はてなキーワード: 指南とは
文章論を見つけるとつい読んじゃうんだけど(文章がうまくなりたいので)、そうすると「万人が理解できて、親しみやすい文章を書きましょう」という指南が良く出てくる。
いわく、誰もが理解できる簡単なことばを用い、一文の長さは短めに云々。同じ語尾を続けて使うとテンポが悪く云々。「だ、である」調よりも「です、ます」調のほうが親しみを持たれやすく云々。その際敬体と常体は統一して云々。
なるほど確かにそういう文章は読みやすい。その一方で、これらをどこまでも愚直に守りつづけた先に行きつくのはたぶんあれだよな、とも思う。あれっていうのはあれです、記事の最後に「いかがでしたか?」ってつくタイプのキュレーションサイトの文体。自分以外の人が定めたレギュレーションにがっちがちに縛られた文章。いや、そうならない人もいるんだろうけれど、何も考えずに「なるほど、一文はなるべく短く! 同じ語尾は続けずに!」ってのを盲信して、それがすべてだと思ってずーーーーーっと突き進んじゃうと、そこに行きつくだろうという話。
冒頭に挙げたようなテクニックはあくまで文章をあまり書いたことがない人に向けた基本のキで、それを身に着けたうえで基本をいかに崩すかという点にこそ、書き手の色が出てくるんだと思う。実際プロの文章では、同じ語尾を連続させることで畳みかけるようなスピード感を出していたり、判決文かよと思うレベルで一文を長くして独特のリズムを作ったり、句読点を取っ払うことで狂気その他のっぴきならない状況を演出していたり、そういったことはいくらでもある。それらの文章が万人受けするか? と言われるともちろんそうではないんだろうけど、でもその人には明確に書きたい文章、狙いたい効果というものがあって、それが刺さる人にはきちんと刺さっているからこそプロとして文章を書いているんだろう。
そういう「基本を身に着けたあと」について書いてある文章論の本ってあんまり見なくて(あったとしても精神論がほとんどのように思える)、もうそこからはひたすら読んで書いて自分で掴めってことなのかな。
ともあれ世の中にある文章論に関しては、ターゲットがあまりに偏ってる気がしている。「文章をあまり書いたことがない人に向けた基本のキ」の指南本、多すぎません?
特に、そこに書いてあることさえ守れば文章で身を立てられると言わんばかりに、「書いて稼ぐ」ことを煽る本。文章の価値はフォロワーやPV数、Googleの検索トップに表示させられるか否かで決まると、信じて疑わない価値観で書かれた本。
そういうものを見るたび、活字を読むことが好きでたまらない身としては、暗澹とした気分になってしまう。「楽に稼ぎたい」という人間の心理をついたような文章論に吸い寄せられて、「なるほどこれが稼げる、いい文章の条件なんだ!」と素直に思って、基本のキや小手先の集客テクニックを真面目に守り続ける人がどんどんライターやブロガーに流れていけばいくほど、インターネットに生み出される文章はどんどん画一化されていってしまうんじゃなかろうか。私が今楽しんで読んでいるような、書き手の衝動と個性がにじみ出る文章は、工業製品みたいなテキストに押し流されてどんどん見つけづらくなってしまうんじゃなかろうか。
心配しすぎかなあ。
でも、最近グーグルで何かを検索したときに出てくるキュレーションサイトの群れは、どれをクリックしても同じ人が書いたような画一化した語り口をしている。それを読んだときの砂を噛むような感覚に、どうしてもそんなことが頭に思い浮かんでしまう。私が好きなインターネットは淘汰される運命にある、といえばそれまでなのかもしれないけれど。
生まれてから高校までアメリカで過ごし、それ以降は日本で住み就職もしている。今20代前半。
最近X(Twitter)でこんな動画が賛否両論を生んでいた。
https://x.com/sgwhn8727/status/1627815915457839104?s=20
「子どもたちの自己肯定感を上げるため、わたしのクラスでは毎朝affirmationを言います。I am loved, I am brave, I am smart, I am kind, I am a problem solverと言い合って、ポジティブな気持ちで1日過ごせるようにします。これを毎日繰り返すことでポジティブな自分になることが狙いです。」
これを見て、自分が今まで生きてきて感じたことを色々と思い出したので少し書く。
便宜上、「アメリカ」「日本」と大きな主語を使うが、もちろん家庭や土地によって差はあると思う。
アメリカでは↑の動画のように、「あなたは素晴らしい存在である」と言われ育つことが多い。
「あなたは賢い」「あなたは強い」「あなたは愛されるべき存在」と。
日本では謙遜という概念や「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があるように、素晴らしい能力を持った人でも偉ぶらず控えめであることが求められることが多い。
そんな日本の文化を窮屈に思い、アメリカの文化を羨ましく思う人も多いだろう。
しかし、アメリカの「自己肯定感アゲアゲ」文化には致命的な欠点が存在する。
身も蓋もないことを書いてしまうが、いくら本人が「自分は素晴らしい存在だ」と思っていても、現実は違うことの方が多い。
「アメリカは個性を尊重する」とか言ってる人もいるが、誰だってバカより賢い人の方が好きだし、ブスより綺麗な人の方が好きなのだ。それはどこの国も変わらない。
そもそも、「誰もが素晴らしい」が声高に主張される社会=そう言わなければいけない社会、ということである。
社会に出たら嫌でも自分のランクを思い知らされる。自分の上位互換がいくらでも転がっている。
自己肯定感のメッキが剥がれる瞬間が辛いなら、最初から身の丈にあった感覚を持ち生きたほうがマシではないか。
特に今、日本中国韓国の若者と同じように、多くのアメリカの若者には金も希望もない。
インフレや格差にあえぎ、親と同等の暮らしをすることをあきらめている人がほとんどだ。戦争や気候変動など世界的な問題も山積みだ。
こんな中で「自分は素晴らしい」「人生は素晴らしい」と言われても困るのである。もはや呪いでしかない。
「自分は素晴らしい」という言葉は呪いだ。なぜなら、むしろ自分のクソさに気づいたとき、そのクソさがものすごく大きく見える。
その人は「ブスの戦い方」を指南していた。美人はどうやたって生きていけるが、ブスは工夫しなければいけない。しかし、努力すればむしろブスは美人よりも大きな成果を上げることができると。
その話は「ルッキズムを植え付けるな」なんて批判されていたが、自分は感動した。
自分が美男美女ではないから生きづらいと言っている人に対して、「あなたは美しいよ。素晴らしい存在だよ。」と言うのは正しいのだろうか。
非美男美女としての生き方を提案するのが本当の優しさなのではないだろうか。
もちろん美醜だけでなく、頭が悪い、身体が弱い、など、それを素晴らしいよ・あなたの個性だよで終わらせるのではなく、弱者としての戦い方を徹底的に教え込むべきなのではないか。
そもそも、アメリカの自己肯定感は間違っている。「自分は素晴らしい」と思わせるのは自己肯定感をはぐくむことではなく
どんなスポンジケーキかということを考慮せずに、クリームをゴテゴテ塗ってごまかしているようにしか思えない。
「あなたは素晴らしい」と言われ育ったが、そうではないことに気づいてから人生計画を立て直すのに時間がかかった人はたくさんいると思う。
自分ももう大人になったし今は幸せなので、今まで受けた教育にだらだらと文句をつける気はないが、最初から人生がクソゲーだと教えられていたらもっと楽に生きられたと思う。
自己肯定感とは、どんなに自分や自分の人生がクソでもなんとか生きていける能力だと思う。
でも昨日食べたラーメンはおいしかった。信号ですれちがった犬がかわいかった。昨日より1mmは仕事ができるようになった。だからよかった。
日本の「自虐文化」は批判対象になることが多いが、実際無意識に救われてる人も多いのではないかと思う。
あと、これは書くか迷ったんだけど、アメリカの自己肯定感アゲアゲ文化は奴隷を育てるためではないかと思ったことがある。
日本の詰め込み個性ガン無視教育は批判されているし自分もどうかと思うけど、ほぼ全員に最低限の教育を施し、子供たちが次の道へ進みたいと思ったときへの土台作りはできると思う。
しかし、アメリカは頭のいい子への教育は天才的であると感じるけど、バカへの教育はあまりよくない。最低限の基準に達していないバカに「君は素晴らしい」「我々は強い」と言って、一部の天才の奴隷にしようとしているのではないかと思った事すらある。これは陰謀論とかではなく本当に。まあ奴隷育成に失敗して中身スカスカなのに態度がでかい人間を量産してるけど。
父から40万円の振込があった。ほとんど、私が1か月に稼ぐ額だ。
父から振込があったという言い方になるが、祖父母が亡くなった時に、孫として相続した分で名義は私のお金である。使い道もなく管理を任せているものだ。
新制度に移行する前に、今年の積立NISAに充填するようにということだった。よくわからないが、証券口座に入金したあと、何を買うべきかはまた教えてくれるらしい。
人が死んだことによる不労所得。
それを、運用してくれようとしている誠実な親。
けれど、この、身に余る待遇にたまに、ゾッとしてしまう。けれど、それをほうって捨てられるほど強くはない。
きっと私はこの後、住む家も買ってもらうだろうし、今後の積立NISAも指南を受けつつ、やると思う。働かなくてもギリギリ暮らせるけど、一応アリバイ証明のために働いている。
先日、専業主婦は骨から美しい、というのが話題になったが、ちょっと分かる。自分でいうのもおこがましいが、私は骨が艶やかなバターでコーティングされている、昭和生まれの甘くてリッチな焼き菓子みたいなものなのである。クリームがない分、見た目だけちょっと堅実めいていて、でも、アーモンドプードルとバターで出来ている、全く堅実でないお菓子。
親ガチャに成功した、才能がない子供ってのも、なかなか辛いもんである。これが自虐系自慢って思う人もいるとは思うんだけど、でもまぁ、実際のところ、なかなか立つ瀬はないのである。
と、インターネットの海に投げてみる。
ジャニーズとか宝塚とかをきっかけに「推し活」そのものにも批判的な目が向けられてる現状にちょっと言いたくて書く。
性犯罪とかパワハラとかが違法行為であって糾弾されるべきなのはそう。そこに異論はない。
ただ、歴戦のオタクとして、「推し活」そのもののあるべき姿みたいなのにはちょっと思うところがある。
具体的な年代は避けるけど、かつてオタクやってたときはまだ「推し」なんて言葉はなかったし、今よりずっと「オタク」もネガティブなイメージの言葉だった。
当時は某グループのオタク。バーチャル系ではなく実在のグループで、まあCD出したりグッズ売ったり、ライブやったりしてる感じ。まだ配信文化もなかった。
ツアーの全通(非オタク向け補足:ライブツアーなどに全公演参加すること)経験もある。チケ代交通費宿泊費グッズその他で数十万かかったけど、まあ楽しかった。
その後、主要メンバーの引退やら卒業やらで少しずつ離れていき、数年間の非オタク期間を経て、1年ほど前からまた別ジャンルのオタクをやってる。
年齢も人生経験もちょっとは積み重ねて、推し活に対するスタンスも固まってきた。別に正解があるわけじゃないが、推し活やるならこうしたらいいぞ、っていうオススメを書いておきたい。
一言でまとめると、「推しの人生は推し本人のもの、お前の人生はお前のもの」だ。
どうかなあと思うのは、自分の人生を推し活に注ぎ込みすぎてるパターン。それで結局推しの引退やらなんやらで、気がついたら年齢を重ねた自分と虚無感だけが残った、みたいなやつだ。
昔からそういうオタクを周囲でたくさん見てきた。それでもある期間は楽しかったんだからいいのだ、と割り切れるならまだいいが、そうでない人も多い。
ファンと結婚する芸能人、みたいなのに憧れがあるのもわかる。でもあれは、「もともと出会えるぐらいの距離感の関係性」だった対象が、たまたまファンだったというだけに過ぎない。もしくは、ちょっと知ってた、くらいの話を「昔からずっとファンでした」に脚色したほうがニュースバリューがあると判断した結果の演出だ。残念なことだが、この世界はそういうふうにできている。
ライブでファンサもらえたとしても、ラジオや配信でメールが読まれたとしても、それはお前の人生が推しの人生と重なったことにはならない。
推しは推しの人生という列車に乗っていて、お前の乗ってる列車の線路とは交わってないのだ。ライブやメールっていう接点は、あくまで車窓から見えた、程度のこと。
その景色が見えようと見えまいと、推しは推しの線路を進んでゆく。それはお前もそうなんだ。お互いが交わったと思いたい気持ちはわかる。でもそうではないということをまずは理解しよう。
じゃあどうしたらいいか。
お前は推し活をしている以上、推しから何らかの影響を受けているだろう。推しも、個別に一人ひとりを認識してはいないにしろ、ファンの反応には影響を受けているはず。そういう意味では、
お互いに影響しあっている。推しはファンのリアクションを受けて、活動を続けている。お前も、推しから受けた影響を「お前の人生」に活かせ。
お前が推しの人生を変えようとしても難しい。推しの人生は推し自身が自分で決めて進んでいくのだ。同様に、お前の人生を決められるのはお前だけなんだ。
ちょっと話は逸れるが、オタク歴が長くなって気づいた、ラジオなどでメールが読まれるコツみたいなものを伝えておく。
可愛い、かっこいい、歌やダンスが上手い、など推しに対してストレートに感情を伝えるメッセージは、それだけでは弱い。なぜなら、ある程度の活動をしている人はそういう言葉を浴びせられることに慣れているからだ。
「あなたの歌(orダンス、演技、etc...)からこんなことを感じて、自分も◯◯してみました、◯◯にチャレンジしています」などというように、
「推しの活動から影響を受けた自分がどのように変わったか」を書くんだ。
推し対象が何らかの芸能活動をしているのであれば、自分の生み出したコンテンツが誰かにプラスの影響を与えた、誰かの人生に作用したと思えることが嬉しくないはずはない。
どんな仕事でも、自分の仕事が世の中の役に立っている実感が得られるかどうかは、やりがいに直結するだろう。それと同じことだ。
自分は、いまの推し対象が音楽をいろいろ突き詰めているのをみて、楽器を始めた。もともと音楽は好きで楽器が演奏できることへのあこがれはあったが、推し活がきっかけになった形だ。
練習しているのはもちろん推しの楽曲だ。なんとか1曲弾けるようになって、推しの記念日に某所に演奏動画を上げたら、同ジャンルのオタクたちがリアクションくれてちょっと承認欲求が満たされた。推し本人が見てくれていたらいいなあと思う。
初級レベルを出るくらいまではきた自覚があるので、おそらく今の推しが引退とか活動休止したとしても、楽器は続けていくと思う。これは推しに出会わなかったらきっかけがなかった自分の人生の変化だ。
言い換えただけだが、自分の考える推し活のあるべき姿は「推しを力に変えてお前の人生を生きろ」だ。
お前がお前の人生を生きている限りは、グッズを山ほど買おうが、ツアー全通しようが、批判されるべきことではない。それを力に、お前の人生をより良い方向へ変えるには、と考えて進もうや。
蛇足だが、推し活のための借金はおすすめしない。それはお前の人生が担える範囲を超えているからだ。
推し活などに全く頼らなくても生きていける人も大勢いる。だが、我々のような人種は基本的に弱いんだと思う。だからその弱さを推しに補ってもらって、自分の人生を歩もう。そうやって良い方向へ自分のファンが変わっていくことは、推し本人にとっても喜ばしいことのはずだ。
「ネット民の力を信じる」「スゴイ一体感を感じる」的なノリに冷静に距離置かせるカバオコピペがあったので2chは良いって棘が人気だけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2258034
そのコピペって2ch全体で貼られてた訳じゃないぞ。当時の2chは全能感全開だったぞ。
そんな中で特異だったのがこのコピペで、隣組破りというか異端というか、かなりの軋轢があって叩かれてたぞ。
元の「スゴイ一体感を感じる」の投稿がされたのは毎日新聞変態英字記事に対する炎上の中だったのが、この毎日の記事は単独のものじゃなかった。
当時、毎日のWEB版では時々変な性的な記事が載って一部の好事家の間で話題になっていた。
例えば愛染恭子というポルノ女優が居るんだが、彼女が紙面で夫婦間のセックス指南をしたり、関係が無いような社会現象でセックスが原因だからとまたセックス指南したりと結構訳が分からん記事を書いていた。
昭和40年代に「表現者」というアングラジャンルがあって、自分の性的な事を全面に出して芸術や芸能と結びつけるという表現形式が流行っていた。
三島由紀夫の聖セバスティアヌスとか『薔薇刑』とかはこの流れのものだ。宮台真司なんかがやたら自分の性体験を赤裸々に語るのも同じ流れにあるし、国民的アングラ女王椎名林檎の『歌舞伎町の女王』とかもそうだな。
多分この延長で「赤裸々な性」のコンテンツを目指したのではないかと思われる。
また紙の方に載っていたかも未確認だ。紙の新聞の日曜版は風変りな特集記事が載るし、また折り込み形式の特別版ともなれば全然新聞記事っぽくない、ミニコミ紙みたいな記事も載る。
そういう垣根で分かれていない、フラットなWEB版ではそれらはとても奇妙な記事群だった。真面目な記事と並列で愛染恭子などのセックス相談が載ってるというアレな状態だ。
炎上後直ぐに記事が見れなくなって増田は見てないのだが、そういう記事が英語に翻訳されて居たのではないか?という気がする。
ネットvs.旧メディアの図式でそれらのうち、「日本の娘はセックスが好きで」みたいな記事が炎上し、ROM人という法科大学院卒の人物が中心になって行ったのだが、当時の2chはかなりの全能感の中にあった。
郵政選挙で小泉純一郎は旧弊な既得権益に侵された日本vs.本来性を目指す右派革新という図式を提示して勝利し、2chもこの流れに乗っかっていた。今から見ると非常に紅衛兵っぽい。
変態記事想騒動は2008年の初夏であるから、この熱気支配されていて、迂闊に疑念を表したりすると叩かれてパージされてしまう。だから反対意見を態々いう者はほぼ居なかった。
また、大事なのは、犯罪予告連続逮捕事件群が2008年の冬にあった。「よーし、お父さん埼京線の上野駅で連続殺人しちゃうぞー」「学校の校庭で小女子を焼き殺します」が有名だ。
この事件群の以前には、ネットでの犯罪予告は全く逮捕されていなかったのだ。だから責任感とか全く考えず、その場の勢いで法人や個人を罵倒したりいわれのないデマ書き込みしたりが放置されていた。
これも全能感を加速させた。「あの新聞のこの記事は自分の一昨日の書き込みに反応したものだ」とかいうヤバゲな奴とか大量にいた。
そんな感じで冷や水を掛ける人がいない環境であった2chだが、幾つかの例外があって、その一つがガイドライン板、通称ガ板だった。
ガイドラインと言いながら運営上のガイドラインを議論するんじゃなくて、あるテーマに沿った面白コピペ収集やバカレスの晒しが大半だ。
ガ板ではそんな2chの全能感に水を注すようなコピペ収集が以前からされていて目を付けられていたんだが、「スゴイ一体感を感じる」のレス転載は一連の運動を馬鹿にするのが見え見えだから当然「〆る」つもりの反発も食らった。
だが、「スゴイ一斗缶を感じる」とか「すごい水上置換を感じる」とかの改変が多数行われると面白過ぎて盛り上がり、隣組圧力を突き放す形になった。
そもそも法科大学院を出た後にちゃんと就職しておらず、身分も精神も不安定であった。渦中の毎日新聞を提訴したのだが、そもそもこういう日本人の名誉=自分の不利益というのは反射的利益であって原告適格性を認められない。その法的文書も酷くて法科卒とは見えないレベルだった。
そして自殺予告や未遂を起こし、あまりに精神不安定さに同居家族がネットに書き込んで「これ以上持ち上げないで」と懇願するに至った。
因みに彼も1000万円を超えるカンパを得ている。
最近では見る事が少なくなったが、ネット中毒を拗らせて精神を病む、人格が社会から完全に乖離する、ゆえに破滅するというのは良く見られた。彼もその一人だ。ネットから引き離さないと直らないという典型的な状態だ。
こうして運動の方は自然消滅していった。カンパの1000万がどうなったかは知らん。
だから「すごい一体感」は2chの冷静さじゃなくて、全能感や一体感の隣組的圧力を意に介さなかったガ板の冷静さであった、ということ。
更に「ネット民の力を信じるすごい一体感を感じる」的ノリというのは、恥ずかしいもの、では済まず、結構悲惨で親族や本人の人生を巻き込んだ大仰な結果に至っているのだ、ということ。
まず最初に、これは真剣な交際を求めている人にのみ有効な手段であって、ワンナイト・彼女という名のただ○ン狙いの人には無効な手段です。
実際に連絡とった・会った人の中で周囲の人間と話してこれはナシ!ってなった特徴を共有します。
逆に言うとこれさえやらなければ、あとは相手の好みに合致するかという話になるわけです。
そんなのはシンプルに運みたいなものなので、回数増やすしかないですね。
○話してるときに目が合わない、下を見ている
⇒緊張して目が合わないのかもしれないけど、視線落とすと胸見てると勘違いされて「ナシ」判定される可能性大。
後普通に目が合わないのは「興味持たれてないかな」と思って終わり。女は生理的な拒否感なければ好意持たれることには悪い気はしない。逆に片思いはよっぽどの相手じゃないと避ける傾向にあるから興味を持っていないと思われるのはもったいない。
○前日までに店・具体的なプランなどが決まっていない
⇒予約しろとは言わないからお店は決めておいたほうがいい。予約しとくとブッチを防げるよ。予約したのに来ない女は最悪なので諦めましょう。コース予約なしで席予約のみがいいと思うよ。コース予約するときは奢るつもりでも相手に許可取ろう!
○帰りの時間を気にしてあげる
⇒ヤリモクじゃないですアピールが自然にできる。聞き方間違えると逆にヤリモクに見えるので、そこら辺の按分できる自信があればやりましょう。自信なければやらないでおきましょう。
○奢り奢られ論争
⇒本人に聞こう!!!まじで!!!!!!!実際にあったのがお手洗い行った間に会計済まされていたことがあったんだけど、付き合ってない人から奢られるの嫌い派としては「ナシ」判定だった。これは周囲の人間もそうで(年収・学歴が同程度の似た人間だからだと思うが)、交際申し込まれて断ったときに、「奢った」ことを対価にごねられたり態度が急変されても困るので、奢られたくない女もいることを念頭に入れてほしい。奢りたいならちょっと多めに出すとかならこっちも平気。
○短期決戦するな
⇒友達まで紛れ込めば結構いい線いける可能性があるので、まじで好きなら最初から恋人ポジ狙うんじゃなくて一旦友達ポジ狙うのはあり。男女の友情なんてないですからね。だいたい異性としては認識してるんで、あとは長時間かけて居心地のいい男になればいい。あと単純接触効果馬鹿にならないですからね。ただし友達から狙うルートは数年のスパンを見ないといけないので、まじで好きな人とマッチングしたときだけにしましょう。
○聞き手に徹するな
⇒女の話はとにかく聞けっていう指南書あるけど、これだけ鵜呑みにした男、相槌しか打たない。とにかく聞けって言うのは、相槌だけ打ってろという意味ではない。的確な質問をしろって話なんだ。これは周囲の男性に聞いても理解できる男と無意識でやってる男とまじで理解できない男の三種類にわかれるから努力では難しい範囲。
例)
<ダメな例>
女「この間○○があって~」
男「へーそうなんだ」
女「△さんっているんだけど~」
男「うんうん」
みたいなのを繰り返す。意味のない相槌過ぎて存在価値を指し示せていないし、話せて楽しかった!盛り上がった!みたいな感想も持たれづらい。
女「この間○○があって~」
男「え~なになに気になる」
女「△さんっているんだけど~」
って感じでちょっとした感想とか、過去の会話からのデータを引き出してしゃべる感じ。まじで一例だけど。この時一文以上絶対に返さないこと。あくまで相槌の範囲に収めること。
⇒これ出来てない人が結構多い。男と女で下ネタの条件が違うんだと思う。風俗行ったことある匂わせとかしちゃうんだよね、会話の流れで。多分本人も匂わせちゃおとか思ってなくて、まじの会話の延長線上にあるんだと思う。あと胸大きい子に「胸大きいって言われるっしょ笑」はまじで心広い人以外からはナシ判定食らうのでやめておこう。小さい子の胸いじるのもやめよう。普通に容姿いじるのもやめよう。女ってそもそも容姿男にジャッジされるの忌避する傾向にある。それが誉め言葉でも。
難しかったら言い換えよう!「かわいい」「美人」じゃなくて「好みの雰囲気」とかならギリ。服装とかネイルとかアクセサリーとかの雰囲気好きって言ってもらったほうが嬉しいよ。
○服装、見た目の話
⇒まず美容室は行こう!眉もまじで整えよう!!!女は見てる!!!!!男は気にしないかもしれないけど、女はめっちゃ気にする。あと爪の間汚いのも目立つし、爪長いのも目立つよ。
以下それぞれ体型別に好感触持たれやすい恰好とNGの格好を書きます。
でもそもそもアプリの写真見て会うこと決めてるんだから加工してない限り会って幻滅されることはないと思う。会った後に連絡途絶えたら内面のせいか加工のしすぎ。
<NGの格好>
・サイズの合っていないボトムス(ダボっと着るデザインじゃないもの)
⇒ダボっと着るタイプのボトムスは大体足首のあたりに向かってテーパーかかってるんだよね。そうじゃないやつはスタイル悪く見える。特にチノパン・ジーンズみたいなのは注意。
・靴
ガテン系がっしりがあなたたちのターゲット層に嫌われるので辞めような。
・前髪ありの長めゆるパーマ
・靴はごつめのスニーカー
そんなものはない。実際細身だと低身長かつ顔めっちゃやばいとかでなければある程度見れる容姿なんだよね。清潔感さえあれば。
清潔感は肌と眉と髪に出るのでとりあえずこの3つ気を付ければOK。
・髪型:美容師さんに似合わせでお願いしろ。正直長髪は雰囲気でごまかせるけど、前髪アップするタイプの髪型はもろに顔面偏差値出るよ。もみあげはないに越したことはないので、ゆるーくサイドかりあげるとスッキリする
・ひたすら「GUコーデ」でインスタを検索する。細身は正直何着てもある程度様になるからあとは好み。おしゃれ初心者は人のコーデ見て丸ごと買おう。絶対に自己判断するな。GUじゃなくてもいいけど、流行りのデザインは大体あって廉価でコーデ数多いよ
⇒知らなかったんだけどこれ論争あるんだね。先にいいね送ったほうがメッセージしたらいいと思う。女側って一日100いいねくらいくるから、アプリのシステムによるけど自分からいいねしにいかないんだよね。めんどくさいからいいねくれた中から返すわけ。でも日に100いいねも来たら、「とりあえず変じゃなさそう~」でいいね返したら70は行くんだよね。それすべてにメッセージ送るのは正直厳しいから、「マッチングありがとうございます」だけでいいから送っとくといいよ。一日70人もマッチングしてたらマジで見た目好みとか好条件だったとかじゃないとメッセージしないと思う。
以上、今のところ思いついたのはそんなところ。
やあ夜の街増田だよ。昨日バズったこの件を解説するよ。共謀罪の正式名称は組織犯罪処罰法違反だよ。6年くらい前に左派の人達が「共謀罪反対!」と騒いでいたあの法律のことだよ。
夜の街掲示板の「ホストラブ」によると、今回捕まったホストの昨年の売上は1億数千万で、うち9割が頂き女子によるものとのこと。
また、ホストが所有していた普通の金魚鉢(3000円くらい)を1200万円で頂き女子に売りつけたというタレコミもあった。
これらは全て昨年の話で、今年になっても5月くらいまでは貢ぎ続けていた。その後頂き女子は別のホストに鞍替えして少し経ったら捕まって今に至る。頂き女子の詐欺の罪状は今のところ5000万円だが、実際は3億円くらいになりそう。
LINEで共犯だね、とやりとりしてたのが決定打のように見られてるがそれだけではない。
他の客に「頂き女子のようにやって稼げ」と稼ぎ方を指南していたという書き込みが以前からホストラブでちらほら出てきていた。
時系列を考えると、一連の罪状は9月にホストクラブ一斉捜査が行われた際に客から事情聴取して裏付けられた可能性が高い。
罪状は詐欺示唆でも良かったと思うが、詐欺被害者に少しでも金を返せるように共謀罪を適用したとみる。このホストの家に、彼が稼いだ現金がいっぱいタンス預金されてたというタレコミもホストラブであった。
今回のホストのように詐欺示唆というのはあまり多くない。万が一のことがあったら今回のようにホスト側も捕まるリスクがあるからだ。
基本的には風俗やAV(FC2で売られるような無修正モノ)の紹介が多い。実はこれによる紹介料収入もホスト側は得られる。相場は風俗店なら売上の1割、AVはものによる。
風俗の売上は風俗嬢と店で折半が一般的なので、仮にヘルスで男性客が1万円払ったら、ホストに紹介料1000円、店に4000円(本来は5000円だが紹介料分減る)、ヘルス嬢(ホストに貢いでる客)に5000円分配されるという仕組みだ。そしてヘルス嬢の稼ぎはまるっとホストに消えるので、ホストは風俗の売上の6割を得られる計算だ。
だからホストは客を風俗やAVに沈めたがるのだ。稼ぎが増えるから。
共謀罪は6年前に左派が「反対!」と騒いだ法律だ。それがまさかの夜の街の抑止力となるとは。
詐欺罪だと今回のホストのようにごく一部しか抑止できないが、共謀罪は取締りと救済範囲を広げることが出来る。
頂き女子とホストが「どうやって金をおぢ(パパ活おっさん)から奪うか」を共謀していて、それがLINEに残っていたというタレコミもあった。こっちが決定打かも知れない。
財産隠し、子ども連れ去り「指南」...世田谷区の女性向け離婚講座に非難の嵐
区は人権・男女共同参画課長が答弁し、DVや搾取などに悩む女性の参加を想定した講座内容だったと説明。
なぜなのか。
せめてDV被害に悩む人全員を対象にした緊急避難的な措置ならわかるんだが。
例えば区の役人や区長が「朝鮮人の犯罪に悩む日本人のための自衛策の講座を行った」とは少なくとも表向きには言わんし、借りに言ったらマスコミ総動員で批判の嵐だよな?
まさか世田谷区長の元社民党・保坂展人がリベラル左派ではないとは言わないだろうし。
○DVについては男性被害は暗数が多い。暗数が出ない殺人は男女差に大差がないのがその証拠。
○特にDV被害者男性の暗数は露骨に多く、被害者自身が被害を隠すことが出来ない「DV殺人」になると途端に男女の被害者数がほぼ同数となる。
と、このエントリで主張したい訳ではありません。本当に容認しているといえるかどうかは、増田を読んでから、ご自身で考えていただきたいと思っています。
どうも、「山道を制限速度でチンタラ走り続けるドライバーは運転が下手」(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)で炎上した増田です。先日は大変お世話になりました。山道の走り方を指南する増田(https://anond.hatelabo.jp/20230913120412)を寄稿していただくなど、大変勉強になりました。
さて、本日は校則違反にまつわる増田(https://anond.hatelabo.jp/20230916165514)が人気エントリに上がっています。炎上した増田に引き続き、ルールを守ることと破ること、そして、その程度と倫理にまつわる話題が、最近の増田では絶えません。ルールを守ることが絶対であるという意見に対し、ある程度柔軟な対応も必要だという意見がぶつかり合っています。
スピード違反に対する警察や企業、そして行政の対応について紹介することを通じ、この問題提起を行うことが、この増田の目的です。
なお、スピード違反の程度や罪の重さについて、この増田で個人的に主張するつもりはありません。私はこの増田で、スピード違反を断罪しないし、擁護もしません。警察、行政、そして自動車やオートバイメーカーの対応をこの増田で紹介しますから、それを踏まえてご自身で考えていただきたいと思います。
なお、コメントやブコメの際は、本文を最後まで、よく読んでからお願いいたします。本文が長く分かりづらい場合は、せめて最後の章だけ読んでほしいです。
スピード違反についてですが、先日炎上した増田(https://anond.hatelabo.jp/20230912211531)でさんざん炎上していたとおり、「1km/hたりともスピード違反をしてはならない」という意見が多く寄せられていました。しかし、炎上していた増田でも触れたとおり、警察は15km/h以下のスピード超過をほとんど取り締まっていません。令和4年の結果では、15〜20km/hの取締が約28万件に対し、〜15km/hの速度超過は200件以下と非常に少ない件数に収まっています。
ちなみに、2017年ごろは100件にも満たない件数でしたが、2020年に入ってから増加傾向にあります。それは、移動式オービスによるゾーン30(通学路などに指定されているような非常に狭い道路で30km/h制限)での取締が行われるようになったからです。おそらく、制限速度40km/h以上の道路では、15km/h未満の速度超過は全く行われていないと思われます。
また、全国の公道では、10km/h程度の速度超過が常態化している道路が非常に多くあります。自動車の運転を少しでもする方なら、この現状をお分かりいただけるのではないかと思います。
スピード違反の話題では、自動で規制速度にリミッターが効かないようにするべき、という意見をネットなどでたびたび目にします。
トラックの場合、大型トラックと一部の中型トラックで90km/hのスピードメーターの装着が法的に義務付けられています。しかし、乗用車やオートバイは、法的な規制はなく、メーカーの自主規制として規制が行われているのが現状です。ただし、自主規制は行政側からの要請で始まる場合が多く、メーカー独自の規制というより、行政とメーカーが一体となった規制であると言えるでしょう。
さて、その自主規制の内容ですが、普通自動車は180km/h、軽自動車は140km/hのスピードリミッターが自主規制で装着されています。現在、制限速度の最高速度は新東名などの120km/h区間なので、スピードリミッターは制限速度に対しかなり余裕がある値となっています。なお、改造によりリミッターを解除することは合法です。
一方、スピード違反につながる過剰なパワーを抑えるための規制については、23年9月現在、軽自動車以外には行われていません。しかし、過去には自動車とオートバイの両方で、自主規制による馬力制限が掛けられていました。
自動車の場合、馬力競争の激化を受け、1989年ごろから280馬力に出力を抑える規制が行われました。オートバイの場合は80年代の走り屋ブームが問題視され、排気量により細かく馬力規制が敷かれました。オートバイの3ない運動もこの頃です。
しかし、自動車は2004年ごろに、オートバイは2007年ごろに規制が撤廃され、現在は軽自動車以外に馬力規制は存在しない状況になっています。
また、オートバイに関しては1996年に、免許制度の規制緩和が行われています。大型二輪免許を教習所で取得できるようになり、取得難易度が大幅に易しくなりました。その結果、大型二輪免許の保有率が急増し、高性能な大型バイクの販売台数が大きく増加しました。
最後に、自動車メーカーや、オートバイメーカーの対応についてお話したいと思います。前述の自主規制を各メーカーは行っていますが、実際にどのような製品を作っているのか見てみましょう。
スピード違反を助長すると批判されがちなスポーツカーですが、最近はスポーツカーのラインナップが充実しています。トヨタはスポーツカーを5車種ラインナップしているほか、日産は「フェアレディZ」を、ホンダは「シビックタイプR」を新たに発表したことが記憶に新しいですね。いずれも、かつての馬力規制(280馬力)に近い、もしくはそれを越える性能を誇ります。
さらに、高出力化はスポーツカー以外の場合でも最近のトレンドになっています。
例えば、今年発表された新型のトヨタ・プリウスはのPHEVモデルの場合、最高出力は223馬力、0→100km/h加速は6.7秒です。これはスポーツカーである、先代のトヨタ・86/スバル・BRZを上回るスペックです。日産スカイラインの特別グレードである「スカイライン400R」に関しては最高出力405馬力を誇り、これはランボルギーニ・カウンタック(4.8Lモデル、377馬力)を優に越える出力です。スーパーカーでもなんでも無いオヤジセダンなのにですよ。
さらに、オートバイに関してはこういった点がさらに顕著になります。
1990年代、ヤマハ発動機は「ツイスティーロード(=峠)最速」のキャッチコピーを引っさげ150馬力のスーパースポーツバイク「YZF-R1」を発売。カワサキとスズキは市販車最高速バイクの名をほしいままにするべく、熾烈な性能争いを繰り広げました。スズキが送り出した「GSX1300R Hayabusa」のスピードメータは350km/hまで刻まれていましたが欧州で問題視され、300km/h以上出せないようにすることと、スピードメーターは300km/hまで、という自主規制が敷かれることに。ホンダも似たようなもので、「CBR900RR FireBrade」や、「CBR1100XX SuperBlackbird」など、前述のヤマハ・YZF-R1やスズキ・ハヤブサと同じようなコンセプト、性能のオートバイを販売していました。
しかし、こういった出来事はあくまで90年代で昔の出来事。企業の社会的責任が重く問われる令和の時代になり、だいぶ様相が変わりました。オートバイメーカー各社は、「高性能なスポーツバイクは、サーキットを走るために買ってね」という方針にシフトし、カタログにはサーキットを走行するイメージ写真ばかりが並びます。しかし、サーキットを走るためのオートバイにも関わらず、依然としてナンバーを取得し公道を走行できる仕様で販売されています。
私がこのエントリを書いた理由は、速度超過を容認しろ、と主張したいからではありません。スピード違反というルールを破る行為について、それを取り締まるべき警察や行政、そして社会的責任を負うべき企業が、なぜある程度ルーズな対応をしているのか。それを考えてほしいのです。
「ルールは厳しく守るべきだ」と考える人にとって、警察や行政、メーカーの対応は生ぬるいと言わざるおえないでしょう。警察は15km/h以下のスピード違反もバンバン取り締まるべきだし、自主規制のスピードリミッターは義務化して規制速度を下げるべきだし、メーカーは高出力で過激な製品を作るべきではない。そう思うのではないかと思います。
では、なぜ警察は15km/h以下の速度取締を行わないのでしょうか。自動車メーカーやオートバイメーカーは、なぜ過激な製品を作り続けるのでしょうか。そして、それに対して行政は規制をかけるどころか、なぜ規制緩和を行うのでしょうか。
なぜ、世の中ではルールを軽視するかのようなルーズな対応が取られているのか。それを考えることは、盲目的にルールを守ること以上に価値があることだと私は考えます。ルールを守ることこそが絶対の正しさだと考える方が一定数いらっしゃると思いますが、なぜ世の中は、その絶対的な正しさにまっすぐ向かっていかないのか。その理由を考えた先に、ルールと倫理の本質が見えてくるのではないでしょうか。
ブレードホーミングとは「接近戦武器を使ったときに自機が自動的に相手を追尾する」機能だ。
今回のACはコレが滅茶苦茶に効くのでそれを如何に活かせるかが重要になる。
過去作におけるブレードは非常に当てにくく「慣れてきたプレイヤーやスキモノが使う特殊武器」としての面も強かったが、今回はホーミングかなり使いやすく普通の副兵装に成り下がっている。
とはいえ初めてACに振れるプレイヤーや過去作でブレードをネタ兵器として切り捨ててきたプレイヤーにとってはこれだけホーミングが強くてもまだまだ難しく感じるだろう。
コツは一つだ。
Z軸(奥行き)とX軸(ヨコの動き)はブレードホーミングに委ねて、自分はY軸(タテの動き)だけを合わせることに集中すること。
特にヘリなんかを相手にするときが顕著なのだが、無敵のブレードホーミング先生もタテ方向の動きだけは全然合わせてくれない。
だが高ささえキッチリゼロ距離にしてやれば画面中央に収めた状態から触れば勝手に刀身が相手に吸い込まれる。
タテの動きを合わせるコツはブーストを一気に吹かさずにチョンチョンと微調整することだ。
慣れていないプレイヤーはブレードを打つ瞬間に一気にブーストを押し込んだり、逆にブーストから完全に指を離してしまう。
まずは何もない所で同じ高さでフワフワと浮き続けるためのチョンチョン押しのリズムを覚えよう。
ブレードを振る時はブースト操作は何も考えずにその操作を繰り返させつつ出すようにするといい。
ブーストの出し入れでタテ方向の回避をするのは有効ではあるし、ブレードを振りながらそれをやれたら一石二鳥だがそれは上級者向けの動き。
まずは「ブレードを振っている時は高さを固定する」という動きを体に覚え込ませよう。
その次は「相手のタテ方向移動を追いかけるように高さを自力で合わせる」をやって、そこにも慣れてから「ブレードで攻撃しつつ移動して回避も狙う」を目指してみよう。
今作のブレホは兎に角強い。
ブレードを信じろ。
弾が切れても諦めるなよ。
AC6を遊ぶすべてのプレイヤーに今作における近接の重要性を伝えるデモンストレーションだったと考えよう。
今作の近接は強いぞ~~~。