「文化」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文化とは

2024-05-12

投げ銭文化寄付

これから寄付は、その寄付対象者共感できる「物語」が無いと成果が得られないのではないか、と投げ銭文化を見てて思う。

anond:20240512191241

そいつらがちゃん日本の文化継承してくれるなら文句はない。で、どこか移民がうまくいった国をある?

うまくいった の内に文化継承も含まれてると読むのが一般的だと思うが

子供増やそうとしない人間なんか国賊だろ

ネトウヨがなんか言ってる、と思った?残念!右系の人達は口ではウメウメ言ってるけど、実際は反発をさせて子供が増える邪魔をしてるだけ。

少子化対策かいって作った省庁はそれを言い訳にし企業利権税金流すだけだし、子育て理由に増やした税は色々制限つけて子育て世代には還元されず社会保障や最悪軍事費になる。

子育て優遇なんて嘘だよ。本気なら子供が増えてなきゃおかしい。できないなら無能無能じゃなくて悪意を持って日本人を減らしてるのが、今の政治市町村単位で見れば、本当に効果的な政策してる所ではゴリゴリ増えてんだよ子供

世界見渡したら結局人口こそパワーで、色々ワーワー言ったって子供が増えないなら負けなんだよ。こういう時、急に人類的な視点持ち出すやつとか本当馬鹿日本語話者減ったら文化的バックボーンを失って、金以外拠り所のない民族になり、世界バラバラになり、そのうち土地を欲しがって戦争するんだから

土地民族がセットで後継ぎがいて、それこそ文化の基底なんだよ。それを失わせようってそんなもん何党だろうが国賊なんだよ。やたらはてなーが有り難がる東京文化ァ?あんなもん文化盗用の集合体西洋権威様々、結局AIと何が違うん?

東京男尊女卑土地じゃないぞ

痴漢は全国で起こってるし東京固有の文化というわけじゃない

東京女性専用車両存在するのも痴漢が多いからじゃない

いかがりはやめるのだ!

 

もし大都会東京のど真ん中で性差別が起きたとしても

それは地方から来た人間がやってることだから生粋都民は悪くない

渋谷ハロウィン馬鹿騒ぎしてゴミを捨てていくのも田舎者だけだ

 

そもそも東京には堂々と女性蔑視発言をする都知事なんて存在したことはない

東京都議会でもセクハラ野次が飛ぶなんてことはない

東京オリンピックの責任者セクハラ発言をするなんてこともありえない

その責任者が今ものうのうと政治に関わってるなんてあるわけない

医科大の受験男女差別なんて起きるはずがない

天下の東京大学に女子お断りサークルなんて存在するわけがない

 

もし仮にこんな事が起きたとしてもそれは日本全体の問題から

断じて東京けが悪いわけじゃないから!

それに九州と比べたらまだ全然マシだから

 

から東京男尊女卑土地じゃないぞ

anond:20240512162918

かたたたき券の文化を知っていれば……

anond:20240512140800

ぼく:可能な限り短く簡潔に要約してください。

chatgpt:バナナ人生の様々な側面を象徴し、新しい冒険文化体験の窓口となり、人々とのコミュニケーション自己表現手段としても機能する。それはまた、EVでのドライブにおける仲間や休息、自己発見の旅にもなる。

EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。

静かで、しかスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。

そんな中で、プラスチック香り新車匂いが混ざり合い、不思議バナナの甘い香りを思い出させるんだ。

それに、EV運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。

バナナは手軽に食べられるし、エネルギー補給にもいい。

からEVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。

それに、バナナ黄色い。

EVの静かな走りと、黄色バナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。

黄色は注意を引く色だし、EVの静かな走りは注意が必要だ。

から無意識バナナを求めるのかもしれない。

それに、バナナは曲がっている。

EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。

まるで、バナナEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。

それに、バナナは持ち運びやすい。

EVでのドライブは、快適で長時間に及ぶことが多い。

そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。

それに、バナナは分けやすい。

友達EVドライブに出かけた時、バナナシェアやす食べ物だ。

からバナナEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。

それに、バナナ環境に優しい。

バナナの皮は自然に戻るし、EV排気ガスを出さない。

からバナナEVは、エコペアと言えるだろう。

それに、バナナストレスを減らす効果がある。

EVに乗るときの静けさと、バナナリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然ことなのかもしれない。

それに、バナナ記憶に残りやすい。

子供の頃、おやつバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。

EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。

それに、バナナユニークな形をしている。

EVユニークデザインと、バナナユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザイン親和性からくるのかもしれない。

それに、バナナは安い。

EV運転するとき経済的選択意識する人も多い。

バナナコストパフォーマンスが高く、EV効率的イメージに合っている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的理由からかもしれない。

それに、バナナ世界中で愛されている。

EV運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。

バナナ世界共通スナックで、EVグローバルなイメージにぴったりだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。

それに、バナナ簡単に食べられる。

EV操作簡単で、バナナの食べ方も簡単だ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプル美学からくるのかもしれない。

それに、バナナ健康にいい。

EVを選ぶ人は、健康にも気を使う傾向がある。

バナナ栄養価が高く、健康的なライフスタイルマッチする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。

それに、バナナは色々な料理に使える。

EVの多機能性と、バナナの多用途性は、互いに補完し合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。

それに、バナナ子供から大人まで楽しめる。

EVの楽しさは年齢を問わずバナナ普遍的な魅力も同じだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代共通する楽しさからかもしれない。

それに、バナナはいつでもどこでも手に入る。

EVアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。

それに、バナナエネルギーをくれる。

EVの静かなパワーと、バナナエネルギー補給は、ドライブサポートする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーシナジーからかもしれない。

それに、バナナは気分を明るくする。

EVの快適なドライブと、バナナの明るい色は、気分を高める。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブ気持ちからかもしれない。

それに、バナナ写真映えする。

EVでのドライブは、写真を撮りたくなる瞬間が多い。

バナナインスタ映えするし、EVスタイリッシュイメージと合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。

それに、バナナ気分転換にもなる。

EVでの長いドライブは、時には単調になりがちだ。

そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。

それに、バナナ話題作りにもなる。

「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。

それに、バナナは時には武器にもなる。

突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。

それに、バナナ音楽リズムにも合う。

EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。

それに、バナナアート作品にもなる。

バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。

それに、バナナは時には哲学的思考を促す。

バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。

それに、バナナは時にはゲームアイテムにもなる。

EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。

それに、バナナは時には記念品にもなる。

ドライブ目的地で買ったバナナは、旅の記念になる。

それに、バナナは時には友情象徴にもなる。

バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。

それに、バナナは時には冒険の始まりを告げる。

EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。

それに、バナナは時には平和シンボルにもなる。

バナナを食べながら、世界平和について考えることもできる。

それに、バナナは時には時間概念を変える。

バナナゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。

それに、バナナは時には自己発見の旅にもなる。

バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。

それに、バナナは時にはミステリーを解く鍵にもなる。

「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。

それに、バナナは時には未来への希望象徴する。

バナナを食べながら、EVでの未来の旅を夢見ることができる。

それに、バナナは時には過去への郷愁を誘う。

子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。

それに、バナナは時には現実逃避手段にもなる。

EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。

それに、バナナは時には創造性を刺激する。

バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。

それに、バナナは時には人生の喜びを教えてくれる。

バナナシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。

それに、バナナは時には人間関係を修復する。

バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。

それに、バナナは時には新しい出会いをもたらす。

バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。

それに、バナナは時には旅の安全を祈るお守りにもなる。

バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。

それに、バナナは時には自然との一体感を感じさせる。

バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。

それに、バナナは時には人生哲学を考えさせる。

バナナ存在を通じて、生命不思議宇宙の広がりに思いを馳せることができる。

それに、バナナは時には心の平穏をもたらす。

バナナの甘い味と、EVの静かな走りは、心を落ち着かせる。

それに、バナナは時には新しい自分発見するきっかけにもなる。

バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。

それに、バナナは時には人生旅路象徴する。

バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。

それに、バナナは時には幸せの分かち合いを表す。

バナナを人と共有することで、幸せを感じることができる。

それに、バナナは時には新しい文化体験する窓口にもなる。

バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。

それに、バナナは時には人生のサイクルを思い出させる。

バナナ成熟していく過程は、人生の成長と似ている。

それに、バナナは時には自己表現手段にもなる。

バナナの持ち方や食べ方で、自分個性表現することができる。

それに、バナナは時には新しい挑戦を始める勇気をくれる。

バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。

それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。

バナナを食べながらの会話は、なぜかスムーズに進む。

それに、バナナは時には日常からの脱却を助ける。

バナナを食べることで、日常ルーチンから抜け出すきっかけになる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談ネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナ一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブ自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園バナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生サプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナ最後一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の終わりにもなる。バナナ最後一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブ楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分

はい論破」の有害

 「はい論破」という言葉インターネット上で広く使われるようになり、議論や会話の文化に大きな影響を与えている。一見すると、このフレーズは単純で面白いものに思えるかもしれない。しかし、この言葉が持つ真のインパクトと、それが会話や議論の場にもたらす潜在的な害について考えることは重要である

 「はい論破」という言葉は、一般的に、議論や会話において、相手の主張を反論したり、論破したりしたときに使われる。このフレーズは、インターネット・ミームとして始まり、多くの場合ユーモア皮肉として用いられていた。しかし、この言葉が普及するにつれて、その使用法はより深刻で有害ものになってきている。

 「はい論破」の有害性の一つは、それが建設的な議論や会話を阻害することである。このフレーズは、相手の主張を真剣に受け止めるのではなく、単純に論破することに焦点を当てている。その結果、議論が本題から外れ、個人的攻撃感情的応酬に陥りやすくなる。建設的な議論や会話では、相手意見尊重し、理解しようとする姿勢重要であるしかし、「はい論破」という言葉は、そのような姿勢を損ない、議論不毛ものにしてしまう。

 さらに、「はい論破」という言葉は、複雑な問題単純化しすぎる傾向がある。多くの問題は、単純な白黒つけられるものではなく、複数の要因が絡み合った複雑なものであるしかし、「はい論破」という言葉は、そのような複雑さを無視し、単純な二元論に陥りがちである。この結果、問題本質的理解が妨げられ、有意義解決策を見出すことが難しくなる。

 また、「はい論破」という言葉は、相手意見尊重せず、自分意見押し付けるような態度を助長する可能性もある。このフレーズは、相手の主張を真剣検討したり、理解しようとしたりするのではなく、単に論破することに重点を置いている。この態度は、相手意見尊重し、多様な視点を受け入れるという、健全議論や会話に不可欠な要素を損なうものである

 さらに、「はい論破」という言葉は、特にオンライン上の議論や会話において、攻撃的で有害文化を促進する可能性もある。このフレーズは、相手の主張を論破することに重点を置くため、個人的攻撃侮辱嫌がらせにつながることがある。このような有害な行動は、建設的な議論や会話を阻害し、参加者不快にさせ、議論から撤退させる可能性がある。

 「はい論破」という言葉有害性は、それが議論や会話の文化に与える影響だけにとどまらない。この言葉は、特に若者などの影響を受けやすい人々の批判的思考能力議論スキルの発達にも影響を与える可能性がある。批判的思考能力とは、情報や主張を分析し、評価する能力であり、議論意思決定に不可欠なスキルであるしかし、「はい論破」という言葉は、単純な反論論破に重点を置くため、批判的思考能力の発達を妨げる可能性がある。

 要約すると、「はい論破」という言葉は、建設的な議論や会話を阻害し、複雑な問題単純化し、相手意見尊重しない態度を助長する可能性がある。さらに、この言葉オンライン上の有害文化を促進し、批判的思考能力の発達を妨げる可能性もある。したがって、私たちは「はい論破」という言葉使用法に注意を払い、それが持つ潜在的な害を認識する必要がある。建設的な議論や会話を促進し、複雑な問題真剣検討し、相手意見尊重する文化を育むことが重要である

anond:20240512062446

バカにしてねえよww

明け方に元気すぎる文体だ。そうやって治安の悪いインターネット文化を守っていってくれ

anond:20240512012750

音ゲーマーですがノーサンキューです

音ゲー音ゲー新規層獲得しないと確実に滅びる文化ではあるけど格ゲーマーだけはお断り

anond:20240511220343

「出ていけ」ってのと「報じたら終わり」を同じレベルだと持っているの?

文化の違い?党派性

2024-05-11

漫画レコード大好き小学生カケル

ジャイアン萌え漫画

ジャイアンセリフだけ木村昴脳内再生されるんよ

Twitterで流れてきて

ジャイアンが未知の文化出会って惹かれていく様子と

レコードにしみじみ良さを感じる主人公くんの描写

滅茶苦茶いいな…と思って買った

・下手なBLより滅茶苦茶萌え

まさかレコード漫画ジャイアン受けの良さを

こんなにわからせられるとは思わなんだ

俺を部に…⁈ウヒョー!からあなたになりたいの

一連の流れが描写完璧すぎるやろ

ジャイアン受け萌え

ブラックギャグ描写父親の妻(第三者)に対する舐めすぎレベル

優先順位描写ヒロインのすぐ私にはレコードを聞く資格が無いんだわ!!ってなる

極端な振り幅、マジで自分にあるところなので

すごい反面教師道徳教科書になった

こういうギャグ、好きです

ジャズ興味あるけど全然わからん人なので

ジャズ担当女児いるの助かる

いいルッキズムばかり批判されて悪いルッキズム批判されなさすぎじゃない?

いいルッキズム美人にたいして顔だけの評価で全体の評価まで良くしてしまうこと

悪いルッキズム不細工面白がって囃し立てること

美人美人として扱うのは別によくない?

寧ろブサイクを笑う文化おかし

自虐Youtuber炎上商法みたいな差別煽りの方が問題

美人美人といって問題になるのはセクハラというあくま言葉通りに捉えない間接的なものであってブサイクの方はどっちかが嫌な思い必ずするあたりよくないと思うんだが

ブサイク面白がってるのはキッズだろうけど差別心をくすぐったり助長するYouTuber配信者こそ規制すべきだよ

エンタメという土俵に上がってはいけない

anond:20240511210612

ああ、大昔の昭和文化を今でも通用すると思ってひきずってるのね。

老害ってことか

anond:20240511172932

だって発情期になれば興奮して腰擦り付けてくるだろ。あれは犬たちの間に伝わる文化なのか?

anond:20240511180659

帰りたい人は帰ればいい、ってもともとそういう文化でしょ。気づかなかったの?

やめよう、帰省

GW前、実家には帰らないの?とよく言われたしお盆が近付いたらまた言われるんだろう。その時期は混んでるし飛行機代が高いからと言ったけど、そうじゃなくても帰らなかったし帰る気はない。別に実家全然嫌いじゃないけど帰省メリットがわからない。

今住んでいるところから実家結構遠くてバスちょっと無理、飛行機だと片道3、4万かかる。帰省お土産ってなんで住んでる場所お土産地元に、地元お土産職場かに、って両方買わなきゃいけないんだろう。両方合わせたら地元がどことか関係なく誰でも結構お土産代かけてるよな。

そのお金があったら結構色々楽しめるのにってのは私が思うだけかもしれないけど、とりあえず移動とお土産だるいから帰省という文化がなくなってほしい。帰りたい人は帰ればいい

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん