はてなキーワード: 数学とは
二次凸多面体とは、 凸凹のうちで、普通、凸凹は数学では、凸の方を考えて、 凹多角形というのは考えません、考察対象しません、というのはあまり美しくないからだと思いますが
その基本的なものが、 逆に、凸多角形とかだといくらでも類題がありますので、凸になっているものは考える。 解析でも、 上に凸であるとはいいますが、上に凹という言い方はない。
イワンサイヴェルマンとゲルファントゲルビンスキーとの共同研究で開始されたもので、情報科学理論に応用される。 実は平成16年頃から、慶応大学とかでもとっくに研究が開始されていたもので
今に始まったわけではない。昔からあったものであるが、当時は朽ち果てていて誰も相手にしていなかった。2004年と言うと、こち亀に、御堂春とかが出ていて、うざいとも言われていたがまだ社会全体
はエロ落ちしていなかった。
フェルマーの問題で、 x^4+y^4=z^4に解がないというのは、事実に属するというか、 主張みたいなものであるので、専門的な議論だけをして証明できます。エレガントな証明とかそういう要素は
この個別の問題には入っていない気がする。だから真面目に議論しないとだめである。n=3の場合の証明はいかんながらどこにも公開されていないので解説することはできない。
斎藤秀司は整数論の専門家とエキスパートで、人格的に、受験数学が嫌い、インターネットにフェルマーの小定理の講義のビデオが一本上がっている。住所はおそらく板橋区だが確定していない。
自転車に乗っている姿を見たことがある。東京理科大流動機構研究科教授をしていて東大にいるのかどうかすら疑わしい。
フェルマーの定理は、 a^n+b^n=c^n が無限個の解を持つのは、 1,2のときだけであるという定理か、もしくは、 n≧3では存在しないなど様々な解釈がされているが、
前者の解釈は類似の問題があることから親和性があり、後者の解釈で、存在しないこと自体が驚愕される定理は考え難いため、後者と解釈した場合は、不審であるということになる。
従来プログラミング業界においては、やれ「ググる力が重要」だの、やれ「分からないことはググればいい」だのと言われてきたわけだが、もうそろそろこういう妄言は根絶されるべきだ。
そもそも、専門知識の要る分野でそれなりの水準の仕事をしようと思えば、ググって済むようなことはほとんどない。
実際、プログラミング以外のあらゆる分野で「ググればいい」なんて言われることはほぼ無い。その分野の仕事に必要な基礎知識を身につける方が圧倒的にウェイトが高いからだ。
「ググる力」とか言ってるアホは、じゃあためしに俺の手元に、タネンバウムの「コンピュータネットワーク」第6版があったから、これと同等の知識を、コーディング時の調べ物だけで身につけてみてくれないか。
こんな知識は業務で必要ない?そりゃお前がその程度の仕事しかしてないってだけだろ(笑)
ネットのサンプルコードコピペするしか能のないIT土方、コンピュータサイエンスや数学にコンプレックス持ってる低学歴は、さっさとエンジニアやめろ。少なくとも、他人(とくにプログラミング初学者)を自分と同じ水準に貶めるな。
そういうのが数学とか法律にあるのがばれたら嫌だから、 宮地昌彦先生も、誰でもわざと分からないように解説してるわけじゃん。しかも、法律でそういうのがばれたら
次に藤崎ゆみあってなんなのか分からないし、藤崎ゆみあが堤防に出てきて、ぎょああああああああああああああとか言うとは考えられないな。こういうことやってる奴って殆どバクサイの男だし。
どこが女なんだよ。こういう行動に出る奴ってほとんどバクサイの男じゃねえか。それに、延岡のバクサイだと盛り上がってるけどほとんど書き込みがない、舟渡とか戸田になんでいるんだ?
あれは、4k+1→4k+2→4k+9というちょっとぶっとんだ定理を発見して証明しなければいけない問題ですので、さすがにそれなりのところで訓練を受けた人ではないと無理です。
他にも色々な証明がありますが理想的なのはこれで、左半分はできますが、右半分は専門的な議論になるので、読んだだけではすぐには分かりません。ただしそれが出来たら
満点ということになります。あれはIMOでもほとんどの人が解けなかった奴ですので、誰がやっても解けないと思います。ここの
上の定理を発見するのを驚愕的な技術つって、こういうのがあるのが面白いから数学者は数学をしてるわけです。 問題自体の方も凄いが、技術の方が凄いからやるわけです。
ビットコインマイニングは、ビットコインネットワークのトランザクションを確認し、新たなビットコインを生成するプロセスである。
これは数学的な問題を解くことによって行われる。具体的には、以下のようなステップが含まれる:
1. 新しいブロックの作成: マイナーは未確認のトランザクションから新しいブロックを作成。
2. ハッシュの計算: マイナーは新しいブロックのハッシュを計算。ハッシュ関数は、任意の長さのデータを固定長のハッシュ値に変換。ビットコインでは、SHA-256というハッシュ関数が使用される。
3. 難易度ターゲットの比較: 計算されたハッシュが難易度ターゲット以下であるかどうかを確認。難易度ターゲットは、ネットワーク全体のマイニングパワーに基づいて調整される。
4. ブロックの追加: ハッシュが難易度ターゲット以下であれば、そのブロックは有効とされ、ブロックチェーンに追加される。そして、そのブロックを作成したマイナーは新たなビットコイン(ブロック報酬)とトランザクション手数料を受け取る。
これらのステップを繰り返すことで、ビットコインマイニングは行われる。
はい、∞が有限ではないことを示す式を書いてみましょう。
例えば、以下のような不等式を考えることができます。
この不等式は、「∞は任意の正の整数nよりも大きい」ということを表しています。つまり、どんなに大きな有限の数nを選んでも、∞はそれよりも常に大きいということです。
もう一つの例として、極限を使った式を書いてみましょう。
lim(n→∞) n = ∞
この式は、「nを限りなく大きくしていくと、nの値は∞に近づく」ということを表しています。つまり、有限の数nをどんどん大きくしていっても、決して∞には到達しないということを示しているのです。
これらの式から、∞は有限ではなく、どんな有限の数よりも常に大きいことが分かります。∞は有限とは異なる、特別な概念なのですね。
数学が大好きな子供たちは、こうした無限の面白さにきっと夢中になるでしょう。みんなも色々な式を考えてみると、無限の不思議な性質が見えてくるかもしれませんよ!
10個の仕事と10人の部下がいる場合であって、 熱意と能力と言う実数値が定まっている場合の、最適組み合わせという問題で、 10人と10個という、10という数であれば
部下がぐちぐち不満を述べないし、通報もされないような仕事の割り当て方が存在する、ということで驚愕された、日本数学オリンピックの問題である。
しかしその証明に関しては、表を書いてしらみつぶしに探索すれば存在することを言えるようなもので、難しいものではなかった気がするし、日本数学オリンピックは、ヌケモノである。
ここで、結論自体は真理に属し、特に数学の問題は驚愕される。しかし時間が経過すると他にも問題があるから誰も美しいとは思わなくなる。他方、証明の構成については、常に驚愕的なものが
あるわけではない。
特に、日本のJMOの問題は、技術美は必要ないのではないか?というようなラインナップで、 IMOとは違う。 IMOは、設問ごとに、必要な技術美のレベルが最初から設定されているが
JMOの場合は、 出題者が興味のある問題を発見してきて出して、必要な証明の構成はなんでもいいという漢字があるので、特に、もはんかいとうも出回っていないし、上記の問題に関しては
譲渡担保とは、 以下のように、 BがAに、物であるCを譲渡するという方法によって、BがAから金融を受け、もし、Bが返済しないときは、AがCを取得する
A → B
物C
立木法では、立木は動産とみなされているが、法律の技術では、みなす、というのは、別に、数学において、虚数単位 √ー1=i は存在しないが、有益だから使用してもよいのと同じで、
みなしてもよい。法的確実性における技術的な矛盾が生じているのではないかと思われるが、 哲学では、 √ー1のような矛盾したものでも認められているので、法学にそれがあるとしても
不合理ではない。 次のように土地が二重譲渡されて、登記をするかどうかについても、 法的確実性と 民法の公正公平の原理、具体的妥当性の矛盾を超克するために、
甲 → 乙
↓
丙
↓
丁
この際、 公式と定理を区別するのは非常に難しい。 sinの加法定理については、定理とも言われているし、公式とも言われている。私の解釈ですが、 定理として発見されたときは定理と言われて
いたが、存在するのが当たり前になって、他の技術に頻用されるようになったものは、定理ではなく、公式と言っているように思います。センター試験では、 sinの加法定理は、出るから公式だから暗記しろ
と言われるときに、確かに美しいがそんなのは当たり前だから公式だと言われていると思う。 もっとも原初的のは、sin cos の定義をして、三平方の定理によって sin^2+cos^2=1は、 定義から
現代法令は、フランスにおける16世紀の血を流した市民革命以降に、フランスで成立した第一王朝期のフランス法やドイツ法を基礎として、18世紀のマルクス主義革命以降の
修正資本主義をアメリカで検討して、アメリカで成立した自由主義国家の内容となっているところ、法令は、近代の生産社会を専門的に研究し、必要な概念を創設し、それらを法的確実性
があるように技術的に構成したものであるところ、これらの概念は、高度であって、なおかつ、その技術的構成の構造も、驚愕的に高度なものも含まれる複雑な体系となっていることが予想される。
一方、平成2年から裁判官をしている任介辰哉は、それが理解できないのはヌケサクであり、吉崎佳弥は、ヌケモノであると主張する。 高等学校で基本的な論理則のドリルを入れているはず
であるから、そこで習ったものを縦にすれば、自然と分かるはずであるという。 しかし、地区担当員の宮脇が、まなくろB型作業所で、数学1Aの、排他的論理和などを教えることができる、などというが、
前野町1丁目のB型作業所は、すでに解体されて更地になっており、 センター試験でドリルに付しておいた、メネラウスの定理の計算が出来るようになっていれば、法律の論理は分かるはずである
というが、メネラウスの定理は基づかれる定理であって、パスカルの定理のように、適用される定理ではないのであり、さらに、パスカルの定理が適用される場合にはそれこそに驚天動地の証明構成手段
ということとなり界隈でも絶賛されるが、フェルマーの小定理の場合は、定理自体は驚愕されても、これに基づく場合は、単に、必要最小限な技術であって特段に界隈でも最高レベルに技術とまでは
評価されていない。
だから品田もぐらが受け付けて今読んでいるその書面に書いているとおりだって言ってんじゃん、他に言うことがねえんだよ
書面中、 現代法は現代数学と同じような技術的構成となっていて驚愕的に高度で一般性の高いものである可能性が高いと解されるところ、一般人がこのようなものを理解できる余地は
品田もぐらは、 判例六法は、3,4000円程度で一般人の閲覧に共用されているし、誰でも理解できる状況に付していると主張するが、前記判例六法と言われるものは
出来上がった法令の言葉だけを平板に並べてあるだけの、いわば、新鮮だったころの法令という糞を乾燥させて陳列した、糞で作ったビスケットのようなものであって読むに堪えない。
一方、
ええ確かにそうだと思いますけれども、判例六法以外に、2022年度版の、ポケット六法とかだったら、糞で作ったビスケットではなく、専門的知識や技術的側面が分かるような書体で
書いている書籍もありますよというが、ポケット六法は、 明朝体で書いているというだけで、これで、民訴法の内容が理解できるとは考えられない。
若い頃はそのことに気が付きにくい。身の回りに「学び」が溢れているし、なんなら強制されている。だから気が付きにくい。
大凡のエンターテイメントコンテンツはハイティーン向けに作られているので、歳を重ねると、当たり前だけど消費ターゲットから外れる。
あんなに楽しかった、アニメ、漫画、ゲームが楽しめなくなる。「変わっちまったな」なんて、違う違う、あっちが変わったんじゃなくて、こっちが歳をとってターゲットから外れたのよ。
だいたいのことは既に見てきてるし、経験しているし、すでに知っている。なので、歳をとると、「学び」が面白い。「未知」があるとワクワクする。
そこで、高校数学や地理を勉強しなおしたら、これがまぁ!面白いのよ。「なるほど!」や「そっかぁ!」が溢れてる。
いい時代になったよ、ほんと。
日本語の話をしているのか数学の話をしているのかを明確にするべきだ。
日本語としては「n以上」は「nより上」とまったく同じである。
「n以上」も「n以下」も「n」を含む
というのは自明ではない。
たとえば「期待以上の活躍をする」は「期待どおりの活躍」を含まないし、「平均以上の得点を取った」は「平均と同じ得点」を含まない。
もちろん「二人以上で来てください」は「二人組」を含むので、必ずしも「n」を含まないわけではない。
しかし、数学においては「n以上」と「nより上」は異なる、とされる。
「n以上」は「more than or equal to」で、「nより上」は「more than」なのである。
そうした使い分けをされるときの「以上」はいわば数学用語であると言える。
おそらくはそうではない。
(専門学校という謎の学校もあった。欧米では専門学校といえば芸術系しかメーンだが…まさか劇団員?)
欧米中韓みたいに計算機科学や情報数学の博士や修士どころか、学士号持ちすらいなかった
計算機科学や情報学の学位もないとまともなプログラミングやコードを作るなんて不可能なのに
なんで日本のITや情報学の分野では、専門知識を軽視するんだ?
日本でも他の機械工学や化学と言った分野ではそういった学位をもった人たちがエンジニアになっていると聞きます
オープンワールドのマップ設計って、まずは地質学とかをベースにして地形の生成があって
それに加えてそこに実際に村が形成されるとどのような文化になるか、みたいな文化学的発想が必要
アイテム生成系はバイオ系・物理系の知識をベースにやってほしい
ミニゲームやパズル要素・謎解き要素なんかは数学的な知識で難易度を上げて欲しいし
ストーリー展開は心理学を駆使してプレイヤーの心を揺さぶって欲しい
大学でポスドクやってる博士を連れてきて副業でやってもらえばいいと思うんだよね
海外とかの大型オープンワールドだと学者とかが監修してたりするけど
それでも片手間でやってるようなものなんだよね
アサクリとかだと時代考証がガチだけど最近はダメダメになっちゃったし
フェルマーの最終定理を扱ったマンガだが、なんか微妙。
数学を題材にしているものの、ぼんやりした「天才」のイメージでハッタリをかますばっかりで、数学であることの意味をあまり感じない。
俺自身は文系なので、もし具体的な数学の話をされても全く分からない。それでも、今は専門的な話をしてるんだな……ということぐらいはたぶん分かる、と思う。神にホムラをには、今のところそれがほとんどない。
いきなり専門的な話をしても読者がついて来れないから、それっぽい天才描写で引き付けておいて、徐々にアクセルを踏んでいく、という予定なのかもしれないが、ここから多少なりとも具体的な数学の話を展開できるようになるとは、ちょっと考えにくいかな。
同じ「天才もの」でも、たとえば龍と苺なんかは、勝ち負けがはっきりした競技であることと、竜王戦や三段リーグみたいな競技の外側のルール・文化の描写にページを割けることが、説得力を増してたんだな。
そうですね、関数やなんかも、中学校のときは、 f(x)ってただ書くだけなのを、ψ(x)とかって書いたりね、それからなんか、フェファーマンとかは私の時代はかなりスターで色々出来るという
ことでしたね。オヤジは物理をしていたんですが、物理はこうなんか、バランス感覚がないと出来ないような感じがして、人文社会の方では白か黒か分かってなくても数学はこうなんか非常に美しい
ということで、なんか、あこがれみたいなもんですかね、ただ単にそれだけでやろうとしていたような感じはありますね。そういえばそうですね、法学部だと道徳をやるだけなら一つの学部を作るはずがないので
法学部でやることは難しいんじゃないかと思いますね。常識で考えたら、経済学部が難しいのに法学部が簡単ということはありえないですからね。でも私の時代の法学部では難しいことは何も教わりません
でしたね、条文の規定は技術的に難しいはずであるし、解釈で判例もこうなんか、establishとかね、数学の定理みたいに書いているので、え? 数学の組み合わせ論で、 claimって書いてあって
それがestablishされてるっていって言葉だけしか知らないので、claimと定理は何が違うのかとか言っても言葉しか教わっていないので分からないということで
ロースクールのなんですか、佐伯仁志先生とかなんでもいいんですが検察庁や司法がその辺を教えないのは存在しないからだと思いますが、まあどうでもいいんですが、誰も分からないから2ちゃんねるの
法学板にも何も書いてないようなところがあると思いますが、もう忘れたんですがこうなんか2ちゃんねるって、日本私学や歴史学などの書き込みは多いですが、数学とか近代法って運営の方から
一番糞であると言われていてくだらない書き込みしかないのがばれたんですよね、2ちゃんねるってローマン的でアホなところがありますので、単純に、出来なかったからじゃないかと思いますね