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はてなキーワード: 文章表現とは

2021-06-15

anond:20210615021233

自己レスだが、仕事関係で調べた著作権に関して余談として残しておく

文章表現(に限らず創作的表現)」を、引用の形を取らずに引用するのは著作権侵害になり得るが、「アイデアのもの」に著作権は発生しない

ミステリートリック著作権は発生しないし、「設定そのもの」にも著作権は発生しない

から設定や世界観がパクられても、たとえ一次創作だとしても著作権侵害とは言えない(道徳的問題はあるが)

さら文章場合、どこまでを「創作的表現」とするのか、という問題が生じる

故に、明らかな文章コピペでない限り、小説書きの「パクリ」は言いがかりレベルを出ず、耳に入れるだけ無駄ものだと思うよ

2021-06-04

anond:20210604214306

早稲田慶應あたりのエリートが関わってるしNRI出身者も関わってるぞ

 

そもそも現役の大学生からしてヤベーから

メンタル+物知らず+絶対に調べないという意思 が

 

絵や文章表現ならいくらでも調べたり勉強する意思はあるし

実際に勉強しているみたいなんだけどね

それ以外は一切したく無い模様

2021-05-12

へぇ芸術に興味あるのに常識に拘るんだ」

へぇ文章表現しているのに表現の自由否定するんだ」

2021-03-13

レトリックが通じないインターネットのくだらなさ

文章の修辞ってのは沢山あるわけじゃん。

あえて常識道徳に反する表現をぶつけて読者を驚かせてからなんでそういう言い方になったか述べるとかさ。

結論を組み立てるのに十分な材料は並べた上で、最後のまとめは一歩踏み込まないままにしといて読者が自分で考えて辿り着くようにするとかさ。

比喩とか反語とか造語とか転用とか誇張とか省略とか。

面白い文章技法ってのは沢山あるのに、インターネットに載せられるとそれを読み取らずに否定する人がしこたま発生するようになってそういう技法を使うこと自体が悪みたいになって「そんな言い方をした奴が悪い」みたいになってるの、くだらなすぎるよ~。

はい、ここまでの文章否定されそうなもの予想を2つ。

1:比喩とか反語とか云々という列挙の個々に注目し例をつっつく。誇張とかは否定されて当然の悪い表現、みたいな空気を持たせやすいかオススメですよ。山ほどご飯を食べたって表現に「山よりずっと少ないのに誇張するな」とでも言っとけ。無限キャベツにも怒っとけ。

2:レトリックを読み取れない人は昔からいると指摘する。読み取れない人間でも文章を読むようになり、そしてズレた文句を言うようになり、それが周囲に大真面目に同意されるようになる事例が増えた、とまで言わなきゃ伝わらないか? 読み取れないって言い方は誇張かな、読み取るのが苦手な、の方がいいかな?

予防線張りまくって、イチからジュウまで説明して、ネットで発表される文章表現からどんどん豊かなレトリックが失われ、無駄冗長さばかりが増している。

そりゃあねえ、まずい発言を怒られて「いや、言葉の綾だから」の一点張りで逃げようとする悪人ってのが実際沢山いるのは確かですけどね。(そして実際に悪人なのか、言葉の綾・レトリックとして使っただけなのに私や世間が読み取れてないのかを確定させることはできないが)

そいつらを咎めるために、わかりやすさが至上で、誤解や人によって解釈の違いが生まれレトリックは悪で、レト即斬ってになってるのは、悲しみくって涙がチョチョ切れるぜ。

2021-02-26

anond:20210226205033

文章表現転載されていれば著作権法違反

ただし正しく引用されていれば無罪

また、文章ではなくアイデア剽窃なら無罪

2021-02-23

anond:20210223215055

うそれそれ!

・・・変化する日本語からアリなのか、それとも関東とかでは実際に口語として発語されてるのか、ワイにはわからんのよ

(散文の文章表現としてみたら凄く気になる)

2021-02-20

anond:20210220101739

古文漢文表現って、語彙やリズムの取り方という点において、現代的な文章表現にもとても役に立つのに。それに、現代文の中に古語表現を紛れ込ませると、ちょっとしたアクセントになって面白いのに。

まあ、勉強ができなかった奴ほど、勉強の意義・活かし方がわからない、っていうことなのかな。

現代文を修得するために古文義務教育として学ぶ」ということ?

ちなみにぼくは東大出身だよ!

anond:20210219230128

層が同一なのかはわからないけど、はてなって「文章が上手くないたい」「いい文章を書くには」系の記事に多くのブクマがつく割に、古文漢文の意義に冷笑的な人が多いのなんなんだろうな。

古文漢文表現って、語彙やリズムの取り方という点において、現代的な文章表現にもとても役に立つのに。それに、現代文の中に古語表現を紛れ込ませると、ちょっとしたアクセントになって面白いのに。

まあ、勉強ができなかった奴ほど、勉強の意義・活かし方がわからない、っていうことなのかな。

2021-02-15

anond:20210215205448

それは2種類の解釈がある。

上司という役柄上、バカ話をやめて仕事しろというメッセージ

・お前らがバカなのは知ってるから、(やらないのはわかってるけど)マジにやりかねんという備えは上司として持ってるからな、という威圧

ここまで文章表現がある人間馬鹿ともおもえんので、たぶん上司人格がほんとうに気持ち悪いだけ。

2020-12-27

「出口なし!」


 僕は自分に関して出口が無いとはもう思わない。

 仮にそう思っていたとすればそれは凡そ十五年前から四年くらい前の間で、基本的にそのくらいに感じていた「出口のなさ」は僕の人生からは大幅に減退している。つまり僕の人生は直近四年くらいは「出口のなさ」に苛まれずに済んでいるということだ。

 しかし一方でこの「出口のなさ」を他者から感取する機会が増えた。「こいつ出口ねえな」と他人に対して思うのである。正直、自分でもこの述語用法意味がよく分からなかった。「『出口がない』ってなんすか」という話である。なんなんすか、と大分長いこと考えていたのだけれど、半年くらいぶりにようやく答えが出た。

 出口のなさ。それはつまり選択肢の少なさである

 極言すれば「出口のない」やつは基本的選択肢が目の前に一つしか浮かんでないタイプのやつだ。

 例えば、野良猫がいたとすれば、その野良猫を前にして取れる選択は幾つかある。「無視する」「声を掛ける」「鳴き真似をしてみる」など。でも、この「出口のない」タイプは常に「無視する」しか選択肢がないタイプなのだ。いや経済的選択肢のないタイプとは違う。つまり思考固定化されていて、ある程度以上の自由度のある選択肢を取れないタイプなのである。あるいはそこに「迷いの無さ」というポジティブな述語を導くことができるかもしれないけれど、いやそんなんじゃねえんだと。行動の固定化というのは迷いもなければ意志もない。そこにその選択肢しか無い状態なのである

 そういう奴ってホントにいるんすか? という質問に対しては、ホントにいるよ、としか答えられない。

 しかもこういうタイプの人は、別にコミュニケーション能力が劣ってるとかそういうのではないのである。むしろコミュ障タイプの人よりも一定コミュ力社会的能力を身に着けている人ほどこういうタイプに陥り易い。つまり一定成功体験を経てその成功体験によって行動パターン固定化させてしまっているパターンの人なのである。ある種の成功体験がむしろ彼らに行動の固定化を迫るのだ。「これまでこうやって成功していた。だからからもこうやろう」と。まあ気持ちは分かるんだけど。


 はっきり言ってこの自己固定化って、つまり「出口なし!」ってな状況じゃないか? それって地獄じゃないか? と思う次第である。上手く言えないんだけど、選択肢のない状況は即ち自由のない状況に直結するのだと思う。それって端的に地獄じゃないだろうか。

 かつて、十五年ほど前に僕はこの地獄から逃れるために本当に命を掛けて戦った。十五年前に戦闘を開始して僕はそれを十一年間続けたのである。だから今はその出口のなさ、自己固定化によって苦しむことは殆ど無くなっているのだけど、今もなお当時のことを思い出すにつけあれは地獄だったと思う。ずっと僕はカフカ地獄の中にいた。自分が一人しかいないという地獄だ。全く選択肢が無いという地獄だ。本当にそれはこの世の地獄だったのだ。

 でも僕は自己固定化から抜け出した。それは文章表現寄与によるものだ。僕は昔から詩や小説を書くのが好きだったし、ついでに言うと歌を唄うのも好きだった。つまり自己表現が好きだったんですね。で、自己表現というのは避け難く自己の多重化である自己表現したもの自己それ自身微妙に異なっていて、そこには僅かなグラデーションがある。微かな色彩の差異表現の直後から時間が経つにつれて広がっていくところの微差。十年前のテキストはまるで他者の書いたそれのように感じられる。「これ本当に俺が書いたっけ?」てな具合である。でも本当に僕が書いたのである

 僕が救われたのは十五年前に2chの専門板『詩・ポエム』板に書いた一篇の詩によってであった。

 それは本当に救いだった。

「あれ? 地獄終わったじゃん」僕の十年以上彷徨っていた地獄が、その詩を再見することによって終わったのである。それは健全自己の多重化であった。自己自己でありながら他者であるという経験自分が書いたにも関わらず他者が書いたとしか思えない十年の誤差、時間差。それが心に真っ直ぐ突き刺さったのだ。僕は僕であって同時に僕ではない誰かであるという、矛盾の受容。それは、僕が僕以外の誰かであるという分裂ではなく、矛盾の解消であり受容だった。それは僕にとって明確に救いであり、救済だったのだ。

 僕の人生には出口ができた。すっごくそれは素敵なことだった。何せ息ができるのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 でも、僕が人生出会うのは「自己の多重化・矛盾の受容」とは正反対の方向へと突き進む「自己固定化方面の人々である。そっちには地獄しかねえんだよそれは僕が通ってきた地獄なんだよ! というメッセージは彼らには届かない。彼らは成功を通じて地獄へと進んでいくからだ。彼らはそのやり方である程度の利益を得た経験があるからだ。でもなああああそれは地獄なんだよ! そっちに出口なんてねえぞ!

[]12月26日

ご飯

朝:朝マクド。昼: ナスピーマンハムスパゲッティケチャプを混ぜて焼いたやつ。夜:ご飯白菜大根ニンジン味噌汁納豆。間食:ランドグシャ。

調子

むきゅーはややー。お仕事はじゅうれんきゅー二日目。

昨日のリベンジ散歩を2時間半ほど。やっぱ散歩最高だなって。

久住四季『怪盗の後継者

トリックスターズシリーズライトノベルミステリを高い次元で融合させてみせた久住四季の怪盗もの

怪盗チームのベタながら燃えるやりとり、素人だった主人公覚醒する明らかに映画ならBGMが変わる瞬間、ド派手な潜入アクションに、あっと驚く文章表現での「騙し」など、映画化した時に映えるシーンが多かった。きっと騙しのシーンは高速で巻き戻す演出が入るだろう。

物語部分を支えているのが、トリスタ以降近年の久住四季らしさとも言うべきブロマンス要素も男同士のいい距離感表現されているだけでなくサービスシーンなどもありいい感じ。

ミステリか否かという価値評価するとあまり言葉がないけれど、とにかく痛快な小説で読んでて楽しかった。

是非とも、中島裕翔織田裕二ダブル主演で映像化して欲しい。(それはもうあるやつだよ)

○木元哉多『閻魔堂沙羅の推理奇譚』

殺された被害者自身探偵となり全てを知っている閻魔さまの娘に推理披露し正解すれば生き返ることができる、という特殊設定をベースにした短編集。

霊界ルール生前に知らなかった知識を死後教えることはできないため、被害者殺害され霊界パートが始まる時点で所謂読者への挑戦状が挟まれたのと同じ、ここまでの情報推理可能だというフェアプレイ精神がある作品

かにフェア/アンフェアというのは本格において重要な点であるが、今一つこの作品が本格らしくないのは、人間を書こうとしているからだろう。

パズラー的なロジックにまつわる描写もあるにはあるのだが、文量の多くを死を経験した人間がなにか教訓を得て変わるような展開に費やしている。

それはそれで、ミステリーズ的と言ってしまえばそれまでだが、ほんわかした暖かい読後感があり嫌いにはなれない。

だけれども、人間をかけていないアレやコレやは、人間以上に大切な物を書いていたのであり、この作品がそれらに並ぶほどの何かなのかは、シリーズものみたいなので続きを読んで確かめようと思う。

グラブル

ガチャピン5日目。じゃんけん勝利で40連。虹はなし。

ポケモンHOME

ミラクル交換日記25日目。

コロボーシクチートニドラン♀ニャビーヤドン原種サイホーンラッキーダダリンオムスターイーブイ

2020-12-06

将棋符号思考するプロ棋士

 将棋って指したことありますか?

 将棋楽しいボードゲームで、基本的に殴り合いのオフェンスゲームです。仮にチェスディフェンスゲームで、お互いに防御の構えを組み換えながら敵側の綻びを見つけ出すゲームだとすれば、将棋は蟻の一穴をこじ開け落城させるオフェンスゲームと言ってもいいでしょう。

 チェス競技人口が一説には5億人とも言われる中、将棋競技人口は一千万人程度とガラパゴス様相を呈していますが、明らかにゲームとしてのバランスではチェスに勝っていますチェス公式戦においては先手勝率が40%程度、後手勝率が30%、引き分けが30%程度なのに対して、将棋の先手勝率50%程度、後手勝率は48%、そして引き分け千日手)の確率は2%前後であり、引き分け可能性がチェスに対してずっと少なく、そして先手と後手の勝率拮抗し合っているため将棋ボードゲームとして極めて高い完成度を誇るゲームと言えるのです。

 更に付け加えると、ダメ筋(明らかにダメな手)を含めた、ありとあらゆる手の組み合わせ(ありとあらゆる進行の総数)を計算すると、チェス10120乗程度なのに対して、将棋10の220乗程度ということですからゲームとしての奥深さも将棋チェスを上回っています。因みに、宇宙存在する原子の総数が10の70乗程度ということなので、如何に将棋というゲームが奥深いかは言うべくもありません。つまり、ある部分において将棋というゲーム宇宙それ自体より『深い』のです。


 僕は腕前としてはアマチュア初段程度で、つまりアマチュアが目指すべき差し当たっての目標点にいます。やはりアマチュア二段以上を目指すとなるとかなり強烈な努力必要になってくる印象です。アマチュア初段は将棋普段嗜んでいる人間の中で、上位25%前後の層を指しているとお考え下さい。

 将棋の道は極めて長いです。そして険しいです。詳しくはこの「将棋名人とはどのくらい強いものなのか:https://ncode.syosetu.com/n5490eb/」という素晴らしい記事をご覧になって頂ければよいかと思います。(この記事の作者様と私は同一人物ではありません)

 将棋プロになるためには奨励会という育成機関を通過する必要があります。この奨励会は入会すると6級からスタートとなるのですが、これはアマチュアで言うところの四段以上の腕前に相当すると言われていますしかも、この奨励会に入会するのは小学生中学生少年少女です。つまり大の大人血の滲むような努力をしてようやく到達できる地点に、ある程度の凝縮された努力によって遥かに短い時間で到達できる人々、つまり天才たちだけがこのスタートラインに立つことができるということです。

 さて、当然奨励会員になったところでプロになったわけではなく、プロになれるのは奨励会三段リーグ突破して四段の資格を得た者だけで、年間に四人しか輩出されない仕組みとなっています。更に、四段になった後もプロとしてのグラデーション存在しており、そこには才能の差という影がいつまでも付き纏います

 才能のあるプロ、つまりそんな天才の中の天才は、将棋を指す際にどのように思考しているものなのでしょうか?

脳内将棋

 先に紹介させてもらった記事では、天才達の中でもグラデーション存在しており、将棋トップに立てるのは本当に一握りの人間であることが述べられていました。

 つまりトッププロとは、仮に将棋人口1000万人だとすれば上位0.0001%人間のことです。すなわち、トップの十人、それが実質的日本トッププロ達です。

 羽生善治藤井聡太渡辺明豊島将之永瀬拓矢らがそうです。将棋を指す者達は彼らのことを畏怖の目で見つめ、時折プロが招かれるイベントなどで間近に見る際には、化け物や、宇宙人。あるいはこの世の理を超越したもの意味する視線が、彼らには注がれることとなります

 さて、これらのプロ達に必要ものは何なのでしょう?

 つまりは才能とは一体何なのかという話になるのですが、脳内将棋盤というのがポイントになってきます

 人は、数理的思考能力、つまりIQが140を超えると立体的なイメージをあらゆる角度から検証できるようになるという話があります人間のある種の知的能力と、立体的な像を脳裏に生み出す能力には深い繋がりがあるということなのです。つまり、才能のある将棋指しは脳の中に将棋盤を作り出すことができ、これによってどんな時でも(つまり実際の将棋盤がなくても)脳裏において将棋情報を扱うことができるようになるほか、将棋に関する凝縮した思考を連綿と行うことができるようになるということなのです。勿論、プロもこの「脳内将棋盤」を持っており、彼らの脳内将棋盤にはそれぞれのバリエーションがあることも有名です。

 以下コピペ

羽生四冠

「4分割(5×5中央重複)の部分図が高速で行ったり来たり。盤全体は1度には浮かばない、負荷が大きい。盤面は白、線は黒。駒は外形が無く黒の一字彫り。アマ二、三段くらいになった10歳ごろからこんな風。」

森内九段

「立体的でリアルな榧盤に柘植の駒。

盤駒のみの思い浮かべる事はほとんど無く背景も付随。対局中は当時の対戦相手や対局場の雰囲気まで再生普段は自室の背景に板盤。」

加藤九段

「盤は黄色で1一が右上に固定されている全体図で、線は無い。楷書文字1字だけが駒として自動的に動く。」

渡辺二冠

「ダークグレーの空間に、字の書かれていない黒に近い灰色の駒が浮かんでいるだけだが、どちらのどの駒かは分かる。」

佐藤(康)九段

「黒くぼやけた盤面のどこか一部だけが見えている。駒はゴニョゴニョ、あるか無いかからないまま何かある感じ。」

里見女流名人

「盤も背景も黒く、線の無い盤全体に文字の無い黒っぽい駒がモニョモニョ。」

 (出典:AERA No.38増大号'12.9.17天才たちの「脳内パネル」』)

 さてトッププロどころかアマチュア4~5段の人々にはこの脳内将棋盤が基本的に備わっていると言われています。つまり、この脳内将棋盤は確かに、ある程度将棋の強さ(棋力)の指標となるのです。しかし、トップの人々に関してその指標ピタリと当てはまるかというと、疑問だと言わざるを得ません。脳内将棋盤というもの将棋の猛者にとって当たり前のアイテムかつ大前提アイテムであるため、最上位層の人々の能力を測る尺度としては些か信頼性に欠けるということなのです。というか、一応奨励会三段(アマチュアではなくプロ基準の三段)ともなれば、既に常人を超越して人間卒業レベルに至っているので、やはりその中にいる更なる化け物達を推し量るには、脳内将棋盤の有無のみならず別の尺度を用いる必要があります

脳内将棋盤が「ない」。

 つまり、その二者。単なる化け物と、化け物の中の化け物を辨別する際に必要なのは脳内将棋盤が「ない」ということなのです。

 頭の中で将棋盤が無く、視覚的なイメージに頼ることな思考できる人々が、化け物の中の化け物にはいるということなのです。

 例えば、常人は次のように考えます

 「最初の一手……まず、角の斜め前の歩を前に一つ進めるだろ。すると、後手の相手も同じように角の斜め前の歩を一つ進める。だとしたら俺は飛車先の歩を一つ前に突いて、相手も突き返して……横歩取りの筋に合流しそうだ」などなど。
 つまり常人基本的画像、目の前にある将棋盤の視覚的なイメージを用いて思考しており、そのイメージを介さずには将棋を指すことができないのです。ある意味では脳内将棋盤の存在も、視覚的な情報に基づいているという点においてはその思考の延長線上にあると言っていいでしょう。そう、人は基本的将棋を考える際には視覚的なイメージ媒介とするしかないのです。

 しかし、プロの一部にはそのような思考法は――視覚的なイメージを介した思考は――あくまで「補助的なものに過ぎない」と証言する者もいます藤井聡太増田康宏、羽生善治などがそれらの棋士です。

 では彼らはどのように思考しているのでしょうか。

 そう、符号によって思考しているのです。

 将棋符号とは、数字文字によって駒の動きを表したものです。いわば駒の「番地」とも言われるもので、次の記事が参考になると思います

https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77758

 例えば、少し前に書いた横歩取りの定跡だと以下のような記述になります。76歩、34歩、26歩、84歩、25歩、85歩、78金、32金……。このような記述の仕方は江戸時代以降から共通であり、いわゆる将棋の対戦の記録である棋譜」は古くは数百年前のものが記されています。古い文献において、盤面は視覚的に、絵図を用いて記述されることはなく、符号を使って記述されているのです。

 いちいち絵図で盤面を描き残すよりも、文字で表した方がずっと労力は少ないですからね。

符号思考する

 以下の記述あくまで本人らの証言を参考に記しているものであり、彼らの思考追体験したものでは当然ないのですが、つまり彼らの思考は以下のものになります

 先程書いた将棋符号が、将棋に関する思考を始めた瞬間にズラズラズラ~~~っと文字列で浮かぶのです。

 そう、これがトップ棋士達の思考なのです!

 「ズラズラズラ~~~っ」って……、と自分文章表現力の稚拙さに絶望しそうになるのですが、そう言い表すほかない。そう、真のトッププロにおいては、文字によって思考が行われるのです。そこに画像の介在する余地は、僅かにしかない。羽生善治曰く、「思考基本的符号で行って、その後、ある程度局面を読み終わった後に、自分思考確認するために思考画像に起こす、という作業はありますが、基本的画像思考することはありません」とのことでした。

 先に書いた通り、画像物事を表すというのは、文字列で表すよりも遥かに手間が掛かります。つまり、脳の処理を要します。

 となれば、より情報量の少ない符号によって思考するということが、より高速な思考法として適しているということなのです。

 ある意味、それは楽譜における音符の存在と似ているでしょう。というか、そのものかもしれません。音楽というものは体系化され楽譜という共有形式を持つ以前は、完全に口伝であり、人々が歌い継ぐことによってしか継承を行うことができませんでした。しかしそれが数学的・音楽的に体系化され、楽譜の形を取ることになると、そのような継承の際に起こり得る障害はほぼ完全に撤廃されることとなります。そしてこれらの音符を読むことで、人々はそのメロディー脳裏に想起することができるようになりました。将棋棋士もまた、それと同じ知的処理を行っていると言ってもいいかもしれません。

 つまり、ドミソ、の音符が並んでいるのを見て、タララ~、という和音脳裏に浮かぶのと同じように、将棋トッププロたちは符号によって将棋の盤面を把握することができるのです。これは、将棋のある程度の才能がある人々には必須能力ですし、実際に高位のプロ棋士トップアマチュアは、棋譜を一目見ただけで盤面の進行をまざまざと思い浮かべることができると言われています

 とは言え、そのことと「思考符号を用いる」ことはやはり一線を画していると言ってもいいでしょう。

 勿論、理屈としては分かるのです。我々が音楽継承する際に楽譜を用いたように、あるいは将棋の対局を語り継ぐために符号によって棋譜を残したように、それらの音符や符号といった記号には意味圧縮することができ、効率的情報伝達を行うことができるのだと。

 勿論、理屈としては分かります。とは言え、それらの記号を使って後世へと情報を伝達することと、それらの記号を用いた思考を正確に効率的実践することとは、また別問題です。

おわりに

符号さえ「ない」。(藤井聡太場合

 というわけで、画像媒介にした思考文字列を媒介にした思考とでは、効率において文字列による思考に軍配が上がるということでした。プロ棋士らによる思考抽象化が極限にまで達すると、本来立体的な駒やそれらの視覚イメージを用いずして思考することが不可能であったはずのボードゲームも、文字列を介した思考によって再現されてしまう、ということなのでした。実に、これは驚くべき異常性であり、そして、個人的には文化として、そして娯楽として、このような常軌を逸した営みを次代へと継承していかなければならないと感じます

 さて、ところで常軌を逸していると言えば、藤井聡太二冠の名前はもはや語るべくもなく有名ですよね。彼のインタビュー記事は相当数発表されていますから、彼の語る様々な内容について把握している方も多いかも知れません。

 その中でも異質のインタビューと言えば、2020年の夏に発表された、小説家白鳥士郎氏によるインタビューでしょう。https://originalnews.nico/139502

――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。

はい

――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜思考している?

「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」

――盤は思い浮かべない?

「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」

――詰将棋を解くときなどはどうです?

詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」

――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。

 将棋プロ世界は腹の探り合いであり、自らの能力本質である思考方法」について簡単に詳らかにすることは、本来無いことと言ってもいいかもしれません。とは言え、これまで語ったようにそれらをはっきりと述べる棋士の人々がいらっしゃるのもまた事実です。そして、このインタビューにおいて行われた藤井二冠の発言もまた、棋士思考の一環を覗くことのできる重要な機会であるように思われます

 さて、ここで述べられているのは、そもそも思考する際に「なにもない」ということです。

 全くの虚無、というわけではないにせよ、少なくとも目の前に分かりやすい形で示すことのできる思考は、存在しないということなのです。

 以下のインタビューで彼は次のように語っていますhttps://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3394?p=1

――藤井四段は、将棋の場面を図面で考えるのか、棋譜で考えるのか、どちらのタイプですか。

 聡太 : 基本的に、符号で考えて、最後図面に直して、その局面の形勢判断をしています

 彼は基本的にはこれまで述べたように、「符号」を使って思考するのですが。しかしある種の詰将棋などにおいてはそのような符号さえ必要にしないということでした。

 このような、実際の目視確認脳内将棋盤(符号による棋譜理解)→符号による思考符号さえない思考という構図を単純なステップアップの過程として語ることはできないとは思うのですが、しかし、将棋というゲームについて思考する際に、その思考が極限まで達した人は何かしらの深淵へと、虚無への道を辿っているような、そんな感触を覚えてしまうのは僕だけなのでしょうか。


 さて、というわけで、トップ棋士たちの、良い意味での思考の異常性について語りました。現在12/6午後五時三十分ですが、僕がこの世の隅っこでこの文章を書いている間、世間の大舞台では羽生善治九段豊島将之竜王二冠のタイトル戦第五局が、行われている最中です。

2020-11-21

BL小説書き的、小説投稿サイトの使用感。

 BL小説を二本書いたので、複数小説投稿サイト投稿してみた。使ったのは、ムーンライトノベルズ、エブリスタ、fujyossy、アルファポリスPixiv

 なお私が書いた小説は一本はどエロ、もう一本は微エロであり、前者は規約違反になりそうなエブリスタには投稿しなかった。

ムーンライトノベルズ

ブリス

fujyossy

アルファポリス

Pixiv

まとめ

沢山の人に読まれたい→ムーンライトノベルズ

腕試し→ムーンライトノベルズ

交流→エブリス

ファンタジー以外のジャンル→fujyossy

コンテスト→エブリスタ、fujyossy

小金稼ぎ→アルファポリス

人間関係もつれがない→アルファポリス

まったりマイペース活動したい→Pixiv

 そんな感じ。私はエブリスタとPixivが気に入っている。

 どこのサイトでも今はファンタジー異世界転生ものばかりが強く、その他のジャンルは読まれにくい。しかし、学園もの社会人ものなどの日常系のものでも「オメガバース」にすればそれだけでめっちゃまれるようになる。

 二次創作商業BLでよく「地雷」と呼ばれるジャンルオリジナルBLでも嫌われ易いので、できるだけ避けたほうが無難かも。

おまけ……カクヨムnoteについて。

 カクヨムエロ禁止なのと人気ジャンルファンタジー系)の圧倒的強さが私の作風には全然向いていないので、使用しなかった。

 noteは連載・連作には向かないのと、noter同士の喧嘩揉め事結構激しいので、創作以外のことで疲れたくない私は嫌だなと思って使わない。あと、腐は隠れろ!って言われそうだし。

2020-08-31

anond:20200831125140

そうじゃなくて人目に触れる場所に書き込んでるんだから最低限文章としての体裁を整えて欲しい

あれだけの長文を書くってことは「自分文章表現が得意」だと思い込んでるんだろうけどただただ冗長で読みづらい

申し訳ないけどたまに現れるコピペ荒らしと大差ない

2020-07-31

漫画文章違和感があるものを纏めてる

ジャンル特化な漫画で、割と教養ステータス上から目線解説してくれる漫画なんだけど、日本語が独特で、違和感がある表現が多い。

漫画文章表現って割と編集がしっかりしてるのかそんなにおかし表現って目立たないんだけど、説教漫画の癖におかしいのが多いから気づいたらメモってる。

我ながら趣味悪いとは思うけど、好きな漫画ではあるんだよ。

2020-07-20

自称感想富豪同人誌感想のことを書いてみた日記

同人誌感想

同人誌感想が貰えるとか貰えないとか仲良くなりたいとか送ったら筆折られたとかみんな本当に色々考えているんだなと思う。特に最近は、あっちを見てもこっちを見ても感想感想ねこも杓子もバナナ感想の話をしている。すごい。みんな感想についてそれだけ思うところがあるということなのだ。思う方向性バラバラかもしれないが、とにかくみんな感想の話をしている。しかしその中に自分と同じような意見を見かけることが少ないので、せっかくだから匿名ブログで書いてみようかなと思った。読んで気分が悪くなっても何もしてあげられないので、繊細な人は読まないでほしい。感想欲しさが原動力作品を作っている人もできればやめておいた方がいい。あと胃腸が弱い人もやめておいた方がいい、胃腸メンタルにかなり引きずられると病院で聞いたことがある。お体を大切にしてほしい。

ちなみに筆者は最近巷で話題の「二次創作を中心に活動している女オタク」というやつなので、そこだけご了承いただきたい。

はじめに:感想ほしい?

「ほしい!」と即答できる人は元気でよろしいと思う。「貰えたら嬉しいけど色々あるよね」と言える人は大人で素晴らしいと思う。「ほしくない」と言える人はこれを読んでもあまり面白くないだろうと思うので、やめておいた方がいい。

さて、感想が欲しい、もしくは貰えたら嬉しい人は、「感想をもらうためにやった方がいいこと!」みたいなweb記事とかをまあ一度くらいは見たことがあると思う。しかしそういう記事は、その記事執筆者が「本当に実際感想をしこたま貰っているのか」ということには言及しない。そらそうだ、そんなこと書いたら普通は叩かれるだろうから。というわけで、あくまで「周囲と比べて」沢山感想を貰っているらしい自分がやっていることを書こうと思ったのだ。ちなみに友人がみんな謙遜してウソをついていた場合は友人全員足の小指をぶつけて一週間くらい地味に痛い思いをしてほしいと思う。

その1:どのくらい感想来る?

ネット記事アンケートを見てみると、「感想は1%未満」とか「3桁頒布したのに1件も来ない」とかざらに見かける。とても悲しいと思う。

自分は、50部頒布した作品に15件ほど感想が来たことがある。知り合いや友人はノーカウントだ。pixivで閲覧数1万程度、ブクマ数1000程度の小説作品に大体80件くらい感想を貰っている。80件の内半分くらいはそれなりに長文だった。インターネット引きこもりクソオタクなのであんまり知らなかったが、これは多い方なのだと友人たちに言われて初めて知った。勿論こんな弱小キモオタサークルよりいっぱい感想を貰っている人もおられることと思う。そういう方の参考になることは書けそうにない、すまない。自分のような若輩者でこれだから、壁やシャッター作家なんてのはもっともっと感想を貰っているものだと思っていたが、実はそうでもないらしい。世の中には毎日50000通くらいファンレターの来る神作家もいるのかもしれないが、自分出会たことはない。

その2:感想富豪

感想こじき」というスラングがある。大声で言えない悪い言葉を使っているが、インターネットスラングなのでそういうものなのだろう。ではこの言葉対義語、つまり感想をびっくりするほど貰っている人は何だろう? という話をしていて「感想富豪」という対義語が出来た。周囲と比べてみると、自分感想富豪なのだと思う。ありがたいことだ。自分インターネット上ですらクソ引きこもりオタクなので、交流とか新刊読みました〜(読んでない)とかお世辞合戦とかそういうのはしていない。pixiメッセージメールやぷらいべったーのメッセージボックスマシュマロ、時には同人誌即売会でのお手紙Twitterのリプライなど。色々なものを利用して、読んだ人が感想を送ってくださる。羨ましいと言われたこともあれば、友人だと思っていた人に「あなたはいいよね、有名作家に擦り寄ってコネ感想もらってるんでしょ」と即売会の会場で面と向かって罵られたこともある。しかし、特別なことをした覚えはあんまりない。ちなみにその友人だった人とはもう連絡もしていない。

自分がしていることは他人とは違うんだろうか? 自分同人誌は何かおかしいんだろうか? 自分ではよく分からないが、みんなが感想富豪になったら感想が来なくて発狂する人を減らせるかもしれない。あともう友達だと思ってた人に罵られなくて済むかもしれない。そんな感じである

その3:一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身

感想を沢山貰う作品というのは、大体どれも「中身」がちゃんとすごい作品だと思う。雑でテキトーだったり、やる気も技術も印象深いところもない作品は、やっぱりあまり感想が来ないと思う。だから作品の中身、クオリティをまず上げなくてはならない。絵ならデッサンや色彩、小説なら文章表現構成キャラクターの魅力を的確に捉える努力、それを自分なりの形で表現する情熱。そういうものの具体的な鍛え方はたぶん詳しい人が色々書いていると思うので、そういう記事を探してほしい。

ちなみに個人的な印象としては、ストーリーがきちんとあり、起承転結、盛り上がり、カタルシスなどが備わっているものが、同人作品としては「感想を貰いやすい」ものだと思う。送る側の心理として考えると当たり前のことだ。SNSのいわゆる1p漫画でも、起承転結のある(あるいは感じさせる)作品には何かを言いやすいし、ストーリーを感じられないものには感想を言いにくいからだ。

その4:どんな感想ほしい?

「好き」だけでもいい、とか「良かった」の一言でもいいとか、そういう人もいる。気持ちはわかる。

お前らが欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろwwみたいな言説もよく見る。同人活動趣味赤字しまくったりして仕事の合間にやってることなので、真面目に批評を頂いてもまあ困る人もいる。同人屋全員がプロを目指している訳ではない。向上心とは素晴らしいものだが、基本的には趣味でやっていることだ。同じもの好きな人作品を気に入った時にそう言ってくれれば良いのではないかと思う。なので欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろと草を生やすような人はちょっと論旨がずれている。そういうのはプロ志望の人に言ってあげてほしい「感想」であって、趣味世界で見知らぬ人に向かって言ったら空気読めてないだけのキモいウエメセになる可能性が高い。

とにかく褒めてほしいという人もいる。なんでもいいし嘘でもいいから褒めまくってモチベ維持に協力してほしい、という気持ちもまあわからなくはない。

だが、そういった人たちも含めて大勢作家が「こういう感想が欲しい」と憧れるようなヤツ、というものが世の中にはある。

もう何年も前に見たあなた作品をずっと探していました、とか。

この作品が読みたくてこのサイト登録しました、とか。

ジャンルが変わった作家を追いかけて、あなた二次創作が読みたいか原作を読みました、とか。

即売会に参加したことは今までなかったけど、あなた新刊が欲しくて今日勇気を出して来ました、とか。

このキャラ二次創作あなた作品が一番好きです、とか。

色々ある。どれも、送る側はお世辞では言いにくいデカめの感情のこもった感想だと思う。だからこそみんなそういう感想が欲しいと思うし、貰った人を羨むし、自分もそうなりたいと思うのだろう。ちなみにこれらは自分が貰ったことのある感想の一部だ。とても嬉しかったし、ありがたいことだと思っている。

しかネットを見ていると、とりあえず即薬物(感想)を注射しないと死ぬ! みたいな意見もけっこう見かけるので、まずは一つでも感想を貰うためにできることを書いておこうと思う。

語彙力喪失エッチダネイイネ! 絵文字乱闘! みたいな感想が欲しければ、アホエロに特化すればいい。長文で解釈説明をしながら感想を言ってほしいなら、ストーリーものの重たい話を作ればいい。出来れば長い作品だと感想も長くなりがちだ。とにかく褒め言葉だけ聞いていたいので今すぐベタめしてくれ! というなら、とにかく短いスパンでどんどん短編を出すことだ。なおどんな作品でもクオリティを上げるのは前述の通り最低条件であるクオリティはこつこつ努力するしかない。

どういう感想が欲しいかで、どんな人に見てもらいたいかは変わる。見てもらいたい人が違えば、作品も変わる。だからまずはどういう感想が欲しいのか、自分によく質問してみるといいと思う。その次はマーケティングだ。読んでほしいと思う層に的確にヒットするように、傾向を探る。そしてマーケティングに合わせて作品に味付けしてやればいい。

その5:印刷物なら装丁頑張れ

装丁は本の化粧である人間だってメイクで別人のようになれる人がいるので、本も装丁ですごくよさそうな感じに見せることは出来る。中身が伴わなければ顔面詐欺とか言われるかもしれないが、まず即売会の会場やSNSサンプル画像などで「おっ」と思ってもらうためにも装丁は大切だ。

装丁というとすぐに特殊紙! ニス盛り! 変形本! とか言い出す人もいるが、はしゃぐなはしゃぐな。まずは「目で見て分かる平面のデザインからだ。どんなに特殊紙キラキラ金かかり装丁にしても、デザインがクソだと台無しになる。特にサンプル画像だと紙の質感とかはわからないので台無しになる。同人誌デザインについてはその手の本もあれば親切な講座サイトからフリー素材配布者さんまでいろんな専門家がいる。周囲に目を引くデザイン同人誌を出している人がいるなら、本人がデザインしてるのか、外部に頼んでいるなら誰に・どんなサービスに頼んでいるのか、聞いてみてもいいだろう。

良い装丁の本になれば、それをきっかけにして手に取ってくれる人が増えるかもしれない。中身と装丁釣り合っていて噛み合った本なら、装丁も含めて「一つの作品」として感想を貰えることだろう。

その6:宣伝手段

即売会ならポスターサンプル。SNSなら他人の紹介記事やRT。宣伝になることはたくさんある。一次創作二次創作か、それにジャンルによってもどこで宣伝するのが効果的かは違う。自分の出したい作品に合わせて宣伝方法場所も選ぶといい。宣伝することで作品を見てもらう機会が増やせるなら、その分感想を貰える確率も上がるかもしれない。当然これらの宣伝クオリティに気を使った方がいい。ただし、宣伝他人任せになる部分が多い要素だ。自分宣伝しても限界があるので、その分の労力を作品の中身に使った方がいい場合も多い。初心者特に

その7:感想への反応

これは本当に人によって様々だし、ジャンルや界隈の人たちの暗黙の了解みたいなもの関係してくる。なのでここには自分のやっていることを書いておくが、あまり参考にはならないかもしれない。

自分は前述の通り、長文の感想や熱意の高い感想を貰うことが多い。そうした感想に対して、「わ〜ありがとうございます〜!」一言だけで済ませてしまうのは、自分は嫌だと思っている。一生懸命に書いてくれたと伝わる感想なら一生懸命に心を返す。好きなところをたくさん抜粋して書いてくれた感想なら、その抜粋部分に対する作者側からの話をする。クソデカ感情ぽい感想なら、その感情受け止めたぜ! という心意気を目一杯返す。そういう感じで返事をしている。感想を送った人は、何も「コイツにすり寄ってウマイ汁すすってやるぜ」とか思っている人ばかりではないと思う。作品を読んではちゃめちゃ楽しんで、その気持ちをくれた人に喜んでもらいたいと思って送る人もいると思う。だから自分も、そう思ってくれた人に喜んでもらえたらいいなと思って返事をしている。どうせ同じ穴のオタク、お互いを尊重していきたい。

もし相手が喜んでくれなかったらそれは残念だが、喜んでくれれば次の作品にもまた感想を送ってくれるかもしれない。感想が貰えたら自分もやる気が出てどんどん作品を出せるかもしれない。win-winの関係幸せスパイラルというやつである

おわりに:同人誌感想

同人活動趣味でやっていることだから、「感想こねーからやめるわ!」も自由だし「感想ほしいか他人にお世辞を言ってでもお返しを貰う」のも自由だ。全員が本当に欲しい感想を貰うことは難しいだろうし、感想が来るかどうかには運やタイミング関係する時があると思う。でもやっぱり、少しでも多くの人がハッピー創作活動できた方がいいと思う。

まずは一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身。マーケティングして、装丁頑張って、宣伝して、感想が届いたら頑張って返事をするといい。それでもうまくいかない時もあると思うけど、それはたぶん神作家と呼ばれるような人にもある悩みなんだろう。がんばれ同人屋。無理するなよ同人屋。体大事にしてね同人屋。自分もこれからもその辺のネットの端っことか即売会の島でがんばるので。

2020-06-29

でも読書感想文に救われたこももいるよ


私以外で作文書くことだけやけに先生に褒められてたやつおる?


最近急にタイムライン読書感想文に対するツイートをよく見るようになって

なんでだろうと思ってたら、ついさっきこれがおそらく話題大元になったツイートを見つけた。


https://twitter.com/nanngin/status/1276943146639749121


現役の教員の方の一連のツイートだ。

たまーーーーに国語の授業の「作者の気持ちを考えましょう」の無意味さを皮肉った話とかバズってるし

定期的に小学校国語教育の話は出てくるけど、読書感想文、よっぽどヘイト買ってるんだね。

私は小学生のころ読書感想文が大好きなこどもだった。だからちょっと不思議だ。


他の教科はてんで駄目な中で、人以上に好きなことが作文を書くことだった。

これは今この文章を見ている人ならわかると思うけど、私は特別文を書くのがうまかったわけでもない。

国語の点数も……私は漢字の形を覚えるのがとにかく苦手なこどもで、今考えれば私はディスレクシアなんだけど

何度事前に予習や復習をしても授業で習った範囲の二割くらいしか覚えられなかった(今でも得意ではない)

から国語の点数も低かったし成績が優秀だったわけでもない。

じゃあそんな中でなぜ好きになれたのかというと、

単純に私を受け持った先生小学校教育方針が徹底的に「褒めて伸ばす」方針をとっていたからだ。


何度も言うが私は特別文章を書くのがうまかったわけではない。

ただ、空想自分気持ちについて突き詰めて考えることは好きだった。

読書感想文においてもそれは同じで、本を読むこと以上に本を読んだあと、

自分はどう思ったか、読む前と読んだ後でどのような心情の変化があったか」考えるのが好きだった。

私が作文や読書感想文を嫌いにならなかったのは、先生が誰も作文での自己表現を一度だって咎めたことがなかったことが大きいように思う。

添削アドバイスをくれた先生はいたような気がするけれど……それでもあくまで私の文章もっと伝わりやすく、もっと良いものにしようという意思のものばかりで、最終的に私の伝えたいことや表現しているものが曲げられたりするような添削をする先生は一人だっていなかった。

先生の求めるようなことを器用に書けていたこどもだった記憶もない。題材や思想や内容に対するお咎め修正もなかった。

どんな作文や読書感想文を書いても、先生はみんな私の書いた文章ちゃんと読んでから褒めてくれた。

元ツイを見るとどうもそうでない?学校先生が多いのかもしれない印象を受ける。

実際のところそういうものなんでしょか。

読書感想文についても同じで、普段私が本を読むのはもっぱらマンガ図鑑絵本辞典の方が圧倒的に多かったので

物語」が他者の手によって選書されているのが新鮮でこういう機会でもないと読まないこどもだったので大変ありがたかったと、それについて生徒が三者三様自分意見を書く、という部分が楽しくて好きだった。

その本を自分が選んでいないのに読書感想文全国コンクール文章読むのも好きだったな。

映画や本のレビューサイトに書いたことがある人ならわかると思うんだけど、同じものを見た人でも全然意見が違うことへの面白さって確実にある。そしてその面白さは、まず自分がその作品を見て自分自身の意見を持っていないと感じることが難しい。

その楽しさを身につけられたのは今思えば読書感想文のおかげかもしれない。

(元ツイにあった「感想文集の売上が図書館担当先生たちの研究会出張費用になってる」ことは知らなかったけど、その研究会がこどもたちの図書館教育国語教育有用に使われているのなら、私は別に……というかそこに何の問題があるのかわからない。生徒に直接売上が行く方がいいということなら大賛成です)


ただ、みんな同じ教育を受けていたのならみんな私のように文章を書くのが好きだったり読書感想文嫌悪感を抱かずに済むように思えるけれど実際そうではなかった。

私がそう強く記憶してるのは、学校の何かの催しの時に、作文とそれをスピーチする生徒が必要で、立候補制だったがなかなか手が上がらず、その時私が引き受けた思い出があるからだ。

この時は作文を書くのと全校生徒の前でその内容をスピーチするのがセットだったので後者の部分が重荷になって誰も手をあげなかったのかもしれないけど、とにかく進んで誰も作文を書きたがらなかった。

「作文を書けば先生に褒めてもらえる(しかテストと違ってここは間違ってるとか言われたり減点されることがない)」という

文章を書くことに対しては全方向ハッピーな考え方をしていた当時の私は多少不思議だったけれど、いくら学校方針ツイートに挙げられたような堅苦しい自己表現としての作文を許さないような教育を受けていなくたって、

そもそも大半のこどもは「できることなら作文なんか書きたくない」のかもしれない。

から教育方法いくら変えたところで作文や読書感想文が苦手な子供一定数は減らないかもしれない、と少し思っている。

こどもはそもそも面倒なことなんて進んでやりたがらない。好きでもない限り。

文書くのは好きだったけど、そんな私でも原稿用紙何枚も書き上げると腕が疲れてじんじんした。それでも私は好きだった。

私は学校でも家庭でも褒められることが少ないこどもだったのと、たまたま書くことに対するハードルが低かったので

「書けば無条件に褒められる」作文や読書感想文がとにかく好きだったしそれに救われていた。


元のツイートにあった、

原稿用紙はこう使いなさい」「作文はこう書きなさい」という形式的指導子供読書感想文嫌いにさせてる?

っていう部分について、私はかつてのこどもとしてこれは必ずしも正しくないのではないかと思ってしまった。

本当に何度も言うけど私は特別文章を書くのが得意だったわけではない。

けれど、この「原稿用紙の使い方」や「作文の書き方」を小学校のうちに教わっていなければ、

私の文章の書き方はもっと見苦しいものになっていたと思う。

教え方に問題がある(それに従わなかった生徒に厳しく指導する)だけで、内容自体はとても重要ことなんじゃないか

これは教育としては非常に重要ことなのではと思ってしまうので、現役国語先生からこの言葉が出ることに

私はちょっと驚いている。

原稿用紙の使い方や作文の書き方というのは「そう書かなくちゃいけない」というものよりも

「ある程度のルールに沿って書いた方が、見る人は見やすいし、書き手の伝えたいこともより伝わりやすくなる」という

学校教育の中でいうと採点側のためにあるのではなく、生徒のためにあるものだと思っていたからだ。

これは私の小学校時代先生の、私の文章を見てくれるときの態度がずっとずっとこうだったから、という影響が大きいと思う。

でもこのツイ主の先生辟易した書き方からするに、きっと現場ではそうではないんでしょうね。

自由自己表現をする」ことと「文章表現としてある程度の形式を学びそれに従った作文をつくる」ことは矛盾しないと思うんだけど、この矛盾しない教育がきっと難しいんだろう。

私の小学校でできていたことがそんなに特殊だったようには思えないから、その学校方針先生個人の考え方にも左右されるとは思うんだけど……。

あと私が小学校卒業してからもう十年以上が経っているので今の学校教育ではなかなか同じようには出来ないかもしれない。


ただ、私みたいに作文や読書感想文で救われたこももいるにはいるのだ。

「みんな嫌いになる」ものとして普遍的槍玉に挙げられてるのを見ると、偶然私が幸福なこどもだったのか、それとも異常だったのか、よくわからなくなってくる。できるなら前者であってほしい。

私を幸せなこどもにしてくれた学校先生と、作文と読書感想文には今でもとても感謝しています

できることならこういうこどもが、一人でも多く存在できることを祈りたいです。

2020-06-25

ですます調とだである調が混ざってると気持ち悪い奴

日本語文章を読む時、これって凄く気になりますよね。

仕事文章を書く時にも、これが出来ていないと例え内容が真っ当でも品質を疑われてしまうくらいだ。

文章を書くときも読む時も、これは凄くコスト無駄なんじゃないかと私は思います

ただ、これは日本語特有欠点なのだろうか。

想像ですが、きっと外国語にも同じような面倒臭さ、無駄コストがかかる文章表現ってあると思うんです。

でも俺は外国語がさっぱり解らないから、もしも有識者ブクマカ様が居たら教えて欲しいと思っているんだ。

是非ご協力頂きたいです。

はてなー集合知に期待しているのである

2020-06-18

金で同人小説感想買った話

ワイ超マイナージャンル中心の同人小説

また同人誌の感想云々でもめてるのでコミッションサイトで金払って同人小説感想書いてもらった体験談を書く

結論から言うと感想を買うとその後も楽しく同人できるぞ

1.

前提としてワイはネット上でかなり昔のジャンルオンリーワンCP活動している

CP者はほとんど見たことがない

一応二人の関係性に萌えてる人たちと繋がっているがそもそもワイの小説を読んでくれたかどうかすら不明

(直接的なCP萌えというより関係萌えらしい)

閲覧はたまにつくが感想は全くもらったことがなかった

ワイの小説がつまらない・拙いのかキャラ解釈が閲覧者と合わなかったのかわからないままずっと悶々としていた

2.

コミッションサイト小説感想を売ってくれる人たちの存在を知る

とりあえずオールジャンルOKで褒め中心のコミッションを購入

相手は自ジャンルを知らないらしく「一作品としての感想になるがそれでもいいか」と聞かれた

了承の上で今まで書いた小説ものすごく短い解説を送る

解説適当かつ少なかったにも関わらず、相手はワイが小説に込めた自CPキャラの魅力をしっかりくみ取ってくれた

元々相手CP二次創作活動していた方なのも大きかったのだろうが

ジャンルを知らない人にもCPキャラの魅力は伝わったとわかってモヤモヤが晴れたし

文章表現の面も褒めていただけて嬉しかった

3.

もちろんワイが褒め中心の感想を買ったから誉め言葉ばかりになるのは当たり前だろう

とはいえワイの考えた文章シチュエーションが箸にも棒にも掛からものなら相手文章にしなかっただろうし

コミッションでもらった具体的な誉め言葉は今でも小説執筆でくじけそうになったときの支えだ

4.

コミッションサイトにはポジティブ感想だけでなく辛口批評アドバイス提供もしてくれる人もいるし

感想が来ない・思い通りの感想をもらえず悩んでいる同人者は

思い通りの感想を書いてくれそうなコミッションを買え

金で感想を買うのはいいぞ

2020-05-11

anond:20200511133913

そもそも供給に対して需要が無さすぎる業界から、少しでも客引っ張ってこれる人を否定できないんでしょ。ただただ可哀想だが日本文章表現の国なので身体表現に本当にあまり需要がないんだが、それでもやりたい人間が多すぎる。

2020-02-07

anond:20200207121159

文章表現が苦手、顔を見て話したい病」だな、

まり彼等は劣っているのである

コントロールという名目の人心掌握欲求病でもある)

2019-12-21

anond:20191221003651

オタクは今の時代、自らのビジュアルで格好付けるなんてことはしない。

SNSでの文章表現とか、twitterイカした絵を描いたりとか、クールゲーム作るとか、そういうところで格好良い自己表現をするものだ。

2019-11-08

anond:20191108183257

知らないおばけは出て来ないのと同様、知らない文章表現はどう頑張っても出てこないので、

どんな書き方なのか、どんな表現なのか、どう思って書いたのか、流れを考えながら模写することは勉強にはなるよ


文字列を単に複写するだけなら時間無駄なのでやらないほうがマシ

2019-10-20

ウェブカツ!!」は記事剽窃をしているのか?売上は?調べてみました!

ウェブカツというプログラミングスクールについて、twitter上で記事の剽窃をしているのではないかという疑問が挙がっていました。

ウェブカツの「顧問であるかずきち氏はこれを「頭悪すぎて呆れちゃう」と一蹴していましたが、はたしてどうなのか……?

ウェブカツは果たして剽窃をしているのか!?調べました。

めしJavaScriptやjQueryでの変数が「空かどうか」のチェック方法 (魚拓 https://megalodon.jp/2019-1020-0037-32/https://webukatu.com:443/wordpress/blog/821)を見てみましょう。

記事中に出てくる「jQueryではたとえ、参照したIDclassが無くてもjQueryオブジェクト作成されるためチェックが出来ません」で検索してみると、

Web'Notesというサイトがヒットしました。

記事全体を見比べてみると、なんと、目次が完全に一致しています

ですが、目次程度なら同じ言語ライブラリ解説している以上は偶然の一致もありえます

そこで本文も比較してみると、驚くべきことがわかりました。

Web'Notesの「結果をまとめるとこのようになります」がウェブカツでは「結果をまとめるとこんな感じ」に変わっているなど些細な違いはありますが、記事構成文章表現まで、ほとんど一致しているのです!

全く偶然とは思えないレベルでよく似ています

ですが、これだけでは本当に剽窃がされているのか、されているとしてどちらが行っているのかまではわかりませんね……

少なくとも、両方の記事がいつから存在たかは調べる必要がありそうです。

ウェブカツの記事には、2016年8月16日と書かれてますね。他の記事を見る限り、ウェブカツでは、作成後に更新した記事には更新日も掲載されるようなので(えらいですね!)、おそらくこれが作成日でしょう。

一方Web'Notesの記事がいつから存在するかというと、WayBackMachineを見る限り2015年には存在していたようです。

他にも、ウェブカツの様々な記事について、よく似た他の記事存在するようです(随時追記)。

ttps://docs.google.com/spreadsheets/d/1HwRyUP62afk9jjXArax8NhiYxnt330DMSQTe9eB3h24 (うまくリンクが貼れないので古の記法で勘弁してください!)

いかがでしたでしょうか、果たしてウェブカツはWELQや侍エンジニアのようなパクリサイトや触法プログラミングスクールの仲間なのか…… みなさんはどう思われましたか

ウェブカツは月に数千万の売上があるかもしれないので、「よく似た記事」を書いた方々は要注目です!

個人的には、かずきち氏はtwitterプロフィールでcodecampをディスっているのに、codecampのもの酷似した記事存在するのが面白いと思いました!

様々な先例にならってDMCA濫用などをしてくれるともっと面白くなると思います

もっとも、ウェブカツの「顧問であるかずきち氏は著作権問題について「立ち小便の軽犯罪や店のコンセント使った窃盗レベル」とおっしゃっているので、そのようなことは期待できなさそうですが……

とにかく、目が離せませんね!

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