はてなキーワード: 支部とは
@soedashiori
⬛︎泉南市議会議員⬛︎ 靖國神社青年部あさなぎ(西日本支部理事)/自衛官募集相談員/ウイグルを応援する全国地方議員の会/大阪拉致議連/自民党大阪府連青年局青年部幹事長/厚生文教委員会副委員長
https://twitter.com/soedashiori/status/1776596010271129874
3年前のやり取りではなく、3年前から始まった現在進行形のやり取りですね。
デートの誘い等を頻繁に約1年間も続けられるという“冗談”は、新人議員にとっては中々高度過ぎました。
返信しないとキレられるし、いつ機嫌損ねて吊し上げられるかわからないという恐怖もありました。
https://twitter.com/soedashiori/status/1776600374515769623
https://twitter.com/soedashiori/status/1775898780875039178
いつか宝塚の隠れ家に招待したい😊
え、でーとしてくれるの?😊
でも口説く前にふられたみたい😑
好みにド的中して興奮がおさまらない
とにかく読んでくれ
「ハヴィラ戦記」
https://tonarinoyj.jp/episode/2550689798374522269
まだ一話なので考察もクソもない感想と深読みなんだけど、出ている情報や、伏線になり得る可能性のあるところをちょっと考えておきたい
小人はかつて奄美の森に沢山いたが、環境破壊により絶滅寸前となり保護されている、という設定
気になるのはその保護を行っているのが民間の製薬会社である、というところ
例えばトキならば、「佐渡トキ保護センター」があるが、これは環境省が設置し、新潟県が管理・運営しているし、「コウノトリの郷公園」は兵庫県立、そしてまさにこれにピッタリな「奄美野生生物保護センター」も環境省直属、つまり国立だ
ところが「先生」の肩書を見ると、「華蝶製薬 日本支部 羽部良島研究所 第五保護区長」となっており、保護主体が民間企業であることが分かる
それどころか日本支部とあるなら外資?名前からすれば中国系企業?とまで想像ができる
1. 環境省が主体となるほどに生息数が減っているわけではないが、社会的イメージのために本当に私企業のみで保護活動をしている
2. 絶滅危惧は本当だけど、環境省の保護施設とは別に、製薬会社の保護施設がある。動機は上記と同じ社会的イメージのため。
3. 生息数は十分多く、保護は建前で、小人を飼いたい何らかの理由が製薬会社にある (進撃の巨人のように裏がある可能性)
実際、社会的にいいイメージをアピールするために植林や海の浄化などやっている会社は現実にもたくさんあるため、会社に裏の理由があると深読みする必要はない
じゃあ裏の理由があるとすればなにか?と考えると、製薬企業が人に近い動物を飼育するならまず思い浮かぶのは実験のためだろう
現状、マウスで実験をやっているくらいなので、小人がいるならマウスより人に近いデータが取れると思う
そして人権ないなら、そりゃ製薬にしたらたくさん欲しいよね
でもさー、それならマウス飼うのと同じく、交配して欲しくない異性と接触しないようにケージ別けろよとは思いますけどね
と思うと、薬の実験というよりかは、社会性の調査のような形で研究されているのかもしれないね
でも、まだまだ本当の目的はわかんない
ひょっとしたら滅びてたのは大人間のほうだった、なんて可能性すら残っていると思うしね
進撃の巨人や約束のネバーランドのように、楽園の外がどうなっているかは全くもってわからない
それをああだこうだ考えるのが楽しいよね
真面目に保護していたのなら当然だし、製薬会社が仮に小人を実験に使っていたとしても、カラスが入ってきて好き勝手食われていいはずがない
なので外敵の侵入が起きないように楽園を設計していると思われる
廃校舎が街、その前の廃車が家として機能しているようだが、その家と街までの間が野外であるため、そこをカラスに襲われないよう、有刺鉄線が張られている描写がある
これを見れば、ガラスを破るどころか、ガラスの外にカラスが来ることさえないはずの設計になっていたと思われる
にもかかわらず、カラスが入ってきた
カラスが石をくわえて投げてガラスを割ったのか?と思ったけど、実際は人間による投石の可能性もある
大人間も、外の小人も、ガラスを割った犯人である可能性は捨てきれないだろう
つまり小人保護区をよしとしない勢力がいる、と考えて間違いないと思う
これは彼らにとって存在を左右する敵だろう
沖さんが外を見て逃げたのだって、カラスの影を見たから、というだけではないだろう
石を投げようとしている大人間を見たのかもしれない
「つがうと決めた人がいる」という言葉も、外への解放を願う気持ちも考えると、沖さんは外の世界の小人を知っていると推測できる
これはつまり、脱走した人がいるか、沖さんが野生から捕獲された個体か、だと思う
仮に約ネバのように脱走編に移行していくなら、沖さんはアドバイザーになるんだろうか
製薬だしな
今のところ男が2人食われた
製薬とか解放とかそういう話を抜きに楽園の人間関係で当面話が進展していく線もあり得ると思っている
そうすると、今回つがいを失った女が発生することが後々みんなの関係性を変えていくだろう
忍野カラスから生き残れるかわからないけど、マイを全力で守ろうとするだろうね
まあ2人は生き残るだろう
忍野の良さは他の女に知られていると思うと、その後、忍野を自分によこせと主張する女が出る可能性がある
マイは忍野を好いてはいるし頼りにしてはいるけど、性的には望んでいない
急に売り手市場になった時、忍野はマイへの気持ちを貫けるんだろうか?
絶滅危惧種で、遺伝的多様性の観点から配偶相手を何世代も決めているわけなので、複数人の事故死があれば大きな配置転換もあり得るだろう
親子で暮らしてないし
ここは第五保護区で他の保護区もあるようだし、世代ごとに違う保護区で暮らしているのだろうか
2024年3月31日(日)放送のMBSのドキュメンタリーだけど生で見られなくて配信まだかなぁと待ってたらTVerに来てた。
https://tver.jp/episodes/ep706l9a50
労組と弾圧~関西生コン事件を考える~ | MBSドキュメンタリー 映像’24 | MBS 毎日放送
https://www.mbs.jp/eizou/backno/24033100.shtml
ウクライナやガザを映したドキュメンタリーみたいに特別な映像があるわけではないのに、見てて緊張感覚える構成で迫力があった。経営側が警察と右翼と暴力団と四位一体となって労組潰しをする様子が描かれる。
最初に「連帯ユニオン関西生コン支部、通称‟関生″」がアメリカでは普通の産業別労組として生まれて労働者の待遇向上を勝ち取ってきた歴史。
続いて生コン企業が作る経営者側の団体「大阪広域生コンクリート協同組合(大阪広域)」と対決し潰されていく過程。関生のゼネストからの官財暴の連携の鮮やかさが怖かった。大量逮捕された組合員は警察の取り調べで「関生を脱退すれば釈放されるぞ」と脅されていたという。
見どころは右翼活動家に直撃インタビューして「大阪広域の木村理事長にお願いされて毎月70万円で関生を潰す活動をしてた」と話す場面。大阪広域は金銭の支払いを認めず。
終盤の展開は逮捕された組合員たちがぞくぞくと無罪判決を勝ち取っていき希望が見えるが、元警視総監は「無罪が出ても警察に後悔はない。組織暴力と変わらない」と言い放つ。そして無罪判決は上告審で高裁差し戻しになって終わる。戦う労組の将来の暗さが暗示されて陰鬱な気持ちになる。
今は刑事事件やっていないが、登録してから数年は国選を年20件くらいやった。最初の就職地は首都圏ではあるが支部管轄だったので国選がかなり回ってきて、民事が手薄な新人には重要な収入源だった。
被疑者国選のほとんどは自白事件なので情状弁護をすることになるが、過去は変更できないから犯情事実でできることは少なく、したがって理論上は量刑に与えるインパクトが最も小さい一般情状の、さらにその中でも示談・環境調整・反省が仕事の中心になる。示談によって被害の回復を図り、環境調整と反省によって再犯防止を図り、これらの事情を起訴・不起訴の判断や量刑に反映させるのが仕事である。
謝罪文や反省文というのは、被害者を慰撫して示談の可能性を高めるツールであると同時に、本人の反省の深化・具体化を促すとともにそれを証拠化するツールでもある。というか、すばらしい謝罪文があるから示談できたなどということはまず無いので、主な目的は反省の深化・具体化と証拠化である。
さて、そこで被疑者に反省文を書いてもらうのだが、累犯前科者でもない限り、初めはまず非常に薄っぺらい反省文が出てくる。多少文字を書ける人でも、書いてくるのはせいぜい「反省しています」を「海より深く反省しています」と修辞しただけのものに過ぎない。
そこでより深く具体的な反省を促すために、被疑者に課題を与える。たとえば被害や影響をもっと具体的に想像させる。被害者への言及がなかったなら被害者はどう感じたと思うかを書かせ、「被害者は怖かったと思います」と書いてくるならその恐怖を味わった人はその後その時間その場所を避けて生活するといった行動の制約が出てくるんじゃないかと想像させる。そういう形で、犯罪者の自分本位な視野を広げるとともに、より被害者の視点に立った再発防止策を考える手伝いをする。
こうして深化した反省を、十分に反映された反省文として証拠化する。普通の人は、書くべきポイントをリスト化して良い順番で並べて網羅的かつ繋がりの良い文章を書くことはできないので、弁護人の方で草稿を作ってあげる。だいたいの被疑者は弁護士の文章を書き換えずにそのまま清書するので、弁護士の草稿はそのまま反省文の原稿となり、反省文は弁護士の作文という状況が出来上がる。
弁護士の作文ではあるのだが、基本的には被疑者本人の反省の内容と水準を反映したものになる。弁護士が考えた最高の反省文を書き写させたところで、被疑者本人の理解と実感が伴わなければ取調べや公判での被告人質問に到底耐えないし、反省文に含める具体的な再発防止策は被疑者本人の同意のもとでなければ外に出せないからだ。被疑者に全文を自書させるのは、反省文の内容を本人に内面化させるための手続きでもある。
被害者との関係でいうと、反省文というのはさして意味はない。だいたい犯罪被害者というのは犯人のどんな反省文を読んでも薄っぺらいものにしか感じないもので、示談のポイントは基本的に示談書に書く内容、すなわち示談金と再発防止(特定の場所への接近禁止など)だ。
ただ、これは私自身が一度失敗したことでもあるのだが、比較的出来の良い謝罪文を書く被疑者について、被疑者自身の言葉で反省を伝えた方が良いのではと思い、ほぼ修正無しの謝罪文を被害者に渡したところ、こんな汚い文章のまま出すなんて反省が見られないと立腹されたことがある(まぁそうは言っても示談は成立したのだが。)。謝罪文の出来が良いことで示談できることは無いのだが、謝罪文の出来が悪いのはリスクかもしれない。
謝罪文の作文のことを書いているのは、これを生成AIで作成した弁護士の話が読売新聞の記事になったからである。
弁護人が被疑者について「反省の気持ちはあると感じたが、(男は)文章を書くのが苦手で、とても被害者側に渡せる内容ではなかった」という状況下で、生成AIに「「改善策も盛り込んで」と繰り返し指示し、被害者の心情に配慮しつつ、男から聞き取った反省の言葉も盛り込んだ」謝罪文を起案させたというのは、背景事情を善意に解釈(記者の悪意を斟酌)するならば、通常の謝罪文作成プロセスとそう異なるものではなかったのでは無いか。刑事弁護人が被疑者に「反省の気持ちはあると感じ」るハードルはわりと高い。口や文章では立派な反省を述べる累犯者をざらに目にしており(累犯者の方が謝罪文を書き慣れていて、充実した反省文を書く。)、反省文の出来の良さと内心の反省に相関が無いことをよく了解している。
そんな謝罪文が量刑に影響を与えるなんてけしからんと憤る人もいるようだが、謝罪文は量刑理論の中でも最下層に位置付けられており、かつその内実も上記のとおりであることを実務家はよくわきまえているから、謝罪文それ自体で軽を軽くする効果はまず無い。
それでも弁護人が謝罪文を書かせるのは、その作成プロセスを通じて具体的・客観的な再発防止策や真摯な反省を促すことで、考慮に値するレベルの一般情状を作るためだ。手書きさせたのはロンダリングかという批判もあるが、本人という出力装置を介すことで本人に対する感銘力を企図していることは、大抵の被害者にも感じていただけていると思う(し、「弁護士の作文でしょ?」と聞かれた時に説明しやすい。)。
気持ちはめちゃくちゃ分かるけど、増田さんはたまたま無職の時に自分が好きな業界の募集があって舞い上がっただけなように見える。
向こうとしては当然プロを求めてるわけだし、業界経験ゼロ、提供できる価値が人当たりの良さとマルチタスク、ではふんわりしすぎているかも。
氷河期や土地柄や性別で悔しい思いをしたところ、同情できる点はたくさんある。でも私はずっとやりたかったクリエイティブ系の仕事のために別の仕事しながら資格とかめっちゃ取ってオンラインやらオフ会や展示会の度東京行ってコネ作って準備が整った30歳の時点で全部家族との縁とか捨てる覚悟で一念発起して地方から上京した(今もその業界に何とかしがみついてるよ)から、ぶっちゃけ増田さんの職務経歴書を作り込んだという話だけでは"甘いな〜"とも思ってしまった。
東京本社の出版社なんて、もっともっとガツガツして準備して郷を捨てて人を蹴落としてでも職を掴んでやるって覚悟の人がごまんといるよ。学生時代から編プロに潜り込んでなんとかコネ作ったり、顔覚えられるぐらい出版持ち込みしたりとかね。
増田さんは小説書きになりたいの?それとも本気で編集者になりたいの?編集者に本気でなりたいなら、九州在住でもやれたことはたくさんあったはず(地域誌のバイトやボランティアに参加するとか、勤めてた医療系の広報と関わりを持って出版系のコネを作るとか、オンラインで編集技術のワーク受講とか)そういうのがない時点でいくらグイグイ面接に来てくれても"お客様気分で応募してきたミーハーな同人作家"としか見れないと思う。
でも面接までやってくれてのは、多分九州支部の人が"この人は見込みがあるから一度面接だけでも"と東京の人に伝えてくれたんだろうし、オンラインだろうと面接を実施したのはきっと増田さんの職務経歴書や履歴書に編集者目線で見て光るものがあったのだと思うからすごい。全く落胆する話ではないと思う。その行動力を活かして次何をするかが1番大事だと思う。医療という絶対に食いっぱぐれないスキルがあるのは強いから、思い切って別業界に飛び込むのもアリなのでは。
私は腐女子で、「左右固定」というやつだ。とはいえそんなにこだわりが強い方ではない。雑食の友人がたくさんいるし、キャラ解釈が合えば逆カプの人とも友達になってきた。逆リバも、進んで見に行くことはないが、たまにちょっと口に入る程度では死なないし、カプ色の薄いものなら好きな作品に出合うこともある。信頼のおける友人から勧められたものなら大抵いけてしまう。ゆる固定、とろ火固定を自称している。
そんな私が最近とある作品にハマった。それほど新しくもない、小さなジャンルだ。私がハマったABは、ジャンル内ではメジャーな二人だった。ジャンル内の大多数がABかBAで活動しているようなところで、どちらかが圧倒的に王道ということもない。というより「ABもBAも好き」という、いわゆる雑食の方が多数派だった。
そんなジャンルの空気を知らないまま沼に飛び込んだ私が浴びたのは、想像を超えて逆リバにまみれた世界だった。支部に上がっている作品の多くはABとBAが一緒に格納されていた。小さなジャンルだけにみんな仲がよく、ABの人をフォローしたつもりでも、当たり前のようにBAがRPされてきた。元々多少なら食えると思っていた逆リバも、あっというまに辟易してしまい、思った以上にBAがダメになってしまった。私はぐったりしながらフォロイーのRPを切って回り、BAをミュートワードに設定した。
私は友人に愚痴った。
「いくら雑食が多いからって、このジャンルは腐女子の常識がなさすぎる。死ぬわけじゃないといっても逆を見る前に心の準備はしたいし、さすがにキツい。住み分けぐらいちゃんとして欲しい」
雑食の友人は言った。
「それはお気の毒。でも、気にする人がほとんどいないなら、いいと思ったものは気ままにRPしたいし、わざわざ区分して別々に作品を上げるより全部まとめてアップする方が楽なのもわかる。それでもそのジャンルの人には読んでもらえるわけだし」
そしてこう続けた。
そう、これは固定への配慮の問題だ。ちゃんとカプ分けしなかったからといって、何かのルールに反しているわけではない。それでこのジャンルの人たちが楽しくやっているなら、私にとっては息苦しいが、誰も悪くはない。
「固定」とは、「そういう障害」なのではないか、と。症状の出方や強さに個人差があるところも共通している。
雑食の人は「健常者」なのだ。バリアフリーじゃなくても、何も気にならない。カプ分けされてなかろうが、生きづらいということもない。
たいていのジャンルは固定者の圧が強いので、当然の常識として「ABとBAは住み分けるべき」とされている。それは「腐女子界隈にはこの障害を持つ人が多いので、配慮が行き届いた状態にしないと逆に叩かれる」からではないだろうか。
固定者は障害者なので、配慮がないと生きづらくて仕方がない。けれど、健常者が多数を占める場所では配慮しなくても困る人が少ないから、細やかな配慮はされなくなってしまう。だって、その方が健常者にとっては楽だから。気にすることが少なくて済むから。
最近話題になった「逆を目にしただけで寝込んでしまう」だとか(それが本当なら確かに日常生活に支障をきたしているのだからまごうことなき障害だ)、車椅子騒ぎだとかを合わせて思い出して、私は猛烈に自分が恥ずかしくなってしまった。
五体満足で目も耳も使えて、発達も定型。そういう人ばかりが集まっているところに障害者が入ってくると、それまで必要のなかった「合理的配慮」を求められるようになることがある。できればお互い気持ちよく生きられるといいね、とは思うけれど、正直なところ「めんどくさい」と感じてしまう人はいると思う。自分だってそう思ってしまうことがあるだろう。
さらに言えば、そもそも障害に気付かれないこともある。目に見えない障害ならなおさらだ。そういうとき、マイノリティである障害者の存在はまるで「ないもの」のように扱われてしまう。それらが我が身に跳ね返ってきた瞬間だった。「このジャンル、みんなどっちも好きだからいいよね~」という雰囲気が、誰も悪くないのに自分にとってこんなにしんどいものだとは思ってもみなかった。
「自分は面倒くさい存在なのだ。他人に配慮を要求して、それを当然と思い込んでいたのだ」
自分を健常者だと思い込んで生きてきた人生で、それは頭を殴られたようなショックだった。あまりの衝撃に、今この文章を書くことで心を落ち着けようと試みている。
私がこれを書き、それを誰かが読むかもしれないことで、なんの問題が解決するわけでもないけれど、もしかしたら何か見え方が変わるものや、新しく見えてくるものがあるかもしれない。できたら、少しなにかがよくなるようなことだといいな、と願っている。
東京はあるようにみせているだけでないと言って、地方は現実にやっていて可能性に満ち溢れているというが、全部国の話である上、地方である延岡に帰ってきても、
あるようにみせている東京に比べて、あるようには見えない。
宮崎地検延岡支部の中に東京からの派遣自演者がいるので、そこから、あるように意匠する信号が来ていると解するとしても、
それを除外したときに、延岡市になんの可能性があるのかというと疑問なしとしない。
単にあるようにみせているだけの意匠に比べて、延岡市と言う、 意匠が存在するとは思えない。
警官はクソだし何もいいところがない。
毎日働いた後に1時間~2時間くらい、参考書を見て模写してたまに書きたい構図を検索してトレスして。
一昨日くらい、うまくなってきたし自分が小学生の頃から抱えてたとある性癖を好きなキャラに投影させた絵を描いた。
今までにない高揚感、興奮、何とも言い難い満足感。
自分の頭の中の妄想が目の前で形になってる、1〇年間支部で探さなくてもよかったじゃん。
こんな達成感得られるならもっと頑張ってみようかな、そんな気分になった。
そんで今日、虚無。
愛あったはずなんだけどな~、いやあの時は最高だったんだよな…。
この思想抱えてたらいつの間にか犯罪者になるんじゃないか、いや現実と想像は区別してるつもりだけどな。
今は1〇年間付き合ってきたこの性癖と向き合う時が来たのかね。まったく誇れるものじゃないけど。
私は国家の解体と国境の廃止を訴えている地球市民の1人である。
私のことをアナーキストと批判する国家主義者(右派・左派問わず)が存在するが、私から言わせれば国家主義者ほどアナーキーな存在はいない。
彼らは国家の主権の絶対性を訴えるあまり、国際社会における無秩序・混沌から目を逸らすのである。
国家主義者はその国際社会のアナーキ性を正当化し、その中で秩序を構成するための自国の軍事力、経済力、発言力向上も正当化するのである。
そのようなことが許されるのであろうか。
国家主義者と言うと自分と縁遠い人間を想像する人もいるであろう。
しかし、自分が国家主義者である自覚のない無意識ナショナリストは溢れている。
一例を挙げよう。
我らのゆりかごは既に増えすぎた人間を抱え切ることができなくなっているのにも関わらず、相対的な人口数低下に危機意識を持ち、人口増加を願うのならばそれはナショナリズムによるものである。
他にも例を挙げればキリはない。
私はここ、はてな匿名ダイアリーに国境廃止委員会の本部及び国境廃止委員会日本支部の設立を宣言する。
国境は廃止され、国軍は廃止され、通貨も廃止され、現状の国家はローカルガバメントとなることを目指す。
我ら人類が保持することを認められた暴力装置は警察権力のみであり、軍事力の保有など決して認められないものである。
なぜならば、人の命を奪うことは究極の不可逆的行為であるからである。
国家と国家の争いにより政治権力のない庶民や子供たちが屠られたとしよう。
例えその後に国家と国家が和解しどれほど強い友愛が築かれようと、かつて失われた命が再び息を吹き返すことはもうないのである。
我ら国境廃止委員会を支持する世界市民主義者が過半数を超えた時にも、反世界市民主義者が率いる国家とそれを支持する国民が存在するであろう。
国境廃止委員会を支持する旧国家は国境廃止委員会にフォースプロバイダーとして旧国軍を提供せよ。
国境廃止委員会の下におかれる国家解体軍事委員会が提供された連合軍をフォースユーザーとして組織し国家主義者を破砕するのである。
最後に。
地球市民主義は欧米主導のグローバリズムとは異なるものである。
我らは地球における多様な文化を、それが個人の自然権を侵害しないものである限り否定しない。
しかし、だからと言って醤油仕立ての雑煮や餡子の入った雑煮を否定することはないのである。
我らは皆同じ地球の市民であるとともに多様なことなら文化を持つのである。
大阪府羽曳野市の元非常勤職員の女性が業務中に市のシステムを私的に使用して元交際相手の男性の住所を調べた上、偽の胎児のエコー写真とともに「あなたの子です」などと記した手紙を送り付け、男性が離婚する原因になったとして、男性の元妻が訴える裁判を起こし、大阪地裁堺支部が1日、元職員に賠償を命じる判決を言い渡していたことが分かりました。
略
その後、エコー写真はインターネット上に公開されている無関係のもので、元職員は妊娠しておらず、男性は元妻と交際する前に元職員と交際を解消していたことが判明したものの、元妻は個人情報が悪用されていることに不安を抱え、手紙の対応について男性と口論が増えた結果、男性と離婚したということです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/926b4f815ed7a01aeff366e1373c7768f388bc86
中肉中背チー牛顔、最後に化粧したのは先々月、しまむらの下着を愛用、当然男性経験はなし。
理由は特にない。入浴中、久々に湯船に浸かっていて暇になったからかもしれない。
幼少期にも股間のあたりを指で押すと他では得られない感覚があると発見していたし、支部のブックマークはR18作品でいっぱいだし、先週も広告を踏んだ紳士向け作品を購入したばかりだ。
しかし、女性器に直に触れたことはなかったし、もちろん指を入れたこともなかった。恥多き中学生の頃から、いわゆる足ピンオナニーとかいう行為が私の性生活の基本であった。
そのため、恐らくだが私の女性器に対する知識は一般童貞男性とほぼ変わらない。エロいことを考えると濡れる?処女の膣は狭い?そもそもどの穴?そっちの穴は違う?えっちなお姉さんは私のところには来ない。
えっちなお姉さんこそいないが、私には自前の女性器がある。夜22時、ひとり静かな湯船に浸かり、ふと女性器を触ってみようと考えた時、私の中の童貞少年の部分がどきりと緊張した。
なにせ私の性生活は中学生の時分から全く進歩していないのだ。クリトリスとかいうものについてもエロ漫画でしか知らない。セックスなど更に遠い世界のファンタジーだ。急に直接女性器を触ったりしたらどうなってしまうのだろう?
明るい浴室で、意味もなく虚空を見つめたまま、ワサワサ生えた陰毛をかき分け、人差し指と中指で粘膜に触れる。穴はどこだ?
尿道口(?)らしき箇所とクリトリス(??)らしき箇所よりも下のあたりを探ると……あった。ありましたお姉さん。
ごくりと唾を飲み、人差し指を入れてみる。
……
…………
空間があった。
?
こんな旅先でホテルの部屋に到着した時のような感想は言いたくなかったが、思ったより広い。
裏夢小説頻出単語の「ざらざらしている部分」とやらもどうやらある。指で押し上げてみると、臓器が押し上げられたな、といった感覚がある。
??
奥に掘り進めてみると、結構入る。人差し指で探索できる範囲はあらかたわかった。膣の入り口、いや出口か? 出入り口が正確か、とにかくその辺り以外は基本的に腸と変わらない質感に思える。膣という臓器。ちなみに肛門の方は小学生の頃に探索済である。あらあらそっちは違う穴よ。
指を抜き、じっと手を見つめる。
なんてことだ。誰も幸せにならなかった。
私には異性の友人も兄弟もいないため完全な想像だが、男性器に初めて触ってみた──あるいは皮(??)を剥いてみた(???)りした初体験は、何らかの発見や驚きがあるものなのではないのだろうか。
気分の問題かもしれない。そう思い、風呂を出たのちきちんと催眠エロコスウサ耳メイド陵辱モノを開いて気分を上げつつ再突入してみたが、結果は同じだった。
ウサ耳メイドはエロかったし、私の右手人差し指は臓器を触診していた。
3月の部屋は暖房を入れても少し寒く、足が冷える。私は下半身を露出したまま洗面所で手を洗い、その後ゆっくり下着とパジャマの下を履いた。そして布団に入ってこの文章を打っている。
中学生の私と私の中の童貞くんへ、膣はただ触っても性感はないし、濡れもしない。抜きを経ずに賢者になってしまった気分だ。こんなことなら不思議と夢いっぱいの未開のダンジョンのままにしておけばよかったとすら思う。
先ほど中学生向けの性教育サイトを確認したところ、膣内より先にクリトリスに触ってみることを推奨(?)していた。私は何もかも間違えていたらしい。まるで人生だ。お姉さん、俺死にたいんですよ。
今日のことは出来るだけ忘れるつもりだ。明日からはまたエロ漫画のファンタジーに没入できるように。
東大の『人はなぜワクチン反対派になるのか ―コロナ禍におけるワクチンツイートの分析―』(https://research-er.jp/articles/view/130519)から明らかにされているように、「コロナ禍以前からワクチン反対派であった人々は政治への関心が高くリベラル政党とのつながりが強い」という傾向が存在していた。
実際に立憲民主党のあべともこ氏はコロナ禍以前より子宮頸がんワクチン反対運動をして(http://www.abetomoko.jp/data/archives/167 )おり、コロナ禍突入後も同党の原口氏がワクチンに関するデマを発信し続けたり、中島氏からもイベルメクチンの承認薬化を求める質問が出されている(https://cdp-japan.jp/news/20210217_0758)。また「自民党と創価学会USA、ワクチン接種で協力」とされる偽ニュースが政権批判の文脈で拡散され、日本ファクトチェックセンターから検証記事が出る騒ぎも起きていた(https://www.factcheckcenter.jp/fact-check/politics/ldp-soka-gakkai-usa-vaccine-collaboration-doctored-photo/)
反ワクチン団体であり、Qアノンの日本支部を自称する神真都Qが安倍元首相を『ディープステート(敵)』側に位置づけているため、ポジションでしか思考出来ない彼等が共通の敵を前に合流している傾向が見られる。
また原発処理水放出に関しても同じ傾向が見られ、AIを使った偽画像や科学的根拠を無視した偽ニュース・偽情報が数多く拡散されていた(https://www.meti.go.jp/press/2023/09/20230902002/20230902002.html)。更に欧米では数年ほど前から左派によってジェンダーなどの理由から生物学や遺伝学が非科学的な攻撃を受けており、以前は右派を論敵としていた学者が左派からの科学に対する攻撃に危機感を抱いている状態となっている(https://courrier.jp/news/archives/314782/)。
続きは長くて一度に載せれないのでツリーに。
タイトルの通りの身分です。学生です。自分の書いている文章を客観的に見れず、もうどうしたら良いのか分からなくなってきました。文章遍歴です。長ったらしいです。
まともに文章を書き始めて一年ほどの若輩者です。二次小説を書き始めた動機は絵が下手だからというとても不純なもの。本が好きで、作品が好きで、なおかつ小さい頃から人並みよりさくさくと文章を書けるタイプだったので軽い気持ちで書き始めてしまいました。
普段は旧Twitterと支部で短編を上げています。人気ジャンルのCPで書いたものが400ブクマ付いて喜んでいる程度の薄っぺらな書き手です。
衝動で書いた一作品目に評価がついたとき、初めて文章の質というものを意識しました。そういえばこれって他人に読ませる文章じゃん、と。慌てて自分の書いた文章と、自分が大好きな作家さんの文章を比べました。適切な比喩、ちょうど良い一文の長さ、形容詞の位置、描写の順番……などなど、素人でも分かる違いが山ほどありました。それはもうバスタオルと羽毛布団くらい違いました。要するに幼稚な文章なんです。色がありません。温度もありません。パッサパサの乾パンでした。
次に文章を太らせようと思いました。もうちょっと情報量を増やそうと。そしたら今度はすごく冗長でつまらないものが出来上がりました。文字の量を増やすだけでは10Lに薄めたカルピスみたいな読むのが苦痛な作品になるだけでした。
ここまでもし読んでくださった方がいたらこいつど素人にもほどがあるだろうとお思いになると思います。字書き経験のある先輩方でしたら尚更です。ごめんなさい。
語彙を増やそうと思いました。毎日通学時に周囲の写真を撮って、匂いや気温を書き取って、その時に見た景色をメモ帳に描写しました。Web辞典と、プロの一次作家様の文章を横に並べながら。なんだかちゃんと文章を書いてる気がしてだんだん楽しくなってきました。「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる……」また比喩を使っちゃいますが、枕草子みたいな感じです。
よっしゃやるぞーと思ってまた二次創作を書き始めました。今度はプロットなるものが立ちはだかりました。起承転結というやつです。この辺りで私は、あれ、小説書くのって想像以上に難しいのでは……と気づいてしまいました。二〜三千字くらいのワンシーン切り取り型の書き方ならともかく、私は数万字に及ぶ長編に憧れてしまったのです。プロット無しの見切り発車で書くのはあまりに危険でした。しかし、見様見真似で書き起こしてみるものの全然上手くいきません。浮かぶのはつまらない展開ばかりでした。そんなこんなで今は三千から五千字のものをちまりちまりと書きながらいつか長いもの書きてぇとぼやいています。
冒頭に戻ります。本当に良い描写は脳みそにスッと入ってくるんです。たった一文で全部を分からせてくるアレです。難しい言葉も要らないし、何度も言い換えて重ねる必要もない。あれって天賦の才なんですかね。最近、解像度の高いものを書こうと思って気合を入れて書いた作品が、2週間後に読み返してみたら装飾過多、結局何が言いたいの?と思われそうな駄文になっている、ということを繰り返しています。カッコいい文章に憧れます。
ネット上の二次創作においては、流麗な描写よりもオタクに刺さる台詞のある作品のほうがたぶんウケます。自分もそういう作品は好きでした。自分自身、以前は難解な地の文なんかポイポイっと読み飛ばしてキャラ読み(?)していたわけですから。でも書き始めてから、読み手にウケるかどうか以前に自分が「こんな適当な文章で推しを表現したくない!」という執着に取り憑かれてしまったんです。もう自己満足の部分もあると思います。推しの眺めている花はただの花じゃなくて、真っ白で、透けるくらい薄くて、とても良い匂いがして……
文学オタクの扉が見えてきました。もう戻れません。知れば知るほど、私の小説はつまらない。どうつまらないのか分からないけどとにかくつまらない。引き込まれる表現が足りない。たぶん内面描写も浅いし、そもそも二次創作として、公式設定資料を読み込むのを怠っていました。なんてことだ。しっかりとした長編で評価されている方々は本当に凄いです。
自分が心底納得のいく小説が書ければきっとある程度の評価はついてきます。でも、その「自分が納得のいく小説」までにどれだけの差があるのか、具体的にどこがダメなのか、分かりません。あぁ、誰か私の小説に適切に文句をつけてくれる人居ないかな。雑魚メンタルですが最近批評が欲しいと思えるようになりました。
長々と書き連ねましたが、要するに良い作品が全然書けなくて、目標までが遠すぎて死にそうです。文章の指南書をこの前注文しました。でも本当にあんな凄いものが書けるのか……?神字書きの皆様へ尊敬と羨望と、諸々の気持ちが溜まっていきます。
文章うまいね、そんな言葉1ミリも要らないんです。いや嬉しいは嬉しいんですけど、要らないです。正直やっぱ欲しいです。でも上手くなるほうが大事です。批判が欲しい。
そういえば触れてませんでした。一次創作書けばいいじゃんっていう話についてです。私の今のモチベーションの核は、ひとえに好きなキャラを最強の文章と構成で表現したいという衝動で成り立っています。つよつよな文章で推しが喋ってる……うおお……という感動を味わいたいです。それだけです。
世の中、腹が立つ作品には批判が飛んできます。でもつまらない作品には何も言ってもらえません。ありふれた話ですが、それをとても実感しています。
命名自体はセンス無さすぎて一般的じゃないし失笑ものなんだけど、いわゆる左翼・活動家界隈の人間の横の繋がりが強いしぶっちゃけコネ社会だってのは当時末端にいた人間としては肌感で分かるのよ
例えば所属してたグループのメンバーがお世話になってるちょっとお偉いさんの知人の友人、ぐらいまで行けば某団体のあのお方とかしばき隊のあの人とか、あるいは◯産党某支部の某先生とかさ
自分も◯◯党の人とは今でもゆるく繋がってたりする訳だし
何でそうなるのかって言われるとはてなーの人間ならご存知の話だと思うけどとにかく人材不足なのよね、新しい人が入って来ないから
入ってこない理由は単純に活動家とか政治活動が学生運動時代みたいに流行ってないし参入ルートが身近にあるって訳でも無いのも大きいけど、今更入ってきても正直旨みが無いってのも大きい
良いポストや権威ある立場ってのは既に名前の知られてる様な中年・高齢の大物が収まって離れないし、結局その後を引き継げるのはどこそこの誰々のご子息さんだったりするからご新規さんはお溢れにも預かれない
ガチで思想入ってる人だったらともかく嫌儲辺りで左翼ぶってる輩なんてのはせいぜい動員要員ぐらいで後は無料か格安でネット含めたドブ板活動にこき使われてうんざりして足抜けしていくのが殆ど
特にバックグラウンドがある訳でも無く活動家になって今の地位に成り上がった某アイドルのお姉さんなんかは異例中の異例でまさに女秀吉って印象、マジであのひとは凄い
(だから某堀口くんがかなりの高待遇なのは界隈では優良人材だと高評価されているからなんだろうね)
暇界隈に対するアンチ活動に初期段階からしばき隊が関わっていたのは話に聞いてたんだけどまさか自分らからバラしちゃうとは思ってもいなかったからちょっと驚いた
若手左翼からは馬鹿にされてる人達だけど界隈全般からすればまだまだ実績のある人達扱いな訳ですよ彼ら、特にコアメンバーは
上の方の人達は良くも悪くも学生運動再びみたいな夢物語を理想としている訳だからね
そりゃ今の時代流行らないだろうし普通に働いて納税してるその他大多数の市民からしたらナニ考えてるの?って話にもなるけど彼らは本気なんですよ
だから暇みたいな小物でも全力でありとあらゆるコネ使って叩き潰そうとしている訳
ただの会社員だったり家族がいたりしたら恐らくそこを狙って攻撃してたのは理解出来るので、正直運が良いよねって印象
とは言え今の界隈ってのは先にも書いた通り高齢化著しいしポストが無いから新しい人もロクに入って来ないわ入って来ても使い捨て要員でポイ捨てする勿体ない使い方してるからマジで新規が居着かない
20年ぐらいはさすがに持つと思う、30年後はちょっと分からない
NさんとかOさんとかKさん辺りの影響力が加齢によって失われていく辺りが終わりの始まりなんじゃねぇかな、多分
私は、ドマイナー限界集落ジャンルで二次創作小説を書いている。ジャンル自体がドマイナーなため、当然推しカプの知名度も低く、現在推しカプで活動している人の数はおそらく片手以下。ROMもほぼいない。
私は二次創作が下手だ。文章も構成も、とにかく作品を構成するなにもかもが下手。自分の作品に対しては、稚拙で見るに堪えない、という評価しか下せない。自分で見てこの評価なのだから、他者から見たらもっと酷いのだろう。
だが、そんな私を気にかけてくださる方もいる。同カプの絵師・Aさんだ。
Aさんは商業でも活動されている絵馬で、フォロワーも多く、支部でメジャージャンルを描けば4桁後半のブクマをじゃこじゃこ取っている。
Aさんはいつも私の作品を褒めてくれる。これは私の二次小説が優れているからではない。いわゆる、「これしかない需要」というやつだ。それくらい、馬鹿の私でもわかる。
Aさんは以前私に「あなたの二次小説を、もっとたくさんの人に読んでもらいたい」と言っていた。
その言葉通り、Aさんは拙作をリプライで、引用RPで、空リプで、他者に見える場で熱烈に褒めちぎる。その度に、私は苦しく、惨めで恥ずかしくなる。だって、Aさんがいくら私を持ち上げようと、私の実力が5しかないのだから、5は100にはならないのだ。そして、Aさんのフォロワーも5を100として受け取らない。Aさんがいくら私を分不相応に持ち上げて、布教するかのように晒し上げたところで、拙作への評価が増えたことは一度もない。
Aさんの褒め言葉は、タイムライン上で、彼女の5桁近いフォロワーの目の中で、上滑りしていく
私は他者の評価を求めて二次創作をしているわけではないので、評価されないことそれ自体は苦ではない。
ただ、上滑りしていく虚しさが、ままごとのような恥ずかしさが、たまらなく辛い。自分が出来栄えに納得していない自作を褒められることもまた辛い。
こんなことを言うと、ブロックなりブロ解なりすればいいと言われるだろう。だが、私はAさんの描く推しCPが大好きだ。Aさんに存在を知られる前、私がROMの頃から匿名箱を使って熱心に感想を送っていた。それに、Aさんは同カプの話ができる数少ない、というかほぼ唯一の友人でもある。私はAさんとの縁を切りたくはないし、まだ書きたいものがあるから二次創作もやめたくない。
せめて、過剰で分不相応な褒めはDMなどのクローズドな場でやってくれないだろうか。そう思って、しかし良かれと思ってしてくれていることなのに角を立てるのも、私の自意識が過剰であることがAさんにバレるのも嫌で、今日も私は何も言えなかった。