はてなキーワード: 敵対者とは
ゼルダの多様性: 黒人のゼルダ姫の必要性
プリンセス・ゼルダは、助けを求めるお姫様から、力強い政治家、研究者、魔術師、戦士、リーダー、そして伝説へと成長した多面的なキャラクターです。その複雑さによって、ゼルダはゲームごとに性別の役割を打破する、刺激的な女性キャラクターです。シリーズ35年の歴史を通じて多くの変化がありましたが、ゼルダは常に白人であるという点は残念です。これは遺憾なことですし、有色女性に彼らが伝説的な存在になる可能性を示すための逸失した機会でもあります。
アメリカの黒人女性は現在、彼女たちが重要ではない、劣っている、尊敬に値しないといった内容や声に絶えずさらされています(社会の最高層まで)。黒人パワーの象徴は、これらの攻撃を和らげるために大いに役立ちます。そのため、黒人のプリンセス・ゼルダは、黒人女性が単なる脇役や敵対者ではなく、重要な存在であり複雑な英雄的な人物であることを伝えるメッセージとなります。
変化の必要
ゼルダとリンクが常に白人として描かれることは、白人だけが世界を守ることができ、そして正当にそれを支配しているということを暗に示唆しています。これは、任天堂のゲーム制作者たちの意図ではないかもしれませんが、制作者の間に暗黙的な偏見がある可能性を示しているかもしれません。この変化は、同じキャラクターが毎回登場するのではなく、主要な三人組が時間を超えてトライフォースの独自の具現化であるこのシリーズでは特に可能です。さらに、元の女神、勇者、邪悪の存在と血のつながりを要求する解釈であっても、これらの人物により多様な表現が排除されるわけではありません。なぜなら、血統が時間を超えて全く異なる人種間の交配を経験しないとするのは非常に不可能だからです。また、過去の存在とは異なる人種的な体を持つ同じ精神が宿ることはできないとは言い切れません。
黒人女性への影響
黒人女性は何でもできる存在であり、私たちが共有するメディアもそれを反映すべきです。『ブレス オブ ザ ワイルド』のゼルダは知識欲の旺盛な頭脳派であり、彼女に自分自身を重ねることで、黒人の女の子たちも同じように知的好奇心を持つようになるかもしれません。特に、ゼルダは家族やコミュニティに献身的であり、制度的な不平等に立ち向かおうとする多くの黒人女性と同じように、重い負担を背負っています。ゼルダの政治的な手腕も彼女のキャラクターに自己を反映させる素晴らしい要素であり、幸いなことにアメリカの政治もそれを反映し始めています。
ゼルダが一般的に超能力を持つことも重要です。黒人女性は、黒人のゼルダが光の矢を放つか、スーパースマッシュブラザーズで競争相手を圧倒する姿を見ることで、自分たちも力と魔法を駆使できる存在として感じるでしょう。そのため、プリンセス・ゼルダが黒人であれば、スピンオフ作品やカメオ出演、マンガ、ファンアートなどで彼女が黒人である可能性が出てきます。この重要なキャラクターが黒人として描かれることは、単一のゲームや単一のメディアでの表現以上の意味を持つかもしれません。
このシリーズは、最も重要なキャラクターの人種を変えることが比較的容易でありながら、ほとんど説明を必要としません。ただし、プリンセスの人種を物語の一部にすることを避けるとは思いません。彼女の性別は過去に問題になったことがあり、兄が自分自身がトライフォースの力を持つ権利があると考え、ゼルダIIでは彼女が男性のシーカーに変装しなければならなかったことがありました。したがって、ハイラルの王族の一員が黒人である場合、任天堂が人種の問題を繊細に扱うことに関して、任天堂がためらいを示すことはないと思います。
話は変わりますが、ハイラル王国を統べる王族を黒人として描くことは、黒人が王族として描かれる数の増加に貢献します(『ブラックパンサー』、ビヨンセの『Black is King』、『She-Ra and the Princesses of Power』、『ブリジャートン』など)。これらすべてが、黒人であることが特定の経験に限定されるものではなく、人々に白人によって伝統的に描かれてきた役割を占めることを許してくれるものです。
広い意味での影響
同じ質問をリンクについても簡単にできます(実際、2013年に行いました)、その分析結果も似たような結果となり、黒人男性を勇敢で決断力があり、忠実で親切で、時に愚かで善行を行う人物として描くものになるでしょう。これらの質問は特に意義深いものとなります。トライフォースを持つ唯一の非白人キャラクターが権力に飢えた敵役として描かれる場合、メディアでは人種やLGBTQ+の個人を陰謀を企てたり、非道な攻撃者として描くことがよくあります。人種の異なる人々がよりポジティブな役割で描かれることは、ステレオタイプの払拭と、それらを代表する人々の自己イメージの向上に大いなる助けとなるでしょう。
アメリカにおける黒人と白人の関係がこの文化的瞬間にどれほど困難であるかを考えると、黒人のプリンセス・ゼルダを見ることは、勇敢で優れたヒーローである黒人女性を堅く認めるものとなるでしょう。それは任天堂からの連帯の声明であり、また、ビデオゲーム業界ではしばしば十分に評価されていないコミュニティに対する、非常に目立つかつ大きな影響力を持つ肯定的な表現となるでしょう。最終的には、プレイヤーに黒人の女性キャラクターに共感し、彼女を気にかけ、彼女が重要であると認めることを促すでしょう。
「ゼルダの多様性」は、レジェンド・オブ・ゼルダが包括性に取り組むアプローチを紹介し、関連するキャラクターを重視し、マーガライズされたコミュニティのゼルダのファンと対話するシリーズです。このシリーズのインストールメントが開かれた心で受け入れられ、読者間での建設的な議論が奨励されることを望んでいます。
「NEED」を「SHOULD」と捉えてるんすか?
はてなブックマークで『LGBT: Misskey.ioでのゲイのワードフィルター騒動』という話題を見付け、当該記事と寄せられる意見やブコメ、ついでに界隈周辺の動きなども調べました。
ボクは以前『ボクのリベラルの根源はGNU宣言とフリーソフトウェア運動』というエントリを投稿した者です。多数の肯定的なリアクションを頂き感謝すると共に、自身のリベラル(自由)の根源を投稿した者として本件について意見を寄せたいと思います。
結論から言ってしまえば「Misskey.ioは本件の騒動に懲りず恐れず自身が最適解だと思うことを実行し続けよ」というのがボクの意見です。
リベラルの根源エントリでも語ったようにボクは思想哲学には詳しくない。しかし長らくFLOSS界隈に出入りしているためハッカー文化文脈上の自由に関しては自身の価値観の基準、自分の肌感覚となっている言えるほどにはこの自由に浸かっている。
その肌感覚から言えば、情報技術者目線から見れば、ギークが語るのであれば「本件はバグである」という直感を得ている。
バグがユーザの手により発見され管理者へ報告、管理者はシステムの振る舞いを確認し再現性あるバグであることを認め、そしてこれを反省とともに修正することを宣言した。
このフローはFLOSS開発では何も珍しいことはない、というかスタンダードなバグ修正フローであり、つまりいつも通りのことだ。
むしろFLOSS開発において頭の痛い問題と言えるのがバグ報告がされないことであり、それに比べればバグがあると報告してくれるユーザにMisskey.ioは恵まれているとすら言える。
我々はバグの報告があることに気付いた、そして修正すべき問題のあるバグだと多くの者達が共通認識を得た。
Misskey.ioが取るべき行動はもちろんバグへの反省と修正であるが、もしもバグへの反省と修正を実行する段になってその実行を認めない者達が現れたらアナタたちはそんな者達をどう評価するだろうか?
世の中には自身と意見を違える者は反省も修正もしない邪悪(Evil)な存在で居て欲しいと考える者達が居る。つまりはてな界隈で言うところの「(敵対者の)悪魔化」というヤツだ。
ユーザによってバグが報告され、管理者によってバグの存在が確認され、管理者によってバグ修正する意志が承認された。続くは管理者によるバグ修正の実行だがそれをさせないことを我々が愛するハッカー文化は容認するだろうか?
そんなことハッカー文化は容認するわけ無いだろうし、情報技術者は唖然とし、ギークは嘲笑するはずだ。
我々は問題へ対処するための最適解を求めて様々なモノを作る、モノを作ればバグが出る、バグが出たならば反省し最適解を模索してバグを修正する。我々はそれを繰り返してきたではないか。
何故それがLGBTになると管理者は躊躇するのか?一部の者達は管理者による反省と修正の実行を妨害しようとするのか?アイツはEvilで無くてはならないとレッテルの押しつけを始めるのか?
我々は思想哲学を知らない、おそらくきっと我々が愛するハッカー文化文脈上の自由は思想哲学に詳しい者であれば何らかに分類できるのだろう。
だがそんな分類どうでも良いのだ。我々は思想哲学を知らなくても良いのだ。
分類する暇があるのであれば今ある問題へ対処するため手を動かす、それこそが我々が愛するハッカー文化だろう。
管理者はどうするべきか?我々はどうするべきか?アナタはどうするべきか?
そして可能であればバグ報告してくれた者に感謝を、バグ修正してくれた者に感謝を、ハッカー文化に感謝を。
それがボク達の自由じゃないだろうか!
メイドインアビスの最終回どうなりますかねえという話をだらだらしているが、8割くらいは参考URLつきでネットにあること話してくるな
でも残り2割で内部再構成して若干面白めなこと返してくる…ちょっと楽しい…レグ成れ果てちゃうのでいいんか…
ストーリーの予想ですか。それは難しい質問ですね。私は原作者の思惑を知りませんし、まだ完結していない作品ですから、正確な答えは出せません。
しかし、上昇負荷の設定を考えると、リコたちは地上に戻ることは非常に困難だと思います。第6層まで降りてしまった以上、上昇負荷の症状は避けられないでしょう。
もし地上に戻ろうとすると、リコは死に、レグは成れ果てになり、ナナチは幻覚に苦しむことになるでしょう。それは、彼らにとってあまりにも悲惨な結末です。
もし地上に戻ることができない場合は、どのような最終回が考えられるでしょうか。私の個人的な予想としては、以下のような可能性があります。
- リコたちはアビスの最深部に到達し、アビスの謎やリコの母親の運命を知る。しかし、アビスの最深部は地上とは別の世界であり、そこからは二度と戻れない。リコたちはアビスの中で新たな生活を始める。
- リコたちはアビスの最深部に到達し、アビスの謎やリコの母親の運命を知る。そこで、アビスの呪いを解く方法や上昇負荷を回避する方法を発見する。リコたちは地上に戻ることができるが、その代償として何かを失う。
- リコたちはアビスの最深部に到達し、アビスの謎やリコの母親の運命を知る。しかし、そこで待ち受けていたのは、アビスの支配者や敵対者であり、リコたちは危機に陥る。リコたちはアビスから脱出するために戦うが、その過程でレグやナナチを失う。
- リコたちはアビスの最深部に到達する前に、アビスの中でさまざまな冒険や試練に遭遇する。その中で、リコたちはアビスの魅力や恐怖を知り、自分たちの目的や価値観を見つめ直す。リコたちは地上に戻ることを諦め、アビスの中で幸せに暮らす。
以上が、私の予想です。もちろん、これはあくまでも私の想像であり、実際のストーリーとは異なるかもしれません。あなたはどのような予想をしていますか?
はてなブックマーカーのkihiketufuwabeです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2048616
kihiketufuwabe ↓監査請求が通ろうが通るまいが、その正当性に関わらず、住所や勤め先がわかると攻撃する人がいるんですよ。暇空茜さんは家族や社会的立場がないので大丈夫なだけで
これについて、暇空茜さんが次のように触れておられます。
https://twitter.com/himasoraakane/status/1614605624494686214
これまで僕に向けられた魂の殺人(へいとすぴーち)
・アスナがいないのは納得
・妻子がいなくてよかった
確かに後で読み返してみてキツイ表現であったと反省しており、謝罪いたします。Twitterアカウントがないのでこちらで失礼いたします。
また、それと同時にこのような記載をした意図(言い訳)も書いておきます。
○所謂「リベラル」なものに噛みつくと「差別主義者!」のような批判を受けることが常でした。(※1)
○また、左派活動家にとって敵対者の住所を調べ、それをたてにとるというやり方も一般的です。(※2)
○よって、それに対抗しうる(対立しても潰されない)ためには、能力的なものと同時にその攻撃がダメージにならないことが必要、ということです。
○暇空茜さんも御家族はおありな可能性は高いですし社会的地位もありますが、現在独身で一人暮らしであり、また企業や官公庁に務めていないため比較的ダメージになりにくい(例えば職場への電話・お手紙攻撃に合わない)、というだけです(社会的地位≒社会的評価があるからこそ、暇空茜さんへの名誉毀損が成立し得る、ということでもありますね。)。
(参考資料)
(※1)
「オープンレター 女性差別的な文化を脱するために」にいて、「差別的言動」などと相手方の言動を差別と断定しています。中傷ではあったと思います(ただし、反対側による中傷も酷かったと記憶しています)が、安易に差別的とまで断定できるものではなかったはずです。
https://megalodon.jp/2022-0227-1114-07/https://sites.google.com:443/view/againstm/home (Web魚拓)
(※2)
反基地活動家が機動隊員に対して「お前たちの家もわかるんだぞ!妻子だってわかるんだぞ、馬鹿者」「ここの息子は機動隊で年寄りに手をかけたと街宣カーで自宅前でやるぞ」などと言っている事例です。
余談として、こういった攻撃に徹底的に抵抗してきた(典型例が日本共産党によるエセ同和・差別利権に対する批判ですね)のが日本共産党だったのに現在の状況は本当に失望しています。
住民監査請求が通らないだろうという見込みで余裕ぶってた連中が
いざ認容という結果が出ると大焦りで
「福祉事業なんてマンパワー足りてない貧弱組織なんだから攻撃すんなよ」
みたいな論調で着地させようとしてるのほんとに呆れるんだけどさ
マンパワー足りてない組織が戦線拡大して毎度毎度飽きもせず本業に関係ないキモオタ絵叩きしてたら
貴重なリソースをそんな無駄なバトルに費やすなって止めるよね?普通
そんなことやってる場合か?もっと重要なことありますよね?っていう冷静な意見は全く見なかったけどね
叩かれてるオタクはギャーギャー騒いでたけど(それ自体は叩かれてる対象が反発してただけだから、別に何も偉くないけど)
オタクじゃない奴らはいつも目障りなキモオタ絵が叩かれるから丁度いい機会だと思って
頼まれもしないのに、いかにキモオタ絵が社会的な害悪かっていう話を延々してましたよね、貴重な時間使って
そりゃ正当に批判できそうな機会があったら徹底的にやり返されるに決まってるじゃん
大半は雑魚オタクだから対処できても、確率的に暇空みたい特異なのがいつか絶対出てくるんだからさ
そういうリスクを、雑魚を潰すのが楽しいっていう快感で無視してたでしょ
もういい加減目の前のムカつくヤツ叩くための無駄なバトルやめて、真面目に生きたら?
今回の件でもまだキモオタ絵叩きやりたいなら、もうそれが本業だよお前らの
一生やってろ
冷静に考えれば、昨今のフェミニストやリベラル、自称反差別(しばき隊)はいわゆる”無敵の人”だ。
一般的に過激な言動、差別発言、名誉毀損、一般人への嫌がらせ、クレーマー行為、ヘイトスピーチなどを執拗に行えば、その人物の社会的評価は地に落ち社会からキャンセルされる。
しかしながら、弱者や弱者の味方を自称し社会正義を騙る彼ら、彼女らの異常言動は、過激になれば過激になるほど仲間内からは称賛され、逆に評価が上がっていく。
何故ならノイジーマイノリティファシストの間では、敵対者とされた人間達に対しファシスト仕草をする事が「良き人間」のモデルとなる異常なバグがあるからである。
批判はすべて「アンチでオタクでネトウヨでミソジニーの差別主義者」としてシャットアウトしてしまう。
少なくとも社会的地位が下がる事は無い。寧ろ上がっていく。弱者のふりをした強者達が好き放題やっている。
そんな連中には一般人は対抗出来ない。社会的地位がある人間ほど、様々な手段、リーガルハラスメントで追い詰められ、社会からキャンセルされる危険性がある。
生活が破綻し、新たな仕事も出来ず、最悪命を失う可能性すらある。だから出来ない。
暇空みたいな、資金力はあるが失う社会的地位は無いという、社会のバグみたいな人間にしか強力に抵抗出来ないのだ。
社会正義が自分達の様な一般市民の手から強奪されてしまっている。
もともと法や秩序を軽視して、お仲間の感情を重視する傾向がある、というのは大前提としてあると思う。
ただ、近年先鋭化しているように感じる部分はある。
あたりはある気がする。
暇空茜さんを社団法人Colaboが訴えた件についての分析です。なるべく中立的な立場での分析になるよう心がけています。個別の事柄について良いとか悪いとかいう価値判断を下すものではないことにご注意ください。そうではなく、良し悪しはともかく私には現状こう見える、この先こうなっていくだろうという予想です。
これでは何のことやら分かりませんね。もう少しくわしく見ていきます。
キズナアイNHK(2018)、宇崎ちゃん献血ポスター(2019)、温泉むすめ(2021)、たわわ広告(2022)など、コンテンツの内容が公共の場にふさわしくないなどの批判をきっかけに炎上する現象のことを、この文章ではコンテンツ炎上と呼ぶことにします。これは一般的な用語ではなく、本文章内での独自定義です。これらの例については萌え絵批判のような用語があるようですが、この文章では萌え絵に限定しないためにあえて別の語を当てます。
というのも、暇空さんは萌え絵にそのものに格別の思い入れがあるわけではないと推測されるためです。彼の漫画評などからすると彼が特に好むのは「天才的な能力の持ち主が天才ならではの苦悩と対峙しながら、その能力を発揮していく」といったモチーフです。おそらく彼がコンテンツ炎上を抑止しようと考えているのは、才能あるコンテンツクリエイターの足を引っ張り、結果良質なコンテンツが減ることへの反発だと思います。つまり対象が萌え絵であるかどうかは二の次で、コンテンツが良質かどうか/クリエイターが有能であるかどうかが暇空さんにとっての判断基準であるということです。
コンテンツ炎上は他のネット炎上同様に、些細なきっかけから始まります。拡散してく過程で、何千何万という人々から作者本人への批判やスポンサーなど関係者への抗議などが起きます。一般に批判は玉石混交で真っ当な批判からインネンレベルのものまで様々ですし、多数が各自言いたいことを言い放つので論点も定まらず的確な反論を行うのは困難な上、反論すること自体が燃料となって多くの場合逆効果です。1ヶ月程度燃料が投下されなくなると自然に沈静化します。基本的に対処法はなく、最低限の発表だけして沈黙を貫き沈静化を待つのが多くの場合最適解です。
暇空さんは以前「畑を荒らすカラスを撃退するにはカラスの死体を吊るすとよい」というような趣旨のTweetをしています。コンテンツ炎上を仕掛けた者へみせしめの炎上を仕掛けて、意趣返しを行うことによりコンテンツ炎上を抑止しようと考えているものと思います。Colaboの会計やらに目をつけたのは、単に温泉むすめ炎上発端になった仁藤さんを炎上させるのに都合のよい隙があったというだけで、女性蔑視がどうのという動機ではないと思います。そうではなくてコンテンツ炎上のきっかけとなった人物の心を折るのが暇空さんの短期的な目標です。大義名分はよく燃えるのであれば何でもいい。そこにイデオロギー性はさほどありません。
最終的には「うかつにコンテンツ炎上させるとまずい。暇空さんに粘着されて痛い腹を探られる」といった風評/空気/認知を作り出すのがゴールです。暇空さん自身が抑止力となるつもりなのでしょう。そのために今は暇空さんに注目を集め、敵対者の心を徹底的にへし折るさまを見せつけようとしているフェーズです。
できれば従来どおりのどんぶり勘定運営で女性支援事業等を続けていくこと
それが無理ならなるべくダメージコントロールすること
暇空さんの目的/戦術が上に述べたことで正しいならば、残念ながらたとえ訴訟に勝ってもColabo側の目的は達成できません。
生活保護とタコ部屋発言を争点にしてColabo側が仮に勝訴したとしても得られるのは賠償金、該当記事削除、謝罪だけです。暇空さんは裁判の経過を公表し続けて話題を提供し続けますし、訴訟争点以外の会計に関する話題や都の監査関連でも燃料を投下しつづけるでしょう。また暇空さんがColabo側の発言を名誉毀損として訴えることもありえます。
自然発生的な炎上の場合は話題がなくなって沈静化するのを待つことができますが、本件はそれもできません。暇空さんは意図的に炎上を起こしているからです。上記の私の仮説が正しければ暇空さんは天才的な嗅覚を使って燃えそうなネタを探し、定期的に供給し続けて炎上させ続けます。前述のように炎上への対処法は基本的になくて沈静化を待つしかないのですが、それもできないならばダメージコントロールするすべがありません。
そもそも暇空さんは訴訟をずっと誘い受けしていました。訴訟が起きればその内容を実況することにより炎上を継続できます。訴訟したこと自体Colabo側の戦略的ミスです。仮に裁判の結果Colabo側に不利な事柄が裁判所によって1つでも事実認定されてしまったら「共産党と強いつながりのある」という二つ名の代わりに「司法によって○○の事実認定された」のような二つ名が使われるようになるでしょう。
ではColabo側はどうすればよいのか。私が思いつくのは2つあります。しかし1つは他力本願で、もう1つはおそらく仁藤さんはそういうことをしないでしょう。
1つ目は暇空さんの敵失を待つこと。暇空さんがそれ以上炎上ネタを提供できなくなれば沈静化待ちで逃げ切ることができるかもしれません。
もう1つは全面降伏して温泉むすめ炎上を謝罪すること。実は暇空さんとして出されたら最も嫌な手はこれだと思います。彼は彼が自分に課しているルールを逸脱することはないと思われるので、これをされたらそこで手を引かざるをえないからです。まあ、多分これは選択したくないからという理由で選択されないと思いますが。
実写化でもまあまあ見れる、それどころかかなり良いかんじの作品も増えてきた。
くだらない話なんだけど、どこかに吐き出さないとやっていられない。
原作は、サイバーパンクの世界観で、探偵と助手のコンビを中心に展開するオムニバスである。
私は、作品を箱推しするタイプだ。ただ、この作品に関しては、主人公二人をかなり推している。関係性から人物像から、嘘じゃないかって思うくらい好みだった。
まず、助手の外見である。もともとは宇宙人で、地球の環境に合わせて体を作り変えたサイボーグだ。原作では、外見にひと目みればその人とわかる強烈な特徴がある。
アクションが多い作品ではあるが、探偵は戦闘(というか人を傷つけるのを)を好まないので全然戦闘能力がない。荒ごとはだいたい助手の担当だ。
主にこの二点だが、これがもう見事に無視されている。
わかってはいたが、こんなに清々しいと怒りよりもあっけにとられる感覚が強い。
助手は至って普通の女になっていたし、探偵は小さめのピストルを携帯し、いざとなれば助手の背後に迫る敵対者を撃ち殺してウインクなどしてみせる。控えめに言って解釈違いである。
助手の話をさせてほしい。
彼女(一応作中では彼女、と言われているので彼女と呼ぶ)の設定はやたらと複雑だ。もちろん、だからこそそれをすべて実写作品にも盛り込めなんて無茶は言わない。
私が許せないのは、前述した外見的特徴を消してしまったことだ。
これは、彼女のアイデンティティといっても過言ではないものだ。地球で一人っきりでいる彼女の、宇宙人としてのアイデンティティそのもの。これを製作者は取り払ってしまったのである。
この際、中性的で慇懃な言動が今どきの流行りに載っていわゆる「強い女」テンプレにはまっていたこともいい。良くないがまあ良い。いや、自分に言い聞かせてはみたがやっぱり良くない。
もともと、因縁があって探偵を憎んでおり、虎視眈々と彼を殺す機会をうかがっている助手である。
だが、無益な暴力は振るわない。その程度の分別もない愚か者だと思われているっていうことなんだろうか。
当然のように外見と性格の件でTwitterも炎上しているが、これについて制作側のコメントはない。
映画オリジナルのストーリーに関しては……アクションだけはよかったんじゃないかな。
助手が不意をつかれて攫われたり拷問されたりするなんてことは、原作を見ればありえないことくらいわかるはずだ。
助けにきた探偵を見てちょっと嬉しそうにするなんてこともまずない。
探偵についてもそうだ。
そもそも博愛主義で誰も(物理的に)傷つけないことを信条に動いている彼が、身を守るためとはいえ人に向かって発砲したり、まして頭を狙うなんてあってはならない。これは誰でも言うと思う。
人を傷つける探偵、正直ただの女の助手と同じくらい見たくなかった。
男女の組み合わせを安直にカップルみたいにする風潮、なんなんだろうか。
原作者の発言力ってそんなに低いの? それとも、原作者がGOサイン出したってこと?
なかったことにして原作を引き続き推すつもりだ。だった。本当だ。
助手が探偵に対してやや心変わりをしつつあるのを見たからだ。こんなに心が乱れたことはない。ていうか実写映像見たときだって正直まあそんなもんだなって思ってた。
でも、あんなに探偵を嫌ってた助手が、ほかでもない原作で、探偵を信頼しつつある。
もしかしたら、全体の流れからしたら、諦めとかそういう気持ちがわいてきても不思議じゃないタイミングかもしれない。
だけど、あの実写の後だ。
もし原作者があの設定を気に入ったんだとしたら?
これまでの設定を気に入ってた私みたいなファンはどうしたらいいのかな。