はてなキーワード: 担当科目とは
青春というのはいつでも灰色だ。授業中の教室で俺はそんなことを考えていた。(ここまで書いた。以下全てAI)
窓から差し込む暖かな日差しに照らされながら、今日も机で頬杖をついている。
教師の言葉は右耳から左耳に抜けていく。その言葉を聞いているふりをしながら、窓の外に広がる青空を見つめた。高校二年生になって一ヶ月ほど経つと、周りはすっかり受験モードに入っている。しかし俺には関係のない話だった。
俺こと橘翔琉(たちばなかける)はどこにでもいそうな普通の高校生だ。自分で言うのもなんだが成績は悪くない方だし、顔だってまあそれなりだと思う。ただ一つ普通じゃないことがあるとすれば――
「おーい、翔琉! 起きてるか?」
「……ん? ああ、もちろん起きてるぞ」
隣に座っていた友人である安藤正樹(あんどうまさき)に声をかけられて我に返る。彼は成績優秀スポーツ万能という非の打ち所がない人間だが、唯一の欠点としてとてもうるさい。今も大声で話しかけてきたせいで、教師に注意されてしまった。
「お前さっきの授業寝てたろ!」
「……悪いかよ」
「いいや別に。ただいつも寝てるなって思ってさ」
正樹はそう言いながら苦笑いを浮かべている。
「それにしてもなんで翔琉っていっつも眠そうにしてんだろうな。夜遅くまでゲームしてんじゃねえのか?」
「ちげーよ。勉強してんだよ」
「嘘つけ。お前が真面目に勉強するわけねーじゃん」
「ほんとだよ。最近ネット小説にハマっててさ、そいつを読むために睡眠時間削ってんだよ」
これは本当のことだ。最近の楽しみといえば専ら異世界転生もののラノベを読んでいることくらいだ。この世界とは違う世界に主人公が転移し、そこで新たな生活を始めるという内容のものが大半を占める。俺にとっては夢のような物語なのだ。
「へぇ~、そういう趣味があったのか。なら今度オススメを教えてくれよ」
「おう、いいぜ」
それからは特に何事もなく放課後を迎えた。正樹とは帰り道が違うため校門の前で別れると、一人帰路につく。そして自宅に着くと同時に鞄を投げ捨てパソコンの前に座った。電源を入れ起動を待つ間、俺はスマホを手に取る。そこには先程読んでいた小説サイトのページが開かれていた。タイトルは【俺だけレベル1だけど異世界で楽しく生きてます】というもので、主人公は異世界へと召喚されるのだが、なぜか最初からステータスが全て一桁台だったという内容だ。
「ふぅ……やっぱり面白いなぁ」
ついつい声に出しながら読み進めていく。この作品では主人公のチート能力は皆無なので、最初は他のキャラたちと比べてかなり弱い。そのため序盤は苦労することが多いが、徐々に仲間を増やしていき最終的には最強の存在になるのだ。ちなみにこの作品の作者は女性であり、ペンネームは『水無月凛花』となっている。
「いつか会えるといいな……」
思わず独り言を呟く。今まで何度か感想を送ったりレビューを書いたりしたことがあるが、どれも反応はなかった。作者は基本的にマイペースらしく返信が来ることは滅多にないらしい。
「よし、読むか」
画面を見るとちょうどプロローグが終わったところだったので本編を読み始めることにした。こうして俺は今日も異世界転生ものを楽しむのであった。
翌日、学校に行くとすぐに自分の席に着いた。すると隣の席の女子生徒が不思議そうな顔を向けてくる。
「あれ? 橘くんおはよう」
「ああ、おはよ……えっ!?」
彼女の挨拶に応えると目を丸くした。なぜならそこに居たのは昨日読んだ小説の主人公だったからだ。
「どうかした?」
彼女は首を傾げながら問いかけてきた。その仕草を見てドキッとする。
「いやなんでもない。それよりも名前教えてもらってもいいかな?」
「私は一ノ瀬結衣(いちのせゆい)っていうの。よろしくね!」
笑顔で自己紹介してくれた一ノ瀬さんに俺も微笑み返す。まさかこんなところで会うことになるなんて思わなかった。
「私の顔に何かついてるかな?」
一ノ瀬さんの頬が赤く染まる。こういう表情も可愛いなと思っているとチャイムが鳴った。どうやら担任の教師がやってきたようだ。
「ほらみんな、早く席に着きなさい!」
一ノ瀬さんがそう言うとクラスメイトたちは次々と着席していく。それを見た後、先生は自分の名前を黒板に書いてから振り返った。
「はい、皆さん初めまして。これから二年間あなたたちのクラスの副担任を務めることになりました、安藤真理亜(あんどうまりあ)です。担当科目は日本史となりますのでよろしくお願いしますね。それでは出席を取りたいと思います」
「あら? おかしいわねぇ、欠席者が二人もいるみたい。誰か知ってる人はいるかしら?」
一人の男子生徒が手を挙げる。
「じゃあそっちの子は?」
「すんませーん、サボりまーす!」
もう一人の男子生徒も同じように答えた。
「そう……まあいいわ。とりあえず二人とも放課後までには必ず来るように伝えておいてちょうだい」
安藤先生はため息をつくとそのまま教室を出ていった。そして授業が始まると俺はこっそりと一ノ瀬さんに話しかけた。
「うん、そうだよ」
「やっぱりか! てっきり夢でも見てんじゃないかと思ったよ」
「あはは、実はね。私の書いた小説の世界と君が読んでいた小説がリンクしているみたいなんだ」
「マジかよ……」
「本当だよ。さすがに私もこの展開には驚いたけどね」
「確かに……」
「そうだな」
「もし良かったら仲良くしてくれないかな?」
俺の言葉を聞いて嬉しそうに笑う。そんな彼女を見ながら、俺は心の中でこう思った。
(これはきっと運命なんだ。俺はこの出会いに感謝するよ。この世界で頑張っていこう。そしていつか絶対に彼女を幸せにしてみせる)
「おい、聞いたか? また出たらしいぜ」
「ああ、最近よく聞く話だな」
「俺も噂で聞いたんだけど、どうやらこの辺りにも現れたらしいぜ」
「何が現れたんだよ?」
昼休みになると、教室内では生徒たちによる会話が繰り広げられていた。話題の中心になっているのはもちろん先程から聞こえている通り、ここ数日の間に起こっている連続殺人事件についてである。殺された被害者はいずれも若い女性であり、死因は心臓を刃物のようなもので貫かれたことによる失血死だった。
「物騒なこと言わないでよね! 本当に出ちゃうじゃない……」
「橘くん……」
俺は腕を組みながら考える。
「それはわからないわ。だけど今までの事件現場を調べてみると共通点があるらしいの」
「えっ?そうなのか?」
「ええ、それがね。被害者の女性はみんな夜中に一人で歩いているところを襲われてるらしいの」
「なるほど、そういうことか……それで?」
「目撃者の話によると犯人の姿はほとんど見えなかったらしいわ。でも声だけはハッキリと聞こえたそうなの」
「どんな内容だったんだ?」
「確か『今宵は満月。貴様の命運もこれまで』とかなんとか言ってたらしいわ」
「……それ完全に悪役じゃないか?」
「私もそう思う。そのせいでネットでは『新手のファンタジスタ』なんて呼ばれてたりするくらいだしね」
「ファンタジスタ?」
聞き慣れない単語に首を傾げる。すると一ノ瀬さんはスマホを取り出して説明してくれた。
「ファンタジスタっていうのは簡単に言うとファンタジー世界で活躍するサッカー選手のことかな。現実世界ではあり得ないようなプレーをする人に対する賞賛として使うことが多いの」
「つまりサッカーで言うところのレジェンドプレイヤーみたいな感じか?」
「そうかもね。ちなみに海外だと有名な選手のことをこう呼ぶこともあるわよ」
「例えば?」
「そうだね。一番わかりやすいのはレアル・マドリードに所属するあの選手はどうかしら?あの人はドリブルやパスといった基本的な技術がずば抜けていて、しかも得点力も高いからまさに『キング・オブ・フットボール』と呼ばれるに相応しい存在なの」
「へぇ~、すごいんだな」
俺は感嘆の声を上げる。
「あとは元日本代表のあの人も有名
給料は悪くないが、今いる会社ではキャリアもスキルも天井が見えてきたので転職を考えている、そんな感じのよくいるITエンジニアだと思う。
増田のいる会社は特別大きいわけではないけれど、毎年ちゃんと新入社員が入ってきてくれる。
それも見境なく採用しているわけではなく、しっかり採用計画を立てた上で当人のスキルや志向を見て合否を判断、予定の人数に着地させている。
学生からすれば大手に落ちたらなんとなく面白そうだしで入ってくれるような会社、という立ち位置に落ち着いているようにも思うし、実際増田もそのクチである。
さて、繰り返しになるが増田のいる会社は特別大きくはないため、新人研修も大規模なものではなく、多くは社員に時間と担当科目を割り当てて行っている。
その内容は組織や事業の紹介をはじめとして、開発ツールや技術の軽い演習を交えた研修など多岐に渡り、それなりに立場のある者から2-3年目の若手まで、自身で資料を用意して新人研修に臨む。
スケジュールや大筋の内容は事前に決められるものの、細かいコンテンツについては割り当てられた社員に一任されている。
増田も例に漏れず毎年新人研修を担当しているのだが、他の研修を覗くと年々ブラッシュアップされていて、改めて一式受けてみたいと思えるほどだ。
2-3年目の若手が技術的な背景までしっかり理解した、それでいてかみ砕いた分かりやすい研修を行う姿、また入ってきたばかりの新人が理解して使いこなせるようになっていく姿は毎年増田を驚かせてくれる。
個人差は大いにあるものの、平均的には毎年新入社員の質が高まっているように感じる。
もちろん大学で学ぶ内容も増田の頃からすれば進化していて、注入される知識や技術が現代的なものに入れ替わっているのもあるだろう。
しかし技術の学習コストは過去の類似技術と地続きで学ぶよりも新規参入して学ぶ方が高くつくもので、優秀さは疑いようのないものだと思う。
このように若手が優秀に映ることで、若手よりも高い給料をもらっている増田には、若手の評価面での天井となってしまわないようにしなければというプレッシャーが生じている。
増田がしっかり評価されないことには子弟関係にあたる若手たちも増田ほどでないということで評価されないし、増田の上司も増田をうまく使えていないということで評価されなくなってしまう。
彼らの障壁となってしまわないよう増田自身も優秀でありたいと思う一方、増田視点での増田の評価の天井、ひいては給料の上限も見えてきているので転職もありかなと思う次第である。
今の給料が十分であるかとは別の話で、高く評価されたとしても給料の伸びしろがないことが分かってしまうと、その後の就業意欲に影を落とす。
成果を出せば出した分だけ、成長すれば成長した分だけ評価され、評価の結果として報酬を得たいのが人間の性であろう。
ありきたりな結論になってしまったが、今の若者は優秀であり、優秀な若者が優秀なまま活躍し続けるためにも、はたらきに見合うだけの報酬を、十分な伸びしろをもって提示すべきだろうと増田は思う。
傷の瘡蓋周りから体液が衣類に付着がここ数日。
さきほど瘡蓋がとれ、えぐれた箇所から白い液体とぐずぐずした患部、縫合糸の黒い端が見えていた。
昼の段階で電話問い合わせ。高熱と急激な患部の熱感がない限りは放置と言われ、患部を掻いたりしないよう言われたが寝てる間はどうなるか分からない。
退院後の不安を取り除くというようなことが入院期間中のスケジュール内に記載があったが、不安だらけだった。
担当科目の医師は特に適当な印象が強いし、当番医はまず話を聞かない。
術後の違和感で別の科目を受診したときの医師がまるっとフォローしてくれた形となり、不信感が強まっている。
コミュニケーションの得手不得手は患者医師に双方あれども、確かに話を聞いてもらえなかったという不信感を医師全体に持って、診察に臨んで頑なな対応をとってしまうのはある程度仕方ないのではと感じた。
医師からしたら多数いる患者のひとりでしかなく、患者からしたら自分しかないわけで。
そこにただでさえ不調という状態異常が加わるのだ。
今回当番医については、当初予定していた退院時に歩けない食べられないという不調のなかどうやってでも一度帰宅して具合悪ければもう一回受診しろと言ったのに、
付き添いの家族には『原因が分かるまでは退院させられない』とちぐはぐな説明対応をしたので、なんだこいつという感想が抜けない。(結局、その原因とやらは説明されていない)
もはや義務教育はいらないと思う。国民全員の教育を税金を費やして援助するのは無駄だと思う。
この情報化社会において、わざわざ学校に通わずとも、小学校〜高校までの勉強を学習することは誰でもできる。
受験産業の振興の副作用で、巷には良質な参考書や、格安で受けられる映像授業などが豊富にある。そういうものはもう20年くらい前でも、既に学校の授業の水準をはるかに上回っていたように思う。
小学校では、掛け算の順序がどうとか極めて愚劣なことが行われているようだが、中学以降でも大して変わらないだろう。地方の公立小中学校のひどい所など最早「通わない方がマシ」というレベルなんじゃないだろうか。
そこまで酷くないにしても、自分の担当科目の範囲を超えた知識を持った上で教えている教師は稀である。さらに事務業務の煩雑化などにより、教師が教育に割ける時間はどんどん減っている。その上、出退勤管理の自動化のような設備投資、教材の電子化なども全然進んでいない。
公立小中高の教室にはエアコンがなかった(今は知らん)。気温が30度を超えようが、氷点下だろうがそのままである。今にして思えば、よく通ったもんだ。エアコンの無い会社に勤めろって言われたらほとんどの人は辞めると思う。
また、いじめ等で取り返しのつかないほど人生めちゃくちゃになる可能性もある。可能性があるどころか、いじめ自体どんな学校にもある。高校なら辞めりゃいいと思うけど、義務教育なのにいじめがあって通えないというのは、おかしな話だと思う。
そもそも学校で習ったことなんてほとんどの人は社会に出て使っていないだろう。つまり、不要なのである。不要なことを教えるのは無駄である。
公立学校教員の労働時間についての詳細な話等は記しません。「教職調整額」という名の搾取システムについては、このあたりの記事が分かりやすいかと思います。
教師に残業代が出ない理由を理解するために知っておきたい2つの事実
https://education-career.jp/magazine/career/2019/kyouin-zangyoudai/
残業代ゼロ 教員の長時間労働を生む法制度(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20171211-00079169/
今回は、公立学校や他の私立学校に先んじて「変形労働時間制を導入した私立学校」の実態レポートをお送りします。「何かの足し」になれば良かれと思いまして。
それまで、私の勤務先については「残業代」についての規則が存在しておらず、36協定も締結していなかった。
そもそも、私立学校の勤務時間管理は「一般企業」と同じ扱いであったらしい。そのことを私は知らなかった。なお、私は職場の組合の「代表者」を務めている。
酷い話だ。酷いのは自分だ。
私の勤務先は、様々な点において「公立学校に準ずる」という点が多かった。それは、学校法人が税金を受け取って運営されているという面もあろう。勤務についても、公立学校と同じく「残業青天井」だと思い込んでいた、それまでは。
そもそも、この話は何故始まったのか。
理事側が言うには、その夏に労働基準監督署からの指摘があったということだった。「36協定を締結せよ」「協定が無いままに、職員を残業させてはならぬ」と。嘘か本当か分からぬが、その夏休みに都内の私立学校の幾つかにに対して、同様の査察(?)が行われたという話も理事側から聞いた。
私はそれまでの20数年間、残業代が支給されないのは当然のことであると考えていた。
タイムカードがあるわけでも無く、管理職は各教員の詳細な勤務時間を把握しているわけでも無く。
また、部活動の指導に費やす時間についても、その状況は教員によって様々であった。「部活動指導」というパンドラの箱は、本校内においても「開きかけたり、閉じたり」している。本格的に開けてしまうと、カオスが増すからである。
2017年度においては、「各専任教諭は、何かしらの部活動顧問を務めるように」というお達しがあった。
2019年度現在、「なるべく、部活動顧問をやってくれ」という風に、理事(校長等)側は「言うだけは言って」いる。理論上は部活動の顧問を持たないことも、可能にはなっているようだ。
しかし、実際は「公立学校の部活動顧問の状況」と大差ないと言えよう。「やりたい人間」は放っておいても、年中ほぼ無休(かつ、ほぼ無給)で部活動指導に勤しむ。「やりたくない人間」も当然居る。また、「やりたくないけど、仕方なく」という者も。
理事側の希望としては、2017年の10月(年度の真ん中)より、36協定を発効させたいとのことだった。そのため、理事側は36協定の素案を提示してきた。
その素案は、全体として「現状の勤務・賃金形態を変更せずに、法に沿うように規則を再構築した」と言えるものだった。
給料等は一切変わらないが、現行の「調整手当」を「残業代の定額払い」として再定義するという話だった。
この「調整手当」とは、公立学校(等の地方)公務員の場合、「東京都(区部等)の物価が高いので、それを調整するため」に支給されているものである。従って、そもそも「残業代に相当するもの」ではない。
勤め先は私学であるが、この「調整手当」も「公務員に準じる」ということで、支給されていたのだ。
この解釈は、理事側が社労士(?)あたりに相談し、法的に問題ないことも確認済みだという話だった。
私を含めた組合側の代表も、「給料の手取りが変わらないのであれば、拒否する必要もないだろう」という見解を伝え、後に組合員全体に諮ったのであった。
その話し合いに付随し、理事などが言っていたことは、おおよそ以下の通りだった。
・来年度(2018年度)からは変形労働時間制を導入する予定。
・「週1日の『研修日』」を廃止し、「完全週休2日制」とする。
・40時間を超えた部分については、新規に「超過勤務手当」を支給する。
「研修日」とは、公立私立を問わず、中学高校ではよく見られるシステムだ。
週の1日程度、「担当する授業を持たない日」を設定しておき、その日は「出勤せずとも済む」のである。
数年前の又聞きではあるが、都立「高校」の教諭について記す。休日である日曜日(と土曜日?)の労働(だいたい部活動絡み)が「所定の数(詳細は不明)」を超えると、翌年度は研修日が設定可能になる、とのことだった。
私の勤務先の仲間である組合員(残念ながら、過半数は超えていない。しかし、私の職場はその意見を尊重してくれている)からも、「36協定」について、特に異論はなかった。
2017年10月に「遅すぎた36協定」は締結されることとなった。
36協定が発効する。
変形労働時間制の年間の案が示される。
その「年間計画」が妥当なのかについては、理事側と組合側で意見を摺り合わせる機会も無かった。
基本的なルールは以下の通りだった。作成したのは、基本的に人事担当職員だった様子。
・それぞれの教員(および事務職)について、平日1日を「法定外休日」として設定する。
・行事(各種式典・保護者会・入試等)で「頭数」が必要な日は、全員出勤となる。
・法定外休日がどの曜日にあっても、総勤務日数(250日強)と総勤務時間(2000時間強)が変わらないように設定する。(←この点に非常に苦労したはずである)
・会議が設定されている曜日などについては、10時間勤務で途中に1時間の休憩を挟む。
・育短、産休、育休、介護休業等に入っている者は、前述の「8時間勤務で間に1時間の休憩」。
私個人としては「カレンダーを作るのが大変だったろうなぁ」と考えた。また、その人事担当職員に対しても、普段の仕事ぶりには敬意を持っていた。そのため、特に「異論」を申し入れることはしなかった。
36協定も改めて締結。
2017年度と比較し、勤務時間等を含めた「働き方」自体は、概ね変わらなかった。良い点も悪い点も。
『出勤簿上の勤務時間と実際の勤務時間には齟齬がある』ということだ。ただし、結果的には「拘束される時間」は若干の増加を見た気がする。
この『齟齬』が労働基準監督署などに改めて見出された場合、指導が入ることになるのだろう。
36協定も改めて締結。
明らかな変更は、先に述べた「部活動の顧問は強制では無いが、なるべく何らかの顧問を担当して欲しい」という指示があったことである。
どこの学校であっても「あまり文句を言わず、仕事をコツコツと進める人物に、仕事が集中しがちになる」という面はあるのでは無かろうか。
私の勤める学校の理事も、それを改善するつもりはあるようで、「仕事分担は公平に」という意図のメッセージを随時発してはいる。
しかし、年度当初あるいは年度途中、各分掌(教務とか生活指導とか進路とか)や各学年、各教科内で様々な仕事を割り振る段階で、1人あたりの仕事量の軽重が発生してしまうのである。加えて学校幹部は「何らかのプロジェクト」を(勝手に)立ち上げ、その責任者に「忙しい人」を指名したりする。
なお、教科の違いについては、私の勤務先ではあまり考慮されていない。週当たりの「担当授業コマ数」については、概ね一定となっている。このあたりは、学校によって異なるはずである。
授業準備という「重要な仕事」をする際に、最も関わってくるのが「担当科目の種類数」でもあろう。このあたりも、私の勤務先では明文化されていない。
個人的には「教えることが一番楽な教科」は数学だろうと感じている。なお、私が担当している教科は数学ではない。「楽」イコール「楽しい」というわけでは無いだろうとも思う。私は、学生時代に最も好きだった、楽しかった教科の教員をやっている。それなりのやりがいを感じながら。
「教育実習」
教職課程を取っている人なら誰しもが行くであろう最後の難関とも言える4週間ほどの実習。勿論本気で教員を目指している人も、そうでない人もいるが、とりあえず皆単位認定と免許取得のためにこの実習を行う。
僕もその1人で、特に教員になるつもりはなく、就活をしていたが3年間の自分の努力を水の泡にするのも癪だったのでとりあえず免許だけは...と思い、母校へ実習に。勿論、こんな半端な思いではいけないと分かっていたので、せめて実習期間だけは本気で教員を目指している人を演じようとした。自分は教職課程で嫌という程困難な単位も取得してきた経験から、大抵の事はそれなりに出来るだろうと踏んでいた。
しかし、大きな誤算があった。
友達は少ない方で、あまり口数も多くない。少人数を好み、内気で外に出ていくような性格ではない。こんなやつが教育実習を行おうとしていたなんて今思うと笑い話である。
僕の他にも何人か教育実習生はいた。実習期間中は控え室で他の実習生と過ごす時間が多くなるのは当たり前のことだが、僕はそれがとても苦痛だった。
先にも言った通り、内向的で人見知りな性格なので「知らない人」がいる空間というのはいささか居心地が悪いのだ。しかも、4週間は同じ人と顔を合わせないといけないし、嫌でも一緒にいなければならない。
この性格で馴染むことはできず、実習生とは距離を置いて生活していた。
大人なんだから、それくらいどうにかしろよ!とも思われるかもしれないが、性格面の問題は自分が苦痛を受けて皆と平穏に過ごすか、自分がストレスフリーで皆と距離を置くかの2択しか無かった。僕は勿論後者を選んでしまった。
教育実習生活は想像を遥かに凌駕する程の過酷なものであった。定時に退社するという概念はなく、朝がとても早いのに夜は遅くまで残って指導案を書いたり、教材研究をしたり、雑務をこなしたり...とにかく今までぬるま湯生活を送ってきた僕には宛ら監獄生活のように思えた。
やっと来た休日でさえも疲れて動けない。どこかに行こうという気力も、何かをしようという意欲も湧いてこなかった。
そんな中で唯一の救いだったのは指導教員の緩さだった。他の実習生を見ると、指導教員に怒られ、やる気はあるのか?と捲し立てられる人もいたくらいだから僕はとても恵まれていた方だと思っていた。
しかし、それは違った。
指導教員が緩かったのは、ただ単に僕に無関心だったからだ。好意も悪意もない、何の感情もない。指導案も授業計画も全て何の意見もせずに一言「良いんじゃない、それでお願いします」とだけ。
無関心な事を後押しするエピソードとして、初日に僕が実習生として指導教員のクラスに着くことを生徒に言い忘れ、最終日も今日で実習生は終わりということを生徒に告げてはいなかった。
他にやることがたくさんあるのは承知していたし、自分の仕事にプラスして実習生を請け負う(負担を増やす)という事も分かっていたけれど、他の実習生は怒られてでも関心を持たれて指導をされていたのが羨ましいと思った。
そして何故か教壇実習(授業を行うこと)は、意外と何の問題もなくこなせた。
人見知りなので人前に出る事が苦痛だったし、30人もの生徒を前に緊張で何も喋れなかったらどうしよう...等と考えていた自分がアホらしく思えたくらいには堂々とした態度で臨むことができた。
指導教員以外の先生方のご指導を頂いて、大変実になる経験であったと感じたし、自分の潜在能力にも驚かされた。ひとつ言えるのは、性格面に問題があろうと、担当科目に対する幅広い知識や教養を身につけていればそれを口頭説明する感じで乗り越えられるという事だ。
どうかこれを見たor見ている人見知りで内向的な教育実習を控えた人に少しでも勇気を与えたいと思って僕はこの記事を書いている。なので、似たような境遇の人がどんな目に遭ったのか最後まで見ていてもらえると嬉しいです。
授業を重ねていくうちに、必然的にクラスの生徒とも喋るようになった。人見知りだが、相手から話されればある程度は話せるし、どちらかと言うと自分で話を振るのは苦手なのでどんどん話すタイプの人とは相性がいい。聞き手に回るのは得意だったので、生徒の色々な話を聞いたりしてとても懐かしい気持ちになったり、楽しくなった。
危惧していたクラスの生徒との関係性もまあまあ良好、と言ったところであった。
そして早く終わってくれ、と思った教育実習もあっという間に1ヶ月が経ち、最終日を迎えた。
僕は教育実習生とはあまり仲良くは出来なかったが、そこそこな関係は築けたのではないかと思った。しかし、特にこれといって仲良くはないので教育実習後のお疲れ会と称した飲み会には不参加でお願いした。面白いのが実習生で断ったのは僕ただ1人という事だ。皆この1ヶ月でとても仲良くなっていて驚いた。
そして最終日の最後のホームルームを迎え、僕はいつも通りにホームルームをした。しかし、クラスのみんなにプレゼントがあったので、ホームルームを早めに引き上げ、お菓子を配った。その中に手紙も入れた。自分なりに話した生徒の特徴を書いて、30人それぞれに違うメッセージを送った。生徒たちが喜んでいる姿を見て自分も嬉しくなった。
しかし、最終日に「今日で最後」という認識は生徒になく、皆驚いた顔でこちらを見ていた。
ホームルームが終わったあとで何人かの生徒は駆け寄ってきてこう言った。
どの言葉も嬉しかった。自分にとってはそれだけで満足であった。30人いる中でたった一人でも、少人数であろうと、自分のことをそういう風に思ってくれる生徒の存在というのは何よりも大きかった。
しかし、控え室に戻ると他の実習生は大号泣。花束を抱え、もう一方の手には色紙を持っていた。自分はまたそれを見て羨ましく思った。
色紙や花束を貰いに実習をしに行った訳では無い。勿論それらは気持ちであるし、指導教員の計らいでもある。
という事を考えると、指導教員はやはり自分に無関心で何の感情もなく、自分を惨めな思いにさせたと感じて一気に敬いの気持ちが消えた。自分勝手な考えなのは百も承知だが、普通に最終日の予告もなし、何も用意せずただ「実習お疲れ様でした」の一言だけはさすがに1ヶ月耐えた自分には辛いものがあった。しかも指導教員に菓子折り(渡すべきものと大学側から言われていた)を渡すと「これあんまり好きじゃないんだよなー、まあ、誰かにあげますわ(笑)」と冗談ぽく笑っていたが、自分の心はこの態度に酷く傷つけられた。
唯一の救いは何人かの生徒はノートの端切れに「ありがとう」や「楽しかった」などのコメントを書いてくれたものを渡してきてくれたことだ。最後と知らなかったので、ほんの気持ちでしかない贈り物だったが、自分には一生の宝物となった。
と同時に一生こんな人にはなるまい、と指導教員を反面教師として生きていこうとも思った。
実は書類の不備で実習を終えた母校にもう一度足を運ばなければならないのだが、その際にまたあの指導教員と合うと思うと憂鬱で仕方ない。
実習を終えることはできても、かなり自分の心身を酷使したイベントであった。
どうかこれから実習に行く人は気負わずに気楽に行って欲しい。指導教員との相性が悪くとも、性格に難アリで厳しそうでも、始まってしまえば終わりが来る。
現在の日本を変えるために、私立の学校、予備校は廃止されるべきである。学校はすべて公立にし、さらにどこで勉強するにしてもすべて学費は無料にされなければならない。
現在のあらゆる社会的格差はすべて教育格差に還元できる。教育格差は家庭の経済格差に還元できる。経済的に貧しい家庭の子供が十分な教育を受けられないことが社会格差の最大の原因である。これを打破するにはどうすればいいか。教育をすべての人に平等に与えられるものにする以外の道はない。
まず真っ先に撲滅しなければならないのは私立中学、私立高校である。程度の高い教育を金持ちだけに与える制度など、社会的格差を広げる原因でしかない。そのうえで、すべての学校のシステムを変革しなければならない。
現在の小・中・高校の教員のレベルの低さは問題である。なぜ教員のレベルが低いのか。それは教員が魅力的な仕事ではないからだ。なぜ魅力的な仕事ではないのか。教員が授業以外のさまざまな仕事をしなければならないうえ、給与も良くないからだ。つまり、教員が授業だけを担当し給与も改善されれば、学校教員のレベルも上がるだろう。それは日本の学生の学力向上に直結する。
思うに、学校教員は研究者でなければならない。教育者である前に研究者でなければならないのだ。私は小中高の教員全員に博士号の取得を義務付けるべきだと強く主張する。そして、小学校から科目ごとに専門の教員を設置し、本質的な授業を行うべきだ。現在の小学校の教員のレベルを知っているか。分数の割り算をなぜひっくり返すのかも理解していないのだ。中学の国語の教員は古文を原文で読むこともできない。こういう教員が蔓延っていて、日本の教育レベルが上がるはずがない。教員は数年に一度教員免許の更新試験を受けることを義務付けるべきだ。小中高の教員が担当科目の大学院入試レベルの試験を受けるようにするべきなのである。
さらに、学校は現在予備校が担っているような仕事もするべきである。つまり、放課後の学習をある場合は希望者に、ある場合は全員に受けさせるのだ。定期的に模擬試験も実施し、小学生のころから周囲と切磋琢磨する習慣を付けさせるべきである。
ひとつの学年は学力ごとにクラス分けされるべきだ。最も優秀な生徒のみが集まったクラスのなかでさらに優秀な生徒を選抜して集めた学校を市にひとつ設立し、優秀な生徒はそこに行くようにするべきである。これが現在の私立中学の役目を果たすだろう。
このようなことを国がすべて無償で国民に提供するべきなのである。しかし現状では予算が足りない。削るべきは何か。老人福祉に他ならない。
これからの日本を支えていくのは子供たち若い世代だ。老人たちは死にゆくだけの存在である。老人たちに出すお金など必要ない。年金がないと生活できない老人は、60を超えるまでにろくに貯金してこなかったのが悪いのであり、自業自得である。これからの若い世代がその尻ぬぐいをする必要はない。