はてなキーワード: 指パッチンとは
なんだこれ!!!
インフィニティ・ウォーではサノスがこれまでのヒーロー映画のヒーローポジションで描かれてたよな?
大いなる大義のために世界中に散らばるストーンを邪魔する敵を倒しながら集め、
その中で苦渋の選択で愛する者を喪って!そして最終的に、その大義を果たす!!!!
もちろん、その大義はサノスが一方的に感じているだけの大義で一方的に全世界に押し付けるってやり方は多分間違ってる。
だからこそ!
エンドゲームでは、サノスがなぜ間違っているのか。
なぜサノスはヒーローじゃなくてヴィランで、アベンジャーズはなぜヒーロなのかが描かれると思ってた!ら!
なんもなかったわ。
なんか誰よりも傲慢で自分勝手だった男、トニーが自分の命も顧みず自己犠牲の精神で指パッチンしたから勝った!みたいなこと言われたけど
サノスだってそうだったじゃん!
サノスは私利私欲のために全宇宙の人口を半分にしたわけじゃない。
元々、自分の星が人口爆発で資源がなくなって滅亡しちゃったから、宇宙がその轍を踏むことのないように考えた結果がアレだったわけじゃん!
人口を半分にすることで、残った半分を救えると信じてやったわけじゃん。
それこそ、自分の命も顧みずに。
だから、人口を半分にした後サノスは世界を征服せずに、農家になってサステナブルな生活を送ってたわけじゃん。
エンドゲームではインフィニティ・ウォーでアベンジャーズに足りなかった部分が補われて、サノスを"越える"ことでサノスに勝つ話だと思ってたのに別にそういうのはなーんもなかった。
前回は負けて、今回は勝ったことに映画上の論理的な理由がなんもない。
ドクストが言ってたように、アベンジャーズが勝つ運命をラッキーで引いたから勝ったってだけじゃん?
ちドクストが「1400万605分の1」って言ってたの、アントマンが偶然助かる確率だったらしい。
つーか、サノスは自分と仲間たちとで堂々と正面から敵を打ち破って石を集めたのに、
アベンジャーズがやったことは過去に帰って騒ぎを起こしてどさくさに紛れて石を"盗み出す"っていう、コソ泥じゃねーか!
それがヒーローのやることか!恥を知れ恥を!
①
上島竜兵が死んだ時、特別大ファンというわけでもなかったのに何故か家でオンオン泣いた。その時はわからなかったけど、私は上島竜兵が生きているだけで社会の懐の深さを勝手に感じていたんだと思う。バカがつくほど(おそらく)優しくて、優しいが故に少しポンコツでも生きていける世の中の余裕を私は彼に見出していて、だから彼の芸風を見ても辛くなることがなく、ケラケラと笑って見れたんだと思う。社会のシステムだけではこぼれ落ちてしまうかもしれない、とびきり優しい人は、生きているだけで社会そのものが本来持ちうる懐の深さや余裕を証明していた。その人が、おそらく世の中で最も辛い自死を選んだことに完全に打ちのめされたんだと思う。
②
「くもってら ドーナッツ 食べたくなったけど
チバユウスケが書いた「誰かが」の歌い出しには、そういう世の中にまだあるかもしれない懐の深さや暇を感じる。ドーナッツを見て「なんでこの穴空いてんだ、かわいいな」と、思える世の中にある一瞬の暇や余裕を感じる。このワンフレーズを聴くだけで元気が出る、大好きだ。「誰かが」でチバはその後、こう宣う。
「誰も教えてくれない でもわかっていることがある
誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい
誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい」
なんだよそれ。信じられないくらいシンプルな話に落ち着いて、子供っぽさすらある。でもその子供っぽさに私はこの1年間、本当に随分支えられた。エブリバディ・ニーズ・サンバディーって言ってくれたから、駄々をこねれたこともあった。
③
「涙がこぼれそう」も大好き。私はこれをただの酔っ払いの曲だと思ってる。だってあまりにも見覚えのある光景が多すぎるから(笑)。夜中に泥酔して、ロータリーで寝っ転がってて、転んだ拍子に口とか切ってるんだよ。立ち上がりたくねー、てかここどこだよとか思ってると男女が横でキスとかしててマジで情けなくて泣けてくる。夫くーん、ここどこ〜迎えに来て〜とか電話したくもなる。んで、気づいたら朝になってて、おっしゃ!帰るか!って。覚えがあまりにもありすぎる。
チバが死んで、多くの人がこれを追悼ソングに選んだ。でもこれは、チバが酔っ払いのことをかっこよく歌ってくれたもの。私にとってはそう。
④
そもそも、私はあまりうるさい曲が好きじゃない。Birthdayだってミッシェルだって、学生の時にちょろっと聞いたけど、はまらなかった。なのに、youtubeディグで、民生の「世界の終わり」をみつけて、心がブルブルと震えて、アベフトシのことを知り、解散ライブの映像を見て、知りもしないバンドの聴いたことのない曲でポロポロ涙が出た。
⑤
思えば、うるさい曲を好んで聴くようになったのは、大人であることを求められるようになった社会人になってからかもしれない。
⑥
「息もできない」は、世界の終わりのライブ映像を狂ったように見続ける私に、10年来のマブが「これも好きなはずだ」と教えてくれた。そして、完璧にBirthdayにハマった。ほんと、今年「息もできない」を狂ったように聞いた。Aメロの文字数に比べると、Bメロの文字数は極端に少なくて、その言葉少なさを保ったままサビに駆け抜けていく。
⑦
チバユウスケが作る歌、特にbirthday以降は、すべてがシンプルな話に帰着していく。そこが好きだ。大人になったことや忙しさを盾に、正当な理由ばかりが上手くなっていく中で、取りこぼしてしまいそうになる単純なことを思い出させてくれる。歩いて家に帰る夜道、お風呂に入っている時、大音量でイヤフォンから「アイラブユーは最強、愛し合う姿は綺麗」とチバが叫んでくれる。
⑧
チバがインタビューで大きい愛と小さい愛の違いを問われた時の回答が好き。
「愛だけで何もかもが作られていればいいなとは思うけど。それは無理なんだよ。無理なのは知ってるんだけど、それでも愛で行こうよ、と俺は思うけどね。(中略)いろんなところにポツポツと愛があるじゃない。それがあればすごくいいことになるっていう風に思っただけ。マジックの人がいて、そこにロウソクがあってさ、パチン(指を鳴らす音)ってやったら、火がついたのよ。小さな愛って、ちょっとそれに近いっていうか。なんか“おぉ〜”と思って。違うかな(笑)。」
https://togetter.com/li/1997468
土屋「ユーチューブな、Youtube。それでなんてバンド?」
塙「ビートルズっていうんですけど」
塙「ビートルっていうのは、羽の生えたかさかさ動く茶色い虫のことで」
塙「それで、4人組のバンドで」
塙「ジャン・レノ」
土屋「ジョン・レノンな。それじゃフランスの俳優になっちゃうから。」
塙「ポール牧」
土屋「ポール・マッカトニーな。牧だと指パッチンになっちゃうから。」
土屋「フォードはいらない。ハリソン・フォードと混ざっちゃってるよ」
塙「りんご娘」
土屋「なんで青森のロコドルなんだよ、王林ちゃんとは何回も仕事してんだろ」
土屋「だからなんで青森のモノマネ芸人なんだよ。青森から離れろ」
塙「ああ違った。りんごすった」
塙「あとオノ・ヨーコ」
塙「それで代表曲なんですけど、まずは『ヘルプ!』、なんでも鑑定団のテーマです」
塙「レット・イット・ゴー」
土屋「レット・イット・ビー」
塙「あ!そう言えばそうだ!なんか見たことある曲名だな―と思って」
土屋「知らないでやってたのかよ、すごいなお前」
塙「いやー、なんか変な歌歌うからどうしたのかと思って」
二人「どうもありがとうございました」
本当にプレイしたのかと問い掛けたい、FF15の序盤から中盤にかけては本当に神ゲーだから。
販売前のホストみたいな格好な連中が来るまで旅をするという情報だけで忌避してた場合は知らんが、俺はむしろそれが面白そうと感じていた。
あの世界観のチグハグさが一周回って魅力的に感じたんだ、FFらしいかどうかは当時も現時点でも分けて考えてる、そこ組み合わせると俺もようわからん。
で、いざお出し出されたのが本当にホストみたいな連中が剣や魔法を使いつつ車で旅をするゲームよ。
これもう親子丼を注文したら親子丼が出てきたようなもんだろ、つまりは注文通りの料理ってわけよ。
その上旅の道中が普通に面白かった、戦闘もまあまあ楽しいし4人ともなんかズレてるところあって旅路がただただ楽しかった。
毎夜毎夜料理に悩んだ挙げ句指パッチンしながらカップラーメンとか適当な飯を出すイグニスには草しか生えなかった。
時間が経った今だから言うけど、本当にFF15の序盤から中盤にかけての雰囲気とゲーム体験は神ゲーだから後述する問題点から目を背けられるなら是非味わって欲しい。
まず話がクソ、ついでにキャラクターがどいつもこうちもいきなり悪い方向に豹変してクソ。
ダンジョンがクソ、レベルもなんもかんも固定値にさせられて主人公1人で長いダンジョン後略してね、とか後半に持ってくるもんじゃない。
ちなみに「やっぱ辛ぇわ」はこの辺で展開されるのでどう足掻いてもギャグシーン、どう足掻いても辛い。
FF15はただのクソゲーじゃなくて、最高に恵まれた序盤から後半がどうしようもないゴミと化すゲームであり、クソゲーなのは後半部分。
ただのクソゲーじゃないんだ、そこは分かって欲しい。
ワイが頑張って指パッチンしてるやで
私はキャプテンアメリカが大好きだった。
筋骨隆々で、パワーで敵をなぎ倒す姿が大好きだった。
キャプテンアメリカのクッキーを焼いたり、キャプテンアメリカのクッションを購入するほど好きだった。
見直すことでMCUへの愛情が増す一方、キャプテンアメリカへの嫌悪感が増していった。
揺れながらトニーのわがままにうんざりしていた。この時の私はキャプテンアメリカを盲目的に信じていた。
キャプテンはヒーローとしての責任を果たそうとしているのに、邪魔をするトニーと考えていた。
だが、今はどうだろう。冷静に考えて欲しい。
街一つを簡単に破壊する力を持った人達が、野放しになっていたら危機感を覚えないだろうか。
アベンジャーズがヒーローとして戦わなければ、さらに悲惨なことになったのは事実だ。
だが、戦場がソコヴィアという遠い地だったために危機感を感じなかっただけではないか。
その時に何も制約を持っていないヒーローたちが現れて、人類を守るという行為を理由に日本を破壊して回ったらどう思うだろうか。
ここまで考え、アベンジャーズのために、人類のために、ヒーローを国連に管理してもらい、
みんなが納得できるように活動できるようにしようとしたのがトニーなのだ。
キャプテンアメリカはどうだっただろうか。
管理されたくないと仲間を連れてアベンジャーズを抜けただけである。
人類に危険視されているのに、空港で飛行機を破壊、ワンダに関しては一般人の車を次から次へと落として破壊していたではないか。
ここまでは考え方の違いなので、まだフォローする余地があると思う。
だが、最終的にキャプテンアメリカが何をしたか覚えているだろうか。
トニーの父親を殺したバッキーと、トニーの父親が作った盾で、被害者であるトニーを叩きのめしたではないか。
さらに最新作のファルコン&ウィンターソルジャーでも、キャプテンアメリカの人間性を象徴するエピソードがあった。
シビルウォーでは、キャプテンアメリカは追われる立場にあり、盾を国に没収されていた。
その盾をキャプテンアメリカに盗んで渡してくれたのは、シャロン・カーターである。
キャプテンアメリカのために、シャロンは国から盾を盗み、渡したのである。
キャプテンアメリカは感動し、シャロンにキスをするという印象的なシーンがある。
ファルコン&ウィンターソルジャーでは、シャロンのその後が明かされる。
幸せに暮らしていると思っていた。指パッチンで消えた人類の半分を助けたヒーローと両想いになっているシャロンなのだから。
だが、現実は違った。キャプテンアメリカのために国から盾を盗んだ罪が消えずに逃亡生活をしていたのだ。
この時キャプテンアメリカは何をしているのだろう。
インフィニティストーンを返却した後、自分勝手な理由でペギーカーターと楽しい人生を送っていたのだ。
100歩譲ってペギーと暮らすのは許そう。
だが、過去に戻ったキャプテンアメリカがシャロンを助けることはできたのではないか。
このとき私の中でキャプテンアメリカへの憎しみが最高潮に達した。
今までは気づかないようにしていたキャプテンアメリカへの憎しみが心の中から溢れ出てきた。
今まで違和感を感じていたが、何とか抑え込んでいたキャプテンアメリカへ負の感情がとめどなくあふれ出てきていた。
私はキャプテンアメリカが憎い。