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2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-09-14

「○○が亡くなった! 青春が終わった!」がうっせいわ

ジャンリュックゴダールが亡くなったんですって(知らん)

なんとかバーグの旗手なんだってさ(だからなんや

若者は知らんて! 

  

もうやめませんか。「○○が亡くなったって」「俺の青春も終わった」って

  

人は皆、死ぬんです。

日本をみても、団塊の世代は75歳76歳77歳で、どんどん死に始める、そんな世代です。

当然、その世代アイドル達は、もっと死んじゃう世代です。もういいよ。死亡報告は。ニュースにするな。

  

マイケル・ジャクソンとか、エリザベス女王とか、が亡くなったのならいいですよ。騒いでも。時代象徴ですから

  

人間に尊卑も上下もないけど、時代象徴の中の象徴、つまりTOP OF TOP以外は、もう誰が死んでも、騒がなくてもいいんじゃないですか。むしろ騒ぐな。うっせいわ

2022-08-18

[]

中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

2022-08-07

いしいひさいちの新作「ROCA」

もう百合でエモで巨大感情青春だった。驚いた。最後まで読んで、思わず涙してしまった。


「ROCA」は、朝日新聞連載の「ののちゃん」に登場していたサブキャラクター吉川ロカ」の物語を1冊にまとめたものだ。

朝日新聞にロカが登場していたのも、もう10年近く前の話になる。それ以後はいしいの個人同人誌でロカは力強く歌ってきたそうだ。

そうだ、というのも、私はいしいひさいちの同人活動については知らなかった。

この本の存在を知ったのはTwitterだった。

鮮やかな緑を背に歌うロカを見て、なんだか気になり、すぐ注文した、すぐ家に届いた、すぐ読んだ。

凄かった。

 

「ROCA」は、たまのの市という田舎港町から始まる2人の少女物語だ。

"ファド"というポルトガル国民音楽を歌う(歌以外はあまり得意ではない)15歳の高校生"ロカ"。

もう3回高校1年生をやっている、町のあぶない商会の支配人の娘"美乃"。

出会いきっかけは、10年前に起きた連絡船の事故。2人はこの事故で両親を亡くしている。

ロカはすったもんだありながら、美乃と手を取り合い、時に蹴飛ばされ、歌手デビューを目指す。


…読み終わったあと、ぼーっと座っていた。

尊いような、寂しいような、やりきれない、この行き場のない感情を"サウダージ"という。と、先回りして作中で説明までされてしまった。

当たり前の話かもしれないが、いしいひさいちは画業50年を迎えるギャグ4コマ漫画家だ。

50年ナンセンスギャグを描いてきた70歳が、いま新たにこんな素晴らしい漫画が描けることに、また目頭が熱くなる。背筋が伸びる思いだ。

決して"らしくない漫画を描いている"のではない。

いしいの持つ独特のユーモア、毒、深い知見。

気持ちのいい描線や、密度のある背景。

愛おしいキャラクターたち、ファドという音楽郷里玉野市故郷で起きた連絡船事故

私には計りようもないあらゆるものへの思い。

"漫画の完成に10年かかった"とHPにあったが、10年どころではない。

いしいという天才が50年間描き続けたからこそ生み出せた傑作だろうと感じる。


4コマ誌の廃刊の続く今、この漫画はかつて4コマ漫画旗手であったいしいが再び投じた新たな火だと感じる。

ファドという音楽は、ポルトガル語で"宿命"を意味するそうだ。

いしいひさいちを知る人にも知らない人にも、今この漫画を読んで欲しい。

2022-07-28

anond:20220728085620

言われるだけならまだよくて、最悪童貞弄りした人がMeToo運動旗手になって日本ポリコレ10年遅らせる

2022-07-16

anond:20220716001421

反対するなら真面目にやれ。ていうか元増田国葬やってほしいんだろ?だからこんな雑な批判してるんだよな?

そもそも国葬などない

国葬を行うのに法令上の根拠不要侵害留保説・権力留保説)。また、前例もあり特段問題ない。

私怨で殺された奴の葬儀民主主義擁護お題目でやるな

私怨民主主義破壊は両立する

弔意を国家強制するのは内心の自由侵害

国葬からといって弔意は強制してない。大喪の礼強制されたか?された記憶はないぞ。

業績がハリボテでインチキ人間葬式を国費でやるな

⇒最長政権なわけで前例を鑑みればそれだけで十分。その他、2番目の長期好景気というデータや、国際的には安倍リベラル旗手戦後秩序の擁護者って評価。その業績を覆すならデータでどうぞ

本来は法の裁きを受けるべき人間葬儀を国を挙げてやるな

違法行為があったのなら証明すればいいよね

クソどうでもいいことに税金勝手に使うな

バラバラ国賓級に弔問に来られるよりは遥かに安上がり

そんな後まで待ったら死体が腐っちゃう

⇒本気で言ってんの?

先に火葬してもいいし防腐処理してもいい。

いままさに宗教絡みの疑惑がかかっているなかで巨大な宗教行事をやるな

疑惑じゃなくて違法行為証明してね

2022-05-31

[]オレオレFC1-0川崎F

オレオレFC】昨年王者撃破!!山本、決勝ゴールで10試合負けなし。暫定3位に浮上

明治安田生命J1オレオレFC1-0川崎F>◇第16節◇29日◇オレス

遂に王者を倒した。オレオレFCホーム川崎フロンターレに1ー0で勝利し、勝ち点29に伸ばし、暫定3位に浮上した。後半17分、MF山本が自らドリブル侵入し、豪快なミドルシュートをゴール左隅に決勝点を決め、守備陣もGK村上を中心に1点のリードを守りきり、10試合負けなしとした。1日の天皇杯2回戦(対ヘズSC戦)、4、11日のルヴァンカッププレーオフステージ(対広島戦)を挟み、次節は来月18日、ホーム清水エスパルスと対戦する。

 終了のホイッスルが鳴った瞬間、イレブンピッチに倒れ込み、スタジアム歓喜に包まれた。J1昇格初年度の19年の初陣でスコアレスドローに終わってから、5連敗と阻まれ続けた王者の壁を遂に破った。

 立役者はチームの大黒柱山本だ。後半17分、自らボールを奪い、ドリブルPA内に侵入すると、豪快なミドルシュートをゴール左隅に決勝点を決めた。山本インタビューで「PA内に侵入したら、打とうと思っていた。入ってくれて嬉しいです」。昨年の同戦は等々力で退場し、ホームではオウンゴールを犯して、共に敗戦。「去年の悔しさが僕の成長の潤滑油になっている」と語った1年後の今日背番号10ヒーローになった。

 大黒柱のゴールに守備陣も奮闘。プレッシングリトリートを巧みに使い分けながら対応し、敵陣では素早く寄せて相手圧力をかけ、自陣に入り込まれた時には全員が距離間を縮めながら、コンパクトで堅固なブロックを構築した。時折、ピンチもあったが、GK村上が好セーブを連発。リーグワースト2位の66失点を喫した昨年だったが、今季6試合目の無失点試合は早くも昨年に並んだ。

 相田満監督は「酷暑もあって、集中を保つのはなかなか難しい中で、危ないピンチもあったが、村上らを中心に良く粘ってくれました」と称え、攻撃陣については「今日たまたま結果が出ただけ。まだまだです」と苦笑いしつつ「1000億年早いと言われますけども、我々も同じような気持ちで、負けられないと思いながら日々練習、訓練をしているつもりなので、やっていて(川崎の)彼らの思いの強さとか負けられない中で必死でもがいている姿っていうのは、選手たちも彼らの気持ちがわかるところがあると思います」と話した。

 天皇杯ルヴァンカッププレーオフステージを挟み、次節はホーム清水と対戦する。山本は「油断したらやられる。気を引き締めて戦いたい」と意気込んだ。昨年王者を破った勢いで、混戦J1の台風の目になる。

成長見せた石田完封は嬉しいし、夢みたいです」

 右サイドバックで出場の石田完封に貢献した。スピード相手のマルシーニョに仕事させず、読みの鋭さと効果的なボール奪取でピンチの芽を摘み取った。試合後「完封は嬉しい。夢みたいです」と笑顔で振り返った。

 DF本田らがコロナ感染DF伊藤らが負傷し、DF陣は手薄だったが、14日の湘南戦で出場してから3試合連続フル出場。2年前に0―5で大敗した同戦では海外活躍する現日本代表の三笘薫や旗手怜央に圧倒され、前半だけで交代。そこから出場機会がなく「悔しかった」試合から2年後、成長を見せた。

2022-02-26

日本知識人たちは

いつになったらロシアに対して侵略批判オープンレターを書くの?

チェルノブイリにお世話になってたゼロ年代批評とやらの旗手さんは何してんの?

今こそ暴力に対してゲンロンの力を見せる時じゃないの?

2022-02-20

きしゅ

氷点下で行われた4日の開会式話題を集めた“上半身裸の騎手男子スケルトン・米領サモア代表のネーサンクランプトンも再び参加。開会式と同じく上半身裸で国旗を手に入場した。

米領サモア代表上半身裸の騎手」が閉会式にも登場 ネット歓喜男前」 - ライブドアニュース

https://news.livedoor.com/article/detail/21710564/

そらスポーツ新聞から旗手よりは騎手と打つ機会が多いだろうけどさ。

2021-12-17

なんで共産主義者は、自分たちのことを民主主義旗手みたいにいうんだ

北朝鮮も、「北朝鮮民主主義人民共和国」て国名に「民主主義」を使ってるしな。アホなの?馬鹿なの?

2021-11-01

パーティからハブられたけどフロンティア改革したら国と同じレベルにしてオリンピックまで決まって息子達がパーティで重鎮になった件

地震は「天罰」、これは俺を無下に扱った者たちへの言葉だったが自分に下ったものだった

そして、功績はなかったものとなり、軍団は滅亡、オリンピックコロナで無様に、息子達は比例で敗北


かつての仲間はいなくなり、俺の居場所パーティにはなかった。落日の国を目にひたすら栄えていく土地がそこにあった。

保守改革都市が国になる。落日の国の各地からフロンティアに人と企業、金が集まる街へ。作家崩れと言われた吟遊詩人が街へと名前をつけ、改革旗手となる。

ももう一つの都も私の同盟者だった。

全てがうまくいっていた。あのときまでは

2021-10-30

anond:20211030100338

そう言えば、今年の東京オリンピック開会式上半身裸で入場行進してた選手がいたよな。どこかの国の旗手トンガだっけ。カッコよかったな。

2021-09-16

弱者男性女性ヘイトでない真っ当な戦いをしようとすると

これらをいっぺんに相手にしなければならない

しかも、フェミニズム場合はそれぞれの時代エリート女性旗手になってきたわけだが、弱者男性にはそんな存在も居ない(エリート男性は現状を維持したほうが得なのだから

まあ詰んでるわな

2021-08-06

東京オリンピック3位決定戦日本-メキシコ

日本 1-3 メキシコ

夢を見させてもらった。

試合内容について思ったこと。

ディフェンス疲労

全体的に連戦していた選手は動きが悪かったように見えた。

特に遠藤は3失点に絡んでいた。PKを与え、セットプレーでは遠藤がついている選手から2点決められる。もちろん遠藤は素晴らしい選手疲労が溜まっていたのだろう。

早めに板倉に変えて良いのではないかと思ったが、監督にとって遠藤は変えられない選手だったのだろう。

ここまでディフェンスが持ち味のチームだったが、集中力が欠けていたか

オフェンス疲労

久保・堂安は輝きを見せられず。

久保は得意のカットインを徹底的に防がれ仕事ができず。

プレス回避

大会通してプレス回避もっとうまくなれば、自分たちで持てる時間が増えるのにと思った。

田中パスを貰う前の駆け引きは本当にアイデアがあって安定感があった。デヨングのようだった。

また旗手プレス回避については抜群の安定感だった。フロンターレプレス回避世界通用していた。

ただ、チームとしてはサイドに追い詰められてロングボールをやみくもに蹴り込む回数が多かった。

動き出し、抜ける動き、フェイク等の(フットサル的)技術、あるいは川崎フロンターレの止める蹴る技術がより必要になるのではないか

三苫メキシコ相手スーパーだった

三苫ボールの持ち方、突破キーパス配給と無双していた。

とにかく三苫センターレーンハーフレーンで持ったときのわくわくはすごかった。

あと2,3点取るチャンスはあった。怪我が長引いたのが本当に悔やまれた。

今日三苫最初から出せていたら、スペイン戦でも出せていたらと思った。

こういう試合は内容より結果がすべてなんだけど、後半ラスト20分は見ていて楽しくて良い内容だった。

オリンピックを見てフル代表はこうじゃないかと思った

     大迫

三苫   鎌田   南野

(中島)   (久保)  (堂安)

(相馬)       (原口)

   田中  遠藤

   (柴崎) (守田)

長友  富安 吉田  酒井  

(旗手)        (山根)

(中山)

     谷

2021-08-04

ようやくジーコの目指したサッカーができるようになった日本

オリンピックサッカー日本代表スペインには負けたが、選手自主性によってサッカーするということはできるようになったし、選手個々のクオリティも高かった。

選手たちの自主性で試合解決する方針日本代表だったジーコ選手たちに求め続けたスタイルで、当時はうまく行かず問題が山積みだった。

2021年オリンピック代表では遠藤田中碧、吉田試合中の判断問題解決できたし、他の選手たちもインテリジェンスがありバランスがとれる選手が揃っていた。

ただ、そこまでだった。

もし各国のサッカーの水準が2006年ジーコ監督していた頃なら金メダルを穫れる確率はかなり高かったろうが、今はイタリアでさえトータルフットボール実践する時代だ。

ここでのトータルフットボール定義は、11人が最大限試合に関与するようなサッカーのことを言う。

攻撃時では全選手が正しいポジションをとっていることを前提に、CBボランチポジションまで持ち込みキーパスを通す。サイドチェンジを繰り返し攻めるスペースを作り出す。

守備時には前のSHが追えばSB自分マークに飛び込んでいく。

最大限、余っている選手や飛ばされてしまうような選手を作らずに11人が試合積極的に影響できるようなサッカーだ。

日本は、余っている選手ができてしまった。

スペイン戦での日本の攻めを見ていると、CBリスクヘッジのためのロングボールで中盤が飛ばされることが多く、久保らに渡ってもその場の即興で完結してしま11人で攻められているとは言えなかった。

守りでは1トップの林とSH旗手が犬のように走らされ、後ろは待ち構えるばかり。後半になっても、人が変わっても選手たち任せのスタイルは変わらず、疲労考慮した選手交代しかできないのは自明の理だった。

日本がここから更に一段サッカーレベルをあげるにはトータルフットボールの考え方が必要だが、選手個々の判断でこれを実践するのは不可能である

選手11人の方向性をまとめあげる(しかリスクがある方へ)のを主導できる選手がいれば、それはもうプレイングマネージャーの域だ。

ただイタリアのように、選手たちの能力が高ければ監督次第で実践可能でもあるはず。

日本にとって幸いなのは鬼木監督川崎フロンターレがまさしくトータルフットボール実践し、結果を出していることだ。

森保監督で臨む2022年カタールワールドカップ後、きっと鬼木監督日本代表トータルフットボールの道に導いてくれるだろう。

2021-07-31

anond:20210731204114

そういう反対意識がないのではなく 反対しても無駄と思った奴が旗手を貶すんだよね

3S政策とか 共産主義者弾圧とかのアレのせいか

2021-07-23

選手探し選手

あんだけプレー見て、インスタ見ているのに、マスクしていて同じ国だから似たような顔の中からお目当ての選手を見つけるのは疲れた

旗手している数カ国+数カ国しかわからんかった。

開会式演出どうだった?

以下俺の感想

・地中が映って選手メタファーの種から芽が生えてくる→なんで種?それで表現するなら選手という花から種が散布される感じだろ?

コロナっぽい練習風景→取って付けたようなコロナアピール突貫工事としてはマシな方か。でもつまんね。

四季っぽいなにか→せっかく作ったので無理やり入れました感。いらんわ。まあ発注たから金払わん訳にもいかんししゃーないっていう公共事業の常か?

赤い糸意味不明イラネ。

抽選会の思い出映像普通文句はないが褒める気もない。まあ意味不よりマシか。

天皇バッハ握手イラネ。

歴代選手自衛隊による国旗運び→伝統からしゃーないんだが、いっちにーいっちにーはダサすぎ。練度の低さ全世界放映すんな。

国歌→まあ・・・日本の文化レベルじゃアレが限界だろ。頑張ったな。

・謎のIOCオッサンスポンサー映像→いらねー。まあ舞台のセットし直しがあるからしゃーないか。でも言ってることと実態があってなさすぎ。

大工タップダンス→ザ・ゴミ仕事してるふりして踊ってるだけの人たちはなんかのメタファーか?国辱レベル

・提灯軍団→提灯持ちの入場だ~~~~~。なんかのメタファーか?

東京五輪ときの木→過去の栄光にすがりついてカーゴカルトするの辞めろっつってんだろ。

ゲーム音楽入場→日本の文化なんてゲームぐらいしかねーんだと割り切れて大正解。そうだよ。こんな島国に求められてんのなんてそれぐらい。客の求めてるもんだしときゃ良いんだ素直に。

・各国選手入場→政治大好きちゃんじゃないかチャイニーズタイペイ~~とかはどうでもいいですわ。マッチョ旗手とか居たのが面白かったな~~ぐらい。正直道短いんだけどさ、これぐらいの方が今どの国がメインか分かりやすいしいいんじゃねーかなとは思った。

・積み木ゴッコ→キモいマスゲームだな~~~とは思ったけどロゴのコンセプトを伝える努力をしたのは良かった。パクリロゴだったら出来てなかったと思うと感慨深いね

ドローン→ええんとちゃう最後世界地図になるってのも後付っぽいけどオリンピックらしさがあってよかったんじゃない。

・色んな人の宣誓→言ってる内容と実態が全く噛み合ってない棒読みはなんかのメタファーか?とりあえず言っておけばいいって感じのメタファーか?宣誓の内容を聞く限りは開催するに値する状態じゃなかったようにしか思えないぞ。

バッハ→話し長すぎ。面白くない。帰れ

・お歌のコーナー→まあ、無難。つうかバッハがクソすぎて脳がもう判断力失ってる。

ピクトグラムコーナー→こういうのってわざわざ「俺凄いでしょ~~~」って言い出したら負けだと思う。

パントマイム→キレキレなら様になったね・・・

2021-06-03

北方謙三メンタルヘルス

 北方謙三は、90年代以降は歴史小説家として地位確立したが、まずは80年代半ばにハードボイルド旗手として名を上げ、同じ頃から若者向け雑誌於いて、読者から寄せられた人生相談質問に答える『試みの地平線』という連載企画を開始した。

 この連載は掲載誌において人気となり、その結果、北方には「二言目には『ソープに行け!』と(※太いゴシック文字で)相談者に説教する」「『バカヤロウ!』と(※太いゴシック文字で)相談者を怒鳴りつける」というステレオタイプイメージが付き纏うことになる。今でも北方謙三に対して、そのような説教オヤジとしての印象を抱く人は存在することだろう。

 これを書いている私も、若者だった当時、そういった北方謙三と読者のやり取りを、面白おかしく楽しんでいた一人である

 今でも私の記憶の片隅に残っている、相談の一つについて以下に記す。それは、二十歳そこそこの若い男性から寄せられた「何もかもイヤになった。生きる気力を失った。自殺を考えている」という、現在言葉表現すれば、メンタルヘルス問題を抱えている人から相談であった。

 最初相談のお便りを読んだ時点では、私を含めた多くの読者は「どうせまた『バカヤロウ!ソープにでも行ってクヨクヨ悩むのを止めろ!』とか言うのだろう」と思った。しかし、そのような我々の予想に反して、この相談に対して示した北方謙三の反応は意外なものであった。

 正確な文言ではないが、以下のような感じであったと思う。

 「お前の気持ちは分かった。どうしても、とお前が言うならば、俺にはお前を止められない。けれど、ほんの少しだけで良いから、それを実行に移すのを待ってくれないか

 お前が実際に死ぬ前に、何でも良いから、死ぬ前に本を百冊読んでから死ぬと、そう俺に約束してくれないか

 何も、俺の本じゃなくても良いんだ。図鑑だって子供向けの絵本だって、何だって構わないから。何かの本を、お前が死ぬ前に百冊だけ読んでみてはくれないか

 俺には、死にたいと思っているお前を上手く助けるための、力や知恵が無いかもしれない。それでも、百冊の本を読むうちに、その中でお前は、お前自身を救ってくれる何かに出会えるかもしれない。

 もし百冊の本を読んで、それでもまだ気持ちが変わらなかったならば、その時はまた俺に手紙を書いてくれないか?その時また俺は、お前の言葉に、お前の気持ちに目を通す。その時、俺とお前で話し合おう。

 そのように、俺と約束してくれないか?俺は、お前の返事を待つ」

 この北方謙三による回答が、メンタルヘルス問題を抱えた状態人間に向かって掛ける声として、正解である現在の私は思わない。正直に言えば、メンタルヘルス問題を抱えた人間が百冊の本を読むというのは、ある程度の治療を経て回復を示してからでなければ、かなり難しいことだろう。しかし、そのような審判を私が下せるのも、メンタルヘルス問題の重大性や対処方法について認識している現代人だからである。この相談が寄せられた当時、メンタルヘルス問題に関する世間一般意識知識は、まだまだ貧しいものであった。したがって、当時の北方謙三やお便り採用係の雑誌編集者が、現代人の視点から見れば相談に対して頓珍漢な対処をしていたからといって、それを我々現代人が非難するのは些か酷であろう。

 当時の一読者に過ぎなかった私の勝手想像ではあるが、北方謙三は、本気でこの相談手紙を送ってきた人物を助けたいと思ったのだろう。ただ、誰かを助けたいと思うことと、そう思った時に助ける力を実際に自分が持っているか否かは、別の話である

 だから北方謙三は賭けたのであろう。かつて北方謙三自身が自ら経験したことに。すなわち、文字を書くという行為や、その行為によって生まれる本の持つ力によって、救われて生き延びたという経験に。相談者の彼もまた、救われて欲しいと祈りながら。

 当然のことだが、昔も今も北方謙三は単なる作家であり、決してメンタルヘルス問題及びそれに対する対処方法専門家ではない。しかし、それでも当時の北方は、この相談者に対して、その時の彼が思いつく限りの、出来うる限りの、誠実な回答をしたのだと、今でも私は思う。生きる為に文学の道、ものを書くことを選んだ作家という人種が、言葉や本に人間を生かす力が有ると信じることができないとしたら、その人はもはや作家と名乗れなくなるだろう。

 あの後、相談者が百冊の本を読み終えたのか、自殺を踏み止まることが出来たのか、相談者を北方謙三が救うことが出来たのか、今に至るまで私は結果を知らない。

 ただ、これを書いている私自身について言えば、この北方謙三の回答に手を引かれて、今まで生き延びたような気がしている。私の頭の中の、何処か片隅にこびりついた「せめて死ぬ前に百冊の本を」という言葉は、ずっと小さく残響し続けていた。もちろん数字の上では、とっくの昔に私は百冊の本を読み終えている。私という人間は、生きるのが辛くて死にたいと思いつつ、いざとなると死ぬ度胸が無い。結果として、みっともない姿で辛うじて生きている。その言い訳に「あとプラス百冊読むまで、死ぬのは待とう」と私自身に言い聞かせながら、人生の精算を少しだけ先延ばしして、逃げ続けているだけである。私の行為は、読書という行為を汚しているようで、北方謙三を始めとする物書きの人々や、本当の読書好きの人には誠に申し訳無く思う。

 あの相談者は救われただろうか?救われていて欲しいと思う。彼が救われたのなら、自分も救われるような気がするから

= = =

 ここまで書いて我に返り、我ながら気持ち悪い文章だと思ったので、精進落し代わりに、個人的面白かった『試みの地平線』の相談ベスト3を以下に書いて終わることにする。

 第3位:ハードボイルド作家として苦労したことは?という質問に対して。北方謙三の馴染みのバーで、北方がいることに気づいた他の客が「やっぱりハードボイルド作家っぽい酒を飲むのかな?」とヒソヒソ噂話をしていたため、格好を付けるためにバーの店主に協力して貰い、バーボンに偽装したウーロン茶を出してもらってグッ!と飲み干して「じゃあな、マスター」と格好良く帰った。

 第2位:北方先生SMプレイ経験はありますか?という読者から質問に対して。「有る」と回答。Mの女性から「縛って叩いて」とリクエストされたので、要望どおり北方謙三女性身体を鞭で叩いたら「痛い!」と言われたので、思わず「ゴメン」と言ったら、素に戻った女性から「そこで謝ったらダメ」と普通にダメ出しされた。

 第1位:未経験で一日も早くエッチ初体験をしたくて悶々としている男子高校生からの「こんな僕は鳩の交尾を見ても勃起するのですが、一体どうしたらいいですか?」という質問。これに対して「馬鹿質問を送ってくるな!」と一喝。超極太のゴシック文字で「まったく。俺はお前が羨ましいよ!」と回答。回答文が僅か2行に収まる。この極太文字による強調は、おそらく編集者から北方謙三への悪ふざけだったと思われる。

2021-05-22

anond:20210504105410

フェミニストリーダーは、概ね強者女性から弱者男性より圧倒的に強い。

フェミニストリーダー」が誰の事指してるのかわからんけど、フェミニズム旗手やってる人で一般企業でまともに就業しとる人を見たことないんだよね。

ライターとか社会学者とか職業活動家とかの、フェミニズム下駄外したら即座に無職になるようなスカスカ人間ばっかりじゃん。

2021-04-11

弱者女性論ってあんまり話題にならないよな

弱者男性論で大いに盛り上がっているはてなだけど、弱者女性論はなんか話題としての勢いに欠ける。

弱者男性論と性別を軸にして対みたいな感じで盛り上がっているフェミニズムあくまで”男性優位社会における相対的弱者である女性”の地位の向上を目的としていて、本物の底辺女性を救済を主題とはしていない(間接的に救われることはあっても)。

フェミニズム旗手になっている人達男性と対等に社会活躍ができるようになることを望む意識の高いエスタブリッシュメントだし、そのフォロワーもそれなりに社会的な意識を持つことができるだけの余裕のある中流階級って感じがする。

言ってしまえば、フェミニズム弱者男性論にあるような怨嗟に濡れた生々しい底辺臭が足りない。

もっと相対的評価とか関係のない紛うことな弱者である底辺女性の声が取り上げられる土壌があっても良いのにと思う。

2021-03-20

マーク大統領誕生なるか

バイデン最近口を荒らす場面が多くなり、人権平和外交旗手としては心もとなく白人高齢男性限界と思われる。

人達の尽力により国際的軍縮の流れができていたのだが、イギリスが中露への対抗で核兵器に関する不穏な動きを見せ始めた。

そのような中でバイデンまで中露に対する攻撃的な発言を行ってしまった。

彼は本来イギリスジョンソンに苦言を呈すべき立場だろうに。

メーガン妃、大統領選挙出馬を準備? 民主党議員人脈作り

https://www.ellegirl.jp/celeb/a35845961/c-duchess-meghan-presidential-campaign-21-0316/

バイデン後継者ハリスにも十分な実力があるが、国際的人権平和アピール力を考えるとマークル(メーガン妃)が上回るかもしれない。

マークルにはしばらく政治家としてのキャリアを積む必要があるので、出馬して当選する可能性が10年ほど先に安定してくるとして

バイデン大統領1~2年(任期途中で高齢により後退)⇒ハリス大統領8年⇒マーク大統領8年

現実的ラインか。

理想を言えば、ハリスマークルの順番を逆にしたいところだが。

向こう数年間はBLM運動追い風マークルが上手く利用できるだろうし、イギリスへの重要パイプを持つ彼女なら今進みつつあるジョンソン軍拡計画に対して牽制することもできる。

しかし、バイデン任期途中で引退なら自動で昇格するのはハリスだ。

選挙マークルが立候補するなら、どれだけ急いでも4年は待たなければならないのが厳しいところだな。

国際的人権平和を実現するなら、どの道をたどろうとも中露との協調は避けることができないわけで、4年も待っていられるだろうか。

2021-02-01

はてなーの中でスーチーが民主化旗手になってて草

欧米の手先以上の何かだったことある?ないでしょ

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