はてなキーワード: 採用とは
どこそこの大学を出たとか、大学院を出たなんて言わなければ高卒で通る。
出てない大学を卒業したなどと嘘をつけば、普段の頭の悪さ、知能の低さ、教養のなさからすぐに疑いが発生して、特定の大学に問い合わせられればバレるが、どこの大学も出てないと言えば、大学を卒業した証拠は全部の大学の記録を調べられるまで見つからない。
高卒が条件の公務員の採用枠でもなければ、学歴は高ければ高いほどよく低いことに全くメリットがないから問題にならないはず。
名乗るほどでもない学歴などあってもなくても同じだ。
20年前同じ手法で就職浪人を経て正社員にこぎつけた事がある。
行きたい業界が限られていたので、片っ端から会社に採用募集していませんかという電話をかけ(お断りされたあとはinfo宛にお礼メールをした)、全滅。それが大学卒業して初夏くらいだったか。
メールが功を奏して、夏頃、ちょうど人員が一人減るから面接しますと連絡がきて受かった。
社会人となった今、こういう連絡は(現在総務課)面倒だなと思いつつも、面白い電話きましたよと人事と話すきっかけはあるかもしれない。
ちなみにそこまでして入った憧れの会社は鬼ブラック企業だったというオチつき。3年頑張って転職して、なんとか今に至るという。
暮れなずむ国の 光と影の中
アメリカは日本でいう小学校から高校までの教育をK12と言い公立学校はタダです。公立校に通うためには学区に住む必要があります。この学区ですが日本の学区に比べて極めて小さなもので高校が数個ある程度のものです。
基本的にこの学区の中の学校は学区の住人の税金から賄われています。地域によって収める税金の額は異なりますから、当然学区によって使えるお金も変わってくるわけです。お金持ち地域の学校はお金がたくさんあり良い設備に投資できる一方、貧乏人ばかりの学区では校舎の修理すら追いつかない状況にあります。
そんなもので金持ちの人は良い学区に家を買おうと必死になります。家の値段が上がると固定資産税も上がりますから税収も上がり学校はどんどん潤います。この上昇速度は悪い学区の上昇速度に比べて速いため格差はどんどんと開いていきます。家の値段が上がるとお金持ちしか住めなくなりますから貧乏人は外へ引っ越すことを余儀なくされます。こうして金持ちの金持ちのための学区と、貧乏人ばかりのお金が全くない学区がキレイに別れていくわけですね。
日本のように先生がローテーションするということもなく、悪い学区だと一生悪い先生、悪い設備で教育を受けざるを得ないことになるのです。
歴史的経緯から貧乏学区には黒人とヒスパニックが多いのですね。このことから大学などでは黒人とヒスパニックを優先的に合格にしたり、企業でも黒人とヒスパニックを優先的に採用したりといったことをしようとしています。このようにして優遇された黒人とヒスパニックはもとの悪い学区をよくするのか?そんなことはないですね。彼らもお金を得たらよい学区に住みたがるわけです。
学区に関係なくお受験が必要な学校もあります。このような学校は基本的にアジア人が多くなるわけですね。日本だと当たり前のこのような受験システムは現在破壊されてきています。黒人とヒスパニックが少ないと文句を言う人が大量におり、活動家がシステムを破壊しています。例えば公平なテストでの選抜は廃止し抽選制にしたり、各学校から何人といったようにクオタを導入したりしています。彼らの言い分はテストはお金持ちが金を注ぎ込んで対策してくるので貧乏な黒人やヒスパニックは勝てないというものです。貧乏だが頭が良いという人のことは何も考えていないのです。金持ちで頭が良い子は年間500万円かかる私立に通わせれば問題ないのですが貧乏で頭の良い子は大人の差別に巻き込まれチャンスを得られずに腐っていくのです。
そう、ただあなたがアジア人、白人、特に男性であった場合、あなたが貧乏であってもそれは特権階級なのです。
職場の来客者が急に倒れて「ぼさっとしてないでAED持ってこい」と怒鳴られ全力ダッシュで持ってきたら
お前のなんか汚くて使えるかと投げ捨てられた。結局5分後にイケメンが持ってきたAEDが採用された(客は助かった)
AED使った女性社員とイケメンが表彰され、俺はその場にいたのに何もしなかったゴミだと
それから俺は復讐を誓い階段ダッシュをしている。周囲は気味悪がってるが知ったことか
次に倒れた人が出たら誰よりも早くAEDに行って全部持ち去ってやる
俺に助けられるくらいなら死んだ方がいいと言うならみんな死んじまえばいい
もう他に生きる目的がない
脳内物質の分泌に問題を抱えた女の子たちの、衝動に任せた刹那的な生活の物語。
公共の場で暴力行為や罵り合い繰り返す彼女たちに対し、周りの大人は冷たい目を向けるだけで何もしようとしない。
社交性が欠落しやたらと攻撃的で、互いの事を何も説明しないせいですれ違っていく感じは、ある意味で実際のバンドマンらしさもある。
いまのところ話の進展はほぼないが、なぜか主人公たちのバンドは人気が高まりつつあるらしい。
その前に登場人物の誰かしらの預金残高が尽きる気がするのだが。
性格がピーキーな登場人物をキャットファイトさせることで、何か物語が進展しているように見せかける手際は、いかにも花田十輝らしい。
ただ、見せ場のために非現実的で衝動的な行動をキャラクターに取らせる悪癖が、このアニメにおいては奇跡的にマッチしている。
最新話で、雨の中、軽トラの前に飛び出す主人公や、メジャーアーティストがステージ衣装のまま楽屋裏から屋外に駆けてくるシーンは、
思わず「そうはならんやろ」とモニターにツッコミを入れてしまった。
1話で切った。1話はよくできていたが、オリジナルストーリーで再スタートを切れなかったのは致命的失敗だろう。
原作に詰め込まれた小ネタのキモになる部分を巧みに採用しつつ、映像化に際してテンポを落とさないようにチューニングされている。
カットされているセリフが聞きたかった、と思うことはしばしばあるが、大きな不満はまったく無い。
「今期の覇権アニメ」といった刹那的なポジションではなく、耐用年数が長く何度も見返せる作品を意識しているのだろうか。
映像化に際してかなりの準備期間・制作期間をもって作られているらしいところがあるので、
3クール目がまだまだ先になるのでは無いかと懸念している。できれば、迫力のある絵で劇場でやってほしい。
制作会社が変わったせいか、どうも会話のテンポ感にハマりきらないところがある。
パッと見は作画が変わったくらいで、劇伴や声優はこれまでと変わらないだけに、この「ハマらなさ」がどこから来るのかがよく分からない。
たしかに、原作でもこのあたりの話は間延びしている感じはあったのだが、広角レンズを使った大コマの迫力があるぶんあまり気にならなかった。
アニメの場合、広角のシーンでもパンが振られていたり、キャラクターが動いているせいで逆に安っぽく見えるときがある。
視覚のすごみに欠けるせいで、見せ場となるシーンが単なる長回しになってしまい、テンポが悪く感じられるのかも。
予断だが、賛否両論あった映画のオリジナルストーリーは、個人的には大好きです。本編に影響がない未来の話だし、あれくらいやったほうがよい。
冬のオフィスに出社したときのひんやりとした空気感などがよく伝わってきたところが良かった。
3期は、キャラクターに「寒い」と言わせなければ寒さが伝わってこないような感じがある。いちゃもんっぽい批判ですが。
前回のアニメ化は1話しか見ていないので、話も含めて実質初見視聴。
概ね楽しく見ているが、街の風景や旅路、宿屋や酒場の描画が、全て同じに見える。リアリティが無いというか、生活感を感じられない点がちょっと気になる。
もっとも、この作品の面白さは何と言っても会話劇にあるから、背景の描き込みはほとんど気にならない。
主役の二人はもちろん、モブも交えた会話でも、小粋なセリフ回しで心地がよい。セリフそのものの魅力に、声優のバフがかかっている感じ。
この作品なら、動くアニメではなくて、朗読劇や舞台で見ても面白そう。
原作未読で、アニメで初見。さすが横手美智子とうなる軽妙な脚本。宮野の当て書きじゃねえか、とツッコミを入れたくなるくらい、宮野がハマっている。
記憶喪失の人物を通じて、野球という題材の汗臭さや泥臭さをメタにネタにしつつも、
当事者たちが取り込まれるある種の狂気も、野球未経験者にも分かりやすく伝わってくる。
うっとうしいくらいのギャグが脳に残ったところで、登場人物のシリアスな過去もばっちりと魅せてくる。
ダンジョン飯もそうだが、このアニメもキャラクターの作画上の演技が細かくて見入ってしまう。
アクションシーンが長いのではなく、さりげなく差し込まれる捕球のシーンなどの動きがよい。
グローブに球が収まるときの反動や、投げるときの重心移動の身体感覚が、視聴者に自然に伝わってくる。
増田は野球未経験だが、バッティングセンターに行ってみたくなる。打てるのかな。
吹奏楽部を題材にした学園サスペンスもの。ファムファタールに出てきそうな新キャラを交えて、陰湿さにもオーバードライブがかかっている。どう考えてもNHKの日曜夕方17時に放送していいアニメではない。なんとなくだが、売上の一部を不登校支援の寄付などに回したほうがいいと思う。
要するに、そのくらい心理描写が細かいアニメだと思う。破綻の無い作画もさることながら、表情やカメラワークが良い。黒沢ともよは化け物。アニメの黒沢ともよの演技が凄すぎるせいで、この作品は実写化できないんだと思う。
原作は未読だが、ねちっこい女性同士のからみにフォーカスして構成するあたりが花田十輝らしい。
それと、京アニのキャラクターの演技ってやたらとわざとらしいよね。顔の前で手を合わせたり、わざとらしく頭を掻いたり。変に心理描写が細かいから、そういうアニメっぽい仕草が浮いて見える。
「はだか祭り」に女性が初参加、高齢化で男性中心の伝統に変化 日本
https://news.yahoo.co.jp/articles/1fb475dc7eaccaacdf52027ca7d275b3e314e293
昨年、世界経済フォーラム(WEF)が発表した「ジェンダーギャップ報告書」で、日本は125位となり、ドイツ、英国、米国などの他の主要7カ国(G7)諸国を大きく下回った。その指数は、男女間の格差が大きいことで知られるインドやサウジアラビアをわずかに上回るものだった。
ジェンダー配慮が遅々とした本邦の裸祭りでは、男性は裸、女性には着衣のまま参画を推進したようだが・・・・・・
海外の裸祭りでは、欧米ジェンダー先進国型とイスラームジェンダー途上国型のどちらを採用しているのだろうか。
ジェンダー先進国ではドイツなどのように、女性が男性と同様にトップレスになる権利を求めて熾烈な衝突が起こっているという。
他方、イスラーム諸国(イラン、フランス、サウジアラビア)では、女性はむしろ肌を隠すことこそが権利拡張になるとされている。
今回、本邦ではイスラーム型の対処法(男性参加者と比較して女性参加者の肌の被覆率を大幅に高める)を採用した。
しかし、欧米先進ジェンダー平等社会を模範とするならば、ドイツ式にフェミニズムの訴えを容認し女性がトップレスとなる権利を認めるなど、様々な検討余地があるともいわざるをえなかろう。
転職エージェントは当然売上第一だけど、それを頭に入れた上でうまく話せば広く全体の状況を引き出せる。
企業の採用担当と話すのはその企業に入りたいと思ってからで十分。
そもそも企業の採用担当って勘違いしてズレてる奴が多いから、特に志望度が高い訳じゃなければ単にストレスも溜まるし役に立たない奴でしかない。
以下の最高裁大法廷判決の 真ん中に、 「しかしながら、同条の文言および前示相殺制度の本質に鑑みれば」 とあるように、法解釈技術は、 文言(法的安定性)と、民法の本質(公正公平)を両立させる難しい技術であるから本件判決は、最初に、民法511条の本質を説明したうえで、民事執行法の規定などとの技術的な整合性を図りながら、結論を導出しているので、最高裁の法解釈は、論理的で技術的なものであり、裁判官の感想とか、文学の類を並べたものではないから、お前が考え方を間違っているだけ。なお、判決をした裁判官の名前が、 いしだかずと、おさかべきんご、けさいち、という氏名も見られるように、老人の氏名が並んでいるが、この判決は、昭和45年のものであり、この老人男性はこの世に存在しない。
ところで、相殺の制度は、互いに同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務を簡易な方法によつて決済し、もつて両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的な制度であつて、相殺権を行使する債権者の立場からすれば、債務者の資力が不十分な場合においても、自己の債権については確実かつ十分な弁済を受けたと同様な利益を受けることができる点において、受働債権につきあたかも担保権を有するにも似た地位が与えられるという機能を営むものである。相殺制度のこの目的および機能は、現在の経済社会において取引の助長にも役立つものであるから、この制度によつて保護される当事者の地位は、できるかぎり尊重すべきものであつて、当事者の一方の債権について差押が行なわれた場合においても、明文の根拠なくして、たやすくこれを否定すべきものではない、およそ、債権が差し押えられた場合においては、差押を受けた者は、被差押債権の処分、ことにその取立をすることを禁止され(民訴法五九八条一項後段)、その結果として、第三債務者もまた、債務者に対して弁済することを禁止され(同項前段、民法四八一条一項)、かつ債務者との間に債務の消滅またはその内容の変更を目的とする契約、すなわち、代物弁済、更改、相殺契約、債権額の減少、弁済期の延期等の約定などをすることが許されなくなるけれども、これは、債務者の権能が差押によつて制限されることから生ずるいわば反射的効果に過ぎないのであつて、第三債務者としては、右制約に反しないかぎり、債務者に対するあらゆる抗弁をもつて差押債権者に対抗することができるものと解すべきである。すなわち、差押は、債務者の行為に関係のない客観的事実または第三債務者のみの行為により、その債権が消滅しまたはその内容が変更されることを妨げる効力を有しないのであつて、第三債務者がその一方的意思表示をもつてする相殺権の行使も、相手方の自己に対
する債権が差押を受けたという一事によつて、当然に禁止されるべきいわれはないというべきである。もつとも、民法五一一条は、一方において、債権を差し押えた債権者の利益をも考慮し、第三債務者が差押後に取得した債権による相殺は差押債権者に対抗しえない旨を規定している。しかしながら、同条の文言および前示相殺制度の本質に鑑みれば、同条は、第三債務者が債務者に対して有する債権をもつて差押債権者に対し相殺をなしうることを当然の前提としたうえ、差押後に発生した債権または差押後に他から取得した債権を自働債権とする相殺のみを例外的に禁止することによつて、その限度において、差押債権者と第三債務者の間の利益の調節を図つたものと解するのが相当である。したがつて、第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権および受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべきであり、これと異なる論旨は採用することができない。
裁判官 入 江 俊 郎
裁判官 草 鹿 浅 之 介
裁判官 長 部 謹 吾
裁判官 城 戸 芳 彦
裁判官 熊 谷 永 華
裁判官 永 谷 正 男
裁判官 岩 田 誠
裁判官 戸 田 勇 哉
裁判官 色 川 幸 太 郎
裁判官 斎 藤 秀 司
裁判官 鈴 木 光
裁判官 飯 村 義 美
裁判官 村 上 朝 一
裁判官 関 根 小 郷
線形計画法は、私が受験した2003年の東大文系理系の共通問題、2013年の問題にも出ている。線形計画法というのは、平面上の方程式で囲まれる部分を条件として把握し、
関数がそこを通るときに変数が動き、その接点で最大最小を取るという理論であり、 2002年に、北予備の里見先生が、 最近は、線形計画法が流行っているという授業を行い、
東京大学の入試では、 2006年理系から、 難しい補題を要する問題が出ているが、その補題は、設問(2)に結論が書いており、受験生には、それを簡単に証明して、
(3)に行くように指示している。 一件記録を検討しても、東京大学で、技術的に高度な問題が出た形跡はない。
右田明子は、2003年に文Ⅰに受かっているので、 数学の (1)積分(2)線形計画法(3)数列(4)確率、を解いたはずだが、 順に、異常に計算量が多い、
メゾンときわ台の各居室の合鍵についてこの物件を第三者が持っていることはほとんど明らかであるとしても、各居室は、施錠部分についている、合鍵でドアを開けても途中で
ロックされてしまう鉄製の備品がついているため、夜間はそれをしておけば、いかなる技術者でも、合鍵でドアを開けた際に、その備品を解除してまで中に入って来れる者はいないと考えられる。
様々な角度から物理的に検討したが、ドアについている備品を破壊したりネジを外したりしてその備品を解除することはできないだろうと思われる。第2に、居室の鍵を全部閉めていても、
消防関係者が何らかの器具で鍵を開錠して中に入ってくる可能性が高い。理由は、警察消防関係者は完全に閉め切った室内で個人が死亡している場合などに立ち入る義務があるからで
そのために、施錠を開錠する道具を有していると思われるからである。したがって、ベランダ側などの鍵を開けることは警察消防関係者の技術では容易であると考えられる。しかし、余程の悪意や
必要性もない限り警察消防関係者が特定者が寝ている間に居室に開錠して入る必要性や動機がないと考えられるし、万が一、警察消防関係者がそれをしている場面を一般人に目撃されたり
すると問題であるからそのような手段は可能であっても極限的な場合だけに採用すると思われる。次に、居室内で寝ている者がなぜ睡眠中に夢の映像を操作されるかである。鉄筋の建物であると
鉄自体がリモコンなどの電波を通過しないので、窓などのガラスを通じて何らかの無線がその者飛んでいると思われる。そうでない場合でも、玄関のドアを半開きにするだけでもそこに隙間ができるので
その隙間を開けるだけでも、そこから寝ている間に第三者が無線を入れている可能性が高い。インターネットの無線は居室内の壁に設置された備品からパソコンに向かって飛んでおり、このインター
ネットの無線を利用している可能性もあるが、室内にインターネットの無線が飛んでいる場合、この無線から寝ている者に対して何らかの電波が飛んでいる可能性も高いが、無線技術は高度であり
これを解析する能力はない。
最近、客先常駐から社内SEに転職することが決まった。忘れないうちにこの転職に関する備忘録を残しておきたい。
この理由に至った現職の内容を話そう。
なってしまった、とネガティブに書いているが全否定するつもりはない。新卒で入った会社は客先常駐であることだけが悪かった。COBOLも別に悪い言語とか思っているわけじゃあない。
ただし『客先常駐とCOBOL』という組み合わせは、将来の展望を描けなかった。これから新卒の人にはあまりお勧めできない。
なぜか。
まず、『客先常駐』。
これは全くもって良くない。責任が少ない仕事で十分で、人間関係を適度にリセットしたい人には向いていると思う。もしくは、よっぽどのニッチかつ高スキル保持者くらいだろうか。
問題点を述べていこう。
問題点そのいち。
常駐先ガチャが待っている。どんな地獄の案件が待っているか行かないと分からない。しかも、客先と戦わない営業マンの方が給料が高いなんてやっていられない。最近はSier側が強気に出られるパターンも小耳に挟むが、まだ稀な印象である。
問題点そのに。
上流工程に携われるかは運である。そもそも要件定義とか予算とかを他所から来た人間に任せることは難しい。底辺下請けにはもってのほかである。よって、下流工程のみの経験でスキルは身につかないまま、30代に突入する可能性すらある。
問題点そのさん。
契約形態によるが1ヶ月の勤務時間が決まっている。1ヶ月最低〇〇時間以上勤務となっている。これがネックとなり連休を取ることが非常に難しい。さらに、GWや年末年始休暇があると残業必須になる月が発生する。勤務時間縛りプレイ未経験者は大したことではないと思うかもしれないが、ワークライフバランスにおいてストレスになる。
次に、『COBOL』。
先ほども書いたが悪い言語だとは思っていない。
ただし、大型新規開発は今後ないと思えと言いたい。必然的にCOBOLを書き書きしていた時代のおじさま方には、技術の点で一生勝つことはない。彼らがくたばるまでは。
それと、たまに聞く「コボラーはこれからずっと需要があるし、新規参入者も減っているから将来安定だよ」なんて話。この嘘、ほんと?
確かにCOBOLは自分が死んだ後も生き残るだろうが、それほど大きなパイが残るだろうか。元請けか自社の社員にしか仕事が残らないのではないか。あったとしても金がどの程度分配されるというのだ。
個人的には、将来の選択肢を増やすためにCOBOL以外"も"経験した方がいいのではないかと思った。加えて、COBOLしか経験がないと求人が少なく30代以降の転職のハードルが高いため、その前に一度足抜けした方が安牌だと判断した。まあ、逃げ切れる世代には関係ございませんけれども。
悪魔合体させるといけない。
まず、COBOLはほぼ金融業界でのみ生き残っておりコボラーの生息範囲は限られることとなる。結果的に、客先常駐していると別の常駐先で出会った人かその関係者とかち合う可能性が非常に高くなる。個人情報や噂が一気に広まってしまうわけであり、一回でも社会からすってんころりんしたら戻りにくい。
なにより、両者ともに揃うと別業界や別ポジションに転職しにくくなる。客先常駐コボラーから客先常駐コボラーに転職する人が結構いるのが現実。コボラーになりたいなら最初からIT土方ピラミッドの頂点コボラーにならなければならない。
という様々な思いがあって、
客先常駐の働き方はこの先これ以上は無理だなとなり、COBOLだけではない肩書きを持ちたいと思って転職を決意したわけである。
現職の忙しさで心も身体もすり減っており、スケジュール管理や企業とのやり取りなんてとても無理だったからである。
さて、ステマなし・エージェント会社名無記載の個人的なエージェントの印象を述べていく。
まず、当初は大手のエージェントに登録していたが、こいつは全く使えなかった。自社開発か社内SEを希望しても、客先常駐とずっと求人出している営業職と介護職の求人票を寄越してくる。
最終的には、客先常駐コボラーは美味しくないため全くフォローされなくなり、ついにはエージェントの気配が消えた。
経歴に自信がある人か自主的に転職活動を進められる人以外は、大手向きではない。
次に中規模のエージェントに登録した。疲れて自主的に動けない自分向きであった。
エージェントの対応としては、大手より転職希望者が少ないためか連絡が頻繁かつ口調が砕けたものであり、転職活動の並走者感を演出することを意識されていたように感じた。
そのため、マメに連絡欲しくない人には向いていないと思う。
なお、結果的にこちらで内定まで到達したが、登録してから内定まで平均より1ヶ月ほど長かったようである。これも客先常駐コボラーの呪いか。
面接対策については、2つ目の中規模エージェントで書類添削及び面接対策の申し出があって実施していただいた。それに従えばおよそ間違いないと思うが、参考として面接経験を書き残す。
面接での質問は、これまでの仕事のことを深掘りされることが多かった。
一問一答で準備しておけるようなものではないため、成功したこと・失敗したこと・仕事中に心がけていることなどを整理しておくことが必須である。新卒からコボラーの人間に技術は期待されないから、アピールできるところが仕事の進め方や考え方だけだからだ。
また、気になるITの話題や自己研鑽の質問への回答をそれぞれ2〜3くらい用意しておくとベスト。
志望理由は、表向きの転職理由と求人票の職務内容を結びつけて言えばいい。ここを起点に他の話に発展していくことも多く、嘘の理由であっても結びつきをブレさせない意識を持つといいだろう。
企業研究はインターネットで調べて、事業内容と今後数年の計画を口で語れれば十分かと思われる。新卒と違って会社説明会なんてものはなかったが、面接担当者が面接中にどのような会社か親切に語ってくれるから、そこから志望動機にも繋げていくことができた。
そして、自分と同じく経歴がクソだと思う転職希望者たちには次のことを言いたい。
たとえ転職先で希望のキャリアや待遇が手に入れられなくても足がかりになるような経験が得られるか、でエントリーしていくといいと思う。
もしかしたら、転職した後に「失敗した」「隣の芝生が青いだけだった」なんてことになっているかもしれないが、そのときはまた転職活動を頑張る所存。
採用と教育のコストを考えろよというご意見には、退職されないように経営しろと回答させていただく。
ここまで来て一点大きな訂正をさせて欲しい。
コボラーを名乗っているが、実際はCOBOLよりJCLに触る時間の方が多かった。なんなら、JCLで一番動かしたものは読めないアセンブラのツールだったかもしれない。汎用機バンザイ。
経験者採用スタート30万からでハロワに求人出してる弊社、半年の研修期間は粗で15万固定だし、本採用になったらなったで想定されていた能力に満たなかったって言って、80時間の固定残業代込みで18万スタートの昇給なしで、そろそろハロワに怒られればいいのにと思う。
さすがに、自分を含めて弊社でしか通用しない相応の低レベルの人間しか残らんけど、だから銀行から電話が来る度に居留守使わなければいけなくなるような会社になってると思うんですよ、社長。
確かに自分の属性を盾に物事を押し通そうとする人に業務上遭遇すると、言い訳してんじゃねえと言いたくなる気持ちは理解した
まあ俺も大人なんでそんなことは言わんし、配慮しないわけでもないけどさ
当時自分が置かれていた状況とあまりにも似ていて、読んでて胸が痛くなった。
元増田を読んでたら居ても立っても居られなくなったので自分の経験を書こうと思う。
自分は10年ほど前、某国立理系単科大学のとある実験系研究室に所属する院生だった。自分もその分野の研究に興味があって研究室に入ったのだけど、指導教員が問題のある人だった。元増田の教員と同じように学生に対して「こんなんじゃ社会に出たとしてもやっていけない」と発言したり、お盆にも実家に帰省させず実験をするように学生に強要したりと、まさにアカハラ教員だった。でも多分元増田の指導教員の方がもっと酷い。当然自分含め学生たちは毎日深夜まで研究室で過ごしていたし、休日も大学に通うのが当たり前だった。
そんな状況の中過ごしていた自分は無事大学院入学半年ほどでメンタルを崩し、次第に自殺の二文字が頭にチラつくようになった。今となっては何であんなことで深く落ち込み悩んでいたのだろうと思うけど、社会に出て働いたことの無い人間が、自分より社会経験のありそうな人から「お前は社会に出ても使えない」と言われ続けられれば、そうなってしまうのも仕方ないよなと感じる。かくして自分のメンタルは順調に蝕まれ、結局朝、布団から起き上がれない状態までいってしまった。
そんな自分を救ってくれたのは旧Twitterだった。学生の頃の自分はツイ廃で、メンタルがやられていたのもあってぼーっとタイムラインを眺めることが多かった。インターネットにはいろいろな人がいて、自分と同じように過酷な研究室で過ごす人の愚痴だったり、そういう研究室で過ごしていた人の体験談などが書き込まれていた。特に自分の目を引いたのが大学院を中退して就職したという経験の書き込みで、そこに書かれていた「社会では案外なんとかやっていける」といった文章で自分の道が開けた。というかあの頃の自分は藁にも縋る思いで、あの地獄のような環境から抜け出せるのならばなんでも良かった。
大学院を辞めて就活しようと決心した次の日、両親にそのことを相談した。いきなり辞めるのではリスクが大きすぎるということになり、1年間大学院を休学することにした。学生課に休学届を提出し、指導教員に今日から研究室に行かないという旨のメールを出した日のことは今でも忘れられない。平日の真っ昼間に大学の外をふらついているという現実が信じられなくて、自分は自由になったんだという実感がなかなか得られなかった。それから1週間くらいは家でゲームをしたり、都内を観光したり、目一杯遊んで気分をリフレッシュした後、就活モードに切り替えた。
大学院を休学する前から就活のターゲットは決まっていた。公務員である。公務員の就活は新卒であるかどうかが関係なく、年齢の条件と公務員試験をクリアすれば採用される。自分みたいな人生のレールを脱線しかけていた人間にもリカバリが可能である。そして自分は試験に受かるために半年間ひたすら勉強した。1日何時間も勉強するのは大変だったけど、研究室に閉じ込められて夜遅くまで過ごしていた時と比べれば屁でもなかった。そして最終的には某地方自治体の試験に合格し、内定をいただき、大学院には休学期間終了後に退学届を出した。今も同じ職場で働いているけど、メンタルよわよわでどんくさい自覚がある自分でも仕事は続けられてる。
長々と自分語りをしてしまったけど、伝えたいことは、あなたの人生はこんなところで終わらせるべきではないということ。
あなたはまだ本格的に社会に出て仕事をした経験がないから、指導教員の言うことだけが正しいと思っているのかもしれないけど、結局その人もn=1にすぎない。
普通の組織は、あなたやあなたの指導教員が考えているほど厳しくない。
むしろ大学教員の方が人生のほとんどをアカデミックの世界で過ごしている訳で、そっちの方が「社会を知らない」のではと思う。
人生、辛いことがあったら落ち着くまで休んでもいいし、なんなら逃げ出しても構わないと思う。
自分は大学院中退からの就職(公務員)を選んだけど公務員の仕事内容は相当ブラック。それでもブラック研究室よりはマシだし、同僚や上司に恵まれれば(自分は運よく良い人たちに巡り合うことができた)やりがいを持って仕事をできる。多分これは民間企業に就職したとしても同じだと思う。
ただし中退もいいことばかりでは無い。大学院を中退したという事実は、周りは気にしないと言ってくれるけど、自分は就職後も長い期間負い目に感じていた。ある決断を下す前には慎重に考える必要があると思う。