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はてなキーワード: 文章読本とは

2024-05-02

文章セミナーから色々考えたこ

先日、会社文章セミナーに参加した。

一文を長くするな、頭痛が痛いみたいな表現を使うなと頷くところもあった。

その一方、「命令を出す→命令をする」というように、「〜する」で表せる表現は全部そうしろという奇妙なものもあった。

こういう指導を見るとイライラしてしまう。実際それやってない奴が100%落ちたのか、ABテストでどっちが印象良いかかめたのか、といったように、エビデンス要求したくなる。

一方で、自分の昔と重ねてしまうところもある。

唐突だが、子どもの頃、ポケモンで連打すると捕まえやすくなるとかいうエセテクニック流行たことがあっただろう。今思えば馬鹿馬鹿しい。

しかし、そんなエセテクニックで話しあえるくらい余裕があったとも言えるのではないか

なんか今は、著名ストリーマーの正確な分析情報を元にゲームプレイしてて、身内で曖昧テクニックを開発する経験が無くなってた。

昔は、正確なもの経験レベル根拠不明情報がそれぞれ丁度いい割合で入っていて、後者2つにもある程度乗っかってあげることによって緩い空間が成り立っていた気がする。


こうして考えると、あの講師は「俺だけが知ってる(と思いこんでいる)情報」を使ってコミュニケーションを取りたかっただけなのかもしれない。

講師ちょっとおじいちゃんみたいな人で、今のコンプラに反した発言もあった。

直感だが、あの人は時代に淘汰され、コミュニケーション不足に陥る可能性がそこそこある気がする。

せめて、かつて私たちポケモンの連打でコミュニケーションをしていたように、その人に文章添削してもらう時くらいはそれに乗ってあげるのも悪くない気がしてきた。




いやでもなあ、やっぱり「命令を出す」は何らおかしくないと思うな……「文章読本さん江」でも読んで一旦スッキリするか。

2024-04-09

小説を書くには、文体なんかよりも社会人間関係に対する知識の方がずっと重要だったのだろう

幼い頃から小説をいつか書きたいと強く願っていて、文章読本小説講座的な本などを多数読み込んできたけれど、それらが小説に変わることはなかった。

好みの文体ストーリーパターンはわかってきたのだけれど、それらを何らかの社会、何らかの人間関係に落とし込んで書くことができなかったからだ。

まり社会の仕組みやわだかまりをどう描いていいかからなかった、会話や気持ちの移り変わりをどう描いていいかからなかったのだ。

文章読本などで、文章というガワの部分を学んだとしても、そこに盛り込むものがわからなかった。

ストーリーとして導きたい方向に、社会人間関係を配置する方法がわからなかったのだ。

増田ではわりと、ブックマークをいただけたりする自分ではあるが、書く文章は常に一人称で、自分の思ったことをエッセイ的にまとめることしかできない。

これを、背景装置としての社会人間と絡めて、ストーリーとしての段階を踏んで、人々を驚かせる素晴らしい結末につなげる小説として昇華させることができない。

それなりの人気を持つ雑文に仕上げるためのアイデアはたくさんあるのだ。それを、小説として具象化できないだけ。

いや、なんだろう、プログラム的に組み立てることができないといった気分。

そもそも理系なので、プログラムもそれなりに組んだことがあるのだが、小説としての文章の組み方がわからない。

結末に向かう伏線社会のどの部分に絡めて描写し、物語の展開をどのキャラクターの変容に仮託するか、みたいなものがよくわからない。

文体レトリックのような基本文法はわかるのだが、社会人間相手にした「組み込み関数」みたいなものが何なのかが見えず、途方にくれてしまう感じだ。

というか、そもそもだが、こんなにダラダラ文章を書く私ではあるのだが、小説は一行たりとも書けたことがない。

だって結論に至るアイデアが思いつけても、そこに向かう「これは書けるぞ!」というビジョンが見えないので。

この小説ならプログラム的に書けそう、ああなってこうなって結論に至りそう、みたいなものが、私の場合小説に対して浮かんでこない。

うそう、プログラムでもそうなんだが、もっと言うなら、数学入試問題のように、とりあえず三角比を求めるとかベクトル計算するとか、

この「とりあえず○○を書いてみる。そのうち、ストーリーがつながってくる」みたいなのを知りたい。

とりあえず手を動かして、作り出す小説を何らかの方向に進める方法を、まずは身につけていけたらいい。

この文章だって思ったことをズラズラ書いているだけなのだビジョンで書いてない。

まり小説でとりあえず書くべきことが何なのかを知りたい。

って、あっ、それが小説を書く前のキャラクターシート、世界観作成シートみたいなものなのか。

あれも苦手なんだよな。好ましい感情を抱けるキャラクターを造形できないというか。

いや、自分以外のキャラクターが描けない。世界観も、今自分が感じるもの以外組み立てられないし。

結局のところ、私は自分のことしか書けない。自分ことならそれなりに書いて、それなりに注目される文章が書ける。

でも、それじゃダメなんだ。いつか、物語を描きたいんだ。

自分の考え方を、ある社会やある人間関係に落とし込んで、世の中にその素晴らしさを理解してほしいんだ。

「私の気持ち」じゃ他人に届かないんだ。客観性というか、作者でない「キャラクター気持ち」として描写しないと、私ではない誰かに届くことは無いんだ。

から、ここに書くような、一人称雑文じゃダメなんだ。物語に仮託しなくちゃダメなんだ。

そういった点では、私は「物語」というものに、論文のようなものを感じているのかもしれない。

まり物語人間関係世界観という客観性のもとに、自分アイデアに向かって組み立てた文章を、誰かに対して発露し、評価を得たいのだ。

いや、誰かに届けばいい。個人的アイデアなり感情なりが、誰かに届けば、無意識的にでも届けば、それで十分なんだと思う。

…などと長々と書いてきて、結局は今回の文章小説にはなりえなかったわけだけど、まあなんだか、そんな気持ちなのだ

薄い鬱気分で休んでしまった気晴らしにしては、またも長々と書いてしまった。

風雨ゆえ外に出られず、何もすることがないから、まあいいのか。

2022-07-02

ブコメどんな感じでしてる?

迂闊なブコメは昨今忌避されがちだ。

つのブックマークコメント比較してダブスタを示される場合すらある。

私のブコメ方法を紹介する。

まず大前提ブコメ三原則みたいなのがある。

aよく知らない話題ブクマしない

bブクマしたとしても、よく知らない話題ブコメしない

cブコメしたとしても、よく知らない話題にはちゃんとわからないと書く

必ずスマホではなく書斎パソコンブコメするようにしている。

これは、コメントに関連する発想の淵源になった書籍を改めて読んでから投稿しているからだ。

出典をもとに、自分ブコメでの論を展開する。

そうすることで、議論に対しての突拍子の無さを軽減することができる。

特にはてなではフェミニズム社会学に関する話題豊富で、ともすれば自分脳内だけでブコメしがちになる。

フェミニズム運動歴史個別論点の専論や概説本にざっと触れてからブコメすることで的外れなことにならなくなるだろう。

また書籍に手を伸ばすことで落ち着くことができ、先ほどのブコメ三原則のどこかで立ち止まる落ち着きを持つことができる。

自然自分の詳しい、コメントできる範囲だけのブコメができ、はてなーが嫌厭するいっちょかみ投稿を控えることができる。

星を稼ごうとしない

恒星について考えて欲しい。

恒星は自ら発熱し発光する。

惑星衛星はそれらに照らされて夜空にあり、恒星の引力に導かれる。

ブコメでは恒星を目指すべき。自らで輝く。

他者スターで照らされようと齷齪するのは2流である

読みやす投稿をする

読む側にわかやす表現を心がける。

日常的に出版され続ける文章読本ざっとでも目を通しておく。座右のものなら何度か読み返す。

私は形容詞の掛け方が下手で、手前から奥の言葉を修飾しようとしてしまうことが多い。間に余計な目的語を挟んでしまうのだ。

この辺り、自分の弱点と字数制限のなかで具体的に格闘しながら投稿する。

これは普段仕事でも役に立つ鍛錬と思う。

2022-05-18

井上ひさしって文章上手いんだね

「複雑多岐」の用例を調べていたらこんな文章を見つけた。

なんとなれば、おれたち犬の声帯人間のそれに匹敵するぐらい精巧に出来ており、人間言語活動が複雑多岐であるのと同様に、おれたち犬の言語活動もまた多彩をきわめているかである。これが嘘でない証拠にここで犬の言語体系について簡単なる説明を試みてみよう。

井上ひさしドン五郎生活

なんというかすごく読み心地が良かった。文章リズム?とか言葉の選び方が上手いなあって。なんとなくそう感じた。

ペラペラ感想申し訳ないけど、文章が上手い人だなと思った。

言語感覚が良いのかな。言語感覚って何?

井上ひさし 言語感覚 」で出てきたスレッド

で目に留まった書き込み

井上ひさしは? - 5ちゃんねる

466 :無名草子さん:2006/10/05(木) 10:55:12

大江健三郎の『小説のたくらみ、知の楽しみ』読んでから

井上文章読本よむぐらいはしたほうがいい

http://book4.5ch.net/test/read.cgi/books/1058224960/

興味が湧いた。

2021-10-16

anond:20211015131721

面白い・人に刺さる内容は才能の比重が高い

まずこの主張がたとえ正しかったとしても間違ってたとしても、文章お約束習得するのに才能が必要不要かという話とは独立してるんだよね。

お約束習得するのに必要な才能の比重が、面白い・人に刺さる内容を書くことよりも相対的に低いということであれば俺も同意するけど、決してそのような譲歩をする気はないんだろう。

いろいろ文章読本とか700ページ以上あるレトリック辞典なんかも熟読したが、俺にはお約束ものにするほどの才能もないから諦めたいというだけの話なのに、それすら認めてくれないのが謎。もちろん面白い文章を書く才能も同様に俺にはないと思ってるよ。比重に関する単純な程度問題なのだから、型を身に着ける才能がない、いわんや面白い文章を書く才能をや、ということは自明に導けることだよね。

数式がひいひいじいちゃんとかの代からあったものから写経しろってのも意味不明論理が飛躍してる。

ひいひいじいちゃんとかそれぐらい前の代からあるものなら、写経することで身につくものだ、という論理ただちに成り立つはずないじゃないか

だってそうやって遥か昔から数式や数学観念次世代継承されていくために全ての人間が才能を持ってる必要はないわけだから

一部の才能を持つ人によって数学もまた発展してきただけの話。

しかにそうやって発展させてきた人には数学書を穴が空くまで読んだり写経のようなことをした人も中にはいるかもしれない。

でもみんながみんな写経することで数式の意味理解できたりするようになるわけじゃない、ということぐらい考えればわかることじゃないのだろうか。

たとえば方程式を見ても、その答えを出せないという場合は、数式に沿った思考ができていないことを示唆しているだろう。

もちろん答えが当たっていたしても単なるまぐれ当たりかもしれず数式の理解を反映した結果とは限らないし、答えを出せない場合でも数式の意味部分的には理解できている場合もあるだろう。

とにかく位相幾何学でも微分方程式でもいいけど、そういうもの教科書写経させればみんながみんなその範囲内で初見の類題を出されても100%解けるようになっているだろうか。バカげている。

ましてやその領域上のことを発展させて新しい数学概念発見(発明ともいわれる)、つまりより一般的にいえば言えば今よりも対象可能概念、君が言う「中身」というものを増やすことが出来るような人は、さら根本的に理解を極められたごく一部だろう。写経という努力でなんとかなる?才能など不要?ありえない。

数式以外の自然言語についても写経哲学者並みに概念を扱ったりできるとは限らない。前にも書いたように「論語読みの論語知らず(現代風にいうならいわゆるチャットbotのようなものしかない)」になってしまうことがありえるわけだよ。偉人言葉いくら覚えても丸暗記の域を出なけりゃ間違った文脈(見当違いな場面で)でそういった言葉引用しかねないしその言葉が言わんとすることをさらに発展させること(たとえば素朴な記号論から生成文法へと発展させるようなことなど)は出来ない。

なのにそういうことわざを挙げてる箇所には言及してくれない。結局なんというか都合の悪い部分を意図的スルーして同じことをずっと強弁してる感じなんだよね。

2021-10-01

anond:20211001174718

数分経って追記しはじめたことだから読んでないのかもしれないけど

幼児は語彙が足らないか自分が置かれた状況を正しく表現できず虐待があっても見過ごされてしまうということがある。

その段階を越えるとまあ生存必要意思は伝えられるようになるよね。

それでもより高度な思考を持ったり発表したりしたいということになるとむしろ語彙そのもの豊富さよりは語彙を整理したり統合する能力の重点の方が大きくなると思う。これはもう地頭であり才能次第なところがあるよね。俺みたいな馬鹿そもそも高度な問題もやもやしたとして一時的に抱えることはあっても的確に対象化したりすることはできない(ので思考として固定化されない(一時的固定化の対比))。こればっかりは文章読本やらボキャブラリー集や役に立たなかったわって話。

そして考えるということには結局言語必要で切っても切り離せないものからね。

生きる力には才能とは無関係なのもあるかもしれないけど少なくとも考えを言語を使って統合する力は地頭依存なんじゃないかね。

そうだと知らずに勝手に、言葉にできない場面に遭遇する機会が目に見えて減った感じしなくて報われないなーってなってただけと気づたってのが元増田の話。本も言語能力のない人間に頼られていい迷惑だったよね。

俺は単純に感情吐露するのではなくもっと人間的な、といえば語弊があるとすればホモサピエンス的な大脳皮質があるから初めて可能になっているような思考をしたり発表したりしたいものだけどないものねだりだよなーって。

anond:20211001170339

村上春樹と言いたいことを共有してるわけじゃないからなー。

というかそういう問題じゃなくてね。たとえば同じ意味を表す数式でも同値変形によっていろんな形式があるでしょ。

そのうちのより難解な数式どころか一番すっきりした形の数式も浮かんでこない状態に憂いているんだよね。

不定形もやもやっとしたものを一番簡単な言い方ですら言語化できない。

幼児は語彙が足らないか自分が置かれた状況を正しく表現できず虐待があっても見過ごされてしまうということがある。

その段階を越えるとまあ生存必要意思は伝えられるようになるよね。

それでもより高度な思考を持ったり発表したりしたいということになるとむしろ語彙そのもの豊富さよりは語彙を整理したり統合する能力の重点の方が大きくなると思う。これはもう地頭であり才能次第なところがあるよね。俺みたいな馬鹿そもそも高度な問題もやもやしたとして一時的に抱えることはあっても的確に対象化したりすることはできない。こればっかりは文章読本やらボキャブラリー集や役に立たなかったわって話。

ひいては高度な思想を持てない高度な自己実現ができないってことにもつながってると思うわ。増田一家言戦わせてる人たちみてるとそう感じる。

かにあの人達言語能力やそれに付随するもろもろは俺の一段も二段も上を言ってる。「そういうことはそうやって言えばいいのか」と伝える技術目から鱗が落ちる

なんだけど俺の「そのとき」言いたいことはその人たちとは当然違うわけだし直接どころか間接的にも参考にはならないんだよね…。逆に同じだったら既に代弁者がいるんだから別に署名活動みたいに声(人数)がでかい方が有利みたいなことをしてるわけじゃないんだし俺が改めてネットに書き込むまでもない。

2021-09-30

実際何か言おうとするときって文章読本大人のための語彙辞典みたいなの読んだ経験も無力なんだよね。

あれって簡単なことをより難しく言う技術は多少なりとも培われるけど、言語に絶するとか筆舌に尽くしがたいとか書いて済ましてきたもの表現できるようになるわけじゃない。表現の幅は広がるけど表現できる領域は広がらない。

小説とかも一見参考になりそうだけど書き手表現に対して自分想像してることと書き手意図が一致している保証はないから、事実を書こうというときには読書経験全然役に立たない。自分自身が意味を誤解してる可能性がある表現を使っても自己満足伝言ゲームしかならない。

実際は多少言葉にできることが増えてるかもしれないけど表現対象無限で、その無限パターンのなかではうまいこと知識等がはまる場面っていうのは確率的にもほぼ遭遇しないのは明らかなわけで、自分表現力に成長を実感する機会はない。

本当はもっといろんなことに思うところがあるからそれも増田投稿したいんだけどなあ。どう書けば伝わるのか分からいから諦めるってことが多い。

2021-08-06

掲示板SNS文章にはかつて現実世界で見られたような悪文が少ない

今は流行りではないかもしれないが、文章の書き方を示すいわゆる文章読本というジャンルがあった。

図書館でそういったものを漁っても80年代とかのが主になってしまっているから廃れているのだろう。

それらをひもといてみると、「一文が長すぎる」とか「助詞の使い方が間違っている」「主語と述語の間でねじれが起こっている」みたいな文例がてんこもりに載せられている。

しかネットにはそういった文章はあまり見られない、と思う。

(もちろん誤字脱字みたいなのはちょくちょく見るが、知識不足によるミスは少ないと思う)

こういう本の文例は昔隆盛だったカルチャースクールとか文章教室みたいなところの中高年の生徒から採られる。

ネットに書き込んでいるような人間との相違点は、文章カルチャースクールで教わる気があるような世代ではない、当時中高年だった人間ではない、ということだろう。

昔は大学進学率が低かったことと関係するのだろうか。今ネットに書くような人間大学で最低限の作文のリテラシーを身に着けてしまっている人が多いのかもしれない。

またカルチャースクールでは「最近感じた季節の変化について雑感を書け」「身近で見つけた人の優しさについて書け」みたいなお題に沿って文章が「生産」されるものだが、ネットではそんなものはない。

背伸びする意思もなく肩肘張るつもりもなくただ書きたいことを話すように書き捨てるだけだ。

そういう態度で書かれた文には、文芸的に書こうと意気込まれた文と違って文法や、読みやすさへの配慮に関する理解不足が顕在化しないのかもしれない。話すように書いてるだけだから。くっちゃべってるとき助詞を間違える日本人なんていないでしょう。

2019-01-28

anond:20190128005011

文章読本でも読んどけ。谷崎、三島、丸谷と選び放題だぞ。てか全部読め。

2016-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20160421012214

たかだか四十代で「昔の人」とか言われるのか恐ろしい……

自分、四十だけど子供の頃にそんなしっかりした文章書けてた記憶もないから、たぶんお母様の育ちや教育がよかっただけなのではないかな

自分文章書けないコンプレックスがあって、色々本を読んでたんだけど

日本の作文教育の経緯については、『文章読本さん江』に書いてあってけっこう面白い

anond:20160421012214

これは本当にそう。書き言葉エントロピー言文一致体が浸透した近代以降、確実に増大してきたが、谷崎潤一郎が「文章読本」で提起したように、文章には一定品格を持つべきであり、くだけた文章を良しとしない社会的気風が昭和時代まではたしかにあった。しかネットで誰でも文章が発表できるようになると、そうした秩序も取り払われ口語に限りなく近づき、そしてついに口語よりもくだけた表現が許された最果ての時代にある。日本語希薄化し、崩壊したとしか思えないような事態に映るんだろうな。昔の人からすれば。

2015-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20151023163408

「だいたい、文章書こうなんてヤツは異性にもてないヤツが大半なんだからモテるやつは音楽やるからな。でだ、そんなもてないヤツが、文章に頭使ってどうすんの。使う頭があったら、どうすりゃもてるか考えなさい。その方がよっぽど人生楽しいって。」

「カーツの文章読本

http://p.booklog.jp/book/34374

童貞はてなブログの「据え膳くわぬは…」みたいな一連のエントリ読んでも何の意味もないと思うよ。

ここはEDとあがったBBAが集まるところなんだから

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130901102804

http://anond.hatelabo.jp/20130830202223最初トラバ先)

http://anond.hatelabo.jp/20130831142238自分の記事)

元増田の人が2nd Seasonを書いてくれたので、こういった若い人たちに役立ちそうな知識をさらに追記してみたい。

(実は若くなかったら申し訳ない)

念のために書いておくけれど、僕は最近ラノベ専門学校の実態は知らないし、体験入学に行ってみて入らないというのは、優れた判断だと思う。

実際に教師の質をどう担保しているのか不透明だし、やはり意識の低い学生も多い。(自分の時は、おおよそ2割=10人は中退した)

教師は別に仕事を持つ社会人が多く、どちらかというと偏った業界の偏った人格人達で、しかも扱う分野が本来主観的ものであって、生徒への評価も心情的になりやすい。

それに、最近ラノベブームで、雨後のタケノコのように学校が開かれているのかもしれない。

そういったところはやはりノウハウも無いだろうし、授業の質も低いだろう。

(余談だが、僕が通学していた当時は、まさかこれほどラノベ流行するとは正直誰も思っていなかった。ただ、先生は「これからミステリー小説のように定番ジャンル化するだろう」と予言していた。涼宮ハルヒも出ていない頃だ)

から専門学校に通わないというのは、比較的低リスク・低コスト賢明な判断だと言える。

しかしながら、元増田が挙げてくれた問題について、それを断定のまま終わらせてしまうのはもったいない

特に3番目の問題、

でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?

もっと柔らかくて、鵺のように捉えどころがない。そんなものを『教える』ことなんてできるんですか?



は、創作を志す人間が当然抱いて然るべき疑問だ。

元増田が残念なのは、この深い疑問を、専門学校体験入学ときで解決してしまった気分になっていることだ。

僕自身、先生に教わったり罵倒を受けたりしながらも、この疑問に突き当たった。

そして、学校の内側と外側の両方で、この問題について世の中の頭の良い人達がどのように携わってきたか、それなりに気にしてきた。

これから、僕の認識できた範囲での参考資料を挙げようと思う。

おそらく、以下の参考資料を全部精読し、実習を行い、誰か信頼できる人から客観的添削を受け、頭だけではなく全身に技術をしみ込ませることができれば、決して取り戻せない数百万円と数年を賭して専門学校に行く必要など、皆無だろう。

また、下記ばかりでなく、もっと体系的でしっかりした知識が学べる大学なり海外大学なりケンブリッジオックスフォードもあるかもしれない。

そういったものがあると分かったら、単純にそこへ行くべきだ。

「文章作法」について



文芸的な文章を除く基本的なライティングについては、古典的な書籍がたくさんある。

下記2冊は、ここで紹介するのが恥ずかしいくらい基本的な書籍だ。

日本語の作文技術
理科系の作文技術


「文章作法」について、上記以外



さて、上記のような確立した情報伝達技術ではなく、独自の表現をしてみたり、人を感動させる文章を書きたい場合、そういった技術は教える・教わることができるのか?

それを体系的に扱うことは確かに難しい。そもそも人の感情であったり、表現から受け取る印象が非体系的だからだ。

からといって、先人がそれを教育世界で取り扱おうと努力してこなかったわけではない。

どうしても総論ではなく各論になってしまうが、それでも個人的に見て良書は多い。

「文章作法学校教育のように教えられない」結論に至るのは自由だが、下記書籍を全部読んでから至っても決して遅くない。

読みやすものから順に挙げる。

文章表現400字からのレッスン
新作文宣言


「作文」の価値を捉え直した、文章表現入門書。作品でも製品でもなく、純粋な「作文」そのもの価値を再発見している。

文章表現法講義


大学講義をまとめた本。固いタイトルに反して、極めて柔らかい語り口で柔らかい内容を講義してくれている。

だけど、書くことの意味について、「美」について、とても鋭い視点であふれている。

レトリック感覚
レトリック認識
レトリックの記号論


前の文章でちょっとだけ出した。レトリック、つまり、文章で人の心を動かすための体系的知識(!)を取り扱っている名著。

レトリックは長らく馬鹿にされていたらしい(結局、ただの言葉のあやではないか?)が、それを感覚論・認識論記号論観点から再評価した名著。

なぜ直喩隠喩より優れた修辞技法になり得るのか? といったことが詳しく書いてある。

新しい文学のために


大江健三郎による文学論。そもそも小説文芸作品とは何を目指すものなのか? といったことを明確に書いてくれている。

それは同時に、読者としての私たちが誠実な文芸作品の中に何を求めるべきなのか? ということでもある。

文章読本


文章読本は色々あるが、その中でももっと実践的と言われる丸谷才一の本だ。

歴史的仮名遣いで読みにくく感じるかもしれないが、内容そのものは平明だったと思う。

しかし、いまなぜか手許に無いので詳しいことは書けない。「ちょっと気取って書け」くらいしか思い出せない)

小説の諸相


E.M.フォースターによる文学理論Amazonで8000円くらい。僕はカチグミなので古書店1000円で入手できた。

ストーリーはあまり美しい要素ではありません」という衝撃的な宣言が印象に残っている。

ナボコフの文学講義 上
ナボコフの文学講義 下


最近文庫本で読んだ。

小説というものを本来どう味わうべきか? どう書かれるべきか? という熱のこもった講義録だ。

ロリータ」を読む視点が変わる。

まだ見ぬ書き手へ


新装版が出るんだ……。

芥川賞を最年少(23歳)で受賞しながら、文壇に属せず、独りストイック小説を書き続けている作家文学指南書。

テクニックの本ではないが、ここで明らかにされている執筆姿勢には衝撃を受ける。

アウトサイダー(上)
アウトサイダー(下)


ホームレスをしていた25歳のコリン・ウィルソン大英博物館一気呵成に書き上げた文芸評論書。

アウトサイダー」というキーワードのもと、文学美術舞踏哲学などなどを横断的に眺め渡した名著。

本気で読むと人生が狂う。

日本文学史序説〈上〉
日本文学史序説〈下〉


先の記事で書いた。全日本人が読むべき。

なんだかこういう本のことを書けるのが嬉しくて、ついかっとなってリストアップしてしまった。今は反省している

偉そうに書いたけれど、結局は僕も文学界新人賞名前が小さく載ったくらいの実績しかない人間で、そんなには当てにはならないだろう。

しかし、僕自身が当てにならなくても、何が当てになりそうかの感性結構あるつもりだ。

教育における教師とはそういうもので、自分ができなくても人の作品を見て添削できたりはする。

オリンピック選手だってコーチはいるのだ。

失敗している人からだって、むしろ失敗している人だからこそ学べることもある。

そういった人達の行く末をよく見て、やはりラノベなんかやめて、楽しくOSエディタコンパイラでも作ろうと思って欲しいのだ。

2013-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20130318120935

そんな元増田に⊃ フフフ、三島由紀夫文章読本』 中公文庫

さあこの本を読んでったら 読んで 

天才の文才の前に圧倒されてくださいにゃー

2008-10-21

いい文章を書きたいと思ってるひと江

google:文章読本さん江

http://anond.hatelabo.jp/20081021104820

元増田です。

最近になって、三島由紀夫の「文章読本」なんてものを読み出したものだから、偉人たちの圧倒的な文章力を前に、自分の書いたもの全てがゴミクズのように思えて、筆がスッカリ進まなくなってしまっていたわけです。

書いては破り書いては破りで結局白紙のまま何一つ進まないというスランプに陥っていました。

ちょっとばかり前までは書くこと自体が喜びに思えていたのに、今では苦痛そのものになっている。

これじゃあ本末転倒というか何というか。

もう少し肩の力を抜いて、気楽に挑戦してみようと思います……。

 
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