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はてなキーワード: 新約聖書とは

2023-02-27

太郎戦隊ドンブラザーズってド

ストエフスキーの『白痴』だったんじゃないのかと気づく

なんか天然気味で空気を読まず一方的だがド正論を言う主人公

周囲の人間やれやれと言いつつしだいに主人公を慕う

元は敵対してた人物まで主人公に感化されて仲間になる

そして最後主人公ボケてどこかに去ってしまう……

――宇宙戦艦ヤマトの着想の原形が西遊記だったぐらいには似てる

井上敏樹意識してなかったのに結果的に似た可能性も

江川卓野球選手じゃなくてロシア文学者の方)の本によると

白痴主人公ムイシュキン公爵の原形はドン・キホーテらしい

もっと遡ると新約聖書イエスという見方可能なのだとか

(実際に聖書をきちんと読むとただのよくキレる俺様おっさんである

なんかこの物語図式に当てはまる作品

ドストエフスキーよりもっと古い作品から

現代漫画アニメまでほかに結構ありそう

2023-01-04

2022年に読んだ本

1月

琉球から歴史の原文へ。太平記史記を並行して読み始める。

現代語訳とはいえ長くてしんどい

2月

メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ世界史教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い

3月

ウェブ小説を読む。

4月

東アジア史が中心。

5月

詩集芥川賞に手を出す。

シン・ウルトラマンを見たせいか特撮関係の本が後半に増える。

6月

後半には自分学生時代ベストセラーだった本を手に取った。

価値観現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。

7月

暴力団言語学、法学テーマの月だった。

8月

旧約聖書を読み始める。

9月

ちょくちょくSFを挟んで旧約聖書を読み進める。

10

旧約聖書読了学生時代新約聖書通読たから一応全部読んだことになる。

カズオ・イシグロ邦訳が出ているのはたぶん読み終えた。

11月

生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白いネタが尽きない。

12月

土偶埴輪についても読む。

漫画

ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。

十三機兵防衛圏については友人に薦められたかクリア後のノリで買った。

美術展など

今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。

映画

「シン・ウルトラマン」★★

プラットフォーム」★

エクストリームジョブ

12モンキーズ」★★★

雑感

(長くなったのでブコメ

2021年に読んだ本

今更だけど2020年に読んだ本

2023-01-01

anond:20230101021422

聖書をそのまま信じるのは馬鹿げてる。

旧約聖書基本的にはイスラエルの民の歴史の話だが創作を交えている。他民族からパクってきた物語もある。例えば「聖書起源 山形孝夫著」によるとアベルカインの話はメソポタミア牧畜神と農耕神の闘争そっくり。ただ、最後に農耕のカイン牧畜アベルを殺す部分が付け加えられている。当時は土地を所有する農耕民族イスラエルの民のように土地を持たず遊牧で暮らす遊牧民との争いがあった事から血なまぐさい話が付け加えられたと思われる。

新約聖書イエス弟子が話を盛りまくったあげくバチカンが都合のいいように書き換えたらしいが西暦4世紀以前の新約聖書現存せず実際にはわからない。

エホバの証人で「ドアの向こうのカルト」という本を書いた人のPDFおすすめ

https://jw-qa.com/kaiyaku/wp-content/uploads/2017/08/jw9_201505.pdf

一神教愚民達 vs 俺たち

ユダヤ教キリスト教イスラム教も同じ宗教。同じ神様を崇拝している。解釈の違いで揉めているだけのしょうもない間柄。

一番古臭いのがユダヤ教服装も古臭いでしょ。教育に重きを置くのと迫害の繰り返しからの成り上がり金融業界を牛耳って世界を牛耳る民。旧約聖書大事に読んでいる。

そんなユダヤ人の一人イエス君が救世主だよと主張する大川隆法かよみたいなのがキリスト教旧約聖書の上に新約聖書を作った。世界で一番しょうもない偽善宗教

いやいや預言者ムハンマドやろwというのがイスラム教旧約聖書新約聖書だけでは事足りずコーランというものを記して豚を食うなとか意味不明なことを法律にしたのがイスラム

この一神教世界の外にいるのが俺たちってわけ。

2022-12-03

anond:20221203095756

7:3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。

7:4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。

7:5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

マタイによる福音書 7:1-5(『口語 新約聖書日本聖書協会1954年 による)

2022-11-19

anond:20221119181131

それは旧約聖書から

「旧」約だから古い約束なの

キリストアダムとイブ原罪を償ったってことになってるの。

から神と新しい約束をした

それが新約聖書なの

アダムとイブの罪は終わった話なの

はい、おーわーりー

2022-11-17

anond:20160822181702

キリスト教国のアメリカ拝金主義蔓延しているのは皮肉だが。

 ← そのへんはマックス・ヴェーバーあたりが論じている通りかと。人によっては「資本主義プロテスタンティズム放蕩息子」と言ったりする。けだし名言かと。

ちなみに、新約聖書には、カネを預かったのに増やさずに大事タンス預金していて主人に叱られる召使い寓話キリスト弟子たちに語る場面がある。

キリスト教者でありながらマルクスの影響を多大に受けた

 ← こちらもまた、社会主義共産主義の萌芽にはキリスト教があることを考えればさほど不思議ではないかも知れない。「キリスト教社会主義」とか「キリスト教共産主義」などという言葉もあるし、初期のキリスト教信者たちは正に共産主義コミューンを作っていたようだ。

ちなみに第46代内閣総理大臣となった社会党片山哲は熱心なクリスチャンだったし、マッカーサーも彼が総理就任したことを歓迎していた。今でも日本キリスト教界は左派的な空気が強いように思う。

なお、ガチガチ唯物論無神論共産主義については、これを「プロテスタンティズムの鬼子」などと評する向きもある。

2022-09-20

anond:20220920003134

めちゃくちゃいい周り方だとおもう!

高校の時のおじいちゃん先生もこの周り方勧めてた。楽しんできて!

おすすめ美術館大塚国際美術館

全部レプリカからこそ古代から近代の有名絵画を原寸大で見られるのは楽しい。そこから推し画家なり推し派閥なり見つけるのもありだと思う。

ミケランジェロの「最後の審判」が有名な、システィーナ礼拝堂再現した空間とかもあって楽しい

私はこれみてイタリアで本物がみたい!てなってイタリア行ったりした。

ビビってきたやつにハマるとどんどん他の好きなものが増えていくから、どんどん美術館にいってほしい!楽しいよ〜〜

おすすめ本】

マンガでわかる「西洋絵画」のモチーフ

西洋絵画の有名なやつってほとんどギリシャ神話旧約聖書新約聖書物語を書いてあるんだけど、

「青い服で百合を持ってたら聖母マリア!」みたいな持ち物で登場人物判断したりするし、そもそも向こうの神話日本人には馴染みが薄いか敬遠しがち。

この本は見開き2ページで「旧約と新訳ってなに?」とか「どんな話?」みたいなところをイラスト漫画説明してくれるゆるめの本。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%80%8C%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E7%B5%B5%E7%94%BB%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%95-%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%B1%95%E3%81%8C%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E6%84%89%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B-%E6%B1%A0%E4%B8%8A-%E8%8B%B1%E6%B4%8B/dp/4416518196

2022-09-07

宗教、難しいんだよねえ。

特に教義危険系統の攻め方は無理。今やらかしてることが、今現在法律で直接的に犯罪かどうか、の切り口ではなんとかできるんだけど。それ以外はもう無理。

いわゆる「昔からある伝統宗教」がたいがいなので、新興の宗教やらかしたからっていっても教義自体を比べるとわりとたいしたことない。

武装蜂起するような教義が悪いんだ、人殺しするような宗教ダメだ、なんて「僧兵」「島原の乱」「悪魔の詞」で簡単国内の事例だけで揃っちゃいますな。

まあアブラハム宗教なんて明確に淫祠邪教ですわ。中高とキリスト教系の学校に行った私からみてもそう。

新約聖書なんざ今その場その場でもっともらしいことを言って生き延びようっていう口達者のでまかせがまあまあ出来が良かったんで成立しちゃったもので、数百人から千人ぐらいのクッソ小さなカルト宗教向けの教義。大きく広まったことで歪んで大変なことになっちゃったっていうようなもんなんで。

若さの反抗がテーマだったのにファン層がそのまま歳とって老人のものなっちゃった音楽みたいなそういう歪み方の何か。アンチ伝統の側面があるので、伝統側に回っちゃうと変なことになる。リソース管理とか統治とかの観点がてんでダメなんだよな。パン無限にわかねーってんだよこのすっとこどっこい。

旧約聖書もなあ、故郷を追い出されて集団でまとまって流浪生活するためのうまくやる知恵、みたいな感じで、人の多い都市に定住して支配的な人数になってしまうと歪みが出る感じ。少ないリソースガチガチに分け合うとき輝く。

コーラン砂漠部族社会専用カスタムじゃんあれ。そうじゃない土地もってくと変になる。

そういう局地戦用の教義を湿った島国に持ち込んだらまあ土地あいませんわ。

でも合わないから追い出せ、というのはもう大政奉還ときにやめたし、太平洋戦争負けたときにまた改めてやめたんだよね。

2022-07-29

統一教会に限らず、同性愛を認めている宗教存在しない件

統一教会に染まった自民党議員会合LGBT批判されることに対して吹き上がっている連中が多いが、宗教には同性愛を認めていない特性がある。

主要な宗教において同性愛がどう扱われているかを書いておく。

キリスト教旧約聖書同性愛者が集まった町が滅ぼされた記述があるし、新約聖書でも同性愛否定する記述がある。

イスラム教コーラン同性愛者を焼き殺す記述がある。

ヒンズー教同性愛禁止する規定がある。

仏教同性愛のものは触れていないが、そもそもの話として性欲を否定している。

統一教会ガーと騒ぐ前に、この事は一応知っておくべきであろう。そうでなければ単なる低リテラシー者だ。

2022-07-20

anond:20220720161035

新約聖書 ルカによる福音書 21章1〜4節

1さて、宮の中でのことです。イエスは、金持ちたちが次々と献金箱に献金を投げ込む様子を見ておられました。 2そこへ貧しい身なりの末亡人がやって来て、レプタ銅貨(最小単位銅貨)を二個そっと投げ入れました。 3それを見たイエスは、「この女は、だれよりも多くささげたのです。 4ほかの人たちはあり余る中からほんのわずかだけささげたのに、この女は、乏しい中から持っている全部をささげたからです」と言われました。

2022-06-25

anond:20220625011541

ユダヤ人ローカル規律」というのは(旧約)聖書のことを言いたんだろうけど、旧約聖書にも新約聖書にも中絶自己堕胎)を禁止する文言はないよ。

2022-06-06

牧師言葉

「怒りより共感の心を持ち、人を責めるより人に与えましょう。この世界には自分のことが正しいと思い込み、人を責めることをやめられない人たちが沢山います。そんな人たちが全て与える気持ちを持てるようになるまで父は沈黙して待ってくれています。」

高校卒業して大学進学のために上京する時、小さなから通ってた教会牧師さんが掛けてくれた言葉。それと聖書の一節を教えてくれた。

「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある(新約聖書ルカによる福音書)」

2022-04-17

宗教詐欺!という人に向けて

日本キリスト教徒の印象を聞くと、大抵”神”というファンタジーを本気で信じている幼稚な人間という扱いを受けるがそれはあまり正しくはない。

基本宗教において神の存在はあまり重要意味を持たない。それについて簡単説明をしてみようと思う。

まずキリスト教前身ユダヤ教であり、その聖典旧約聖書である

旧約聖書でどんなお話が語られるかと言うと、有名な物では:失楽園カインとアベルバベルの塔ソドムゴモラなどであり

それらの共通点は全て人間が”やらかした”お話であるという事だ。

まりユダヤ教では

人間調子に乗るとロクでもないことをやらかしがちなので、皆ルールを守り慎ましく生きましょう」

という事を教えている。神が存在するか否かはあまり関係がない。

ではユダヤ教徒であったキリストが新しく提案した教えはどんなものであったのか?

キリスト教聖典新約聖書で有名な話は例えばは姦淫の女の話がある(ヨハネによる福音書第8章2節-11節)

姦通の罪で捕らえられた女性に石投げをしようとする人々にキリストが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言うお話だ。または良い羊飼い放蕩息子のたとえ話なども同じ教えなのだが、

キリスト教では

「確かにルールを守るのは大事だが、ルールを破ってしまう人もいる。そんな人たちをただ排除するのではなく正しく導いてあげましょう。自らでさえもそうなりうるのだから

という事を教えている。やはり神が存在するか否かはあまり関係がない。

そんな当たり前の事わざわざ神なんて言葉を使わず普通に言えばいいじゃないか!と思う人もいるかもしれないが、多くの人たちは今自分がしているように”物語”にしなければ物事理解できない。

そして”神”という存在物語を語るにおいて便利な物マクガフィンのようなものに過ぎない。

無宗教にせよ、教徒にせよ、”神”という言葉に目がくらんでしまう人には宗教理解するのは難しい。

2022-02-27

anond:20220227143240

アッラーイスラム教の神だからキリスト系ではないぞ。

それに聖書旧約聖書新約聖書の2種類だけど、たくさん種類ありすぎて困ったってどういうことだよ?

2022-02-02

宗教ってそんなに女性蔑視か?

https://note.com/sasakitoshinao/n/n4f0f4caa49c4

読んだけど

「この記事島田さんは「宗教本質的男性中心主義で、女性蔑視する傾向を持っています」と言い切っています。」っていう部分に物凄い違和感あるな

少なくともキリスト教ってそんなだったか

新約聖書の中で語られるイエス・キリストの教えは女性を一人の人間として扱い、女性単独で救済を求める事を肯定していたと思うんだけど。

長血の女の話とか、マルタマリアの話とか。

女性蔑視ユダヤ教から語るならまだ分かるけど、2000年からって言ってるって事はイエス・キリストから計算だろうから違和感ある。

個人的には儲け目当ての怪しい自己啓発養分にされるくらいなら既存宗教の方がまだマシだと思うわ。

日本でさえもお悩み相談とか受け付けて地域コミュニティに根ざしてるところもあるし

海外ではボランティアとして衣食住を助けてくれたりもするらしいし。

宗教ってそこまで悪いとは思えない。

2021-11-17

新約と旧約

グノーシスとかカタリ派とかの異端って、結局は「新約聖書イエスによって語られる神と、旧約聖書ユダヤ人たちの神はあまりにも違いすぎないか?」という疑問から始まっているんだよね。

これを説明しようと思ったら、この世界とか肉体は悪い神様が作ったもので、精神は良い神様が作ったもの、みたいなアクロバティックな理屈を持ちださざるを得ない。

キリスト教流派は、この問題については何も語らないことを選んで生き延びたわけだ。

2021-09-22

聖書を読み終えた

エルサレムのおとめたちよ

野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください

愛がそれを望むまでは

愛を呼びさまさないと。

聖書(新共同訳)

大学2年生をしている。

一昨日、旧約聖書新約聖書を読み終えた。

キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。

なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。

率直に感想を述べる。

長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。

そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。

なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。

得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。

これからつの掌編を引用して、それぞれコメントをつけたい。

全文引用ちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。

なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書1052ページに載っている。



まずは『放蕩息子』からだ。

子どもの頃、こんな題名ドラマを観たことがあるかもしれない。

放蕩息子のたとえ

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたし友達宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなた身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

――ルカによる福音書 15.11-32(15章の11節~32節) P.139~140


最初意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。

「あ、これ講義で習った!限界効用の逓減だ!」とも思った。

さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。

なるほどと思った。イエス説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。

神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。

現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人意志尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。

聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。

次は、『不正管理人のたとえ』だ。

不正管理人のたとえ

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったときあなたがたは永遠住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかであるあなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140


それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画台詞を思い出した。

読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。

こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学Web講義中に、何度も考える機会があった。

からなかった。結局。

それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャー作品らしい。

しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。

どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。

腑に落ちない。聖書には矛盾する箇所がいくつもある。

例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。

(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)

でも、その一方で、「金持ち神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。

約二千年前に作り始められたわけだから矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正管理人の話には納得がいかない。

そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。

捏造された聖書

要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語解釈意図が入り込んでいった、とのことだ。

ならば納得できる。この『不正管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正管理人のたとえの正体である――解決

解説サイトヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしものおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想



聖書を読んでよかった。

はっきり言おう(ここイエス意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツ原典元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品派生しているか原則述べない。

例えば、①エジプト王宮でのモーセアロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャクセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。

かにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画小説ゲーム元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。

特に士師記サムソンには笑わせてもらった。スラップスティックギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。

聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。

聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。

ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。

キリスト者を迫害した人や、信心律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。

しかし、世の中というのは、そういうものではないか

同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。



わたし若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。

最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。

わたしの生まれた日は消えうせよ。

男の子をみごもったことを告げた夜も。

――ヨブ記 3.3(3章の3節) P.777


サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。

いつかは口に出してみたい台詞ランキングで第1位に入っている。

面白い書物だった。また一度は読んでみたい。

2021-07-16

https://news.yahoo.co.jp/articles/16728edf1b9fcb70e6731172f005f70d57d79c2a

たかだか言葉批判されている事に対して「石を投げる」だなんて表現大袈裟過ぎるんんだよ

批判すら許さないのはそれこそ言葉狩りだろう

新約聖書姦淫した女の説話は本当に石を投げていたか問題なんだよ、言葉批判する事は別に暴力ではない

2021-04-03

anond:20210403101320

仏教はそこまで詳しくないんだけど、キリスト教では聖書の各文書を「誰が、いつ書いたのか」のかは一大研究ジャンルで、新約聖書の「○○○による福音書」はほとんど本人が書いていない、が今のところは多数説やで。高等批評っていう研究分野なんだけど、キリスト教徒でなくても面白い(というか教徒でないからこそ面白い)。

2021-02-12

必読書コピペマジレスしてみる・海外文学編(1)

方針

ホメロスオデュッセイア

イリアス」は捕虜奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観から問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。

ユニークなのは劇中劇的にオデュッセウス時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロス時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。

実は「ラーマーヤナとある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。

旧約聖書創世記

聖書はなんせ二千年前以上の宗教書から原典に当たる前に基本的出来事の流れと時代背景や当時の常識理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。

ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫聖書物語のほうがいいかもしれない。

ソポクレスオイディプス王

犯人探しが不幸を呼ぶことからミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。

これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。

唐詩選』

一般教養唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学思想界隈でここまでホットトピックになるとは予想してはいなかった。

他にいいな、と思ったのは杜甫厭戦歌「兵車行」。

ハイヤーム『ルバイヤート

酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイト高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。

ダンテ神曲

フィレンツェ追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物聖書ギリシア神話歴史上の人物も多く、ヨーロッパ歴史文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。

ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しか風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。

ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。

シェイクスピアハムレット

四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタ結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明映画元ネタでもある。

興味深いのは、劇中劇というかメタフィクション必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア

セルバンテスドン・キホーテ

基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味書物だとしか思えないのだが(というか最初時代遅れの騎士道精神批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアム映画化した。

スウィフトガリヴァー旅行記

自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃん夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。

とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。

スターントリストラム・シャンディ』

夏目漱石吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身誕生せず、しか物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。

だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。

サド悪徳の栄え

未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。

ゲーテファウスト

個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。

スタンダールパルムの僧院

未読。同著者の「赤と黒」は貧乏青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。

ゴーゴリ外套

さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物メモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。

ポー盗まれた手紙

ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社ポー全集には、ポーユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白ジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年文学少女としては必読か。

エミリー・ブロンテ嵐が丘

最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠にからも愛されない、だから他人幸福破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。

メルヴィル白鯨

スターバックスコーヒー元ネタ

映画マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身クジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。

敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長狂気についていけるかどうか。

フローベールボヴァリー夫人

自分人妻萌え発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。

続きますanond:20210212080411

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