はてなキーワード: 持たざる者とは
ソ連支配下のウクライナで人為的な大飢饉(ホロドモール)があって数百万人が死んでから、まだ百年も経っていない。これはウクライナ人にとっての国民的トラウマ。
現今侵略してきたロシアに対して軽々に降伏したいだなんて思うウクライナ人は庶民の中にさえそう居ないだろう。いつの時代も真っ先に犠牲になるのは庶民であり、とりわけ、弱い者、持たざる者だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221126/k10013903951000.html
https://eleminist.com/article/1106
https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/vismoglie/2022/12/-20.php
働きたくないンゴねぇ……
働かずに金がないなりの暇潰しをして生きるよりもそれなりに良い暮らしをしたいから、それを秤にかけて嫌々働きはする。けどやっぱり労働はダルいって言ってんの。
それくらいの事もいちいち説明されねーと分かんねーのか?バカが。
そんな陳腐な相対化をした所でおれの心が瘉える訳でも余暇が増える訳でもないが?バカが。
そうやって謙虚さと弱腰を履き違えてる労働者が資本家をつけ上がらせてナメられんだよゴミが。
自分の欲求も分かってねえ弱虫、自ずから湧いてくる欲求もなくなった老人は感謝とか義務とか、外から与えてもらえる宗教がねーと働いてらんねーもんな。働いてねーと暇で仕方ねーもんな。雑魚が。
敵「金で得られる快楽やモノなんて虚しいよ?」
一億歩譲って浪費に飽きたド級の金持ちに言われるのならまだしも、テメーは誰なんだよ。
俺は車を乗り回す楽しみも高級時計を着ける満足感も知らねー。資本主義に刷り込まれた欲求だろうが、一度おれの心に入り込んだのならそれはもうおれのものなんだよ。
たとえ後になって虚しいものだと思ったとしても、それはおれが実際に体験して初めて納得が生まれんだよ。
手にした事のないものを最初から諦めて腐しても、それは酸っぱいブドウにしかならねーんだよカスが。
いくら金のかかんねー読書が素晴らしかろうが、知識が散歩を豊かにしようが、別種の飢えから目を逸らす言い訳にはならねーんだよゴミが。
ゴータマ・シッダールタが捨てるものすらなく最初から持たざる者だったら悟りを開けたか?自分を差し置いて豪邸の門の前で苦しむ者を見て、何かを思えたかよ?
ジブリの新作がそうでもなかったや…という事実にしょんぼりした理由は、自分に響いたのが
持つ者の冒険譚
よりも
持たざる者の救済譚
だったからだ。
ピンドラについてはいろんな人が言及してると思うから割愛する。
今回は、ジブリの新作がピンと来なかった地味なショックについて書こうと思う。
君たちはどう生きるかの中で印象に残ったのは、黄泉の国という名の生き地獄になっていたペリカンたちが最後あの塔から飛び出して、眞人に「出られたんだ、よかったね」と言われるところ。
そこで初めて自分が、乙事主よろしく老いたペリカンが語った「絶望感」に共感していたのだと気づいた。
扉を開ける直前にお母さんが言い放った「火は得意よ、素敵じゃない!」は普通に泣かせポイントだったからそれはそれとして、
たしか、家族観をめちゃくちゃ大事にする文化を持つ韓国の人たちが千と千尋を見た時に号泣したのが冒頭の「両親が豚になる」シーンだったと聞いた。
それと同様に、半ば宮崎駿の自伝ともいえる今作の通低音が「今を生きる人たちのバックボーン」とは異なりすぎてて、しかも我々のそれが割と地獄めなベクトルへ向いていることを、「自分にピンとこなかった」ことで改めて突きつけられたような気がしたのだ。
冒頭から描かれる「すげえいいとこの家」という事象だけがギラギラしちゃって、内容が頭に入ってこない。
「金持ちの家の子」という要素だけで、「自分とは違う子」として切り離して捉えちゃって、主人公やその周りの人物の誰にも共感できない。
目の前に展開されているのはフルスロットルの宮崎駿なのに、最後までついぞ一緒に冒険できなかったのだ。
金持ち描写一つで足止めを喰らい、あの作品を正面から喜んで受け取れないくらいには、自分が貧しくなっていた。
なんかそれが妙にショックだったというか、悔しかった。
と同時に、かねがね思っていた〝最前線の文化教養は「生存に不安のない者」たちからしか生まれてこねーんだな、そいつらの夢想という名の創作物をありがたがって消費してるのが私なんだな〟という、自分でもびっくりするほど狭量な感覚に襲われた。
ってゆー結論になっちゃうのがどうしても悔しいからもう一回観に行きたいなとは思ってるんだけど、Twitterとかで「とりまもっかい見る」つってる人たちの心の中、なんか同じような感覚の人いない?
ねえいない??
AIを利用したサービスは様々あるが、特に議論を巻き起こしている「イラスト生成AI」。
chatGPTやらbingAIやら、文章生成AIがかなり好意的に捉えられている中で「イラスト生成AI」だけがやたらに目の敵にされているのは何故か?
よく言われるのは、著作権。
まあ、これも色々言えるが今回の話題ではない。
もう一つの、そして主たるイラスト生成AIが蛇蝎のごとく嫌われる理由─それはイラスト生成AIの使い手のモラルだ。
イラスト生成AIを疑問視するイラストレーターに嫌がらせのようにi2iを使用しリプライしたり、ところ構わずレスバを仕掛けたりしている様子は、AIに期待している側の私から見ても中々に見苦しく、しかも炎上によって可視化されている分だけでもそれなりの数がいるように見える。
イラスト生成AIの使い手がわざわざ人に嫌われるような言動をとってしまう理由はとても単純で、嫉妬と復讐心である。
今でこそInstagramやTikTokによってネットは現実の拡張のような風潮があるが、Twitterは各種SNSの中では特に現実と切り離されている。それゆえ、オタクは大体Twitterにいる。
オタクにも色々種類があり、その中でも最も大きく分けたのが「持つ者」「持たざる者」だ。
「持つ者」は例えばイラストが上手だったり、小説を書いていたりする有産かコミュ強である。今回はイラストの話に絞るが、小説を書くオタクやコミュ強を含めた「持つ者」のオタクはそれぞれ居場所を持っている。
オタクの中で燦然と輝く才能、それがイラストが上手ということだ。小学生男子の最大モテ要素が足の速さなのと似たようなものである。イラストの上手いオタクは、オタクからは〇〇を描いてとリクエストされ、非オタクからは文化祭のポスターや遠足のしおりの挿絵なんかをリクエストされ、とにかく承認されやすい。
現実世界での承認が足りなくても、ネットに飛び出せば相当数のコミュニティがある。よく喋れば親しみやすいキャラとされ、あまり喋らなくてもミステリアスでカッコいいとされる。
もちろん、小説よりイラストが優れているとか、イラストを描けるオタクが無産より偉いとか、そういうわけではない。イラストは「分かりやすい」。文章の読めない人のために宗教が壁画を作ったように、歴史的に見てもイラストは基本的に誰でも分かるものなのだ。
イラストレーターが強いのは、イラストそのものの強さでもある。
さて、「持つ者」のオタクが現実世界やネットで承認される一方、現実世界でもネットでも承認されないオタクがいる。それが「持たざる者」のオタクだ。
「持たざる者」のオタクは割と悲惨で、まず仲間がいない。先ほど「持つ者」の例として挙げたコミュ強オタクは、陽キャ集団でなくともそれなりにオタクで寄り集まり、コミケに一緒に行ったり文化祭で合同紙を売ったりして楽しくやっている。(側から見ればコミュ障かも知れないが)
「持たざる者」はそれに入ることが出来ない、あるいは入ることを拒否したオタクである。
さらにその名の通り、「持つ者」のオタクが持つ才能や努力を持っていない。周りに人が集まらないのは当然なのだが、残念ながらそれを理解することができない。無産のコミュ障オタクなんか星の数ほどいるのだが、ある程度の学力や努力を持っている、あるいはコミュニティに迎合する柔軟性がある。それすらも持っていない「持たざる者」はひたすらに、あらゆる方向から弱い。
「持たざる者」のオタクは、オタクなのにオタクを基本的に見下している。というか人間が嫌いで、裏切りを恐れている。
「持たざる者」のオタクはオタク同士で語らう場もなく悶々としながら、欲求不満を募らせていく。そしてそれは「持つ者」のオタクに対する恨みとして蓄積されてしまう。何故なら同類であるはずのオタクが自分の知らないところで仲良くやっているのは、裏切りに他ならないからだ。特にイラストは「分かりやすい」ゆえに矛先が向きやすい。これは持論だが、イラストが上手い人は頭が良い。さらにたゆまぬ努力を続ける忍耐力もある。しかし「持たざる者」のオタクはそれが理解できず、目の前にあるモノに飛びついてしまう。そして、こんな絵自分でも描けると嘯きながら誰からも承認されず、自分とイラストが上手い「持つ者」のオタクの差に気づくことなく、さらに恨みは嫉妬と復讐心に増幅していく。
もう分かってもらえただろう。そんな「持たざる者」のオタクにとって、「イラスト生成AI」はエクスカリバーなのだ。自分を裏切った「持つ者」のオタクという悪の総本山、そしてそのボスであるイラストが上手いオタク、イラストレーターを痛めつけることが出来る唯一の手段なのだ。
だからこそ、今までの努力を踏み躙られたとイラストレーターが嘆くと指差して笑う。もうどうしようもない。
もちろん今回の話はあくまでも、「イラストレーターを目の敵にしている、イラスト生成AIの使い手」の話だ。
実際のところ、興味深さやちょっとした趣味のようなものとしてAIで遊んでいる人がほとんどだろう。あとは個人利用目的ついでにネットにアップしている人か、将来スタンダードな技術になることを見越して先行しようとしている人ぐらいか。
諸問題が整備されていけばAIを利用したイラストは当たり前になっていくと思う。その時はその時で問題が発生するだろうが、それはまた別の話だ。
結論。イラスト生成AIを使って煽り散らかす人たちは、基本的に可哀想な人間だ。いわゆる「無敵の人」に近い。これだけで、許してやることは出来なくとも、触れない方が良いということは分かるだろう。私たちは福祉課ではないからだ。
だからもし自分の好きなイラストレーターが粘着されていたら、そっと通報・ブロックしよう。間違っても酷い、消してくださいなどと言ってはいけない。それこそが彼らを気持ち良くさせるエネルギーとなっている。
また、もし自分がイラストを描いていていじめられたら。今後AIイラストの著作権に関してはもっと分かりやすく説明されるだろうし、特にi2iは普通に現行法で違反になるだろう。そっとスクショして、気が向いた時に通報できるという心持ちがあった方が精神健康に良いのでオススメだ。訴訟にお金がかかるとかは一旦置いて、証拠集めに徹しよう。彼らは貴方個人を恨んでいるのではないため、反応がなければ満たされない。
私はイラスト生成AIはそこまで触っていないが、AIそのものが好きなので、もっと発展してほしい。今の風潮だとAIそのものが嫌われそうなので、何故嫌われるのか?という点に念頭を置いて持論を展開してみた。長々と話して結論が弱いのは承知だが、理解不能な行動を取る人の向こう側について考えると、自分が取るべき行動も分かると思う。全部上手くいってほしい。
50年以上のルーチンで一家全員分の弁当を作ってる爺さん婆さんかもしれないし
先に社会人になってた上の兄弟がついでに弁当作ってくれて、本人は代わりに別の労働を提供しているかもしれない
親だったとしても作るかどうかは親本人が決めることで外野が立ち入ることではない
じゃあ嫁 or 旦那が作ってくれるんだったらええんか?娘 or 息子に作らせてる親もおるがちゃんと責めろよ?
てか実家や「弁当を作ってくれる」っていう環境を活用して何が悪いのかまず言語化しろよ
社会人ならそれこそ使えるものは利用して自分の負担軽くして自己防衛するのが当たり前だろ
どっかの誰かが金儲けのために作った「社会人のあるべき姿」を盲信して
それだけならまだしも、頭悪くて持たざる者であるゆえの羨望も自覚できないお前みたいな奴いるよな