「政務」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 政務とは

2020-05-26

黒川氏がなぜ時の政権に重宝されたか

ただ、黒川氏の本領が発揮され始めたのは、民主党政権下だったと言われている。別の法務検察関係者解説する。

政務を担う官房審議官として黒川氏は、言葉は悪いですが千葉景子法相を完全に“手なずける”ことに成功したのです。黒川氏は千葉法相の歓心を買うべく努め、厚い信頼を得ました。その証左が、アムネスティ議員連盟事務局長を務めるなど人権派弁護士として知られた千葉法相が、2人の死刑執行命令書にサインをしたという事実です。また、黒川氏は2010年8月松山地検検事正転出しましたが、なんと2カ月後の10月法務省官房付として本省に戻されています

https://bunshun.jp/articles/-/38028?device=smartphone&page=2

そろそろ、黒川氏の暗躍で自民党の疑獄をコントロールしたとかい妄想からは覚めた方がいいよね。

IR汚職だの河井夫妻だの反例があるわけだから

黒川氏が「有用」だというのはそういう意味じゃないよ。

また、これ読む限り黒川氏は相手を問わず政治家コントロールがうまく、なおかつ周知の通りマスコミとも繋がりがある。

まり検事総長レースに乗せられなければ、この人は検察庁にとっても極めて有用な人だったんだろう。

2020-04-24

anond:20200423101926

天皇の座そのものの奪い合いは全然あっただろ

不可侵でもなんでもねぇよ

道鏡だって皇族でもないのに天皇になろうとしたし

あと南北朝時代というのがあってなぁ

それに江戸幕府だって大政委任天皇から政治を預かる)は幕政安定後ずっと認めてなくて、末期に家茂の時代にようやく政務委任勅命を認めたんだぞ

バチバチにタメで朝廷権力争いしてたわ

明治以降の「天皇はずっと不可侵神輿だった」という歴史しか勉強してなす

2018-12-18

anond:20181218171317

XXXX.XX.XX 織田信長誕生

XXXX.XX.XX 信長は、早くに信秀から那古野城を譲られ、城主となった。信長には奇天烈な行動が多く、周囲からうつけと呼ばれたらしい。

XXXX.XX.XX 古渡城にて元服し、三郎信長と称する。

XXXX.XX.XX 今川方との小競り合いにおいて初陣。

XXXX.XX.XX 尾張国支配政務にも関わる

XXXX.XX.XX 父・信秀と敵対していた美濃国戦国大名斎藤道三との和睦が成立、道三の娘・濃姫信長の間で政略結婚

このログから何が学べると?

2018-10-21

藤原道長足利義満徳川吉宗、で「日本三大…

日本三大・初代でなく、戦で大手柄を立てたわけでなく、平時政務文化事業とか)で名を残したトップリーダー」というのを考えたのである

もっと簡潔なキャッチフレーズはないもの

2018-09-28

国民民主党県議、花角英世知事に「出直し選挙公約放棄を迫る

2018年9月28日新潟日報朝刊7面にて、上杉知之県議新潟市中央区選出)。

27日新県議本会議質問知事県民に信を問うと改めて説明した。

県民の信を問う」として柏崎刈羽原子力発電所の前提となる新潟県によるいわゆる「三つの検証」終了後、出直し選挙を行うことは「一般県民議論する機運がない中で判断させるべきではない」とし原発理解度などの定期調査を行ったうえで他県同様地元首長同意で再稼働の是非を判断すべきだ上杉県議は迫った。


上杉氏は国民党県連政務会長6月投開票新潟県知事選について、産経新聞地方版記事で「国政の代理戦争となって残念だった」としている。

国民・立憲ら旧民進党は、連合新潟の長年の要求野党共闘の機運高まりから社民党とともに米山隆一知事当選後、統一会派未来にいがた」を組織している。

国民党を含む野党各党が推薦した池田千賀子候補検証終了後、住民投票で信を問うこととしていた。

新潟市内でBRT(新交通システム)を運行する新潟交通社員で、新潟空港のアクセス改善などの質問をしている。

原発放射能関連では、福島第一原発事故発生直後、放射能の被ばく線量について正確なデータが取れなかったと公式に認められているなか、福島県内と水系のつながる県内河川の放射性汚泥保管について、

「期限を決めて再処理(セメント化等加工処理を許可すること。事実上危険指定解除)すべきだ」と過去県議会で主張している。

余談だが自身ブログでも知事選期間中の5/28に「新しい知事が誰になったとしても、二元代表制における議会役割として是々非々で臨みたいと思います。」と述べており、池田支援消極的であった可能性がある。

https://blog.goo.ne.jp/niigata_uesugi/e/d318cc9b70b62e430e144283d55c4958

2018-05-27

https://anond.hatelabo.jp/20180527190259

よく言われるけど、支持されているというよりも消去法で選ばれている

試しに他を選んでみるとか、甘い言葉に騙されるとひどい目に遭うということを

無知有権者レベルでも認識してしまたことが大きいと思う

モリカケとかくだらないことでしかメディアが騒がないということは

裏を返せば、実務者レベル政務がきっちりまわっているということで

そういった政治的な安定性が経済的な安定性につながって

偉い人や金持ちには受けがいいという構図なのではないか

貧乏人にはおもしろくないだろうけど、政治はショーではないので。(と思いたい)

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍の教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線を張っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学理系に進みました。教科書を読んだのは興味本位にすぎません。

はじめに書いたとおり、最新版教科書を持ってません。今回はてブでバズっていてびっくりしましたが、筆者は歴史学の専門家でも何でもないことをお断りしておきます

追記id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝です。)

  

  

  

追記

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかたことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍『日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-04-06

菊池誠っていつからあんなにアレになったの?

@kikumacoってさ、

やってることが毎日毎日エクストリーム擁護または話題そらしでネトサポそっくりだけどさ。

れいからなの?

リフレカルトに染まってるから

今日もあぜんとしたんだけど


権限責任もない人の「意向」に従ってついてって自発的にやったと本気で思ってるわけ?

一応私見を書いておくが、

これに関しては国家公務員一般的知識として、党務、政務に参加してはダメだというのは当然知れ渡っているわけで

選挙応援する姿をiPad撮影して、提供することは、まぁアウトだと思うし、断固拒絶すべきだったとは思うが、

「それは党務ですのでお手伝いできません」なんていえると、本気で思っているのか?

土生や菅が一応曲がりなりにも「問題ない」って言ってくれてるところをみると

少なくとも選挙運動について同行することそのものに関して、上司了解はとってるよ。

常設の2人が持ち回りで随行していることから考えても、平日に執務室を不在にすることに関して

出張命令権者たる内閣総務官に許可を取ってないわけがない。

私人たる安倍昭恵交通費その他を支弁したこととしているわけだが、

国家公務員が連絡調整のために、それに随行するとしたらそれは公務であり、

依頼出張手続きが行われているはずだ。

そうでないなら、公務員交通費を支弁されることもできないし、

超過勤務手当て、休日出張の日当等を受け取れる道理がない。

あと、公務員交通費支給されて、そこで特定政党ないし政治家に利する行為を行った場合

交通費支給した側は買収行為とみなされるおそれはないわけではない(選挙運動目的とした随行であることを証明する必要はあるだろう)

その場合、当然支給した側は公職選挙法規定する買収行為として連座制適用されるから

昭恵には責任ないとは言えはしない。

大体、本来私費で雇うべき用務に、公務員を利用した政治家ないし、政治家家族

政治家としての責任がないとか言ってるんだとしたらなに考えてんだろうとはおもうね。

追記

記憶あいまいながら、たしか土生は出張命令等は出ていないと答弁していたように思うが、

公務員出張する場合、旅費を相手負担しようななんだろうが、出張伺兼命令書を作成していなければならないはずなので、

当該秘書たちの出張伺兼命令書または安倍昭恵から出張依頼書を提出するよう要求し、

存在しないというのならば、どういう法的根拠彼女らが出張していたのかをギリギリ責めるべきだな。

この紙が出せない出張なんだとすると、前に新潮だかが書いていた官房機密費の疑いが濃厚になる。

だいたい、私費で雇えば万障滞りなくクリアできるのに公人を使ってるケチ

何百万円にもなる交通費私費から出したなんて誰が信じるかよ。

2017-03-27

森友問題の最大の成果は、行政文書範囲拡大(できないだろうけど)

https://news.yahoo.co.jp/byline/masanoatsuko/20170327-00069178/

中央省庁役人をしてましたが、いまは外にいるので、傍観者的に批評できます

役人からすると、政治家業者とのやりとりは、行政文書として保存・公開対象としておくのが、自分の身を守るためにも過去の経緯を後任に伝達するためにも、役立つに決まっています。でも実際には、それをされると、世間批判を受けやすくなる、さらには「調整力」を発揮できなくなってしま政治家のセンセイたちのことを考え、行政文書として保存するような野暮な真似はせず、「個人的メモ」という名の書類が、個人の机の中には保存されるようになります

おそらくこのFAXコピーは、総理夫人付き部屋の机の中にある「政務案件 その○」というファイルに綴られていたのでしょう。本件が怪しい案件だというのは、官邸スタッフなら容易に嗅覚が聞くでしょうから総理総理夫人に泥が被らないうちに事務方だけで対処することを、おそらく、総理夫人付と、総理政務秘書官総理財務秘書官の間で相談し、夫人には事後報告ですませていたのかなぁと推察いたします。

こんな話は、官邸のみならず、霞ヶ関さらには日本中公務員職場にあふれかえっているはずです。役人自発的にやるのは不可能なので、「やりとりをすべて文章化して保管せよ」という政治家が最もいやがる制度政治家が作らない限り、改善されることはないと思います

2017-01-07

[]

4おわってディスガイアしばらくやめよう時間あけてから3をまた再開しようと思ってたけど休み利用して今やっとこうと思ってやってた

なんとか3も現世バールまで倒して一区切りついたからやめることにする

修羅開放してないけど、だふちけっと集めるのめんどいし、修羅いかなくても現世バール倒せたから十分だわ

後日談でトラペも盗み放題、日給スティックも盗み放題だったし

でもそのかんたんさにくらべて、4よりもねこばばがしづらかったかモチベさがったってのがでかいかなー

かなりねこばばしづらくてめんどいからやるきなくしたってのがでかいな3は

なんとかかんとか苦労して、100Fまでもぐったトラペを3つ複製して現世バールに勝ったっていう感じ

カンストトラペ作るつもりだったけど、100Fまでいって20万そこらのステになって政務ボーナスついただけで余裕でバール倒せちゃったからなあ

後日談のルチルステラはい百合でしたね

ラズベリル変は・・・あんま覚えてないな・・・先生になってどうこうって話だったか

ともかくこれでほんとにvitaのやつはひととおりやったからもう当分やんないとおもうってくらいやりきった感はある

次やるのはD2か5のreturnでたときかなー

出ないらしいけど・・・

2015-08-10

自民党支配のやり方

学校日本史では、天皇家外戚になったことで藤原氏が進出したと習う。藤原道長が顕著な例で、娘を次々に天皇家に嫁がせて世継ぎを生ませることに成功した。運にも左右されるが政務を牛耳る方法は如上の通り。

1000年後の日本では、自民党政権を握った。自民党選挙制度のもとでどのように政務支配を実現したか。それは、自民党選挙投票する先がだいだい自民党しかないように社会を作り上げたのだ。かつての二大政党であった社会党はしぼんだ。社会党の後、二大政党を作りだしたかに見える民主党ダメだ。もともと自民出身者が作ったもの根本イデオロギーは同じなのだ

「どこに投票しても同じ」にしたことが自民党成功の要因だ。選挙で戦う以外に、自民党はこうした闘争を経て政権の牛耳を執っているのだ。道長のやり口が姻戚制度のもとで根深いのと同じように、自民党のやり口も選挙制度のもとでは根深い。

ずっと後の日本史教科書では、こうした自民党選挙の外の闘争が記されることになるだろう。

2015-03-06

http://oimoimomomo.sakura.ne.jp

 ねねは、清正の主たる秀吉の、糟糠の妻だ。

 清正がまだ虎之介と呼ばれた幼い頃から、正則と共に実の子のように可愛がってくれた、所謂母のような存在だった。

 ねねの存在があったからこそ、今この肥後25万石を納める加藤清正があると断言して良い。清正や正則と言った子飼いの将が、他の古参の将兵を差し置いて高禄を食める身分になれたのは、一重にねねによる推挙があったからだ。

 だからこそ清正は、大坂城登城する機会があればねね――いや、北政所となった彼女のご機嫌伺いを欠かさなかった。

 この度の出仕もそうだったはずだ。

 しかし、実はいつもといささか様子が違った。

「清正、今日あなたに紹介したい人がいるのよ」

 簡単な挨拶を済ませた(と言っても、ねね自身が堅苦しい挨拶を好まないので、形式だけのものでさえなかったが)すぐ後に、ねねが言った。

 一体なんだと訝る清正だが、それを面には出さずにただ頷くいた。

 ねねが名を呼ぶ。

 はい、と返事があって、軽い衣擦れの音が耳に入った。「……清正」

 聞いたことのない声が、清正の名を呼ぶ。しかも呼び付けで。

 何事だ、と眉をしかめて声の方向を無遠慮に見た清正は、ますます仏頂面になった。

 現れたのは、年若い娘だった。全くもって見覚えもなければ、呼び捨てにされる筋合いもない。

 とっさにねねの方に視線をやったが、彼女はただにこにこと笑っているだけで何の説明もなされない。

 そうこうしているうちに、娘が清正に駆け寄ってきた。

「清正!?え、本物…」

「おねね様」

 娘の手が清正の身体に触れようとした瞬間、耐えかねて清正は声を上げた。

 清正の拒絶する態度がわかったのか、そう言った瞬間娘は手を引っ込めてぴたりと止まる。

「…あの、説明していただけますか」

 少し不機嫌そうに清正が言うと、ねねはやや困ったような顔をした。ついで苦笑を浮かべて、おいで、と娘に向かって手を差し伸べる。

 すると娘は何の疑問もなくねねの隣に座った。ねねの隣…つまり上座だ。

 いよいよもって清正は訳が分からなくなる。

 恐らくこの天下で二番目に権力を持っているのは彼女関白秀吉の正室、北政所だ。

 余談ながら、秀吉が小身だった頃から夫をよく助けていた彼女に、秀吉は頭が上がらない。また、ねねは豊臣政権の内政や人事も把握し、秀吉によく助言している。秀吉の目に見えないところをねねがカバーしているような格好で、彼女によって取りたてられた者も少なくない。

 雌鳥歌えば家滅ぶという故事もあるが、ねねはそんなものは知らぬとばかりに、秀吉を、国政を支えたのだ。

 ともあれ。

 そんな女性の隣に、図々しくも座れるようなこの小娘とは一体何だ。清正の疑念ますます膨れ、とどまることを知らない。

 さまざまな想像をする清正に、ねねが弾けるように笑い声を上げた。

「やだよ、清正。そんなに怖い顔をしちゃ」

「いえ、…そのようなことは」

「ごめんね、何も説明しないで。紹介したかったっていうのは、この娘のこと。夢子っていうのよ」

 その夢子が一体何なのだと、清正は喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。

 無意識視線を動かすと、娘が清正を凝視しているのが目に入る。

 居心地の悪さを覚えて目を逸らすと、清正はねねの次の言葉を待った。

 若干いらいらとする清正に、ねねはどこまでもマイペースかつ笑みすら浮かべて楽しげだ。

「実はね、清正。もの相談なんだけど――」

 紡ぎだされたねねの言葉に、清正は絶句した。

 *** ** ***

 意味が分からない。

 というのが清正の正直な本音だった。納得出来ない。出来るわけがない。

 何故こうなった、と清正は頭を抱え込みながら――隣を歩く娘をちらりと盗み見た。何も考えてなさそうに、少し楽しげに、弾むようにして歩くこの娘。

 着物が変だ。丈が短すぎる。しかし、貧しいから丈を詰めていると言う風でもない。汚れてもいないし擦り切れてもいないし、何より露出した肌には貧困を表すものが何一つとしてなかった。思えば、南蛮人着物の形に近いものがある。

 夢子、というこの娘。

 ねねによると、突如として光の中から現れたという。そこからしてまず、信じることが出来ない。しかし、ねねは清正の大恩人。ここは素直に信じることにした。

 しかし、百歩譲ってこの娘が光の中から現れたとしよう。問題はその次だ。

 この娘が、今から4、500年先の世界からやってきたということ。

 ねねは信じたらしいが、清正には無理だ。第一、4、500年の未来がどうなっているか想像もつかない。

 秀吉やねねは、その人柄と広すぎる懐ゆえか、この怪しすぎる娘を稀なる客人としてもてなしているらしいが、清正には無理だ。

 なのに現状、清正はねねからこの娘を押し付けられてしまった。いや、“押し付けられた”というのは表現が悪い。ねねは無理にとは言わなかった。『出来れば』という表現をした。そして、他ならぬねねの頼みだから断れなかったのは、清正だ。今更この決定を覆していては男が廃るどころか、大恩をあだで返すことにもなりかねない。

 とは言っても、薄気味悪いとは思った。

 なんの変哲もない娘であるが、口を開けばおかしなことしか言わない。

 清正とこの娘が来世では恋人である、とか

 娘は初めから、清正のことを知っていた。

 ねねや秀吉との会話から発展していったらしい。どのような詳細があったかは知らないが、ともかく、娘が“会ってみたい”と言ったそうだ。

 そして今日に至った。

 ねねの言い分としては、『故郷をとても懐かしんでいるから、かりそめとは言え、知った人間の元で過ごすのが一番だろう』とのこと。暗に、その恋人とやらの役をしろと命ぜられているかのようだ。

 何より、本人の希望が強かったらしい。

 今はおとなしいが、先ほどまではうるさいくらいだった。

 清正、清正、と全く見知らぬ人間(それも小娘)から呼び捨てにされるのは、少々我慢がならない。

 しかし、ねねの頼みを断ることは出来ないし、粗略に扱うことも出来ない。お願いよ、なんて手を合わせて頼まれたら断るなんてとんでもない。

 (まったく、人がいい)

 と思わないでもないが、そんなねねが好きだからと思えばそれ以上は何も言えない清正だった。

 ともあれ、“客人の接待”と思えば良い。

 屋敷に戻れば、部屋を確保し、家臣侍女に説明をしなければならないのだが、なんと言ったものか。

 色々と考えをめぐらして、改めて面倒なことになったと思いながら清正は屋敷を目指したのだった。

 ともあれ清正の行動は早く、“北政所から客人をお預かりした。丁重に扱うように”とし、あとは黙殺していようと考えた。

 ねねは、可能ならそばに置いてあげて欲しいと言ったが、機嫌を取れとは言っていない。

 清正には他にも仕事があるし、この娘にばかり構ってはいられないのだ。

 そうやって放置して、半月まりが過ぎたときだった。

 自室にて政務を執る清正は、こっそりと忍び寄ってくる気配を察知した。

 普通なら何者だと人を呼ばうところだが、こんな白昼堂々、しかも気配だだ漏れでやってくる諜者がいるものか。何より、戦時でもないというのに。

 何だ、と思っていると障子戸の向こうから声がかけられた。

 一応返事をすると、控えめに開けられる。暫くぶりに顔を見た、あの娘だった。

 文机に向かう清正を一瞥すると、どこか忍ぶようにして部屋に入ってくる。

政務中だ」

 一言断ると、分かっていると娘はしゃあしゃあと言った。だったら早く出て行けと心の中で思った清正だ。

 娘はそんな清正など構いもせず、部屋の隅にちょこんと腰掛けると、どこから取り出したのか本を膝の上に置いて読む体勢を作った。

邪魔しない、静かにしてるから。いいでしょ?」

「…勝手しろ

 出て行く気配がないところを見ると、清正は嘆息をついてそう答えた。

 初めは娘の視線が清正に寄せられていたが、暫くするとそれもなくなる。

 しかし時折思い出したように娘の瞳が清正を見つめ、逸らされる。

 当然のように会話はなく、わずかな物音さえ許さないそこは沈黙に包まれた。

 それは、次の日も、その次の日も、その次の日もずっと続いた。

 こっそりとやって来ては声をかけ、部屋の隅で本を読む。

 読み終わっても出て行かず、ぼうっとしているか清正の後姿を眺めている。

 そんな日が、続いた。

 (何だ?)

 と清正は訝ったが、その疑問をぶつけるわけでもない。

 別に何かの邪魔になるわけでもなし、放っておくことにした。

 一度など、あまりにも静かで動く気配さえないので振り返ってみると、娘は打掛を布団代わりに部屋の隅で丸まって眠っていた。

 清正は呆れる思いだったが、これを機にと思って気配を忍ばせて近寄ってみた。観察ばかりされているので、観察し返してやろうと。

 よほど寝入っているのか気配に疎いのか、清正が近づいただけでは起きる様子も見せない。

 畳の上に、短い(当代比)髪が散らばっている。

 肌は白く、身体には傷ひとつなく、教養はないくせに読み書きは出来る。行儀作法は全くできていない(どころか常識にも乏しい)が、やはり下層民ということはないらしい。

 小さい顔だと、清正は己の掌と比べて思った。清正のそれで顔面が覆えるのではないかと、興味本位でそろそろと手を伸ばした時。

 折悪しくも娘が目を覚ました。

 慌てて清正が手を引っ込めると、娘はゆっくりと身体を起こして何をしているのかと尋ねる。

 狼狽した清正が正直に答えると、一瞬娘は目を丸くし、ついで笑った。

「同じことしてる」

 誰と、と問えば清正、と娘は答えた。清正が変な顔をして困惑を示すと、娘は手を振って違うと言った。

「私の恋人。来世のあなた?かな」

 それを境に、清正と娘は少しずつ会話をするようになった。

 といっても、大体にして娘がしゃべり清正が相槌を打つという格好。内容も大したことはない世間話から、二人の共通の人物である秀吉やねねのこと。この話題になると、清正も少しばかり言葉を話した。

 だが、一番多いのは“清正”のことだ。――娘の恋人であるという、清正のこと。これは、半ば娘の独り言のようにして語られることが多い。

 回想するように、懐かしむように。

 そして、いとおしそうに。

「……清正、今何してるのかなぁ」

 最後はいつもそれで締めくくられる。

 初めは興味なさそうに聞いていた清正であったが、次第にどんな人間なのか気になりだしてきた。娘の言うことには、清正と同姓同名で背格好人相もそっくり、声まで似ていて性格も類似しているとか。

 そして何より、娘が“清正”を愛していると言う。

 単純に、どんな男なのか気になった。

 しかしある日から、娘が清正の居室に来なくなった。

 最初は放っておいたが、こない日が三日、四日と続くと何かあったのだろうか思うようになった。

 七日連続でそれが続いたとき、とうとう清正は立ち上がった。

 それとなく家臣の者に聞いてみると、屋敷の外に出ているとのこと。供もつけずに。

 放っておこうかとも思ったが、よくよく考えてみると、あの娘は北政所から預かった客人だ。白昼、秀吉のお膝元である大坂武家屋敷で、妙な物がいるわけはないが、万が一ということがある。何より

あんな調子で他の者に話しかけていては、それが事情を知らぬ人間だったら命がいくつあっても足りない。清正は慣れたが。

 考えあぐねた末、清正は娘の部屋を訪れることにした。事情を聞いて、必要があれば供をつけさせるよう、釘をさすつもりだった。

「供もつけずに、屋敷を抜けているらしいな」

 突然の清正の来訪に、娘は驚いたようだったが、開口一番の清正の言葉もっと驚いたようだ。

 しかし驚いたのも一瞬で、はて、と言うように首をかしげてみせた。

「お供ってつけなきゃダメなの?」

 この調子だ。

 清正がため息を吐くと娘は、何よ、と戸惑ったような顔をする。

「だめも何も、普通身分の高い女性は供回りをつけずに出歩いたりしないもんだ」

「でも、私別に身分が高いわけじゃないし」

「それでも、北政所から預かった客人だろうが。お前に何かあっちゃ困るんだ」

 どこまでも暢気そのものといった娘に呆れながら清正が言うが、彼女はまるで聞いてはいない。

 嬉しそうな顔で、

「清正、私のこと心配してくれたの?」

 などと言い出す始末だ。呆れ果てたヤツだ。

 そんな言葉黙殺して、清正は話を先に進めた。

「とにかく、今度から外へ出るときは供をつけろ。世話役侍女がいるだろ」

あやのさんとお絹さん?」

「お前が勝手にふらふら出歩いて、怠慢だと叱責されるのはその二人だからな」

「え?!そんな、怒らないでね!私が勝手に…」

「これからはそうするな言ってるんだ。大体、何しに行ってんだ」

 清正の問いに、娘は、どこかもじもじしてはっきりと答えない。

 答えたくないのなら、と踵を返そうとした清正の裾を捕まえて、娘が、犬!と答えた。

「…散歩してたら、子犬が捨てられてたの。かわいそうだから、餌やりに行ってただけ」

 別に怪しいことしてないよ、と娘は付け加えたが最初から疑ってはいない。

 そうすると、確かに家臣の言葉と一致する。屋敷を出る前に厨によって、弁当を作ってもらっているというから尚更だ。


 俺も焼きが回ったかな、なんて清正は歩きながら考えた。

 供回りはなし、私的な用事で家臣を連れまわすことは出来ない。ごく軽装に身を包んだ清正は(といって、普段から質素であるが)、娘と二人で通りを歩いている。

 どんどんと入り組んだ道に入って行き、しまいには神社のようなところについた。

 こんなところもあったのか、としげしげと周囲を見渡す清正の視界の中で、娘が境内に走っていく。

 清正が娘の後を追うと、太い木の根元に、布に包まれ子犬がいた。生後三月といったくらいか、すでに顔つきは成犬のそれに近づいている。

 娘はそれを撫で、声をかけた。すると子犬の方も懐いているのか、かがんだ娘に飛びつきじゃれ付いた。

 子犬と戯れる姿は、無邪気そのものだ。そしてその笑顔は、今まで見たこともないほど輝いている。本来はこのように笑うのだろうかと清正は思った。

 むっつりと考え込む清正の名を、娘が呼ぶ。

「ねえ、清正も触ってよ。もう、可愛いんだよ、人懐っこくて」

 懐いているのは餌をもらったからだろうと思ったが、清正がアクションを起こすより先に、子犬の方から清正の足元にじゃれ付いてきた。

 今まで特別犬猫に何か思ったことはなかったが、懐かれて悪い気はしない。

 清正が屈んで手をかざすと、子犬は喜んでそれを舐める

「ほら、可愛いでしょ!名前はね、黒いからクロ」

「…まんまだな」

「いいでしょ、別に

 つっこみを入れた清正に、娘は少しばかり頬を膨らませて抗議した。

 暫く無言で犬を眺めていた清正だが、立ち上がって帰るかと娘を促す。

 一瞬、娘がなんとも言えないような瞳で清正を見たが、何も言わなかった。最後にクロをひとつ撫でて、また来るねと呟く。

 清正は腰に手を当てて、そんな様子を見ている。

 名残惜しそうにする娘に、やれやれ嘆息を吐いてから

「飼うんじゃねえのか?」

 と一言尋ねた。

 すると、弾かれたように娘が顔を上げ、清正を凝視する。

 清正がそれ以上何も言わないところを見ると、娘はありがとうと叫んだ。

「クロ、今日は一緒に帰れるんだよ!」

 娘の言葉に、クロは分かっているのかいないのか、一声鳴いた。

 *** ** ***

 ふと、通りがかった清正の目に、縁側に座り込んだ娘の姿が入ってきた。

 わざと足音を立てて近付くが、娘がそれに気づいた様子はない。相変わらず気配に疎いヤツだと清正は思う。

 娘は、縁の下に座っているクロを撫でながらぼんやりと空を見上げている。

 その視線の先、見事な満月があった。

 ――月からやって来たナントヤラ、というわけでもあるまい。

 しかしその横顔には、そこはかとない哀愁があって、望郷の念に駆られているのは明白だ。

 清正はそんなことを思って、羽織を娘の頭からかぶせるように掛けた。

 それでようやく、娘は清正に気づき、こちらを向いた。

「こんなところでぼんやりしてると、風邪引くぞ」

 清正が声を掛けると、娘は羽織を肩から掛けなおしてありがとうと呟いた。

 そして清正を見上げて、微笑む。

「優しいね

「…別に。おねね様から託された客人に何かあったら事だからな」

 嘘は言っていない。清正がむっつりとして言うと、娘は肩をゆらしてクスクスと笑った。

 そんな笑顔にほっとした己に気づいた清正は、誰から指摘されたわけでも、ましてやその安堵を悟られたわけでもないのに、

 (別に

 と心中言い訳をしている。一体誰のための弁明か。

 そんな狼狽を誤魔化すようにして、清正はどうしたんだ、と言葉を紡ぐ。

「月なんか眺めて。ゲンダイ、とやらが恋しくなったのか」

 紛らわすために適当に吐いた言葉であったが、娘は頷いた。

「分かる?さすがは清正、一心同体ね」

 なんでそうなるんだ、と清正は呆れたように口を閉じた。

 一瞬でも心配した自分が損だ。

 むすっとした清正に構わず、娘は言葉を続けた。

「あのね、考えたことがあるのよ。聞いて。…今、目の前に居る清正と、…あなたのことね。あなたと、私の恋人の清正は、やっぱり違うなって」

「当たり前だ。俺は俺以外の何者にもなった覚えはない」

「それは、そうだけどさあ」

 彼女曰く、清正は“来世の恋人”らしい。

 そして彼女の住まうニジュウイッセイキとやらには、清正とそっくりの“清正”が居て。…なんて途方もない話。

「でも、やっぱり似てる」

「…前にも聞いた」

「しゃべり方もね、むっつりした顔もね、全部全部。ご先祖様かな?それとも前世の姿かしら。不思議だわぁ…」

「俺は、俺だ」

 伸ばされた手が、清正の手に触れた。

 控え目な手つきは、清正の手の重さを測るように軽く持ち上げたあとさっと撤退していった。

「やっぱり、ここは戦国時代なのかぁ…。そうよね、あなた戦国武将で、私のことをお世話してくれたおねね様っていうのも、…北政所様ってやつみたいだし」

「だから最初からそう言ってるだろ」

「そうね。あなたは、清正!っていうよりもはや清正様って感じだもの呼び捨てなんて恐れ多いわ」

 と言うものの、娘は清正を呼びつけにする。

 当初それに抵抗があったものの、慣れとは恐ろしいものだ。今の調子で娘が“清正様”なんて言おうものなら、かゆくて仕方がないだろう。

 娘の話は続く。

「私の“清正”は、なんかちょっと尻に敷かれてる感じはあるし、似ててもやっぱり別人ね」

 どこか苦笑気味に娘が言う。

 清正はどこか違和感を覚えた。清正を呼ぶときのそれと、彼女の。。。清正を呼ぶ声音はまるで違うのだ。

 心なしか、清正の顔から表情が消えた。

「…お前の清正とやらは、よほど腑抜けらしいな」

 違和感をかき消すようにそう呟くと、娘がくわっと睨みつけてきた。

「そんなこと言わないでよ!別に腑抜けじゃない」

「女の尻に敷かれる男なんて、腑抜けだろ」

「そんなことない!っていうか、秀吉さまだっておねね様の尻に敷かれてるでしょ」

「愚弄する気か?!」

「愚弄じゃないもん、本人が言ってたの!“わしゃあねねには頭が上がらんでの~”って」

「……」

 想像するだにかたくない。それゆえ、清正は反論言葉を失った。

 黙りこんだ清正に、娘はすこしばかり申し訳なさそうにした。

「まあ、気分を害したのなら謝るけど。…でも、“清正”を他の人からそんな風に言われるのは、いやだなって」

「悪かったな」

「いいよ。そりゃあ、大名あなたから見たら取るに足らないかも知れないけど、それでも“清正”はい旦那様なんだからね。恋愛面ではちょっとヘタレだけど、それ以外だったら男らしいし、指圧うまいし、ノート超きれいに取るんだから!」

「そーかよ」

「そうよ」

 少しばかり意味の分からない言葉もあったが、清正は適当に流した。

 しかしそんな清正に構わず、娘は大いに胸を張る。自分のことのように誇らしげだ。

「まあ、オカルトちょっと苦手でちょっと照れ屋だけど、料理は出来るし、朝も起こしてくれるし、本当に結婚したいくらい最高なのよ。清正の作るモヤシ炒め、食べたいなぁ…」

「清正は、俺だ」

「そーだけど、でもあなた料理できないでしょ」

料理なんて女の仕事だろ」

ジェンダー!“清正”はそんなこと言わないもん。むしろ『お前料理、味薄すぎるんだよ。俺が作る』とか言ってくれるんだから。最高よねえ、ホント

「だから、俺が清正だ!」

 鼓膜をびびりと揺るがすような清正の声に、娘はびくりと肩を揺する。娘どころか、縁の下のクロまでもピンと耳や尻尾を立てて驚いている。

 覚えず大声を出してしまった清正は、彼女の反応でわれに返った。口をつぐみ、たまらず目を逸らした。

「…悪い」

「いや、大丈夫

 (何を馬鹿なことを)

 清正の心中、後悔の大嵐だ。こんな詮無いことで怒鳴っても仕様がないというのに。

 大体何を苛立っているのだと自問しかけて、清正ははっとした。

 一方で娘は、清正の胸中など少しも知らず悩ましげなため息を吐き、帰りたい、とこぼしながらクロを撫でている。

「お前とのお別れはさびしいけどね。きっと清正が責任持って育ててくれるから安心しな。…清正は、何してるんだろうか」

 清正は、その瞬間意識がとんだように錯覚した。

 無意識に繰り出した手が、娘の手を掴んでいる。驚いて清正を振り返る彼女の肩を、もう一方の手ががっちりと掴んで離さない。

 目を丸くした娘が何事か言葉を紡ぐより先に、清正が言った。

「俺は、ここに居る」

 清正の正面の丸い瞳の中に、清正の姿が映りこんでいる。そして、恐らく清正のそれにも彼女の姿が。

 言葉も出せずに固まっていた娘であるが、子犬が膝にもっとと言うようにじゃれ付いてきた拍子に、金縛りが解けたようだ。

 少し恥ずかしそうに目を逸らしてから、苦笑し、娘はかぶりを振った。

「…参ったな。少しドキッとしちゃった」

「清正は、俺だ。俺が清正だ。。。。。」

「でも、…私は、“清正”じゃないとダメだ。だってね、私の好きな清正は、あなたみたいにびしっと決められない。でも、そういう清正が、私は好きだから

夢子、」

 恐らく初めて、名前を呼んだ清正に娘が目を見開いた。

「…名前、知ってたんだ」

 当然だと、清正が答えようとしたまさにその瞬間。

 すっと娘の身体の輪郭がぼやけた。ぎょっとする清正の前で、娘の身体は色を失い、後ろの風景が透けて見えるまでになった。

「あ、来た。タイムリミットだ」

「どういうことだ…?」

「帰れるみたい。清正“様”、これまでお世話になりました。豊臣ご夫妻にもよろしくお伝えくださいませ。…クロ、元気でね」

 もう随分と薄くなった身体で娘はクロの身体に触れる。感触がないのか、クロは不思議そうな顔をするだけで。

 羽織が、ばさりと音を立てて廊下に落ちた。

 清正は思わず捕まえようとして手を伸ばしたが、透き通るだけで掴むことは出来ない。

ありがとう。清正の所に、帰るね」

 その言葉最後に、清正の前から人一人が消えた。「…っオイ!」

 蛍がいっせいに飛び立ったような光の残像だけを残して。

 どこか呆然として、清正は廊下に落ちた己の羽織を拾った。確かに暖かい。――体温はほのかに残っていると言うのに。

 何もなくなった虚空を見つめていると、縁の下からクロが顔を覗かせて鼻を鳴らす。主の不在を嘆いているようにも見えた。

 無意識に手を伸ばしてそんな子犬の頭をなでると、清正はぽつねんと言葉をこぼした。

「…清正って誰だよ…」








 ~fin

2015-02-23

安倍首相の「日教組」ヤジの釈明における「デマ」と民主党の類似例

要点


安倍首相の「日教組」ヤジの釈明における「デマ

安倍首相によるヤジの釈明

まず、安倍首相の「日教組」ヤジの釈明においてどんな発言があったのか。

2/20の衆院予算委員会の質疑応答民主党前原議員安倍首相に質したことは、前日の安倍首相日教組」ヤジという国会における不規則発言手続き正当性であった。

これに対して安倍首相は「事実誤認が明らかである場合には、ここで訂正したこともありますが、今後ですね、静かな討論に心がけたい」と答弁。

再び前原議員が「ちょっと反省が足りないんじゃないですか。事実誤認って、昨日、農林水産大臣の(話の)時に、なんで日教組が出てくるんですか。そこで野次飛ばしたのはは(原文ママ総理自身でしょう?反省もっとしてもらいたい」と発言

安倍首相日教組を持ち出した理由について、「日教組補助金をもらっていて、そして、教育会館というものがあるわけでありますが、教育会館から献金をもらっている議員民主党にはおられて、それに対する質問をかつてかつて我が党がした時に、『これは別の団体から関係ない』というのが、当時の民主党政府としての大臣が答弁した見解であったわけでありますから、それをどう考えるかという指摘をしたところでございます」と述べた。

安倍首相の「日教組」ヤジの理由を補足して箇条書きすると以下のように整理できる。

  1. 日教組補助金を受けていた
  2. 日教組実質的運営する日本教育会館から献金を受けた民主党議員がいた
  3. それについて過去自民党議員が質疑した際に、民主党は法的に別の法人から関係ないと答弁した
  4. から西川農相の献金問題において、精糖工業会館と法的に別法人である精糖工業会を実質的に同一主体とみなし、精糖工業会館による献金政治資金規正法第二十二条の三からの脱法だと批判するのは、過去民主党日教組との資金関係において述べた答弁と一貫性がない


釈明の内容が「デマ」だとする民主党から批判

ところが、安倍首相のヤジ理由事実関係について根拠がなく「デマ」だと民主党から批判がなされた。

答弁と同日の2/20に、細野豪志政調会長自身Twitterアカウントで上記理由1と2について否定し、安倍首相発言を「デマ」だと批判

翌日2/21には、安倍首相にヤジを飛ばされた玉木議員自身ブログ細野政調会長ツイートと同趣旨記事をアップした。

民主党政権期に存在した類似の事例――神本美恵子文科省政務官日教組資金関係における法人同一性問題

実際に存在した民主党と日教組をめぐる資金関係の事例とは何であったか

では、安倍首相のヤジ理由3と4も事実無根だったのか。

端的にいうと安倍首相が答弁内容に合致する事例は確認できなかった。

当時の質疑応答を調べると、ヤジ理由3と4と類似した状況を確認できる事例は存在した。

しかしながら、ヤジ理由1と2に該当するような脱法性を問われたものではなく、

いわゆる政治的中立性が問われた事例であった。

安倍首相の答弁内容の真偽性は今後の答弁で根拠提示できるかどうか次第であるが、

ヤジおよび釈明の意図民主党から批判に対する反論であったのなら、実在した下記の事例を持ち出すべきであった。

その事例とは、2012/3/7の参院決算委員会、3/22の参院文科委員会における質疑応答である

両日ともに質問者自民党義家弘介議員であり、政治的中立性を追及されたのは神本美恵子文科省政務官であった。

この過去の事例を、西川農相の献金問題批判に対抗して持ち出すことは、日本教育会館と日教組との同一性問題において正当化できる。

なぜなら、西川農相の献金問題における「精糖工業会」と「精糖工業会館」の同一性問題が、

民主党政権での政治的中立性が追及された質疑における「日教組」と「日本教育会館」の同一性問題に類似しているからだ。

この関係を図示すると以下の表になる。

事例建物管理法人実質的運営法人
西川農相精糖工業会館精糖工業
神本政務官日本教育会館日教組

この神本政務官の事例で、民主党野田内閣は「日教組」と「日本教育会館」の同一性問題について、両法人同一性否定していた。

具体的な質疑応答の中身

以下では当時の質疑応答を詳しくみていく。

2012/3/7の参院決算委員会3/22の参院文科委員会にて自民党義家議員は、神本文科省政務官政治的中立性を問う質疑を行った。

義家議員の質疑は次のように整理できる

  1. 本美恵子後援会および民主党参議院議員比例三十一総支部(代表:神本政務官)が日本教育会館に所在している
  2. その教育会館を管理している一般財団法人日本教育会館の代表者中村日教組中央執行委員長(当時)で、他の財団理事も教組幹部である
  3. 日教組本部日本教育会館に所在している
  4. 神本政務官日教組組織内候補であり日本民主教育政治連盟日教組政治団体)の議員
  5. 日教組複数の支部が神本政務官政治資金パーティ券を購入している
  6. 神本後援会政務官代表を務める総支部は日本教育会館に賃貸料を払っている
  7. これは事実上日教組賃貸料を負担しているのではないか
  8. 法的には問題ないが、民主党政権閣議決定した国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範に反しており、政治的中立性に問題があるのではないか

これに対して、野田首相平野文科相は日教組日本教育会館の同一性否定し、

神本政務大臣政治的中立性が保たれていると述べた。

2つの事例の類似点と相違点

ここで2つの事例の関係を整理しておこう。

事例建物管理法人実質的運営法人
西川農相精糖工業会館精糖工業
神本政務官日本教育会館日教組

まず類似点とは、建物管理法人建物運営法人との主体同一性問題論点となったことである

この点で、西川農相の献金問題追及に対する反論として神本政務官の事例を持ち出すのは正当であるといえる。

なぜなら、民主党野田内閣がその同一性問題において同一性否定していたかである

次に相違点において重要なのは合法性の質的相違で、

2つの事例はともに合法なのだが、西川農相の事例ではその脱法性が追及されたのに対して、

神本政務官の事例ではそもそも脱法性は追及できない。

政治資金規正法第二十二条の三は、国から補助金を受けた法人に対して当該給付金の決定通知を受けた日から1年間の政治献金を禁止している。

この規則を用いて反実仮想を行うと、もし同一性を疑われている2つ以上の法人が同一に扱われるような法改正が行われた場合

西川農相の事例では違法性を問われることになる。

脱法性の追及が民主党の玉木議員ブーメラン

産経新聞報道によると、「政治資金パーティーの対価として、支援者男性(66)が社長を務める県内の食品会社グループ計8社から計280万円の支払いを受けていた」。

もちろん、これも現行法では合法なのだが、パーティ券の購入主体実質的に同一であるとみなされる場合、脱法の誹りを免れえない。

なぜなら、政治資金規正法第二十二条の八に、「一の政治資金パーティーにつき、同一の者から、百五十万円を超えて、当該政治資金パーティーの対価の支払を受けてはならない」という規定あるからだ。

これまで、実質的同一性を論拠に西川農相の脱法性を追及してきた玉木議員に、その追及が反転してしまったのである

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん