はてなキーワード: 振動とは
ブーンブーンブーングルグルグルグルブーンブーンブーンブーン
「単調やなあ」
最初に突っ込んで感じたのはそれだった。
初めてオナホを使ったときに感じた吸引力への感動を人生でもう一度味わえると思ったが、その期待は裏切られた。
シコシコしなくていいから手が疲れないと思っていたが、実際には重さ数kgで取手もない大筒を構えることのほうが、数百gのシリコンを上下に動かすよりもずっと手の負担になることもすぐに分かった。
クッションの上に寝かせておけば両手が自由になるかと思い試してみるも、振動によって倒れ込んだ時にチンコがグルっと捻り取られそうになったのでこの方法は危険だ。
電動と言っても要するにオナホをグルグル回したり振動させたりしているだけであり、こんなのは普通のオナホを自分の手の中でグルグルと回したり握ったりして用意に再現できるものだ。
「電動オナホ」という言葉が持つ夢のある概念に皆が期待するものは電動オナホでは得られない。
電動オナホを買うぐらいなら2万円ぐらいの尻型オナホを買った方がいい。
尻型のオナホだったら机の上に固定して打ち付けるという普通のオナホでは絶対に出来ないことが可能だ。
冷たいのだ。
普通のオナホは手の中で握って性器とこすり合わせるうちに摩擦の影響もあり最終的には程よい温度になる。
だが尻型のオナホは違う。
内側はそれなりに温まるかも知れないが外は違う。
冷たいのだ。
ネクロフィリアの人間からすればこれ以上になく上質な性玩具なのだろうが、そうでない人間からすれば本能的な違和感が拭えない代物だ。
戯れに鍋で尻を煮込んでみたことがあるが、結果としては鍋底に当たった部分を焦がすだけに終わった。
低温調理器具につっこんでジックリと温めることも出来るのだろうが、行為中に冷めていくのだろう。
たとえば使っているオカズが「強盗に入った家の相手を思わず刺してしまい、ここまできたならばと犯していたら相手の体がドンドン冷えていき、この女の命は既に失われているということを肌で感じることとなった」といったものであるならばそれでも良かろうが、大抵の場合はそうではない。
こっちの体温ばかり上がっているのに尻の方は冷えていくというのはどうにもおかしい話だ。
使ったのはirohaのkoharu
ちょうどAmazonのポイント期限が来てたから値段も二千円とかだから使えなくて捨てても惜しくないしちょうど良くて昨日の夜発作的に買って今日届いた
シリコン製で、レビューには太めのアスパラガスのようなサイズなどと書かれていたとおり、太めの指の人ならこんな太さかも?くらいのまっすぐな部分と、膨らみが一回り大きくなっていて振動する感じの先端部分でできてた
アダルトグッズ(セルフプレジャーグッズと言う名前で売ってたけど)買うのも初めてだったけど、派手派手とかいかにも卑猥な絵柄とかの箱でもなく普通の白い箱に入って届くあたり女性向けなんだな〜って感じ
水原希子コラボモデルがあるらしいけどそちらは経験値高めの人向けっぽい雰囲気だったからやめた
栗オナ歴20年超だけど男性とそう言う行為に発展したこともないし自分で指を入れたこともなかったから、ほんとに入るのか??と懐疑的な気持ちになりながらベッドでエッチな動画を見る
動画が盛り上がってきたところで、セット販売されてた潤滑剤をたらして、股間全体に当てて振動させてみた感じはぶるぶるして気持ちいいし指でするより楽で良いかも
けど挿入しようとすると膀胱炎の時のような尿道のチリチリするような痛みがあり入っていかなかった
そこからさらにしばらく動画を見ながら表面の振動だけを楽しんで、そろそろ疲れてきたし切り上げ時かなと最後にリトライしてみようかと潤滑剤も追加して再度穴に向かって進めてみたらツルっと入っていった
あーなんか入ってるような気がする…?振動してる感じもする…?と思いながら入るとこまで入れてみたらバイブの結構根元近くまで行った
差し込んでるバイブが勝手に抜けてくの何でだろうとかエッチな動画で疑問に思うやつが自分の身にも起こってて人類共通のやつなんだこれ!って思った
そのまますこし抜き差ししたりもして、痛くもないけど気持ち良い感じもなく、なんか入ってて変な感じ、と思って終了
終わった途端に素面に戻って道具洗って拭いてってするのなんかシュールだった
今まで男性経験もないし避けてた婦人科の内診も、こんなにつるっと入る感じなら受けてみようかな…40になったら人間ドックフルコース受ける予定だからわかって良かった
・良良良ー・良ー良良だった
思ってたけどこんなに可愛らしいお顔立ちかつ
「存在」するとは、ね…
・年齢マ?22か23かと思ってた
・本当に生身の人がSpotifyで聞いた歌歌ってる〜!
ってビビった
・途中、「もっと元気にー!」みたいになったとこ、
嫌いに…ならないでッ…!
ファンの感じになった
「音楽」って完成するんだ」って驚いた
・「これを生の声で歌ってるのを聞けたら
成仏する…」と思っていた曲4〜5曲
(スーパーボール・グレープフルーツムーン・オセロ・シンデレラとか)を全て歌って頂き最の高だった
何度も何度も聞いた好きな曲を「ライブ」で
「わからせて」頂いた
おらず「思ってたのと…違う、な…」って
出てきて「おっ仲間」ってなった
・学生さんの頃作った曲?の
と思って聞いてたけど秒で屈した
もうあの歌ウマが直撃したら抗えねえ…
・twomoonは録音室?のオーディオが
・クソにわかファンなのでイントロで「この曲だ!」ができず「この曲は〜(しばらく聞いて)あっこれtwomoonに入ってたやつや!」になった 使う脳がカラオケの歌詞うろ覚えの時に思い出しながら歌う時と同じ脳の部分が働いてる感じした
歌聞くときも歌う時も「音楽の記憶を思い出す」時って同じ脳の部分が動くんやな…って新たな発見をした
・「バンドマンはモテる」を理屈ではなく心で分からせて頂いた これはモテる
(写真は撮らん心の目に焼き付けるわ~心の目とか無いやろ〜おまいとは絶交や〜のくだり)
・開演前のBGMで目茶苦茶好き曲流れたので
リズムに乗って体揺らすのやってみたいけど
恥ずかしい///」ってなったけど前に
体揺らしニキネキがいたから乗れた
・中国語?韓国語?喋ってる人多すぎて日本語喋ってる人より多いぞ
・上に立て続いてチェックイン街ロビーでハングル?ラジオ垂れ流しおじさんいたり国際離婚?したいのに相手に逃げられてる話ネキがいたり「もしかして…この辺…治安あんまり良くない…?」ってなった
・おっバーガーキングやん!地元にないなら行ったろ!と思ったらバーガーぬるいしパイは温かくないしションモリした
特に冷めたパイは外食マズランキングの2位を更新した 1位はあの階段の傾斜がヤバい中華屋
チェーン店のパイは色々なものを熱とパリパリ皮でごまかしてナンボなのに冷めたらもう…もう…
ティルスープ頼んで食べきれず
なにより牛背骨×3個の凄みがスゴい
1.5メートルにつき1人の間隔でいる
バター滲み出とるのよき
・昼でもなんか怖い
中国フェスやってる傍ら移民反対デッカ声演説の選挙カー走ってて思想のぶつかり合い発生してて
その場にいるだけで緊張した
なった
・名古屋、都会と聞いてたが予想以上に目茶苦茶都会でビビった 車社会で駅前だけ栄えてて少し離れるとションモリでなく広範囲で都会だった
車無くても生きていけそう
あと夜も朝もどこかしらでアマプロ問わず小規模ライブがやってて都会だった 都会は…文化が…あるな…!
・電源周波数違うの忘れてて
・行く先々で駿河屋寄ってるから全国駿河屋巡りしてんの?ってなる 実家のような安心感
予定を詰め込み…過ぎた…ネ…
パチンコをなぜやめるべきなのか?
・1年半近くやってきて結局収支は大幅なマイナスになっている。これは偶然運が悪かったなどとはいえない。
純然たる確率、事前に設定された完全に不変の確率のゲームであるパチンコでだ。
個々の勝負での勝利はたくさんあれど、敗北による損失が大幅に上回っている。
・パチンコというつまらないギャンブルに夢中になっている自分に誇りを持てない。とても惨めではないか?
誰かから指摘されたからというものではなく、あなた自身がそう思っている。
・パチンコという遊びを知り、実際にやることで学べることはもう十分だ。もはや何の新鮮味もない。
小さい頃から自分の二面性というか、「どうしようもなくキレやすく、暴力を振るう時期」と「人生に対して完全に悲観的になってしまう時期」があることを自覚していた。
感情コントロールで非常に苦しんだ。安直に「どうにかしてこいつを殴りたい」と思ったことは数え切れない。もちろん行動には移さない。それくらいの社会性はある。
母親も祖母も「躁」のときはキレまくっていたし、散財しては父親に怒られていた。とにかく元気でハキハキと仕事をこなすのだが、一旦怒らせると自室のものを全て壊された。
「鬱」のときはまた別の地獄が家庭に漂った。料理も育児も全部放棄。家にいると陰鬱が移るから、友達のいるところへ逃げ込んだ。
自分は二人の様子を見て「こうはなるまい」と中学生時に決意した。以降、明確な人間関係のトラブルや、差し迫る危機などには縁がない。
が、薄氷を渡り続けている。イライラしたらオンラインショッピングで数十万円分の買い物をする。それがパートナーにキレる前のストッパーとして機能している。どうしようもなく鬱な場合、隙があればすぐに死んでしまうような気がして、救急外来のグロテスクな密着番組を見る。死は常に自分の隣に存在する。躁フェーズでは死は丁寧にマスキングされる。
ジェットコースターという例えは言い得て妙だ。「人生ってこんなに素晴らしい」と涙を流した数ヶ月後には「死にたい」という気持ちにどっぷりと浸かっている。自分の人生は忙しい。躁であれば数日徹夜で記事を書けるし、執筆後のフルタイム労働だって楽勝だ。鬱になると全然ダメだ。仕事が終わったらベッドに直行、そうしなければ死んでしまう。双極症の自殺リスクはうつ病のひとより結構高いらしい。それはそうだと思う。どちらに感情が揺れ動いていたとしても、自分にとって「死」は階段を一歩駆け上がるよりフランクな行為だ。ただ痛いのだけが嫌だから後回しにしている。
鬱から躁へ動く瞬間は天国にのぼるくらい気持ちいい。シャブをやったことはないが、それに似たような気持ちだと思う。躁から鬱は地獄だ。文字通り立ち上がれなくなる。まともに職業をやれているのは逆説的に「このレールを外れたら死ぬ」と思い込んでいるからだ。
先ほどちょうど躁転の瞬間があった。今日という今日まで人生というものに飽き飽きしており、いつどのように死ぬかを考え、遺書を3通したためていたが、今は何と、将来の輝かしい未来ばかりが脳内を駆け巡っている。だから慰みにこんな文章を書いている。
自分はおそらく長くは生きていられないだろう。一ヶ月前は全てが灰色がかって見えた。大切にしてくれる友人やパートナーや家族といった有機体を凌駕する「脳内物質に振り回される自分の滑稽さ」と「永遠に続く単振動の苦しみ」がそこにはあって、逃れる方法はただひとつだ。自分はきっと(多分ひとより短い)一生の大部分をこの病気に振り回されて終わるのだろう。ラピッドサイクラー型に有効な治療法は少ない。
だが、少しは粘ってみるのだ。
双極性障害は「双極症」に名前が変わった。だからどうということでもないが、毎日這いつくばって、延々と続く日常にしがみついて、双極症の世界を生きている自分にとって、少しだけありがたく思う。
アルバート アインシュタインが一般相対性理論で説明したように、大規模なスケールでは重力が時空構造の曲線のように見えるように、重力を自然の量子法則に適合させるという非常に困難な仕事を担っている。
どういうわけか、時空の湾曲は、重力エネルギーの量子化単位、つまり重力子として知られる粒子の集合的な影響として現れる。
しかし、重力子がどのように相互作用するかを単純に計算しようとすると、無意味な無限が生じ、重力についてより深く理解する必要があることがわかる。
M理論は、宇宙のあらゆるものの理論の有力な候補としてよく言われる。
しかし、それについての経験的証拠や、重力が他の基本的な力とどのように統合されるかについての代替アイデアはない。
この理論は、重力子、電子、光子、その他すべてのものは点粒子ではなく、さまざまな方法で振動する、目に見えないほど小さなエネルギーの「糸」であると仮定していることは有名である。
1980 年代半ばに弦理論への関心が高まり、物理学者は弦理論が量子化重力の数学的に一貫した記述を与えることに気づいた。
しかし、ひも理論の既知の 5 つのバージョンはすべて「摂動的」であり、一部の体制では破綻することを意味していた。
理論家は、2 つの重力子の紐が高エネルギーで衝突したときに何が起こるかを計算できるが、ブラック ホールを形成するほど極端な重力子の合流がある場合には計算できない。
その後、1995 年に物理学者のエドワード・ウィッテンがすべての弦理論の母を発見した。
彼は、摂動弦理論が一貫した非摂動理論に適合することを示すさまざまな兆候を発見し、これを M 理論と名付けた。
M 理論は、異なる物理的文脈におけるそれぞれの弦理論に似ているが、それ自体には、すべての理論の主要な要件である有効性の領域に制限がない。
2 年後、物理学者のフアン・マルダセナが AdS/CFT 対応関係を発見したとき、別の研究が爆発的に起こった。
これは、反ド シッター (AdS) 空間と呼ばれる時空領域の重力を粒子の量子記述 (と呼ばれる) に結び付けるホログラムのような関係である「共形場理論」がその領域の境界上を動き回る。
AdS/CFT は、AdS 時空幾何形状の特殊なケースに対する M 理論の完全な定義を提供する。
AdS 時空幾何形状には負のエネルギーが注入されており、私たちの宇宙とは異なる方法で曲がる。
このような想像上の世界では、物理学者は、原理的にはブラック ホールの形成と蒸発を含む、あらゆるエネルギーでのプロセスを記述することができる。
この基本的な一連の出来事により、ほとんどの専門家は M 理論を有力な TOE 候補とみなすようになった。
ただし、私たちのような宇宙におけるその正確な定義は依然として不明である。
それが想定する文字列、およびこれらの文字列が動き回ると思われる余分なカールした空間次元は、大型ハドロン衝突型加速器のような実験が解決できるものよりも 1,000 万分の 1 倍小さい。
そして、宇宙ひもや超対称性など、見られたかもしれない理論の巨視的な兆候のいくつかは現れていない。
一方、他の TOE アイデアにはさまざまな技術的問題があるとみなされており、重力子-重力子散乱計算など、弦理論による数学的一貫性の実証を再現したものはまだない。
遠い競争相手には、漸近的安全重力、E8 理論、非可換幾何学、因果フェルミオン系などがある。
たとえば、漸近的に安全な重力は、無限に悩まされる計算を解決するために、より小さなスケールに進むにつれて重力の強さが変化する可能性があることを示唆している。
超ひも理論は、光子からクォークに至るまで、すべての粒子がゼロ次元の点ではなく1次元のひもであるという理論的枠組みのこと。
もし、あらゆる文脈で成り立つ超ひも理論のバージョンが発見されれば、宇宙の性質を記述するための単一の数学的モデルとして機能することになり、重力を説明できない物理学の標準モデルに取って代わる「万物の理論」となるとされる。
超ひも理論の全貌を理解するには、広範な勉強が必要だが、超ひも理論の主要な要素を知れば、その核となる概念の基本的な理解が得られるだろう。
1. 弦とブレーン
弦は一次元のフィラメントで、開いた弦と閉じた弦の2種類がある。
開放弦は両端がつながっておらず、閉鎖弦は閉じたループを形成する。
ブレーン(「膜」という言葉に由来する)はシート状の物体で、その両端に弦を取り付けることができる。
ブレーンは量子力学のルールに従って時空を移動することができる。
物理学者は、宇宙には3つの空間次元があると認めているが、超ひも理論家は、空間の追加次元を記述するモデルを主張している。
超ひも理論では、カラビ・ヤウ多様体と呼ばれる複雑な折りたたみ形状にしっかりと圧縮されているため、少なくとも6つの追加次元は検出されない。
3. 量子重力
弦理論は量子物理学と一般相対性理論を融合させようとしているため、量子重力理論である。
量子物理学は原子や素粒子のような宇宙で最も小さな物体を研究するが、一般相対性理論は通常、宇宙でよりスケールの大きな物体に焦点を当てる。
4. 超対称性
超弦理論としても知られる超対称性は、2種類の粒子、ボソンとフェルミオンの関係を記述する。
超対称弦理論では、ボソン(または力の粒子)は常にフェルミオン(または物質の粒子)と対になるものを持ち、逆もまた同様である。
超対称性の概念はまだ理論的なもので、科学者はまだこれらの粒子を見たことがない。
一部の物理学者は、ボソンとフェルミオンを生成するには、とてつもなく高いエネルギーレベルが必要だからだと推測している。
これらの粒子は、ビッグバンが起こる前の初期の宇宙に存在していたかもしれないが、その後、現在見られるような低エネルギーの粒子に分解されたのかもしれない。
大型ハドロン衝突型加速器(世界で最も高エネルギーの粒子衝突型加速器)は、ある時点でこの理論を支持するのに十分なエネルギーを発生させるかもしれないが、今のところ超対称性の証拠は見つかっていない。
5. 統一された力
弦理論家は、相互作用する弦を使って、自然界の4つの基本的な力(重力、電磁気力、強い核力、弱い核力)がどのように万物の統一理論を作り出しているかを説明できると考えている。
エスカレーターはそもそも「動く階段」としてデザインされおり歩く(歩ける)のが普通。
昔の映像でも歩きたい人は歩いているしエスカレーターが歩いてはいけないものだった時代なんてそもそも存在しない。
それを転倒事故のクレームが来たからと急に「本来エスカレーターは歩くものじゃないんですよ?」みたいな嘘の啓蒙で無理やり使い方を変えようとするから実態にそぐわないしうまくいかない。
失敗してるのはエスカレーター設置者や行政やマスコミの考え方・やり方のほうです。
もし歩かせたくないなら必要なのは歩けない新しい構造のエスカレーター、または新たな昇降手段。
でも現実的には転倒リスクが大きい高齢者・子供・障害者などをエレベーターに誘導することの方がはるかに課題を解決すると思う。
色じゃなくて音で考えたらどうか。
ある音を聞いたときにAさんには聞こえてBさんには聞こえない場合がある。
これは、
①音量に対する感度、すなわち聴力が異なる場合→耳が悪いBさんには聴こえない
②感知できる振動数の幅すなわち聴こえる音の高さの幅が異なる場合→例えばモスキート音みたいに高い音は高齢者のBさんには認識できない
音が空気が振動する波であるのに対して、光は電磁波という波で波長(=光速/振動数)で色が決まるが、その色の認識には同様に個人差があると考えられる。
なので、健常者同士が同じ赤色を見ていても認識は異なる可能性が十分にある。例えば、解像度にも個人差があるだろうから、
RGB=(255,0,0)とRGB=(254,0,0)で「はっきり違う」と認識する人もいれば「同じである」と認識する人もいると思う。
男に多い色覚障碍者(ある閾値を超えた個人差を持つ人)の場合、赤と緑が同じに見えたりするというので、人によって見え方が異なるのはごくごく自然なことと考えるのが妥当であると思う。
エビデンスとなる論文でも示せればよいのだが専門ではないので詳しくは有識者のトラバを待ちたい。あくまで一つの意見として参考まで。
🚥「ブルブル振動してるんだよな!」