はてなキーワード: 政府系機関とは
私は今、政府系機関で働いている。小さな頃から大して努力はしなかったが地頭はよかったらしく、世間的には一流の中高大と進んできて現在に至っている。そんな訳で現時点では比較的挫折もなく、恵まれた人生を辿っていると言っても差し支えないだろうか。
しかしながら私には、「幸せ」というものがよく分からない。と言ってもこれは日常生活に楽しみが一切ないという訳ではない。知人と食事をしたり、好きな音楽を聴いている時間はそれなりに楽しいものだとは思っている。ただそれらは"刹那的"な楽しさでしかないと感じてしまう。
私の考える「幸せ」とは、"永劫的"なものである。知人と食事をしても、その僅かな時間では楽しいと思えるが、ふと我に帰って自己のことを考えるとどうしても憂鬱な気分になってしまう。私の身に覆いかぶさっているものの大半がこの憂鬱である。
この憂鬱の原因としては、主にこの先に横たわっているどうしようもなく長い人生と、その中で自分は何も為せずただただ衰亡していくということを考えてしまっていることによる。 (前文で"自分は何も為せず"と書いたが、『じゃあ何かに挑戦すればいいのでは』という話ではなく、その成果物とやらを偉そうに語れるような人間ではないというだけのことである。)
お金とやらもあまり興味がなく、それに大して残忍琥珀に振る舞う人とあまりかかわり合いになりたくないことから、一応自身がすり減らないようにそのようなところで働いてはいる、それが正解かは分からないが。
結婚して子供を生んだりすればそれなりの楽しみにはなるかもしれないが、同時に第二の私を世に放つことになるのは言うまでもないことである。もちろん、環境が変わることでこの厭世感が簡単に晴れると思い込んではいけないことも忘れてはいけない。高校、大学、そして社会と段々期待すべきものではないと頭では分かりつつも何処かで期待をして、打ち砕かれてきた。
そして、どうしようもない日々を浪費していくと、どうしても"ー"が”+”を上回ってしまう。人生はその積み重ねであり、本当に日々がしんどいものでしかない。不安を酒でかき消す生活を送り続けていたら少しづつ身体にも異変が出てきたが、他の人間はどうやってまともに日々をこなしているのだろうか。
脳内空っぽ偏差値30田舎ヤンキー的思想(100%偏見)があれば、余計なことも考えられずに済んで「幸せ」に感じられるのかもしれない。ただ、あいにく私にはそのようなものは持ち合わせていなさそうで悲しいものである。
人生が幸福に向かって進んでいくとはとても思えない私には、ただただ彼ら彼女らの精神性の素晴らしさに感服する他ないのだろうか。
政府系機関にハッキングが始まる、離島が占領される、ネット断線してからの煽動、
米軍の参戦、ってあたりはわかる。
仮のシナリオで、米軍が劣勢になって前線が押し上げられたとき、よくわからない。
徴兵が始まる!とかいう人もいるだろうが、素人を連れてきても今じゃ意味がなさそうに思う。
戦時生産体制に移行なんてするってのも、現代じゃ、そんな戦争は火力が高いから長期化しないんじゃ?と思ってしまう。
ミサイルが着弾し民間人に犠牲者が出たとか、自衛隊の死者が2桁超えたとか、報道され始めると、
戦争反対とやったらやり返せとか、ネットで議論が始まるのは想像できる。
死者の画像がネットでバラ撒かれると、反戦の声が高まるのも想像できる。
コロナによって株式が暴落したときにGPIF、日銀が大量に買っていた。
コロナ暴落から価値を取り戻して、コロナ以前より株価は高くなっている。この先バブルが見えそうなのなら売ることを求められる。暴落のときに株を買ってバブルの時に売るとなると、差分は完全に儲けなんだよね。
一般投資家なら逆張りをしようとしてもその間に追証を求められたりしてうまく行かないが、政府系機関だから金が詰まることはない。
つまりは、暴落したときに買って景気が過熱気味になったときに売るというのは、経済が成長しているときは損することはない。儲かる逆張り屋の典型である。
景気安定化の役割を担いつつ、経済が成長し続ける限りは損をすることがないわけだ。
まあ、経済成長は別の要素だけど、必要なのは政府が基礎研究投資、萌芽研究投資、不景気でも企業に金を貯め込まさず研究投資、設備投資をさせることが必要だ。政府の緊縮と、企業が金を貯め込んで放置する新自由主義では衰退する。