はてなキーワード: 敵愾心とは
ここ何日か表題のことをしばらく考えていて、自分なりに納得できた気がしたので残しておきます。
……というのは建前で、本音は何も知ろうとしていなかったのに食わず嫌いをしていた自分の愚かさへの悔恨と懺悔でもあります。あらかじめご了承ください。
学生時代からカーストの最下層に位置して、テレビゲームに視線をずらして現実から逃げて、流行りのテレビ番組を忌避していた系統の人間です。
学生時代に抱いていた『ジャニーズ』に対する印象はと言うと……あろうことか敵愾心でした。
何も知らない、ましてやファンですらない部外者の人間が思い込みだけで抱く印象が敵愾心と聞くと、いかに幼稚か分かる人には分かると思います。
学生時代の『私』が恐ろしく幼稚で狭量だったのは全く否定の余地がありません。
強いて言い訳をするなら、当時の『私』はカースト上位の男女問わずそれなりに過度ないじりをされていた、ということです。
坊主憎けりゃ……のあれです。
キャラソンを聞いて妄想して1人でニコニコしていた過去の『私』と、ジャニーズのかっこいいアイドルを見てときめいていた人達に優劣などありはしないのに。
こんな簡単なことも気づかず、気づくチャンスもなくアイドルとは無縁の世界で生きた『私』は順調に年齢だけを重ねていきました。
『私』は突如としてアイドル、しかもよりにもよってかつて嫌悪に近い感情を抱いていたジャニーズの沼に全身突っ込むことになります。
友人がいつもカラオケで歌ってるから歌詞はどんなものか見てみよう——
どうあれ『私』は生まれて初めて彼ら、ジャニーズに興味を持ち、自発的に近づいたのです。
こちらから距離を縮めようと努力し始めたら、あとは簡単に転がり落ちていくだけです。
熾烈な競争の中で、彼らは1人でも多くの人の目に留まろうと努力していると知りました。そしてより強く光り輝こうと、勝ち抜いてやるという強い生命力のようなものを感じられたのです。
歌に目を向けても、聞いてる人間が容易に感情移入出来るように計算され尽くしたキャッチーかつ明瞭なものばかり。
ありがちで陳腐だと感じるときもあるかもしれないけれど、『私』は三十路の、社会の荒波で心がすり減ったちっぽけなオタク。
ありがちでも、それを嗤う反骨心はどこにも無く、むしろその陳腐さに有難みすら感じてしまいました。
だって社会は、同僚は、誰もすり減った『私』をよく頑張ったとは労わってくれないのだから。
家族は、友人は、画面の向こうのあなたも、『私』の息苦しさの全容は分かりっこないのだから。
理想の『私』と、現実で苦しむ『私』を比較して萎えて、それでも頑張ることが出来ずに不完全燃焼だった『私』にとって、高みを目指す彼はとてもかっこいいと思いました。
ジャニーズの歌は、頑張る姿は、こんなちっぽけで狭量な『私』すらも、許してくれているような……そんな気すらしました。
https://anond.hatelabo.jp/20220924084155
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ずっと誰かに相談したいと抱え込んでいた悩みですが、まさか同じような状況の夫婦の奥さん側が自分の思った以上にこの世に存在しているとは思わなかったので相談関係は諦めていました。自分も吐き出させてもらおうと思います。それでもしよければ相談に乗って欲しいです。
自分のところの状況は表題の通りで新婚です。若干ぼかしながらも少し詳しく書いていきたいと思います。
●自分と夫は婚活で知り合ったが、彼はなんと初対面のその瞬間から共働き生活費折半の結婚を前提に前向きに交際してくださいと交渉してきた。
●彼の性自認は一人称オレのバリバリ男でアニメオタク(私自身もオタ)、コミュ障、友人いなさそうで話にも出ない。お母さんが買ってきてくれた服をそのまま着るライフスタイル。婚活デート時もお世辞にもセンスある服装ではないし、女性文化全般というか他人と共有する店や遊びに興味がなさそう。
●そんな彼なので入籍ギリギリまで、彼の本心などをずっと友人らに相談しながら慎重に推し量っていた。婚活だからある程度割り切りだけど興味を持たれている実感がほぼ無かった。相手も婚活疲れしていたから趣味が同じで持ち家に越せるなら誰でも良かったんだろうなと半ば諦めてたが、せめて最低限の好意が無いと夫婦生活に支障をきたすと思った。
●「熱のある風邪で寝込んでてコロナではないかとPCR検査を受けてきたけど陰性でした。本当に不安だったので心からホッとしました」とLINEした時、「今日の仕事は◯◯でした。昼ごはんは魚でした」二言目「あ、体調は大丈夫ですか?」と返信された時は悪気が無いのはわかるが心が折れかけた。知人以上として第一声はこちらの身を案じる言葉であってほしかった。ついで感が心を削る。要するに平均的な女子らしい共感性は皆無。
●悩んだけどこちらが言うことは改善したり受け入れてくれるので結局結婚。結婚式は無し。指輪もある程度の金額の指輪を買う約束は取り付けてるがお互いのスケジュールの都合で先延ばしになってる。旅行もコロナ禍だからと無し。譲れない条件は他にあるからその事自体にはさして不満はない。その代わり新築同然の家で自分の個室を用意してもらった。
<<ここから本編>>
●入籍後、新居に引っ越して間もなく、彼のプライベートな靴に女性もののパンプスなどが混じり、それが通販で徐々に増えていく。彼は家の中では部屋着のTシャツとトランクス姿になるけど、黒いレースのニーソックス(タイツ?)が目立つようになる。
●婚活デート時は普通の革靴だったのでそういう趣味もあったのかと少し驚いたが干渉せずにいたら、引越ふた月目くらいに「ブラをつけてもいいかな?」「自分のブラも一緒の洗濯機で洗いたい」といった旨のことを言われた。
●理解が正直追いつかなかったけどOKしたら、その直後から私が持っている数をゆうに超えるJKかJDがつけそうなフリフリの可愛い目ブラジャーと、どさくさ紛れにセットでJKかJDがつけそうなデザインのパンティが大量に洗濯場に置かれるようになった。むろん着用者は彼である。
●引越三ヶ月目には、今度は何の相談もなくレースのキャミソール風の上着を身に纏うようになり、ついに家の中でも普通にスカート姿になった。
●一緒に買い物や映画などに出かける時は、婚活時のような男性の格好だけど靴はヒールなしの黒パンプス。
●私は土曜も仕事があるので、彼は毎週毎回土曜日に一人で外出するけれど(県外とか遠出してるとのことで半日以上余裕でかかる)、どうやら女性モノの上下姿で行ったらしいこと。スカートではなくヒラヒラした半スカートみたいなズボンで。
●ついに夜の営みの時までキャミソール・ブラ・パンティ姿でしてきて(パンティだけ脱いでキャミとブラはつけたまま)、それを見て初めて「無理」「つらい」「私は一体なんなの」と思って悲しくもなってその時は一言も発せなかった。なお夫はそれ以降つけてこないけれど、察したのかただの気まぐれなのか不明。
基本的に人様に迷惑をかけないなら趣味嗜好は本人の好きでいいじゃないかというスタンスですが、女性モノ下着姿でセックスだけは実際されて苦痛で迷惑だったこと。
黙っているのをいいことにじわじわ身につける女性モノをランクアップさせているので、そのうち一緒の外出時も女装しだしやしないかと思ってハラハラしていること(さすがに止める)
諸々を結婚前に何も相談してくれず、だまし討ちのようになし崩しで進められていて、私が親にも友人にも相談できない困惑を抱え込んで我慢していることも露知らず本人は「しめしめうまくいった」と思ってそうなのが、悲しく悔しいこと。信頼がなく軽視されていること。
子供はお互い欲しいと言っているけれど、子供ができた後のことを考えると教育上やはり女装はやめてもらいたいこと。(※補足追記:変な感覚かも知れないけど、これが同性婚などであれば子供を迎えても問題ないと思う。夫には悪いけど、私の目から見て彼のそれは半生かけて培われた本質ではなく例えば婚活開始の数年前あたりからにわかに湧いた逃避や倒錯の趣味で、中途半端なM奴隷プレイや赤ちゃんプレイの延長=その人の本質が真逆だからこそハマるプレイという印象。教育上で危惧しているのは、要は我々は子供を育て守るうえでは大人然としなきゃならないのに彼が家庭内をイメクラにして巨大な赤ちゃんごっこに興じるのは子供に悪影響だと思う)
そして女装セクシャリティのあり方次第では、現在進行系の不倫や将来的な不倫の可能性も十二分にあり得ること(約束すれば付き合ってくれるけど現在進行系で彼は休日の1人外出が多い)。偽装結婚の可能性も低くないこと。有名なあの方のように理想的なおしどり夫婦に見えたけど子供が産まれてある程度経ったら彼のセクシャリティ都合で突然離婚を切り出される事になるかも知れないこと。
私の中では黙認したままではいられない段階に来たと思われるそれらを、夫に直接的な言葉で切り出すべきかどうか。
夫が一体どんな立ち位置で何を望んでいるのか?どうされたいのか?
言葉選びを誤れば夫を不要に傷つけてしまいそうなので、適切に意図が伝わる言葉にしたいけれどそれは何か。その他よい対処法はあるのか。
上述のとおり夫はコミュニケーション面と興味関心のなさがあるので私自身も彼の愛情には懐疑的ではあります。オタク趣味を否定せず他の女より金がかからないから選んだというのもあるのでしょう。
しかし、お互い穏やかで家事の分担も料理以外快く応じてくれて他のことも協力できて自分の個室がある(結婚生活において互いのプライベートルームの所持かなり重要だと思う)この結婚生活は、快適で満足しています。快適な環境を作ってくれた夫への感謝もあります。
私も容姿や年齢で言えばそこまで良い物件ではなく婚活で散々シビアな目をくらっていましたから、彼の次に相手を探すと思うだけでも身の毛がよだつ恐怖に襲われます。
あと実は過去にもトランス女性を称する46歳女装婚活男性と仮交際をしていたのですが、付き合ううちにトランス女性という立ち位置そのものに強い疑問を抱くようになり、最終的にお断りしました。
最初は気の合う女友達の延長で家事を協力しあえるならいいかと思っていたけれど(※補足追記:仮交際中の彼が高齢だったためその時現実的に子供は考えていなかった+その時は婚活地獄の最盛期で一般的な幸せは諦めてもいいから結婚がしたかったのだと思う)、話してみると世のリアル女性達に共感ではなく逆に敵愾心を抱いてたり、SAのトイレで事前に何の相談も断り無く背後霊のようにピッタリくっついて女子トイレに入るのが怖かったり、彼とのLINEは彼が作った夕食の写真自慢“だけ”で常に私が合いの手を入れて褒めてあげるという女人生で嫌というほど覚えのあるオッサン接待状態だったり(そのくせ私が夕食を作って写真投稿しても無反応無返信で自分の接待しか受け入れない)、私より干支一回り以上歳上で収入もあるのに見え見えすぎて嫌味な「割り勘待ち」作戦で私が伝票を取るまで決して席を立とうとしなかったり、トランスについてよく知らないからと気遣いのつもりで言ったら「最初のうちは不勉強なのは仕方ないから徐々に自分らを勉強してね」とよく見知ったオッサン然としたマンスプ飛ばしてきたり、「女性として扱われたいけど子供が欲しければ男としてセックスしますよ」という立ち位置だったり……
トータルすると「社会のあらゆる場面で女性にありのままの姿を接待してもらえるのが当然の男性特権」に人一倍どっぷりで執着するからこそ、一見世間から配慮されて得してる風に見えるセクマイや女性の「男性が妄想する特権」にも嫉妬心を抱いて両者美味しいとこ取りを狙いました……みたいな実に男らしい人物像でした。
現時点では夫はそんなタイプの人ではないけれど、話し合った結果、「トランス女性になりたい(そうに違いない)」と彼の口から聞かされたら、少し身構えてしまいそうです。
(補足追記)文中にも書いたけど、私個人のこれまでの彼の女装趣味について間近でみて考えた結論としては『夫には悪いけど、半生かけて培われた本質ではなく例えば婚活開始の数年前あたりからにわかに湧いた逃避や倒錯の趣味で、中途半端なM奴隷プレイや赤ちゃんプレイの延長=その人の本質が真逆だからこそハマるプレイという印象』です。
バリバリの男性自認で男である自分に満足してるからこそ、敢えてイメクラで屈辱的な女装をする。そこから生まれる背徳感や開放感で興奮する。バリバリの権力者でSとして振る舞う自分に誇りがあるからこそ、秘密の場所でM奴隷に身を落としてみたくなる衝動がわく。みたいな?
でも家庭はイメクラじゃないし、ある程度までは付き合えるけど限界ラインもあるよねって話しで。社長の家族で、夫がずっとM奴隷になっちゃったら家族は困るよねって話。地方都市なのであるかわからないけど、女装クラブ店内だけでやるなら全然いいんですよ。
あとBがAより下とされてるからこそBに身を落とすAの倒錯的興奮を煽るプレイだと思うので、「妻が家庭内で男装したら……」とベタに男女反転しても意味合いが全然違っちゃうと思います。
私は「ポリコレ嫌い」が苦手だ。
私と似た観測範囲を持つ人はこの一文で過不足なく伝わるであろうが、もう少しだけこの背景を共有したい。
ポリティカル・コレクトネスという考え方は、社会を構成するあらゆる属性の人々が、その属性によって不愉快に感じたり不利益を被らないようにしようという理念である。
なるべく多様な人を包摂するような視野で表現しようということだ。
どういうわけかこの「ポリコレ」はいわゆる「オタク」と呼ばれる人たちにおよそ蛇蝎のごとく嫌われている。
何のオタクか?と問われると明瞭な回答を与えることができないのが歯がゆいが、おそらくアニメ・ゲーム・映画等に関心を持っていて、積極的にソーシャルメディアで語り合う人たちと言ってもいいかもしれない。
そして、私はこの「オタク」による「ポリコレ」の嫌いかたが苦手なのだ。
その嫌いようといったらまるで「ポリコレは倒すべき外敵、屈してはいけない」というような具合なのである。
マイノリティの属性を持つキャラクターが登場すると「出たよポリコレ」。
ポリティカル・コレクトネスが無謬の理念であるとは言わないし、理念の実装にあたってプラクティカルな問題が起こり得ないとも言わない。
極端な話ではあるが、例えば「日本の田舎の中学校」を描く作品にアフリカ系日本人と中国系日本人とヨーロッパ系日本人とアイヌ民族と琉球民族と大和民族の全てを出演させなければポリティカルにインコレクトであるとするような言説は、私の感覚では受け入れがたい(し、皆さんもそう感じるのではないかと思う)。
けれども、私の目に映る「ポリコレ嫌い」の批判はそういうことではないようなのだ。
私には「マイノリティが描写されること自体からポリコレを連想して、それに敵愾心を燃やしている」ように見えてならない。
先ほど挙げた「マイノリティを描かなければならない」という理念とは対象的に、「マイノリティを描いてはならない」という理念にすら映る。
おそらく私は、「ポリコレ」という「倒すべき外敵」に抱かれる敵愾心と、それに対する無自覚が苦手なのだと思う。
無邪気に使われる「ポリコレに屈した」という表現にも「負けてはいけない外敵に負け折れてしまった」という含意があり、屈折した被害者意識を感じてしまう。
ポリティカル・コレクトネスと向き合うことを避け、漠然とした怒りの感情を「ポリコレ」に仮託していると感じてしまう。
とにかく、鬱屈としているのだ。
改めて明言したいが、ポリティカル・コレクトネスというのは上でも述べた通り無謬の理念ではないと思う。
しかし、誰もがその属性によって必要以上に傷付けられない表現を目指すという素朴な理念自体は間違ったものではないだろう。
実装にあたって様々な問題が起こってしまう理念自体を陶冶していくためにも、我々はポリティカル・コレクトネスから顔を背けず向き合うべきなのではないだろうか。
マッカーサーは、中学生ぐらいの年齢で入学した西テキサス士官学校のころから、性的なことしか頭にありませんでした。近くにある聖メアリー女学校まで遠征すると(笑)誰彼なく声をかけまくってます。一応マッカーサーの通っている士官学校も女学校もミッション系の学校でしたが、エロマッカーサーの頭にはそんなことは関係ありませんでした(笑)
その後も、マッカーサーは49歳の時に16歳の少女に手を出してるほどの、重度のロリコンで、人生で常に性欲に忠実(笑)に生きてきた男ですから(笑)
英雄(笑)は昔から色を好むと言いますし、女と金と名誉に尋常ならざる拘りを見せたマッカーサーの行動原理は正に英雄のそれでしょう(笑)
マッカーサーは初婚が四十路と典型的なモテない男でしたが、ウェスト・ポイント士官学校在学中には、モテないダサい高校生がやりがちな『俺は何人の女とヤッた』自慢をやっている(笑)
ちなみにマッカーサーが入学するまでのウェスト・ポイントの記録(笑)は7人の女性と関係したのが最高だったそうですが、マッカーサーが8名と関係して記録を塗り替えた(笑)と吹聴していたそうです。
マッカーサーは近くのホテルに常駐していた母親ピンキーに監視されており(笑)そんなマネはとても無理だったので、これまたマッカーサーの武勇伝(笑)でしょう。下らないですね。
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.81
それでモテない暗黒の学生生活を送った反動で、マッカーサーは士官学校を卒業すると女狂いとなりました(笑)
と言ってもモテないのは相変わらずだったので、マッカーサーがやったことは現在でいうストーカーでした(笑)
1907年にマッカーサーはミルウォーキーのファニーベル・ヴァン・ダイク・スチュアート嬢という金持ちの娘に惚れて、仕事すら手に付かない状態まで入れ込んでしまいます(笑)
しかしスチュアート嬢はキモくて野蛮なマッカーサーには全く興味がなく、まったく相手にされなかっため、どん詰まったマッカーサーはラブレターを出しまくります。
スチュアート嬢が身の危険を感じたのか、ミルウォーキーから故郷のニューヨークに帰った後も追撃(笑)しているぐらいなので、かなりの執拗さです(笑)
そのラブレターの中の一つを紹介すると
私が愛するのはあなた
何にもまして
なぜにあなたは私を愛してはくれないのか
という、「自分がこんなに好きなのになぜ相手は自分の事を好きにならないのか?おかしいじゃないか(憤怒)」みたいな典型的なストーカー思想の手紙であり、こんな手紙を何十通も送られてきたスチュワートさんはさぞかし恐ろしかったことでしょう、そりゃ逃げたくもなるよ(笑)
これでも十分やばいんですが、マッカーサーはトドメとばかりに(笑)27頁にも及ぶマッカーサーとスチュワートが主役の韻文劇を創作(笑)し、その脚本をスチュワート嬢に送りつけるという暴挙に出ます(爆笑)
その内容は
軍人であるマッカーサーがスチュワート嬢と結婚し、散々二人でセックスした後に馬に乗って二人で戦場に赴く。
そこで、マッカーサーが重傷を負い、スチュワートの献身的な看護で一旦は回復するが、その後さらなる激戦でマッカーサーは戦死し、スチュワートは自分の夫マッカーサーを誇りにして余生を過ごす。
という中二病どころではない、もし普通の人なら、こんな妄想を考えている事がバレた時点で確実に自殺するような凄まじい(笑)内容でありましたが、マッカーサーは躊躇することなくこれをスチュワート嬢に送ってます(困惑)
こんな不幸の手紙以下の汚物をもらったスチュワート嬢の気持ちは想像すらできませんが、マッカーサーの期待も空しく、スチュワート嬢は最後までマッカーサーになびくことはありませんでした(当たり前ですが)
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.109
若い頃モテない暗黒人生を送ったマッカーサーは四十代になって、元上官の愛人でバツイチ子持ちという見えている地雷、ルイーズ・クロムウェル・ブルックスとようやく結婚しますが、彼女は離婚歴もあり、また参謀総長のパーシングやその副官キュークマイヤーなど片手では収まらない男性と交際するなど、非常に性経験が豊富な女性でした。
そこで、女性経験に乏しい(というか殆どない)マッカーサーが旦那になったものですから、彼女の不満は相当なもので
とか
「ダグラスはペ○スをオシッコをするためのものとしか考えてないのよ」
とか
パーティで出席者に向けて、自分の指を曲げて見せて、マッカーサーの○ニスが萎れた形にしてマッカーサーの性的能力の乏しさを表現した
結局、マッカーサーは生来のセコさとマザコンと男性機能の乏しさを理由に離婚されます。
その後、傷心のマッカーサーは新任地のフィリピンで、マニラ・オリンピックスタジアムでボクシングの試合を観戦中に16歳のイザベル・ロザリオ・クーパーという混血のモデルに一目惚れし(笑)副官のトマス・ジェファソン・ディヴィスに命じて、イザベルを愛人とする交渉をさせてます。部下に愛人交渉をさせる上官(それも少将)とか嫌すぎますよね、さらにその時のマッカーサーの年齢が49歳ですから・・・ガチで性犯罪でしょ(呆れ)
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.285
この副官のディヴィスという副官は気の利いた(笑)男で、結局マッカーサーは帰国後にこのイザベルにもフラれるんですが、そのあと傷心のマッカーサーを慰めるためにワシントンの郊外にコールガールを呼ぶための専用のアパートを借りています。マッカーサーはそこに頻繁に来ており、好きなプレイは、コールガールをルイーズやイザベルに見立てて激しく罵倒するプレイだったと後日スッパ抜かれてます(笑)
また、マッカーサーとデイヴィスは仲良く(笑)一人のコールガールと3Pすることもあったそうで(笑)部下と3Pする上官(それもこの時は大将)とか嫌すぎますよね(呆れ)
※参考:ジョセフC・グールデン著『Korea:The Untold Story of the War』
話はかなりそれましたが、日本では、毎日がGHQ司令部のあった第一生命館と嫁・とクソガキが待っているアメリカ大使公邸の往復であったので、日本女性を食いまくっているヒマはなかったようです。
しかし、日本に進駐当初に、日本女性にセクハラを試みたことは明らかになっています。
1945年8月30日、厚木飛行場に到着したマッカーサーは横浜へ直行。ホテル・ニューグランドを日本で最初の宿泊の場としました。
当時、ニュー・グランドには唯一辞めずに残っていた26歳の(山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史」では24歳)女性社員霧生正子氏がいました。
マッカーサーと護衛の空挺隊員は、ニュー・グランドに到着すると、男性社員を集め後ろ手を組ませて身体検査をしましたが、霧生正子氏にもそれを要求し、身体検査をすると通告しました。
護衛の空挺隊員には女性兵士はいなかったので、男性兵士が身体検査にされるのを嫌がった霧生正子氏は、「こんの野郎」と憤慨し、その命令に従わず、ホテルウーマンらしく前で手を組みました。
霧生氏の強い意思に押された、マッカーサーはそれを許可し、霧生氏には空挺隊の中尉がおっかなびっくり身体検査をしています。
霧生氏が気丈な女性でなければ、マッカーサー自らが身体検査と称しセクハラをするつもりだったのかも知れません。
また、霧生氏は自宅を空襲で失っていた為、マッカーサーらのことをイヤでこの野郎と思っており「家をかえせ」と言った事もあるほど、強い敵愾心を抱いたまま硬い表情で米軍兵士と接していました。
米軍兵士らは困ったのか「笑え」と霧生氏に命令し、それでも霧生氏は媚びないので「おれ等は悪くない、東条英機に文句言え」と責任転嫁したあげく、霧生氏に毎日コーヒーやらチョコやらを献上しにきたそうです。霧生氏は美人だったので、マッカーサーらには下心があったんでしょう(笑)
まぁ、マッカーサーも周りに連合国の高官らの目があるなかであまり無理もできなかったようで霧生氏がマッカーサーの毒牙にかかることはありませんでした。
よかったですね。
※出典 USArmyInJapan A Japanese lady who worked for GEN MacArthur
https://www.youtube.com/watch?v=0RqsjRRkUpQ
https://www.youtube.com/watch?v=Cvh6uW0Yxek
鼻の下を伸ばしただらしないいやらしい顔で、女性従軍記者マーガレット・ヒギンズ女史に不必要なほど接近し、その右手でヒギンズ女史の腰を弄るマッカーサー
現在で例えれば、自衛隊の司令官が女子アナにこんなことしてればどうなるか火を見るより明らかなように、典型的なセクハラですね(笑)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184777592
[B! ホロライブ] ホロアース コンセプトムービー 第1弾
babamin グラ良い感じ。正式版もこれで行くのかね。/他社が上場や資本提携に大きく動く中、YAGOO社長は自分の夢を突き進んでんなw
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[B! Steam] ロリソウルライク『リトルウィッチノベタ』PS4/Nintendo Switch/Steam向けに9月29日正式リリースへ。可愛くも硬派な、小さな魔女の戦い - AUTOMATON
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[B! 配信・Vtuber] 白上フブキの献身 ーーいまも続く海外への小さな発信 (月ノ美兎さんとにじさんじへの考察を添えて)|ReiRain|note
世界で一丸となって侵略行為にNOを突きつけなきゃいけないときに、国同士の敵愾心を煽るようなことしてどうすんの。
そういう戦勝国と悪の枢軸を分けるような意識でやってるから今の国連がああでロシアとか中国かこうなってるわけだろ。
ちなみにおれは911の話だって今するべきではないと思ってるよ。
例えば日本としてガンバっていこう!っていう現代で西南戦争がー何々藩がーとか言ってたらアホやろ。
パールハーバーもそりゃ大人ですし今それどころじゃないから表向きはすいやせんでしたへへへってなるけど、いち国民が不快に思うのは当然だろ。
お前今になってそういうこというならアレもコレもどうなんだみたいな話になって夫婦喧嘩ってそうなること多いよね。余談だけど。
アメリカに向けて言った言葉なんだから、っとかいうクソアホは、内輪で盛り上がってるTwitterやらの差別発言にいちいち吹き上がるなよな。
今はそういう時代じゃねえんだよ。公に言った言葉は全ての国の全ての人に届きうる。
だいたい例えとしても稚拙だろ。犬に嚙みつかれたアメリカと、巨人に踏みつぶされそうなウクライナでは状況が全然違う。
ゼレンスキーもちょっと英雄的な行動に酔ってきてるんじゃないか。
「バリバリ仕事したいのに、育児のためにキャリアを犠牲にしないといけなくて、メチャクチャ悔しいし、子供のことを邪魔だと感じてしまって自己嫌悪」
みてえな意見を見た
おれは絶対に抱くことのない意見なんだが、べつに悪いとは思わない
敵愾心はない
ないんだけど、とにかく、こう、すべてがおれと違いすぎて、なんというか、衝撃的だ
就職浪人してプラプラしていた1年間、己と向き合って、おれはいったい何がしたいのだろうか?と考え続けた
結果:「何もしたくない」
おれは何もしたくないんだよ
賃労働に縛られたくない、自由に創作がしたい!みたいなヤツでもなく、ただホントになにもしたくない
誰にも認められなくていいから、ただもう寝てたい
それだけなんだ
いまは滑り込んだクソみたいな会社で働いてるけど、実際トイレ休憩に立って廊下を歩いてるとき、マスクの下でずーっと「帰りてえなあ…」って言い続けてる
おれはいま、諸々あわせて手取り20万前後くらいあって、なんつうかもう金はこんなもんでいいなと思っている
使う元気もねえしなあ
賃貸とかそのうち借りられんくなるのかもしれんけど、そんな感じでいよいよ苦しくなったら、最悪死ぬって手もあるなと思う
おれは人生かなりキツかったと主観的に感じているが、客観的にみて全然苦しい思いはしてない
五体満足で、でかい持病はない
メチャクチャ賢くはないが、そんなに努力せずにそこそこの大学に入れる程度の能力はある
これで不幸とか言ってたらブッ殺されかねない
でもやっぱ幸不幸って自分で決めるもんだし、おれが不幸な人生を送ってきたと思ってんだから、実際不幸なんだ
東大出て教授になってかなりイイ感じに育てたっておれみたいな感じのカス人生が生じることがある、っていうのは、おれの原体験なわけですよ
カス人生のカス人間が子作りしたら、おれ以上のカス人生が生じる可能性が結構高いっていうのは、まあ明らかであろう
嫌なんだ
こんな思いをもう誰にもさせたくない
マジでハンパなさすぎる
子供を作ることに踏み切れるくらいに幸せな人生を送ってきて、仕事に充実感を覚えていて、向上心があるわけでしょ
すべてがおれの"上"じゃん
そんなん勝てねえよお
でも実際、そういう人がそこそこいて、がんばって産み支えてくれるおかげで、おれは将来国にフリーライドできるのかもしれないと思うと、感謝こそすれ嫉妬の気持ちは出てこねえな
ああーー仕事やめようかなあ
やってらんねえよな
仕事やめてさ、ジョーカーみたいな暴力的なやり方じゃなく、なんとかして生活保護をつかみとるなりなんなりしてさ、ただ社会に寄生して生きたいんだよおれは
いや 嘘です
ホンネを言うと、そもそも生きたくないんだ
何もしたくないんだからそりゃそうだよ
マジで、生まれつき両足なくて、かつスポーツに全然興味ないのに、強制的に陸上競技をやらされてるような感じなんですよ
やめさせてくれ!
見りゃわかるだろ!向き不向き!向き不向き!
おれはコレ向いてないし、やりたくもないんで、早く辞めさせてくださいよ!
おれが「やったー!」と思いながら死ぬことのなにが悲劇なんだよ?!
300万くらいだったら頑張って出すから、他人に迷惑かけずに、ラクに死ねる方法を用意してほしいんですわ
あるいは直前でビビって結局惰性で生きるかもしれないけど、300万貯めたら死ねるってなったらおれはかつてないほど頑張ると思うよ
そういう感じでいきましょうよ
おれを無理矢理生かすのは非倫理的だ
非人道的だ
ひどすぎる、むごすぎる!
たすけてくれ〜!やめさせてくれ〜!!
そもそも、若い彼らは目上の人間や年上の人間から、やれ「焼き鳥の串を外せ」だの、やれ「お酌をしろ」なんて"モロ"な抑圧なんて社会風潮的にまずされてない。
されている人が実際いるとしても、今どきそんな被害体験受けること自体が超レアケース。
「本気出したらお前ら年上社会人なんてねじ伏せられるけど、育ちも頭も良いから大人しくしてます」
とでもいいたげに"敵に回したらヤバい人"感出してくるけど、なんかもうその精神性が不健康。
周囲の人に毒を撒き散らかすメンヘラが出てる。
一般的に職場の人間って若い人にかなり気遣ってるし、親切にするし、楽しく働いて欲しいと思ってるし、悪感情なんてそうそう抱いてないもので。
一方で、そんなふうに気遣われてる当の本人は、仕事忙しかったり、そもそも朝起きて出勤して9時間拘束されてみたいなルーティン自体が嫌すぎて、勝手にイライラ生きて、
「抑圧される我ら無辜の新人社会人」みたいな被害妄想こじらせたりするけど。
あと、
弱者感出すけど同世代感で積極的にカースト作ろう作ろうとするよねこういう人たち。
あと、
人生のレールに乗れないんじゃなくて、そもそもレールに興味示さずにさっぱりスッキリとマイノリティ的身の振り方をする同世代(たとえば就活をはなっからせずにAV男優になるとか)に害意を向けたり、小馬鹿にしたり、噛み付いたりするのもこういう人たちだよね。
強いしなかなか悪党だよ。
勝手にイライラして、ありもしない被害妄想膨らまして、恋人・家族・友人以外の人間に対しては特に何かされたわけじゃなくてもぼんやりと敵愾心と軽蔑心抱いて、波風ないところに波風立てるようなウソ臭い歌を聞いて勝手にスカッとジャパンする。
慣れたら多分わかるんでない?
どこの方言でも話せなくても
だいたい聞き取れるようになったらいいなー。
方言は話せない。羨ましい。
関西人に思うことはある。
「ツッコんでよ!」
「オチは?」
「そこ笑うとこ」
日常会話を全部笑い話にされても困る。
ついていけない。
多少は合わせようかと思って
笑ったりツッコんでみたりすると
「真面目に話してるのに何やその態度!」
全員ではないが、
何であんなにひねくれてんのかね?
「東京弁でスカしてる」
昔、大学で日本蔑視と女性蔑視が一緒になっちゃったような韓国人学生がいて
(なぜ日本に来たのか?)
「酷い事言ってるから、あの人に近寄っちゃだめだよ」って
真の意味で会話できそうになくて怖い。
需要があるかはわからんが、8〜10月のれいわ新選組支持者(れ新支持者)の動きをまとめておく。
8月の横浜市長選挙のとき、れ新支持者や一部の構成員(安冨・安井)は田中康男氏を応援していた。あの頃は都議選でれ新が惨敗して、れ新支持者は田中を迎え入れたいんじゃないのかと一部の立憲クラスタは噂していた(※このあともそうですが、このクラスタのいうことは当てにならなかった)。
9月に自民党が総裁選やることになり、れ新支持者はなぜか枝野代表を替えろ(または代表選をしろ)と言い出す。だが、市民連合が共通政策を結ぼうとしたときにいきなり山本太郎が滑り込んできた。これで一気にれ新支持者は「緊縮DV野郎」とまで言っていた立憲叩きを辞め、枝野代表を総理大臣に!と騒ぎ出した。これを受け入れた立憲クラスタの命運はここで決まった。
10月に入り、山本太郎は一本化できていた滋賀3区にセクキャバ議員を立てたり、東京8区に立候補しようとした(未遂)。山本太郎も政権交代が何よりも重要と言いつつ、うちが譲った、うちからは統一候補が出ない、とネチネチ言うし、れ新支持者も敵愾心を隠さなくなった。
そして今、れ新支持者は盛んに枝野おろしをやっている。例のセクキャバ元議員は、供託金没収の身でありながら「れ新と国民民主の代表を加えた政権再編」だなんて宣う。たった3議席でも、山本太郎と奴らに議席を与える隙を見せた野党共闘と市民連合の罪は重い。
ショボい議席で冷や飯食いの長期野党に積極的支持表明して寄ってくる奴なんてその時点で絶対どっかおかしい
これを理解してほしいんだ
長期野党の周囲に積極的に集まってる人間なんて宇宙人みたいなもんだよ
そいつらはまともな有権者ではないしそいつらの話を聞けば聞くほど党勢拡大から遠ざかる
具体的に立民の場合は寄ってきてるのキチガイリべサヨばっかりなんだよ
そんなノイジーマイノリティを結集したって大した票数にならないから政権奪取野党にはなれないし
そんな奴等は最低限の相手する以外はほっといたって維新や国民には流れないんだよ
うるさくてノイジーで少数派な古参固定客の方向いてたら商売は萎んでいく
場合によったらそんな奴ら全部切っちゃったっていいんだよ
その古参固定客のキモさで店に入って来てくれなかった新しい客の開拓になる事だってある
「うーん、自民はもうアカン気がするから…おっ立民!最近いいんじゃない?」こういうのが筋のいい客層なんだ
何があっても立民についてくるような客層は警戒しながら塩対応でいいんだ
何故か?
そういうことに意識高い有権者はほっといたって勝手に各党の政策比較するからだよ
そこで自民より1ミリでもリベラルにしておけば消去法で投票してくれるんだよ
自民は未だに夫婦別姓は家族を壊すとか言ってるんだから自民の向こうを張るのに大胆な主張もアピールも要らない
「うちは夫婦別姓いいと思います賛成です」って公約の端っこに書いておけばそれ気にする人は勝手に読むし投票するやんか
そういう話を大々的に前面に出したって限られたリソースの無駄遣いだし
やり過ぎればむしろ夫婦別姓反対派やなんとなくリベラルが嫌いな層の敵愾心を無駄にたきつけるんだよ
つーか立民にまとわりついてる種類のリべサヨなんて客層としてはゴミなんだよ
注文ばっかり多くて軍師気取りで参加者気取りでその癖バカだけど自覚もないから
どれだけ話を聞こうが失敗したら全部お前等のせいって猛り狂って叩きにくるだけ
そんな奴等は最低限の塩対応でいいんだよ
共産党?社民党?そっちに投票する奴等は最初からそっちに投票してるよ
泡沫政党でいいから最低限の席を維持したいっていうならそういう強固なノイジーマイノリティ相手の商売もあり
けど政権奪取を目標に掲げた立民が拾うべきはもっと薄くてマイルドで穏健なリベラルじゃないのか
うるさいけど力も影響力もない友達も少ないノイジーマイノリティリべサヨ支持者や支援者を周囲に置きすぎ
世間では全然パワーも影響力もないただのカスで、みんなの意見の代表ですらない
悪ければ悪評ふんぷんの嫌われ者で世間からのイメージ激悪だったりする
そこを勇気持って切らない限り大規模巻き返しなんかずーっとないよ
その子は、とにかく故郷というものが嫌いだった。話を聞く限り、主に家族関係が上手くいっていなかったらしい。
例えば、その子は国立大学の学費を殆ど奨学金とバイトによって賄っていた。恐らく親からの援助が見込めなかったのだろう。
時折Twitterで、田舎のしがらみや桎梏に悩む人間が描かれた漫画に対していいねやリツイートを行っていた。彼女の行動の端々からは、故郷や土着的なモラルに対する拒否感が滲み出ていた。
とは言え苦労人の彼女も、最終的に修士課程を満了し、そのまま国有系の企業に就職した。知的な能力が高く、自分自身の人生を自分で切り盛りする自立性を兼ね揃えた子だったから、その結果を予想することは容易だった。仕事においても、時に人間関係での衝突や様々なトラブルに直面していたようではあったけれど、最終的に本社のある某都市への配属が決まったらしい。単に大学の同期で、多少会話を交わす機会があっただけにも関わらず、そういう話を伺っていると誇らしい気持ちになる。何故だろう。
いや、彼女自身の人生に何らかの大きな転機があったというわけではない。彼女の人生に、取り立てて悪いことが起こったというわけではない。
とは言え、それは明確な変化だった。
数年ほど前から、彼女は裕福な家庭に属する人々に対して、憎悪の念を時折滲ませるようになったのである。
というか、はっきり言えば僕自身に対する憎悪を、Twitterを通して仄めかすようになったのである。
彼女と比べれば、僕は裕福な家庭に生まれた。物心ついた頃には家にグランドピアノが置かれてあり、子供時分には英会話教室やらピアノ教室やら水泳教室にやら通っていた。
特に金銭面で苦労をしたという記憶はない。取り立てて贅沢をさせてもらったという記憶もないが、かといって吝嗇を旨としていたわけではない。誕生日やクリスマスには大抵望んだものが与えられた。
そんな、特徴のない、ありふれた裕福な家庭に僕は生まれた。
大学入学後は、仕送りによって生活していた。免許を取るための代金は、家族が捻出してくれた。
そういったありふれた裕福さを、僕は当たり前のこととして享受してきた。
きわめつけに、僕は今定職についていない。
フリーターをしながら日々の生活を送っている。別に収入がたくさんあるわけでもない。それでも、安穏とした日々を送っているのは、要するに実家が太いからだ。仮に、自分の手に負えないような何事かが起こったとして、その時には、まず頼るべき実家が存在しているからだ。
はっきり言って、僕の人生は他の人々に比べれば楽だと思う。
時々苦痛なのは、そういう生き方をしている僕に対して、露骨に軽蔑の視線が浴びせられることである。それはある意味、当たり前のコストだ。裕福な人間は、あるいは、人生を真剣に生きているとは思えないような人間は、折々に軽蔑の視線を浴びせられる。そして、それに対して言い訳をすることができない。その軽蔑の視線に対して、「確かにその通りだ」と頷くことしかできない。
とは言えそれは(繰り返すように)、僕のように中途半端に裕福な家庭に生まれて、ちゃらんぽらんな生活をしている人間にとっては当然のコストであり、受け入れるべきコストである。苦痛は苦痛なのだけれど、かといって、そのような視線を振り払うために定職につきたいかと言われれば、そんなことはないし、僕は雑に生きていたいのだから。
そういう意味で、それを不当なことだと訴えるつもりは僕にはないし、そもそもそんなことをするだけの権利は、僕にはない。
いや、少しだけ嘘をついた。
僕は、彼女にだけはそういう立場を取ってほしくはなかったのである。
彼女は僕のことを金持ちだと言う。ここ数年の間、彼女は主にSNSを通して、僕に対する様々な当て擦りを行ってきた。
僕が察しを付けられるような嫌味、振る舞い、そういうものを、彼女は自覚的に行ってきた。
そういう振る舞いをされることは、ある意味僕には当たり前のことだったけれど、それなりに僕は傷つくことになった。
他の人間が同じことをするならばともかく、よりによって何故君がそんなことをするのだ? と僕は思ったのである。
彼女は彼女の生まれた土地の、土着的なモラルや、あるいはその純粋な資本の無さに苦しめられてきた。
だからこそ、彼女が僕を毛嫌いすることは、ある意味では当たり前のことである。そこに、僕が拒否できるような理由は存在していない。
それどころか、僕は彼女が我が身の理不尽さを、どんな形であれ承服してはならないし、何らかの形で表出するべきであるとさえ思うのである。
例えば、彼女は奨学金の返済をする必要があった。例えば、彼女にはちゃらんぽらんな暮らしをし、あやふやな夢を唄って生きる暮らしは許されなかった。そう、僕のように、文筆の夢をふらふらと唄い、そのくせその努力を身を削るまでに行っているかと言えばそうではない、そんなちゃらんぽらんな人間を拒否し、排斥する行為が、彼女には必要だったのではないかとさえ僕には思えるのだ。
とは言え、彼女の行為を僕が受け入れられない理由の一つは、別のところにある。
つまり、煎じ詰めれば彼女のやっていることは、彼女自身が忌み嫌っているところの、「土着的なモラル」の継承なのではないかと思うのだ。
恵まれている者に対する敵愾心、その誰かを貶めようとする気持ち。
楽しそうに飛び、楽しそうに歌う鳥に向かって石を投げる行為。そんな鳥が地面に落ちて這いずり回ることを、志向する行為。
「県外の大学になんかいかずに、地元の学校に通え、あるいは、就職をしろ。金銭的な支援は期待するな。お前に一人で切り盛りすることは無理だ」
教育的資本によって支えられる生活というものを、イメージすることができない人間に、彼女は囲まれていたはずだ。
だからこそ、彼女は自身の力で自身の人生をやりくりしなければならなかったのだから。
そういう力が、土着的なモラルの中には含まれているし、そのような力が、彼女の身の回りには実際に存在していたことと思う。
もちろん、彼女が僕に対して向けている暴力は、そのような暴力と完全に同種のものではない(というか全然違う)。
むしろ、彼女の受けた暴力とは違って、僕の受けている暴力は、ある意味では正当な暴力ですらある。
不当に恵まれている者を攻撃すること、それは、ある意味では正しい。僕は不当に恵まれているのだ。それに対して、少々のやっかみが向けられることは、ある意味では当然のコストなのだ。少なくとも、そのようなやっかみを前提とせずに生きることは、不可能なのだ。
とは言え、彼女は周囲から引きずり降ろされそうになり、それを拒否することができた人であるからこそ、僕は、彼女にそんな暴力を(彼女が受けたものとは違った形であれ)継承してほしくなかったのである。
自分より恵まれている人間に対して、石を投げるという行為が正当化されるところのモラルは、普遍的なモラルではありえない。そのモラルは、ある人の人生から生じたところの、ある人の生育環境から生じたところの、相対的な、つまりは土着的なモラルに他ならない。
彼女は、そんな土着的モラルを拒否することを、生活の旨としていたように、僕には思われるのだ。
そんな彼女が、何故土着的な、普遍的ではないモラルに身を任せ、自分の暴力を正当化し、他人を傷つけなくてはならないのだろうか?
繰り返し述べる通り、僕の人生においてそういう暴力は日常茶飯事であり、それが存在することを拒否できる立場に僕はいない。そういう立場には全くない。