はてなキーワード: 故事とは
なんか安倍元首相とか自民党が宗教と密接に関わって、宗教に忠誠誓って操られてるらしいんだけどさ、
ということは、昨今の宗教って科学知識が左翼の知識人よりよっぽど上じゃないか?
反核こじらせて放射能デマからフクシマ差別を引き起こしたり、ゼロコロナ、反ワクチンで馬鹿を露呈したりさ、
ガリレオの故事のように非科学的なことをいうのが宗教の専売特許だと思ってたからビックリだよ
(当時は、フクシマの差別、人権より反核の方が大事なんだと驚いたもんだよ)
宗教以下のくせに、いっちょまえに学術会議にポスト要求すんなよな、笑わせる
オッサンになって思ったのは、学校やってたこと全部、実質的に「言語」だった。
数学をやるのは、数学使う理論の資料が読めるようになるためだし
地歴やるのは、ニュースやビジネス会話や資料で登場する地名とか故事とかを単語として知っておくためだった。
あるいは仕事から離れて、そういう知識を雑学として知ってるがために楽しく読める漫画や小説も存在する。
これが疎かな相手だと、まずこっちのお出しした資料が読めてない。
逆にこっちが、相手の言っている資料に出てくる単語の意味がわからないことある。
読めないと、その知識が役に立つ役に立たない以前に、自分がその場で役に立たないんだよ。新人以下になる。
だから何が役に立つかというより、全部役に立つと思ってるよ。
「隕石攻撃」の箇所に関する訳註です。https://anond.hatelabo.jp/20220316191220 でのご指摘に感謝します。
Igor Sushko氏による英文は以下のとおり。
https://twitter.com/igorsushko/status/1500301354358636546 / https://twitter.com/igorsushko/status/1500301355990204420 / https://twitter.com/igorsushko/status/1500301356988387328
For example – you are being asked to analyze various outcomes and consequences of a meteorite attack on Russia (MY COMMENTARY: Here he most likely means the West’s sanctions) –
So you research the mode of attack, and you are being told that it’s just a hypothetical and not to stress on the details, so you understand the report is only intended as a checkbox for some bureaucrat, and the conclusions of the analysis must be positive for Russia,
otherwise you basically get interrogated for not doing good work. So, you have to write that we have all necessary measures available to nullify the effects of a given type of attack. We are completely overworked.
一方、ロシア語の原文 https://www.facebook.com/vladimir.osechkin/posts/4811633942268327 の中で、これに相当する箇所はこちら。
И вот Вам пример: Вас просят (условно) рассчитать возможность правозащиты в разных условиях, включая атаку тюрем метеоритами. Вы уточняете про метеориты, Вам говорят - это так, перестраховка для расчетов, ничего такого не будет. Вы понимаете, что отчет будет только для галочки, но написать надо в победоносном стиле, чтобы не было вопросов, мол, почему у Вас столько проблем, неужели Вы плохо работали. В общем, пишется отчет, что при падении метеорита у нас есть все, чтобы устранить последствия, мы молодцы, все хорошо. И концентрируетесь на задачах, которые реальные - у нас ведь сил и так не хватает.
これをGoogle翻訳で英訳したものが以下になります。(DeepLでもだいたい似たような訳になりました。)
And here's an example for you: you are asked (conditionally) to calculate the possibility of human rights protection in different conditions, including the attack of prisons by meteorites. You specify about meteorites, they tell you - this is so, reinsurance for calculations, nothing like this will happen. You understand that the report will be just for show, but you need to write in a victorious style so that there are no questions, they say, why do you have so many problems, did you really work badly. In general, a report is being written that when a meteorite falls, we have everything to eliminate the consequences, we are great, everything is fine. And you concentrate on tasks that are real - we don’t have enough strength anyway.
これを比較してみると、「隕石攻撃」は単にロシアに隕石が降ってくるという話ではなく、「刑務所に隕石が降ってくるような攻撃を含めた諸々の条件において、人権が守られる可能性」を算出せよ、という話だったというのが正しい理解であると思われます。
日本語に意訳するならばこんな感じでしょうか。何故この文脈で急に人権が出てくるのか謎ですし、(conditionally)のあたりもうまく訳せませんが…。
一例を挙げる—故事に言う杞憂のようなものも含め、諸々の攻撃に対する我々の備えの確率を算出せよ、との指示が下る。杞憂のようなものって具体的には何ですか、と尋ねてみれば、それはあくまで念には念を入れろということで、実際にこんなことが起こるというものではない、と言われる。それなら、なるほどこの報告は見せもので、ただ我々は勝ち誇ったように、問題など何も無い、という論調にする必要があり、そうでなければ「仕事ができていない」と詰問されるんだな、と理解する。したがって、報告書の結論は、たとえ天が落ちてこようが我々には対抗手段が揃っている、大したことなどない、ということになる。そうしておいて、我々は現実に起きている問題のほうに集中する-どのみち我々の手には余る話なのだし。
中国のプロテニス選手、彭帥さんの微博(ウェイボー)での不倫暴露。
気になったのが、中国でも「飛んで火に入る夏の虫」みたいな言い回しするんだな、て点。
「飛んで火にいる夏の虫」とは?意味や使い方を例文を含めてご紹介 | コトバの意味辞典
英語でも“like a moth to a flame”って言う。これも中国から?
更に興味深いのが、「無謀な恋に身を焦がす」的なニュアンスで用いられること。
洋楽で覚える英語表現「like a moth to a flame」意味と使い方は? | MULTIPS
https://beautytipsnet.com/english-like-a-moth-to-a-flame/
Shawn Mendesの「Stitches」。
「炎に飛び込む蛾のように 君に引き寄せられた 痛みに気づけなかったよ」
Moth To A Flame 歌詞和訳と英語解説|The Weeknd(ザ・ウィークエンド), Swedish House Mafia(スウェディッシュ・ハウス・マフィア)
https://disneylanguage.com/MothToAFlame.html
「飛んで火に入る夏の虫のように 俺を君を引き寄せるんだ、引き寄せるんだよ」
は難病の揶揄などではないものの、誹謗中傷と受け取られかねない、極めて攻撃的なツイートではなかったのか。
本人を中傷する意図は微塵もないが、氏が示した理路に、全く納得することができない。
@Li_Kotomi #note https://note.com/li_kotomi/n/n9e5771570c83
しかし、すでに何回も釈明した通り、私は安倍さんの難病を揶揄したことがありません。これは一部のアンチによる悪意的な解釈であり、デマです。
については、以下のような李氏本人による連続釈明ツイートがすでにあって、
政治家の「断腸の思い」発言を揶揄したいくつかの昔のツイートに対して違反報告をなされ、困惑しているが、ひとまず要求に応じて当該ツイートを削除した。
そして当該ツイートの意図が分かりやすいよう、以下の通り書き直す。
「断腸の思い」という言葉は中国の故事に由来し、元々は子猿を捕らえられた母猿が、悲しみのあまり腸が寸断したというお話。
つまり「断腸の思い」というのは本来、極めて哀傷痛切な感情を表現する言葉だが、政治家が何度も繰り返すうちに、安っぽい政治的な常套句に成り下がってしまっている。
それに対して、私は違和感を抱いている。
「一斉休校措置」も断腸の思い、「緊急事態宣言」も断腸の思い、「五輪無観客」も断腸の思い。
腸というのは、そう何度も断つものではない。
と言うのだが、
(朝日新聞記者の「安倍首相、臨時休校は『断腸の思い』」という記事を引用リツイートする形で)
本当に腸を断ってくれないかな
#安倍やめろ(2020/02/29)
元々のツイートを「腸を断つのをやめた方がいい」という意味に受け取るのは、私にとっては難しい。
確かに当該ツイートが、安倍前首相の潰瘍性大腸炎を揶揄したものではないというのは納得できる。
本人いわく、病気のことは知らなかったとのことだし、
そもそもが安倍前首相自ら使用した「断腸の思い」という故事由来の表現を、氏が受けての発言だからだ。
直前の故事を受けるとするなら、
「腸を断たれて死ぬ『ような思い』だけじゃなく、『本当に』腸を断ってもらえないだろうか」と解釈するのが、最も妥当なのではないだろうか。
故事にならうならば、腸を断った母猿はどうなっているか。少なくとも、激しく傷付いているはずだ。
「本当に腸を断ってくれないかな」は、どう読み替えても、「『断腸の思い』という表現をこれ以上軽々しく使ってくれるな、誠実に政治を行え」という解釈にはならないのではないか。
これは難病の揶揄などでは決してないものの、非常に攻撃的で、誹謗中傷に相当しうるツイートではなかったか。
「断腸の思い」とか「責任を痛感」とか、この政権が発する言葉一つひとつが嘘っぽくてなにひとつ本物の重さが感じられない。本当に聞いていられない。
https://twitter.com/li_kotomi/status/1283963125633445889(2020/07/17)
は5か月後のツイートなので、それが真意だと言われても、はいそうですかとはならないだろう。
その辺りを掘るとむしろ、安倍前首相の体調に言及したツイートが複数出てきてしまう。
言葉がきつすぎた点に関しては批判されても仕方ない部分もありますが、しかし「反日」「外省人」「左翼の工作員」といった浅はかなレッテル貼りや、「難病を揶揄した!」といった事実に反する指摘は、受け入れられるものではありません。
必死に泳ぐ姿が凄いと実況が口々に語る。
哀れだ。
「(だるまのくせに)早い(じゃないか)頑張ってます(ね。健常者には決して勝てない身体で)」
そういった声援以外、存在しなかった。
泣きそうだった。
自分が子供の頃に、親や教師やクラスメートから憐れみ混じりに結果でなく努力を称賛された時の震えるような悔しさが燃え上がっていた。
心の奥、消し炭になったはずの心は、木炭のように、より強い火種として心の奥に眠っていたらしい。
テレビから聞こえる「(障害者なりに)頑張れ」「(障害者のくせに)凄い」の声、他人事とは思えなくて悔しくて悔しくて
盲目のランナーたちが語る勝利の秘訣、縦走者とのチームワーク。
世界一を目指して走るその足にピッタリと張り付いて走るもうひとりのレーサー。
目が見える縦走者は横で目の見えない選手をアシストしながら走り、目の見えない選手はそれに必死についていく。
親に手を引かれながら走って横断歩道を渡る幼児の姿がふと浮かんだ。
自分より早い人達が、サポートをしながら走ってくれて、それでようやく手にするメダル。
見えない眼を見開いて浮かべた笑顔の奥に、伽藍堂の心が見えるようだった。
悔しいだろう。
「盲の国では片目が王になる」という故事がある。
借りた片目で王になった盲の王。
目明きの世界のただの人。
私はパラリンピックが嫌いだ。
「お前たち日陰者にも活躍の場を与えてやろう」という健常者側のプレゼントのような態度が嫌いだ。
「哀れなお前たちの努力する姿から勇気をもらってやろう」という態度が気に食わない。
そもそも人がスポーツをする姿から勇気だの希望だのを得ようだの与えようだのという姿勢自体が気に食わない。
実に気味が悪かった。
こんな気持ちの悪いことをやっていたんだと1000年後の教科書には載るだろう。
1000年後の地球には「障害者共が障害者なりに頑張る姿を観てやろう」なんて薄ら寒いパラリンピックなんてなくなっているだろう。