はてなキーワード: 断薬とは
学生の頃から15年以上ピルユーザーで今回手術を受ける為にピルの断薬をして久々に生理前〜生理を体験したんだけど生理は現代において必要ないし社会にとって迷惑な存在だなと強く思った。
体温が1.5度上がり常に微熱で頭が回らない
尾てい骨?の強い痛みで座れない
胸焼けと吐き気がずっと続く
下腹部の強い痛み
ほぼ3週間体調不良が続いて死ぬかと思ったんだけど人によって生理の重さは違うとは言えこんなくだらない事に3週間も時間を使うのは無駄過ぎる。
ピル使用中の生理の出血もほぼなく1.2日で終わるのが5日間しっかり出血したのもダルかった。
常にどん兵衛のお出汁の染み込んだお揚げをパンツに突っ込んでる様な不快感もしんどい。
薬によって合う合わないはあるにせよ妊活中の人間以外には無理にでもピル飲ませた方がパフォーマンスの安定と向上して税収も上がるんではなかろうか。
正直、こういった文章を書くのは批判の的であり、読んで不快になるであろう人間が大多数だということを分かった上で、書きたいから書く。
最初にしっかりと明言しておくが、言い訳したいわけではなく、僕は僕がした罪、行いを許してもらおうとは微塵も思っていない。一生をかけて償わなければならず、一生忘れずに背負い続ける。そうして当然である。
被害者に刺されて死ぬのであれば、当たり前だ。そう覚悟して今生きている。それを分かった上で、吐かせて欲しい。
当方、現在アラサー。祖母が住んでいた家に恋人と二人で暮らしている。僕はフリーターであり、恋人は製菓業界で働いている。養われていると言っても過言ではない。
在り来りと言えば在り来りなカップルなんだろうが、自分には在り来りという言葉では片付けられない過去がある。
そもそも、母親は子育てに向いていなかったらしく、兄には過度の期待を寄せストレスで精神破壊し、僕には殴る蹴るの暴行で罵声を浴びせかけた。らしい。
「らしい」というのは、僕自身は殴られた記憶がない。よく聞く解離とかではなく、シンプルに思い出せないし、そんな思い出が無い。虐待自体の記憶はある。
大人になってから母に聞いたところ、「私は色んな虐待をしていた。だから貴方が人を傷つけてしまったのだと思っている。」と自白している。本当っぽいし、嘘をついてる風でもない。なので事実としてここに書く。
思い出せるものといえば、小学3年生まで床やパンツに放尿し糞をする僕を、家から締め出し、「自分で食ってみろ」とスプーンを渡され、自らの糞を食わされそうになったこと。
家からそう遠くない河川敷に車で連れて行かれ、「もう捨ててやるよ」と置いていかれそうになり、それを兄が泣きながら止めてくれたこと。
母からの虐待の記憶は、これくらいであり、僕自身は、「まぁ時々いるヒステリックな親だよな」くらいにしか思っていない。僕がおかしいのだろうかとも思うが、大して気にしていない。
勘違いしないで欲しいが、これが世の常識みたいに思ってるわけではなく、許されざることであり、もし友人がこんな親になろうものならぶん殴り通報する。僕が僕に大して、どうでも良い記憶として処理してるだけである。
小学3年生までと書いたが、小学3年生になり、僕がトイレで大便小便ができるようになった時、母からの虐待が止まった。
どこが契機だったか定かではないが、確実に母の心へ衝撃を与え、虐待を止めたのであろう出来事がある。僕の作文だ。
道徳の授業だったか忘れたが、「お母さんへの気持ちを書いてみましょう」みたいな授業だった気がする。
僕は虐待されていたにも関わらず、母親のことが大好きだった。ほぼ依存だった。たった一人の親だった。そんな僕が書く作文には、「おかあさん、ぼくのことを、うんでくれて、ありがとう」と書いていた。
心の底から思って書いたわけじゃないことは覚えいている。なんて書いていいのかわからず、「とりあえずみんなに見られて構わないことを書こう」みたいなことを考えて書いたことで、褒められたかったんだと思う。
先生がそれを、家で母に読んで聞かせてこいと言うので、読んで聞かせた。直後、母から抱擁された。
とても、とても力強く抱きしめられたことを覚えてる。苦しかったし、意味がわからなかった。ただ、抱きしめられて嬉しい気持ちはあった。大人になってからあの時のことを聞くと、「自分がどれだけ酷いことをしたのか、心の底から申し訳なく思った。」と言っていた。母自身も、子供とどう接していいか分からなかったが故の虐待だったのだろうか。
それ以降、母は虐待することなく、むしろ僕のことを甘やかし、欲しいものは全て買い、やりたいことを全てやらせてくれた。
結果、どんな子供が出来上がるか。
自己中コミュ障チー牛オタクの誕生である。物心つく前からの虐待により、僕には人との話し方がわからなかった。人の気持ちも理解できなかった。
そうなると人間、居場所や仲間を求めるもので、僕はMMOとネット掲示板に傾倒した。その末のチー牛である。
中学生時代は黒歴史そのもので、学校ではオタク友達とボカロと歌い手について語り、やれ鏡音リンレンが可愛いだの、やれこの歌い手が今アツいだの、自分達だけの世界を堪能し、家に帰れば仮想世界に入り浸り、非現実的な刺激を求めた。
この先の話に大事なことなので書くが、僕の性癖はこの第二次性徴で歪みに歪みまくった。ロリとレイプ物の動画や同人誌にのめり込んだのだ。
後に精神科に罹り、勉強する中で知ったが、幼少から虐待された人間は、自分より弱い立場、弱い存在に大して加虐的になる傾向にあるらしい。性のエネルギーが向くのも想像に容易い。
そんな歪んだ僕は、ネカマと公言している当時高校生の男の子と、マビノギで結婚するくらいには頭がおかしくなっていた。「男でも可愛いじゃん」と。今でもその性癖が残っているというのが、思春期時代での振る舞いの大切さがよく分かる。
あまり詳しく書くと、コミュニティガイドラインに抵触する恐れがある上、人によってはフラッシュバックを誘発する可能性があるので、抽象的に留めるが、僕は性犯罪をした。
時期は中学2年生のとき。13歳だった。相手は当時8歳。更に高校生の時、17歳だった。相手は18歳。どちらも性犯罪。
1度目は13歳ということで犯罪として扱われず、施設に入り、2度目は正式(?)に逮捕され、留置場に入り、少年院に送致された。
結果的に今、再犯せず社会生活をしているわけだが、自分が幸せにした人の数より、不幸にした人の数のほうが圧倒的に上だ。
何故、性犯罪を犯す人は再犯率が高いのか。そもそも何を考えているのか、加害当事者として、考えてることを書こうと思う。不快にする内容であるのは百も承知している。けど、耐えられなくなってしまった。申し訳なく思う。
僕は虐待されていたからか、因果関係は定かではないが、人との関わり方、感情の読み取りが苦手だった。先生が怒っている顔をしていても怒ってるのかわからなかったし、悲しそうな人を見ても何とも思わなかった。
自分の感情を抑える術も知らず、何時しか、自己正当化するようになっていた。
相手はこれこれこうだから、こう言われても仕方なく、自分は正しい。そういう思考が常になり、自分以外が間違えていて、自分が最も正しいと勘違いしていた。
ここまでは、割とある話だと思う。小学生中学生は皆、自分のことを正しいと思っているだろうし、大人でさえ自分が正しいと疑わない人がいる。
だが、性犯罪者、もっと広く言えば、依存症者。これらは「認知の歪み」が生じている。一先ず性犯罪が「依存症」なのかという話だが、以前関東にある、性依存症専門の精神科に通った時の先生の話では、依存症であるらしかった。
もちろん、依存的でない性犯罪もあるとは思う。僕は知らないが。
「依存症」という病気と「ただの依存」の違いは何かという話では、「依存症は代替が効かない」、「ただの依存は代替が効く」という違いだと言う。人は電車やバスに依存しているが、最悪それが無くとも徒歩や自転車で通学や通勤することができる。
依存症患者は、そうやって代替することができず、依存している対象「のみ」に執着する。故に治し方を知らなければ治せないとのこと。
僕はこの話を聞いて、「あぁそういうことなのか」と納得した。
話を戻す。依存症における「認知の歪み」とは、考えれば当然であることなのに、あたかも当然でないように考え、自分を矯正してしまっていることである。間違った捉え方、考え方とも言える。
道行く美女或いはタイプな女の子に対して、「触りたいな」と思う心を「社会的にダメだろ」と抑制することができることが正しい認知であるが、「認知の歪み」があると、これが変わってくる。
「触りたいな」と思う反面、「ダメだろ」と思うのだが、「でも触りたいし」「でも今触らないと勿体ない」「周りに人いないし叫ばれなければ大丈夫」と、自己正当化する思考が頭の中を占拠する。「自分は間違えてない」と、強烈な自己暗示をしてしまうのである。僕も例外ではなかった。
自分より弱い存在を見つけ、虐げ、凌辱する術を探した。何が何でも自分が正しいと思い込んだ。
よく「何いってんだコイツ」という供述をする犯罪者がニュースになる。「目を合わせてくれたから好きなのかと思った」「露出の多い服を着てるから触って欲しいのかと思った」、こういった供述や発言は、認知が歪んでいないと出てこない。
こういった歪みを正し、矯正することができれば、所謂更生することができる。
僕の通った精神科では、専門の性依存症カリキュラムがあり、ほぼ毎日15時頃から18時頃まで講義のようなものに出席し、運動をし、帰宅するというスケジュールだった。
認知の歪みを直すというのは、簡単なようで難しく、性に関することのみならず、日常生活における思考すらも省みて、全ての視点から自分を見ることを要求される。更に先生や周りの同じ講義を受けてる人間からの第三者視点を交えて、初めて矯正できる。
1人で悩み、1人で解決しようとしても、見ている視点は自分からのみで、そもそも何が歪んで何が間違ってるのかわからないので修正しようがなく、人の力を借りられなかった性犯罪者は、ほぼ必ず再犯すると言っても良い。
ストレスが関係していて、ストレス解消すれば治ると思っている人もいるが、間違いでなくとも正しくはない。例えば性犯罪を犯すことでストレスを発散、より細かく言えばドーパミンを分泌し多幸感を感じているとして、別の方法で同じことをしようとしても、
性犯罪を犯したことのある人間にとって、性犯罪を犯すこと以上にドーパミンを分泌するものが無いのである。ご飯を食べることや寝ること、セックスすることでドーパミンが分泌されるが、比にならないのだ。
だが、禁煙禁酒断薬と同じく、認知の歪みを治し、断てば断つほど欲求は減り、自制心で抑えることが出来るようになる。「認知の歪み」が治せていることが前提である。考え方が変わってなければ結局再発する。
話が逸れたが、結果的に僕は比較的良い方向へ持ち直す事が出来、現在は性犯罪への欲求はほぼ無く、趣味や恋人とのコミュニケーションでストレスを上手く解消している。
ストレスが溜まっていたとしても、溜まっていることを自覚し、自分の感情や欲求に振り回されることは無くなった。
しかし、結局は性犯罪者であり、生きている価値があるかと言われれば、多分ない。
事実、不幸にした人の数を数えれば、両の手じゃ足りない。
ある日、通っていた精神科の先生に、この悩みを打ち明けたら、衝撃的なことを言われた。
「傷つけた被害者のことや、被害者の家族のことを考える必要は無いよ。関係ないから。」
僕は全くそうは思えなかった。僕は加害者であり、加害者は一生を持って償い、幸せに生きることは許されないと。
けど、冷静に、理屈で考えてみれば、確かにそうだとも言える。関係ない。
僕がどれだけ反省してもどれだけお金で償おうと、どれだけ謝罪しようと、被害者が幸せになるか。ならない。 何なら僕の顔、声、文字すら認知したくないだろう。
なら僕が死ねばいいか。死んだら被害者は幸せになるか。ならない。 一時は恨みを晴らした気分になり、今後同じような被害者が増えないことを喜ぶだろう。けど幸せに成るかと言われれば、僕が死ぬことのみで成るとは思えない。
そして、何よりも、過去は変えられない。やらなければ良いに越したことはないが、やってしまったものは、どうしようもないのであり、既に過去であり、「今」この瞬間には存在していない。
理屈で考えれば考えるほど、「過去」というのは学びとしての価値はあれど、「今」の自分の持ちうるリソースを割いてまで悩む価値は無いと思えてくる。
性犯罪加害者が、そう考えていいのか? 多分社会は許さないだろう。罪を犯したら、犯した者は同等の傷を負わなければならない。でなければ、傷つけ得な世界になる。
少なくとも僕は、先生のような割り切ったというか、吹っ切れた考え方はできない。やはり僕は犯罪者であり、人を傷つけた者であり、背負い続け苦しみ続けなければならないと思う。
ただ、僕にも曲がりなりにも過保護なバカ親が居て、何故だか出会ってしまった恋人がいて、こんな僕でも見捨てないでいてくれた友人が居る。この人たちは、幸せにしなくてはならないのではないか。
いつ何時でも「今の僕を被害者が見たら」と思う。きっと殺されるだろう。でも、これもまた、起こってもない未来、「今」存在していないものに対する気持ちであって、「今」この瞬間に横にいる恋人には関係ないのである。
だから、最近は人を幸せにすることが、せめてもの責務なのではないかと考えている。フリーターだが、時々ちょっとだけ贅沢できるくらいの生活で、恋人も僕も満足していて、誕生日にはサプライズでケーキを買う。
これで良いのか。これで良いのだろうか。
色々考えるが、やはり「今」は「今」。忘れてはならないが、背負いすぎて不幸にする人を増やす方が、よっぽど社会に迷惑極まりない。
二度と再犯せず、二度と同じ過ちを繰り返さず、二度と母親にあんな顔をさせない。それだけが、僕の最低限守るべきもので、あとはただの我儘だよなと思う。
拙い文章だが、ここまで読んでくれた方が居たならば、ありがとう。非難轟々でも構わない、ただ、耐えられなくなってしまって、思うがまま書いた。人に見られる前提で書いているのが気持ち悪いが。
ちなみに、恋人や友人は僕のしたこと全てを知っている。包み隠さず全て話した。
恋人に関しては、「今の〇〇さんと関係ないし興味ない」と一蹴された。いいのかそれで?いいならいいんだろうけど。
被害者に関しては、捕まった後に賠償金や謝罪文を申し出ても、軒並み断られている。
総じて考えていることは、「二度と私の人生に登場しないでください」ということだと思っている。本当に、申し訳なく思う。
軽度アトピー性皮膚炎、ニキビ、手足の汗疱、蕁麻疹とか持ちの万年皮膚炎病持ち。
・ステロイド系の塗り薬
脱ステロイドに3年以上かけて挑んだことがあるが無理だった。ステロイドと長い付き合いで折り合いつけるほうがずっと人生が楽。人生一番楽しむべき若い時期に脱ステロイドで全身真っ赤っかで引きこもって過ごすのは私には出来なかったしお勧めしない。
・抗不安薬
どうもストレス性の皮膚炎だったらしいのかこれが一番効いた。皮膚炎が原因でストレスが爆発したのか、ストレスが原因で皮膚炎が起きたのかはわからない。
3年ほど飲んだあたりで必要性を感じなくなり減らし始めて今は1年ほど断薬してる。季節の変わり目に肌荒れが酷くなりだすとたまに処方してもらうぐらいの付き合い。
これはとにかくニキビに効いた。医療系なのでコロナ禍と関係なく万年マスク生活を送ってるのでマスク荒れがあったがスキンオイルを塗るようになって保湿した物が保たれてるのかニキビが全部消えた。おすすめは冬季に出るIPSAのオイルでサラサラしてるしべったりしない。コスパも最強。今の時期は手に入らないので適当な安めのスキンオイル使っている。
筋トレをきっかけに飲み始めたが飲むと肌の回復の速さが段違い。筋トレしてなくても飲むようにしている。肌を作るのはタンパク質なのだから当たり前のことかもしれないが肌荒れや外傷を治すときには絶対に飲むべき。
・漢方
副作用が嫌で抗アレルギー薬を服用したくないので痒みに効く漢方を飲んでる。対症療法なので根治には意味がないがすぐに痒みが治る効果があるのでストレスがかなり減った。蕁麻疹持ちにはマジで漢方がおすすめ。
物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。
N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。
と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHDの治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。
父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。
何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。
父親に包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親。
床にぶちまけられる牛乳。
弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である。
机をくっつけて、隣の席の子にしょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。
宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚。
テコでも動けなかった。
宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズのデッキを組んだり、ミニ四駆のカスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたかな自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)
同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ。河原で秘密基地作ったりとかしていた。
また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。
違う。
(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。
全く交流できないということではなかった。
同学年で話したことがない人は恐らくいない。
誰とでもそれなりの雑談ができた。
輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。
故に、常に疎外感を感じていた。
今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。
次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間は教室でひとりでボーっとしていた。
見かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。
通信簿の「担任からのコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。
地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。
中学での成績は150/200あたりだった。
たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。
国、社、英は不得意で、理数が得意だった。
勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部の活動をするか、家のパソコンでニコニコやYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーやMixiをやっていた。
高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報系学科に滑り込んだ。
元がアホなので上振れしてもこの程度である。
なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。
高校では朝読書の時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。
この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPCで毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分の人生は天鳳の段位とレーティングが全てだった。
謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。
その後、持ち前の過集中により小論文と面接を突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。
麻雀への情熱は大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。
情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブをかました(自慢)。
麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。
2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。
バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会に放出された。
なんていうか、普通に死のうと思った。
ある日、ふと一回死んだ。
自○未遂をしたということではない。
自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。
どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。
それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。
一応、親は家に住まわせてくれた。
速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。
やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき、内定が出た。
自分に内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業」であることが導かれるのである。
人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。
自分が特別社会に適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。
この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。
会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつの診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続きは自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんがサポートしてくれて本当に助かった。
うつの治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。
3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。
脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。
今まで自分は文をうまく読めなかった。
脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。
また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。
そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。
プログラミングが得意だったのは、自分で計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。
皆これが普通だと思っていた。
薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。
当然みんなもそうなんだと思っていた。
こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。
薬を飲んでからは夜更かしが減った。
アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。
人生も徐々に良い方向に向かった。
長々と書いてしまった。
もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。
自分はADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。
「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。
しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。
そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分の可能性」を信じられなくなる。
その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。
そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。
もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。
そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療にアクセスしてほしい。
水谷緑さんの「私だけ年を取っているみたいだ〜ヤングケアラーの再生日記〜」(文藝春秋)を読んで、病識のない精神障がい・患者を抱えた家族がどうやって社会と繋がれたか書こうと思った。
母も当時、自分を病気じゃないと思っていて(病識(びょうしき)がない、と今は言ってる)、明らかに家族や周りが見たらおかしくて、その認識の乖離のせいでさらに信頼関係が崩れたり、暴走が激しくなったりした。
精神科は本人を連れてきて、と言う。
母が調子を最初に崩した時、父がすぐに何か気付いて東京の病院に連れて行った。
そこで話を聞いてもらって、薬をもらった。
気分が落ち着くような薬で、代わりにうつ病のように1日のほとんど寝ていることになる。
お酒も飲めない。
それでも家族としては暴走されるよりマシだから飲んでて欲しいけれど、本人は「薬を一生飲むのかな」「薬がなければ家事をきちんとできるのに」「私は薬なんかなくてもまともだ」と思うのだろうか。
薬を飲んでいない時で躁状態の時、最初に行なったのは都内に出かけて高価な買い物をしてきたことだった。
出かけた先で予定を変えて夜遅くまで帰ってこなかったり、突然深夜に出かけることもあった。
おかしな行動をし始めた頃、父は必要あれば迎えに行ったり連絡を試みていたが、だんだんほっとくようになった。
お父さんは浮気してるとか、お父さんは嫌いと言って家出という形で出ていくことも多くて、父としてもあまり優しくして構うのも限界があったのだと思う。
ある時、学生時代の友達の家に遊びに行って泊めてもらっていた。友達も泊まるとは思わなかったし様子もおかしいので、父に連絡がくる。母が車で出かけていたので始発を待って翌朝父が迎えに行くと、友達の家のベランダから何かを叫んで怒っていて、友達は怯えて寝室に閉じこもっていた。
父が車を運転して母を連れて帰ってきて、その翌日、数年ぶりに病院に連れて行くことにした。
それまで母に「診てもらおうよ」と言ってもまた喧嘩になるから諦めていた。
その時は、妹や父が(色々あって)鬱かも、みんなで診てもらおう、と連れ出したらしい。
(私は進学で別の土地にいたのでこの辺りは伝聞だ。)
日曜だったのでやっている病院が少なく、隣の町の小さなメンタルクリニックに連れていった。
少し離れた有料駐車場に車を停めて3人でクリニックに向かう間も、母は「やっぱりやめようよ」「あそこに行ってみたい」「どこに連れてくの?」と、足を止めていたらしいが、なんとかクリニックの前まで連れてきた。
クリニックの看板には、「心療内科・整形外科・内科」みたいなことが書いてあった。
それを見て母は、「整形外科って何!私を整形させたいの!?整形しようとしてると思われる!みっともなくてこんなところは入れない!」と言ったが、とにかくいいから、と院内に入る。
待合室で少し待っていると、母がだんだん気分が上がってきて、診察を待たずに待合室で父と喧嘩になった。
妹が泣きそうになりながら、クリニックの人に「早く診てください」と言うと、クリニックの先生が出てきて、「うちではここまで調子悪い人診れないよ」と言った。
暴れたり叫んだりするのをやめないので、クリニックが警察を呼んだ。
警察。
これが初めての警察のお世話になった場面だった。
みんな家族が警察に捕まるなんて恥ずかしいしとんでもないと思うかもしれないけど、本当に家族がおかしくて困っているなら警察は悪手ではないと今は思ってる。
本人は嫌だったと思うけど。
警察が来ても頭がおかしい人は「捕まる」訳ではない。でも、一晩署にいて、そのあと病院に送還される。そこで度合いによるが「措置入院」となると、県知事や都知事、市長が入院しないといけない人と判断した、となり、その入院にはお金がかからない。
その分それくらいのレベル、ということで病院では拘束されたり外部との連絡や交流が制限されたりするが。
この時は措置入院になり、つまり母としては「無理矢理頭がおかしいことにさせられて警察に強制的に入院させられた」となっていたと思う。
母が署に一晩いることになって父と妹だけで帰宅した夜、初めて電話が来て、「なるべく早く、可能なら明日にでも帰ってきて」と言われた。
2人とも料理や洗濯もできないと言ってやり方を教えてくれ、と。
入院にあたってタオルなど荷物を届けるためみんなで病院にも行った。面会はできなかった。
入院は2ヶ月程度だったと思う。
2ヶ月経って面会が許された頃、病院に久しぶりに行くと、先生に「本人が退院したがっていて、症状も落ち着いてるのでこちらとしては患者さんの意向を尊重する」と言われた。
だが、面会した時に話した感じで、母に病識がないことがわかっていたので私と妹は反対だった。
だが結局その時は退院になってしまった。父が母を信用してみることにしたのだ。ここからの入院はお金がかかるから躊躇したものあるかもしれない。
案の定1ヶ月以内に躁状態は戻ってきたが、通院と薬で押し込めて落ち着けられた。
そのあと2年後に、大きな動きがあった。
入院の時お世話になった先生のところに、2ヶ月に一回のペースで通院していた頃だった。
その回の通院で話し合って、薬を少しだけ減らしたらしい。
そこから2週間ほど。
教育関係者の偉い人の講演会に感動して、ビラ配りに参加したり活動的になってきていた。
だがそんなもの趣味と同じ扱いで制限もできないと思っていたころからたった3日ほど経ったある日、パート先で勤務中に、母がいなくなった。
仕事着のまま、運動会中の近所の小学校に来て騒いでると小学校の教頭から父のところに連絡があった。
小学校に来て、〇〇さん(教育関係者の偉い人)が来てないかと騒いだと。
保護者や教員で取り押さえていたが、父が仕事中で母の実家に連絡をとっている間に脱走。
母の実母は、母の姉に連絡し、妹にも連絡し、様子を見に向かっていた。妹はデートに行く途中で連絡が来て、相手に断りを入れなきゃいけないし、自分の予定を邪魔されるし、そんな状態の母も見たくないしで泣きながら戻ってきたという。(私は妹にこの時、母のところに行きたくなかったら行かなくてもいい、時間をおいて帰宅したらどうか、と言った気がする。デートについてはなんて言えばいいかわからなかった。)
みんなが母を迎えに行こうとしている中、GPSで父が母の場所を探っていたが、急に移動のスピードが上がる。
教育関係者の偉い人の事務所の前にて、騒いでいるところを通報を受けて警察に連行された。パトカーに乗っていたからGPSが速く移動したのだった。
署で面談中、母は暴れ、叫んでいた。
服を脱いでいたらしく、警察に渡された布を纏って、面談相手とは距離を取って面談をしていたという。
気が大きくなっていたのもあるが、離れて会話するから叫んでいたとも思う。
前回と同じ流れで措置入院になり、前回より近所の病院に入院した。
私は今度こそ病識が持てるまで入院させよう、と強く主張し、妹・父と、先生に伝えたいことをまとめた。
また訪問看護も利用できないか聞きたかった。私は勘違いをしていて、家の中に来て少し家事をしたりしていってくれる人だと思っていたが、そのあと聞いたら訪問看護は薬を飲み忘れてないかとか様子がどうか見るだけのものらしい。
それでも家族以外の外部の人に見守ってもらえるなら今までよりいいと思う。
家族だけじゃ息が詰まる。
今回の先生は女性の先生で私たちの話をよく聞いてくれて、「病識を持ってもらう」というゴール設定をよく理解して汲み取ってくれた。
薬を性質の違うものに変えて代わりに量を増やし、症状を抑えていた。
私は「心理的なきっかけがあるんでしょうか?トラウマとか…」と聞いた。
先生は「違います。脳の障がいなんです。双極性は心理的な原因があることは少ないです。」と言ったと思う。(私の解釈が入っていて医療的に間違っていたらすみません。)自律神経の不調やホルモンの不調と似たものだという理解だった。
結局入院は3ヶ月程度だった。
退院した数日後に会いに行くと、母は前回と違い周りの患者さんと交流もできて、自分から「障がい者手帳」「障がい年金」をもらおう、と言っていた。
一緒に申請に付き添って行ったが、明らかに前回と違うと思った。
今は自宅で過ごしている。家事も自分のペースでして、やはりよく昼寝をしている。
作業所などに通うことも検討したが、落ち着いていればパートもできるのだから本人としては新しいところでパートを始めたいらしい。
今症状と付き合い始めて10年ほど経つ。
今やってる向き合い方が正解かはまた数年経たないとわからないが、とりあえず穏やかにやってると思う。
暴走の仕方によるが、私たちの場合は調子の良い時は家族同士仲がいいし母の暴走は人を暴行したりはしないので、暴走させて警察などの権力のある機関に介入してもらう、というやり方で結果的に良かったと思っている。これが暴走するのが父で、ほっといたら人を殺すような人だったら思うとゾッとする。
でも、私もすごく怒りっぽいところがある。「暴走」自体、他人事と思えないし、私自身いつそちら側に行くかわからない。その時入院となったら、犯罪を犯してしまったらと思うとゾッとする。
私は病気が原因で人の命がどうにかなってしまうことだけが恐ろしい。
双極性障がいは、鬱に振り切って自殺をしてしまう患者もいると言う。
母が自分を責めてそんな選択をすることもないよう気をつけている。
そこまでドラスティックな変化でもなかったけど言いたいことわかる
自分は脳内多動タイプで、ある意味マルチタスクの人間だったんだけど
(「音楽を聴きながら文章を打つ・動画を見ながら文章を読む」とかが苦手になってしまった)
集中力が上がったといえば聞こえは良いが、正直不便だ(断薬して数年立っても未だにこのままだ)
個人的にはその程度の変化で全く役に立たなかったので断薬したんだが
もしかして辛いもの苦手になったのもストのせいかなと疑っている
気軽に処方してくれる認定医は居らんのだろうか
(自分の主治医は頑として出さない人だった。困りごとの解決に寄与するのがあんたの仕事だろうが。あんたの主義なんぞ知らんのだ)
実家の事情もあって、専門卒業後に別業種だったシステムエンジニアに転職した。
パソコンなんてパワポとフォトショくらいしか触ったことないのに、プログラムを0から勉強して騙し騙し仕事をしていた。
元々勉強に向いているタイプだったのもあって、23歳から30歳の7年間で年収は1200万円程もらえるようになった。
学歴のない自分には身に余るような光栄な仕事ばかり与えてくれる会社や、周りの人には本当に感謝しかない。
殴られたって、いじめられる時だってあったけど、結果的に金になっちゃったんだからオーケーオーケー。
お金には困っていない。新卒から早々に一人暮らししながら実家に数十万の仕送りを送り続けた。
その生活も、今年の春で終わった。自分のお金はもう一人で使える状態になった。
そんなタイミングで来る、結婚適齢期、妊娠出産のタイムリミット。
運良く結婚前提交際1年、同棲半年、婚約もとんとんで進んで、生活力もある容姿も好み、価値観や性格もぴったりの婚約者ができた。
これから私は、この人と私の幸せのために働くのだと思うととても幸福に満ちている。
ただ、7年間の激務で自律神経がめっきりぐっしゃり壊れてしまった。
顔面神経麻痺、チック症、不眠、夢遊病、悪夢症、体温・発汗バグ、手足の震え。
避けていたが、婚約者の勧めもあり2年前から心療内科に通っている。
処方されている薬は、精神科医によると「これ以上強い睡眠薬は出せない」レベル。
これさえ飲めば、中途覚醒と悪夢で叫んで起きることはたまにあれど、6時間ほどは眠れて働ける。
メンヘラといえばメンヘラなのだが、精神状態に問題はなく、神経がちょっとバグっちゃっただけなのだ。
ヒスを起こすことも、暴力も、リスカも、ODもしない、模範的精神病者である。
結婚をしたら子どもが欲しい。妊娠を望む際はこれらの薬を断薬する必要がある。
眠れぬ暮らしをしながら働けるだろうか。
婚約者はそれなら仕事をしばらくセーブすればいいと言ってくれてる。
でもお金はあればあるだけ安心だし、産んだあとこそ働けなくなるのではという不安がある。
低学歴の汚い野良犬みたいな自分を拾って仕事とお金をくれた会社にも感謝している。
でも、失った対価は大きかったのかもしれない。
少しずつでも薬の量を減らしていこうと思う。
拝見した限りでは、医師の見立ての方が精度が高いように思われます。最初の処方にSSRIが含まれていたものと思われますが、その副作用で典型的な不眠・悪夢のタイプに見られます。
また、エピソード的にはうつをまず考えて不思議ではないし、解離性とはあわないように思えます。感情が思い出せないという感じはこれもまたSSRIの効果が出てる場合に見られるので。
今まで理解できなかったレポートがすっきり理解できるようになるのも、抑うつ状態が改善した事による理解力の回復による典型例に見受けられます。
基本的には断薬や漢方ではなく、処方による副作用を医師に伝えて処方の見直しをお願いするか、その意向にまったく応えてくれないのならば別の医者に掛かるほうがよいかと思います。
疑心暗鬼になりやすいものですが、いずれにしろ精神症状はインターネット検索の内容をもとに自分自身を判断することは不可能だとお考えください。
精神症状において、「自分の体は自分がわかっている」ことはまずありません。このレスも含めてこういったインターネット上のエピソードやレスポンスが的確なこともまずありません。それらに比べれば精神科医の先生の見立てのほうがずっと的確なのです。
残念ながらいまの先生に信頼が置けなくなってしまったのなら、別の医師にかかるのがよろしいかと思いますが、その場合、まえは信頼が置けなくなったことと、どう信頼が置けなくなったのか、処方がどのように副作用を持っていたのかをまず伝えるようになさると良いでしょう。
一昨年うつ病と診断された現役大学生だが服薬しながら休んでたけど、薬を飲んでも悪夢ばかりで全く休めないこと、ネットで薬のことを調べるとあまり良くない情報が目に入ってしまい、怖くなってきて勝手に断薬した。
シャンビリ感、反跳性不眠、頭痛、肩こり、筋肉の強張りとか離脱症状に悩まされてるけど、最近少しおさまってきて、生活リズムをできるだけ直して、漢方を飲んだり、たんぱく質とかマグネシウムを摂るようにご飯をちゃんと食べたりして養生中。
なぜ自分が解離性健忘なのかと思ったのか、経緯を話したい。(書いてみたら結構長くなってしまったので読める人だけどうぞ…)
去年の春休み、ひたすら眠ることしか出来ず、トイレに起き上がるのも一苦労だった。すごく死にたがってて(これもちょっと記憶が曖昧)、どうせ死ぬなら今まで読もうにも読めなかった漫画を買って読んでから死のうと思い、気になる漫画を電子書籍で数万単位使って買った。
昔から漫画は好きだったし、コロナ禍で外に遊びに行くことは減り、バイトで貯めていたお金が余っていたのでそれを崩して買った。活字だけの本は読めなかったけど、漫画なら読めた。それから夏休みはずっと漫画を読んでいて、寝るか、漫画を読むかの生活だった。何もやる気は起きなかったけど漫画だけは読めたから、これが酷い時期から脱する回復に繋がったのかもしれないと今では思う。
春休み明け、春休み前にいくら読んでも内容が理解できなかった活字だけの本を、レポート課題のために読み直した。すると、なんとスラスラ情景が浮かび、登場人物の名前も覚えられる。今まで登場人物の名前、関係性がぱっと理解できず、悩みまくってたことを不思議に思うくらいに。
頭の中の霧が晴れるようだった。今までの悩み事が全部解消された感じ。
でもよく見慣れたはずのゼミの人たちと話している時に違和感があった。顔と名前は覚えているけど、第一印象とかその人と話していて自分が感じたこと、思ったことは全く思い出せない。
その後も仲のいい友人と会って思い出話になる時、表面上では「そんなことあったね〜」と流してはいたが、ほとんどの場合は「そうだっけ?」「そんなことあったっけ?」「その時、自分はどう思ったんだっけ?」「その時、自分は何も感じなかったから覚えてないのか?」と考えることが多かった。ただ忘れただけかと思ってたけど、あまりにも覚えてなさすぎる。なぜ自分はこんなに出来事を覚えていないんだ?
調べてみるとうつ病の人は物忘れが多いこと、短期記憶が難しいこと、あと薬の副作用でもそうなるらしいことがわかった。該当しないことはないが、本が読めるようになったから違うのでは?と思った。さらに調べていくと、健忘というのが目に入った。全般性健忘、解離性健忘…周りから見ると普通だが、本人からは同一性がなくなっているだとかなんとか…。これっぽいなと思った。自伝記憶?エピソード記憶?というのがあまりないように思える。付け焼き刃の知識なので、勉強不足のように感じると思うがそこは許してくれ。
自分にまつわる「事実」を思い出すことはできる。自分の名前、出身地、生年月日、母校、家族の名前と顔、友人の名前と顔、アルバイト先、所属していた部活、通っていた病院…これらに密接に関係していた時に、付随しているはずの感じたこととか思ったことの記憶がほとんどない。
昔の記憶を思い出そうとしても、主観的ではなくて、自分をその場の第三者視点から見ているようなものが多い気がする。
去年の春休み前までの記憶がすっぽり抜け落ちている感覚。海面の部分は見えるけど、そこから下はすぐに深海みたいなイメージ。…分かりづらいな。本当に氷山の一角だけ思い出せるような感覚かも。
書きながら思ったが、むしろ記憶を失くす前の自分が覚えすぎていただけか?
これと言ってトラウマになるような戦争体験とか事故、性的な虐待経験はないが、無意識下の心理的葛藤が原因なら該当するかもと思った。人間関係でよく悩んでいたし、自分の一挙一動を振り返って反省する癖もあった。
病院に行って診察受けて自己同一性を再獲得すべきなのか、このまま生きていってもいいのか、ここ数日悩んでいたため書いてみた。でも医師を信じるという行為が今の自分にはまだ難しいので、通院は無理だろうな。せっかく断薬したBZ系の薬も飲みたくないし。
今までと同じように接してくれている友人、家族に感謝しつつ、このことを打ち明けようか、かなり悩んでいる。一時的なものですぐに記憶が戻ればいいけど。
長々と書いたが、とりあえず今の自分の気持ちを誰かの目の止まるところに吐き出したかった。
とりあえず飯食って休むのが今は良いのかもしれない。
医者を変えても良いという言葉を聞いて、だいぶ病院への向き合い方が変わりました。ありがとうございます。
その後、他の病院に行って大学も休学し、とりあえずうつ病の治療に入った。離脱症状はなくなりました。
医者によって処方の仕方とか診断とかかなり違うんだな。
健忘のことについては、今のところ日常生活に支障が出るほどではないのでもう少しして辛くなることがあったら後々医師に話そうと思う…。
愛する妻に不倫され心がズタボロに壊れて鬱病になり、精神科のお世話になっている。
処方されてる薬はレクサプロ。
薬を処方され始めて1年くらいになるが、症状は驚くほど安定し、無事に社会復帰を果たしている。
薬の効果は絶大だ。まず怒りや悲しみという感情を俯瞰して見れるようになる。
そして、そんな事に心を奪われる事が馬鹿らしく思えてくる。
そもそも元来はエンジニアという職業から極めて単位時間あたりの生産性には気が向く方だったし、不倫された悲しみから思うようにコントロール出来なくなった感情や体調、それによって地に落ちる生産性に悩む日々から解放された事は本当に嬉しかった。
曲がりなりにも、また自分の人生を歩めるのだと少し嬉しかった。
そう、錯覚していたのだ。
薬の副作用なのか、不倫された事による心の傷なのか、気づけば一切の性的興奮への興味を失っていた。
眠くて勃起することはあれど、シコっても射精しないし、射精しようとも思わない。
裸の男女に何も感じないし何も期待しない。むしろ人々の営みを猿か?と引いて感じるほどに、虚無感と賢者感に常に満たされる日々だった。
自慰に使われていた時間はコーディングという極めて生産的な時間に生まれ変わった。
ところが、だ。
先日、炎上プロジェクトの火消し対応の出張滞在が長期化し、ついには持ってきた薬が底を尽きてしまった。
断薬症状は怖いといえば怖いが、そこまで恐怖は無かった。
俺はもう立ち直ったと、心から信じていた。
だから、特にアクションを起こす事もせず、そのまま仕事に打ち込んだ。
それまでも、頭痛などの断薬症状は現れたいが、現地で購入した頭痛薬などを服用する事でさほど大きな問題にはならなかった。
そもそもレクサプロは効きもマイルド、断薬症状もマイルドと呼ばれている薬だ。
日々の生活への大きな悪影響はなかった。
それがだ。
その日見た夢は、それまでの人生で見た夢とは何もかも違っていた。
夢の中の自分は、それまで失ってたいた感情、つまり性欲の洪水の渦の中にいた。
とにかく湧き上がる性欲を抑え切れないのだ。
これまでの人生で、こんなに性欲に頭を奪われた経験があるだろうかというくらい、とにかくムラムラしてたまらないのだ。
そして何より、そのときの自分はいま、夢の中にいる事を完全に理解していた。
不倫した妻が、過去叶わなかった恋焦がれた人が、仲のいい友人や知人から有名人、大好きなゲームやアニメのヒロインやモブキャラまで、どんな異性もコツを掴めば無尽蔵に召喚できた。
満たされなかった思いを、とにかくぶつけた。
セックスがしたいのではない、俺は、愛し、愛されたかったのだ。
その夢で、俺は何度も射精した。
とにかく射精した。
決して鬼頭は摩擦によって痛くならないし、精巣は無限の生産力で精子を提供す続ける。
とにかく、何度でも、何度でも射精でき、その快感を無限に味わう事ができるのだ。
頭がおかしくなりそうだった。
本当に、本当に、気持ちいいのだ。
そんな無双な俺にもわかる。
実世界では今まさに世が開けようとしている。
後少しだけ、後少しだけ、
どうか神さま、この時間を1msでも私に。
とにかく俺は射精を繰り返した。
その朝はとても気持ちの良い目覚めだった。
こんなにスッキリした頭で目覚めた朝が、過去にあっただろうか。
でもその事後処理は、それによって得られた体験の偉大さの前には、もはや何も無いにも等しい物だった。
自分は人を超越したのだ。
刹那な性欲に負けて愛する妻を寝取った間男を、不倫や浮気に悩み悩まされる人類を、俺は仮想化によって超越したのだ。
ついに性欲は、人の営みは、誰も傷つける事のない持続可能(SDGs)なエクスペンスへと昇華されたのだ。
その体験は三日三晩続いた。
無事に出張を終え帰宅し、投薬を再開した自分は、良くも悪くも日常へと戻ってきた。
あれは夢のような出来事だったのかもしれないし、実際のところ夢だったわけなので、まぁ夢見たいなというか夢なわけだけど、今も自分が世界や人を捉える価値観を持つ上で、とても大切な思い出になった。
東京オリンピックが閉幕したら死のうと思っていたのだが、あれよあれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの数ヶ月前のことだったのにも関わらず。
この北京オリンピックも盛り上がりを見せてきたところで、自殺願望もとりあえず重箱の隅に仕舞いこんでおける水準になっていることに気が付いた。
経緯を増田に簡単に書き残しておくことで、誰か必要としている人に届けば良いと思う。
僕はかなり重度の自殺願望の持ち主だ。
いや、正確に言い表すのならば、「自殺願望の持ち主だった」。
元々、どこから湧き出てくるか不明な死にたい気持ちの源泉を抱えて生活してきた。精神強者にはあまりわかってもらえないことなのだが、「生きていること自体が自傷行為」なのである。
学生時代も挫折と絶望の繰り返しで、それなりに死んでしまいたくなることはあった。なんとか資格で食っていける学位を命からがら取得し、赴任地や所属といった諸々の見通しがたった後は、気を紛らわすような生きて行くための指標を見失い、ずっと「一体、これから俺は何のために生きていけばいいのだろうか?」と迷子になりかけていた。
趣味でも、恋愛でも、誰かこの人に尽くす為に生きてゆきたい。そういった、生きる痛みを和らげ覆い隠すだけのわけが必要だった。
私にはこれといった趣味がない。何か気分がいい感じに紛れるモノを探す努力もしてみたが、一向に見つからなかった。元々根は不真面目な社会不適合者なので、昇格昇進を目指して仕事に打ち込むことも出来なかった。恋活はじめいわゆる婚活と呼ばれる活動にも参入してみた。だが、案の定誰からも愛されることは無かった。
誰からも求められず、自分は何のために生きているのかわからないまま大阪で過ごす日々は、着実に心身のHPを削っていった。
婚活で出会う女とやり取りするうちに残りギガも減りゆき、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはネットだけでなくリアル対面が必要なのだと思うようになった。そして、遠隔でもいいから分かりあえるパートナーと生涯を共にしたいと熱望するようになった。
いっそのこと手っ取り早く障害者手帳を取得し、ハートフル割でTwitter婚活に専念しようかと考えた。しかし手帳を申請する前段階の診断書ゲットで躓き、身動きが取れなくなってしまった。
処方薬の大量服用を試みた。失敗した。目が醒めたからだ。次はもっと致死率の高い量と血中濃度を計算しようと誓った。
いずれにしても、「実行できなかった」。自殺願望を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「俺は本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんや!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた僕は、急な断薬をすることにした。
サナトリウム的な保養所に連絡してサポーター氏と減薬調整を進め、彼らから「お前の寛解を認める」という言葉が得られたのは、雪がとけゴールデンウイーク目前となった頃で、私は44歳になっていた。
「寛解」という言葉の軽々しさに、「これが誤診だったらいいな」と執着心を捨てきれずにいた僕だったが、そこから次元を上昇するかのように幸福が立て続けに起こった。
元職場の上司が菓子折りを持って過去を詫びにきたり、身内が出産したり、別の身内が学会で表彰されたり、海外の親戚が帰国し、その勢いで一族での花見をやったりした。短い期間に懸賞に連続で当ったことも、一度や二度ではない。
そのわりに仕事がうまく行くようなことは無く、再開した婚活でも坑精神薬の服用歴があり厳密には完治したといえない僕のような人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして悶々としているうちに、疎遠になっていたそういう友人たちのうち何人かと交流を再開するようになった。しかし僕の心の隙間は一向に満たされる気配はなかった。
もう何をやってもこの人生はなるようにしかならないと悟り、私は何を思ったか一匹の保護犬を引き取ることにした。ミニブタの飼育もはじめようと思い付いた。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
私はその申し出を断固拒否した。その代わり、友人と
文章はここで途切れていたので、今こうして続きを入力している。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
さらに文章はここで途切れていたので、今度は私がこうして続きを書き込んでいる。
文章の推敲をしていると、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。見るに耐えうる程度には美しく、刺身の上にタンポポを載せるような仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。何故か僕が近くに滞在していることを知っていたのだという。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、僕は自分で言うのも何だがわりかし顔の造形が整っていて陰キャでコミュ障傾向にあるが自殺願望や希死念慮から起死回生を図った逞しいマッチョである。彼女のようなどこか気が抜けていてポンコツで味のある(一応誉め言葉だが彼女に文意が伝わるか定かではない)女が、僕のことなど好きになる知能を持ち合わせているはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪われるものなど無い私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。息子と娘も誕生した。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで生きるのを延長していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、生きるのを何度も延長した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。コロナ対策をしつつ旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。ふわっちやInstagramをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も生を僅かずつ、ほんの少しずつ延長していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして全てのタイミングがピックアップしたパズルの破片のように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私がナルシストでニヒリズム主義でいることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと能力者扱いされると思うけれど、なろう主人公程度には大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは金輪際ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
あのYouTuberが配信するから今日はとりあえず夜までは死なないだとか、映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
横だけど実例を上げておく
アラフォー既婚。子供作んないの?と無神経なこと聞いて来る連中が大嫌い。躾が出来ない親とその子供、妊婦様、子持ち様も大嫌いです。同じ境遇の方とお話し出来たらなあと思っております。
本音と愚痴用。躾のなってない子供と図々しい子持ち様が嫌い。猫、読書、海外ドラマが好き。オカルト好き大歓迎。DINKS。ごちゃごちゃ色々とつぶやきます😙 クソリプやクソ引用RTは積極的に晒します💕
就職氷河期世代。世の中の理不尽を呟きます。脱原発、安倍の移民政策反対(技能実習生)、反マイナカード、監視社会や国民が望まぬ政策を強行採決する自公維国不要! 反日工作員とお姫様気取りの「子持ち様」「妊婦様」はクソ。大相撲、絵画、手芸、習字、ショパン、日本料理、日本語誤用論等趣味。クソリプとネットビジネス垢はブロックする。
#東北楽天ゴールデンイーグルス のファン。 Dorothy Little Happy白戸佳奈ちゃんは永遠の推し。 公金に集る #劇団員様 #子持ち様 #妊婦様 #逆マタハラ #逆パタハラ #毒親 が嫌い。 環境保護型反出生主義者(持続可能な人口規模へ)、武闘派。 子無し労働者の権利を尊重。 動物好き(特に犬)。
#子持ち様 #お局 #上司 #パワハラ上司 #社畜 #理不尽 #パワハラ #逆マタハラ #女性の活躍推進 についてのツイートしています。数だけ目標の女性の活躍推進大反対。逆マタハラが一般社会に浸透しますように。女性だけれど実態の伴わない「女性の活躍推進」には大反対。 ブログ始めました。
強産被害者。男嫌いだから寄ってくんな。安楽死はよ。 苦しく死ぬのだけは嫌だ。ネグレクトの結果厚生労働大臣お墨付きの障害年金2級。障害持ったまま生きてても楽しくない。 30↑ガキはすっこんでろ。子持ち様嫌い。筋の通らない反対意見→秒でブロック HSP.自律神経失調症.パニック障害.不安神経症.うつ病.副腎疲労症候群.LS
#独身貴族 #反出生主義 #フリーター #恋愛アンチ #性嫌悪 ですが、別に既婚者や子持ち様、正職員でバリバリ働くフルワーカーさんから蔑まれても、こっちだってそれ以上に蔑んでますからどっこいどっこいと言ったところだと思いますw誰からも固定観念にも縛られずに自由に生きる!良い意味で世界をぶち壊していきたい。
反出生主義者にして安楽死しか道が無い理由は、自分の親と姉と義兄が子持ち様な事、親や外国人の奇声とスポーツの叫び声・怒鳴り声とTVの音と外国語のアナウンスを聞かされ、受動喫煙被害もあり、外国語の文字を見させられる世の中な故、交通機関も無理だから。他は反狂育・反校則・反ブラック企業・反社内規定等の思考とASDと抑鬱。
鬱もち、ADHD、毒親育ちのアダルトチルドレン独身子無しナースです 結婚子供ノーセンキュー 子持ち様へのヘイト吐いてます 現在無職、障害手帳3級、障害年金2級にて療養中。
本音を吐き出す垢 躾をしない子持ち様が嫌い 関わりたくない DINKs 面倒な人をかまってあげる気も意見の合わない人と議論()する気もありませんので噛み付かれても晒して即ブロックします
子連れと言う名の異敵と戦う侍 公共の場を私物化する奴は💢😠💢 現在は電車内飲食が問題化してますね。 全員が全員、感染拡大を止めたいわけじゃないから広めたい人は飲食しますよね💧 #クソ子持ち様川柳
アラフォー。夫婦二人で仲良く暮らしてます。 うるさい子供と偉そうな子持ち様が嫌い。軽く反出生で人類は滅んでも良いと思ってます。極度の嘔吐恐怖症で30数年はいてません。パニック障害、会食恐怖症、鬱、などなどありますが現在は断薬し、通院してません。フォロー申請はお気軽にどうぞ🍏
生まれも育ちも岡山県倉敷市 /猫と尾道が好き /FLYERS(SKY-HI時々AAA) /猛毒につき接近禁止!! /ダブルワーク /同業者さんフォロー歓迎 /デキ婚様・妊婦様・子持ち様・高齢者様、大嫌い(笑) /頭おかしい人切ります(笑)
アドレナリン垂れ流す子持ち女の愚痴垢。人間力向上のために自己啓発本を集めるのが趣味です。嘘です。/反日/老害/セクハラ性犯罪者/妊婦様/子持ち様/道路族/こいつら一人も日本にいらない/日本語不自由な奴は回れ右/基本通知は全てオフです
社畜。ワガママワーママ様の尻拭いの日々。上司役付き♂にも子供優先で同僚部下に迷惑かける子持ち様いて厄介。子なし独身に休日出勤や残業押しつけるな!子持ちの尻拭いは子持ち同士で! #子持ち様 #ワーママ様 #妊婦様 #ベビーカー様 大嫌い! #逆マタハラ #独身ハラスメント #子なしハラスメント 絶対許さない!
クソ家庭生まれ。大卒だけど正社員経験がコールセンターしかない将来お陀仏自○予定マン。汚客しね。投資も副業もしね。騒音起こす奴しね。高齢者と子持ち様が大嫌い。毎日愚痴と自32願望。今の世の中に疑問。災害か通り魔に遭遇して4にたい。業者はぶっ56す
貴腐人です。 犬が大嫌いですが、虐待反対! でも「動物こそが全て!」という考えも、断固拒否です。動物実験は必要です。 動物実験のお陰で、私は助かっております。 男性不信&男性恐怖症。 反フェミや糞男(ミソ男など)、キモオタ、糞ガキ、馬鹿親、子持ち様、妊婦様、それらの擁護派が大嫌い。 ちょっとだけフェミ寄り。
まとめサイト転載厳禁。ミソジニストと名誉男性、クレクレ子持ち様、トランスカルト信者はくんな。アンチ出生賛美。キラキラリベフェミとママニズムが嫌いなのでフェミニストを名乗りません
18↑/ゲイ/相方います/DID(解離性同一性障害)/AC/毒親育ち 趣味はゲームとお料理と創作 BL,おっさん,ショタ,筋肉が主食の腐男子 創作BLのみで絵と小説かくよ。創作小説はR18率高。うちよそは相方さんとだけ。 クソガキと子持ち様が嫌いで子持ち様への愚痴率高め。フォローはご自由に。18歳以下はフォロー非推奨
時短勤務で育児に勤しむ反出生主義者/15歳で洗脳が解けアンチハーンとなる/DINKSとして家父長制に加担/安楽死オフ会が生きる希望/ベビーカーに追突され粉砕骨折(2年ぶり15度目)/フードコートで子持ち様被害者を慰労し隊/ #反出生主義
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【関心は惚気垢さん・フェミニズム・LGBT・動物愛護・子持ち様妊婦様被害】過激フェミもミソジニストも愛誤も極端で嫌い主語のデカい人も嫌い。何で君らゼロか100かなんだ/児童・動物虐待許さん/毒親持ち/バイセク/性暴力被害者/殺処分反対/TNR/動物のお仕事/夫と息子ラブ。仕事比重大きめの雇われ店長。無言RTは大抵同意
らしさの押し付けから逃れ、更に強え女になるためフェミニストに。子持ち様や自称弱者男性、表現の自由戦士が無理。植物やクラシック、ボサノバ、二次元のオタク。弱ペダの泉田推し。変態発言&BL注意!泉田総受けと悠葦にときめいている。女体化や男体化、擬人化、オメガは地雷
「やろうと思うこと」の関係性に則って順序よくやらず、色々平行してやってるだけ。
散漫だから効率は良くないかもしれないけど、「アレをやってからコレをやる。そして次にソレを…」っていうまどろっこしさを感じずに済む。
アレもコレもソレも全部同時にやる。
で、この癖というか性質を直したいというのなら、ADHDのお薬を飲むことだね(比較的出して貰いやすいストラテラで充分だよ)
でもな。「俺、頭おかしいのかも」って思う以外に不都合が無いのなら、いちいち直さない方が良いと思うよ。
一個のことに集中せざるを得なくなると本当に苦痛。文章読みながらバラエティ見たり出来なくなるんだよ。面倒だよ。
そんなことすら出来なくなるんだから、よっぽど「頭おかしい」状態だと思うよ
(しかも、集中して文章読んだところで記憶に残り続けるわけじゃあないときたもんだ。集中力のある馬鹿。