はてなキーワード: 文章題とは
勘違いしないで欲しいが、ロジカルライティングやその教育が不要だと言いたいわけではない。
むしろよく使う業界なので、教育できるならやってもらった方が良いと考えている。だが、
(1)言語は文化と密接に関わっているため、他国の教育がそのまま適用できるとは限らない
(2)日本語で必須となる漢字教育などカリキュラム量に大きな差がある
(3)その中での「初等教育の一例」を理由として、文章力の低下の原因とするのは無理がある
と言いたいんだ。そういう帰結をするのなら、小さい頃からロジカルライティングをやっているはずのアメリカで
【前回の話↓】
https://anond.hatelabo.jp/20230116191908
WAIS検査受けたてほやほや! 臨床心理士さんのところに行ってきました。
積み木で図形を作ったり、簡単な計算をしたり、語彙力や一般常識を問われたりと、なんだか幼稚園のお受験みたいな感じでした。
検査自体の所要時間は1時間10分ほど。平均1時間半〜2時間程度らしいので、慎重な人だともう少しかかるかと。
内容は秘密なのかと思いきや、受験者側に守秘義務はないらしい。なので具体例は実際のものとは変えつつ、そこそこ詳しく書きます。これから受けるつもりのある人は、正確な結果が知りたいなら見ない方がいいかと。
【覚えてる限りやったこと】
①積み木
向きによって柄が違う積み木を使って、指定された模様を作る。最初楽勝〜と思っていたらどんどん難しくなり、最後の方はお手上げでした。多分人よりだいぶへたくそ。
②記号探し
提示された記号があるかないか探す。たとえば☆%→♡★%○+なら%に丸、+〒→$☆●¥×なら「なし」に丸。これはまぁまぁできたかな。
③法則性探し
色や形の法則性を理解する。たとえば●○●○?なら?に入るのは●。これもどんどん難しくなっていくので、最後の方は自信なし。
④語彙力
書いてある言葉の意味を聞かれる。「あべこべとは?」「朴訥とは?」みたいな。これは自信あり。
⑤仲間探し
ものの共通点を聞かれる。「にんじんとナスの共通点は?」「野菜」みたいな。「寛容と狭量の共通点は?」みたいなことも聞かれるのでちょっと難しい。けど多分できた。
⑥常識力
常識的な質問をされる。「地球の直径は?」「ナイチンゲールって何した人?」「舞姫の作者は?」みたいな。理科的なとこはダメだったけど、まぁまぁかな。
⑦記号処理
数字を記号に変換していっぱい書く。1=€、2=<、3=○みたいな表を見つつ、3213を○<€○に直していく感じ。まぁまぁ出来たつもり。
⑧暗算
読まれた文章題の計算をする。「ひろ子さんはアメを36個買い、5人の友達に同じ数ずつ配りました。残っているアメはいくつですか?」みたいな感じ。数字より人の名前やものが何かが気になっちゃうし、そもそも繰り上がりのある計算が脳内で出来ないし、多分全然ダメ。一回果物が小数点個になったんだけど、あれ間違ったんだろな。
⑨パズル
提示された図形を作るのに必要な図形を三つ答える。長方形を凹凸⬜︎で作れます!みたいな感じ。サイズや向きを頭の中で調整しなきゃいけないから難しい。多分これもダメ。
⑩数字暗記
口で言われた数字を覚えてそのまま言う、後ろから逆に言う、小さい順に並び替えて言う。4649→4649、4649→9464、4649→4469みたいな感じ。まーこれもダメ。そもそも7桁超えると覚えられないし……
今のところ単純に「典型的ド文系」だと思っているんだけど、これによってより詳しく自分の能力の特性がわかることでしょう。
結果は2週間後に郵送、3週間後に直接解説してもらいにいく予定。出たらまた書きますが、その前に心理内科の再受診がある予定。
WAIS検査を受けられるところ、ものすごく口コミが悪かったり、ものすごく高かったり(検査料自体は普通でも、その前後に高額な面談が必要とか)して探すのに苦労しました。
結果家からは遠いものの、込み込みで二万円以下のところに決定。お部屋も綺麗だし心理士さんも素敵なところで安心でした。
結果が楽しみなような、「超無能」の烙印を押されたら辛いなぁと怖いような。そもそもまともじゃないから検査を受けたわけで、座して待とうとは思うものの……
【続き書きました↓】
小学生の時、先生が「算数が苦手な人は国語が得意なことが多い」と言っていた
文章題に関してだが、実際「何言ってんだお前(言葉足らずなんだよ)」って問題がちょくちょくあって引っかかるのだ
言い回しも変だし
更に、粘着質の文系としては増田が言うところの「どうしてその公式になるのか(こっちが理解するまで)教えて欲しい」という気持ちは確かにある
つーか、普通に説明されるよね。授業で。説明なしにこの公式覚えろなんて教え方されなかったけど
で、理屈が分かって覚えたところで結局素養が無いから和算も数学も苦手なままなんよ
あれは、算数で文章題の出題があった(そして、式を立てましょうという設問があった)ことを覚えている人と忘れた人とのエンドレスバトル
□
増田さん、こんにちは。Change.org Japan カントリー・ディレクターのxxxxです。
Change.org日本語版のユーザー約300万人のうち、増田さんをはじめ、今日このメールを受け取っているのはそのうちの12 %の人たちです。
これを日本の人口で見てみると、約347人にひとり、つまり日本の0.3%の人だけに、このメールが届いている計算になります。今日は、そのうちのひとりである増田さんに伝えたいメッセージがあります。
私がChange.org日本語版のスタッフとして働きはじめた2013年頃は、日本でオンライン署名の存在を知っている人はほとんどいませんでした。
私たちスタッフのもとにも「日本ではうまくいかない」「オンラインで集まった声の一体何を信用しろというのか」といった懐疑的な声は、今よりもはるかに多く届いていました。
今日「0.3%のうちの一人」だと言われた増田さんにとって、もしかすると、その数字はとても小さいものに聞こえるかもしれません。
しかし、私はそう思いません。
なぜならあの時も今も、市民の力で社会が変わる可能性を諦めず、Change.orgでオンライン署名に賛同し、私たちの力を信じてくれたのは、いつもその「わずか0.数 %の人たち」だったからです。
そして、今こうして増田さんにメッセージを送れているのも、ほんの0.数%の人たちが、「きっと社会はよくなる」と信じ、今日までアクションを起こし続けた結果なのです。
(以下寄付のお願い)
https://anond.hatelabo.jp/20211215231003
掛け算順序派は、交換法則に真っ向から反してるのに延々と同じ主張繰り返してまぁ愚かだなって思う。
交換法則と順序の対応は両立するって主張してる人もいるけど、彼ら順序派にとっての交換法則は
3(1つ分)×5(いくつ分)=5(1つ分)×3(いくつ分)
なので1つ分が固定されている文章題では正しい順序でないとダメってことみたいだけど、
交換法則って正しくは
3(1つ分)×5(いくつ分)=5(1つ分)×3(いくつ分)
以外にも
3(1つ分)×5(いくつ分)=5(1つ分)×3(いくつ分)=3(いくつ分)×5(1つ分)=5(いくつ分)×3(1つ分)
のように1つ分が後ろに来ても何の問題もないってことなんだけどね。
(いくつ分)×(1つ分)で答えた子にバツをつけるのは要するに、教えてないやり方でやったからバツってパターンだよね。
正しいのに教えてないからバツをつけるってのは、他の教科でも時折問題になる、間違いなく異常な指導だよ。
小学生の子でも少し数的センスのある子なら、「1つ分が後ろに来ちゃだめなのなんで~?」ってなると思うけど、その質問には答えられないんだろうね。
(君のような勘のいいガキは嫌いだよ、ってなってそうw)
(1つ分)が(いくつ分)あるっていう状況を子供が正しく理解できてるかってのをテストしたかったら、文章題には毎回めんどくさくても
『□個の組が□つあるから(立式)』という穴埋め形式を絶対やらなきゃいけないんだよ。掛け算の順序でその理解度を測ることはできないししてはいけない。
掛け算の順序問題なるものがある。
「りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題に「4×3=12 答え 12個」と「3×4=12 答え 12個」という回答があって、前者だけを正答とすべきだとか両方正答とするべきだとか、そういう問題だ。長方形の面積について話している場合もある。
この意見の対立には、(一面として)数学をどのように抽象的に捉えるか、というのや数学・算数という科目の持つ役割に関してのスタンスの相違が原因にあると考える。
数学をより純粋に抽象的に捉えるにしたがって「順序強要」→「順序容認」→「順序強要」のように立場が変化することを以下で述べる。
念の為記しておくが、この文章は掛け算の順序問題に関してどの立場が正しいというような文章ではない。
俺は教育の専門家でもなければ小学生に算数を教えたベテラン教師というわけでもない。
数学への向き合い方が真摯になるにつれて変化する立場が単調でないことに気づき、その非自明な振る舞いについて筆を執ろうと思っただけのものである。
この文章で誰かの何らかに影響があればそれは幸いである。
「りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題に「4×3=12 答え 12個」と答えるのが正答であり、「3×4=12 答え 12個」と答えるのは誤答であるという立場である。
"4×3"という数式には「『1つぶんが4つ』のものが『3つぶん』ある」という意味があるとして、"3×4"という数式は題意にそぐわないとする。
正直なところ、数学でこれを正当化するような解釈を俺は知らない。
より高学年、あるいは中学・高校・大学・それ以降で出現する数式(例えば e^iθ=i sinθ+cosθ が成り立つとは、どういう意味合いのものが等しいということを言っているんだろうか?)に対して、その数式の"意味"は適切に存在して、何らかの実態と一致するだろうか。そのような体系がある場合、ぜひ知りたいのでご一報いただければ嬉しい。
上記の思想とは翻って「4×3=12 答え 12個」も「3×4=12 答え 12個」も正答とする立場である。
数式そのものに何か「実際的意味」はなく、そこには記号の間の関係や操作があるという立場はより現代的な数学に近いものであり、納得できるものだろう。
俺が現実で計算をするときもこの立場にいる。「日本国民全員が2回ずつ…」などと聞いたら脳内で出てくる式は"1億3000万×2=2億6000万"だし、「2人が1億3000万個ずつ…」と聞いても思い浮かべる式は"1億3000万×2=2億6000万"のままだ(自分の脳は乗数が単純なほど高速に乗算が行えるから、そのような式のほうを思い浮かべるように訓練されたのではないかと思う)。単なる道具としての使い勝手ならば、この立場はとても強い。道具として(正しい答えを出せるなら、という条件付きだが)順序を気にしない方が順序を気にする方より楽だろう。
算数を「現実の事柄に付随して必要となる計算を正しく行う能力を育てる」科目だと考えるなら──教養(大学などで学ぶそれではない)としての算術としての用途としては実際にそれで十分だろう──、真っ当な立場だろう。
しかし、この立場には少し弱いところがある。
数式そのものに意味はないとするのはよいが、その結果立式の段階で「状況」から一足飛ばしで「数式」が出来上がっている。これは、少なくとも数学の厳密な操作ではない。より厳密であろうとするならば、次の立場になるだろう。
数学的に厳密な立場であろうとするならば、意味論的操作を取り除く必要がある。この立場において、「『ひとつ分の数』が『いくつ分』あるとき、全体で『(ひとつ分の数)×(いくつ分)』あります」という定義にしたがって被乗数と乗数を区別することには意義がある。
この立場では、「りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題文に記述欄があった上で、「4×3=12 答え 12個」と答えるのも「3×4=12 答え 12個」と答えるのも厳密には誤答とする。
「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で4×3個のりんごがある。4×3=12なので、答えは12個である。 答え 12個」のように定義の形式に構文的に当てはめて答えて初めて正答である。この立場は「3×4=12」という立式を否定するものではない。「りんごを袋にひとつずつ入れていくことを考えると、これは一周分につき3つのりんごを入れ、4周分入れるので全体で3×4個のりんごがある。3×4=12なので、12個入れたことになり、全部でりんごは12個ある。 答え 12個」という回答も正答である。
この立場のもとで、「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で3×4個のりんごがある。3×4=12なので、答えは12個である。 答え 12個」という回答は全くの間違いとなる。「3×4=12」という立式ができる解釈はあるが、その式を導出するに至る構文的操作が誤っているためである。同様に、定義が「『ひとつ分の数』が『いくつ分』あるとき、全体で『(いくつ分)×(ひとつ分の数)』あります」というものならば、「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で4×3個のりんごがある。4×3=12なので、答えは12個である。 答え 12個」という回答は間違いとなる。
"3×4"と"4×3"はそれが"12"と等しいことを示すための証明木も異なるなど、式として完全に異なるものである。値が等しいことは証明されるべき非自明な命題であり、何も断らず用いてよいことではない。
「被乗数と乗数を入れ替えても答えが変わらないため、立式の際に断らずにこれらを入れ替えることがある」と答案の先頭で述べてある答案があれば(このようなことが書ける生徒は単なる乗算でつまづくような生徒ではないだろうが)、「りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で3×4個」でも正答としてよいだろう。
余談だが、長方形の面積に関してさらに状況は混迷を極める場合がある。長方形の面積を「たて×よこ」とするとき、これは「定義」か、「定理」かすら明らかでない。「1cm×1cmの正方形の面積は1cm^2」で「1cm×1cmの正方形がある図形にすきまも重なりもなく敷き詰められる場合その図形の面積は 使った正方形の個数 cm^2」という定義によって導かれる「定理」とする立場もあるだろう。この場合、「たて×よこ」は単なる立式の1宗派に過ぎず「よこ×たて」で面積を計算しようと1つ1つ数えようとどんな式で計算しようと使った正方形の個数を正しく導くことができる式ならば正答である。対して、「たて×よこ」が「定義」ならば、どちらを"たて"と見るかを記述する2択のみがあり、それ以外は誤答である(別の定理がある場合を除く)。
この思想は非常に窮屈に思えるかもしれないが、数学の直感的理解を否定するものではない。
必ずしも全生徒がそこまで進むわけではないが、数学科などで学ぶような数学においてはこのような思想が顕著になる。
純粋な数学において、自然数すら現実の何の対象とも厳密には対応せず、論理学は実際の"正しさ"と一致する保証を持たせるものではない。数学基礎論などを学ぶことでこのような数学の思想に触れることができると考える。
もし俺が正義感とやる気と生徒への期待と十分な時間を持ち合わせているなら、生徒にこのように指導するだろう。算数(は賛否両論あるかもしれないが)・数学は計算するだけの科目ではなく、論理学を学ぶための学問でもあるからだ。特に文章題を「現実の対象を数学的にモデル化してそこから論理的に結論を導く」ことを問うものであるとするならば、この立場に立つことには合理性がある。
しかし、これは理想的な状況における対応である。例えば回答欄が「(しき) (こたえ)」のように分かれている場合、そもそもこのような記述を行うべき欄がない。この場合、問題文を「『ひとつ分の数』が4であるようなものが3つ分あるとき、全体でいくつあるでしょう?」のように非常に定義に近づけて初めて「3×4=12」を減点する準備が整うといえよう(これでもまだ即座に誤答とするべきではないだろう)。そうでない場合、「4×3=12」と「3×4=12」の2つの式は同程度に論理の飛躍を伴っており、それらに点数の別をつけるべきではないかもしれない。
冒頭でも述べた通り俺は教育の専門家でもなんでもないから、どの立場を取れば生徒がよく理解するかなどについて何も言えない(どの立場に対しても理解できる生徒と理解できない生徒がいるだろうと思うが)。
個人的には2つ目と3つ目の中間のような立場だ。算数は計算をするだけでもないし論理をするだけでもない。単に計算をする手段としてなら順番なんてどうでもいい、素早く正しい答えが出るなら3袋の4個入りみかんを見て3+3+3+3だと思おうが(2*2)*3だと思おうが10+2だと思おうが構わない。他人と考えを共有するための道具なら前提から論理を組み立てる訓練が必要で、掛け算の順番にまで気を遣わなければ意味のある結果を出せない。数学はどちらをする科目でもあることに我々は自覚的だろうか。
(全国の感染者のうち無接種の人 / 全国の感染者) / (日本人口 * (1-摂取率)) ≓ 0.00067
これをパーセンテージにすると小数2位になってわかりづらいから「10万人のうち67人」と表現した。
それに対してid:fukkenが「(日本)人口10万人のうち」って誤読して
って言ってるんだけど、まさに国民における接種者と未接種者を母数に感染者を比較してるんだよ。
それを読んだby-kingは(人口10万当たりって書いた)NHKがアホって言ってるんだけど、一次資料が見当たらないから「人口10万人当たり」って書いたのが厚労省なのかNHKあのか俺にはわからん。
この日記は某家庭教師塾のアルバイト講師が、主に中学1〜2年生の親に向けて切実に伝えたいことをまとめた文章である。
誰か1人でもいい、悩んでいる方に届いて参考になれば幸いである。
【はじめに】
塾は万能ではない。塾に来る中学生の中には、まだ塾に来るべきではないのに来てしまい、泥沼に陥っている子たちがいる。
ここでは塾に来る前に確認してほしいこと、何をするべきか、本当に塾を活用するにはどうすればいいのかを教科ごとに書いていく。
【数学】
そしてそのできない原因はほぼ共通しているといっていい。
公式は言えるのに肝心の計算で間違うのでいつまでたっても間違える。
九九が言えない、約分ができない、筆算に1分かかる……このような子は、率直に言って「まだ」塾に通うレベルではない。
このような子たちを指導するときに組むカリキュラムは当たり前だが計算練習を中心にしたものとなる。
しかしこの計算練習というのが塾のシステムとかなり相性が悪いのだ。
講師は生徒の間違いを指摘し、解説するために存在しているのだが、基本中の基本の計算練習においてはその存在感は希薄なものとなる。
サポートできるのはせいぜい「7の段を間違いがちだから一緒に言ってみよう」「丁寧に書くと計算を間違いにくいよ」くらいのもので、肝心の計算のクオリティ、スピードに関してはもう完全に生徒本人が頑張るしかない。
講師としてもはやく基礎の計算練習を終わらせて本番である面積や平均、方程式などの難問を教えてあげたいのだが、しかし計算ができるようにならなくてはスタートラインにすら立てないのだ。
早くスタートラインに立ってほしい、その一心で連絡ノートに「自宅で計算練習をしてください」と書き、計算プリントを持たせ、家で毎日1枚こなすように言いつけて親御さんにも協力を仰ぐのだが、そういう子に限って「なんで計算なんか練習してるんだ?早く単元の解説をしてほしい」というダメ出しを喰らってしまう。
違うのだ!
計算というのは本当に大事で、中学、高校、大学受験の全てに尾を引く。
土台がぼろぼろの家はすぐに倒壊する。
ミスなく、速く、基本的な計算をこなすこと!これが全ての基本だ。
そしてその基本を中学1、2年生のうちにマスターしておけば本当に大きなアドバンテージとなる。
逆にここで躓いて中学3年生になり、高校受験を計算練習から始めるのはかなり厳しい戦いになる。
だから伝えたいのは塾に通わせる前にまず自宅で計算練習をしてくれ!ということだ。
高い月謝を払ってわざわざ塾に来て黙々と計算練習をする羽目になるより前に、安い適当なドリルを買って家で一冊終わらせた方が絶対に良い。
できれば1週間集中して取り組んでほしい。
数日間が空くとすぐに忘れる。大人が思うよりもがっつり忘れる。
子ども1人では集中できないし親が面倒見れないから塾に通わせているんだ!と思っている方は、騙されたと思って1週間連続で家庭教師を雇い、徹底的に計算練習を見てもらうのだ。
週に数日塾に通わせて中途半端な熱量の計算練習をするくらいならそちらの方が断然コスパはいい。
何度も言うが、長い人生の中で、この時期に基本の計算をマスターしておくことは本当に大事なことだ。
中1、中2で計算で躓いている子どもを持つ親は相応の危機感をもってほしい。
計算練習だけは講師が教えてどうにかなるものではない、生徒が自分で継続して頑張らなければ身につかない。
そしてある程度基本の計算ができるようになったら初めて塾に通えば良い。
「計算ができない」というノイズが取り払われた子どもは純粋に単元の理解に勤しめるし、講師も全力で教えられる。
子どもの数学の成績が奮わず塾に通わせるか迷っている親御さんは、まず「計算で躓いている」のか「単元理解に躓いている」のかを見極めてください。わからなければ体験授業なりで講師に聞いてください。
「計算で躓いている」ならやるべきことは塾に通うことではない!
その準備だ。前段階だ。とにかく計算練習をするんだ。話はそこからだ。
☆中学に向けて計算のスキルを身につけたいという小学生、親御さんにはくもん教室をおすすめする。
くもんの数学プリントは殆ど計算の反復練習であり、毎日宿題プリントが5枚出るので継続した勉強習慣も身に付けやすい。
下手な進学塾に通うよりまずはここで計算スキルを身に付けるべきだ。
しかし、くもんは計算練習に特化しているため面積や平均など、応用した単元の練習には向いていない。というかプリントの範囲に(ほぼ)入っていない。
なので、余裕のあるご家庭ならば、早い段階でくもんに通い、ある程度計算力を得たら進学塾に切り替えて単元の練習をするという流れが1番良いと思う。
【国語】
本を読んでいない、これに尽きる。
実際に問題を解いてもらうと、普段文字を読んでいないので文章を読み終えるだけでタイムオーバーしてしまったり、最後まで読んだ時には前半の内容を忘れていたりする。
深刻だと感じるのは「嬉し泣き」の概念などを理解できていない子で、「泣く」のは痛い時、悲しい時のみだと思っているので誤読するのである。
本を読むのだ。もしくは映画でも、漫画でも歌でもいい、とにかく作品に触れて、自分以外の人の感情の流れを知ること、新しい概念を学ぶことが重要だ。
塾講師が「嬉し泣き」とはこういう感情で、「切なさ」とはこうで…と教えるよりもそっちの方が余程スムーズに理解できるし記憶に残るしなにより生徒も楽しいだろう。
親御さんにお願いしたいのは、そのような作品に子どもが触れる機会を作ってあげることだ。
本を買わなくてもいい。学校や地域の図書館に連れていき、子どもが読みたそうな本を数冊一緒に選べばいい。
この時に絶対やってはいけないのは、子どもの選ぶ本に口出しすることだ。
あまりに簡単だろうが、絵しかなかろうが、倫理的に心配であろうがとりあえず読ませるのだ!
気になる本の魔力は他者が思うより強い。
一冊読めば似た本が読みたくなる。それを繰り返すうちに、放っておいても文字数の多い小説に手を出すようになる。
どうしても読ませたかったらリビングの目立つ本棚に置き、親が率先して読んでいれば興味をそそられていずれ読む。待つのだ。
そうやってある程度文字を読み、文章に慣れ、感情や行動のサンプルを身体で学ぶ、そうして初めて問題を解くスタートラインに立てる。
だから文章題で躓いている普段全く本を読まない子どもは、まず本を読むところから始めてくれ!
その状態で塾に来ても、何十分もかけて文章を読む基本練習をするだけだ。
高い月謝を払っているのにあんまりだと思わないか?教えるこちらも心苦しい。
本当に塾を効果的に使いたいなら、まずその準備として文章を読むところから始めるんだ。話はそこからだ。
【英語】
これに関しては特に言うことはない。
中学1年で本格的に勉強が始まるため、ほぼ全員が同じスタートラインから始まる。
スタートラインの前にある基本的な計算力や読解力を要求されることもない。
アルファベットが言えれば十分だ。最悪言えなくてもたった26文字なのですぐに追い付ける。
家庭でやってほしいおすすめの勉強はリスニングくらいだろうか。
こればかりは塾で教えるのは厳しい。
計算練習と同じく、継続的で本人の努力の量に左右される単元なので、塾で、家庭で、自主的に反復練習を積んでもらう必要がある。
あとリスニングは聞き取りにくい所を何度も繰り返して聞くのが重要になってくるのだが、その「聞き取りにくい所」は生徒本人しかわからないので、他人が教えるとどうしても非効率的になってしまいがちなのだ。
中学でリスニングはあまり重視されないのだが(出るとしてもレベルは高くない。基本がわかっていれば十分だが、簡単な文の読み上げが聞き取れないようなら対策した方がよい)、高校、大学受験、そして英検やTOEICではかなりの何度のリスニングが出てくる。
これらのリスニングに日本の学校教育だけで立ち向かうことはほぼ不可能なので(そもそもリスニングの機会が少なすぎる)、自分で何かしら教材を買って学ぶ必要がある。
ほぼ暗記科目である。
例えば社会で、応仁の乱が起きた理由が上手くわからないので覚えられない…という躓き方をしている生徒には塾講師が役立つだろう。
しかし、その点は教科書を読めば理解できて、単に暗記で躓いているなら塾講師なしでも解決できる場合が多い。
要するに復習サイクルを上手く立てれていないのだ。
躓いている子は宿題として出されたテスト範囲の問題集を一回解いて、丸つけをして、あとは一切問題集に触れずにそのまま試験に臨んでいる。
これでは良い点数が取れないのも当たり前だ。
一回問題集を解いたら間違った問題に印をつけて、翌日そこだけもう一回解く。そして1週間以内にもう一回解いて、全問正解できるまで何周でも繰り返す。
テスト前にも同じ事をやって、全ての間違いを潰した上で本番に臨む。これだけだ。暗記ものでやるべきことはこれしかない。
まぁこれができれば苦労はしない話でもあるのだが、しかしこのサイクルは中学のうちに自分でできるようになっておいた方が絶対に良い。
これができない子は塾講師にいつこのページの復習をして、そうしたらこの問題集をやって…と逐一指導されることになるのだが、これはもはや勉強の指導というよりはマネジメント、生活管理の域になってくる。
率直に言って、やはり高い月謝を払ってまで通わせる必要はないように思える。
勉強週間がついていない最初のうちは塾に通って復習のやり方を教えてもらえば良いと思うが、それは意識して慣れればいずれ自分でもできるようになることだ。
マネジメントを期待して塾に通って暗記物を学ぶのならそれは正解だが、数学や文章題のような"コツ"を期待して通わせるのならやめた方がいい。
来たところで最終的にやるのは問題を解いて、覚える、それしかないのだ。
【おわりに】
とりあえず伝えたいことは以上になる。
とにかく塾は万能ではないこと、塾の効果を最大限に発揮するには家庭での準備や努力が不可欠なことを認識してもらえたなら嬉しい。
そして、今現在自分の子どもがどの段階にあるのかを見極めて適切な措置をとるようにしてほしい。
全く地力がないまま塾に放り込まれ、指導時間内はひたすら文章を読み、九九の練習をし、そして家庭での勉強が継続して行われないため次に教室に来たときには内容をあらかた忘れておりもう一度六の段から始める、このような中学生を指導するのは本当に辛い。虚無だ。
月謝の無駄だとも思う。高額なのだから、本当に有用なことに使ってほしい。
今現在悩んでいる方、どういう措置をとればいいかわからない方がいたら、コメントを貰えればできる限り答えるので活用してほしい。