はてなキーワード: 抽象画とは
昔のゲームは、小学生にはクリア不能な異常な難易度のゲームがたくさんあった。
今はそういうのは皆無。
また、ゲームスキがゲームを作るのではなく、高学歴のマーケティングの結果のゲームばかりになった。
だからつまらない。クソゲーまがいの超絶難易度のゲームや、妙味のあるゲームがでない。
クソ簡単な作業の繰り返しのゲームばかりになる。そうじゃないと、売れないから。
これって、ファッションもじゃないかなと思った。
俺は、俺が子供の頃の20年くらい前のファッションは面白いと思う。カオス感があった。
しかし、今は、清潔感とか、そういう謎の感覚で、普通のファッション。
これって、クソゲーの無い、超絶難易度や妙味も無いゲームと同じじゃないだろうか。
綺麗な絵とか、普通に飽きるだろ。抽象画だよな、たいていはさあ。つまらないんだもん、清潔感。
つか、綺麗な絵どころか、量産型のハンコ絵並みのつまらなさなんだよ、清潔感ファッション。こんな白痴みたいなものに夢中になれる人本当にいるのだろうか?
ファッションは、マナーだろってのも分からないことも無いけどさ。
つまらなすぎるんだよ。とにかく。
今のクッソヌルイゲームしかない環境でゲーム楽しい、楽しいってやってるんだろうか。
不思議すぎるわ。
私はバイセクシュアルではっきりと性欲があるので、おそらくアセクシャルであろう元増田とは異なるが、
恋した相手は性別問わず皆ある程度親しい人間で、長時間の接触と感情の高まりがそのトリガーというのが
幾らか共通点があるので書いてみる。
自分が思う「恋愛」とは「この人を独占したい」という感情の執着で、そこに性欲が加わる。
この人のプライオリティが欲しい=自分をあらゆるものより優先して欲しいという醜い感情と、
そこに理性などはない。
恋の極まった状態というのは、本当に狂気に陥っているのだ。
夫婦などのパートナーに対する優しい情愛は、それとは全く異なる感情だ。
時間の経過と同時に推移していく場合も多いし、恋愛の狂気を通過せず、最初から情愛から始める関係もある。
恋の狂気は、おそらくあなたには理解できない境地のように思う。
けれど、そんな狂気に、公平だとか差別だとか言ってみてもどうしようもないとあなたは悟った方がいい。
異性愛者や同性愛者というのは、その制御不能の執着のトリガーが一定の性別(とされている)対象にしか反応しない人間たちのことだ。
だがよく考えて見れば、性欲の対象などは、食べ物は何が好きか、どんな音楽を心地よく感じるか、
どんな作家が好きか、そもそもそういったものが嫌いかなどと同じ、好悪がどちらに向くかの指向の問題に過ぎない。
そしてあなたも、彼らに単に「抽象画は好みじゃない」「カレーが嫌い」程度のことを言われたのだと理解すべきのように思う。
それはさておき。
何が好きで何が嫌いかなどという瑣末なことで同性愛者や両性愛者を差別する方がおかしいのだ。
同性を愛する人間に対する差別は、カレーが嫌いならそれでいいものを、
「カレー喰うやつマジキモい」とか「カレーを喰う奴は死ね」とか言ってくる状態なので全く許されない。
同様に、ゲイやレズビアンの「どうせ最後は異性を選んで日和るんでしょ」とか「本当はゲイやレズビアンなんでしょ」と言ってくる、
バイ差別も何とかして欲しいと思うけど。
元増田です。一応言っておきたいこととして、別に「リアルさ」を求めてる訳ではないです。
さっきと同じくイラストで例えると、デッサンがまともに出来ていて、人体の各部のバランスなどがまともに描けていてほしい。ただそれだけ。
むしろ、それさえ出来ていれば極端な話ラフ絵や棒人間でも問題ないくらいです。
うまく説明できないけど、自然←→不自然 と、写実的←→二次元的? というのは別の軸です。自分が気にしているのは、自然←→不自然 の軸だけです。リアルな歌い方の作品を比較的好むことが多いけど、それはたぶん、自然な歌い方の副産物でしかないと思ってます。
ちなみに一番げんなりするのは、いわゆるガチ曲なタイプの作品で歌い方が不自然なパターン。イラストでいうと、写実的に描こうとしてるけど顔のバランスが微妙におかしくて気持ち悪い感じになってる絵みたいな印象です。それならいっそのことピカソの抽象画みたいに写実性を捨てたほうがずっとマシ。(Perfumeばりに加工するみたいな)
まず、アルファツイッタラーって言うのはアルファブロガーと同じく「影響力のあるツイッタラー」っていう意味です。
Twitter上とか2ちゃんねるで言われるような意味なので津田大介とか、もとから影響力のある人がTwitterをやっているパターンは除きます。
有名所で言うと@d_v_osorezanとか@error403とかかな。クラスタが違うと全然変わってくるんだろうけど。
あとはヲチスレとかで名前が出るような人たちって事でいいんじゃないかな。面倒くさいし。
既に幾つかのアカウントを持っている人はそのまま使ってもいいけど、Twitterの環境をガラっと変えることになるので、それが嫌なら新しくアカウントを作ったほうが無難。
IDは
ってのを守ればぶっちゃけなんでも良い。
@d_v_osorezanとか@wasaraはローマ字読みでそのまま名前になるから覚えやすい。
逆に数字とかアンダーバーとかごっちゃになってパッと見で読めないのはやめたほうが良いと思う。
アイコンは抽象画みたいにアイコンサイズになったら何書いてあるのかパッと見で分からないの以外ならなんでも良い。
ただ、アニメアイコンにしたいなら、アニメのキャプチャじゃなくてpixivとかから目を引くようなの持ってきたほうが良い。
これはシンプルに短く纏まっていればなんでもいい。言っちゃえば空欄でもいい。
でも、スラッシュ区切りで好きな物とか列挙するのは完全にNG。あと自称変態も
とりあえず自分が気になるワードを検索して出てきた人を片っ端からフォローしましょう。
1000~2000くらいフォローしたらとりあえず終わり。
たぶん1000フォローする前に規制かかるし、一気にフォロー増やすとアカウント凍結されるから何回かに分けたほうがいいかも。
ネタに徹してもいいし、日常で起こったことを書いてもいいし、書評をしてもいいし、絵を上げてもいいし、写真を上げてもいい。
リプライは自分から送らなくてもいいけど、リプライが来たら好意的な態度で適当に返そう。
たぶん、よっぽどフォローする気にならないようなことを言ってなければ、フォロー数の3〜6割程度フォロー返しとかでフォロワー数が増えてるはず。
まずはその中からフォローが返ってきてない人をごっそりリムーブしよう。フォロー返しされてるかどうかは手動でもいいし、ツールを使ってもいい。
次は、スパム垢とか、どう考えても自分が興味無さそうな人とかをフォローされててもリムーブする。
一連のリムーブを行うとき、follower/followingが大きい人はリムーブせずに残しておこう。
あとは5〜6の流れを8以降もやりながらずっと繰り返す。
フォローしてる人が面白いことを呟いてたらリツイートしよう。非公式RTは嫌っている人も多いから慎重に。
他人の呟きをRTすることで義理とかお返しで自分の呟きもRTされる事が多くなる。
そうすると必然的に多くの人に自分の呟きを見られる機会が増えるので、アルファツイッタラーに近付く。
どういう界隈をフォローしてるかにもよるんだけど、他人のつぶやきをとりあえずふぁぼって媚びを売ろう。
ふぁぼられ慣れてない人だったらふぁぼられてる事に気づいたら嬉しそうにするし、ふぁぼられを気にする人には覚えてもらえる。
ふぁぼっていれば自分の呟きもお返しでふぁぼって貰えるになるので、ふぁぼったーとかfavostarとかに載る機会も増えるのでアルファツイッタラーに近付く。
8,9はなるべく面倒くさくてもなるべくやったほうがいい。リプライとは違ってボタンひとつ押すだけだし。
最初は1人とかでも、フォロワーが増えてくると構ってちゃんも増えてくるので、RTされたさに自分の名前を呟く人が増える。構ってちゃん氏ねって思いながらでもいいからRTしまくろう。
それを続けてると、
一人呟く→RTする→それを見た人が乗っかる→RTしまくる
っていう流れになって「○○TL」みたいになる。
そういう状態になったらもうアルファツイッタラーになったも同然
信者みたいなの作ってる人もいるけど僕はそういうのの作り方は分からないから割愛。
あとは自分語りをして自己承認欲求を満たしてもいいし、自分でやってる活動の宣伝をしてもいいし、アフィリエイトで小遣い稼ぎをしてもいい。
オフ会で交流範囲を広げてもいいし、適当な女の子と仲良くなって、DMやらSkypeやらでいちゃいちゃしてお互いの顔も知らないのに彼氏彼女になって、初めて顔を合わせたときにラブホに連れ込んで、あとで女の子のmixiとかで「すごい頼んでくるし、自分も好きだったから受け入れたけど、早漏だったしまじ無いわ」とか書かれてもいいし、ユニクロをダサく着こなして初対面の女の子の手を無理やり取ったりキスを迫ったりして女の子に晒されてもいい。
コイツはとってもイイヤツだ。上背があって手がデカい。グローブみたいな手だ。
だが、ナニは小さくて、メンソールライト見たいな味のスースーした包茎らしい。
グローブ見たいな手でシコるとチンポコがヒリヒリして痛いから内股でいつも歩いている。
普段からテンションが高いやつだが、ここ2、3日はおりからの計画停電の影響で学校も暗いから、気持ちだけでも明るくしようと頑張ってるけどその効果は大体豆電球大。可愛いやつだ。
円周率だって13桁覚えたし、好きな子(15人位いる)の誕生日だって覚えた。
どっちかと言うと、頭はいい方だ。
好かれる人だし、教師からは口の上では注意されているけど、本当は末端の教師からも人気の教師からも、どこかでいてくれて感謝されている。
面と向かってしゃべれない、前の席の白いブラウスから透けている青いブラジャーで抜いているよくあるシャイな高校生だ。
美沙子はそんなヒロシをちょっと気に入っている。美沙子は筋肉も発達しているが、天性が味方したスラリとした陸上部の女の子。
ヒロシからは気づかれていないが、基本的に大体ヒロシの顔かたちと性格の調和平均が、彼女のプロフィールに書かれた”好きなタイプ”であるジャニーズの2.5軍の子のそれに大体一致している。最近はジャニーズでもトーク力は重要だから、流行りのタイプとも言える。
いいネタにされて、性欲で湯気の出そうな思春期の男の子から好奇と精子の入り交じった目線を送られるに違いない。
美沙子は今年限りは陸上に打ち込むつもりだし「女子力」も少し上げたいと思っていて、まだ準備不足。
どうせヒロシは女子とそう近いうちに付き合うことはなさそうだからと踏んでいる。
折から地震で最近は学校が早く終ることも多い。そんな中、「お前らは早く帰ってもロクな事が無い」が口癖の眉毛の繋がった体育教師の”サクライ”の猛烈な校長へのプッシュもあって、奨励されていて、美沙子も毎日陸上に励んでいる。
余震も多くて、ガラスがビリビリいる教室で退屈な計算式を聞いているよりのがウザくてたまらないから美沙子はマユゲのサクライに少し感謝しながら、アシックスの蛍光色に塗られたトレーニングシューズに履き替える。
一歩走りだすと、もうそこは日常だ。走っていたら地震なんて関係ない。
美沙子は殆どの陸上に打ち込む人間と同様に、個人的な世界が好きだ。
都会では中々一人だけでいられる時間が殆ど無いから、行き帰りの電車の中、雑踏の中、狭い家での家族との会話、めんどくさい女子との会話。それら全てがとけてなくなる。
多分、一つ一つ吐く息が自分を包んで、点となって風景が周りを通り過ぎていく。
走る時間が長くなると、抽象画のように風景画ダラーっと目の前から原形をなくして、セロトニンとレセプターが反応してランナーズハイの時間が続いていく。
美沙子は美人で、多くの物を与えられているけれど気付いていない。同様に、ヒロシからの好意にも。
ヒロシはヒロシでとても適当な性格だが、美沙子も美沙子で適当で、大雑把だ。
部屋は物が無いから幸いにして難を免れているが、大体ご飯の食べ方もきたないし、服も適当に脱ぎ捨てて、親まかせ。
よく似たもの同士で、一人っ子。
大体、携帯をのアドレスを交換するには、それなりのきっかけや、もっともらしい理由付けがあるものだが、この2人は本当に適当な適当な。
ミクの声に違和感?とかなんとかって違うんだよな、人は人それぞれで声が違うもので、ミクの声の人との違いはその個人差の中に埋没すると思うんだよ。
だからあとは曲の問題だし、歌わせ方の問題だし、PVの問題だったりするわけだ。
ドラマやアニメの主題歌がたくさん売れるのは、そのOPやEDがPVの役目を果たしているからだと思うよ。
だからPVも重要で、ニコニコ動画、youtubeがない時代だったらミクがこんなに売れることはなかっただろうね。
萌え絵なんてものはお上手とかお下手ですねとかより、可愛いかどうかでしかなくて、その点ちょっと小奇麗な絵よりヘタクソなほうがかえってよかったりするわけで
たとえばさ、ピカソってめちゃくちゃ絵上手い人なんだよ。
あれ、上手いんだよ。
つまりさ、君が言ってる上手い下手っていうのは恐らくはより写実的かどうかということなんじゃないかな。
でも萌え絵ってさ、写実じゃないんだよ。現実にはいないんだから。
抽象画なんだから、より抽象的に可愛いを表現できれば写実的である必要性はないんだよ。
下手に見えるのにこっちの方がいいなーっていうのは、可愛いをちゃんと表現できてるってことなんだよね。
むしろ萌え絵としてはより完全に近いと言っていいと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090514003216
◆ ジャンルのとらえ方の違い
背景画・人物画・背景+人物画は別個のジャンルと考えるともやもやせずすみます
(※背景画が主役の絵は一般に風景画と呼びますが、
主さんが区別してらっしゃらないようですので、当方も特に区別しないものとします)
全部好きということもありえるでしょうが(おそらく絵を描く人の大半はそうかも)
全部好きでなければならない、ということはありません
また、見るときと描くときでジャンルが違う場合もあったり、厳密な区別は結構ややこしいものです
時とともに好みが変わったりなんて良くあること
描きたいと思ったものと実際にできあがったものには大きな隔たりがあったりします
作品だけ見て相手の意図を決めつけ、あまつさえ悪いように勘ぐってしまうことは精神衛生に良くありません
おおらかに作品を楽しめばいいと思います
◆ 人間関係の問題
絵そのものの問題ではなく、ご友人との関係を主に考えてみましょう
腕が無くて描けないのを「背景なんて!」と強がって見せているだけかもしれません
「実は背景も描いているけどヘタで恥ずかしい!」という理由で表に出していないだけ、とか
例えば「合作という手法が苦手」なだけなのにのらりくらりとかわしているうち
変な結論をぶち上げてしまった……ということがあるかもしれません
または、大穴で
あなたよりご友人の方が背景画がうまく、あなたに遠慮して表に出していない
という可能性もあります 低そうですが
人間いつでも本当のことだけを言うとは限りません
以上を踏まえて解答いたしますが
主さんは
絵とは、背景とは、人物とは、こうあらねばならない!と自分で決めつけて
それによって自分を不必要に悩ませているだけに見えます
同人に限らず絵全体でみれば、抽象画といったジャンルもあります
背景と人物、というのは絵を外から論じる上での便宜上の区切りでしかありません
その時々で様式、手法や創作姿勢などにおける主流があるものですが
全ての表現者がそうした主流を踏襲しなければならない
というわけではないと私自身は考えております
人それぞれの考え方があり、活動の仕方があり、それによってできあがる多種多様な作品があるわけです
お互いが違うからといって
相手を責めたり、自分を責めたりすることはないと思います
http://anond.hatelabo.jp/20081105135432
去年の8月に参加した2ch軍板でマルチカムと言う物を知り、その10月に中田商店で買って着始めた。
http://www.nakatashoten.com/us-military/a-600.html
これまで戦闘服は3着くらいと付き合ったことがあるけれど、自衛隊の戦闘服と比較して
・設計が先進的・合理的、ただ使い道の分からないポケットが多い
・コーディネイトが散漫にならない、小物一つ一つが必ず「闘う漢」を演出する
・値段が高い、超が付くほどベルクロが固い
といった点が目立つ。
見た目は水墨画かポロックやモンドリアンの抽象画のような芸術性があるのだけれど、要するに中身は男(オレ)だ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういう戦闘服を着て歩くのは楽で楽しいと分かってきた。
職質する警官との会話は深いテーマも軽いテーマも内容を伴って交わせる。
いろいろな装備品・階級章・徽章などを試そうとするなど好奇心が強い。
オレは自衛隊の制服も持っているというのに次世代米軍の戦闘服も揃えようと勉強していて向上心の強さがある。
反面、周囲の視線も論理的・合理的なのかな…と思いきや、
周囲の冷たい視線をコントロールできない自分に「おかしいな、普段はこんなはずじゃないのに///」と恥ずかしがる。
問題はどうやって知り合うかだけれど、戦場という戦闘モードの時に誘うのではなく、オフタイム(ミリタリーショップ)が狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的なスーツよりも付き合いは簡単かも。
だって普段サバゲでしているコーディネイトと同じでいいんだから。
任天堂の宮本茂やWiiに関するNew York Timesの記事。
http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html より拙訳。タイトル含め、所々意訳。
追記:原題の " Resistance Is Futile (抵抗は無意味だ) " はスタートレックに出てくる有名なフレーズだそうですね。これはそのままのほうがよかったかもしれません。教えてくれた人どうも
「任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ 〜 最強の55歳 〜」
宮本茂はゲーム界のウォルト・ディズニーと言っても決して言い過ぎではない。
ディズニーが1966年に亡くなったとき、宮本さんは14歳の少年だった。学校で教鞭を執っていた父の元、彼は日本の古都・京都で育った。当時漫画家を目指していた彼はディズニーのキャラクターに夢中になり、ひたすら絵を描いていたという。絵を描いていない暇なときは、自ら遊び道具を作った。祖父の工具を借りては木彫りの人形を作ったり、予備のモーターを見つけてはそれに糸とブリキの缶を組み合わせてカーレースをしたり。
かの有名なドンキーコング、そしてマリオやゼルダといったゲームを生み出し、最近ではWiiを世に送り出した宮本さんは世界で最も知られ、影響力のあるゲームクリエイターだ。世界中のゲーマーにとっても憧れの的である。しかし有名人になっても彼の仕事への態度は微塵も変わることはない。その姿勢はまるで謙虚な職人さんと言ったところだ。
ミッドタウン・マンハッタンのとある高層ホテルの特別室にてインタビューは執り行われた。彼は部屋に設置されたソファの一角に座っていた。今年で55歳になる男とは思えない天使のような笑顔の彼は、長年人々を楽しませてきた人が持つ独特のオーラを発していた。
宮本さんの生み出した数々の作品は世界中の人々に文化の壁を越えて受け入れられ、経済的な成功をもたらした。その成功はエンターテインメントの世界で比べるならば、ディズニーのあの伝説級の成功と肩を並べると言ってもいいほどだ。
そんな宮本さんがもし西洋の人間だったら、早々に会社を辞めて自ら会社を興していたかもしれない。きっと何千億もの大金を得られたに違いない。セレブになってエンターテインメント界の象徴としての地位を築いていたかもしれない。
しかし彼自身は任天堂の王様として人々の憧れの対象になったにも関わらず、妻と子二人という家庭のごく一般的なサラリーマンという印象を与える。ただ一般のサラリーマンと違うのは、創造力に満ち溢れて特別幸福な点だが。そのためタブロイド紙を賑わすセレブのようにマスコミの餌食になることもなく、比較的平凡な生活を送っているようだ。
インタビュー中、宮本さんをウォルト・ディズニーに例える話が出た際、宮本さんはディズニーの功績にはとても及ばないとした上で、こう補足した。「僕にとって大切なことは、僕だけでなく任天堂で活躍する人たちがもっと世間に認められて会社全体のブランドが今以上のものになることです。もし皆さんが任天堂ブランドをディズニーのそれと同等のものと見なしてくれるのならば、それは会社として大変光栄なことですし、私自身も嬉しいです」
宮本さんが30年近くも前に生み出したひげ面のイタリア人配管工・マリオは、ある調査によれば地球上最も有名な架空のキャラクターだそうだ。彼と肩を並べるのはミッキー・マウスぐらいだという。
宮本さんが生み出したゲームのうち、ドンキーコング・マリオ・ゼルダシリーズだけでも売上合計は3億5千万本はくだらないという。そして彼が生み出したのはゲームだけではない。任天堂のゲームばかりを買い求める熱狂的なファンも生み出した。全人類が今までゲームに消費した途方もない時間のうち、そのほとんどは宮本さんが関係しているのではないだろうか。ちなみに、今春に行われたTIME誌によるインターネット調査では、宮本さんは世界で最も影響力のある人物に選ばれている。
しかし宮本さんの最新の作品・Wiiに群がっているのはなにも古参のゲーマーだけではない。少し説明を加えよう。
ほんの18ヶ月ほど前、ビデオゲーム市場はマニアだけが喜ぶニッチな世界へと沈みかけていた。だがそんな折、この産業に大革命をもたらしたのが何を隠そう、任天堂社長の岩田聡とこの宮本茂(宮本さんの正確な役職は代表取締役専務兼情報開発本部長)だったのだ。彼らのアイデアはシンプルであるがゆえに革命的だった。ゲーム作りにおいて、コアゲーマーを刺激する次世代技術ばかりを追求するのではなく、家族で遊べることを重視し、複雑な操作の必要がない安価でお手軽な娯楽を追求しようとしたのだ。それがWiiの発売へと繋がる。そして特に従来のビデオゲームとは無縁だった女性層を呼び込むことに成功している。今のところ、Wiiは世界で2500万台以上を売り上げている。これはライバルのソニーやマイクロソフトを上回る数字だ。
この成功をさらに積み上げようと、先週任天堂は北米においてWii Fitを発売。従来のゲームでドライブしたり物を投げたりジャンプしたり銃で撃ったりという動作を楽しんできたのと同じ感覚で、テレビの前に立ってヨガなどを楽しめるゲームだ。今のところ明らかにできる具体的な売り上げデータはないが、既に売り切れの店舗が多数報告されているようだ。
世界中でアメリカのメディア文化が幅を利かせているが、ビデオゲームに関しては日本が最も成功している。そしてWiiとDSの成長により、任天堂は日本で最も価値のある企業のひとつとなった。また経済誌・Forbesによると、前経営者の山内溥氏が総額8000億円ほどで日本一の資産家となったと報じている。(任天堂は宮本さんの報酬を公開していないが、彼は資産家ランキングには参加していないと思われる)
「宮本さんがいなければ任天堂はただの花札屋に戻っていたかもしれない」 No.1ゲーム雑誌・Game Informer 編集長、Andy McNamara氏は任天堂の1889年創業当時からのビジネスに言及して指摘した。「彼はおそらく、ゲーム業界にいる99%の人間に影響を与えている。宮本さんと任天堂がいなければビデオゲームなんて存在しなかったに等しい。彼はすべてのゲームクリエイターの父の父なんだ。ゲーム業界に数々の遺産を築き、業界を象徴するキャラクターをたくさん生み出してきた。それでもおかしなことに、いまだに彼はWii Fitなどを通じて自らの限界を超えようとしている」
宮本さんは1975年に金沢美術工芸大学を卒業後、2年ほどして工業デザイナーとして任天堂に入社している。そして彼の作った初代ドンキーコングは、スペースインベーダーやアステロイド、パックマンとともに、当時急成長していたゲームビジネスの立役者となった。その後も初代マリオブラザーズによってアタリショックで疲弊していた家庭用ゲーム機市場を救い、1980年代以降、彼は社内で頭角を現し始め、任天堂と言えば宮本茂と言われるほどだった。
市場にクソゲーが氾濫し、アタリ社が失脚した際に登場したのが、かの有名なNES・Nintendo Entertainment Systemである。任天堂はNESによって人々の家庭用ゲーム機に対する熱を再び燃え上がらせることに成功した。西洋で1985年に発売されて以降、瞬く間に当時最も普及したゲーム機となったのだ。
それ以降宮本さんは、最近のマリオカートWii・スマブラX・スーパーマリオギャラクシー・トワイライトプリンセスなどといったヒット作も含め、70近くものゲームに直接携わってきた。下請けメーカーの作るゲームも監督し、今までにのべ400人ほどのゲーム開発者と関わってきた。
Wiiによってゲームには無関心だった層を魅了する一方、馴染みのタイトルの最新作においても宮本節は健在で、ゲーマーたちの信頼も厚い。
彼はなぜこれだけのヒット作を生み出せるのか。彼のゲームデザインに徹底して一貫しているものは、細部への気配りと拘りの積み重ねである。それだけだ。ディズニー社がしゃべる動物たちであそこまで会社を大きくできたのにちゃんとした理由があるだろうか。それと同じだ。青い作業着を着た風変わりなおじさんが人気者であることにも、これといった理由はないのだ。
あえて言うなれば、宮本さんがゲームの世界において生き神のように崇められる理由、ひいては私が20年以上前にスーパーマリオブラザーズを遊ぶためにピザレストランの行列に並んだ理由はこうだ。彼のゲームには、もうワンコイン投入してコンティニューすることを厭わない魅力があるからだ。現代風に言うと、もう一時間ソファに座っていたいという魅力だ。
また、映画評価が特殊効果の質で決まるわけではないのと同じように、ゲームの評価もまたそのグラフィックスだけで決まるわけではない。この基本を大概のゲームクリエイターは忘れてしまっている。しかし宮本さんはその基本を忘れることはない。それは映画マニアが例えば…そう、先日公開された「Iron Man」なんかよりも昔の白黒作品を好むように、宮本さんの初期の作品群もまた、今でも娯楽としての役割を充分果たし、広く楽しまれていることからもわかるであろう。
ディズニーの副社長で、Disney Interactive Studios社のゼネラルマネージャーを務めるGraham Hopper氏は電話インタビューを通じてこう言っている。「ビデオゲーム産業において幾度も成功を重ねて来た人物、しかもそれが世界規模で、となるとそんな人はほとんどいません。宮本さんはそのうちの一人です。しかも彼の場合、長期にわたり成功を重ね続けて来たわけです。同じレベルで肩を並べられるクリエイターはおそらく存在しないでしょう」
宮本さんの生み出すキャラクターがマリオとドンキーコングだけではなく、ピーチ姫やゼルダ、そしてクッパにリンクとゲーム界の有名キャラが目白押しであることを考えると、彼がキャラクター中心のゲーム作りをしていると思われるかもしれない。しかし実際はまったく逆だ。宮本さんによれば、ゲームのシステムや仕組みを考えるのがいつも先で、キャラクターはゲームデザイン全体を見て考えられ、配置される駒に過ぎないという。それは一見平凡で退屈に見えるゲームの基本要素に注力するということだ。ゲーム全体の流れや設定をどうするか、ゲーム内で達成すべき目標や克服すべき障害はなにか……。
「自分としては、私たちが作ったマリオやリンクなどのキャラクターを皆さんが好きになってくれるのは、ゲームそのものが楽しいからこそだと思います。ゲームに夢中になれるからこそ、結果的にゲーム同様、キャラクターも好きになっていくんだと思います」と宮本さんは語る。
宮本さんの最近の作品はマリオのキノコ王国やゼルダのハイラルのような風変わりな架空の設定や創作のキャラクターに頼らないものとなっている。彼のペットであるシェットランドシープドッグに触発されたNintendogs を始めとして、Wii SportsにWii Fit、そして次回作のWii Musicのようなゲームを見ればわかる通り、宮本さんはペット・ボーリング・ヨガ・フラフープ・音楽といったいわゆる"趣味"に根ざしたゲーム作りに惹かれているようだ。まるで抽象画を極めた画家が最後には写実主義に目覚めたかのように。
「ここ5年間で自分のゲーム作りの方向性は変わったのかもしれませんね。昔はもっと自分自身の想像力を使ってゲームの世界観を練り上げていったと思うのですが、ここ5年間は自分の私生活での興味を引っ張りだして、それを何かしらの遊びに繋げられないかなと考えるようになっていったと思います」
このイカれた配管工はなんで亀を何度も踏み続けてるの? この緑のナイスガイはなんで同じお姫様を何度も助けにいくの? そんな考えを微塵も起こさないほどゲームに無関心な人たちの目を向けさせることに任天堂は成功している。それは宮本さんのこれらの考え方が強力な武器となったことの証ではないだろうか。
そして強力な武器はもうひとつある。
さて、プレイヤーがゲームに直接参加したいと思ったときどうすればいいのだろうか。インターネットにはSNSのMySpaceがあるし、テレビにはオーディション番組のAmerican Idolがある。何を隠そう、それを実現してくれるのがWiiのMii機能だ。MiiはWiiユーザーが自由に作れる変幻自在のアバターだ。そう、最新の任天堂ゲームの主人公はマリオでもゼルダでもない。あなた自身なのだ。
「私はMiiに関してはマリオやゼルダと全く同じ任天堂の財産だと思っています」宮本さんはMiiに関してこう述べた。「Miiが面白い点は、子供であろうと大人であろうと、ひとたびゲーム画面のMiiを見てプレイし始めれば、もうその人はゲームに没頭できるんです。通常のキャラクターで遊んでいるときは、ゲームの世界から一歩下がって遊んでしまうことがありますが、自分のMiiを作成して遊べばゲームとの一体感はより増します」
任天堂は今夏にWii Musicの続報を発表すると期待されている。その基本コンセプトは、既に完成された楽曲を楽しむGuitar HeroやRock Bandとは大きく違い、作曲や即興演奏の楽しさを体験させてくれるものだという。
ところで、宮本さんは学生時代からBeatlesやLovin’ Spoonfulのような洋楽を聞いて育ったという。ピアノやカントリーギターも弾けるし、カントリー音楽マニアでもあるという。インタビューの後、宮本さんと会食の場を設けた際にこんなことがあった。その会食があったレストランのショーステージにカントリーミュージシャンのRicky Skaggsが数日後に上がる予定だと聞いた彼は、即座にその名前に反応し、半ば冗談ではあるが「滞在期間を延ばしたい」と苦悶の表情を浮かべたのだ。実際には予定通り彼は帰ったのだが。
そんな音楽好きの宮本さんが作るWii Musicに関して彼はこう言及してくれた。「遊ぶ人がまるで本当に作曲しているかのような体験が簡単にできるものをお届けしたいと思っています」
これだけ彼のゲームがヒット作ばかりだと、次回作がヒットするかどうか賭けをするのはさすがに馬鹿らしい。誰よりも"遊び"を知り尽くしているのはデジタル時代のウォルト・ディズニーこと宮本茂なのだから。
秋晴れが崩れかけつつある天気の下
駅から家へと歩いていると・・・。
後ろから凄まじい勢いで小学生が現れ、前方に立ちふさがった。
オレ 「・・・・?」
ガキA「ねぇ、ねぇ。」
オレ 「あ・・・?」
ガキA「この絵何に見える?」
広げ絵を見せてきた。
ガキA「何に見える?」
オレ 「えぇ〜」
何これ? これ絵? 抽象画って言ったらピカソもブチギレるだろ?
ってか全体的に茶色っ!? 色のバランス悪ぅっ!!
クレヨンの左側の色しか使ってねぇじゃん・・・。
ガキA「ねぇ、何に見える?」
何に見えるって言われても・・・。 正直ウ○コの化け物にしか・・。
ガキA「何に見える?」
オレ 「えっ・・・。じゃあ、マンモス??」
ガキB「すげぇ〜!!」
ガキC「○○君の絵やっぱマンモスに見えるんだぁ〜!!」
ガキA「でしょ?だから言ったじゃ〜ん!」
うわっ・・・。 正解した・・・。 ってかこれマンモスなんだ・・。
オレ凄いなぁ・・・。 テレビだったらハワイ旅行並みの難問だぞ?
そんなこんなを考えてるうちに
赤と黒のランドセルは嵐のように去って行った・・・。
はぁ・・・。ここまで正解のうれしさの無いクイズもねぇよなぁ・・。
と思いランドセルを遠目で見つめていると・・・。
オレ 「あっ。おっさん絡まれてる・・・。」
頭をハゲ散らかしたおっさんがさっきの小学生に同じ質問をされている
汗を拭くおっさん!
質問する小学生!
メガネを上げ下げするおっさん!
質問する小学生!
キョロキョロするおっさん!
質問する小学生!
脂ぎるおっさん!
質問する小学生!
すると、ついにおっさんが動いたっ!!
おやじ「*******」
あっ!おっさん何か答えたっ!!
ガキA「違ぇ〜よ!」
ガキB「マンモスだろっ!」
おやじ「あぁ・・・。そうですね。」
ガキ共「ぎゃはははははっ!」
おっさん間違えたーーーーーーーーーっ!
間違えるとあんな扱い受けるんだ・・・。
でも普通わかんねぇよな・・・。あの絵じゃ。
オレ正解できて良かったぁ・・・。
改めてクイズの怖さを知った1日でした。