれと言い切れない物も多いだろうけれど、相手は布教したいものについて何も知らない前提のならば、なんとなくでいいからスムーズ想像させる時に大事なのがジャンル。言い換えるなら「枠組み」。これを飛ばして細部を説明しても、相手の頭には入らない。

蟲師」だったら、「和風ファンタジーで、蟲っていう悪さする妖怪みたいのを祓う話なんだけど、ドキドキハハラよりも優しくて切なくて、雰囲気がすごく良い。舞台も山奥の昔ながらの日本家屋とかで~」とか。あるいは、自分のツボがキャラ萌えだったら、後半は「その蟲を払う主人公がかっこよくて、蟲が寄ってくる体質だからさすらいつづけてるんだけど、ダウナー系の白髪青年ときめく」等。

蟲師は5年位前に漫画を読んだだけであまり覚えていないからニュアンス違ってたらごめんなさい。

あと他のサイコパスとかは知らない・・・

例えばよつばと!だったら、「よつばちゃんっていう5歳の女の子がお隣さんとかと日常を過ごすっていう話であんまりストーリーとかはない。よつばちゃんがとにかく可愛いし、周りの人も優しくて癒される」とか。枠組みは”ストーリーの無い日常もの”、伝えたいことは”可愛い””癒される”。

キルラキルだったら「すっごいハイテンションな熱血アクション系なんだけど、とにかくキャラとか設定がぶっ飛んでて展開も早くて盛り上がれる」ってだけ言う。それ以上のことを言うのは相手の食付き次第(例えば、キャラがぶっ飛んでるの?ときかれたら蒲郡先輩の話だけをなるべく短く話す)。次に補足して言うなら…難しいな、「舞台高校制服が着ると特殊能力が使える服で、高校能力集団の軍みたいになってて、主人公が自前のセーラー服でそこに殴りこみに行く」とか。多少の語弊は気にしてはいけない。制服着用者は特殊能力を使えている、くらいの雑さ、蟲を妖怪と呼ぶくらいの違和感は飲み込むのがコツかもしれない。

2014-09-16

冬目景漫画暇つぶしに読んでいた。建物の一部に手を触れることで蘇る建物記憶に振り回される主人公の姿に、今逗留している祖母の家で何か見えるものはないのだろうかとふと気になった。

今いる祖母の家は古くて新しい。二十年前に今の場所に建てられた時、ふんだんに最新の家庭設備が取り込まれたそれは今も黴びた様子はない。地震で浮いたままの玄関の畳石、打ちっぱなしコンクリートに浮かぶ排水溝の汚れ、Nationalブランド自動給湯機、そういったものに目を瞑れば。

"リモコン"のボタンを押さなくても、立てば勝手に流してくれるトイレには子供ゆえの興奮がすごかったのを覚えている。二階にシャワー室なんてものもある。着替え室を出れば、電磁調理器の炊事場に冷蔵庫新築を案内するときに、友達をたくさん連れてきてもいいのよ、と笑った祖母の言葉は、あれからずっと叶えられてない。多分ほとんど利用されたこともないのだろう。浪人中、吹き抜けで蒸し暑くなった廊下を横切って風呂を利用する煩わしさから度々利用したシャワー室には、まだ当時購入したシャンプーがそのまま残っていた。棚に入っていたボディタオルの柄も同じ。無論、清潔な状態だが。今は週一でいらっしゃるお手伝いさんが、祖母一人ではカバーできない人の記憶を家に残すことで朽ちていくのをかろうじて防いでる。

その昔はその隣の日本家屋に住んでいた。マツダスタジアム建造に伴う都市区画整理更地になった今、その面影記憶している人たちはほんのわずしかいない。

いつまでも好きになれなかった、日本人形が置かれた寝室。餌をやった錦鯉と金魚。土間で繋がっていた隣のガソリンスタンドラジコンを突っ込んで、専務さんと呼んでいた親戚筋の叔父さんに怒られた後、コーラを奢ってもらった。裏庭に作った打ちっぱなしで練習する祖父をこっそり見ていた。お庭の松の木が立派だと、離れに住む芸術家の大祖母と話す母の姿。それぐらいしかない。ほとんどの記憶鬼籍に入った人たちが持って行った。二階立ての母屋と同じくらいの高さを誇った土倉は約七十年前のあの日、被曝した建物だという。祖父の弟が当時別荘だったあの場所に大八車で運び込まれて息を引き取ったそうだ。土倉に入ったことがあると母は言うが、全く覚えていない。外観ばかり記憶に残っていることを思うと中はつまらないものしかなかったのだろう。

更地を見つめていると、関東では見られない白と灰色を掛け合わせたような土の色に、対岸の同じ色をした公園で祖父と遊んだ記憶が蘇った。公園は未だにあるけれども、その問面にはあの頃にはなかったスタバが立っていた。区画整理で道が広がる前は古い木造建築の民家が道なりに犇いていた所だったから、 この家のリビングからよく見慣れたロゴが見慣れないモダン建築に輝いていることに気づいた時、唖然としてしまったのはたった二週間前のこと。よくよく見れば、黒い正方形建物は周りとよく調和している。私は記憶にある対岸の街とスタバを重ねて、そして今ある対岸の街とスタバを重ねたのだろう。かつては浮いていただろう風景も、街全体が若返った今、可笑しさを感じるのは変化を知らない異邦人だけなのだ

ちょうど雨が舞い込んだこともあって駐車場には満車の看板が立っていた。今二階のバルコニーで佇むお客さんらの視線の先に、八十年前に猿猴川を裸で泳ぐ祖父らの姿を被せると可笑しい気がしてきた。川の流れだけはいつまでも変わらない。

2013-12-21

ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部シリーズの類似点

はじめに

中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』は星海社ウェブサイトで無期限全文公開されている(http://sai-zen-sen.jp/works/awards/logic-lock-festival/01/01.html)ので読んでみた。その結果『天帝のはしたなき果実』だけでなく、米澤穂信の諸作品との類似点が見られたので検証したい。ちなみに現時点で私は『天帝のはしたなき果実』を未読であるが、これから読んでみる予定である

以前から米澤穂信作品との類似は指摘されていた

読書メーター12月4日投稿されたjinさんのレビューhttp://book.akahoshitakuya.com/cmt/33836748)。

読んだ印象としては、米澤穂信西尾維新になったつもりで古典部シリーズを書いたらこうなるんだろうなと思った文学部員が書いた同人誌と言った感じ。

読書メーター12月11日投稿された×(旧らっきーからー。)さんのレビューhttp://book.akahoshitakuya.com/cmt/34001390)。

米澤穂信とかを目指した結果、残念ながらそこに至らず。そんな印象。

物語構成

まず『ロジック・ロック・フェスティバル』の物語の流れを説明する。以下が『ロジック・ロック・フェスティバル』の章タイトルだ。

  1. 四人の申し分なき閑人
  2. 実行補佐
  3. 回想と回送
  4. モバイルコード
  5. 葉桜の季節
  6. 大脱出
  7. バス班室写真消失事件 前編
  8. バス班室写真消失事件 後編
  9. そして、時は来たれり
  10. フェスティバルフリーク
  11. 健康と対策
  12. アイの告白
  13. それは清き学び舎を妖しく濡らして
  14. さよならコージー
  15. 現場検証
  16. 見捨ていくプリコンディション
  17. 星のお告げと逆転密室(万亀千鶴告発
  18. 失われた血の絆(成宮鳴海告発
  19. 浪漫秘密の抜け穴(衿井雪の告発
  20. 犯人探偵中村あきの告白
  21. 名探偵』の復権(鋸りり子の告発
  22. 顚末
  23. 探偵の動機

全部で23章で構成されている。『ロジック・ロック・フェスティバル』のメインとなる事件は文化祭開催期間中に起きた密室殺人事件だが、文化祭が始まるのは「9.そして、時は来たれり」からだ。ではそれ以前はというと小さな謎解きが2,3あるという構成になっている。具体的には「4. モバイルコード」で携帯メール暗号の謎解き、「6. 大脱出」で閉じ込められた蔵から脱出、「7. 女バス班室写真消失事件 前編」「8. 女バス班室写真消失事件 前編」で写真盗難事件の謎解きが行われる。

次に米澤穂信デビュー作『氷菓』の物語の流れを説明する。以下が『氷菓』の章タイトルだ。

  1. ベナレスから手紙
  2. 伝統ある古典部再生
  3. 名誉ある古典部の活動
  4. 事情ある古典部末裔
  5. 由緒ある古典部封印
  6. 栄光ある古典部の昔日
  7. 歴史ある古典部真実
  8. 未来ある古典部の日々
  9. サラエヴォへの手紙

この章タイトルだけではどんな物語かわからない。『氷菓』のメインの物語ヒロインである千反田えるの叔父、関谷純が関わったと思われる33年前の事件を解明することであるしかし、その謎がはっきりするのは「4. 事情ある古典部末裔からであり、「2. 伝統ある古典部再生」では千反田える地学講義室に閉じ込められた謎解き、「3. 名誉ある古典部の活動」では、ある本が毎週借りられている「愛なき愛読者」の謎解きが行われる。

はじめに小さな謎解きがいくつかあり、中盤からメインの大きな謎解きになるという物語構成は特定作家専売特許ではない。であるが『ロジック・ロック・フェスティバル』と『氷菓』の物語構成が類似していると指摘するのは間違いではないだろう。

ヒロインのお屋敷にはじめて行くシーン

ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」では、主人公中村あき)がヒロイン(鋸りり子)の家をはじめて訪れるシーンが描かれる。これを『氷菓』の「6. 栄光ある古典部の昔日」で、主人公折木奉太郎)がヒロイン千反田える)の家をはじめて訪れるシーンと比較したい。

 目に飛び込んできたのは圧巻の庭園だった。手入れの行き届いた刈り込まれた木々。配置を整えられた岩。雨粒を受けてなお静謐を湛える。その中を悠然と泳ぐ色とりどりの錦鯉。そしてそれらを統べるかのように鎮座する絵に描いたような日本家屋。その向こうには立派な蔵も見えた。

 道なりに設置された飛び石を歩きながら息を呑む。家柄でここまで住む世界が違うものなのか。自身の境遇比較すると、少しばかり悲しい気持ちになってしまう。

(中略)

 唖然としているうちに僕は言われるがまま三和土で靴を脱ぎ板張りの廊下彼女に説明された通りにんでいた。


ロジック・ロック・フェスティバル

 広大な田圃の中に建つ千反田家は、なるほどお屋敷と呼ぶに相応しかった。日本家屋らしい平屋建てが、生垣に囲まれている。水音がするところを見ると庭にはがあるらしいが、外からは綺麗に刈り込まれたしか見えない。大きく開かれた門の前には、水打ちがしてあった。

(中略)

 無視する。門をくぐり飛び石を飛んで、玄関先のベルを鳴らす。

(中略)

 石造りの三和土で靴を脱ぎ、千反田に先導されて板張りの廊下を進む。


氷菓角川文庫版、135~136頁

太字で示したのが二つの作品で完全に一致した箇所である。いくつか単語が一致しているが、文節単位での剽窃は行われていない。単語の一致も同じ「日本家屋を初めて訪れたシーン」を描いたのだからあって当然だ。むしろ庭園に入ってから周りを描写している『ロジック・ロック・フェスティバル』、生け垣の外から庭をうかがっている『氷菓』という点が大きく異なる。

そもそも、高校一年生のヒロイン日本家屋の豪邸に住んでいるという設定がめずらしいが、かといってこの設定が特定作家専売特許というわけでもない。

氷菓』において、千反田える日本家屋の豪邸に住んでいるのは、千反田家が桁上がりの四名家といわれる名家からだ。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、鋸りり子が日本家屋の豪邸に住んでいる理由は説明されない。家柄は明らかにされていないし、両親も学者だ。一般的学者であれば豪邸を建てるほど高給とも思えない。シリーズ化されこれからの作品で明らかにされるのかもしれないが、現時点では主人公たちが閉じ込められる蔵を登場させるためぐらいしか物語必然性がない。背景が説明されないので、どうしても取ってつけたような印象を受けてしまう。

主人公ヒロインが閉じ込められるシーン

ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」で描かれる主人公ヒロインが閉じ込められるシーンは、〈古典部シリーズの4作目『遠回りする雛』に収録されている短編「あきましておめでとう」と類似点が多い。例えば、どちらも冒頭に閉じ込められている主人公述懐を置き、時間を巻き戻す形でなぜ閉じ込められることになったのかを記述する形式をとっている。

あらすじはひとことでまとめると以下のようになる。

具体的に『ロジック・ロック・フェスティバル』では、

具体的に「あきましておめでとう」では、

となっている。

以下、『ロジック・ロック・フェスティバル』におい主人公中村あき)とヒロイン(鋸りり子)が小屋(蔵)に閉じ込められるシーンと、「あきましておめでとう」におい主人公折木奉太郎)とヒロイン千反田える)が小屋納屋)に閉じ込められるシーンを比較したい。

 目が慣れてくると、そこは本当に本の山だった。本しかないといってもいいくらい。備え付けの本棚に、そこらに積まれたボール箱に、ぎっしりと詰められた本、本、本――今すぐ古本屋が何件だって始められそうだ。

 りり子に案内され、その後ろに付いていく形で奥の方に歩いていく。中はそれほどの広さでもないようだったが、薄暗さと障害物のように設置された本棚のせいで、なんだか迷路に迷い込んだような眩暈感があった。

推理ものは確か……」

 一応分類されているのだろうか。背表紙を見流す限りでは全く統一感がないような気がするぞ。

 と、その時。

 ぎぎぎ、と何か引きずるような音がして、室内の明度が明らかに落ちた

 なんだろう?

 りり子も一度こっちに振り返り、異変があったことを確かめ合う。

 そして二人同時に思い当たった。

 扉が閉まったのだ。そんな当たり前の結論に到達するのにいやに時間がかかった。

 慌てて扉の方に引き返す僕ら。見るとやはり扉はぴっちりと閉められていた。風やなんかであの重い扉が閉まるだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず僕は扉に近づいて手を掛けてみる。

「……あれ?」

 開かない。まさか

 がちゃがちゃがちゃがちゃ。

 扉の外側から響く、金属が打ち付けられるような硬質な音。

 いやいや、冗談でしょ?

「鍵が……閉められてる……?」

強く揺さぶってみると扉はほんの薄くだけ開いた。その間から無慈悲にも完全に閉じられた錠が覗けて。


ロジック・ロック・フェスティバル

 闇の中に手を突き出し摺り足で進んでいく。目が慣れればもう少しマシになるのだろうが、いまはこうしないと危ない。そろそろと奥に進み、手に酒粕が当たらないかと気をつけてみるが、どうも手ごたえがない。

「簡単なお使いかと思ったら、なんだか面倒なことになってきたな」

「あの、折木さん」

 いつの間に近づいてていたのか、千反田が俺のすぐ後ろで名前を呼んだ。背後でアルミドアが風に吹かれて閉まってしまい、納屋の中はいっそう光が入らなくなった


『遠回りする雛』角川文庫版、218~219頁

「おう、開いてるぞ」

 そして、なにやら不吉な、がこんという音。

「え? いまのは……」

 とピンと来ていない千反田。俺はすぐさまドアに、暗くてよくわからないので正確にはドアがあったと思しき場所に飛びついた。アルミノブの、冷たい感触はすぐに探り当てられた。

 しかし。

 がたがたと揺れるだけのドア。オレは千反田を振り返る。千反田の輪郭もはっきりしないけれど、なぜか、心配そうに小首をかしげるやつの顔が見えたように思う。

「どうしました?」

 どうせ見えないだろうけれど、肩をすくめてみせる。

「閉じ込められた」


『遠回りする雛』角川文庫版、221頁

 まず、このドアが閉められている構造をもう一度考える。このドア自体には鍵はない。だから強く押せば、ほんの少しだけ開く。それ以上開かないのは閂のためだ。


『遠回りする雛』角川文庫版、228頁

今度は先程と違い完全に一致する箇所ではなく、同じ事象を別の表現にしている箇所を太字にした(そもそも完全に一致する単語ほとんどない)。非常に似通ったシーンを描いているので、一致している箇所がいくつかあるが、文節単位での剽窃はおこなわれていない。

違和感があるとすれば『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「扉はほんの薄くだけ開いた」という点だろう。「あきましておめでとう」では脱出が困難なことを示すために閂がどのようにかけられているか仔細に描写されており、「強く押せば、ほんの少しだけ開く」というのも話の流れから違和感がない。一方の『ロジック・ロック・フェスティバル』においては、どのような扉なのか、どのように錠がかけられているかは具体的に示されておらず、一般的な扉と錠であれば扉が薄く開き外の錠が覗けるというのはおかしい。

「あきましておめでとう」では、折木奉太郎脱出するために様々な方法を試す。そこにはどうやって脱出するのかというハウダニットの愉しみがあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』では、早い段階で窓から脱出できることがわかっている。謎解きの興味はほとんどなく、むしろそれまで葉桜仮名先輩一筋だった主人公中村あき)がヒロイン(鋸りり子)を女性として意識するシーンとして描かれている。

私感

ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部シリーズ両方を読んでいる私としては、影響は受けていると感じた。しかし、文章の剽窃など著作権法違反に問われるような箇所はないと判断していいだろう。他にも中学時代探偵していたが、とあることをきっかけに探偵することをやめたという鋸りり子の設定が、〈小市民シリーズの小鳩常悟朗の設定と類似するなど気になるところがあるが、それはまたの機会に検証したい。

2013-06-18

エンドユーザにひらけてるってこと

両親と夕食を囲んでいて、隣のお宅の話題になった。

そのときの話を書こうと思う。

つの間にか沖縄梅雨が明けたというけれど、私の住む西日本の県はこのところめちゃめちゃ渇いている。

梅雨だというのに2週間も降らない。

庭の木を見れば、ただでさえ薄い葉の端々が、潤いが足りないと言わんばかりに茶色くなってしまった。近所の山の松なんかも、もともと生育が良くないのに加えてますます立ち枯れてきた。

やっと降ったと思った翌日にはもう、忘れたかのようにカンカン照りだ。

もー、夏ってことでいいですかね?

西日もあんまり強いしで、父に頼んで、「すだれ」を買ってきてもらった。

窓に吊るして日差しを遮るアレだ。父の部屋も二階でめちゃめちゃ暑いので、自分の所にも付けたという。

それで午前中に作業をしていたら、隣家Mさん主婦)がその様子を見かけ、父に声を掛けてきたそうだ。

「うちにも付けられたらなぁー」

父は「すだれを付ける作業は難しいことじゃないし、忙しいのかいな」くらいに思って、軽く受け流したそうなのだが、話を聞いた母が、食卓かつおのたたきをつつきながら言った。

「あの家はどうにもならんじゃろうねー」

そういえば今日、父が私の部屋の窓を開けてホイホイと引っ掛けていたのを思い出す。


うちの家は祖父が建てた日本家屋だが、土木屋をやっていた祖父がかなり手を掛けて基礎から作り、家屋はこだわりの材木・土なんかで出来ている。

床が桜の木で出来ていて、塗りの知識がなかった祖父リビングペンキ塗りしてしまい、大失敗したのだけど、キッチンの床は色は塗らずにニスみたいなつや仕上げがうまく出来ていて、素足が気持ち良い。

建って35年経つが、水場の壁に几帳面に埋め込まれた四角いタイルは、一枚もひび割れずに整然と壁を飾っている。

風呂などは当初ソーラーパネルで沸かせるように作ったが、作って10年くらいでパネルが壊れてしまい、今は灯油タンクを入れて、ボイラーで沸かしている。

屋根瓦はときどき割れるが、日本瓦なので、吹きつけなどのメンテナンスをしなくて良い。割れたら、予備と交換するだけだ。

かいところをいろいろ言えば不便もあるが、なにせ神経質な祖父がすみずみまで目を光らせて作った家なので、やっぱり良くできている気がする。

そんな家がわたしも好きである

祖父が死んでからわたし家族祖母の一人住むこの家に移り住んだ。しばらくして、庭の一部を潰して増築した。

増築した別棟はあまりお金をかけずに作ったので、母屋よりは少しグレードの低い感じに仕上がった。

具体的に何で安かったのかは、当時中学生だったのでよくわからない。

母屋に比べて、というだけで、十分にいい建物だと思っていたし、都内マンションアパートを数件移り住んで大人になった今も、ひどく安い建物だとは思わない。

ただし、なぜか床下が白アリに食われてメンテ必要になったこともあるし、

帰省した時にいつの間にか一階の内壁に洒落木材が貼られていたので、北欧気分で内装を変えただけかと思っていたら、カビが生えたのだということだった。

建って4年目の夏のことだ。

このとき初めて、裸の木材湿度を調節することを知った。靴箱に活性炭を置くのと同じ要領だ。

別棟をお願いした土建屋さんは祖父の古い知り合いなのだが、仕事は毎度きっちりやっていたと思うし、手を抜いたかトラブルが起きた、というわけでもないと思う。

ただ、白アリ対策を施したはずの木材に運悪く入り込むスキがあったのだろうし、締め切った部屋の角にカビが生えるほど、断熱材やサッシの性能が良すぎたのだろうし、風通しの問題でもある、という風に家族はその件を受け止めている。

そういえば、母屋はめちゃくちゃ窓が多い。ほとんど四方にあるか、ない面は、どことなく気が遣われていて意外と通気が良い。

一軒家は窓が多くて戸締りが大変だ、なんて言うけれど、だからといって窓を少なくしないのは、やはり理由があるということかしら。

わたしの部屋はその増築したほうの二階にある。夏は当然暑いのだが、西日の入る窓に軒(のき)があるので、そこに、どうにかしてうまいこと掛けてもらった。

父は梯子も使わずに窓の外に乗り出して、手を伸ばしてフックを掛けたりしていたので、まだ若いもんだと思った。

さて、Mさんのお宅は某有名ハウスメーカーで作られた注文住宅だ。

数年前に越してくると同時に建てられ、2人の可愛らしいおにゃのこ砂場自転車でよく遊んでいる。

道路に面した一階に大きなリビングがあり、ときどき食器の音や、子どもの無邪気な声が聞こえてきたりする。

庭というか、地面はコンクリートまっさらに固められており、道路に向かってゆるやかなカーブを描く駐車場になっている。

パーキングブロックも置くつもりはないようで、あまりにいさぎよい面っぷりに、竹を割ったような感じ?と住人の性格勝手想像してしまったりしていた。

夏は照り返しが暑そうだな、と思ったこともある。

そのリビングがとても暑いのだそうで、窓を開け放すとリビングが丸見えになってしまうこともあり、毎年毎年、何とかしたいと思いつつ、実際何もできないのだそうだ。

母が言うにはどうも、リビングの窓にはすだれをかける軒がないので、よしず(縦に立てかけるすだれのようなもの)を考えるだろうけど、よしずを立てかけると風が吹いた時などに地面のカーブで倒れる具合になってしまうし、たぶん無理だと。

グリーンカーテンを作るには、やはり上方ネットを留めるところがない。

サッシに付ける金具とかで何とかなればよし、無理なら家の内側に屏風的なものを立てるか、ブラインドを付けるか…。

物干し台みたいなセットを建てるのも、安くあがるかもしれない。

毎年のことだから、きちんとやるなら外のコンクリートに穴を開けて、柱を刺し、棒を渡すしかないのでは、といった意見に落ち着いた。

その場合、人を呼んで、工事することになるはずだ。

家の壁に穴をあけると不都合を招きまくるので、壁改造はやはり話題にも上がらない。

もちろん、これはぜんぶ他人勝手意見であって、Mさんを交えた会話ではない。

昔、システム屋に勤めていた時、会社上司が自宅を新築するということで、確かその某ハウスメーカー発注していて、既製ユニットを組み合わせて半注文住宅に出来るんだ、それがSIer提案のやりかたと似ていてとても参考になるんだ、と言っていたのを思い出した。

何か出来るように機能考慮すると、料金も持ち上がる、積み木のようなシステムだと言っていた。

これはこれでコストダウンとのバランスを取った、とても革新的ビジネスアイデアだと思う。

メタボリズムって考え方は好きだし、建築の側から考えると、とてもワクワクするものを持ってるとも思う。

ただし、閉じやすい、完成された(建築家側にだけ開けた)性格を持っているので、居住者(ふぜい)がどうにかできる隙がまったくないケースもあるということだろう。

注文住宅に比べて日本家屋がとても優れている、なんてつまらないことを言いたいわけではないけれど、ハウスメーカー提案するユニット式は、気を遣って作らなければいけないんだな、みたいなことを思った。

ユニット式のお家の皆さん、最近、家とのお付き合い、うまくいってますか。

2012-08-20

 先日、私の祖母が亡くなった。85歳だった。

 

 祖母との思い出といえば、私が生まれてから成人するまでのおよそ20年間、元旦に直系の親族一同とともに正月祝いを行っていたことを思い出す。正月祝いと言っても、細田守の「サマーウォーズ」に描かれるがごとき祝祭的な性格のものというよりは、近況報告を兼ねて親族同士で気を使いあう儀礼的な色彩のつよいものであった。

 祖母には一人の息子と三人の娘がおり、息子が一番年長、その下に長女、次女、三女と続く女風上の一家で、この末娘が私の母である。四名とその家族が毎年元旦に祖母のいる実家帰省していたわけだが、態々そのような古臭いまりを続けていた理由は簡単で、いずれの親族実家から車で1時間以内の場所に住んでおり、集合するのが容易だったためである

 長男は、礼儀正しく気の優しい人で、奥方とも仲睦まじいが、子宝には恵まれなかった。長女は結婚してすぐ最初の孫――――私のいとこに当たる娘を産み、次女もまた結婚後すぐに娘を一人もうけたので、祖母からすれば、自身の若いうちから孫を抱いて可愛がる楽しみを得ることが出来た。私が生まれたのは次女の娘よりも5年ほど遅れてのことだったが、あとから母に聞いたところによれば、祖母にとっては初めての男の孫であったから、幼少時の猫可愛がりは尋常ではなかったということだった。現在を見てみれば、いい年をして結婚もせず、祖母の期待に沿う形には成長できなかったのだが。

 私に遅れて妹と弟がそれぞれ誕生したが、正月にはこれらが皆、映画のように広い日本家屋などではなく、昭和のごく平均的な一軒屋に集まるわけだから私たち孫の小さいころの祖母は片付けや食事作りなどにてんやわんやで、忙しそうに家中を動き回っていた。

 

 生前における祖母と祖父のおしどり夫婦ぶりは母や親戚から伝え聞いているが、その足取りは大抵のものではなかった。

 大正生まれの祖父は、呉服屋の息子で自らも商店を営んでおり、利発聡明と専ら評判の若者であったが、当時の男性としては体は丈夫なほうではなかった。そのためかは定かではないが、第二次大戦時もなかなか徴兵されることはなく、結局日本敗戦する直前になって突如として徴兵されることとなったという。

 終戦後、祖父は無事帰還したものの、兵役最中肺結核を患っており、生業である商売もままならず、しばらくは寝たきりの生活を余儀なくされた。戦後結核治療確立から一命はとりとめたものの、後遺症か定かではないが、原因不明の発熱と咳に生涯悩まされることとなり、商店経営にも難渋した。

 祖母は、看護学校卒業していたが(戦中、従軍看護婦になることを希望していたのかもしれない)、卒業後すぐに祖父と結婚したことから看護婦となることはなく、祖父の徴兵後は夫に代わって商店を切り盛りしていた。しかし、祖父の体調不良もあって戦後いよいよ先行きが怪しくなり、結局私の母が生まれて5年後に閉店したという。

 その後の祖母は、しばらく職を転々とした後、昭和42年ごろ、某市の市立病院看護婦となる。祖母にとっては、高校以来の看護業であり苦労は並大抵ではなかったというが、持ち前の剛毅さと天性の快活な性格ナース天職であったようで、中途採用者としては異例の副婦長の地位まで昇進したという。60歳で定年した後も、市内の私立病院嘱託職員として居場所を得、4人の子供を成人させ、病の夫を支え続けた。

 しかし、その祖父も私が5歳のときに癌で帰らぬ人となる。確かではないが、病室で遺族が泣き伏せる中、祖母は一度も涙を見せなかったと幼いころの私は記憶している。

 

 祖母との最後の思い出らしい思い出は、一昨年の夏のものである

 何とか就職が決まり自分の車を手に入れた私は、何を思ったか一人で先祖の墓を参りたいと考え、祖母に親類の墓地場所を尋ねに行った。その前の年、私の父が母と離婚しており、20年続いていた正月の集まりは中止されてしまっていた。祖母の顔を見るのは、同年の冬、祖母が初期の癌を患っていることが判明し、見舞いに訪れた病院以来であったと思う。これは治療により完治し、祖母は実家一人暮らしを再開していた。

 唐突に尋ねてきた孫に、祖母はメロンを振舞ってくれた。墓地場所を教えてもらい、私はひとり車を走らせる。天気は伸びぬけるような快晴であった。セミが絶息の声を漏らして、草だらけの殺風景墓所に風情を齎していた。確か、わざわざ花を携えて行ったと記憶している。

 墓めぐりが終わって、私はもう一度祖母の自宅を訪ねた。最近腰が痛くて食器の片付けに苦労するというので、洗物を手伝い台所の片づけをした。年季の入った炊事場の汚れを見ると、正月に走り回りながらおせち料理を拵えてくれた、祖母の苦労が感じられるようだった。帰り際に、祖父の眠る仏壇へ線香を立てた。

 帰り際、私を何事か心配そうに見つめながら、祖母は言った。

 「私はもう、長くない。私が死んだら、後のことは頼む」

 私は、何を言っているの、おばあちゃんは癌になったって死なない人でしょう、と言った。豪快な祖母のしおらしい一面を見て、私は意外に思いつつ、やや後ろ髪を引かれながら岐路に着いた。

 その2週間後、祖母は脳梗塞で倒れた。


 以後の祖母の容態は、芳しいものではなかった。脳梗塞からただちに生命の危機には至らなかったが、脳の神経が一部破壊されてしまったことから記憶の維持に支障が生じ、軽度のアルツハイマーの様相を呈していた。また、翌年の冬、恐れていた癌の再発が認められた。

 近年の病床の不足から、祖母は短期間の転院を繰り返し、結局地元病院(かつて勤務していた病院ではない)に落ち着いた。最後に会ったのは、今年の5月ごろであったと思う。もう、私の顔はあまりからなくなった様子であったが、お見舞いに来てくれているのはわかっているようで、こちらが手を振ると童子のように身振りで返してくれた。黒かった御髪はすっかり白くなり、顔も痩せて、さながらどこぞの聖人のようでもあった。母は週に一度見舞いに行っていたが、亡くなる前日までは、元気に呼びかけに応えており、当日は眠るように安らかに逝ってしまわれたという。


 通夜には、上述した親族はもちろん、各地に散らばっていた祖母の兄弟の他、長女の娘の息子と次女の娘の娘、つまり祖母にとっては曾孫に当たる二人も参列した。二人とも終始、お経が退屈で帰りたいとぼやいていたが、赤ん坊ときにまだ健全だった祖母に抱かれたことは記憶にないのだろう。

 私にとっては従甥・従姪にあたる二人の相手をしながら、私はかつてこうして祖母の実家で遊んでいた時代のことを思い出していた。辛櫃の前をずいぶん騒がしくしてしまったが、生涯をかけて一家を守ってきた祖母にとっては、たぶんこの光景が一番望んでいたことであったのだろう。


 おばあちゃん、生前は本当にお世話になりました。

 貴方は心から尊敬できる、偉大な女性でした。どうか、天国でも安らかに。

2009-07-21

方法が違う

http://anond.hatelabo.jp/20090718150407

規制したって、性的虐待犯人が捕まるわけじゃない。本気で子供を守るのなら、じーちゃんもばーちゃんもかあちゃんもとうちゃんもみーんな同じ部屋で寝ていた、古き良き日本家屋を取り戻すべきだ。隣で妻が寝ている状態で子供に手を出すような外道は、家族ぐるみで簀巻きにして床下に埋めてしまえばいい。

2009-06-21

たまに助けがほしくなる

20代学生女・実家暮らし。

うつ病と診断されて1年と少し。

異性関係を含む周囲との摩擦や学業の悩みがきっかけで精神科の門をたたいた。

パキシルジェイゾロフトルボックスジェイゾロフトルジオミールと飲んできて、

「そろそろ治ってもいいと思うんだけど、何が増田さんの回復を邪魔してるのですか?」と医師に聞かれる。

いやーわかんないですねぇ、と答えるも、

自分の回復を邪魔してるのは自分自身なんだろうと考えている。

外にも家にも居場所がないような気がしている。

知人はもとより、家族さえ私がいない時の方が楽しく話しているように聞こえる。

(部屋に籠っていても家族の声が筒抜けになるなんて素晴らしき哉日本家屋

「楽しく話しているように」なんて、過度に自分自分を傷つけるだけの妄言で、家族も「そんなことはない」と言ってくれるものの、私はその妄想真実だと感じている。

ただ、真実だと思っていても家族にそれを伝えるのはもうやめなければならないと思う。

言ったところで家族に負担をかけるだけだし、そろそろ人に縋り付いてばかりいないで自分で立ち上がらなければならないことはわかってるから。

でも辛い。

甘いと言われるかもしれないし「そんなの社会じゃ通用しない」と言いたくなる人もいるかと思う。

だけど助けてほしい時はどうしたらいいんだろう。

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