はてなキーワード: 拒否とは
クルド人が何で出てくるのがまったく理解できないが国際法にある国連の難民条例に日本が批准してるから受け入れ対象国としてカウントされるのであって責務自体があるのは日本であり国民が難民の避難を拒否したいならこの批准からの脱退を代理人である国会議員を通して国際社会に求めるべき。
っていうのが責務をクルド人にしたいなら法に則って考えられる簡単な手続きなのでお前が何を言ってるのか本当に分からん。
適当に流行ってるものを組み合わせてヘイト高めた論が並べれば嘘が成り立つとか、お前くらいの頭の界隈ではそうかもしれんが一般的には受け入れられないんだぞ?大丈夫か?
あれは国際法で定められてる規定を敢えて隠して報道してそれに乗せられてる奴らがバカ。
で、論がまともに出せなくて話せない癖にキャンセルとか意味の理解も怪しい用法で言葉を出してすり替え論法で自分がまともなこと言ってると思ってるならもう少し本でも読みなさい。
何がすごい論法だよ。
お前の頭の繋がってなさのほうがすごいよ。
うちは訳あり子なし夫婦。
共働きで子供がいないのは訳があるだけで仕事を遅くまでやるためでも、忙しいポジションになるためでもないのに、子供いないから残業できるよね、あんまり休まないよね、と言われて困る。
子供いても稼ぎたいから残業したい人もいるし、いないから残業代で稼ぎたい人もいる、子供いてもやりがい感じて昇進したい人もいる。残業や忙しいポジションは子供の有無で決まるわけではなく、それぞれの生き方、働き方で決まるだけのはず。
60近い男性はゴリ押しで働いてきた人ばかりで話が通じない。同じようにお金よりも働き方、で管理職を拒否した人たちが役員からの圧力でみな転職してしまった。みんな仕事は真面目にやるし優秀な人たちだったのに。今は簡単に転職できてしまうから、もういいやと思ったらすぐに辞めてしまう。
私は図々しいので残業は月20までしかやらないし、管理職も断っている、おじさんたちの圧力は無視している。どうでもいいからできるのだ、会社のことも働いている人たちのことも。会社に愛着がある人ほど無理をするし、結局辞めてしまう。私は会社が潰れてもいいしクビにされてもいいやと思っている、から仕事だけこなしていればいいのスタンスになっているからこそ働けている。
人が働きにこないと嘆くならもっと働きやすい環境を整えたりしたらいいのに、金も安い堅くて働きにくい役員はうるさいしいつまでもやり方を変えない。
そりゃ誰も働きにこないよ。
証拠持ってこい!って突っぱねられて
Yahooニュース! で取り上げられてようやく動きだしたから知ってるはてなーもいるかも。
事なかれ主義でつぶす。
都市部がマシなのは、余程の顔でもないかぎりは、素人連中はみな同列に扱われるから。
この点は田舎者がどう言い繕おうが都会の方が万倍マシよ。
両親は共働き。
2歳か3歳くらい、歩いて喋れるくらいから保育園へ通っていた。
そこに始まり、おおよそ常識と呼ばれるものは親に教わっていないことを後に知る。
特に洗顔・歯磨き・手洗い・うがい。あと交通ルールと他人の家でのふるまい。そもそも親がしているのを見ないのでなかなか習慣付かなかった。
小学校に上がり、数字がただそこにあるものではないことを知る。みんな当たり前に20くらいまで順番に数えられる。その前提からスタートしてる衝撃。幼稚園はお勉強があるらしいが保育園は自由だったからなぁ……。絵本好きだったので文字は読めた。
家でTVは付くものの、時間的に終わってたり、そもそもアニメ見てると怒られてたために小学校内で誰とも話が合わない。
たまにドッジボールに誘われてもぶつけられるのがメインであるため次第に参加拒否。あとバラエティ番組の真似が流行っていて、雑巾を人の口に突っ込んで笑いまくってる人たちがいて、アレとは少しでも関わらないでいられるように避けまくっていた。
あるとき何の気の迷いか、父が古本屋でときめきトゥナイトの4巻?とかを買ってきてくれた。マンガというものを初めて知る。読み方がわからないし中途半端巻なので何も分からない。
小3か、セーラームーンが好きな子と知り合えたためセーラームーンだけ視聴許可が出る。学童でセラムンの話をするか児童館の本を読んで過ごす。
アニメは引き続き禁止だったが、ニチアサは親が寝てるため見放題だった。当時やってたのは美神とかたるるーとくんとか。ママレードボーイはOPは覚えてるんだけど中身を一切覚えてない、やはりエロは強い。
小4か小5くらいに学校にマンガを持ってくる不逞の輩が出現し、クラス中でマンガが流行る。
マンガとの初めての真っ当な触れ合い。
ただ学校は当然マンガ禁止なので、放課後、親が帰ってくるまでの間に借りたマンガを隠れて読む。
マンガという共通の話題で人と話せるようになったが、「あいつが触った本は汚い」といった言われ方をされるようになり、借りられなくなり放課後古本屋に入り浸るようになる。
そういえば当時「横断歩道の白線からはみ出たらがんになる」というルールが流行っていたらしいのだが、私には「白線を踏むとがんになる」と伝えられていた。地方によってルールが違うタイプかと思っていたけど、白線に乗るのが正ルールなのは全国共通っぽい。まぁつまりそういう扱いだったってこと。
まぁそんな感じで「常識」「普通」を知らないために、どうしても日常のあらゆることで齟齬を起こすしつけ込まれてバカにされる。
そして変人、おかしい人、問題児といったレッテルを貼られ何においても仲間外れにされる。
小5頃から、絵を描かせてスゴーイと言いながらプークスするような女子のイジメが始まる。絵を人前では描かなくなるが、手を変え品を変え「ちょっと親切にして裏切って反応を楽しむ」「おだてて木に登る猿を見て嘲う」みたいな手口のイジメが私に対して流行るようになる。
修学旅行の班決めがその最たるもので、班決めを嫌がる私の態度辺りから親が中受を決意。
で塾に通うようになってからラノベの存在を知る。スレイヤーズ。オーフェン。
富士見ファンタジア文庫にハマり、塾をサボって本屋の文庫本コーナーで何時間も立ち読みするようになる。
教育ママが激しくなり、叩かれながら必死で勉強する(なお母は今「親が子に手を挙げるなんて信じらんない」とワイドショー見ながら憤っている)。
再度マンガゲームアニメラノベが禁止される。父が気まぐれで買ってくれたときめきトゥナイト4巻?、前後をこっそり買い溜めてあと2冊でフルコンプとかのところ、あえなく捨てられた。
ゲームは触れる機会がなかったのでその時点では特になんてことはなかったのが、ポケピ・テトリス・たまごっちといったキーホルダータイプのゲームに触れてしまいアウト。
借りたテトリスが見つかり母親に金槌で壊されてしまう。塾の友達には無くしたと言い張り、弁償しろと言われるも無視して逃げ回り縁を切られる。
中学受験は成功し女子校へ入学。親の帰宅までアニメが見られるようになる(黙認)。遅ればせながら友達からポケモンの存在を教わりハマり、休み時間にやらせてもらう。また別の友人からコバルト文庫と京極夏彦を教わり、また別の友人から封神演義(アンソロ)を教わる。図書室で小学校の比にならない蔵書量に感動し入り浸る。月曜日はお昼を減らしてジャンプを買いキャッキャする。
休みの日に遊びに行こうと誘われて行ったのが作者サイン会で、サイン本は残念ながら母に見つかりライターで着火・水道水で消火の上ゴミ箱に投棄された。
ネットは父の気まぐれ(いい方)により1日1時間制限で許可。1時間なので基本は学校のPC室。家にパソコンない子が携帯から夢小説読み過ぎて請求がン万来て親に怒られたみたいな話も聞いた。自分は携帯禁止。
毒吐きネットマナーでマナーを学び、18禁サイトでアクロバティックな性癖を巡り、自分でもとほほのHTMLを見ながらテキストサイトを運営し、レンタルBBSを設置し、絵茶をし、小説やマンガを書き、友達と「ファンに家特定されてストーカーされて警察沙汰」みたいなネット噂話とかしながらお互いのサイトを巡り合う。
小学校時代を知る人がいないし、話が通じないからとイジメてくる人がいない。エロ話を茶化してくる男もいないしまさに天国。
やっと人と人並みにコミュニケーションが取れるようになる。
親は敵だったので反抗期はかなりアレだったものの、オタクとしては幸せな中高生時代を過ごし、大学進学。
酒も飲めずTVの話題も分からず現実の恋愛もオシャレもしない女にできる会話はない。(オシャレは禁止されてなかったけど、やろうとしてたら禁止されてたと思う)
ストイックに勉強だけするなら大学ってのもありだと思うけど、友達欲しがったのが色々と間違いだった。
ネットに入り浸り、人間観察「何が普通で何が普通でないか」「空気を読むというは具体的にどの状況でどういった行動を取るのか」の研究を始める。
バイトという実戦も繰り返し、結果「最低限の偽装はできるが『なんかおかしい人』であることを悟られないのは無理」という結論に。
そもそも我慢してウェイの言う『普通』をするメリットがないことも多く(例えば女らしくするとセクハラされやすくなるし、みんなで一人の欠点を嘲うのに楽しさや仲間意識を感じられない)、あと「『普通』じゃない人間が生理的に無理」という一定数の人に普通らしくふるまって見せるのはかえって逆効果であることもあり、今や偽装すら放棄してヤバい人のレッテル貼られたまま過ごす立派な社会不適合者に成長。
あとバイトで金を稼いだので特に合意なくマンガアニメゲーム解禁ってことにした。部屋が埋まるほど買ってるので反動〜〜ってなってる。
という訳で、結局のところ親がガチの「生活の常識」を教えないといけないのと、マンガアニメゲームを禁止すると小学校という最初の社会で孤立して深刻なコミュニケーション欠陥を抱えるので、なんでもかんでも制限するとこうなるよの悪い例として展示しとく。
俺も賛成で両親役はレンタルしようとしたら拒否された。いや結婚式開くのは構わないの。いいよ。あの2人に祝ってほしくない。年齢を知らないんだが。教えてもらえんかった。いいじゃんね、仲良し家庭、仲良し友達みても笑顔でいればいいんでしょ。簡単、簡単。
生成AIにまつわる議論において、「無断学習」とは「生成AIの開発工程においてデータ提供者の許可を得ないままデータを利用する行為」のこと。
語呂がいいから「無断」と呼ばれるが意味的には「社会的合意の欠如」と表現する方が正しい。
社会的合意があればいちいち個別に許可を得る必要はない。たとえば画家が絵の練習として行う模写にはそれをしてもよいという社会的合意があるのでいちいち個別に許可を得る必要はない。
2018年の著作権法改正で生成AIの無断学習は合法化された。それまでは引用の要件を満たさない著作権侵害行為だった。
合法化されたにも関わらず悪印象のある用語「無断学習」が使われることは好ましくないという指摘が(生成AI推進派から)出ている。
データ提供者の許可を得ないままデータを利用するから「無断」なのであり、意味としては全く正しい。
代案を出さない生成AI推進派のせいではないかと思うのだが、適切な言い換え語がないため無断学習という言葉が使われ続けている。
声優やイラストレーターは生成AIを用いた脱法ビジネスや嫌がらせの被害者である。嫌がらせツールを開発するために自分のデータを提供したくないと考えるのは自然な流れである。しかしながら現行法ではデータ提供を拒否することができない。声優やイラストレーター、そして彼ら彼女らのファンは現状に強い不満を抱いている。ディープフェイク問題や肖像権侵害問題が新聞テレビで取り上げられたことからクリエイティブと縁のない庶民も不安を感じている。この不満・不安が無断学習という悪印象のある言葉を使い続ける動機になっている。
無断学習という言葉が使われ続けているのは、多分に代案を出さない生成AI推進派のせいである。生成AI推進派が適切な言い換え語を提案すべき。
死ぬか
運良く生き残るか
両親ぶち殺すか
3択。
たとえば
保護なんかされない。
言ったところでまあまあまあで終了。
だいぶきつそう。
本人嫌がってるの分かった上でやってくると
子供が望んだら問答無用で親と隔離して保護施設で学校に通い大学に通わせる。
ダメなんかねー。
まだ発語がないのだが、1年ほど前から絵カードや写真で意思疎通できるようになってきて、ここ半年くらいで喃語を話すようになり、こちらの言うこともある程度理解してくれるようになってきた。
電車が好きで、喃語ではあるが山手線の駅はすべて言うことができ、またこちらが駅名を言うと該当の駅名の文字を指差すことができる。
また50音表がお気に入りのようで、文字としてはある程度ひらがなを理解しているようだ。
一昨年に区の児童発達支援センターで言語聴覚士さんにみてもらったのだが、「早めにリハビリしたほうが良さそうだが、区の言語聴覚士は人数が限られており、定期的なリハビリが難しい」ということで受けることができなかった。
そんな中、自閉症児の親の会の参加者の方から「児童の言語聴覚士の訪問リハビリをしている民間会社がある」と紹介を受けた。
お試しできるということで来ていただいたところ、親や療育ではまったくできなかったあいうえおの発音練習で子どもがすんなり口の形を作っていてさすが専門家はすごいとなった。
言語聴覚士さんから「飲み込みも早いし理解力もあるのでリハビリを受けるのがよさそうです。いま枠が空いてるので開始にあたり医師に書類を書いてもらってください。」と言っていただけた。
3年前から発達専門のクリニックで月一で診てもらっているので、そこの先生に書類を書いてもらおうと診察に行ったのが今日。
私「言語聴覚士の訪問リハビリを受けようと思うので書類を書いていただきたいのですが。」
医師「お子さんはまだ4歳程度の理解力がないので書類は書けません。」
私「???。音声の言葉の理解も進んできてますし、文字や絵カードは理解できるようになってきていますがダメでしょうか?」
医師「言葉の理解がまだなのでダメです。言語聴覚士さんの言うことを理解できないと思います。」
私「お試しを受けて、言語聴覚士さんの指導で口の形を作ることができていました。また外国語ですと発音ができるようになることで、聞く音も理解できるようになると言われてますが、母語は異なるのでしょうか?」
医師「語学のことは分からないですが、子どもは先に理解がきます。私はそのように習っています。」
私「それについて書かれた本、論文を教えてもらえませんか?」
医師「何に書かれていたか覚えていません。言語聴覚士は社会的に従事者が少ないので、社会全体のことを考えてより効果の高い一定理解力のある人に付けるべきとの判断です。」
私「言語聴覚士さんの方から『枠があるので医師に書類を書いてもらってください』と言われたのですが。」
私「法人として書面を書いていただければ、先生が書類を書くことは可能でしょうか?」
医師「書けません。」
私「法人側が『児童の言語聴覚士が対応できる枠が空いていて受けられる』とおっしゃられていて社会的に対応できる人が少ない点はクリアしているかと思うのですが、先生が書類を書けないのはなぜですか?」
医師「当院の方針です。」(※補足:クリニックには医師が1名なので実質医師の方針)
当院の方針と言われたらもはやどれだけ話しても無駄と判断し、ここで切り上げた。
とはいえ、書類を出せないと言語聴覚士の訪問リハビリが受けられない。
現状枠を仮押さえしてもらっているが、書類を出せる見込みがないと流れてしまう。
次にまた枠が空くのは半年後か、1年後になるのか、はたまたそれ以上先になるか分からない。
ということで何らか策を打たなければならない。
(案1) 他の発達の病院・クリニックを探す
以前探した際に、どこも初診が概ね半年〜1年待ちだったりで枠の仮押さえ中の受診が現実的ではなさそう。
(ただ、書類作成とは別で、今後も医師ブロックされる可能性を考慮して他を探したほうがよさそうとは思っている)
発達の診察を受けているわけではないが、風邪や予防接種などで5年近く診てもらっていて子どもの特性の理解もある。書いてもらえる可能性は高そう。医療的に何らかの事情で書けない等がないかが懸念。
(案3) 訪問リハビリの法人に医師の書類無しで受けられないかを確認してみる
他法人ではあるが「医師の診断書や紹介状がなくてもご利用いただけます」と書かれていたところもあり、法人に相談してみるのは一つ手ではありそう。
もし他にも妙案がある、あるいは同じような状況にあったことがある等あったら教えてほしい。
(北海道の方が飯も美味いし自然も豊かだし。札幌で手に入らないのはAmazon/ヨド/楽天使えばいいし、何なら、飛行機使ってたまに買い出しに出てもいいし)
東京圏で嫁ができて、嫁が北海道に引っ越したがらなかったら、両親を連れて、東京通勤圏(神奈川/千葉/埼玉)に引っ越して良いって言ってなかったか?
ちな、都内の大企業勤めは、子どもの思い出づくり(犬飼うとかアウトドアとかDIYとか)や、貯蓄のこと考えたら 神奈川/千葉/埼玉 に家買ったりするので、
通勤が現実的なエリアのファミリータイプの駅近は、神奈川/千葉/埼玉 であってもいうほど 家賃も販売価格も安くはないやで
仕事頑張ってないと 神奈川/千葉/埼玉 でもそこそこシンドイ額なので、拒否する女はあんまおらんと思うで
(神奈川/千葉/埼玉 に文句を言う嫁は、嫁自身が 最低限 600万 以上は稼ぐべき)
※ 例は、地価を表すものではなく、単純に今ネットで検索したら出てくる空いてる物件の家賃。なお、ファミリータイプはすぐ埋まるので、千葉の船橋とか築15年↑ でも、30万、16万とかある
※ 築30年↑ でも良ければ、近隣に3DK(55平米くらい)のRC、10万以下も有り
私は数年前から地元の寺や神社を中心に御朱印をいただいている。
その中で気づいたことを書いていこうと思う。
まず御朱印には直書きと書き置きがある。
直書きは御朱印帳や順拝帳といった霊場や宗派専用のものにその場で直接書いてもらうこと、書き置きはあらかじめ紙に書いてあるものをいただいて御朱印帳に貼り付けたり
最近では書き置き専用のクリアファイルタイプの御朱印帳に入れたりする。
書き置きはご住職や書く人が不在だったり最初から直書きはやっていなかったり、(コロナ禍では感染対策で書き置きの所も多かった)切り絵や色がついた限定御朱印のものがある。
紙に直接書いてくださってある事が多いが印刷やコピーの場合もある。
直書きはお参りの際に書いてくれる方がいれば良いが、小さな所では不在だったりご住職がいない場合もありいただけない場合もあるので事前に問い合わせしたほうが無難である。
またご住職以外でもお弟子さんや奥様などに書いていただける場合もある。
また時間がないということで御朱印を拒否されるところもあり、ネットで検索しても何度訪れても断られたというお寺もあるが私も一度目は断られ、その次に電話で問い合わせたら日時指定でいただけた。
とても細かく丁寧に書かれており、お寺のお手伝いの方も初めてそちらの御朱印を見たとおっしゃっていたので、面倒でなかなか書きたくないという人もいるようだ。
時と場合により書いていただける人が違う場合もあり字体が異なるのでその違いの面白さもある。
個人的にまだ遭遇したことはないが同じ御朱印帳に寺と神社のものが混ざっている場合は書いていただけなかったり、日蓮宗では御首題と呼ばれているが同じ御朱印帳に他のものと混ざって書く場合は「妙法」と書かれてしまう場合がある。
先日、日蓮宗のお寺で頂いたときは神社や他の宗派が混ざっている御朱印帳にご住職に妙法と書いたものをいただいたが御首題もいただきたかったので後日伺うとお弟子さんが同じ御朱印帳に御首題を書いていただいたので人によったり、同じ日蓮宗のお寺でも混ざっていても普通に御首題を書いていただける場合もある。
御朱印の料金は一般的に300~500円であるが限定御朱印では手間やプレミアム等で1000円前後の所があったり、中には金額は任意だったりお金をいただかないというところもある。
普通の書き置きの御首題で1000円の所もあったのでお参りの際には充分なお金を持っていった方が良い。
お寺の場合は土日祝は法事が多く、ご住職がいない場合もあるのでなるべく平日にお参りにしたほうがいただける可能性は高い。
またチャイムを鳴らしても誰も出てこないこともあるが電話をかけると応対していただけることもある。
御朱印帳は寺や神社、文具店やネット通販でも販売されており1000〜3000円台が中心だ。
またダイソーでも300円で販売されている事もあり3色のラインナップがあり私も使用していたが値段が値段なのでページ数が少なくすぐにいっぱいになってしまう。
俺は個人的にはね、邦キチは映画をサゲないのが良いと思う派なわけよ。
名作も迷作も世の中がそう勝手に言っているだけと言わんばかりの強烈な邦キチの熱量に部長が適宜突っ込むという作劇が絶妙なバランスで映画自体を貶さないで済んでいると思うわけよ。
あと、あんな清潔感のある同衾への動線ある?押し入れから枕だけ取り出してswitchと一緒にやってくるみたいな。乾いているわけではなくしっとりもしていない青春の空気感俺もう怖いよ。
なんだっけ (( 閑話休題 ))、そうそうXで燃えるほどでもなく話題になってたインベスターZ(インベ)の話ね。良い宣伝だよね。WinWinだよね。
いま公式のポストで該当回読めるから読むと良い経験になると思うんだけど、これ流れがすごい怖いんだよね。
まず、ラーメンおごってもらえると思って部活の先輩についていったら、観ろって言われて「感動作、大ヒット」ってポスターに書いてある映画を"見たくもない"って自分で言っておいて、自分で金払って観始めるんだよね。
もうここが怖い。ナチュラルにその集団の中の指示に従うという刷り込みが終わってる。見ないとラーメンおごってやらないぞって言うエクスキューズ(言い訳)も準備してある。
怖い怖い。映画観る金でラーメン自分で食えよ。もうその集団の中のイベントに参加するためには身銭を切る必要があるって意識に上ることすら無くなってる。
で、まあ映画を観始めてクッソつまんねぇなあって思うこと自体はアリだと思うわけよ。ここを否定する映画好きはまずいないと思う。
ただ、インベ作中の主人公が「客をバカにしているとしか思えない!」みたいな感想に、あれ?みたいな違和感を感じると思うのよ。
で、映画館で席を立ってしまう。まあこれも個人的にはアリだと思う。トイレで席立つ人を想像しなくても、まあ、割と映画祭とかでエログロの時って席を立つ人、いるよね。
俺個人としてはXでの風潮とは別で、観たくもない映像を押し付けられたときに見ないという選択肢を取るのは決して映画嫌いを意味しないと思ってる。
映画って体験として強烈だから、トラウマが刺激されるとか全然あると思う。
感情を揺さぶる力が映画にはあると思っているし、だからこそエンタテインメントとしてこの感情の揺さぶられ方は嫌だと言って拒否するのはアリだと思ってる。
だから、安心してほしい。少なくとも俺は映画の途中で観るのを止める人が映画好きを公言してても別に普通のことだと思う。
ただなあ、インベの席の立ち方って「こんなもの最後まで観たらバカになる!」とか言って席を立つんだよね。
そのあと、実は何分で途中で出てくるかが、その集団(投資部)恒例の賭け事の対象ってのは、まあそういう部活の謎の伝統あるよね、みたいなのは判る。
ただね、その後たぶん、ん?って思うセリフがちょくちょく作中の人物から語られるのよね。
この賭け事の伝統っていつからやってるんスか?あー、映画が大衆化した戦後のことだろう、とか。
(5分でツマラナイってわかるヤツがレコードタイム18分っていうのが、微妙にリアルでちょっと面白いけど。宣伝10分+本編5分+退出3分だとありそう)
まあ、時間の無駄だと思った後、惰性でみるこた無いんでは?ってのは、その通りだと思うわけよ。
いやー、映画は最後にどんでん返しがあるかもよ?という意見があるのはわかるけどさ、ソレ、ホントに有言実行してる?とも思うのよ。
あー、一本の映画だとあるかもしれないけどさ、アイアンマン観てこういうアクションものは肌に合わないかなーと思ったとしてさ、いや経験になるしそこは映画好きならマーベルシネマティックユニバースは全部観てから語るべきでしょ、とホントになってるかなーと。
今期1話で切ろうと思ったアニメはちゃんと完走してから1話を語るようにしてますか?という。
もちろんね、エンドレスなエンドレスエイトを実況板に張り付きながら見た経験は一生の思い出にはなっているけどさ、それを強要できるかな、という。
そうそう、で、インベの話ね。
投資部に入るものはさっさと席を立たなければならない、というあたりが、カルトっぽいのよ。
選択肢の錯覚に近いんだけど、ここまでで既にインベの世界観に共感する読者には刷り込みが終わってるわけよ。
大ヒットするような感動作は、観るとバカになるような映画だ、大衆化した映画なんてものは、投資家が観るようなものでは無いっていうね。
ソコを前提としたうえで、つまらないものをつまらないと思いながら最後まで観ることを何の価値もないと断ずる。
もしかしたら最後に面白くなるかも、とか、挽回する可能性は低い、ではなく、ハッキリ言いきる。
株価の話で損切りの話もしたうえで、金よりも時間が大事と気づいたお前はテストをパスしたと言う。
作劇としても大変に巧みで、「いやいやそうは言っても最後の最後に面白くなるかも」という反論を「それっていずれ株が上がるかもと思って塩漬けしてるのと同じじゃん」と"自分で"気が付けるようにしてある。
インベの主人公も、自分で気づいたという点を評価してもらっている。
インベの主人公は、なんだかんだと言いながら、全て自分で行動している。
自分のお金で映画のチケットを買い、自分で映画を観て、自分で映画を途中で観るのを止め、その行為を「お金より時間が大事とオマエが気が付いた」と評価される。
誘導はされているけれども強要はされず、解説はされているけれども自分で気が付いたことにされており、不満点は相手が聞いたうえで断定的に回答する(「過去は忘れる」)。
ホモソーシャルな部活動の体だからそこまで違和感はないけれども、これ、同様の体験を大学入学時に魅力的な先輩からなされたときに、それってカルトではって気が付けるか俺には自信は無い。
しかもよ、背景にはうっすらと自分は凡人とは違うっていうエリート意識というか、投資家意識みたいなものがあるわけよ。
ラーメン屋に誘うというフレンドリーな関係性、映画館で途中で席を立つという"他人とは違う"体験、損切りという部内で通じる単語を通じてグループ内の価値観を共有していく。
しかもこれ、漫画としても同じ構成になっていて、漫画というなじみのある媒体で、大衆の感動するような映画には流されない俺というちょっとしたアルアルを追体験させて、損切りという価値観を共有している。
ココに対して、「いやーその価値観はこれこれこういう理由で狭量だよ」と伝えても、おおむね反発を受けるか、わかってないヤツ扱いされると思う。
しかも大変に良くできた作劇なので、漫画を読んでなるほどと納得した人は、映画を最後まで観る派に対しては「ああ、こいつは損切り出来ない投資家に向いてないヤツなんだな」と思わせるようになっている。
俺はカルトの脱退のさせ方は詳しくないのであんまり的確なことは言えないんだけど、あの漫画に納得する人を否定したり馬鹿にしたりするだけでは、少なくとも価値観を変えることはできないだろうな、と思う。
そして、インベスターZという漫画の作劇は、少なくともあの映画の損切りの回は、とても怖いと思った。
実は同じくらい、今回の件で映画を最後までみる経験派も"危うい"と俺は思っている。すごく配慮したコメントしている人もいる一方、そうでない人もいるから。
映画は数あるエンタテインメントのうち一つでしか無いので、それを重視しない人生もまた、俺は尊重したいと思う。
サタンタンゴを観た人類しか得られない経験は間違いなくあるけど、それを貴重な経験だよって誘う勇気は俺には無いから。
あと、最後まで観る強硬派は、MCUのエンドゲーム以降の観る順番を教えて下さい。ワンダヴィジョンくらいからついていけてないです。お願いします。
https://x.com/noeasywalk/status/1786037637058535611
私はこの方とは逆で、組合を途中でやめたものだし、そこまで大きな話はなにもない。ただ、どうして組合員が低下しているのか、運営をしている方に伝わってほしいと思う。ただ、10年ほど前の話なので、今とは違うかもしれないということはご留意いただきたい。
私はある政令指定都市で小学校の教員をしている。組合は初任のときに入った。勧誘を受けたというより、職場のほぼ全員が加入していたので、「入るのが当たり前」という雰囲気にとてもじゃないが抗うことなどできなかった。私の働く都市の組合は規模も大きく、どの学校に行っても、7、8割は加入している。
仕事内容など説明を受けないまま入ったが、正直に言えば、いったいなんの活動をしているのか、最後までわからずじまいだった。とにかく、動員・研修・署名。その繰り返しだった。
動員はノルマがある。年に数回あるイベントに、入っている組合員で割り振られる。急に(少なくとも私にはそう思えた)「ここに行ってほしい」と言われることもあり、仕事を終えて会場や路上に行くこともあった。プラカードをもち、シュプレヒコールを上げている。「憲法改正反対!」とか、「自民党を倒せ」みたいなやつだ。これがいったい、教員の処遇となんの関係があるのか、私にはよくわからず、ただぼうっと立ったままそこにいるだけだった。
研修は夏季休暇や課業後に行われる。授業研究会のようなもので、テーマが割り振られ、指導案などをつくり、壇上などで発表する。これも学校ごとに年ごとに役割が決まっている。私がしたものは、「おんなじのでいいから」と、前々からある指導案を少し手直ししたものを発表した。これは年に何回かあり、自分の発表がなくとも、他の学校のものを見に行く義務があった。
ストは1回だけしかけたことがある。給与改定かなにかの交渉を本部がしているということで、朝組合員で一室に集まり、授業が始まるまで待った。結局、委員会がなにか譲歩をしたのか、組合側が譲歩したのか、よくわからないままストは中止された。それからは、ストの話は一度もない。
そして、これらのことは、全て勤務時間外か、勤務中に行われた。
何年かして、私の家族の具合が悪くなり、医療費やそれに類するもので、保険内診療だけで20万円を超えるぐらいになった。加えて、子どもも生まれ、育児にも時間を割かれた。組合費は月5000円ほどかかっており、前述したように、授業準備や家族との時間を削って動員などにも参加することは、かなり負担になっていた。ついに耐えきれなくなり、分会長に相談し、組合の運営に退会願いを申し出た。特に留意されることもなく、すんなりと退会することができたので、嫌味のひとつでも言われるのではないかと危惧していた私としては拍子抜けした。
だが、どちらかというと周りの組合員の反応の方が私には堪えた。いわゆる分会というものが校内で開かれると、私は職員室に残ったままなので、私が退会したことはすぐに伝わる。みななにか言うわけでないが、遠巻きにされる印象はある。直接「なんかあったときあなたは守れないから」と、皮肉めいて言ってきた職員もいた。学校を異動しても、組合員の割合は高いので、すぐに質問をされる。子どももいたので、フレックスや看護休暇などの制度を使っていると「子育てして制度の恩恵を受けているくせに組合に入らないのは何事だ」と言う職員もいた。私は、すみません、いろいろありまして、と頭を下げて答える。一度、事情を説明すればわかってもらえるのかと、家庭の状況を伝えたこともあったが、「みんな状況は同じだ」「だからこそ組合に入ってみんなでよくしていかなければならない」と、彼我の隔たりを感じ、それ以降は説明することを諦めた。
でも、と私は思う。果たして、いまある制度や境遇に、いったいどれだけ組合が関与したのだろうか。どちらかというと、世間の流れや、他県の事案に追随した結果なのではないか。よしんばそこに組合の努力があったとしても、どうして、いち組合員にそのように言われなければならないのか。権利を行使するには、金を払い、労働力を差し出さなければならないのか。それをしない者を、できない者を排除してきたのが、凋落している組合の本質なのではないか。
一度、保護者から大きめのクレームを受けたことがある。私は電話応対をしただけで、その対応はしごく一般的なものであり、今でも自分に瑕疵はないと思っている。だが、校長は、とにかくその保護者に頭を下げてほしいと言ってきた。私は当初拒否をし、経緯も文書にして伝えた。周りの教員も同情的に見てくれたが、誰も助けてくれる人はいなかった。その数年前に、組合員だった職員が管理職のパワハラに巻き込まれたときは本部にかけあってくれたのとは対照的だった。確かにそれはその通りだった。組合員でないものを助ける義理はない。だが、今回の投稿主の方が仰ってるように、それこそ新自由主義のもたらした分断なのではないだろうか。
結局私は、自ら弁護士に相談し、このようなケースにおける最善の方法についてアドバイスを受けた。最終的には保護者に頭を下げることになり、彼は訴えることもちらつかせたが、弁護士の「そんな裁判引き受けるヤツいないですよ」という言葉で、毅然とした態度で望むことができた。このとき思ったのは、自分の身は自分で守るしかない、ということだった。
本当に皮肉な話だが、組合のどんな活動結果よりも、組合費の負担(年6万)と時間内外の業務がなくなったことが、私の生活をいちばん楽にした。だが、それでも、私は、労働組合は必ず世の中に必要だと思っている。組合がなければ、この社会はもっと悪くなっていたし、力が弱くなったとはいえ、最後の防波堤のような存在だ。しかし、本当に残念なことに、今の私は、私の生活を維持することに精一杯で、未来の教職員の労働環境まで考えることができない。だから、この先、私が組合に入ることはないだろうと思う。
そう思っていたから、今回の投稿者の方の内容は胸にしみた。特に最後の部分の「分断」を憂う内容は首肯することばかりだった。彼のような人がいたら、私はまだ組合にとどまり続けたかもしれない。
だからといって、組合が組合員でもない人間を助けろ、とは口を裂けても言えない。それを私の側から言うのは驕った考えだ。でも、もっとなにかできることはないのか、とも思う。いま、私は組合員ではないので、組合の手紙は届かない。だから、彼らがいったい今、なにと戦っていて、どんな成果を出しているのかなにも知らない。これは本当に不幸なことではないだろうか。全国の教職員組合は、このような非組合員が、だんだんと増えていっているのだろうということに、ぜひ目を向けてほしい。
自分が同担拒否ではないと言い聞かせて日々SNSをしています。
例えばずっと好きだった作品が一躍ネットで有名になり、後から好きになった人たちに対して先に好きだったのにとモヤる。これも私は同担拒否の一種だと思ってます。大分暴論ですが。
なんで私は素直にファンが増えたことを喜べないのかという自己嫌悪が一番辛いのです。
好きなキャラについての自身のアウトプットは出したい。でも他の人の感想を見るとモヤモヤする。
二次元に対して同担拒否って言う方もなんかおかしい気がしてきました。言うたら他解釈拒否人間です。もうだめです。私はインターネットをやめたほうが幸せになれる。自明の理です。
なんでここまで分かってるのにインターネットをやめられないのか。これを機にちょっと深堀りして内心に向き合いたいと思います。
自分だけで感想を抱えているのも寂しくい。せっかくなので不特定多数に見てもらいたい、あわよくば共感してくれたら嬉しい。でも他の人の感想は見れません。どういうこっちゃっちゃ。最悪すぎる。そして自己嫌悪へ。
逆転の発想をしましょう。
なぜ他の人の感想が見れないのか。
今まで何度も考えたことあるんですが、これが言語化できないんですね。そのキャラについて、私だけが知ってればいいと思ってる?そういうわけでもない。
難しい。
色々考えたんですが私は怖いんだと思います。
他の人の感想を見たとき、自分の考えの浅さを知るのが。劣等感を抱くのが。自分の感想が間違ってるみたいな気持ちになってしまう。そんなわけないってわかってるんですけど。理性と感情が結びつかないのは困ったものです。感想なんて人それぞれ。自分が思ったことを書いてるだけなのに勝手に見て被害者になってる。雛見沢もびっくりの被害妄想だよ。
後は承認欲求ですかね!承認欲求があると表立っていうのは恥ずかしくて墓に入りたくなりますが、結局これなんでしょう。承認欲求なんてない、他人をモチベにしてないと言い聞かせても、数字が多いと嬉しい。矛盾の塊です。。
でも人間矛盾を抱えて生きていくものって誰か賢い人が言ってた気がします。そういうことにしときます。
全然上手いこと言語化できない。そういうのが上手い人に言語化してほしい。それも見たら傷付きそうですが。
こんな面倒くさい気持ちになる人は他にいないんでしょうか?普通に人間皆抱えるものなのでは?と思ってしまいます。
ずっとモヤモヤしていたので匿名と言う形で書けてスッキリしました。衝動のままに書いたのでもし閲覧された人がいたら乱文でお目汚しして申し訳ありません。こいつインターネット向いてねえなという目で見て貰えればと思います。
注意:ここで言う「オタク」は表現の自由戦士とかポリコレリベラルとか一切関係なく、漫画や映画に必要以上に入れ籠んでる、SNSに常駐するすべてのコメントイナゴのことである。
https://twitter.com/investorz_mita/status/1785504430030475277
自分にはまったくもってよくある誇張した漫画表現以上のものは何も見られず、また誰かを侮辱しているわけでもないので、何をどう炎上させる必要があるのか一切わからないが、これに対しX上のオタクコミュニティが親を殺されたような勢いで群がっている。
このリプライ、リポスト群を見ると、「オタク」(繰り返すが、エロ表現とかポリコレとか以前に、漫画や映画に必要以上に入れ籠むオタクすべて)がどうして普通の人に醜悪で気持ち悪くて有害な存在と感じられるのか、その悪いところがすべて凝縮されている。
以下ではそのポイントをいくつか挙げるので、人間的におかしいオタクをやめたいオタクは読むと良い。
この漫画の中では、別に「映画を損切りしない奴はバカ」とか言ってるわけではない。ただ、「映画を損切りする奴は投資にも向いている」と言っているだけである。「投資に向いていない」(それだって、作中に出来なかった部員がいるように、完全な落第扱いでもない)と評価されたからと言って、なぜ人格否定されたように怒る必要があるのか? オタクのこういう時折爆発する当たり屋的劣等感は、ちょっと常人の理解の域を超えている病気である。
コメントを見ているとわかるが、この異常な拒否反応の裏には「投資家」という、漫画のパターンとしては冷酷な悪役と見なされがちな属性に対する先入観に基づく全否定が根源にあるように見られる。「投資家は冷酷だ」「投資家は他人をバカにしている」「投資家は豊かな人間生活を否定している」という偏見に基づいて、作品を普通に読めば読み取れるキャラクターの人間性をまったく読み取らずに、何か妄想上の「悪の論理」を勝手に見いだして「どんな無理ないちゃもんをつけても良いもの」という扱いをしている。敬意を持つなんて建前すらない。
作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。「これは彼らの遊びに過ぎないよ。『つまらない映画』なんて単純な評価はできないし、彼ら自身もそれほど信じてるわけじゃないよ」という意味を込めてなければ、作家はこんなセリフを書かない。しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。こういうのに絡まれたときの面倒臭さは、増田も覚えがある。
そもそも、これは漫画、物語である。極端なキャラクター設定をして、極端な立場からものを言わせることでテーマを浮き彫りにするというのは、シナリオづくりの最も基本的なスタイルである。差別的な思想を語るわけでもなく、ただ「映画を損切り出来る奴は投資に向いている」という程度の思想をもって極端なことをするキャラクターぐらいを肯定的に描いただけで否定されるのならば、「漫画は面白ければ良い」だって「男なら戦え」だって「命を食べて生きる」だって、普通は極端であえて日常の中で主張はしないようなテーマである。これらのオタクは、そもそも漫画の表現手法そのものを全否定している。
結局のところ「オタク」には、創作に敬意を持っているからこそオタクであるという建前どおりの存在は少ない。少なくとも、SNS等で声の大きい奴らほど、そんなところからは全然遠い。奴らにとって本当に大事なのは「自分」(劣等感を抱えて何かにすがりたい自分)なのである。漫画や映画という創作物は、奴らにとっては道具に過ぎない。自分の劣等感をすがって誤摩化して糊塗するための道具だ。だからこそ、自分の劣情が発揮された瞬間に、創作物や表現者に対する最低限の敬意すらゴミのように捨ててしまう。作品を好きなように切り取りして読んで、書いてあることをねじ曲げ、ごくごく当たり前のデフォルメ手法すらもあっさりなかったことにして見せる。
オタクと言うのは、漫画や映像という他人の創作物を身勝手に援用して、自分の劣等感、攻撃性を解放したいだけの、要するにフーリガンなのである。
キモ男のことを外見だけで散々罵っておきながら、自分が困っていたら丁度良く気を回して助けないとXで愚痴りはじめるのほんと女さんって感じ
迷惑にならない様できるだけ関わらず生きているだけなのに、あっちの都合の良い時だけ関わろうとしてきてそれを拒否すると一方的に被害者ヅラできる精神を見習いたい
でもやっぱりダメそう
一応前提を書いとく
ガンダム初心者ではなくよくいるSEEDから入った世代、それ以降のガンダムは積極的に見ている
ファーストガンダムなど古い宇宙世紀作品は劇場版で一部履修済み、流石にテレビシリーズは長すぎて手が出ずスキップしてる
これに尽きる
映像の表現なのか演出なのかセリフの言い回しなのか間の取り方なのか演技なのかよく原因がわからないのだが、いちいちなんか気持ち悪い
今まで色々なアニメや映画・ドラマを見てきているがこんな感覚になった作品が他にあっただろうかと思い返すと一つ気づくことがある
キングゲイナーを見た時も似たような感覚に襲われた気がするし、その時も挫折した
これはニュータイプじゃない自分が富野適性皆無のため発生する拒否反応なのんだろうか、、、、
誰かうまく楽しむ方法を教えて欲しい