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はてなキーワード: 新興宗教とは

2024-01-10

例え話

結婚式

新郎新婦プランナーが事前に段取り時間割を考えて、その通りに式が進むように打ち合わせや依頼を重ねて当日を迎えた。

時間が限られているのでイレギュラー事態が起きないように事を進めたい。

しかし途中で参列者の一人が「皆のために凄い人に依頼したのでスピーチしてもらう!」と言い出したと思ったら、知らない新興宗教教祖が突然現れて他の参列者の招待状を奪って式場に侵入スピーチを始めてしまった。

教祖を連れてきた人は教祖に大感謝。その様子はSNSで広められその他の信者も大絶賛した。

その様子を見た有象無象も「自分感謝されたい!」と勝手にやってきては式場でやりたい放題。

他の参列者は元の式次第を知らないのでこれが普通なのかと思ってただ見ている。

かねた部外者が「式がめちゃくちゃになるから呼ばれてない人は行くなよ」と注意しても聞く耳を持たず、周りの信者からは「参列者に呼ばれたから行ったのが分からないの?」「行動しないやつが文句言うな」「呼んだ人には感謝されてますけど?」「スピーチしないやつがひがんでるだけ」「式がつまらいか面白くしてやった」と非難の嵐。

当然、式は式次第通りに進むことが出来ずに新郎新婦が望んだ内容にはならなかった。

招待していた人の一部は式場に入れなかったし、ウェディングケーキを出せずお色直しも出来なかった。事前にお願いしていたスピーチや作っていた動画披露する時間も奪われてしまった。

そしてスピーチを終えた教祖太郎スッキリした顔でこう言った。

「式を無事に終わらせるために呼ばれてない人が勝手に入って来れないようにしなさい」

2023-12-31

Vtuberになって宗教を作りたい

そして非課税で儲けたい

教祖は俺

教義はまあ適当に考える

過去宗教とスピにハマってたからそこら辺を混ぜる

信者を集めてものを売る

情報を売る

水を売る

合法範囲内で

一番儲かると思うんだよな

宗教

から新興宗教が栄えてるんだろうな

ビジネスだもんな

2024年はそれでいく

名前は「MASUDA研究会

研究会とすることによって宗教さを取り除く

YouTubeとインスタとTikTokを駆使して信者を集める

俺はVtuber教祖になる

顔出し嫌だから

スパチャがお布施になる

もちろん非課税

グッズも非課税

年取っても見た目若いままだから人気が出る

もし死んでも誰か引き継げば永遠に続けられる

名前増田モラスにするかな

頑張るぞ!

弱者男性でも彼女は出来るんだ…って話

吾の兄が

・鉄オタ

工業高校

趣味アニメ鑑賞と𝙏𝙞𝙠 𝙏𝙤𝙠に違法アップロードして再生数を稼ぐ

借金50万持ち(払う気なし)

洗濯 料理 全く出来ない

障害者手帳持ち

新興宗教幹部

っていう典型的弱者男性なわけだけど

なーぜか1年前に彼女が出来たんだよね

世の中分からないものだね

同じような弱者男性ではあるけど頑張って生きてる吾には女なんて寄ってこないのにねえ

2023-12-27

anond:20231227085022

一部の新興宗教ならともかく、伝統宗教はそんなに縛ってないでしょ。

縛っていない宗教こそこの国では長い間生き残ってる。

お坊さんだって、わざわざ何度も各家庭に来て説教を垂れて他人様の心を縛ろうとしてはいないじゃん。

精々、葬式法事の場で法話をちょこっとやるだけ。

けれども、かつての日本ではそんなお坊さんの法話にもなにかしらの影響力があった。

その「縛らない力」こそ、宗教という概念本質ではないかと。

2023-12-26

anond:20231224205347

自分は「宗教は『まだ必要である」という立場をとる。

非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。

日本人宗教観について

日本人宗教批判は主にオウム神理教創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教やばい」となり、それが「宗教的なものやばい」となっているのではないか。たしか新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会問題がある。

日本人全体で、なんとなく「宗教やばい」というゆるやかな共通認識があると思う。

そこから宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間けが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。

ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力権威金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブ意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教ネガティブな部分についてのものが多いと思われる。

また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか

アイドル文化について

宗教的なものやばいの1つの例でいえば、ガチドルオタキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りから理解不能なのであるアイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。

アイドル推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドル状態を維持可能状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドル存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。

宗教のはじまりについて

宗教のはじまりアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないもの発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。

日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分主観による)。「科学的な権威ありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。

そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。

自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。

宗教果たしてきた役割について

宗教必要かどうかは置いておいて、その発生過程宗教果たしてきた役割は、歴史学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たか宗教とき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である現在の今の自分にとって宗教全然必要でないと感じていたとしても、その自分存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなもの人類の中で大きな役目を持つようになったのか。

真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しか宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。

科学であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか

宗教は実際に無くせるか

また「宗教必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。

実際にとりあえず「宗教必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。

ありとあらゆる宗教的なもの不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。

宗教宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである

科学万能論についての批判

宗教科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。

まり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。

いったいなぜ、科学であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか

そして、自分にとって宗教必要いからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。

科学万能論者の傾向とその批判

それから自分は、ロジカルシンキング科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分ロジカルシンキングのもの科学思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。

彼らは科学論理というアカデミック権威おこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的人間宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。

Vimについて

Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である

もちろんあなたVimを導入しないという選択をとることもできる。

おわりに

こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である生臭坊主と言われる。

自分は、そうした既製品宗教や、新興宗教教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。

宗教おもしろい。とりわけ理系哲学文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。

2023-12-24

anond:20231224225223

ここでいう宗教新興宗教のことやろ

神道仏教キリスト教ほとんど宗教として扱われてる感じがしねえわ

anond:20231224223704

処世術としては差別慣れをオススメするよ。

人生選択として、個人的には男女差別ない宗教を選ぶよりも、みんなと同じ宗教とか文化で幼い頃から少しずつ差別に慣らしていったほうが生きやすいとは思う。

ニッチ新興宗教子どもを浸して、みんなが普通にしている習慣から隔離する危険性の方がコワイ。

あくま差別は悪いことだというのは前提

anond:20231224202137

それが新興宗教あるいはスピリチュアルなんだが差別はより酷いと思う

など

宗教は必ず差別を含む

歴史ある宗教は当時の古い考え方を少なからず引きずってるため、

必ず差別を含む。

から差別と縁を切りたいなら、新興宗教を起こすしかない。

最新の価値観アップデートされた教義文化を持つ、ピカピカの新品の宗教を。

しか問題は、我々はどうして「新参の神」を信じられるか? ということ。

数年前は見向きもされてなかった神さまの存在を、どうすれば信じられるだろう。

それだったらまだAIの方が崇められてるまである

2023-12-23

ご覧ください、これが努力教&極端に考える力が弱くて自分人生の主役じゃない人の末路です

元増田ネタでもマジでこれ言ってるアホたくさんいるからなぁ

令和で新興宗教努力教は滅ぼそう

あと極端に考える力が弱い人を生み出す毒親も滅ぼそう

anond:20231223105335

2023-12-15

この場合宗教二世三世のどちらになるんだ??

俺の実家は山奥にある寺である。なんか知らんが200年ぐらいの歴史がある寺らしい。

それでいて母親新興宗教である

気づいたら私も信者になってた

思うんだがこの場合宗教二世になるのか宗教三世になるのかどちらなんだろう



実家の寺では仏像修復士に会ったり賽銭の回収作業とかやったことはあるけど

新興宗教会合にも出たことある

2023-12-09

間違う自由って無いの

間違った歴史本を書いて売る自由ってないのかな。

セクシャルマイノリティーに関して不正確な情報出版する自由ってないのかな。

優生学は実は正しいとか。

地球は平面だ、とか。

新興宗教にカネを突っ込むと幸せになれるとか。

女性に関する不正確な情報出版するとか。

——…そういう、間違いを広める自由はないのかな。

表現は豊かであればあるほど、意義深い。だから表現自由が認められてるんだと思ってたけど。

間違ったことを書くと、即座に炎上して出版停止や絶版に追い込まれキャンセルカルチャー社会には、間違いを許す余白の広さがない。

anond:20231209170633

新興宗教陰謀論は弱っている奴の心が隙間を埋めてくるって本当なんだなあ。

あっちに行ってもがんばれよ

2023-12-08

人類歴史の中でさしたる信仰を持たず、ルールと罰の損得だけで社会をやっている時代なんてほんの最近始まったばかりなんだから、人が無意識信仰出来るものを求めるのは当然なんだよな。

新興宗教陰謀論から推し活まで強度は色々あるけど、これらに絡め捕られない人間の方が異常なの。

歴史上のあらゆる社会宗教存在していたということは確実に何らかの役割果たしていたのは間違いないのに、それを無視して表社会から宗教を締め出した結果がこの社会の混乱だよ。

2023-12-07

ネットリベラルには失望した。

何の話かと言えば、今回のトランスジェンダー否定書籍?の出版中止騒動である。あれを「表現不自由展」を歓迎していたネットリベラルがこぞって賞賛している点である


自分はどちらかと言えば保守寄りな人間であるネット右翼には辟易とするが、とはいえあんまりリベラルなのも好きではない。「表現の自由」と言ったって程度はあると思う。

線引きがあってもおかしくはない。


とはいえ、「表現の自由」を標榜することの重要性は理解しているし、それを掲げるリベラル的なスタンスは世の中には必要だと思う。「表現不自由点展」というのも、

好きな題材ではなかったが、「まあそういうスタンスがあってこそ、世の中全体でバランス取れるよね」とは思っていた。

原子力発電所だって稼働すべきだと思うが、「原発立地地域に寄りそおう」というスタンス理解できる。甘ったるい理想論だって、時には世の中に必要だ。


なので、今回、「表現の自由を標榜する側」であるリベラル層が、出版中止を拍手喝采して、なんなら必死擁護をしている様を見て、愕然として、失望してしまった。

おまえらの掲げていた「表現の自由」とはそんなに薄っぺらものだったのかと。



前述した通り、「表現の自由」だって限度はあると思っている。例えば、エログロの度合いが度を超えていて、明らかに全年齢に有害作品だったら取り締まるのは分かる。

黒か、限りない黒に近いグレーまではまあ取り締まられてもしょうがない。


でも、件の書籍はそこまで黒に近いグレーだったのだろうか。出版されていないし、原著を読むほど熱意もないが、伝え聞くところによれば、まあ確かに問題のある書籍っぽい。

だが、取材方法問題のある書籍や、ある程度偏った認識に基づいて書かれた書籍なんて、山のように転がっている。なんならちょいちょい山手線電車広告だって掲載されている。

技術的な観点から見れば、件の書籍よりもっと有害で、タチの悪いデマが書かれた書籍だってあるだろう。例えば、明らかにデマだとわかる医療系の話題を扱った書籍悪質性が高いと感じる。

がんの標準治療否定するなんて、人の生死にすら影響するし、残された者すら不幸にする。詐欺に近い形式新興宗教を勧める書籍だって、褒められたものではない。

私達は、直近、問題のある新興宗教が及ぼす社会的な悪影響について目の当たりにしたばかりである


そういった書籍ですら出版中止されないし、出版中止に向けた運動などが特に起きているわけではない。にも関わらず、今回の出版中止騒動である

客観的にみて社会的に悪影響の多い書籍差し置いて、「ネットリベラルの主張と相容れない書籍」が出版中止になり、あまつさえネットリベラルの方々がそれを賞賛したり、擁護しているのをみて、

正直うんざりしてしまった。あなた方の標榜した「表現の自由/不自由」とはそんなに薄っぺらものだったのかと。

自分の主張と相容れようが相容れまいが、表現の自由だけは金科玉条である」という話ではなかったのかと。



もちろんTwitter上を見ていれば、色々な擁護や釈明が書かれている。大筋でまとめると「世の中、どんどん悪影響の多い言説がはびこっている。だからこそこの辺で線を引かなければならないのだ」という主張だと理解した。わからないでもない。でも、その言説の前提には「自分は、世の中にとっての絶対的な良い/悪いを正しく判断できる」という驕りがあるように思う。


自分だって、少し前の段落で「やれこの話題は悪質だ」「ほれこれは悪影響だ」などと批評している。批評自体は悪いことだとは思わない。と同時に自分批評が「絶対的に正しい」とは思わない。

自分は、「世の中で絶対的に正しいのは数学くらいだ」と思っているが、その数学だって、前提を変えれば、それまで成立していた公理が成立しない空間規定することができる。

ましてや、社会的な言説なんてのは、その前提が各自価値観に根ざしているので、絶対的に正しいはずがない。ところ変われば品変わるし、「自分絶対的に正しく価値判断ができる」などとは絶対思えない。

からこそ、多様性やら表現の自由やら、自分以外の価値観を許容することが必要なんだろうな、と常々思っている。



その「表現の自由」というものを、今回、元々標榜していたはずのネットリベラル放棄してしまった、ように思う。

自分たちは正しく善悪判断できる、と信じているのだろう。しかしその態度は、とりもなおさず、元々彼らが大事にしていたはずの多様性や寛容を否定する態度だと、彼は気づいているんだろうか。

気づいているなら傲慢一貫性がないし、気づいていないならただただ浅慮だ



そういうわけで、ネットリベラルには失望した。もう彼らの言うことに耳を傾ける気力はなくなってしまった。

2023-12-06

anond:20231206164328

新興宗教じゃなくて、昔からある宗教じゃあかんのか?

て思ったが、

新興宗教の方が頭おかしい人多めだから居心地いいのかもな

恐らく自分新興宗教にハマるだろうと予感がある

学生時代新興宗教にハマった人の話を聞くと「なんだってそんな馬鹿なことを」と鼻で笑う気分だった

それから10ちょっとたった今、宗教にハマった人達体験談は生々しい温度感を持って自分に襲ってくる

自分で言うのも何だが、自分はどこに出しても恥ずかしい無能である

仕事が出来ないとかそういう次元の話じゃない

仕事は勿論、恋愛生活も対人関係も全てに置いて出来が悪くて何も出来ない

無能じゃない皆さんはご存知無いかもしれないが、幾ら回っていようとも周りと噛み合っていなければ社会歯車にすらなれないし

その自覚があるくせに現状を改善するやる気もそもそもどうすれば良いのかも分から

ただぼんやり「いきるのってたいへん」とお空を眺めているのが無能無能たる所以なので

現状が改善されることも無い

そしてその癖に承認欲求自己顕示欲だけはある為に、誰かに認められてみたい、必要とされて感謝されてみたい、みたいな感情だけはある

出来ない人間は寂しい

何故なら自分社会にとって必要とされているという実感は無い

しろ人に迷惑を掛けて、嫌われてだんだん避けられていくのをずっと眺めているしか出来ないから。

自分には誇れるものも特技も何もない、周りの人達の様に必死努力したら現状が良くなるのだろうな、と思ってもそれを選ばない。

ただ、誰かが出来ない自分をできないまま助けてくれないかなって思うだけ

そういう社会生活自分も混ざりたい、誰かが全部なんとかして欲しい、みたいな欲求宗教は叶えてくれる。らしい

実際にはお金を集める為の接待しか無いわけだけど

貴方はこの集団の役に立っているんですよ、貴方必要とされているんですよ、生きてていいんですよ、辛くて悲しいことは神様がなんとかしてくれます

とそういう事を言われて、それを本当に信じられる環境にされるのなら自分は多分ハマる。確実に。

その自覚があるから怪しい誘いには乗らない様に気を引き締めているつもりだけど

新興宗教にハマった人、というのをTVなんかで見る度に、未来自分を見ているような恐ろしさがある

2023-12-03

自分の経歴を書き出してみたら情報量結構多かった

国宝を所有する寺の孫であり、父親一級建築士母親介護士パートである。親戚に

元市長がいる。職業工場アルバイト借金200万持ち)新興宗教の会員でもある。

資格ヘルパー調理師インターシップ

食品工場高校時代アルバイト面接は全て落ちた。小学校の時に遊具から落下し、控除に。その為、エスカレーター下りが苦手

トンカツ天ぷら唐揚げは塩で食べる。ソースは嫌い。キャラメルコーン10年以上食べてない。爽健美茶生茶を15年飲んでいない。コーヒーを生涯で5度しか飲んだことがない。ゆるキャラハロウィンイベントに行ったらAV女優に遭遇していたこともある。

日本で数少ない(?)歯痛フェチという性癖を持っており、絵本を読んで普通に勃起する。

初めて歯痛で性的興奮を感じたのは小学校高学年の時にみた幼児向けビデオであり、親のいない内に何度も観ていた。ちなみにその他の性癖として、メスケモ、触手ロリなどがある。趣味短歌読書料理。得意な料理焼きそばステーキ、苦手な料理カレー(めんどうだから)好きな漫画メイドインアビス三月ライオン、ちいかわ、ねこ神さま、heavenなど。母親女性向け漫画をたまに買ってくるせいか女性向け漫画もいくつか読んだことがある(例 花より男子 アラミス パタリロ など)母親ゴシップ紙の性的なページを破って捨てるほど性的ものには厳しかったが、女性誌の性についての特集ページは普通に読むのを許していた。そこで性交通、陰毛の処理の仕方などを覚える。ちなみに母親オナホールを未だ知らない(50ぐらいなのに)父親仕事現場には小さい頃からよく連れて行かれたようで、記憶の中で最も古いのは小学校二年ぐらいの時である中学の時には既に手伝いをやらされており、高校の時には足場を組まされたことも。

ちなみに、実家の寺の賽銭箱の鍵がどこにあるかも開け方も知っている。もちろん誰にもそれを話したことはない。

1歳の時に川崎病生卵カニアレルギー

好物は焼きそばパン唐揚げハンバーグ

2023-11-29

anond:20231129114406

思うに、オウムとか法の華とか幸福の科学とかの新興宗教だろう

  

社会弱者思想で救い上げて洗脳して過激になっていくスキームってのはもともとあって

かつての世紀末日本ではそれが宗教の殻をかぶってた。オカルト流行ってたし。

いまはリベラルの殻を被るんじゃあないか

2023-11-27

性や恋愛に許せなさがある話

いくら許せなくても世界側に代わってもらうのは無理だから自分で受容適応するしかないのはわかるけどまだ出来ねえ~~って話。

世の中に趣味娯楽はたくさんあって、深入りしてるからこそ苦しんでる事例もたくさんあると思うんですが、

私はその中でもセックス恋愛で不幸になってる人をみると勝手になんかつらくなっちゃって、

出来るだけ共感半径に人を入れないとか、友達でも性事情は浅いとこまでしか聞かないみたいなことを割と意識的にしてまして。

その直接的な原因が、創作物でもNTRBSS(僕が先に好きだったのに)で変なダメージ食らうんですよね。

特にBSS被害者面する正当性なんもないからね。でもつらいよな)

あと女子高生・大生が身内パーティではしゃいでたらそんなつもり全然なかったのにお持ち帰りされるやつ。

で、「なんでこんなダメージ食らってるん?」って自問自答して、

「こういう要素のこういうところが苦手かもしれない」って要素の羅列です。

「そうじゃない人もいる」のは百も承知なんですが、

「その傾向がある」「こうなる可能性を排除できない」の話です。

貞操に対する価値観をすり合わせることが不可能

 誰でも、何に対しても100回目より初めてのほうが特別だと思うんですよ。

 でもセックス場合って片方が「おれ20回目だしこんなもんでええやろ」くらいの気持ちでもう片方初めてだったのに!

 みたいなことも起こるじゃないですか。

 男女ひっくり返るパターンももちろんあるけど、そういう「相応の覚悟がないまま他人人生に影響を及ぼす」ってのがなんかグロく感じる。

 貞操観念が完全に一致してる社会ってのを想像してみたりもしたんですが、

 多くて十数人程度かつ権力勾配がほぼない小集団ならともかく、それ以上になると無理じゃないか…? と思うわけでして

 特に権力と結びつくと無理。

 原始的社会においても権力持つ男にとってはセックスは安いし、

 権力血縁が結びつくようだと権力者の娘の貞操は高くなる。


セックス恋愛対象を金銭的・量的価値で換算することが当然なのが嫌い

 女性で言えばかわいかったり、若かったり、アイドルだったり、未経験だったりするとまあ性的に求められる機会は増えるじゃないですか。 応じるかはさておき。

 でもって金銭価値計算することが可能になるわけじゃないですか。

 もっと単純に風俗店ランキングでもいい。

 それにキモさを感じるんですよね。

 よりキモいけど確実にあるだろうな…って例でいえば、

 「実際は違うけど、相手が喜びそうだから初めてのふりをする」

 「逆にしてみて、初めてじゃないとわかるとキレる」

 BSSのこと好きになれないながら馬鹿にもしがたい理由がこの辺で、生理的なショックは止めようないもんな…。

 処女厨に関しては思考実験として、義務教育で全員性教育実習するような社会だったら変わるのかもしれん。

 が、少なくともこの社会はそうではない。

男性女性ゲームルールが違う

 どっちが有利かってのは置いといて、

 一般的に男は顔や、金や、話術や、センス相手を探す(短期的なお相手ゲームになりがちだし、

 女は顔や、若さや、仕草お金に変換したり、相手を探す(人生パートナーゲームになりがちじゃないですか。

 二者の切実さに差があると、優位なほうが搾取可能になるじゃないですか。

 「可能からってやるとは限らない」なんて希望は全人類に対してはとても持てない。

 特定個人に対しては超がんばれば持てるけど、しばしば裏切られる。(芸能人不倫とか)

 そして搾取構造が一度出来上がると、密室内での関係というのも相まって、ブレーキや法が及ばず、どんどんエスカレートすることが度々ある。

意味けが多重的すぎる

 まあ恋愛ってそういうあいまいな部分を解釈していくのが醍醐味みたいな部分もあるんだけど。

 普通にラブコメは好きなのでそういうの好きーてなることもあるんだけど。

 ちょっと心が闇落ちに傾くと、

 生殖愛情表現ソフト支配暴力人間部分的トロフィー化と単純な快楽と他もろもろが混ざってるの正気の沙汰じゃねえ…ってなる。

 流石に差し引き不幸より幸福を生み出してるとは思うけど、

 不幸も大半がちょっとしたすれ違い程度だろうけど、

 かといって世の中曲芸みたいのこと乗りこなして生きてんな…という感想は消えない。

 セックスをゴールと思ってる人とスタートだと思ってる人のすれ違いとか。

・でも性欲からは逃れられない

 まあ今のところ。

 損得の上でいくら嫌だなあ、嫌だなあって思っても、逃れられないのでなんらかの形で受容するしかない。

 日夜エロサイト巡るだけで済めばいいけど。

 飽きから逃れられないのもだるポイント

競争の側面から逃れられない

 特にモテる」人に対して。

 選ばれなかったからと言ってフラれた人の価値が貶められないのはわかってるんだけど、

 自尊心に傷を負うのは避けられないし、

 傷を負った人を馬鹿にしたくない。

 いくら傍目に見て「本気で落としたいならもっとちゃんとやりなよ」という人であったとしても。

 これに「処女価値を見出す価値観」とか絡んでくると、

 まあまあ「それは君が考え方を改めるべきだよ」案件ではあるもののやっぱり共感もしちゃう

倫理観を消し飛ばしてくる

 単行本派なので全然ツイッター知識なんですけど、

 ワンピースベガパンク天竜人の所業を見て頭の片隅で「うらやましい」と思ってしまって欲を切り離した、みたいな描写があるらしいんですよね。

 ツイッターで聞きかじったときに「めちゃくちゃわかる…」となってしまって、

 この場合は性欲ってより絶大な権力に対してのものですが。

 「そうしても怒られないし、罰せられる人がいない」って状況に置かれたとき

 「これは期間限定のものではないし、あとで負債を取り立てられる心配がない」って状況のとき

 倫理観を維持できる自信がない…。

 現実的にはそこまで極端な特権にはたどり着けないものの、(たどり着いた人もいる、という別枠の闇もあるが)

 過剰に疲れていたり、被害者意識をこじらせていたり、あるいは躁的な全能感が強い時期だったりすると

 「これくらいなら大丈夫なんじゃないか?」って考えがよぎらないと言えば、まあ、嘘。

 今のところ頭の別の部分でブレーキかけたり、メンタルが平常に戻るまでCPU稼働率落として、

 能動的な行動起こせないようにスリープ状態にできてるけど、死ぬまで保てるかはあまり自信がない。

 特に生理的事実として脳が衰えると精神的なブレーキが弱まって起こりやすくなったりするし。

 「死ぬまで穏やかでいい人だった」って平凡に見えるけど、年々そういう人への尊敬度が増していく。

仮定の話だけど、

人間がみな不老だったり後天的に外見を調整できる技術安価化している(外見年齢による事実上の結婚市場タイムリミットがない)

・片方が嫌だとなったら強制的セックスを中断させることができる

・というか子供が欲しい人は体外受精するのでセックス生殖行為と切り離される世界になる

・性欲をコントロールする技術が生まれ、「性欲を抑えきれない」という状況がなくなる

上記のようにセックスが非常に優先度の低い娯楽なので、金銭に変換する文化が廃れる

みたいな世界だったら許せるかもしれない。

(つまり不可能という話ではある。)




おまけ

脳が破壊された(性・恋愛描写でもってしばらくひきずった)作品や、性・恋愛で感心する描写があった作品

クリスマス解放戦線 / 渡辺源四郎商店(なべげん)

ローカル劇団舞台

うろ覚えな筋としては、

戦時中英語アメリカ文化禁止された名残で(時代設定忘れたけど平成初期くらい?)クリスマス禁止されている日本

若者たちのための祭りとして「クリスマスをさせろ」という趣旨の「クリスマス解放戦線」がかつてデモ学生運動を繰り広げた。

が、その暴動鎮圧され、今や戦線わずか4名のメンバーが残るのみ。

デモ主催となった女性犯罪者として中東紛争地域慰安婦として送られ、

戦線メンバーはそれぞれ鬱屈を抱えてはいものの、思春期で親に反抗したいいいとこのお坊ちゃんお嬢ちゃんなど。

ささやかな」反抗として4名でのクリスマスパーティを決行するものの、警察に察知されてしまう。

その時現れたサンタ装束に身を包んだ男性

メリークリスマス!」の掛け声と共に袋から取り出したのは小銃

戦線メンバーの一人はキリストの墓根拠にしている過激新興宗教信者だった。(地元にはキリストの墓と呼ばれるところがあります。なぜか)

精神的に追い込まれささやかだったはずの反抗から特攻兵に仕立て上げられた若者たち

テロに参加せず取り残された主人公は、実は警察スパイかつ、デモから戦線メンバーだった。

クリスマスパーティ場を密告した見返りとして戦地での慰安婦から帰ってきた先輩(かつての指導者)は妊娠して(させられて)いた。


僕の小規模な自殺 / 入間人間

未来人と名乗る鳩に、「きみが片思い中の彼女はこのままだと死ぬ」と脅され、

半信半疑ながらもその手伝いをする。

主人公彼女が好きだと言っているくせに、「自分はまだふさわしくないから」と決定的な告白をせずにいる。

何の意味があるのかと思いながらも手伝いをしていると未来からの別勢力が現れ、いよいよ信じはじめ、

彼女を守るために未来人の操る熊に車で突撃までする。

が、主人公告白しようと思った時には既に彼女には恋人がいた。

未来人のそそのかしによって)ほかならぬ自分が仲立ちさせられた男が。


ラピスの心臓 / 羽二重銀太郎

なろう原作

人類は全て手の甲に石が埋まっており、

その石が濁っているか透き通っているか魔法が使えるか否か、ひいては貴族かどうかが決まる。

一度平民の血が混ざると子が大丈夫でも隔世遺伝魔法の使えないものが生まれるため、貴族社会で混血は忌み嫌われている。

主人公孤児の濁石(平民)。

だが魔物に対抗する訓練を受けており、従軍任務の結果、貴族平民かかわらず多くの仲間に恵まれる。(一方的に好いてくる異性も)

出来のいいダークファンタジーだなあという感想で読んでいると、本筋とはあまり関係ない一幕で

「この世界では男女が愛し合っていなくては子供ができない」という設定が明かされる。

この世界に望まれず生まれてきた命はない。

孤児主人公も、

名門貴族平民の混血である相棒キャラも。


血界戦線 / 内藤泰弘

シリーズ2の5巻目くらい。

父親身体病気ゼリー状になっていじめられる娘が、不良グループとつるむようになって、

不良グループの男がその父親に「親はこんなのくせになかなかいい具合だったぜ」っていうのが嫌すぎて続刊買えなくなった。

これを心理的安全性が脅かされた状態と呼びます


ランスシリーズ / アリスソフト

名作エロゲシリーズ

父親遊んだエロゲ!』

個人的に感心している設定は、

「この世界避妊魔法でする。 男性側にかけ、定期的にかけなおすものの数週間程度はもつっぽい?」

魔物人間迫害する本能があるためレイプするもの人間との生殖能力はない」

個人的には好きじゃないけどリョナ好きへの需要があるのはわかるし、世界観の残酷さが示されることで主人公の無体も『まあ結果的に命張って戦って人々を守ってるし…』とバランスがとれてる)


(しんどそうだから読んでないけどこのテーマからすると直撃っぽい)

死ぬほど君の処女が欲しい / てぃーろんたろん

一話だけ読んだ。

キモデブオッサン主人公が元ギャル奥さんラブラブなんだけど、

奥さん若いころ相当性経験値があって、主人公はそれを非常に負い目に感じている。

しか主人公記憶を保ったまま学生時代タイムリープし、

(当時は本当に接点ゼロにも関わらず)

奥さん処女が欲しくて頑張る話…っぽい。


皇帝と女騎士 / Team IYAK(ピッコマオリジナル漫画

家族から邪険にされ、女らしさとは無縁に軍属として生きてきた主人公が、

帝国の王(最初王子だったかも)の侵攻に耐え、

「女のくせに」と言わず一人の戦士として尊重してくれる王に絆され、女騎士として仕える話。

ただ、平和な世の中まで行くと周りから「女の役割」というもの圧力を感じて、

戦の功労者にもかかわらず生きづらさを感じたり、開き直ろうと変な突っ走り方したり。


追記増田初めて使ったけど、筆者の代わりにコメント返信してる人がいるのクソおもろいね

2023-11-22

氷河期世代は何故闘わなかったんだ」と言われても

いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラル言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。

氷河期世代不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得

仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。

左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。

日教組のせいである。

昭和50年代生まれの我々は義務教育間中、一度や二度はいわゆる日教組アカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近まり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。

増田担任にはならなかったが、当該クラスPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。

教師体罰がまだ当たり前だった時代アカ教師は手こそ上げないものの、従順女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。

その頃はインターネットがなく、テレビ新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。

あの頃は、一部のメディアにも左翼活動忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。

高校大学(増田が通ったのは地方駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさん垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。

ちなみに阪神・淡路大震災増田学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。

オウム真理教問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代過激新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である

オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなた幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ新聞をとれとうるさい。個人情報ダダ漏れ時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。

増田宗教2世である同級生から勧誘辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。

働きだしてから、といっても増田就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼馬鹿にされる対象しかなかった。制服強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。

からその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカ思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカ若者の口を借りて復活するとは予想外だった。

30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれ児童湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このとき自衛官親族に持つ子供が他の学年にいて、家族学校クレームを入れて大問題になった。

増田ネット匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒し発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。

結局SEALDs解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。

そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である

正直に言おう。

我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。

そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。

その結果、「闘わなかった」と怒られる。

今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。

ここからは余談。

数年前、増田が住む街の施設日教組全国大会があり、警察規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。

その規制線の外、ギリギリ場所愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。

どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。

かつてはヘルメットかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。

どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。

だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼日教組共産主義新左翼革マル中核派赤軍派リベラルも、まるで区別がつかないように。

仕方ない、そういうものだ。

これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。

2023-11-21

anond:20231119081534

いまのごく普通の日本人はそれほど学会嫌いじゃないと思う。学会員の活動家に聞くと、反学会のやつは正体を隠したのが多いそうだ。

  

最大の敵は日本共産

貧乏人と病人の集まり」と揶揄された創価学会日本共産党は、ともに社会の最下層に支持者を広げ、その構成員を奪い合う犬猿の仲

  

それと、顕正会員、日蓮正宗檀家日蓮宗檀家は、創価学会を目の敵にしている。これは日蓮系で同族嫌悪

  

また、創価学会折伏大行進に恐れた敵対勢力、または信者を奪い合った他の宗派で、

一昔前なら、幸福の科学信者立正佼成会信者真如苑信者天理教信者など新興宗教敵対した団体

そして、念仏宗檀家浄土宗檀家など各宗派創価学会の広がり方が半端なくて、存在のものを脅かされたから、そうとう憎んだみたいだね。

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