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2023-06-01

背中に感じる気配で書きにくい増田住まいクニキカデイは蹴る仁賀に金瀬(回文

おはようございます

人の目が気になって増田が書けない増田あるあるってアールジーさんばりに早く言いたいわ。

6月入ったじゃない。

隣の会社のところには新しくパートとか派遣の人とかが入ってきたので、

なんか知らない人が居て賑やかに仕事しているわよ。

ももしかしたら

呼ばれたり呼ばれなかったりするかも知れないか

ちょっとソワソワしてるのよ。

人が多いとまったくやりにくくって仕方ないわ。

今日はこの辺にしておきたいところだけど、

個人的にはそうね!

あれよあれ

スプラトゥーン3の新シーズン開幕!

私は開幕ダッシュを決めなければいけないのよ!

スプラトゥーン3のソフト立ち上げたままスリープしたら更新データダウンロードされないので、

一旦全部終了させて

更新データ自動ダウンロード受けってのを学んだわ!

日々人は進化するのよ!

でも私の好きなブキたちはあんまり改善改悪もなかったので、

現状維持ってところかしら。

まあなにせ人が多いと増田が書きにくいあるあるを早く言いたいわ。

でまた昨日の出張の話しもおっかないけどしたいところだけど、

これはこれで今ほとぼりがホッツ過ぎるから

ホッツが喉元を過ぎたごろに書けたらなと思うわ。

あーおっかない。

でも帰りの新幹線では

夜遅かったから車内でプッシュっと缶開ける音が盛大に盛り上がっていて

朝とは大違いね!って感じの車内だったわ。

まあとにかく今日は人が多くて気になって落ち着かないわ。

うふふ。


今日朝ご飯

違うお店のタマサンドにしてみました。

タマサンドイッチと言っても

タイプが何種類か遭って、

タマサラダ系か

厚焼き玉子系か

スクランブルエッグ系かなぐらいの種類があるんだけど

今日のはあんまりお目に掛けないタイプスクランブルエッグ系だったわ!

日の出張で気疲れストレスだったのか分からないけど、

今朝早い朝の早朝からずーっとお腹痛いわ。

もう出るものも出ないしって感じの時の腹痛って出すものがないかお腹痛いのガマンしなくてはいけないのかしら?

今もシクシクとチクチクするわー

まあ今日には直るっしょ!

デトックスウォーター

コールド緑茶ウォーラーしました。

水出しのタイプのやつで

緑茶はお湯で出すと渋くなりまくりまくりすてぃーなので、

水出しのスッキリした感じが

ルイボスティーウォーラーと違っていいところよね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-05-31

販売店での車検に通った翌日に廃車になった話(5/31追記

当方、30代の女。同性と話していると、車関係ぞんざいに扱われた経験がある人がままいる。

私も昔、いや~な経験をしており、それ以来、車関係には気を付けるようにしている。

これから車を買う方、または車を買った若い方の参考になったら…と言いつつ、単純に長い愚痴である

先に言っておくと、当時はそこそこの知識しかなく資金力もない学生だったことにより、

販売店に違和感を抱きつつも店を変えるという判断ができなかった私自身にもたくさん反省点がある。

でも若いときって、ある程度の知識があっても柔軟に対応できなかったりすると思う。そういう話として読んでいただければ。

当時の私のスペック

地方大学生大学院生。高3で免許取って親の車をずっと乗ってた。

交通の便が悪い実家から都市部大学に通っており、1年間は自転車バス電車バスで通学したもののくちゃ不便で

かつ交通費もかなり嵩んだことから車購入を決めた(当時はガソリンがとても安く、自宅から車通いの方が経済的だった)。

問題ディーラー中古車を2台買うことになる。親が車に詳しいから私もすこし車の知識があるくらい。

問題カーディーラーについて

販売店は、両親が車を購入した地元に昔からある店舗ではなく、大学へ行く途中にある、全国展開の中古車販売もしている某ディーラーで購入することになった。

これは両親が通っている店は自宅から遠く、かつ私の大学と反対方向にあるため、私の生活から大きく外れて不便だったから。

当時はこのディーラーの評判は悪くなく、地元の友人や近所の人のなかに結構ここで購入している人がいた。

(今思えばこの選択の時点で間違ってた。めちゃくちゃ不便だけど、せめて両親が世話になっている地元ディーラーに行けばよかった。)

なお、初めて車を買ったのは大学2年のとき。この時は両親に中古の軽を買ってもらった。

この時の担当女性店長で、すごく良くしていただいて不満もなかった。

女性店長はその後エリアマネージャー?的なものになって首都圏栄転した。優秀な人だったのだろう。)

ちなみに、ほんとうに不便な場所に住んでいて、一人一台車を持つのがごく当たり前の地域だ。

学生身分で車を買ってもらうことについては大目に見てほしい。(社会人になってお金は返しました。)

2台目を買った時の違和感

院進してすぐに2台目を買うことになった。1台目は5年落ち、走行距離5万キロ程度だったが、

私が通学&バイトで少なくとも1日往復80キロほど運転し、すぐに走行距離がとんでもないことになったからだ。

父(自動車製造業に従事し、車好きだから着いてきた)とディーラーを訪れると、新店長(以下「クソ」という。)に引き継がれていた。

今回はバイトで貯めた100万円を基に自分でローンを払うことにしていた。最初にクソに「自分で買うので予算はこれくらいで…」と言っていたのにも関わらず、

クソはずっと父親に向かって話し、お伺いを立てる。父は「娘に着いてきただけで、お金は娘が払うので(娘にきいて)…」と何度も言うが、クソは私を無視

挙句私には「これはAT車といって…」と免許持ってる人間なら当然知っているようなことを説明しだす。

私が父がついてきて鬱陶しかったが、かえって父がいて良かったかもとげんなりした。

世間では、若い女性カーディーラーで下に見られることがあるというが、それをまざまざと実感した。

いや、これまでもこの店舗男性スタッフはいたが、彼らに馬鹿にされたことはなかった。

目の前にいたクソがクソすぎて際立ってクソだったのだ。

何とか苦痛に耐え、購入を決定。買うのは私のため契約するのも私なのだが、クソは父親契約書を渡した。

父は「娘が買うので…」私に渡してきたが。不毛なやり取りだった。

今思うと、この違和感を感じた時点で車の購入を辞めておけばよかったけど、若さゆえか購入してしまった。後悔している。

6か月点検での違和感

車を購入して半年後の点検を購入店ですることが多いとおもうが、私もそうした。

というか購入時に「6か月点検どうしますか?」と言われ、その場で点検日も決めて予約したのだ。

で、点検の1か月前にはディーラーから点検リマインド葉書ちゃんと来た。

当日。リマインド葉書を念のため持ってディーラーへ向かう。予約の13時。

入店して「点検お願いします!」と店員さんにキーを渡すと横からクソが出てきて、

「お姉さん、点検は事前に予約しないとできないの知らないんですか~?」と小馬鹿にしたような感じで笑われる。

えっ、こんなクソが社会で働いているの?と怒り爆発だったが、こちらも大人として冷静に葉書を見せると罰の悪そうな顔をして

ゴニョゴニョ「ハイ、ヤリマァス…」とキー持って整備士に渡しに行った。

退店前にも「1時間程度で終わるんですよね?」と念のため聞く。事前にはそう聞いていたが、念のためバイト17からにしていた。

ところがクソは「いや~もしかしたら夕方になるかも」とアホみたいなことを抜かすので、「何時ですか?」と問い詰めると「16時」と。なぜ?

んで、16時ちょい前に車を受けとりに行くと、クソは「ちょっとお待ちください」と言い残し、接客へ。

そりゃ新車買う客のほうがね、たかが6か月点検の客よりも金になるのは分かるけどさ。この仕打ちはないなと思った。

そのまま15分も30分も待たされ、これ以上はバイト遅刻するから他のスタッフに苦情を言うと、さすがにクソも焦ったのかダッシュで車持ってきた。

この日の出来事は両親や友人にも話したが、「大変だったねえ」と笑い話になるだけであまり深刻な事として伝わらなかった。

この時点でもっと抗議していればよかったし、この時点でこのディーラーを利用するのを止めたほうがよかった。

車検時の違和感

購入から1年半で車検の時期がきた。あのディーラー車検だ。なぜ店を変えなかったかというと、当時は私が修論執筆補助金申請で忙しく、

寝不足の日々が続いていたため余計なことを考えている余裕がなかったのだろう。

また、1台目のとき車検はむしろかい不調を見つけてもらい、整備士ちゃんとした人だと思ったからだ。

車検の季節は冬だったが、このころ、車のエンジンをふかして車体が温まるまでの間、車の前方部分からキュルキュルと異音が聞こえるようになった。

はっきりと聞こえる大きな音だ。私は音の性質からエアコンベルトか何かが滑っている音ではないかと考えた。

ボンネットを開けてみると、場所的に良く見えるものではなかったが摩耗は感じられた。

翌日、エンジンをかけて発進するところを母にスマホで撮ってもらい、単身赴任中だった父に送ったが父も同様の見立てだった。

 

父は「ベルトの摩耗だと思うから車検の時に言えば見てくれる。珍しいことじゃないし」と言い、

私も、整備士さんはまともだったし、と思い直して車検に向かうことにしたのだった。

車検当日。念には念を入れ、予約リマインド葉書を持参していく。父は他県に赴任中だったので、母と行くことにした。

一人で行動したかったが、私の話を聞き入れられないとこまるので人を連れていきたかったのだ。

当時は男性の友人なんていなかったし、同性の友人はみな若い女だ。相手にされないに決まっていた。

ディーラーに着き、予約を忘れてたっぽい様子のクソに葉書を見せて釘をさす(本当にクソ)。

そのうえで録画した映像を見せ、異音のことを伝えた。これでクソでも大丈夫だろう。

翌日。車を受けとりに行くとまさかの「異常なし」回答だった。そんなことある???

誰がどう考えたってどこかおかしい。さすがにいつも私の愚痴を笑って聞いていた母も訝しんで、

エアコンベルト等は大丈夫だったんですよね?」と聞くも、まったく問題なかったとの回答。

じゃああの異音は何だったのか?そう問い詰めても「さあ?僕は一度もそんな音聞きませんでしたよ?」

「車には何も問題がなかったから、原因不明しか言いようがないですよね?」と開き直り

ここで私も母も完全に目が覚める。このクソの言っていることは信用ならない。

クソは客を見下している。予約を忘れだけじゃなく、車検も本当はやってないのでは?

怒りがわき上がるばかりだったがもう今はこのクソと関わりたくなく、ひとまず退店。

自宅に帰り父に連絡すると、父も「絶対おかしい」と怒っていた。ベルトはどこか別のところで見てもらうことにした。

国道交差点ど真ん中で車がぶっ壊れる

車検翌日、大学院があるため通学に車を使う。異音が心配だし、普通な交通機関で通うところだったが、

この日は運び込まないといけない荷物が大量にあり、車で行く必要があった。(この日に車を使いたくて、あえて少し早めに車検をしていた。)

夜遅くまで大学に残り、車で自宅まで帰っていた午前3時過ぎ、パンッと大きな音が鳴った後にエンジンがきかなくなり

徐々に速度がするすると落ちていった。退避できる路肩もなく、バツが悪いことに国道の大きな交差点の真ん中で車がゆっくり停まってしまった。

かなり交通量の多い交差点だったから、かえってド深夜だったのが不幸中の幸いだ。

車中に留まるべきか、離帯に退避すべきか悩んだが素人考えじゃどうにもならなかったので、

離れたところに三角停止板を置いて、車中でJAF電話をして助けを求めた。

(その時、ちょうど通りがかった親切なドライバーたちが最寄りのガソリンスタンドまで車を押してくれて事なきを得た。)

JAFの人に見てもらい、これは廃車ですね~と言われる。ついでにお兄さんがエアコンベルトを見せてくれたんだけど、

擦り切れているというよりは、ゴムが古くなって固くなった結果ブチっと断裂してしまっていた。

普通車検で見つかるんですけどね~」と言われたので「実は昨日車検に通っています…」というとびっくりしていた。

「参考に聞きたいんですが、どこで車検されました?」とも聞かれた。

JAFに惚れそうになる→クソへの怒り

JAFの人がこれまた優しくて、事情を察したのか私の任意保険証書をその場で読み込んでくれて、

「この特約で、おそらくレンタカーを代車として車を借りられます。次の車を買うまで繋げます」と教えてくれ、

任意保険会社電話をして私の自宅最寄りのレンタカー店で借りられるよう手配を全てやってくれた。

お陰で通勤通学への影響を最小限におされられた。本当に惚れそうになる。ぜったいJAFには入ったほうがいい。

その後、車を最寄り(と言っても隣市)までレッカーしてもらい、修理工場へ。私はタクシー帰宅した。

冷静になると同時に、やられた~!!あのクソ~!!!と怒り爆発。

私この業界のことよく分からないけど、雑な車検がまかり通ってるの?それで10万とか取るの??

事の顛末

次の週末、例のディーラーへ。ここで私は怒り心頭で、とにかくクソに文句を言ってやりたいという気持ちに。

しかしクソはよく分からない時期によく分からない理由で異動し、新しい店長が来ていたのだ(左遷?)。

アポ撮った際に車が廃車になったことを伝えていたため、新車パンフレットをたくさん用意されたおり、

新車を購入いただける場合、代車はただでお貸しします!」と言われたがそんな気分ではない。

これまでの経緯を話し、「保険の特約で代車は用意しましたので、車は買いません」と言うと、

店長は(ああ、やっぱり)みたいな反応をしたので、やっぱりクソの移動は左遷で間違いなさそう。

尻ぬぐいする新店長も大変だし罪はないが、こうでもしないと怒りが収まらないので取引終了となった。

クソから謝罪一言でも引き出したかったが。

自分反省点&気を付けていること

当時は若かったし、毎日多忙で車のことばかり考えている余裕はなかったんだけど、自分自身にも反省はいっぱいある。

・車に不調があるときは乗っちゃだめだよね

異音を感じた時点で乗るのを控えなきゃだめだと思う。でも地方交通の便が悪いところに住んでいると、そうも言っていられない現実はある。

車がないと生活できないし、バスも2~3時間に1本あればいい方。レンタカー借りたらよかったのかな。

車検を過信せず自分でも自己点検しないとだめだよね

車検で習った範囲ではボンネットのなかも見てたけど、もっと見ていたら確信をもって異常に気付けたかも。でも私の言葉をクソは聞いてくれただろうか。

エアコンベルトあたりから異音がするので見てください」ではまだ相手にされない程度に知識不足何だろうか。

・やっぱり父親を連れて行けばよかった

単身赴任中だったから連れて行かなかったけど、居てもらえばよかった。

私と母だけではこんなに話を聞いてもらえないと思わずしかった。ほとんどの店員はまともだと思うけど。

・信用できないディーラーを利用するな

これに尽きる。でも全国的に名の通っている販売店だし、クソの前の女性店長はすごくいい人だったんだよな。

単位じゃなくて人によっても信頼できるか判断しないといけない。馬鹿にされて違和感を感じた時に店を変えていればよかった。

気を付けていることとしては

可能な限り男性を連れていく

男性を連れて行かないと話を聞いてもらえないのは悲しいしそれこそクソ現実だが、車は失敗すると損失額が大きいから、

リスクを抑えるために、恋人や夫を連れて行くようにした。男性ならだれでもいい。本当は一人で堂々と買い物したいさ。

でもそれだけで格段にこちらの言い分を聞いてもらえるんだから、悲しいけど、保険にはなる。

私はまずは夫と一緒にいき、自分の話も聞いてくれる販売員(店)だと思ったらその後は一人で来店するようにしている。

口コミ可能な限り集める

信頼できる口コミ集めは難しいけど、悪い噂はやはり拡散されるので、そういう悪い噂がないお店を選ぶのは大事だと思った。

とくに昔からずっとあるような地元ディーラーは、逆にそこで長年営業できている証左でもある。客商売ですし。

私が行ってた例のディーラー、今ではなかなかの悪評らしい。自分と同世代の友人(女性)も数人、ぞんざいに扱われたと言っていた。

身の回り男性からの不評は聞かなかった。男性には丁寧な接客だったのだろうか。知らんが。

複数ディーラー販売店を回る

1店舗だと比較が難しいので、最近では車種に悩んでるふりしていろんな店舗を回るようにしている。

系列店でも人によって営業スタイルも違って逆に面白い。無理な人は営業姿勢から生理的に無理!ってなる。

結果として、今は自分に合う販売員さんから車を買えているし継続してお世話になってる。友人にもその販売員を紹介している。

最後

車検の内容に異議がある場合って、異議申し立てとかなんか対抗手段とかってあるんですかね?

当時は金もない知識時間もない学生で戦う気力もなく、泣き寝入りでしたけど、次同じ目に遭ったら最後まで戦いたい。それほど怒っている。

追記

いろいろなご意見ありがとう説明が分かりにく過ぎてごめんなさい。以下で返信します。

元増田みたいな口調でコメント返ししている人がいますが、元増田はこの記事追記と「追記2」以外で返信しておりません。

なぜその走行距離軽自動車なのか。100万は高すぎでは。

1台目も軽(70万くらい)だったけど、学生の身だし、買ってもらう側だったか文句も言えなかったですよね。買ってもらえただけありがたい。

あとウチの親は、「軽は燃費いいし大事に乗れば長持ちするから大丈夫!それに学生普通は贅沢だ!」という思想もあった。

コメントにもあったけど、田舎は道が狭くて、中央線もない道をぎりぎりすれ違うことも多いから小回りも聞くという都合もある。

さすがに走行距離がアレすぎてすぐにガタが来たから、2台目は1~2年落ちのほぼ新品みたいな中古を買いました(色々込々で120万くらいだったかな。)。

新車中古普通車も考えたけど、大学院終わったら就職で引っ越すし、手放すつもりでいたのでなんだかんだ軽に落ち着きました。

今だったら普通新車を買えるので絶対中古は買いません。

エアコンベルトが断裂した程度で廃車になるって、何が起こったんだ?

これに関しては説明不足でほんとうに申し訳ない。指摘の通り、エアコンベルト断裂=廃車にはならない。

記事では端折って書いたが、実際にはベルトが断裂したような異音のあと、

次第にアクセルを踏み込んでも反応がに鈍くなりがなくなり、そのままするすると速度が落ちていき停まった。

走っていた国道バイパス?というか、とにかく路肩が狭くてカーブしている道路で、高速道路のようにとばす車も多いから、

安全に退避できる直線道路までなんとか移動しようと焦っていたところ、交差点で本当に動かなくなった感じ。警告灯はつかなかった(なぜ車検に通る??)。

断裂したあとは無理に走っちゃダメ知識として知ってたけど、その時はパニックで何とか退避場所探して進んでしまった。これは良くなかったです。

JAFの人によると、たぶんベルトの異常は前から起こっていて、長期間無理して走っていたのでエンジンオーバーヒートして焼き切れてしまったのでは?と。

ふつうエアコンベルトが切れただけでは即廃車にはならないし、ベルトが首の皮1枚で繋がっていただけでかなりエンジンに負荷がかかっていたのでは?

と言われ、車検していればあまり見ない故障の仕方ですね…と苦笑いされてしまいました。複合的な要因もあるかも。


女ってあとから匿名掲示板愚痴るだけで、本当に何も行動しないんだな。

その都度「お客様電話窓口」的なところには電話して改善依頼とかしてたんだ。結局なんにも改善しなかったけどね。

クソ本人にももちろんいろいろ言ったけど響いていないようだった。

それこそ客(私)に対する対応の悪さとか、予約忘れてんじゃないかって話とか、そもそも車検ちゃんとしているのか?とか。

最後車検の件に関しては、車検で見落としがあったんじゃないかと色々戦おうとしたけど、販売店側(本部)もあの手この手

「経年による消耗や摩耗や事故故障などは車検保証対象からは外れる可能性がうんたら~」と逃げ腰で対応も悪く、

結局例のクソも異動後に速攻で辞めてたみたいなんだよね。怒りの矛先を失ってしまった。

このままでは時間と気力の無駄だと手を引くことにしました。お金時間があったらもっといろいろしたかった。(この時は修論大事だった。)

高い勉強代と思って以後は気をつけてます。でも次の若い世代には痛い目見てほしくないか愚痴として書いてんだ。

『他の車屋意見も聞いてみる』思考が無い女だと大抵こういう結末になるよな。次は気を付けろよ

やさしいご忠告ありがとう。ほんとそれな。ぐうの音も出ない。

今でこそその発想はあるが、当時は単純に大学バイト疲弊していて、そのための時間を捻出するのがとても惜しかった。

あと単純に、私の件は「エアコンベルト見て!って言ったら分かるでしょ」と性善説を信じすぎていた。相手がクソなら何言ってもクソ!

父が自動車工場勤務上がりで車に詳しいから、エアコンベルトあたりの異常であることも確信があったし、それを言ったら伝わると思ってたんだよな。

人間、一度は痛い目を見ないとこの辺は学習できないのかもしれない。

そもそも女が車屋行くのがハードル高いよね。学生時代に、こういう時に連れていける男性って彼氏父親くらいのもんじゃない?当時の私に彼氏はいなかったが…

今後買おうとしている皆さんはほかの車屋意見をきいてほしい。女性場合は、なるべく男性を連れて行ってほしい。販売員でハズレ引いたら終わりなので。

田園都市線商業施設

先月あがってきた anond:20230425205238 をみておもったけれど、田園都市線は駅間が短いわりには大半の駅に東急系列商業施設があるよね。駅によっては他駅の商業施設に歩いていけるレベル。というわけでどのくらいあるのかしらべてみたらこうなった。

商業施設こそないもの東急ストア (スーパーマーケット) はあるという駅は、高津駅梶が谷駅宮崎台駅宮前平駅藤が丘駅田奈駅つくし野駅つきみ野駅

田園都市線商業施設東急ストアもない駅は、池尻大橋駅駒沢大学駅桜新町駅二子新地駅すずかけ台駅の (27駅中) 5駅しかない。5駅ともとなりの駅には東急ストアがあり、しかも駅間が2km以内なのであるいて行けないことはないが...。

商業施設以外にも、生活インフラ (電力会社ケーブルテレビなど) を東急提供していたりするので、田園都市線沿いは生活自体東急一色にそまりやすいのだ...。

...とはいえ田園都市線のほぼ全線において国道246号線東京都首都高速3号渋谷線・神奈川県東名高速道路と並走している (もしくは非常にちかい場所にある) ため、東急以外のお店もふつうにある。脱線するけど、特筆すべきは青葉台から2kmバス10分くらいの距離東名高速道路の港北パーキングエリアにいけるため (しかも最寄り駅が「北八朔公園東名口」のため「東名」さえおぼえておけばたどりつける) 、東海地方限定商品比較的てにいれやすいかも。

2023-05-25

今日まで「乗り過ごす」の意味勘違いしてしまっていた

どうも、「目的の駅を降りそびれて遠くまで行ってしまう」という意味らしい。

ずっと、「乗ろうと思った電車に乗れなかった」ことを乗り過ごすだと思ってた…。

今朝、部下から電車を乗り過ごしてしまったので、15分ほど遅れます」というメールがきて「何で乗り過ごして15分も遅れるんだよ」なんて思ってしまった。恥ずかしい…。

降りたい駅を降りそびれた時は「降り過ごす」だと思っていた…。

ちなみに、数年前まで日の出日の入りどっちがどっちだったかからなくなる時があった。

何で、日の光が入ってくるほうが「日の出」で、日が出ていってしまうほうが「日の入り」なんだよと。

2023-05-22

不登校になった「失敗例」さん

小学校の頃の話だけど、俺のクラスでは体育の授業の時に担任から無作為に指された奴がみんなの前で実技を披露させられるみたいな定番の流れがあって

それでたまたま指名された女子運動の苦手な典型的陰キャ案の定全然出来てなくて、担任がその様子を「はいありがとうございます。今のはとても皆の勉強になる失敗例です。何故なら〜」って、そいつの出来てない点を一つ一つ挙げて授業に活用した事があった。

その日の昼休みは、クラスのふざけ屋数名が早速そいつを「失敗例」と呼んで囃したてていたし、女子でも何人か「カワイイ〜」など言いつつ実際は笑い者にしてる奴がいた。目立たない奴だったから庇う仲間もいない様子だった。その後も体育の時に何度か「また失敗例見せてくれよ!」とか茶化されていた。

やがて体育祭の時期になった。そいつ音楽も下手だったためかリズム感もなくて、体育祭ダンス練習では1人だけ遅れている様子が目立ち、「失敗例」事件も手伝って毎日嘲笑の的になっていた。

女子は、特有の「思い出を作ろう」的な団結の中で出来ていないのに一向に改善しないそいつに「思い出を台無しにされる」とイライラする奴が出始め、あんなに「カワイイ〜」などといじっていた奴らはバカにされているそいつを誰一人庇う事なく「真剣にやれよ、ウザイ」と平然と発言した。

そいつはやがて体調不良理由不登校になった。まもなくそつの親を通して、連日の出来事が担任の耳に入った。

クラスでは学級会が開かれ、そいつバカにしていた男子、辛く当たった女子、その様子を見て止めたり大人に報告するなどせず無関心にしていた俺含めその他大勢に対して担任は「集団いじめ」だとして顔を真っ赤にして怒り狂いながら叱責した。

クラス全員への聴取がなされ、そいつ揶揄ったり非難していたとして名前が上がった男女数名については後日呼び出されてそいつに謝らせられたと聞いた。

…という、遥か何十年も大昔の出来事なんだが、俺はいまだに衆人環視の中で実演をさせて失敗した生徒を「失敗例」として授業に活用した担任が全ての元凶に思えて納得いかないんだよなあ

2023-05-16

豆苗の仕上がりが分からない増田住まいなら川狩りが足のうょ美海と(回文

おはようございます

豆苗さー

なんか上手く育てられてないのかどうか初だったので仕上がりの出来栄えがどうだか分かんないんだけど、

日光の日なたに当てないと美味しくないのかも知れないかも?

うーん、

いったいどうなってるかどうか分かんないんだけど。

家の中でキッチンに置きっぱなしにしていたので

ひょろひょろの緑色の薄い色の芽が伸びてきたのは伸びてきて食べてみたんだけどね。

これが正解の豆苗の2回目の味なのか?

私は正確には判定できなかったわ。

これを何度も繰り返していって2回目の豆苗の味ってこんなもんなのね。

食べ時が分からいからやっぱり回数を重ねて精度を上げていくしかないわ。

話それるけど、

なんか最近さ、

隣の私が以前いた会社の中がそわそわしているらしくって、

それが伝わってくるのよね。

でなんかその会社の別営業所支店長オーリョーしてんじゃないか疑惑が上がってて

そんで社内調査委員が陰で動いてるらしいの。

おっかないわよね。

そんで私は関係ないけど

データエクセルみれるからって

精査してって頼まれたの。

もーおっかないでしょ?

そんで、

お礼にって金一専務からもらってこれマジでそんな状況?って

さすがにもらうことが出来なかったので、

これは成功報酬でいいですよ!って言ったのに、

封筒押しつけられちゃったわ。

なんかこのお金良いのか悪いのか、

まあ私はそのエクセルファイルデータエクセレントに調べただけなのによ。

いや実におっかないわ。

隣の社内がそんな状況なので、

不穏な空気がこっちにも伝わってくるのが、

私も関係ないちゃー関係ないけど

ソワソワしてしまう原因かも知れないわ。

いやーおっかないわね。

うふふって言ってる場合じゃないけど

うふふだわ。

景気よくサンバでも聴きたいところよ、

うふふ。


今日朝ご飯

チョコパンしました。

だんだん日の出が早くなってきたので味醂よ。

ミリンって10回言ってみて!の鼻の長い動物はなーんだ!ってクイズを出したいところだわ。

なのでだんだんと目覚めるのが早くなってきて快調だわ。

デトックスウォーター

水出しルイボスティーウォーラーね。

なくなっちゃったので、

また今夜仕込みます


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-04-27

どこまでがスキンシップ

ゲイカップルの話なので注意

同棲して2年目、彼氏になんでもないときチンコを触られたりケツを揉まれたりするのが不愉快というか不快になってきた。

特に寝る前、ベッドに入って1日の出来事を話したりお互いSNSをチェックしたりして、さて寝ようかと電気を消したところで身体を寄せる感覚で俺のチンコを握ろうとしてくる。

しかパンツに手を突っ込んで直に。もちろん俺はそれを制止するが「減るもんじゃないしいいじゃん」「10秒だけ触らせて」「5回だけシコらせて」と食い下がる。このやり取りが体感20分ぐらい続く。

これが毎晩。朝早く起きて、外で遅くまで仕事して、ようやく眠りにつけると思って気が抜いたところで毎晩このやり取り。個人的には恋人のじゃれあいの度を超えている。

彼の俺への好意ゆえの行動だとは理解しているし、これが彼なりのスキンシップだということも分かってあげたい。

が、俺にとっては全然嬉しくない。スキンシップなら手を繋ぐなりキスなりハグなりすればいいじゃん、肩を寄せ合ってソファNetflixを見るのだって俺には大好きなスキンシップひとつなのに。

何度かしっかりと「それはやめて、俺はそれ好きじゃない」と伝えたら、「僕の癒しがなくなった、どこで日々のストレスを解消すればいいの」とふてくされて機嫌を悪くされた。

悩みや相談愚痴なら聞くけど、ストレス発散は自分で解消してくれよ、俺を使うなよ。

2023-04-19

スズメヒナが落ちてきたので保護した時の話(※ハッピーエンド

2016年5月8日の昼ごろ、我が家の裏手にスズメヒナが2羽落ちてきた。隣の家の軒下にでも営巣してたんだろう。

うち1羽は成熟しており「巣立ち」の最中なのか余裕があって、しばらくすると自力で飛び立っていったが、もう1羽はまだ羽も生えそろっておらず、飛行もジャンプもできない様子。ういのキッチン横の室外機の下に自主的避難し、縮こまって親を呼んでいた。ネットで軽く調べてみると、スズメヒナは巣から落ちるのが普通で、落ちたら落ちたで、その落ちた先で親は育児を続けるらしい。まわりを探してみると、両親と思われるスズメがとなりの家の屋根の上から見下ろしており、ヒナとさかんに鳴き交わしていたので、そこに退避したことには気づいているらしい。きっとその場で育児を続けるだろうと思い放置。ちなみに巣立ちヒナのほうは気づいたらいなくなっていた。飛べるので、もう親離れしたのか、あるいは両親が別の場所で世話し始めたのか。

夕方が過ぎ、そして夜になるが、両親はヒナから離れていってしまった。人間を警戒して、室外機の下に入り込めなかったのだろうか。小さな箱に布を詰めて、その中にヒナを移動させ、上から視える位置に移動させるが、結局ダメ。落下してから時間くらいが経ち、エサも貰えず、気温の低下で体温も下がり、ヒナはどんどん弱っていった。

母は助けてやりたいと言うが、私はこれが野生の摂理から仕方ないよ、と首を振った。夕食後、ひとりでヒナを見に行ったが、死んでたら埋めてやろうくらいにしか思っていなかった。

ヒナは箱のなかで横倒しになり、目を閉じ、脚をぴくぴくと痙攣させていた。もうだめだ、あと数分で死ぬな、と思ったそのときヒナが私の気配を察して口を開けた。なにか食わせてくれ、という風だった。私はショックを受けた。「助けて」と懇願された気がした。

今考えたら「じゃあ気取ってないで最初から助けろ」と思うのだが、その瞬間、私の心に「守ってやらなきゃ」という炎が燃え上がった。ほぼ衝動的に、ヒナを抱えて家の中に入り、玄関避難。まず40度ほどのぬるいお湯を注射器で与えてみた。誰かが自分を助けようとしていることに気づいたのか、声が出ないほど衰弱しきっているのに「ピイ」と鳴いてくちばしを開く姿に涙が出た。ぬるいお湯を与えたあと、足温器タンから引っ張り出してきて電源をつけ、その中にヒナを突っ込んだ。たまに水を舐めさせ、足温器で暖めながらじっと見守っていると、30分ほどして突然目を開き、大音量で鳴き始めた。体温が上がったこと、水を飲んだことで体力が戻ったらしい。その後、私は夜通しヒナに寄り添い、砂糖水を飲ませたり、きな粉を混ぜた卵の黄身(なんかググったら出てきた)などを与えて、なんとか夜を越させた。相手人間だと分かっているようだが、平気でエサをねだってくるし、注射器相手にもくちばしを開いてくれた。

9日、日の出とともに親鳥と思われる2羽がウチのまわりを飛んでいた。目の細かい籠に足温器ごとヒナを入れ、昨日ヒナが落ちていたあたりに置いてみると、2羽はヒナの声を頼りに右往左往し始め、やがてヒナ位置確認したのか、虫らしきものを咥えて飛んで来るようになった。給餌をしてくれているらしい。昼ごろ、何かあった時のために、スズメ用のエサの市販品と、鳥類に給餌するための道具を買ってきた。やっと一安心といったところだが、午後から雨が降り始めた。ヒナ足温器が濡れるといけないのでダンボールで覆う。ところが、雨のせいか、あるいはダンボールのせいか、親鳥は給餌をやめ、立ち去ってしまい、結局夕方以降、ヒナはエサを貰えなかったようだった。

足温器に入っているとはいえ、外は寒いので、中に入れてやることにした。結局この日の夜も、私は夜通しヒナを見守ることになった。ただ、ヒナ本能的に夜は眠るので、特に何もしないで寝かせてやればいいらしいのだが、ネット情報に惑わされて、ヒナを叩き起こしてエサ(買ってきた擂餌)を無理やり食わせたりしていた。このときヒナは既に人間への警戒心を思い出しており、私たちからエサを差し出されても、お腹は減っているだろうにあまり食べてくれなかった。差し出される注射器から後ずさって逃げて、イヤイヤと首をふるのがとてもカワイイ

当時、私は就職活動中で、この日の夕方に今働いている会社から内定をもらったのだが、スズメのことで頭がいっぱいで全然喜ぶどころじゃなかった。

10日、天気はくもり。夜明け前ヒナが腹減ったと主張し始めたので、擂餌と砂糖水をちょっとだけやり、そのあと外に出した。日の出と同時に親鳥が飛んできたが、ヒナはさっきので腹が膨れたのか、あるいは寝ぼけてるのか、親の呼びかけに返事をしない。少し焦ったが、しばらくするとちゃんとエサをねだり始め、両親の給餌が始まった。片親が屋根の上で周囲を見張り、もう片方がエサを取ってきて与える、という役割分担が美しい。

朝10時頃にハプニングがあった。近所の野良ネコヒナを見つけたのだ。母が気づいて、外に出て追い払った。その野良ネコはよく見かける子で、すごく人懐っこく、近所の夫婦に世話を焼かれているので野鳥なんぞ食わんだろうが、ちょっと怖い。ヒナに対して敵意はなく、単に箱を覗き込んでいただけだったようだが(追い払ってごめんね)、とにかく地上にヒナを置くのは、野良から守れず危ないという結論になった。

そして、ヒナ引っ越しを決行。親鳥が見守る中、箱ごと持ち上げて2階のベランダへ。ベランダの壁際の室外機の上に乗せた。ここならヒサシがあって雨も防げて、ネコも来れないし完璧じゃん!と思ったが、引っ越しが済んだ昼から夕方まで、親鳥は遠くからヒナを見つめるだけだった。さすがに窓際は人間が怖く、近寄れなかったようだ。日の入り前、片親がギーギーと大声で威嚇音を鳴らして人間牽制し、もう片方の親がエサを持ってヒナに近寄ろうとにじりよっていたが、やっぱり無理、怖い!という感じで諦めてしまう。そういうわけで、室外機の上よりもっとベランダの外側にアウトドア用の机を置き、その上にヒナを移動させたが、両親はそれを見届けたかどうか分からないうちに姿を消してしまった。とても残念だった。暗くなったのでヒナを私の部屋の中へ移動させ、一晩静かに寝かせた。

置き場は本当にベランダでもいいのか?親鳥は明日ヒナを見つけてくれるか?明日の天気はけっこう酷いけど大丈夫だろうか……など色々と心配事が重なってとても辛かった。私と同じ部屋で眠るヒナは、不安になるほど静かに眠っていた。

11日、天気は一日中雨という予報だったが運良く外れ、朝のみの降雨となった。しか低気圧のアレで風が強く、人間でも怯えるような突風が朝から晩まで吹き続けた。こんな天気だとヒナは外に出しづらいし、親鳥も来てくれないんじゃないか心配したが、親鳥は変わらず日の出と共にやってきた。風に煽られ、雨に濡れてもお構いなし。

さてヒナだが、足温器ごと外に出すと突風で吹っ飛ばされそうで、傘とかダンボールとか、いろいろ策を考えたが、レインコートをキツめに足温器に巻いて、ガムテープを駆使して机に固定してみた。親鳥がレインコートに怯えて近寄ってこないのでは……と心配だったが、あっという間に親鳥は欄干まで近寄ってきた。しかし「ヒナの声は聞こえるが、ヒナがどこにいるかからない」というふうに右往左往するので、少し場所をズラしてわかりやす位置に。私の部屋の窓からよく見える位置だが………? 少し経つと、どちらかともなくヒナを見つけ、暴風雨の中の餌付けが始まった。一体どこにいるのか、虫をしっかり見つけてきて与えている。天気こそ酷いが、足温器の中は暖かく風もなく快適で、ヒナ健康のもの、親鳥も献身的で、ネコ心配もない。この日、今までで初めて「誰も家にいない時間」が3時間ほど発生したが、なんのハプニングもなく、親子ともども普通そうだった。雨もやみ、あとは強めの風だけが難点だった。

帰宅後、ベッドで寝っ転がって、親鳥の給餌をぼんやりバードウォッチングしていると、ヒナと片親が、かなり大きな声で鳴き交わし始めた。それはまるで餅つきのように、ピイ、チュン、ピイ、チュンと交互にテンポが良い。ネットで調べると、互いの位置と安否を確認するためのコミュニケーションだと書いてあった。心配になった母が見に来るが、私はそのネット情報を伝えて、会話してるだけだと思うよ、となだめる。

しかし、母が立ち去った十数分後、突然スズメたちが叫び声を上げ、私が見ている中、ベランダの床にカラスが1羽降り立った!いじっていたスマホを放り投げ、窓にとびつき、開いて、怒鳴り声を上げてカラスを追い払う。カラスふわふわと飛んで、すぐ近くの電線の上にとまった。逃げたというより距離をとったという感じで、ベランダからは2メートルも離れていないが、人間では手出しできない位置だ。なんて狡猾な…!と、歯噛みした次の瞬間、親鳥2羽がファンネルのように屋根から飛んできてカラスに襲いかかった。カラスが飛び立つ。するとどこからともなく別のスズメツバメ(近所で育児をしてる別の夫婦たちのようだ)も飛んできて、空中戦がはじまった。カラス遠くへ逃げ、スズメたちはそれを執拗に追いかけて、追い払おうとしている。私はヒナの無事を確認したあと、ベランダで放心していた。あの鳴き交わしは、遠くにいたカラスを警戒するための点呼のようなものだったのだ。そして、私が見ていなかったら、カラスヒナにどこまで近寄っていただろうかと考えると恐ろしかった。カラスもこの時期は子育て中で、スズメヒナは「ごちそう」なんだそうだ。

母が駆けつけたので、事情説明すると、カラスけが必要ではないか、と言う。人間が見張っていれば追い払えるが、ずっと見ていられるわけじゃないし、なにより今週日曜日は家はずっと無人になる。賛成だった。母は手芸が得意なので、雨除けのために用意していたダンボールひとつ持ってきて細工を施し、「巣箱」のようなデザインに仕上げた。中に足温器カゴを入れ、コンセントはそのために開けた穴から外へ通す。もう雨は降ってないのでレインコートはひっぺがした。そして出入り口は上側に。幅5センチくらいの細長い広さにとどめ、スズメは通れるがカラスは通れないようにした。かなりゴツい見た目になってしまったが、両親は受け入れてくれるだろうか、と心配で、2時間ほど窓辺に座って観察。カラス撃退から帰ってきた両親がダンボールを見てギョっとしたが、片親はすんなりと入り口存在気づき、中のヒナの安否を確認した。受け入れてくれたらしい。もう片方は入り口に気づかず、何度か箱のまわりをうろついていたが、しばらくすると気づいてくれた。本当に良かった。これで安心である

日の入り前、それまで見張りと餌探しで手分けしていた両親が、両方とも餌探しを始めた。ヒナが寝る前の食いだめのためだろう。父が庭に撒いた米粒を拾い、ベランダといったりきたり上下運動しながら次々とヒナに与えていく。ヒナは生米は消化できないとネットに書いてあったが、そんなことないのか……? 日が沈むと両親は帰って行き、私はヒナを机ごと部屋の中へ。その晩はチョッカイを出さずに、ずっと眠らせていた。

12日、私が寝坊して夜明けに微妙に間に合わなかったが、慌てて机ごとヒナベランダに出すと、早速両親が給餌を始めた。部屋から観察してみると、両親とも巣箱に慣れ、給餌以外の用事でも箱のなかに入り、ヒナの世話を焼くほどになっていた。何度かカラスが近所に現れたが、そういうときは両親とも餌探しをやめ、巣箱に背を向けて欄干に並んで立つのがかっこよかった。

この日は天気がとってもよく初夏並に暑かったので、日中足温器をOFFにしていた。まったく問題が無さそうだったので、私は巣箱ガン無視普通勉強していたのだが、1時頃、突然様子がおかしくなり、窓の外を覗き込む。欄干に3羽のスズメが止まっていた。は?と呆然しかも穏やかじゃない雰囲気ベランダに飛び出すと、2羽は右隣の家の屋根に、1羽は電線に飛び退った。2羽のほうが両親だろうが、あの1羽はなんなの?

1雇われベビーシッター 2親戚 3両親が世話してる他の子供 4この界隈で子育てしてる友人 5赤の他人(縄張り争いに来た) とかそこらへん? 昼ごろからゲーゲー鳴いてたし、縄張りいかもしれない、と思った。巣箱を覗き込むと、ヒナと目が合い、ヒナが怯えて後ずさったが、元気そうだ。とりあえず部屋の中へ戻り、心配で巣箱を眺めていると、両親が来なくなった。たまに飛来しても、穏やかじゃない雰囲気道路に出てみて、家を遠巻きに眺めても誰もいない。育児放棄? 縄張り争いで追い出された? とか色々考えるが答えは出ない。それから時間ほど窓辺で観察していたが、

・青虫を咥えた親鳥がやってきて、箱のなかのヒナが鳴くが、なぜか親鳥は餌付けせず、咥えたまま箱から出てきて困り顔で飛び立つ(2回)

・エサを咥えていないスズメがやってきて、欄干を歩きまわって立ち去る

スズメが欄干にとまってカチカチと警戒音を鳴らし、アウトドアテーブルの中を歩きまわって隅々までチェック

・巣箱の上に立ってダンボールをつつき、ぐるぐると歩きまわる。そこにもう1羽のスズメがやってきて、威嚇音とともに飛び立つ

など、不可解な行動が続いてますます混乱。登場人物が親鳥だけなのか、それとも他のスズメが混じっているのか、さっぱり分からない(見分けがつかない)。

ヒナの安否を確認しに行くと、足温器の端っこの端っこで布にくるまって縮こまっていた。怖いらしい。心配だし謎だらけだったが、大学へ行く時間になってしまったので、今起こっている状況を母に説明して外出。そして授業中に、ハッと思い至った。もしかしてヒナ足温器の隅っこから動かないから、親鳥が箱のなかに入ってもヒナが見つけられず、ヒナがどっか行ったと思って混乱していたのではないか? そう考えると、あの謎の3羽目以外のすべての現象説明がつく。巣箱からヒナのおねだり声は聞こえるのに、中にはいっても、どこにも見当たらない。それで両親は巣立ったのか?とか食われた?とか考えてあちこちしまわっていたのだろう。そのことを母にメールすると、大正解だった。母の実験と観察の結果、ヒナは給餌にきた親鳥のために姿を見せることをせず、いつまでも隅っこでヌクヌクしていたというのだ。母は足温器の隅っこを折りたたんでめりこめないようにし、両親に突き出した。やがて両親がヒナ存在気づき、給餌を再開するが、もう夕方。2羽総動員でエサをかき集めて与えていたそう。その間にも、また布の隙間に隠れてしまったヒナを見失って両親が右往左往し、母がアシストするという出来事が繰り返されたとか。私が帰宅したときには日没後だったので、ヒナは家の中で寝ていた。まったく人騒がせな奴。

13日、快晴足温器のはじを折りたたむことでヒナの隠れ場所を無くしたつもりだったが、もうありとあらゆるスキマにめりこんでしまい、何度も親から姿を消してしまう。しょうがないので巣箱を外し、足温器+カゴの状態で外に出すと、数時間見失いっぱなしだった親鳥がやっとヒナと再会し、今まで聞いたこともないくらい優しく「ピヨピヨ」と鳴いて、エサを取りに飛び立った。ヒナ足温器から出てきてカゴの端に止まり、親の帰りを文字通り首を長くして待っていた…が、次の瞬間バサバサと飛んで落ちた!上へ上昇する力は無いらしく、ベランダの隅に落下。ああ、こうやって巣から落ちるのか、と感心しつつ、私はバッタを捕まえるようにヒナを手で捕まえて、カゴに戻す。しばらくして両親が2羽でやってきてヒナの安否を確認し、飛び立つと、またヒナがカゴの端に立ってしまう。落っこちそうだ。そろそろ巣立ちかな、と思うが、朝からカラスがうちのヒナをずっと見ていることには気づいていた。親鳥が屋根から見守る中、戻って戻って、と叫びながらベランダヒナににじり寄ると、ヒナ足温器の中に戻っていった。それと同時に、カラスものすごい近くを飛行して通り過ぎていった。やっぱり狙っていたか

こうなってしまうと、親鳥が餌付け&発見やすいようにカゴを外に出すよりも、カラスから身を守らせたほうがいいな、と思ってまたダンボール巣箱の中に戻した。すると、驚くことに、箱のなかでヒナが羽をばたつかせ、自力でよじのぼって外に出てきた。もう彼の巣立ちを止めることは誰にもできないようだ、と静観を決めるが、またベランダの隅に落ちてピーピー文句を言うので、もう一度捕まえに行った。捕まえる時、母親屋根の上からアブラゼミのようなすさまじい声で威嚇してきて殺されるかと思った。箱の上にヒナを戻して早々に立ち去る。その後、箱の上で「どうやったら飛べるの?」といった感じでモジモジするヒナの元へ両親がやってきて、となりに並んで早口でさえずり、まるで飛ぶコツを教えているような様子が見れた。ヒナが「ピ!」と元気よく返事をしているのも可愛くて、思わず録画した。しかしその後また飛ぼうとして落下。調べたところによると、スズメの巣立ちというのは他の鳥と違って、このように「飛ぶ力はないが羽ばたけるっちゃ羽ばたける状態になった頃にするのが正しいのだとか。そうして巣から落ちて、地面で暮らし始めるらしい。というわけで、もう箱に戻すのはやめた。それから夜まで、ヒナベランダの床で過ごすことになった。ピョンピョンと跳ねて歩くのは完璧にできるようになったが、飛ぶ力がなさすぎる。羽ばたいても10cmがせいぜい。親鳥の後を追って、ベランダの手すりに飛び乗ろうと試みるのだが、まったくできない。ただ、その壁を飛び越えるくらいのスキルがないと、カラス野良猫や自動車の渦巻く外界では生きていけないわけでして。親鳥はヒナ四苦八苦しているのを上から眺めるだけ。やがてヒナは疲れ果て、尻もちをついて座り込んでしまった。脚を前に投げ出してショボンと肩を落とした姿が可愛すぎてまた写真を撮った。すると親鳥がエサを与えに来て、励まし、また飛び去っていく。少し元気が出たヒナが親鳥のあとを追おうとして失敗。こんな調子夕方になってしまった。日が暮れるとヒナは室外機の下に引きこもり、親鳥が夕飯をたくさん与えて、この日は解散。野生の巣立ち雛は、ひとりで茂みなどに隠れてこうして夜を越すそうだが、さすがに寒いしかわいそうということで、室外機の下に腕を突っ込んでヒナをむんずと掴まえ、足温器の中に入れておいた。過保護干渉かもしれないが、ここまでやったんだ、こんなところで凍死してほしくない。結局そのあと机ごと部屋の中にいれて夜を越させた。

14日、15日はヒナダンボールの上やホットカーペットの箱の淵に立って風を浴び、たまに親からエサをもらう日々が続いた。天気はずっと良かった。ヒナがたまに飛ぼうとして落ちて、ダンボールのところまで戻れない~と悲しそうにしてるので、15日には机の上のダンボールまで自力で戻れるように、DIYで余った板や、プラスチックの箱を組み合わせて、スロープみたいなものを設けた。アスレチック場みたいになった。15日は家族全員が日中ずっとでかけてたので、そのスロープが役に立ったかは分からなかったが、帰ってきたらヒナは無事に足温器の箱にいたので良かった。夜は寒いので家の中へ入れてやる。

16日。風が強く、カラスもよく目立つ日だった。近くにカラスがいるときヒナダンボールと欄干のスキマに隠れ、親が並んで欄干に立ってヒナ背中に守ってたのがかっこよかった。

そして昼ごろ、親鳥1羽とヒナの2羽が段ボール箱の上にいて、私がそれをなんとなく横目に見た瞬間、目の前で2羽が飛び立った。えええ!飛んでった!と1階にいる母に向かって叫びベランダに出た。2羽は隣家の庭におちていた。直後、隣の家の奥さんが出てきて、どうするかなと思ったら、2羽ともちゃんと飛んで逃げた。しかヒナ電線まで飛び上がっていた!地上から電線まで飛べる力をいつの間にかつけていたとは。その後、姿見えなくなったが、数分後うちの庭に家族3人できた。母親?のうしろをテコテコついていくヒナがかわいすぎる。

このあと、ヒナがうちに現れることは二度となかった。ネット情報によると、飛べるようになったヒナは親のテリトリーから出て行き、同じような年齢の若いヒナグループを組んで暮らすらしい。17日・18日あたりは、親鳥らしき2羽がウチにきてベランダを覗き込み、うちの子来てます?って感じにピヨピヨ鳴いていたが、また見失ったのだろうか。母によると、スズメに米粒をあげると、たまに飲み込まずに咥えて飛んで行くやつがいから、もしかしたら餌付けしてるかもしれない、と言っていたがどうだろう。ヒナと親で飛んできて、親が米を拾ってヒナにあげるシーンが見たかったけど残念。

ヒナ長生きしてくれたらいいな。

なんで今更こんな昔の話を投稿たかというと、

野鳥保護って条例だかなんかで罰則対象な気がしてて、ネット上で言いふらしていいことじゃないと思ってたから。今もそう思っているが、9年前だし時効だろ

ラジオ深夜便の「明日日の出の時刻」好き

北海道から沖縄まで日の出の時刻を読み上げていくコーナーで

時差はなくとも東西南北でかなり日の出は異なるんだなと興味深く聞いてる

2023-03-28

傘を買ったのに雨が増田降らない寧楽府出す間が目兄のタッかを坂(回文

おはようございます

こないだ傘が壊れて買い直した途端に天気予報ずっと雨だったのにそれっきり雨が降らなくなってしまったわ。

新しく傘買ったのに!

新しい傘って撥水加工新品なのでちょっと楽しいじゃない。

ちょっと雨期待していたのに

美事に雨降らなくてーって感じよ。

でもさ

そう言う洗車したら雨降るとか

雨にまつわる法則ってマーフィーが言いそうじゃない。

よくよく考えたら

お前ひとりの力で天気なんて変わるわけもちろんないんだけど、

もしそのひとりで天気が変わる法則だったら

どんだけ力持ってんのよ?って感じよね。

それとさ

よく雨男雨女逆もしかり晴れ男晴れ女も言って自分で発表している人いるでしょ?

あいう人たちを大勢集めて、

晴れて欲しいイベントとか

雨降って欲しいイベントかに

大量に派遣したらマジこれ天気操作できんじゃね?って思うけど、

仮にそうだとしても、

そんな人が大気に影響与えられる?

この理屈がよく分からないんだけど、

実際雰囲気晴れ雨男女の話もあるし、

洗車したら雨降るとか私みたいに傘買ったのに雨降らない!とか

だって私の場合雨の天気予報が続いていたので傘壊れちゃったかダッシュで買いに行かなくちゃ!って買ってきた手前なのよ。

もーどこからの手前かは忘れてしまったけれども

とにかく本当に1週間天気予報マークばかりだったのに

そりゃー井上陽水さんも傘の曲書くわけだわー

そんで探し物が見付かりません!つって歌ってるし

でも、

本当に大量の雨男雨女や晴れ男晴れ女を派遣したら天気変わるか検証して欲しいところよね。

その際に自分がその要素を実際に持っています!って証明することが出来ないので

自己申告での発表になるじゃない?

そもそもとしてどうそれを判定して要員として募るかは基準不明よね。

履歴書の賞罰のところにも

自ら雨男雨女晴れ男晴れ女の欄ないもんね。

あとデカスタジアムで、

観客席半分ずつ右半分を雨男雨女で残りの左半分をや晴れ男晴れ女で埋めたら

ちょうどスタジアムの真ん中で雨と晴れの境目が出来て振り向いたら虹が出ているのかも!

ってそんな操作までできたらと思うわ。

からどれぐらいその人員を集められっかが問題になると思うんだけど、

そうなるとビジネスチャンスとしては充分あり得ることもないかも知れないわよ!

このぐらいの人員が集まればもしかしたら気候も変えられる?

その科学的な立証は難しいけど、

なんか人数がたくさんいたら雰囲気でそう!って言い切れる感じだし、

せいぜい1人の人間が洗車したら雨降ったとか、

せいぜい1人の人間が傘買ったら雨が降らないとか、

どう考えても1人の影響力の方が限りなくゼロに近いんじゃね?って思うけど、

影響しているように感じさせることってあるわよね。

あれなんなのかしらね

とにかく私は楽しみにしていた新しい傘でバッチバチに撥水加工の効果を水の弾く様子を楽しみたかったのになぁーってそう思ったのよね。

ほんと新しい傘買った時に限ってそうなのよね。

うふふ。


今日朝ご飯

家でカレーパンレンチンして食べてきたわよ。

時間ちょっと早く起きてと言うのも、

日の出が早くなってきたから目覚めがその分早いマイサマータイムにもうなるかも知れない今日この頃で

だいぶ朝も早くなってきて明るくなってくるのはいいわよね。

私は嫌いじゃないわ明るい朝!

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラーしました。

お茶っ葉を6グラムか8グラムかにするのを6グラムでやってみたら、

6グラムの味がしたので、

しかしたら8グラムの味が好みかも知れない濃い味ホッツ緑茶ウォーラーがいいのかも。

好みの問題だけどね、

2グラムの違いはビデオ判定するほど微妙だけど、

かに味が違うわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-03-14

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

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漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-09

クロード・モネの有名な絵画、「印象・日の出」を以前美術館で見たが、有名な絵を見たありがたさ以外に「思ったより小さい絵だな」と「これを世の中に出していくってすごい冒険だな」という感じがあった。

絵は上手に描くもの写実的に描くもの、という世界観から、「いや、感じたことを描いていいだろ?おれには感覚的にこう見えてるし」という逸脱をしてそれを世の中に問う。けっこういかれた勇気と自信。

これが認められたことで、きっとその後の世界が変わった。より感覚的・個人的な心象に焦点があてられるような。

2023-03-01

幸せの条件

当方20代後半の独身男性エンジニアですが、現時点で僕にとっての幸せの条件と現在それを満たせているか(×、△、○の3段階)整理してみます

幸せの条件でこれが不足しているじゃない?というツッコミがあれば教えてください)


・何かしら野望がある状態(△)

これは年収を上げたいなどの直球的なものではなくて、何者かになりたい漠然とした思いの方。

学生時代は何にでもなれると思っていたが、社会人になるとアクションを起こさないと自分の将来がどんどん狭まっていくのを感じる。

現状だと「起業したい」や「何かしら居心地のいいコミュニティを作りたい」、「大学(院)に行って学び直したい」などの何となくの野望はあるものの熱意が足りているか微妙なので△


・広くて綺麗なお家に住みたい(△)

現在都会の1Kに住んでいる。

正直なところ40平米ほどの部屋に住みたいが、東京では現在給料だと厳しい。

リモートなので田舎(実家など)に行くのもありだが、友人関係キャリアを考えるととりあえずは東京にいる必要がある。

ただ部屋は綺麗な方なのでそこは満足している。


・食と性欲を定期的に満たせる(△)

給料も多くもなく少なくもない額を頂いて、独身なので食事に関しては不自由していない。

ただ外食というよりかは母の作ってくれていたような健康的な温かいご飯の方が好きなのだが、一人暮らしだと自炊コスパが悪く出来合いのものばかり食べている。

早く結婚して、手作りご飯家族で囲いたい。

性欲に関しては、時々ワンナイト風俗で発散しているもののち○こにクる女性と定期的に行なっている訳ではないので不足気味。

しろ全くモテずにえっちできなかった時に比べてより性欲が不足している様に感じる。


恋人友達、仲間との定期的なコンタクト(△)

休日には充実した日々を送っているものの、現在リモートワークなので平日は1人で部屋の中に引きこもっている。

正直リモートワークだと日常が虚無になってしまい、生活自体は非常に楽ではあるが人生このままでいいのかと思ってしまう。

最近は平日の出社を考えている。


結婚したい(×)

リモートワークにより一人暮らしが圧倒的に寂しい。

元々結婚願望があり、いい年齢になってきたので結婚を行いたくなってきた。

だが、結婚してしまうと他の女性えっちするリスクが高くなってしまうのが辛いところ。

穏やかで幸せな家庭を共に築く女性と、えっちしたい女性が生涯一致し続けるとは限らないのだ。


振り返ってみると○がなくて驚いた。

今が不幸な訳ではないが、心にぽっかり空いた状態で日々を暮らしている感は否めない。

そしてそれは今の自分には漠然とした野望がないことが大きな原因で、熱意のある野望が欲しくてたまらない。


大学受験はがむしゃらで本当に楽しかったなぁ、、、

2023-02-21

anond:20230221101828

分娩室で発射シーケンスに入ったにもかかわらず何らかの不慮の事故で発射できなかったら”その日の出産”は失敗だろ

出産自体が失敗したとは言ってないんだよ

ただ、その日の出産は失敗したよねっていうそんだけの話なんだよなぁ

2023-02-15

早朝から映画を2本見た

朝イチで映画を見るために6:00には起きる必要があった。

6:00はまだ夜で草。日の出前だからそりゃあ暗いはずだ。そういえば高校ときは6:00起きだったのでこんな感じだったな。

そんな早くに起きれるのかと心配だったが前日は22:00に無理やり寝たので大丈夫だった。

電車もやはり混む。そりゃそうだよな。

それで1本目の映画を見終わったらまだ10:00くらいで草。映画館の近くに職場があったら映画を見てから余裕か少し遅れて何食わぬ顔で出勤できる。

ちょっと時間を潰して2本目の映画を見終わってもまだ昼で草。ここから午後出勤できるじゃん。

でもやらねーから今日はまだまだ自由時間がある。自由だー!

2023-02-07

初日の出を拝みにたくさんの人が富士山に登るらしい

おれはそいつらが日の出はまだかまだかと一方向を向いているところに日が出る側の斜面に寝っ転がっておちんちんを出してゆっくり勃起させてそれに気づいた一人のやつが「あっら!太陽!?」と思ったらわたくしの亀頭でした!ズコ〜ヽ(・ω・)/

おいおい(笑)ちんぽやめー(笑) ちょっ(笑) ワハハハ

\チャンチャン/

っていうのやりたいんだよね

2023-02-01

最高気温2桁が普通になってきた

日の出時間日の入り時間5月下旬まで1日1分ペースで変化する時期に入った

anond:20230131174806

ちなみに日の出時間が一番遅いのは冬至の日じゃないんだよな

2023-01-30

メンズエステイロハ

風俗に飽きまして

いきなり何言ってんだってのはまぁ置いておけよ

20代から月1程度で風俗嬢抱いてきたけどなんかこう、風俗めんどくさくなったのよね。自分から動いたりしたくねえ。横になってるだけで勝手気持ちよくしてほしいわ

ここは本当に個人差あるからなんとも言えないけど、俺はそうなったの。

で、風俗に代わる他の女遊び探そうぜって事で目をつけたのがメンズエステマンションエステってヤツですね。

コスパの良さについて

よく「メンズエステなんてヘルスソープと大して金額変わらないのにヌキ(射精)が無い、劣化風俗」って言うヤツがいるんだよねー。

でも、10単位で俺が使う店で考えてみるとだよ

以下は指名料込みです

ね?全然違うでしょ?

こんだけ違うのに「同じ」って言う奴は計算下手くそではなかろうかって思います

風俗にあって、メンズエステに無いもの

ここらへん。

まり、働いてるセラピストからすれば客から変な事されないし、ちんちん舐めたり咥えなくていいわけで。そりゃ働きやすいよなって思う。

で、風俗に飽きた人にとっては、色々とすげー楽なのよ。ずっと横になってるだけでいいのでね・・・受け身には最高の店ですよ。

実際の流れについて


最後

ずーっと受け身でいいしー

風俗と違って無理なく毎週通える料金だしー

スーパーデラックス・ファットな相手あんまいないしー

ずっと相手の顔見っぱなしの風俗と違ってほとんどずっと尻向けてれば勝手に全部してくれるしー

俺は、誰がなんというとメンズエステ大好き!これからも楽しむぜ!

ただ

あなたの隣の部屋に決まった住人はいなくて、そこは日々、違う女が、違う男の客を招き入れて、全裸にして四つん這いにさせている、怪しげな部屋なのである

って、下手なホラーより怖いっすね。

2023-01-28

明日から1日1分ペースで日の出が早くなる

先週まで1日20秒ペースだった。

日の出も加速してきたね。

2023-01-25

日の出時間が1日40秒ずつ早くなった

来週は50秒ずつ早くなり

再来週には一分以上のペースで早さが加速する

日の入り時間はすでに1日2分ペースで遅くなっている

2023-01-20

日の出時刻がやっと冬至に追いついた

1月8日くらいに一番遅くなった日の出時刻がやっと冬至のころまで戻った。

日の入り時刻は1日2分近いペースで遅くなりつつあるのに、

日の出が早くなるペースは遅すぎる。

2023-01-19

宗教音楽の間で戸惑う

母親一家クリスチャン、親戚の独身女性全員がシスターという珍しい家で産まれた。

全く信仰強要されなかったか10代の頃は無宗教

大学生になって英文学の授業を取った時に英語聖書を読み、初めてキリスト教に興味を持った。

社会に出て働くようになってから人間残酷さとあたたかさを同時に味わったり、人も自分も良くも悪くも変わってしまうんだなと悲しくなったりした。

そんな時にふと神様存在を思い出した。

聖書を読み、寝る前にその日の出来事や感じたことを神様に語り祈るようになった。この世で唯一変わらない神様存在を思うと、自分らしく人を大切に生きられるような気がした。

20代になってから洗礼を受けて正式クリスチャンになった。

ある時、私はラジオから流れてくる曲に衝撃を覚えた。初めて聴く曲なのに異常に心地よく懐かしく感じた。その時点で彼のファンになった。

すぐに彼の他の曲を調べ全部聴いた。YouTubeでアップしていた動画を何度も見たりインタビュー記事を読んだりした。

彼の音楽だけでなく、彼の愛に溢れた言葉に感動した。手帳に書いてみたりした。

しか最近になって、それが彼の言葉ではなく、サティヤ・サイ・ババ言葉だったことが分かった。今までずっと聴いてきて感動していた音楽にも宗教の教えががっつり織り込まれていた。

要するに、私はクリスチャンでありながら、別の宗教の考えにずっと浸っていたということになる。そのことに気付き、私はものすごくショックを受け頭がぐちゃぐちゃになった。

それの何が悪いの?別にいいと思うものが何個あってもいいじゃん?と思う人もたくさんいると思うし、その考えを不思議だとは思わない。私もショックを受けた自分にびっくりした。

正直、自分はかなり信仰心低めのクリスチャンだと思っていた。神様を信じているというより、自分のために神様存在を利用しているというか。神様を話を聞いてくれるイマジナリーおっちゃんみたいに思っている、という風に自分では思ってた。

でも実は私は心の奥底では辛い時に教えに導かれたことをものすごく感謝しているんだと気付いた。だからこそ、知らないうちに別の宗教リーダーの言葉をありがたがっていたことが、神様への裏切りのようで言葉にできない気持ちになった。

彼の音楽は今でも大好きなので聴き続けたいという気持ちはもちろんあるけど、今回の出来事があってなんとなく怖くなってしまった。

キリスト教以外のものを受け入れたくないわけではない。当然神社も行くし仏教用語いいなと思うこともあるし新興宗教に傾倒してるアーティストの曲を聴いたりしてる。でもそれは「これは◯◯という宗教に基づいたものだ」という知識最初からあるから

元々「これはこの宗教の影響を受けた音楽です」と言われていればそうなんだなあと楽しめたのにと思うけど、日本では彼がそれを公言するのが難しいのと私がものを知らなさすぎた。

無宗教の人からしたら、楽しい料理教室に通ってフライパンとかも買ったけど実はマルチ巣窟だったことを後から知ったみたいな感覚に近いかもしれない。そのマルチが悪質かどうかは置いといて、マルチマルチから最初からマルチって分かってたらまだショック受けなかったのに…みたいな(マルチ批判ではなくあくまで例え)

宗教音楽、難しいなと思う。

2023-01-08

家出した創作意欲がもの凄い勢いで帰ってきた

8年間くらい独学でプログラミング勉強している。

最初ゲーム作りの本の写経をやってみたりUnityなどに手を出してみた。

いろいろ手を出してみた結果、クリエイティブコーディングという、プログラム言語で絵を描くのを追求することに至った。

最初の数年間は「毎日1行でもプログラミングを書く」ことを目標に、

1泊2日の出張にも自前のMacBookを持っていくくらい熱心に書いていた。

(主に写経の改造)

そのうち自分で好き勝手書けるようになって、淡々と週末描き続けハードディスクが足りないくらいの量になった。

SNSにアップすると固定ファンいいねをしてくれるようになり、

ますますモチベーションが上がるのと、自分仕事以外に何かを作っているということが心の支えになっていた。

本業ゲーム開発の非プログラマ

しかし、2022年、突然創作意欲が一切沸かなくなり、何も書けなくなってしまった。

他の人の作品にも興味を失いつつあり、鬱っぽかったのかもしれない。

今までは「趣味は週末プログラミングです」みたいに言っていたが、

他の趣味がなかったため週末はだらだら酒を飲むか庭園散歩に行くくらいになってしまった。

そうして2022年も終わろうかというタイミングで、急にまたプログラムが書きたくなった。

最初リハビリ必要で、書きたいもの記述方法が思い出せなかったり苦戦したが、

なんとか昔の勘を取り戻し、この年末年始で8作品描きあげた。

これは一時的な何かかもしれないし、ゆっくり休みが取れたか仕事脳がリセットされたからかわからないが、

今後もマイペースで続けられたらいいなと思った。

今何かに行き詰まっていたり、長年続けていた趣味に興味がなくなってしまった人にこの日記を送りたい。

何事もマイペースで、休んだり作ったりしていけば心の支えになるよ。

でも創作意欲君、もう2度と家出しないでくれ。

独身40代子なしな俺の大事家族なんだ。

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