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はてなキーワード: 文房具とは

2023-11-07

文房具能力者になれるなら何がいい?

生身で文房具屋で売られてる程度の物と同等の能力を発揮できるようになるならどんな能力が欲しい?

例えば、

・指で文字が書ける

・指で鉛筆の字が消せる

左手20ページ分くらい書き込める

・指がハサミになる

・唾が糊になる

俺なら手で作った丸が双眼鏡か虫眼鏡になるくらいがいいか

2023-11-02

これ仕事場に置いておくといいよってもの

仕事がはかどる系の文房具でも

パーソナルコンピュータ周辺機器でも

想像力をかきたてるアートでも

あると嬉しいお菓子でも

何かあったらおしえてください

2023-10-26

anond:20231026160332

「よかいち!」などとテレビCM愛嬌をふりまいた老書道家だが、行きつけの老舗文房具店で仏頂面で店員に顎で指示しとったのをたまたま見かけて後をつけたワイは知っとるやで( ・`д・´)

2023-10-14

財務省クズってよりもこの国の予算制度クズなんだよ

「歳出予算はその年度に使い切ってください」

「持ち越しは一切してはいけません」

「余りが出たら『別に必要なかった』という証拠として、次の予算審議の材料にさせていただきます

このシステムマジでクソ。

結果的に年度の後半は『如何に効率的にピッタリ使い切るかを考える』のモードに入ってしまう。*1

財布の中身と相談してギリギリで使い切ろうとするテレビ番組の「◯万円ピッタリお買い物ゲーム」みたいなことを10月~3月にかけてどの省庁もやってる。

そこに向けた準備も考えると純粋費用対効果だけで考えて伸び伸びと動けるのは4月~6月ぐらいまで。

7月以降は予算が付きすぎた事業では必死に使い切りを模索し、足りてない事業については爪に火を灯すような使い方になる。

「俺たちはこの事業にコレぐらい金がいるんだぜ!だから税金をくれだぜ!」

と言って貰ってきてるので自分たち管轄であっても事業間でホイホイお金のやり取りをして全体をフラットにするとかは駄目。*2

から金がない中で必死にやりくりするんだけど、それをしたらしたで「じゃあやっぱ足りてたんですね。最初ドンブリ勘定なんだったんすか?」みたいな事を次の予算調整で言われる。

必要な所に必要予算必要な形で配るっていうのを本気でやろうとしてるとは思えないんだよね。

やってる感を出すための資料作りを皆で頑張って、それに対して超絶究極絶対神大蔵省スーパーエリート様がやってる感のある感じで予算をお出しくださってエヘヘヘあっしらのような下賤の下っ端役人如きにお恵みくださってくれるんでげしよげへへへ。

まあ税金でやる以上は先にいくらかかるかキッチリ見積もってからやれってのは事実だとは思うんだが、それにしたってもうちょっと効率的にというか実態に即したやり方は出来ね―もんかなと思う。

なまじっか複雑な分最終的には「お役人様のご機嫌を上手に伺った人の勝ち」って所が強くなってる気がしてならん。

んでまあ世の中なんだかんだ水物だから未来予知しきれなかった部分でボロが出てくる。

無茶苦茶だぜ。

保身しか考えてない結果からくる完璧主義に囚われきった官僚の逆効能の完成形だよ。

こんな馬鹿みたいなことやるのに優秀な頭なんて必要ないよ。

結局はセコセコ手を動かして胡麻をするか必死に誤魔化すかしかねーんだわ。

現場判断根性運用役人の基本スタイルですわ。

そのくせして表向きは「完璧に我々の予想通りでした」と言い切らないといけないのが狂ってんだよね。

びんぼっちゃまスタイルだよこの国は。

※1 予算をピッタリ使い切る

 予算をピッタリ使い切ると言っても完全に財布を0にする使い切りは基本的不可能

入札方式を取っているのでどうしてもブレが出るのだ。ブレが出ないように会社と事前に値段を決めてそれを書いてもらうとかは当然NG。なので予定していた契約額±10%ぐらいのブレはそれぞれの契約ごとに発生する。契約したけど役所のガワにお金がないのは絶対にあっちゃいけないので予算は余る側に向けて調整される。

絶対に余るのだけど、余らせすぎると次年度以降に予算を削られてしまうので、予算を使ったという証明のために「最後文房具でも買って1000円単位ぐらいまで頑張って使い切れよ」と仄めかされたりする。年度末に無駄仕事してて本当アホ。

※2 事業ごとの予算振り分けでフラット

 実はちょっとしてる。切り分けが曖昧な分野では多めに予算がついた方からお金を出す感じで。

一般家庭でも「知育ゲームゲームお小遣い勉強お小遣いのどっちから払うの?」とか「旅行先で飲むお酒個人お小遣いから払う?それとも旅行用のプールから払う?」みたいな「どっちの予算からお金を使うか」っていう問題は起きるでしょ?

それと同じ感じである程度都合よくお金を融通しあってから「これはもう完全にこっちの予算で使うべきだったわけで何もおかしくないんすよね~~。まあ結果的にこっちの事業で使う頻度が多くなっちゃってる気はするんですけど、それは結果論みたいな話でしかなくて~~~」みたいな感じで説明して乗り切ってる。

やりすぎると問題になるから『足がつかない範囲で』は意識することになる。

んで下手にやると「じゃあやっぱこの事業はこの予算でイケるってことっすね~~~」で全然足りてない予算が次回以降の実績になったりするので、血の涙を飲んで「金がないせいで何年も事業が遅れてんだよ。どうにかしてくれよ」と言うために裏技を使わないこともある。

2023-10-05

プリキュア4月新生活スタートから物語が始まるのに現実時間では2月放送開始なのは新学期が始まるまでに番組タイアップ文房具衣服生活雑貨を揃えられる様にする為

ってさっき知ってなるほど~ってなりました

2023-10-03

夫はプレゼントしたがりだなあ

試験のために鉛筆ペンケースをポチったと言ったら、「言ってくれたらプレゼントしたのに」だって

アクセサリーとかならまだ分かるけど、文房具なんてプレゼントして楽しいのかな

よくわからない

ありがたいとは思うけど

2023-09-30

シャープペン許可になったら文房具格差100均の子とか言われるぞ。

シャープペン許可になったら文房具格差が生まれるだろうね。100均の子とか言われそうだし。あだ名ダイソーかになるぞ。

鉛筆じゃ流石に国産使える家庭は勝ち組とか言わないし。鉛筆であることで差別回避を図っているのだよ。anond:20230929162644

2023-09-10

地元最後文房具専門店が閉店するらしい

40年やってたらしい

店主はもうおじいちゃんだし仕方ないな

2023-08-25

手帳の発売日が楽しみ

今日ほぼ日手帳の新作ラインナップが発表されてテンション爆あがりしてサイトやレポ動画を見漁っていた。

あれもこれも素敵で目移りしてしまう…けど、手帳を何冊も併用してちゃんと使う能力はないので、ちゃん吟味しないといけないなあと思いつつ。

なんかここで外勤に異動させられる兆しがあるからスケジュールタスク管理方法また見直さないといけないんだよね。新しい業務ある程度こなしてから考えて買わなきゃと言う理性が4割、どうせ迷走するから気になるの売り切れる前に買った方がよくない?という悪魔の囁きが6割。

まだ8月なんだけど、すでに別ブランド完売した手帳があるとか、発売日に万越えの手帳争奪戦になるとか、文房具界隈以外の人にとっては意味わかんない話だろうなあ。

2023-08-12

親友の忘れ形見結婚した

高1の時に俺の親友が同じ学校だった彼女(嫁母)を妊娠させてしまった。


嫁母は高校中退したが、嫁父は学業を続け、高卒就職することが決定した。

17歳若さで嫁母は玉のように可愛らしい女の子(嫁)を産み、俺もそこにちょくちょく遊びにいっては赤ん坊を抱っこさせてもらった。

当時の俺は抱っこしているベイビーが未来の嫁になるとは知る由もなかった。


高校卒業後、嫁と親友結婚し、結婚して2年目に親友事故であっけなく亡くなってしまった。まだ21歳の若さだった。

親友即死では無かったので、最期の時には何とか立ち会う事が出来た。

死の間際、彼は俺に「これから成長していく娘を見られないのが残念だ。

どうかあいつらが幸せになれるようにお前が助けてやってくれ」と言い残した。


その遺言通り、俺は嫁の成長を見守るつもりだったけど、当時はまだ大学生の俺に力になれることは何一つなかった。

嫁母は就職しようとしたが、職歴学歴もないヤンママにまともな仕事はなく、夜職になってしまった。

彼女高校生で妊娠したことで親に縁を切られていたので実家に戻れなかった。


何年かして、次第に嫁母は子供放置して遊び回るようになった。

俺も嫁母に「嫁ちゃんのことも考えた方が良い」と忠告したのだが、嫁母は聞く耳を持たず、

俺が大学卒業して就職した頃に嫁母はロクでもない男と再婚してしまっていた。

嫁は継父に邪険にされて育ち、弟妹が次々生まれると家事育児押し付けられるようになって、家族旅行には連れて行ってもらえず、継父の親戚の家に預けられる始末だった。

嫁の小学校ランドセルは親戚のお下がり文房具は地味な百均だというからかわいそうになって俺がキティちゃんの筆箱や鉛筆を買ってやったこともある。


そしたらそれも妹に奪われて嫁は「俺君が買ってくれたものなのにごめんなさい」と号泣していた。

可哀想になって、嫁以外の家族旅行に行く時は「親戚に預けるぐらいなら俺に預けろ」と言って、俺が預かるようになった。

元々、継父の妹夫婦に無理やり押し付けて嫌な顔をされていたらしいから、この申し出は喜んでもらえたぐらいだった。

もちろん、20代独身野郎小学生を家に泊めるなんて普通はしないが、当時は彼女同棲していたから、できたことだった。

家族夢の国にも、北海道旅行にも連れて行ってもらえない嫁のためにとびきりお姫様扱いをして、おしゃれなカフェとか、遊園地とかデパートとか連れて行ってやった。

普段食べさせてもらえない美味しいものも食べに行った。

彼女最初の数年間は「妹が欲しかった!」と言って可愛がってくれて、嫁も俺たちを「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼んで懐いてくれた。

しかし、嫁が年頃になって美しく成長してくると彼女が嫁に嫉妬するようになってしまった。


当時の彼女もそれなりの美人だったが、20代後半になって美貌を失ってきているのを実感しているようだった。

反対に嫁はこれからどんどん大人の女性になっていく。不安しかなかったのだろう。

極め付けは彼女の「嫁ちゃんってあなたの娘でも親戚でもないんでしょ。嫁ちゃんが私より大事ならお嫁さんにしてしまえば!」というセリフだった。

それをまだ15歳の嫁がいる前で吐き捨てて、彼女同棲していたアパートから出て行った。


さすがに30代前半のオッサンアパートにもう連れてくることはできないので、

嫁に「今度からは外で会おう。俺が結婚したら、また家に呼べるから」と言ったところ、

「私じゃダメですか…?」と言われた。

「どういうこと?」

「私、俺お兄ちゃんのお嫁さんになりたいです。」

「な、な、何言ってるの!俺、嫁ちゃんのお父さんの親友だよ!嫁ちゃんの両親と同い年なんだよ!」

彼女ちゃんが私に嫉妬していたように、私もお兄ちゃん彼女嫉妬していました。

私は子供から相手にしてもらえない、彼女ちゃん大人の女性からいつかはお兄ちゃん結婚する、それが怖かった。

お兄ちゃん結婚式で綺麗なウェディングドレスを着た彼女ちゃん想像したら素直に喜べるのだろうか…。

彼女ちゃんが俺くんそっくりの坊やを産んだら、心から祝福できるだろうか…。

そんな黒い気持ちばかり抱えてました。

彼女ちゃんじゃない、他の女性がお兄ちゃん結婚しても同じこと。

ずっと私は悪い女です。子供なのにおかしいでしょ。」

「嫁ちゃんは早くにお父さんを亡くして、お母さんや継父に育児放棄されてきたから、お父さんを恋しい気持ちを俺への恋心と勘違いしているだけだよ。」

「そんなことは…ありません!」

普通、嫁ちゃんぐらいの年齢ならジャニーズ理想でしょ。それが普通だよ。俺みたいなオッサンなんてとんでもない。」

「私の大好きなお兄ちゃん卑下するな…!私はお兄ちゃんが好きなの!

私が幸せになるように助けてあげてってパパが言ったんでしょ!?だったら、その約束守ってよ」

「パパは俺と結婚しろという意味でそんなことを言ったんじゃないよ」

「形はどうであれ、私を幸せにしてくれるのはお兄ちゃんしかいないの。だから、私と結婚さてください」

「ごめん、本当に申し訳ないけど、嫁ちゃんはまだ中学生だ。子供をそんな対象で見られない。結婚だってできない。」

「じゃあ、3年後、大人の女性になった私を見てください。俺くんに相応しい大人の女性になりますから。」


嫁は高校からは寮に入って男女共学理系進学校に行くことになっていた。

生徒は男子の方が多いらしいし、3年間で素敵な彼氏

を見つけるだろうと思ったから、俺はもう嫁に会わないことにした。

どうせ、嫁の継父や嫁母は学費と寮費だけ払ってあとは放置するだろうから、俺が図書カードやら、スタバカードなどは時々送ってやった。

その間に引っ越しを済ませて新しい住所は教えなかった。

しかし、高校卒業したあと、嫁は俺を探し当てて俺のところにやってきた。

ていうか、田舎から事情を知らない友達(嫁父との共通の友人)が勝手に教えた模様。

苦笑いしながら「もう行くところがないんです」


嫁の継父は学歴がある女が嫌いでいまどき、女子大生亡国論を信じているような時代遅れなやつだったし、妻の連れ子のために大学費用を払ってくれるようなやつではなかったらしい。

学費は俺が出すから進学しなよ」と言ったが、「お兄ちゃんのお嫁さんになるのが夢だったから」と言って専業主婦になった。

俺みたいなおっさんの下にウルトラキュートでお肌ぴちぴちすべすべのボンキュッボン美少女が嫁にくるなんて開闢以来の出来事だろう。

可愛い子供も生まれ子供ハイハイたか記念カキコ

そして、親友と嫁母、30代の若さ祖父母にしてしまってスマソ。

そして、俺と嫁のせいで結婚適齢期を逃し、傷つけてしまった元カノにもいつかは謝りたいと思っている。

2023-07-18

親友の思い出

 小学校4年生まで、とある市の最南端に住んでいた。

 当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、本当の本当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。

 

 わたしには、公園を挟んで向かいアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。

 わたしの家からダッシュで1分もかからない距離アパートなのに、彼女わたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。

 お互いの家を行き来してDS通信することもあったし、少し歩いたところにある本屋さんでファンシー文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を繋ぎながら一輪車で回り続けたりとか。身体測定の結果を見せ合って、やばいダイエットしなきゃ!と公園をずっと走ったこともあった。

 学校が違うからこそのメリットもあって、相手の素性を知らないからこそ、恋バナを包み隠さずにできたりもしたな。あとは、わたし小学校にはない図書室の本を貸してもらったりとか。本当はよくないんだろうけど、ちゃんと返却期日までに読んで彼女には返していたから、たぶん大丈夫

 

 本当に仲の良い友達だった。自分の通う小学校にも友達はもちろんいたけれど、彼女だけは別格だった。今思えば、彼女わたしにとって親友だったんだろうね。

 

 でも小学校5年生になるタイミングで、わたしは家庭の事情引越しをすることになった。同じ県内ではあるんだけど、それなりに離れたところ。小学生電車を乗り継いで遊ぶには、少し難しいくらいの。

 彼女と別れるのは寂しかったし、引越し直前には2人してワアワア泣いてた。当時の連絡手段って手紙しかなかったから「プロフ帳に書いてくれてた住所に手紙送るねぇぇ」とか言いながら、本当にずっと泣いてた。

 

 そうして、引越しをしてからは、文通が続いた。

 小学生手紙なんて、本当にしょーもない学校の話に、しょーもないイラストを添えただけなんだけど「会いたいね」とは、お互い、いつも文末に書いていた。とはいえ、気軽に会える距離ではなかったから、現実的ではなかったんだけど。

 そうこうしているうちに中学生になり、わたし剣道部に、彼女バスケ部に入部して、土日も練習試合で忙しい日々を送るようになった。お互い休みの少ない運動部に入部してしまったばかりに、行動範囲は広がったというのに、会う時間を作ることができなかった。

 そのまま徐々に文通の頻度は減り、受験生の本番である中学3年生の夏頃、「受験やだねー、志望校どうしよー」「とりま勉強がんばろーね!」というような、何気ないやり取りを最後に、ぱたりと彼女との連絡は途絶えてしまった。

 

 それ以降、彼女とは一切連絡を取っておらず、どこで、何をしているのか、何も分からない。

 

 わたし社会人になった。高校大学ストレート卒業し、就職をしてから今年で2年目となる。

 文通をしなくなってから彼女ことなど思い出すことなく過ごしてきた。しか最近不思議な縁があり、なんと彼女が住んでいた市に赴くことになったのだ。

 用事があったのは彼女の家から少し離れたところだったけど、車を走らせたら大した距離ではない。まだ住んでいるだろうか。きっと住んではいないだろうな。とはいえ、懐かしい景色見たさもあって、わたしGoogleに例の公園までの経路を表示させて向かった。

 

 辿り着いてみると、そこには思い出深い公園けがあった。彼女が住んでいたアパートは、形こそかろうじて残っているが、どうやら今はアパートとしての機能を無くしているようだった。

 というのも、かつて彼女が住んでいたアパートは、今現在コミュニティスペース・ワークスペース、またはカフェなるものとして提供されているらしいのだ。流行りのリノベーションを受けたアパートは、築年数を感じさせつつもおしゃれな建物となっていて、地域の人たちがつながる場として賑わっている。そのとき子連れのお母さま方が楽しそうに過ごしていた。

 

 彼女はどこに行ったんだろう。

 真っ先にそう思った。アパートアパートでなくなったことなど、わたしは知りもしなかった。一体いつから?順当に考えれば、彼女も、彼女のご家族も、引越したんだろうとは思うが。

 唯一わたしに残されていた彼女の手がかりが、今や地域活性化の拠点となっていたことで、わたしはもう二度と彼女には会えないのだと再認識せざるを得なかった。彼女の今を知る術は、本当にもう何もない。

 

 またいつか、生活を続ける中で、わたしはふと思い出すのだろうなと思う。

 小学生の頃に、近所にすごく仲良くしていた親友いたこと。その親友とは引越しと同時に疎遠になり、今はもう連絡の取りようがないこと。

 そうして、きっと考える。菜々子、今どこで、何してるんだろうって。

anond:20230717233740

値段が安いから行ってるんじゃなくて、ダイソーに行けば消耗品おもちゃ文房具食品とかが全部一カ所で済むから便利なんよな。全部バラバラの店に行ってたら時間なくて死ぬ

2023-07-01

anond:20230701231413

雑誌文房具さん大賞2023を書いてみるよ。

大賞はパイロットのiro-utsushi(いろうつし)。

万年筆の先が付いたつけペンタイプの筆記具。

https://www.pilot.co.jp/products/pen/fountain/tsuke_pen/iroutsushi/

・・・ごめん。自分にはなんでこれが大賞なのかは知識がなくて分からない。書くのが好きな人はいいんだろうね。


デザイン賞はパイロットのイルミリカラートゥーカラー

こすると色が変わるペンだって

https://www.pilot.co.jp/press_release/2022/09/09/ilmily_color_two_color.html

これは面白そう。


機能賞は、コクヨキャンパスルーズリーフ

https://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/looseleaf/

これ、前からある奴なのになんで選ばれてるか、謎。いいものではあるだろうけど。


アイデア賞は、ぺんてるミルキーブラッシュ

タイプカラーペン

https://www.pentel.co.jp/products/brush/milkybrush/

これも面白そう


全体的に、仕事で使えそうなものじゃなかったので、期待に添えなかったかもしれないけど、一応文房具専門誌?が選ぶ文房具からいいものだと思います


…調べたら公式ページがあった。こんなに書かなくてよかった

https://www.fusosha.co.jp/special/bunbougu/

https://hands.net/hintmagazine/stationery/2302-stationery-award.html

おすすめ文房具の話をしようよ

測量野帳おすすめです。

表紙が堅いかメモを取りやすくて良い。

2023-06-11

子供ミニマリスト強制すること

娘の友達の親がかなりのミニマリストのようで、ちょっと度がすぎるのではと心配している。

の子はよく我が家に遊びに来るのだけど、いつ見ても同じ服しか着ていない。

上は白シャツにグレーのカーディガン、下は黒の長ズボンかプリースカートの2択、グレーの靴下、白のスニーカー

一度しか会わなければコムサマネキンのようでスマートにも見えるのだけど、制服でもないのにいつ会っても同じ格好なのは少し怖くなる。小学生なのに「色」が全くないのって、どうなんだ。

本人もオシャレに興味があるようなので、貧乏で買えないというわけではないのにも関わらず服装選択肢がないのは余計なお世話なのだろうが不憫に感じてしまう。

また、その子の家には冷蔵庫がない。何気ない会話の中で「うちは冷蔵庫がないから〜」と言っていてとても驚いた。

どうやら少し前まであったらしいが、親がいつの間にか捨てていたのだそう。

食事とかどうしてるんだろう…と気になりそれとなく聞いてみたところ、買い置きや作り置きをせずに日々の食事をこなしているらしく、とてつもない労力とモノを増やさないことに対する強いこだわりを感じた。

きっとすごくお金がかかるのだろう。子供のいる家庭でミニマリストを貫くのは物凄い信念だと思うしその意志尊敬に値するが、いくらなんでも子供生活自由度というか、選択肢ゆとりが少なくてかわいそうだと思ってしまう。

でも、貧困で仕方なくモノのない生活をしている人々もたくさんいるのだろうから、こういったこだわりでの生活スタイルでも安易に良くないと切り捨てることはできないよなあ。

なんだろう。せめてその子自分の好きな服やアクセサリーを買って鏡の前でああでもないこうでもないってオシャレを楽しめたり、使いもしないカラフル文房具コレクションして眺めてみたり、それくらいのことができるようになると良いんだけど。

2023-06-10

整理整頓完全に理解した俺の備忘録

今日完全に理解した」になったので、その感覚を忘れないように書いておく。

清掃・整理・整頓の違い

「綺麗な部屋」という曖昧イメージをやめる。

清掃・整理・整頓の違いを把握し、その中のどれを今やっているのかを意識する。

清掃→ゴミホコリがない状態

整理→物に住所が振られている状態

整頓→住所通りに物がある状態

例1:クリーニングされた家に引っ越した直後 清掃◯ 整理☓ 整頓☓

例2:整理整頓された状態で長年放置されたホコリまみれの蔵 清掃☓ 整理◯ 整頓△ (カビが生えて捨てるべきものが居座っている可能性があるので整頓は△(ゴミの正しい住所はゴミ捨て場なので))

一度散らかった部屋に大掃除以外の解決法はない

散らかっている部屋は物の住所がすでにグチャグチャの無法地帯

各地に住所不定の輩が跋扈し、その半分ぐらいが住所不定無職になっている終わっている状態

整理整頓されていなくても清掃はある程度出来るので、「汚いけど生ゴミ放置されているわけではないので暮らすことは可能」みたいな状態で住み続けられてしまう。

その状態解決するには、「物に住所を割り振る」という作業必要になるが、ある程度以上混沌が続くと各地で物が独立自治区を作り出してしまい、区画整理に混乱が起きる。

一度一箇所にまとめて一気に解決した方が効率的

整理整頓メリット

脳のリソース消費が軽減される。

物の場所が分かりにくいと、日常的に物を探すために思考力・想像力判断力無駄遣いされる。

脳に疲労が蓄積するので様々な行動の効率が下がるし、ストレスも溜まりやすい。

探す時間無駄

消費期限管理が難しくなったり、同じもの複数買ってしまったりで、金銭的にも無駄が起きやすい。

片付け序章 まず床を2つに分けよ

床やベッドの上に「空きスペース」と「整理が終わってないものを集積する場所」を一つずつ確保する。

もしも床が完全に埋まっている状態であっても、部屋を半分に割って片方に全部積み上げていけば自動的に「空きスペース」「集積場」に分離できる。

空きスペースに空のダンボール箱ビニール袋を大量に用意する。

「集積場」にあるもの属性ごとにダンボール箱ビニール袋に分けていく。

属性の例:「化粧品」「医薬品」「食べ物」「電池」「文房具」「書類」「衣類」「洗濯物」「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「メルカリ行き」

とにかく全てのものを何らかの属性で分けていき、どうしても既存属性に収まらないと思ったらいつまでも悩まずに新しい属性を作り出す。

属性を決めるのに迷っている物の集団」は絶対作らない。

どうしようもないと思っても一種類ずつ小さなビニールに入れてしまった方がいい。

そのうち仲間が見つかるかも知れないし、そのときに少しでも区分けされていた方が住所を決めるときや、いっそ捨てるべきと判断したときに少し楽になる。

部屋が散らばってくると同じものがいくつも見つかるので(特に日用品)、それらを一種類ずつビニール袋にぶっこめているだけでも十分状況が改善している。

片付ける中盤 床が片付いたら棚に手を付けよ

床に散らばっているものが整理し終わったら収納スペースに入っているものを集積場に全部出してしまい、これも属性ごとに分けていく。

これによって空になった収納スペースが出てくるので、その中に属性ごとに一箇所にまとめて入れていってしまう。

住所の再配置をするときは導線を意識し、前そこに何を入れていたかに囚われすぎない方がいい。

日用品等は使う場所定位置としてしまうのもあり。

例:洗剤なら絶対シンクの上に置く。新しく買ったら新品も古いものと並べてシンクの上に。

  歯磨き粉や歯ブラシは予備も一緒に洗面台の近く。

収納スペースが属性の数に対して不足していると感じたら新しく収納スペースを購入する。

電池」のような小さな属性のものジップロックにでも入れて、「電気製品」スペースに一緒に入れるとかしてもいい。

片付けトドメ ダブっているものは同じ場所に置くか処分しろ

同じもの複数持っていることが判明した場合、一度に使うのが一つだからといって「保管スペース」なんかを作るとあとで散らかっていく。

同じものは同じ場所においてしまった方がいい。

詰め替えボトルと詰替え用パックも同じ場所に置いてしまった方が合計残量が常に確認できるので買い忘れ等が減る(その結果、不安になって買いすぎて散らかるのが減る)。

複数あっても意味がないもの、いくつか持っていてもいいけど持ちすぎているもの処分する。

ゴミはさっさとゴミ袋に入れてしまい、メルカリに出すようなものは「メルカリ待ちスペース」を確保してそこに集積しておく。

片付けのその後 新入りを放置するな

新しく買ったものはさっさと適切な住所に入れてしまう。

アイスを買ったら急いで冷凍庫に入れるのと同じぐらいのスピードで新しく買った連中の住所不定無職を防ぐ。

出したらしま

ぶっちゃけここが駄目だから全部グダグダになる。

一度住所を決めてしまうことのメリットは、出したけどしまってない状態なのか、実はそこが定位置でもいいのかが曖昧になってること。

定位置が決まっていれば「定位置にいない」という状態可視化されるし、それが判明したときにすぐにしまえるようになる。

中学受験で失ったもの

24年間、私はずっと恵まれていた。

家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。

でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶からだ。

先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。

でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。

小学四年生わたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。

そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。

小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。

同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。

そして小学六年生になった。

受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。

でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。

そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。

それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつ光景死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。

そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。

そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根屋根あいから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。

ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。

受験当日。結局わたしは、受験会場にいた。

名前欄に自分名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたし名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。

この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全ものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたし100%自分自身意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。

中高時代わたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき図鑑百科事典を読むのが楽しかたこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたし勉強が好きだった。

文学部卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたし仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたし選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だからわたしはこれで良かった。中学受験が苦しかたことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全もので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分子どもができたとしたら、わたし子ども中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分意思中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。

中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生幸せから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験記憶から救われるには、いまのわたし幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくま空想しかないけれど。わたし小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かにしかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから

2023-05-20

物を捨てさせられた恨み

旦那結婚した時、家具はほぼ買い替えたが、

日用品食器調理器具レンジ掃除機文房具など)は私の物はほぼ捨ててしまい、

多くは旦那が使っていたものを共有する形となった。

自分で使っていたのは安物が多かったので「それ、いらなくない?俺のやつ使えばいいから捨てちゃいなよ」と気軽に言われて、反論して言い争いになるのも避けたかったので捨ててしまった。

でも安物であっても、自分が選んで気に入って使っていた物だった。

引っ越さなきゃいけないし家も狭いから、いつまでも置いておくわけにはいかず勢いで捨ててしまったが、もっと反論して自分の物を残しておけばよかった。

から自分のものばかり捨てるのは嫌だった」と文句を言ったら、

まさかそんなことを嫌だと思うなんて思わなかった

と言われたが、旦那自分の持ち物は捨てるの嫌がるので、単に人の気持ち想像するのが苦手なんだろうなと思っている。というか自分が捨てさせた、という自覚がないのだろう。

納得がいかなくて辛いので、最近旦那のものだった日用品はちょこちょこ捨てては買い替えている(許可はとってる)。

そしたら別に迷ったりアレコレ選んだりしてなくても、けっきょく旦那意見が多く反映されたものであっても、最終的に自分OKを出したものであれば気に入って使える事が分かった。

ほんとに気の持ちようかもしれないけど、日常生活幸せとかストレスとか、こういったことの積み重ねなんだろうな。

2023-05-15

anond:20230513175105

初めて自分と同じ意見のやつを見た。

ちなみに、俺は販促品も好き。

取引先の営業さんが配ってくれる文房具とか食器とか、すごい嬉しい。

2023-05-06

ふと薬局に立ち寄ったときとか、ふと文房具箱を開いたときODしたいとかリストカットしたいと思ってしまうしその欲求我慢するのに精神力を使うのが地味に疲れる。

2023-05-01

おばあちゃんちの色んな物は牛乳パックで出来ていた

お茶の間文房具爪切り耳かきが入っているのも牛乳パック。

洗面所歯ブラシ歯磨き粉を入れるのも牛乳パック。

台所の箸立ても、冷蔵庫の中を区切って物入れにするのも全部牛乳パック。

あのオレンジ牛乳パック。

トイレ便所ブラシ突っ込んでるのも牛乳パックだ。

あのオレンジがおばあちゃんちをアメーバみたいに侵食している感じが心底嫌で苦痛だった。

玄関引き戸ガラスちょっとヒビが入ったときも応急処置牛乳パック。

玄関から2階の隅に到る様々な視界のどこかにあのオレンジ色が飛び込んでくる。

あるものはつい最近導入されたパリッとした牛乳パック、またあるもの自分赤ん坊の頃からそこにあった萎れた牛乳パック。

今でも牛乳を飲もうとすると、あの時の便所ブラシが突っ込まれた昔のトイレの情景を思い出してダメ

白いバニラとかミルク味のアイスヨーグルトも苦手。

2023-04-24

anond:20230423111053

正論だけどこれ実践できるなら読めると思うんだわ。

話を聞けないやつって「文房具はBの棚にあるので適当に持っていってください」と伝えても「ボールペンはどこですか?」とか言い出すから

2023-04-17

anond:20230417143552

文房具売り場はだいたいでかい本屋に併設されてる。

丸善とか紀伊國屋とか。

東京に来て驚いたこ

① 買い物しにくい(イオンみたいに1箇所で纏めて買い物できる場所が少なすぎる。普通文房具とかどこで買ったらいいのか未だに謎。)

教科書しかたことない敬語使ってる(いらっしゃる、とか生で聞いたの初めてだった。最初喋り方が全体的に怖かった。)

JRが走ってる場所が都会扱いなのが不思議で仕方ない(電車賃も安くて驚いた。)

早慶が偉そうにしてる(東大京大の次は自分たちだと本気で思ってるみたいで引いた。)

社会人にもなって一人暮らししたことない人が結構いる、子離れできてないおじさん、おばさんも多い(田舎じゃ地元仕事がないから有り得ない。過保護気持ち悪く感じる。)

ねぎが白い(青い部分は…?)

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