はてなキーワード: 旗手とは
もう覚えてる人も多くないと思うが、日本はチームスポーツにおいてメンバーにインフルエンザが出てきたにも関わらず、出場辞退せずに強行出場した前科がある。
出場予定メンバーの1人である小野寺佳歩選手が初戦の直前にインフルエンザ発症。チームメンバーは当然ながら現地で生活を共にしており、かつ宿舎の部屋は3人・2人と分かれていて、インフルエンザに罹った小野寺選手は3人部屋の方に入っていた。
今のコロナの基準なら、間違いなくメンバー全員が濃厚接触者扱いだし、かつ小野寺選手と一緒の部屋だった他の2人はインフルに感染していた(ただし無症状)可能性が極めて高い。今の国民感情なら「出場辞退」一色だろう。
しかし実際は小野寺選手を3試合の欠場させただけであり、チームは五輪の最初から最後まで出場した。それどころかカーリング代表チームのスキップは五輪の開会式で日本選手団の旗手まで務めていた。つまりインフルエンザでも五輪出場を強行してしまっていたので。
こういう強行の前科があるから、コロナでワクチンがない状態でも「日本は五輪を開催する」「開催しないと死んでしまう」と政府やアスリート側から言えてしまうのだろう。
なろうアニメだかいう、負け組底辺の寝る前の妄想みたいなアニメとかやってっけど、あれたまに作者はITエンジニアだとか企業の人事部長みたいな看板で喧伝してんじゃん
ああいうの本気でやめて欲しいと思う、大体内容は現実でダメでクソだった自分でもプログラミングスキルだとかで無双して人生逆転、ITはこれからの時代の旗手だ!人生を切り開こう!みたいなの
大体IT知識とか技能に自信があるとか、本当のその業界で一線で働いてるなら、小説なんか描かないからね、んな時間ないし、そして、IT業界でいい年こいたオッサンやニートが未経験で入って生き残れる確率なんて、ノルマンディー上陸作戦の最激戦区並で五体満足で生き残るのと同じくらいの確率だからね
だってITエンジニアの作者がいってんだから間違いないじゃんっていうけど、普通ならそんな暇ないからなそういう人らって
本業がやってるかどうかわからんけど、そもそも役立たずの能無しで相手にされなくて暇だからレベル下げまくったからなろうだとかオタクコンテンツみたいな似たようなところに流れ着くんだろ
半端なにわか知識を喧伝されて一番困るのは、その業界の人間以上に、それに騙されるそんな小説だかアニメにハマるようなマジ底辺だよ
10年位前から、web系ならニートや底辺でもプログラミングスキルあれば無双できて彼女できて人生逆転可能なんて、
アニメだかゲームだか、情報商材屋に騙されて、ただでさえ対人能力マイナスの奴らが、web業界に入っていってはフルボッコにされて、何万人の奴らがこどおじヒッキーや自称フリーランスの障碍者手帳付き💩製造機になったよ?
ほとんどのやつらが、身の程弁えてりゃ、普通にそこらの飲食チェーンの正社員とか、中小企業あたりとか、スーパーの正社員あたりで落ち着くところに落ち着いていて、死ぬくらいしか救いがないような致命的な人生脱線なんて起こさなかっただろうにな
IT業界も長くいると、そんな奴らがいっぱい入ってくるけれども、枕を並べて討ち死にして双方悲しい思いをして涙の撤退みたいなの、いい加減悲しいし不毛なんだよ、だからやめて欲しい
煽りたてるなら仮面ライダーとかプリキュアとかさ、魔法少女でもいいよ、実在しないもので底辺人生の人間をあやしてやってくれ、頼むから
次の政権のご参考に!
<ガバナンス>
・ITを最大限活用した超効率運営。官僚の負担を減らし、魅力的な仕事にして優秀な人材を集める。
<人材登用>
・しがらみ無しで適材適所。各大臣に、その分野で最高に有能な人物を据える。
<経済>
・安定成長を実現(バブルは避ける)。
・強い分野、伸ばしたい分野を重点的にテコ入れ。
・経済の新陳代謝を高める(退場すべき企業は退場)。ただしセーフティネットを万全に。
・地方経済の活性化、東京一極解消(ただし東京の国際競争力は維持)、各主要都市の魅力を高め、各地方のハブに。人口を安定して1億人強程度とすることで、過疎にもある程度対応。
・(経済も含め)超大国を目指す必要なし。ランキングにはこだわらない。
<社会>
・少子化対策超徹底(子育てサポート超手厚くする。共働きでも片親でも、問題なく育てられる諸制度)。1億人強程度の維持。
・教育重視。
・英語強化。国際交流増やす。移民もっと待遇よく受け入れる(治安・経済は維持)。潜在的に日本のファンを増やすとともに、日本人の海外への理解も深める。
・働き方はより自由に。働けない時のセーフティネットも万全に。弱い立場の人を排除しない。
<外交>
<国防>
・永世中立的なポジションを確立、戦争はしない、国防費は減らす(ものすごく上手な外交とセットに)。国防費を減らすことで、社会その他諸施策の原資とする。
陰謀論というのは、宇宙人とか地底人とか未来人とかのファンタジー系のもの以外は、基本的には「不満に思っていること、疑問に思っていることに明瞭に答えを与えるもの」と言える。俺の今の生活が上手くいってないのはあいつらのせいだ、という鬱憤を晴らしてくれるものだ。日本では在日特権とかが代表的な例になるだろう。
今一番ホットなQアノンも、このフォーマットの陰謀論だ。イルミナティとかもちゃんと登場する由緒正しい陰謀論。
しかしこのQアノンが現実の政治にまで影響を及ぼし始めている背景には何があるのか。
陰謀論がこれほどまでに盛り上がっているのはなぜなのか。
それは、Qアノンはこれまでになく現実的な陰謀論だからだ、と言うことができる。だいたいの人はここで鼻で笑うだろうが。
そもそもの発端はジェフリー・エプスタインだ。エプスタインについては誰もが知っていると思うので割愛するが、ポイントはエプスタイン島である。
エプスタイン島の構造を見て誰もが思うのは「こんな悪の本拠地みたいな島が実在したのか」だろう。まるで80年代アニメの敵の要塞だ。しかもその施設の主目的が少女買春であったという、完全にフィクションの世界の話に見える。
実際、エプスタインの事件が公になる前に、「こんな島があって、各国のセレブが招待されている」なんて言おうものならそれはもう完全に馬鹿にしていいタイプの陰謀論者だ。そっと肩に手を置いて「落ち着けよ…」と優しく声をかけてやりたい感じのカワイソウな人である。
しかし、エプスタイン島は実在した。少女虐待も行われていた。著名人の渡航記録もたくさんある。
Qアノンはそこがスタート地点なので、これまでの「馬鹿なことを言っている陰謀論者」という批判や冷笑は通じない。エプスタイン島を見ろ!そこで行われていたことを知れ!エプスタインがどうなったか知っているのか?怒涛の如く「事実」で反論ができてしまうのだ。
ゆえに、Qアノンはかつてないほどの勢力になっている。事実がベースにあるからだ。どっかのおっさんの怪しげな体験だとか、秘密の暴露とかではない。
例えば日本でもプチエンジェル事件があった。有名な未解決事件であり、確実に黒い勢力が存在していることを誰もが感じ取るだろう。それの超アッパーバージョンがエプスタイン島だ。Qアノンたちが確信をもって「これは現実だ」と言っているのは、プチエンジェル事件に対して俺たちが「これ、絶対ヤバいよね…」と思う感覚の延長線上にある。
この「事実」に、様々な要素が後付けされ、「あれも説明がつく、これも説明がつく」と肥大化しているのがQアノンの現状だ。
冒頭で「陰謀論は不満に答えを与えるもの」と書いたが、その視点で見るとおよそ理解はできるだろう。
例えば、エプスタイン島で少女たちが凄惨な拷問を受けた末に殺され、その断末魔の血がセレブ達のアンチエイジング薬「アドレノクロム」の原料になっている、というもの。
これは二つの「謎」に答えをくれる。
まず一つ。セレブはなぜあんなに若さを保っているのか?ハリウッドスターが50歳でも若々しいのはなぜか?それはおぞましい儀式で少女たちの生き血をすすっているからだ!奴らは金を持っている。金を持っているということは、汚いことをしているに違いない。それが暴かれた!というわけだ。
そしてもう一つは古代から行われてきた魔術的儀式への回答である。魔術的儀式でいけにえを捧げる意味が「アドレノクロムを摂取してアンチエイジングをするため」という「科学」で肯定されたのである。アメリカ建国の父にして100ドルの男ベンジャミン・フランクリンも魔術結社「地獄の火クラブ」の一員だった。なるほどそういうことか…となるわけだ。
理由が一つでは誰も信じない。しかし二つになると何らかのつながりを見出す。そしてエプスタイン島の事実があり、上流階級への憎悪という動機がある。加えてヒラリー・クリントン憎しという背景もある。人種差別意識という種もある。ここまで揃えば、盛り上がらないはずがないのである。そしてそこに救世主幻想が加わり、Qアノンが完成する。誰かが俺たちの代わりに戦ってくれているはずだ。だから俺たちもその人を応援しないといけない!
日本人はプチエンジェル事件に対して「怖いね…」と声を潜めるだけで終わったが、そうはならなかったのがこのQアノンである。
俺自身、Qアノンに対して「もし本当だったらすごいことになるぞ」という気持ちがないわけではない。むしろ結構ある。そしてそういう人は結構多く居ると思う。そのように、現実に侵食してきた陰謀論がQアノンだ。エプスタイン島という悪のファンタジーが、それを可能にしてしまった。
ここで動画を直接貼るのは避けるが、Qアノンの主張と「事実」がまとめられている長い動画がある。
もしQアノンについて彼らがどういったことを信じているのかを確認したい人は、見てみてもいいかもしれない。「裏政府カバールの崩壊」という動画がそれだ。Youtubeでもニコニコでも見られる。陰謀論系ユーチューバーの動画を見るよりQアノンについて知るには手っ取り早い。ローマ教皇はサタニストである!みたいな感じで始まる。「何が彼らに現実と陰謀論の境界を越えさせたのか?」に着目して見てみることをお勧めする。
彼らは頭の弱い愚か者ではない。そりゃまぁ残念な人たちの比率は多いかもしれないが、Qアノンの現実力は理性を吹き飛ばすパワーはある。
「超金持ちが島を要塞に改造してそこでセレブを集めて少女虐待パーティーをしている」というクソみたいな話を信じる奴がいたか?とか
みたいなことを念頭に置きながらQアノンについて調べてみると面白いかもしれない。
ここまでがQアノンについての解説というか宣伝のようなものをしてきたが、ここで陰謀論に長く親しんでいる人にはおなじみの概念があるので、紹介しよう。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の殺虫剤のことではないし、デンジャラスドライバー天龍でもない。
Decoy,Distract,Trashの略だ。CIAが得意としている情報攪乱戦術のことらしい。
囮を使い、気をそらし、ゴミを大量に投げつけることで真実を隠す手法だ。
例えば、円盤に乗った宇宙人が地球に存在するとする。それを隠したい場合、わざと劣悪な作り話や拙いニセ写真、うさん臭い目撃者、突然登場する霊能者などを大量動員して、事実を覆い隠す。
そうすれば、たとえ真実が暴露されても、大衆は「どうせいつもの与太話でしょ…」と思ってくれるというわけだ。
そういう戦術を「奴ら」は仕掛けてくると、熟練の陰謀論者は知っている。
だからQアノンについてもそのような戦術がすでに「ディープステート」によって為されているだろうと確信するわけだ。
ということは、「アドレノクロムだ!」「サタニストだ!」「ケネディJr.が復活する!」とか、そういうセンセーショナルで馬鹿げた話は「奴ら」による罠だ。真実はシンプルにこの中に存在する。「奴ら」に騙されないよう、慎重に真実をつかみ取らなければ…。
そして歴戦の陰謀論者は「自分がつかんだ真実」に呪縛され、逃げられなくなっていく…というのもDDTの戦術の中にはあったりするんだろう。怖いね!
いずれにしても今世界中が格差問題でヤバイことになっているので、Qアノンが勢いづくのもむべなるかな。しかもコロナだ。これもQアノンに接続した。当初はコロナは「ディープステートの奴らを抹殺する兵器」と認識されたこともある。憎き上流階級トム・ハンクスが感染したからだ。トランプがマスクを付けなかったのもその理由になった。コロナはディープステートの奴らに感染する。俺たちには感染しない。という意識もあった。Qアノンが反コロナ対策に転ぶのもそういう理由だ。
というのも、日本でQアノンを支持している人はおおむね政権を応援しているからだ。別に政権批判したいわけではない。構造が変なのだ。
これは単に米国で「トランプがQアノンの旗手とみなされている」ことをそのまま輸入して「国家のリーダーがQアノンのリーダーである」と解釈したものだろうか。なぜか安倍首相を応援している。
トランプにはQアノンのリーダーとみなされる理由があった。トランプ政権下で人身売買の摘発数が増えていることや、ケネディ家と親しいとか、マスクつけてないとか、ヒラリーやオバマへの攻撃とか。後付けだろうが、「そうだったんだ」とQアノンが納得する材料は多い。
しかし、日本での安倍首相にはそういう材料がない。というかむしろ安倍首相は完全に上流階級そのものだし、上流階級仲間に利益を誘導していると疑惑を持たれている人物なので、Qアノンとは本来相性が悪いはずだ。
なので、日本においてはQアノンは面白おかしい陰謀論のままおわるだろう。目的も、リーダーも、倒すべき相手もいないので。
Qアノンはエプスタイン島のような「目の前にある事実」を起点として生まれた。日本には起点がない。いや、あったが、それはまぁ…と声を潜めた。
だから日本ではQアノンが盛り上がることはないし、現実ともリンクしない。
米国のQアノンとは現実度が全く違うので、日本で日本の感覚でQアノンをあれこれするのは、だいたい的を外していると思った方がいい。
せっかくの4連休なのに外出自粛。どうやって過ごそう。そうお悩みのみんなに増田が勧めたいのが「落語」というコンテンツだ。
落語。日本で生まれ育った人なら一度くらいは名前を聞いたことがあるだろう。何なら学校の授業の一環などで上野の鈴本演芸場や新宿の末廣亭といった、いわゆる寄席に行ったことがある人もいるかもしれない。でも、「落語見たことあるけどつまんないよ」というように思っている人も多いかもしれない。ぶっちゃけすべての落語家が面白いわけではないので半分はあたっているのだが、それで落語を聞かなくなるのはもったいない!このコロナ禍でいろいろな落語家が無料でYoutube配信を行っている。どうせ30分もあれば一席見られるのだ、騙されたと思って見てみてはどうだろうか。
とはいえ、どんな落語家の配信を見ればいいのかわからない。そんなみなさんも多いだろう。そこで、いまYoutubeにあがっている配信の中で、増田がおすすめしたい落語家の師匠方を何人か紹介してみたい。なお、「落語?志ん朝!談志!」というようなご通の皆様には恥ずかしいのでそっ閉じしてください。
Youtube配信でトップに持ってきたいのはやっぱり一之輔師。メディアへの露出も多いので見たことがある人もいるかもしれない。常に適当なことしか言わない(ように見せている)けど、とにかく面白い。とはいえ大抜擢で真打ち(一人前の落語家の位)になっただけあり、芸は確か。落語ビギナーには一番オススメなのではないだろうか。https://www.youtube.com/channel/UC2ROW2uDlhb-9rXzY2tqV3Q から師の配信が見られる。今までの配信を見たらまる一日は楽しめるぞ。
こちらも落語界の人気者。古典落語(明治の頃くらいから伝わっている話)から新作落語(自作の話)までこなすスーパープレイヤー。楽屋ネタが混ざることもあるので初めての方には?となることもあるかもしれないが、それを差し引いても十分に楽しめるだろう。公式チャンネルはないけど、いくつか配信がある。例えば https://www.youtube.com/watch?v=Hi-Iyq9zU_E&t=10s とか。あと他の落語家さんもそうだけど名前で検索するとたくさん違法アップロードが見つかるw
落語界の北朝鮮こと落語立川流の人気落語家。キラリと光るインテリぶりにははてな民もニッコリ。一門会(弟子と共同の落語会)があがっている模様:https://www.youtube.com/watch?v=YyXB5ABjV74 。しばしばあぶないネタをぶっこんでくることもあるが、公開配信ではそこまでヤバイことは言っていない…というわけでもない。
新作落語の旗手、三遊亭白鳥師も紹介しておこう。前座時代に唯一落語時点の携帯を許されていたとか、レジェンド・古今亭志ん朝師匠の顔を知らなかったとか、「なんで落語家になった?!」というような数々の伝説を持つ噺家。チャンネルはこちら https://www.youtube.com/user/3hakutyou 。古典落語は筋が決まってるわけだからやっぱり文脈依存の笑いになっちゃうこともあって初めてだとつまらないと思うこともあるかもしれないけど、新作落語は初めての方にも純粋な話芸として楽しめるんじゃないだろうか。
最後に、寄席である鈴本演芸場がやっている配信の紹介。チャンネルは https://www.youtube.com/channel/UCemgswArs0eSsjCv1HYdd6w こちら。配信に出ている芸人はどれも豪華なメンツばっかり。贅沢にBGM代わりに流してみたらどうだろうか。
安倍政権がどれほどの不正を働き、日本を破壊しようとも、投票率低下の著しい状況では固定の支持者層を持つ自民公明は必ず勝ってしまう。不満があるなら選挙で正せというのが安倍支持者のよくいう詭弁だ。連中は自民が負けないことを知っていて、選挙を単なる勝ち負けの場に貶め、「敗者」の口を封じようとしている。
投票が有効な手段足りえないのならば、それ以外にどのようにして自民公明を倒す手段があるだろうか。何れにせよ組織だった連中と戦うには自らも組織でなくてはならない。もしも若さと活力に満ちているなら、自ら政治運動の旗手になればよいが、そうでなければ対立する野党の党員になることが一番であろう。だから私は共産党員になろうと考えている
山田太郎前参院議員が今回の選挙で当選したようで、ひとまずはよかった。
彼が当選したことは表現規制反対派としては喜ばしいことだと思う。しかし同時に、彼には注文をつけたい点がある。
それは、「幅広いオタクの利害の代弁者としてではなく、右派オタクの代弁者としての立ち位置を自覚すべきだ」ということだ。
当たり前だが、オタクには右派も左派もいるし、なんなら極右も極左もいれば中道にノンポリもいる。オタクとは趣味を共有しているだけの集団であり、本来であれば政治的に何らかの共通軸を見出し得るようなものではない。それが唯一共闘できる、共闘し得るイシューが表現規制問題だった。
だから山田前議員が「オタク全体からの支持」を目指すのはどだい無茶な話であった。山田前議員にしても、表現規制反対とは別のイシューでご自分の意見をお持ちだろう。もしも表現規制反対以外に共通軸の乏しい集団をまとめ上げようとするなら、表現規制反対以外の「自分の意見」はなるべく封印してシングルイシューに徹しなければならないが、活動家ならともかく国会議員でシングルイシューに徹することはやはり難しかった。
共謀罪とか、表現規制問題とは直接関係がないかに見えるイシューにおける山田前議員の投票行動は、オタクの一部に深刻な疑念をもたらした。国会議員である以上は様々なテーマをめぐる審議において賛成か反対か旗幟を鮮明にせざるを得ず、その他の審議を欠席したり棄権したりでもしない限りシングルイシューを貫くのは困難だ。
そして今回の選挙に際して、山田前議員は自民党に入党した。前の参院選で所属していた、独自のカラーがちっとも見えない新党改革のようなマイナー政党であればともかく、右派政党の筆頭格である自民党に所属しておいて左右を超えたシングルイシューも何もなかろう。自民党入党の時点で山田前議員は「超党派のオタクの代表」ではなく「右派のオタクの代表」に変質した。オタクといってもその優先順位には濃淡があり、自民党には絶対に投票したくないと考えている左派オタクが、山田前議員に投票なんてできるはずがない。
これは逆を考えてみれば当たり前の話だろう。いくら表現規制に反対の立場を表明していたからといって、右派オタクたちは福島瑞穂議員に敵対し続けてきたではないか。それが悪いとはもちろん言わない。右派が左派の候補に投票したくないと考えるのは当たり前だ。だが、だったら左派が右派の候補を支持しないのも当然だということだ。
山田太郎前議員がオタク票を掘り起こしてくれたことに対して、私は素直に感謝したい。そして潮目はオタクの方に向き始めた。与野党の政治家で、オタクアピールを(自然にこなすかぎこちなくするかの違いはあれど)してくる議員は明らかに増えた。国民民主党の玉木雄一郎代表がコスプレで話題になっていたが、そういうアピールをする対象として我々は認められたのだ。これは喜ばしいことだ。
だから、そろそろ山田太郎前議員、およびその支持者の方々におかれては、「反表現規制で幅広いオタクを糾合する超党派の政治家」ではなく、「右派オタクを代弁する政治家」という立ち位置を自覚された方がいいんじゃないかと思う。
つまり、「国会におけるオタクの唯一の代弁者」とか「表現規制反対派の唯一の救世主」とかではなく、「国会に何人もいる表現規制反対派のうちの一人」としての立ち位置を自覚してほしい、ということだ。
なんでそう思うかといえば、この点の自覚が薄い一部の支持者が、山田前議員を持ち上げる一方で他の政治家(主に左派の政治家)を腐すような言動を振りまいているからだ。山田前議員以外にも国会に表現規制反対派はいること、オタクの政治的属性は右派から左派まで幅広いこと、こういったことを自覚せずにまるで山田氏が唯一のオタクの代表であるかのように振る舞えば、山田氏に必ずしも賛成できないオタクだけでなく、オタクではないけどオタクの権利に配慮しようとしている政治家やオタク層にアピールしようとしている政治家の離反を招くことにもなりかねない。
オタクの代弁者、あるいは表現規制に反対の政治家は山田太郎氏だけではなく左右両陣営にいること、このことを自覚してもうちょっと支持者の皆様には謙虚になっていただきたいというのが正直なところだ。
「自分は右派の政治家として表現規制に反対する。普段は右派として左派政治家と敵対するが、表現規制が浮上してきたら敵陣営の表現規制反対派と手を組んで表現規制反対のために闘う」とハッキリさせれば、左派寄りの支持者は離れていくかもしれない。だが重要なのは、あらゆる陣営に表現規制反対の種を蒔くことであり、山田太郎前議員のみが反対派の希望であるかのように持ち上げることではない。
「いかに我々オタクの代弁者山田太郎先生を盛り上げていくか」という視点は危うい。もちろん山田氏には頑張ってほしいのだが、彼が病に倒れたり事故に遭ったり致命的なスキャンダルを起こしたりしたときに、代わりの者がいないような状況では困るのだ。それよりも、多少山田前議員の得票が減ったとしても、その分が他の政党の表現規制反対の候補に流れているならそちらの方が好ましい。卵を一つの籠に入れないのは政治の世界でも重要なことだろう。
なのでまあ、左派寄りのオタクとしては、山田太郎さんには右派オタクの代表としての自覚を持っていただき、その立ち位置にふさわしい振る舞いをしていただきたいというのが正直なところです。別に左派の政治家が気にくわんなら好きなだけ批判すればいいとは思うが、だったら超党派でオタクを糾合することは諦め、右派オタクを票田にするのだと決意していただきたい。こちらも左派の反表現規制派の人たちを応援するんで、お互いに頑張りましょう。
日本人の表現だけを規制しようとしたり、違法なデモで国民の権利を阻害したり、
そんなこと言ったらバリバリの表現規制派である葉梨康弘議員みたいなのをのさばらせておく自民党に入党した段階で規制派になっちゃうじゃん。イザンベールと違ってこっちは現職国会議員だよ。
腹立ちまぎれに分断を尚煽ろうとするの図
枝野幸男が右も左もないと言っているのにいつまで右だの左だのにこだわっているのか。ここまでの票田になる山田太郎を右も左もないという理念を掲げている立憲民主党に引き入れられなかった失策を反省するべきだろう
分断は煽ろうとかそれ以前に現にそこにあり、その存在に気づかずに、あるいは軽視して超党派で結集ムーブをされると踏みつけられたり軽視された側としてはいい気分はしないので、分断のどっち側につくのかちゃんと旗幟鮮明にしてよね、って話です。
分断を乗り越えようとしているにしては片っぽを軽視する言動・行動が目立ちはしませんか、どうしてもその片っぽを軽視したいのなら超党派ムーブやめませんか、って話。
何度も言うけど表現規制問題が浮上したら左右を超えて手を携えるべき。でも表現規制以外のイシューでも山田さんを推せるかっていうとそうじゃないわけですよ。山田さんを一致して推せない理由をこちらだけに求められても困る。だったら「お互い一致はできないね」「表現規制問題が浮上したら一緒に戦おうね」と約束して今は袂を分かとうよ、という趣旨です。
枝野さんとか保坂さんといった先達の存在に目を向けずまるで山田さんだけが反表現規制の旗手であるかのように言ったらそりゃ反感を買うわな、という当たり前のことがわからんのかね。
左派に表現規制派がいないとは言わないし、だからあらゆる陣営に反対派は必要だよね、と言っているわけだが、なんかもうこのレベルのイチャモンに真面目に返答するのアホらしいな。何にでも性的消費ーとか噛み付く一部の自称フェミを見てるみたいな感じ。
まあ、山田さんも支持者の皆様も、頑張ってくださいね。応援はしてます。
左翼は原則として表現の自由を守ってきてる。例外としてオタクを規制してる。右翼は逆で、原則として表現の自由を規制して、例外として山田太郎がオタクのご機嫌をとってる。それで表現の自由ヅラされてもなあ。
しゃべるセレクティブエネミーかな? 例外もクソもあるかオタクの自由も守られるべきに決まってんだろ。進歩派の皮を被った保守主義者は我々自由主義者の敵なので右側の自由主義者と協働して打倒していこうな。
河野 真太郎氏の私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々
これが分断統治であるということの意味は、「教養対専門」の対立は、「大学改革」を押し進めるための人為的な対立だ、ということである
これは事実に反すると思う。「教養対専門」の対立は「大学改革」を押し進めるための人為的なものではなく、新制大学発足当初からある構造的なものである。そして、大学設置基準の大綱化を奇貨として大学側が旧教養部を解体したことで、むしろその対立が緩和されたと考えられる。
例えば、平成10年の大学審議会の議事録に以下の認識が残されている。
△ 教養部再編の時に各大学が積極的になったのは、教官グループ内の差別がなくなるということがインセンティブになったから。これから、大学院専任と学部専任という仕分けができてくるとすると、教養部の時に一度解決しているのに新たな差別を持ち込むこととなり、非常に強い抵抗があると思う。
また、旧教養部の成立から解体までを詳しく分析した第3章 教養部の形成と解体 一教員の配属の視点から 吉田文は、大綱化の背景を以下のように要約している。
P.61
一般教育に関わる規定が大学設置基準から消えた背後には、一般教育そのものに対する大学内外からの批判や不要論よりもむしろ、一般教育のみを担当する教員やその所属組織の存在に対する大学教員自身の卑下と格差解消の願望の歴史があったといってよいだろう。
もちろん河野氏も「とはいえ、大綱化によって、それまで存在しなかった教養対専門の分断・対立が生まれたという話ではない。その対立はずっとあった」と述べてはいるが、ではその対立とは一体どんなものだったのか。
P.65
民主化の旗手のようにいわれて新制大学に導入された一般教育であるが、専門教育しか行ってこなかったうえに、新制度下の組織編成も専門教育を行う学部が中心であった旧制度下の大学には、一般教育の根付く場がなかったのだといってよい。新制のもとでの教育がスタートしてわずか数年のうちに一般教育の座りごこちの悪さは、どのようなタイプの大学にとっても問題となって、それぞれの方式で解決策を見出そうとした。
で、一般教育の座りごこちの悪さはどのようなものだったかというと、
P.66
こうした(引用者注:教養部を法制化して学部と格差を埋める)要望が出されるに至った背景には、教養部が劣悪な教育・環境条件におかれていたことがある。名古屋大学の場合では「学部だと・・・文科系で教授三十二万五千円、助教授が十七万円。・・・理科系になると教授百二十三万円、」助教授でさえ七十五万円になる。それが、教養部となると、教授でも文科系が十三万五千円、理科系四十四万七千円。とても学部助教授諸君の足元にもよれない。」(名古屋大学、1989、p. 250)といった状況が記されている。こうした物質的な条件格差に加えて、「ごく最近のことだ。全学教授が顔をそろえた席上で『大学ではねぇー、こんな風にやっとるんだが、教養のはどうだね』と、・・・教養部の教授たちは、さぞくちびるをかみしめたことだろう」(名古屋大学、1989, p. 251)というような、条件格差を身分格差とみなすような日常が教員間には醸成されていたようだ。
このように、大綱化のはるか前から深刻な「教養対専門」の格差と対立が存在したのである。上記の名古屋大のエピソードは1950年代後半から60年代初頭の間のものと思われるが、そのエピソードをわざわざ1989年発行の大学史に載せるぐらいだから、大綱化直前の大学内の空気を推して知るべきだろう。そして、大綱化によってカリキュラム編成の裁量拡大が大学側に与えられ、このような格差を是正するために旧教養部を解体することを大学教員側が決断したのである。
ツイッター上には大学設置基準の大綱化によって旧文部省が大学の教養教育を破壊した、という言説が蔓延っている。しかし、教養教育を破壊したのは1990年代の当の大学教員側である。「教養対専門」対立に関する河野氏の主張も含めて、これらは大綱化を巡る歴史修正主義ではないか。
かつてはBuzzfeedと組んでMetooの旗手と目されてた時期もあった。ところが彼女の過去の言動が掘り返された際の反論でやはり炎上、BuzzFeedも反応も対応せず、その後のMeTooは広がることなくすっかり尻すぼみ、それまでネットメディアとしてそこそこ評価が高かったBuzzFeedもだいぶ株を落とす事となった。
その後、スカトロ趣味を公言するAV男優のしみけん氏と事実婚、その日々を漫画で綴ったエッセイでの迂闊な記述につっこみが入った後の弁解エントリーが、なぜかPC版のはてなブックマークトップページにずっと人気ブログエントリーとして晒され続けて約2か月が経過した。他に人気エントリーがない訳ではないのにこれだけがずっとトップというのはもはや晒しているといっても過言ではなく、はてな公認のサンドバッグと呼んでも差し支えはないだろう。
最近ではコミックエッセイの制作過程での編集の愚痴をこぼして新たな製作元を募集しており、日本でのMeToo運動を終わらせたその名前は伊達ではない。
売国先生を名乗る上皇明仁アイコンで下ネタや露骨な政治発言をするブックマーカーをはてなーならご存知であろう。
皇族の人権や位置づけ等いろいろなものをすっ飛ばしても他の人間の顔写真を使いネタをやるっていうのは趣味が悪いと思って運営に通報するも対応なし。
規約や過去の通報に関するエントリーを見ると、本人からの通報の際には対応をするらしい。
上皇明仁本人か宮内庁が自らはてなに通報しない限りは運営が対応しないなら皇族関係でのネタは実質やりたい放題、はてな公認のサンドバッグといっても間違いではなく、かのブックマーカーは咎められることなく他のブックマーカーから多くのスターをつけられている。
ツイッターなどの他のSNSだとガチな輩に目をつけられるし、はてなブックマークでやるというのは実に賢明で、政治家の画像を使用しても関係各所のクレームがなければ特に対応はしないようなので、自民嫌いの方は安倍首相の画像を用いて不謹慎なブックマークコメントするネタ垢でもつくったらスターを荒稼ぎできる事間違いなしである。その結果、どうなるかは知らないが。
元増田です。
増田さんが「叩く」「攻撃」という言葉で何をさしているのかをはっきりと定められないままお返事するので、ずれた返答になっていたら申し訳ありません。
あの祝辞は東大新入生男子を差別の直接の加害者として責めるものではありません。差別を含む構造の中で自分が有利な位置に生まれ育ったラッキーを自覚してほしいというだけです。個人の罪の話ではなく、社会構造の話です。
===上野と意見を異にするフェミニストをいさめる責任について===
例えば東大入学式で祝辞を述べた有名人である映画評論家の蓮實重彦には、町山智弘の映画評論について逐一何か言う責任があったのでしょうか。なかったと思います。それと同様です。例が古くてすみません。
そして、上野の主張によってラディカル・フェミニストや表現規制推進派やいわゆるツイフェミの主張が変わらないのは、上野に「本邦フェミニズムの旗手」というほどの影響力がないことの証左であると私は解します。
上野のリベラルorマルクス主義的フェミニズムの主張にはまた別の突っこみどころがありますが、それはそれとして別個に批判すればよいでしょう。例えば下記のページのように。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-5924c7.html
増田さん曰く「女性専用車両賛同派のロジック」である「叩かれたくなければまず身内の罪人を叩け」については、男性に対してもフェミニストに対してもその他いかなるカテゴリーに対しても、かような言い草は不毛な八つ当たりだと私は考えます。八つ当たりをくらった増田さんが八つ当たりし返したくなるほど怒るのはもっともだと納得もし、私の行き届かない文章でその怒りに油を注いでなしまったようであることに申し訳なさも感じます。
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あと一つ、純粋に不思議でおうかがいしたいのですが、東大新入生男子は男女差別をしない賛同もしないと増田さんが信じる根拠は何でしょうか。他大学の男子と同程度には、差別をする人もしない人もいると思うのですが。
東大入学式の祝辞は、東大新入生も世の中の一員である以上無関係ではいられない、世の中にある男女差別的だったり都会の金持ち家庭優位だったりする構造や先入観などについての話ではないでしょうか。
「世の中の一員だから」と言う理由で、東大生をやってもいない、賛同もしてない(恐らく反対してる)、そもそも実在さえ疑わしい「女性差別」で叩く事が許されるのに、上野だけが なぜ免れうると思うのか?
「世の中の一員だから」を適用すれば、誰もほかの誰かの罪から逃げられない。全ての罪を全ての人に連座することになる。
ある属性には上野のように全体攻撃、しかしある属性にはそれをするなと言うのは正に差別ではないのか?
ましてや上野には本邦フェミニズムの旗手としての責任があろう。それこそ善良に生きてきた東大新入生なんかよりずっと。善良に生きていく一般男性よりずっと。
あのおっさん問題起こしすぎだし全然好感持ってないしかばう気もない。
有力選手が病に倒れて、「コメントを一言」「残念です」これがそこまで問題か?
五輪相としては日本チームの旗手勤めてもいいような有望で若い知名度ある選手欠いたら「残念」ってまず思うでしょうよ。それがそこまでギャーギャー叩かないといけないこと?
満点はそりゃ病気の心配だけするとかノーコメントとかだろうけど、そこで満点とることがそんなに大事か?
例えばはてな民はそこで満点に近いコメント考えるのが五輪相よりは自信あるでしょうよ。(それでも座って落ち着いて考えるのと絶え間ない記者の突撃に立って答えるのは条件が違うと思うケド。)
で、それがなんの意味あるの?そんなことはたとえば仕事中にサボってはてなみたいなネットいりびたってたりすれば、当人の知能にもよるけど誰でもある程度は上達するようなことでしかない。そいつが使える人間かとはなんの関係もない。はてななんてむしろ実務も抜けてて世渡りもそんなにうまくないようなクスブリが多数派なんじゃないの?
俺は特にそういうとこで満点とるのは得意中の得意。はてなの有象無象よりずっと得意。思いやりがあるのではなく、そんなのは国語力の亜種だから。その方向に頭がよければ素早く満点出せる。
はてブでもトップコメントとるの簡単。みんなが求めてる通りの答弁とか、みんなの脳のメモリではがまとめきれないもやっとしたことを100文字にまとめるコメントとか、みんなが思い付かないちょっと上のコメントとか、とても得意。
でもそれってそんなたいした能力じゃない。たいした能力じゃないというか、実務能力とはそんなに関係ない。
おれは仕事だと真面目にやるほどむしろ内容濃すぎになったり話が一気に遠いとこまで進みすぎたりして相手の反応鈍くなること多い。
大幅に割り引いてほとんど相手をバカにしてるレベルのコメントにまとめると「素晴らしく整理されて分かりやすかったです!」って感激感謝メールされたりする。
仕事のクオリティと有象無象からの心象なんて全然関係ないんだよ。まして五輪相の仕事なんて何も知らないわからないやつらが、くだんねえコメントで満点をとらなかった、私たちのお気持ちに沿わなかった、そんなことで実務者を叩きまくる。
心底下んなくね?
そこで満点とらないことを池江や池江の親が気持ちのどこかでちょっと引っ掛かるくらいならわかるけど、公論に付すようなことことなのかこれが?愚民天国にもほどがある。
そもそも池江が病に倒れて次の五輪出られなくなったならその時点で現五輪相とは関係ない人になったってことじゃん。わざわざコメント求める必要すらねーよ。かわいそうかわいそうってシコるのはそういう仕事の芸人と暇人でやってろよ。
なのにそれをわざわざ忙しい人間にコメント求めて、そこで思いやりに満ちた満点回答しなかったら叩きます!って、なんなのそれ。
ちゃんと仕事してて、人並み以上に仕事が出来てる人なら俺の言ってることわかると思うんだけど。(あの五輪相が仕事できるのかは知らん。)
なんでいちいちトラップみたいな高好感度答弁テストされて、満点取らなかったらうぜえ罰ゲーム受けなきゃならんのよ。大臣だとそんな非生産的ないやがらせ受けながら仕事しないとあかんの?それってなんの意味があるの?ろくに仕事もできない小姑じみた暇人のワタシタチのお気持ちに這いつくばれ!ってだけやん。
最悪な社会だよな。はてなのお前らも最悪だよ。ようそんなんで普段ニホンシャカイとかロウガイとかを叩いてるわ。わらわすな。お前らもおんなじような人の足引っ張るだけの建設性のない(生産性のない、って書きかけてやめた。何でかわかるやつはわかるだろう。お気持ちバカに突っ込まれない文ていうのはこういうくっだらねえ神経の芸でしかない)カスだよ。
https://woman-type.jp/wt/feature/13170
以前、息子が見つけてきて「これ、変だよね」と言った消防少年団のポスターには、男の子がホースを持って前面に立ち、女の子が後ろで救急箱を持って控えていました。男性はメインの業務や力仕事を担い、女性は補助的な仕事やケアワークを担うという思い込みは、いまだに根強く残っています。
消防という人の命がかかった場面で「単に外形的な数的平等のために」大きな水圧で暴れる重いホースを女性にも持たせてさしあげる配慮をすべきかというと、私には疑問に思える。そういうときってホースは男が持ったほうがいいんじゃあるまいか。体重や筋力が平均的に男女同等ならいくらでもホースを持ってもらえばよいが、そうではないだろう。
というか、消火作業(ホース)も被災者の救護(救急箱)も、業務の重要度はイーブンだろうと思う。ホースがメインで救急箱がサブというのは序列が恣意的で、息子さんをよく調教されているようだけれど、男女平等にこだわりすぎて職業の平等を教えることをどこかに置き忘れてしまっているのではないか。
大学の学園祭を訪れたとき、男子学生がおそろいのピンクのTシャツを着ている様子を見て、しみじみと時代は変わっているなと感じました。娘が一時期、ピンクなどのパステルカラーばかりを欲しがるので、親として複雑な気持ちになったものですが、今の大学生は「ピンクは女の子の色」という意識さえ持っていない。偏見や固定観念に縛られることなく、男性がピンクを着ることが当たり前と感じる世代が生まれているのです。
とにかくピンクと女性の結びつきを断ち切りたくてしょうがないようす。
男子学生が揃いのピンクTシャツを着ていたからといって「男性がピンクを着ることが当たり前と感じる世代が生まれている」と判断するのはそそっかしすぎるだろう。学祭ということはサークルのユニフォームだろうから、その色を個人個人が好きで着ているとは限らず、女子もいるサークルで女子が決めたものをいやいや着させられているかもしれないのでは。
娘さんがパステルカラーを着たがることに「複雑な気持ちにな」るのは本当に親としてどうかと思う。娘さんが自由意志でパステルカラーを好んでいるのかもしれないのに、それを「社会に蔓延するステレオタイプに毒された結果」としか見られないのは、ひどい視野狭窄に思える。
子供の選択の自由を奪い、感性を自分の都合のいいように方向づけしようとしているという意味では「女の子だからピンクを着なさい」と押し付ける親も「パステルカラーなんか好んじゃいけません」と教える親も大差ないだろう。
例えばドラマを観ていると、なぜか悪役は男性、さらわれたり、狙われたりするのは女性ばかりです。我が家では、そんなステレオタイプのドラマを見ると、息子が「また女の人が逃げてる!」と突っ込みます。
現実に犯罪者数は男性が女性の10倍であるのだから、人をさらったり狙ったりする役は男性のほうが自然だし、粗暴犯が力の弱い女性を狙うのも自然な選択だし、そして、ここだいじだと思うんですけど、強者が弱者を狙うからこそ「卑劣で卑怯な手口」というプロットが成立するのであって、女が力づくで男をさらうドラマなんかがあったらそれこそ「何かおかしい」どころではなく、噴飯ものでしょう!
そしてですね、いわゆる2時間ドラマでは犯人が女であることもとても多くて(断崖で泣きながら犯行動機を語る中山忍が好きだ)、現実との比較としてはむしろこっちほうこそ不自然で不平等に思えるのだけれど、それはOKということなのかしら。
例えばアメリカのドラマでは、大統領やCIAエージェントのような仕事に女性が就いていることもめずらしくありません。最近のハリウッド映画では、コンピュータが得意な女の子が大活躍したり、男性の後ろに隠れずに、真っ向から敵と戦う女性ヒロインが登場したりしています。
もー、そもそもドラマの配役をもってジェンダーステレオタイプうんぬんを語ることじたいがスカタンとしか言いようがない。
エンタメに登場する女性は、その役柄がどれだけ威勢のいいものであろうと「画面の彩りやバランス」のために配置されていて、フェミニストであるならば本来そこにこそ疑問を感じるべきだと思うんだがそこは無視っていうね。フェミニストの旗手のように崇められているエマ・ワトソンにしたって、今の地位を築いたのはハーマイオニー・グレンジャーという「冷静な優等生というジェンダーステレオタイプな役」がウケたからなのですよ。
「男性の後ろに隠れずに、真っ向から敵と戦う女性ヒロインが登場したりしてい」ることをまるで近年のフェミニズムの手柄のように語っているけれど、ワンダーウーマンの例を引くまでもなく戦う女性を描いたエンタメはむかぁぁぁぁぁぁぁしからあるし、それは必ずしも実社会での女性の地位の向上や男女平等の意識の浸透を意味しているわけではない。女性でも「暴力」で敵と戦うのはスカッとするよねというだけの話で、現実にワンダーウーマンやプリキュアのような立場を担わされたら大半の女性は「迷惑」と感じるのではあるまいか。
これ以上くどくど書いてもしょうがないからまとめるけど、この治部れんげとかいう浅い浅いフェミニストは、言ってることのすべてが「表面的な数合わせだけの悪平等」の域を一歩も出ておらず、耳を傾けるに足る主張はない。それだけならまだいいのだけれど、この人、明らかに浅薄でズレた平等意識のもとでお子様の洗脳をなさっておいでで、まあこの人の子供がどんな人間に育とうと知ったこっちゃないのですが、ちょっと気の毒に思いましたまる