はてなキーワード: 放任主義とは
既婚男性に影響を受けたので
https://anond.hatelabo.jp/20230413211954
独身、20後半、山手線住み、額面1500万、IT系技術職、理系院卒、転職経験あり、身長180アメフト経験ありの大柄男
なぜなら親は高校にすらいったことがなく、下剋上を狙ってるわけじゃないし放任主義だから何でも自分で決めなきゃならない
その中でもなんとか道を見つけようとしてた
大学3年くらいの時に叔母さんから「よく一人で頑張ったね」と云われた
泣きそうになった
叔母さんの娘息子、つまりいとことは年が離れており、学業で苦労した自分はよくアドバイスをした
上の娘は今は大学生。俺のアドバイスを受けて進路を決めたらしい。今の所うまくいってるようだ
下の息子は俺が転入した高校と同じところに通っている。先輩としては鼻が高いね。
従兄弟たちも俺と環境はさして変わらないのでやっぱり高い壁があったが、上手く乗り越えているようだし、俺のことも好きみたいですごく嬉しくなった。
自分も頑張らなければならない。
「表現の自由」問題が盛り上がっているが、前々から思っていることとして、「表現の自由」は以下の三つの立場に分けて理解されるべきだろうと思う。
「どんな不快で差別的な表現であっても、お互いにそれを我慢して認めるのが表現の自由であり、表現への批判それ自体も表現規制につながる危険性が高い。」
「不快で差別的な表現も認められるべきであり、政府による表現規制は好ましくないが、表現への批判も表現の自由の一部であり、そのリスクはきちんと引き受けるべき。」
「不快で差別的な表現を放置することは、社会的弱者やマイノリティの表現・言論の自由を行使する機会と意欲を奪うことになるので、真の表現の自由の実現ためには一定程度は規制されるべき。」
小2の娘がTikTokを見たいと言い出した
みんな見てるから見てないと話題に乗り遅れるとのこと。我が家は基本的には放任主義なので、まぁそういうことなら……とTikTokをインストールしてみた。
一応下調べもして、ペアレンタルコントロールを導入した。制限モードをオンにすることで子供に不適切な動画は表示されないらしい。これと時間制限を合わせたらタブレットを貸して子供に見せても大丈夫かな〜と思っていた。
が、制限モードをオンにしていても、子供に見せたくないような動画が大量に流れてくる。変わったラブボを紹介する動画やオッパイをギリギリまで露出して踊る動画、AV男優のしみけんが必殺のテクを教えてくれる動画……
動画を検索することもできるが、検索候補には「ミニスカ 着回し」「子供服 着てみた」
自分が夜一人で見る分にはおもしろいだろうから、別に規制すべきとは思わないんだがこれを小学生の子供には見せたくない
性欲は恥ずかしいことではなく、健康面やQOLにも直結すること。
性癖の多様性と他者との違いがあることは当たり前であり、認め合うことは大事であること。
そしてメディアでどう表現されていようと、性的な嫌がらせに繋がる発言、行為は絶対にしてはいけないことなどなど。
私が学校にいた頃は性行為の基本、性器の仕組み(精子ができる構造、生理になる構造etc)を学ばされておしまいだったのだけど、必要な教育の基本中の基本であるとわかっている反面、学校が性に関して教育できることってこれっぽっちなのかと失望した記憶。何か感情的な話(性犯罪、性差別等)を避けて、子供とその両親の倫理性、人間性に頼り切ってる感があるのはずっと拭えなかった。
私の親は性教育に関して全くの放任主義だったし(ていうか、当人たちがあまり性欲を直視しようとしてないところがあった。セックスシーンが出てくる映画を子供の前で何の考えなしによく見せてたけど。)私はネットや漫画を中心にして性について学んだ世代だけど、多様な視点(男性向け、女性向け、同性愛者向け等)から学べても、やっぱり性に関しては子供から学べる健康的な基盤がずっと必要だとは思ってきた。性癖への差別、罵倒雑言もよく目にしてきたから、性はちょっとした大人が思わせたいほど、危険で恥ずかしいものでなく、自分と他者を尊重、理解する為にものすごく必要なものであるという認識はもっと拡充されて欲しいと願ってる。
夫が〝子供がやりたがらない事はやらせなくていい〟って方針みたいで、子供の教育方針で揉めそうで子作り悩んでます。
別の話題から子育ての話題に飛んだんたけど、夫は子供が宿題とかやりたくないって手をつけなくても無理してやらせる必要はないって思ってるらしい。
無理してまでやりたくない事をやらせる必要はない、得意な事を伸ばせばいい、と。
親のエゴでやらせたい事があればこっちが創意工夫してやりたくなるよう仕掛けるべきで、そこまでしても嫌がられたら強制すべきじゃないと。まぁ言いたい事はわかるけど子育てってそんな余裕持って出来るもんなの?
それに、本人のやりたい事を尊重しようよってのは年齢が上がれば上がるほど同意なんだけど、幼稚園や小学生のうちは学びの意味なんて本人にはわからないわけで、ある程度嫌がってもやらせて社会の基礎を身につけさせるのが親の責任では?と自分は思ってる。ていうか小さいうちに本人の意思に任せるって育児放棄に近くない?
このままだと夫は放任主義でなんでも甘く、宿題やらなくても許してくれる優しいパパ、色んな事をやれやれうるさいママ、って子育てになるのか?と今から胸がムカムカ。
30歳同士、出会って2年、付き合って1年半のお互い東京生まれ東京育ちのカップルです。
結婚はしてもしなくても事実婚とかでもいいやというだらしないスタンスだったのですが、
彼氏の方から同棲の提案を受け、軽くOKしたらだったらお互いの両親に挨拶をしなければという流れになりました。
私自身は放任主義の両親に育てられたせいか、常識に欠けている部分が多いのではと今から不安でなりません。
一応自営業5年目なので、営業も商談も自分でやっているのでビジネスマナーや会食時の食事のマナーは心得ているつもりです。
(ご実家にはわんさんもいらっしゃるので、お口に合うかわからないのですがおやつギフトセットも用意しました)
自宅でも動きを練習しているので実践も大丈夫かなと思うのですが、
増田のみなさんの恋人の実家に行った時のエピソードを教えて頂きたいのです。
(何を話ししたのか、どんなことを聞かれやすいのか、どう答えると当たり障りないのか、他イレギュラーパターンなど)
麻雀にハマってプロ雀士の試合毎日見てるがこれはよくないんだろうな
どっかの企画で雀士の学力テストみたいなのやってたけどまぁ酷い
そう考えたらちょっと前のプロ雀士って冴えないやつばっかだったのかなって思った
以前からそういう世界に対しての偏見が悪い意味で少ないから 本当に気をつけなきゃ
Nの親のせいでそういうレールを引いてもらえず 自分が目指すものが本当に後からみればくだらないものばかりだった
やりたくないけど 勉強はさせてもらえない だからスポーツとかそういうくだらない方向に行かざるを得なかった
今は受験勉強をしているが 本来ならもっと親が発破かけたりするもんだよな 今まで一度も勉強しろだなんて言われたこともない
最初に言うけど俺はまだ58なんで半分ぐらいは親父や先輩から聞いた話だ。
新入社員は規則正しい生活を学ぶために最初の5年は寮に住めという規則が合ったぐらいだ。
知り合いの自衛官が言うには今でも自衛隊はそんな感じらしいが全く令和の時代にご苦労なことだ。
社員寮での暮らしは寮監や大家と呼ばれる人によって管理され、消灯時間というものさえ設けられていた。
深夜の外出は許可制だったし、休日は会社の運動会だの職場の草刈り打なのによく連れ出された。
上司は怒鳴る蹴るは当たり前で、怒鳴っても物を投げない人は温厚と言われていたものだ。
私が入社しころ瞬間湯沸かし器のように毎日怒っていた人がいたのだが、今は定年再雇用で資料整理係をしているのだがスッカリ大人しくなって驚いている。
会社から権力を借りてくればそれこそ異性の社員だろうが同性の社員だろうが手を出してもいいぐらいだったが、逆に会社が権力を発揮すればリストラはあっという間に行われた。
サントリーの45歳定年の話なんて、昭和の価値観でいえば何もおかしくなく、当時は労働組合が煩いなんていっても鼻薬の嗅がせ方次第でしかなかった。
宴会芸で裸踊りをさせられたと話すと今の子供は驚くが、そもそもチン毛マン毛を燃やされることを拒否して出世したやつがいるものかとドヤされるのが当たり前だったのだ。
飼われているという意味でも畜生であったし、今の尺度で見れば人間としても畜生だったのだろう。
だが今の社会と比べて、会社に飼われることの安心感は強かった。
なんだかんだ言って今の世の中ではサラリーマンと言っても脆弱だ。
給料も少ないし、転職できるネタがあるんだぞと脅さなければ会社に居場所も作りにくく、そのくせ部下はやれ人権だなんだという態度が露骨にすぎる。
テレビで牧場主が家畜相手の家族ぐるみを自慢気に騙るが昔の会社とサラリーマンの関係はそんなもんだった。
会社はサラリーマンがやる気を出せるようにと気を使ってくれもするが結果を出さなければ鎖で縛ったままで殴りつけてきたし首を切るのにも躊躇なんてなかった。
今の会社はどこか他人行儀で結果を出せと語りはするがどこか放任主義で放し飼いのように感じさせる。
会社の看板を掲げることで仕事をとってきたり仕事をもらったりしてその上前を撥ねられるのは同じだが、昔は鵜飼いの鵜のように餌場まで連れて行ってもらえたのが今は餌場ごと自分で探すような状態だ。
いつもは放任主義で口うるさく言ってこない人なのに、コロナワクチンの話題にだけはやたら食いついてきて、反対意見をつらつらと喋る。「摂取したって何にもいいことない」とか、「どうしてみんな打っちゃうんだろう」とか。
母曰く、20代(私)は感染しても死なない可能性が高いので、まずメリットが少ない。デメリットとしては副反応があって、ひどいと死ぬ人もいる。mRNAワクチンを打ってどうなるかはまだわからないから、危険性の方が大きい。摂取後に死んだ人は結構多い。重症化を抑える効果はあるかもしれないが、摂取が終わった人も感染はするので、無症状のままウイルスをばら撒くことになる。よって感染者数はワクチン摂取率上昇とともに増える。摂取をやめたら感染者数の増加は落ち着く。
まあ、5Gとかノーマスクとか言ってるわけじゃないし、なんとなく理屈は通ってる気がする。でも厚労省の言ってることとはなんかずれてる。自分でも母の言ってることが正しいのかどうか色々調べてみた。けど結局よくわからなかった。色んなデータがありすぎて、どこを信じたらいいのかさっぱりわからない。
知識が無いので反論もできないし、こういう話になるとただ相槌を打つようにしている。コロナの話題になるとすぐワクチンの方に飛ぶので、そもそも別の話題を選ぶようにもなった。「打つかどうかはその人の自由だよね」と言ってみたら、その場では「そうだね」と返してくれたけど、夜中になって大量のラインが送られてきて、中身はワクチン摂取率の高い国で死者がいっぱい出てるとか、そういう論文、イスラエルがどーのこーの、偉い人のツイート、感染者数のグラフ、その他諸々……。
いや、私、ワクチンが効果あるとかないとか、死ぬかもしれないとか、本当は全部どうでもいいんだわ。
ただワクチン打ってない時に想定されうるシチュエーションがなんか嫌なんだわ。友達と遊びに行って、「ワクチン打ってないの?」って言われて距離を置かれるとか、万が一感染しちゃった時に、「ワクチン打ってないから」って非難されるとか。
そういう状況を回避したいから打ちたいだけで、別に有効性を母親と議論する気は一切ない。普通に今日天気良かったねとか、そういうことを話したい。ご飯どきに暗い話してもしょーがないじゃん!
私が「友達が何人打ったよ」とか言うと、「え、打ってる人いるの!?」みたいなリアクション。いや、打つでしょ。あなたが思うよりみんな打ってるよ。母親世代とはやっぱり環境が違うのか?
ワクチン打つことは決めた。予約もした。子供じゃあるまいし、自分が打ちたいから打つ。でもその後が怖いんだな。腫れた腕を見られたらなんて言われるんだろうとか、険悪な空気になるの嫌だなとか、どうしても考えてしまう。
同じ悩みを抱えてる人はいないんだろうか?
少なくとも自分の周りは肯定派ばかりだし、母がどうしてこんなに意固地なのかよくわからない……。
長文失礼しました。
もっと叩かれるかと思ってたけど、冷静な反応も多くてびっくりした。特に、丁寧に反論を書いてくれた方々、ありがとう。とても参考になります。
みなさんのコメントも見つつ、自分なりの考えを持てるように、もっとよく調べてみる。
同じような状況の人、強く生きていこうな……。
その上に小中と動物園に通わされていた
放任主義というと聞こえはいいが 金持ちの放任主義なら基本的になんでも揃っているような環境は与えられているが 自分にはそれさえなかった
教室は毎日私語がうるさく集中出来ない上に教師が動物園仕様の対応をするため体罰が飛び火したりすることもあった
高校受験のときにも学校から嫌がらせを受けた 自分と違う名前で受験票を出された(面接の際発覚した もちろん不合格)
それ以来何をしたらいいのかわからない
見知らぬ人間は努力が足りないという しかし努力があれどどこに何を使えばいいかわからない
高校でも努力をし成績もよかったが教師の体罰が酷いので転校した
なぜ自分はこのような道を辿っているにも関わらず世間では努力論一辺倒なのかわからない
努力・甘え論は確かにそういう側面もある だが全部が全部ではないし自分が赦してもらおうとも思ってない
私は教育論的な話がしたいのである こういう人生を無下にされる恐れがある人間が近くにいた場合の話だ