はてなキーワード: 抽象化とは
こんなん「女性だから◯◯」のように属性で決めつけるな、「女性(やれるなら)なら誰でもいい」と道具のように考えるな程度の話じゃん
それが
「人として接しろ」なんてごまかさずに「近づくな」「死ね」ってはてブでもリアルでもはっきり言えよ。そんなに「いい人」でいたいかよ
になるんだぜ
これは普段友達だったのに「やれるかもチャンス」が訪れたら「急に」性欲を出すってことだ
この嫌悪感とは「いままでの言動はすべてこの時の性欲のためだったのか!?」だ
これが非モテ解釈になると「男はもともとペニスがはえてる」になる
「女性が恋愛対象外の男性から好意を伝えられたときに感じる嫌悪感」に変換して憤る
しかし恋愛になると「清潔感=イケメンだろ」って言い出すのが非モテ
最初は3Dということでなんとなく敬遠していたのだが、自称硬派アニメオタクたちが大絶賛していたようなので、最新話まで見てみた。
まだ8話の段階で評価するのは早すぎる、って言うのはごめん。それはその通りだと思う。
いや、もちろんつまらなくはない。
3~4話くらいまでの感情の変化は面白かった。曲も良いし3Dもめちゃくちゃ綺麗で新鮮だ。
あと、見せたいのはメンバー間の素直な感情のぶつかり合いなんだろうけど、単に俺がそういうアニメにそんなに惹かれない、ってのはあるかもしれない。
これがいちばん引っかかった。
・資金調達なども苦労してるように見えない。ライブやグッズ、衣装を当たり前のように用意しているようだが、その金はどこから?
・特に歌の能力に関する描写のない主人公、高校だけバンドやっていたというスバル、元有名バンドを脱退した桃香、あとなんか有名な6話から出てきた2人
のメンツで、事務所やマネージャーなども無しに、とんとん拍子に人気が出るようになっていくのかわからない。
→仮に「桃香のネームバリュー」と反論されるとしたら、「それ、アニメとして意義ある?」となる
→仮に「主人公の歌への感情のこもり方が心に響くから」と反論されるとしたら、もう少し抽象化すると「虐めや過干渉の被害者=歌で人を説得できる才能の持ち主」、という主張になってしまう。浅くても良いので、例えばせめて歌うことは昔から好きだった、とか納得のいく前提が欲しい。
→仮に「そこが見せたいところではないので省いている」「アイドルアニメなんてそんなもん」と反論されるとしたら、まあ理解はできる。でも、アイカツやラブライブみたいな明らかな2次元に閉じた作品ではなく、3Dかつ実在する要素を多数入れたリアリティっぽいアニメで、ダイヤモンドダストに勝ちたいというのが主人公と桃香の対立構造の中心にあるのであれば、(メンバー間でのいざこざはあれど)「あ、そこはリアリティ無しにとんとん拍子で上り詰めて行っちゃうんだ〜」とは違和感あった。
##主人公が、ルパと智に対してたった1〜2話で距離詰めすぎ。人見知り設定はどこに行った?
・すばるに対しては最初はかなり拗らせていてまるまる一話使ってその心情変化を描いていた。
・一方、後から出てきた2人は6話から出てきたのに、その人見知り設定が放ったらかしに。あれ?克服した描写あったっけ?
・挙げ句の果てに、なぜ古くからのバンドメンバー並みの距離感になっていて不自然。いくらなんでもそうなるか?というのが率直な感想。
##要所でのライン超えの行動
ミーム化を狙ってるのか知らないけど見ていてキツい行動がそこそこ出てきて恥ずかしくなる。
・2話か3話でライトを振り回してたけどちょっとドン引きした。
その「普通の男性と幸せになってね」という思想が本当にセコいんだよ。
自分の発言に責任を持っていない。相手の人生を勝手に生み出している。
相手にも人生の揺れ動き、感情の機微があるんだよ!にも関わらず、
相手を抽象化してオレがコクった→嫌悪されたと自己完結してる。
お前に対する最終出力が嫌悪(これもお前の主観、お前はキモがったり嫌って欲しいから些細な要素もそう認知を歪める)でも、今後相手は人間関係の度にお前のことを思い出すし、コクられてからは告白してきたお前が気になって悶々としてるよ。
お前は勝手に相手に理想を押し付けて、相手をわかろうとせず一人で勝手に結論を生み出して、相手に歩み寄らずオナニー止まりの言い捨てをする。相手のことを何も考えていない。
ちなみに「嫌悪」で返されたのも、お前が言い捨てオナニーしてるからだからな、相手に歩み寄った告白をしたら向こうもYESでもNOでも寄り添った回答を寄越すよ。
お前が相手に対するよくわかんない理想論を求めてるセコい姿勢だからフラれるんだよ。言うんだったら言い訳無くハッキリ言えよ。そういう姿勢の人生だからお前が言う「キモい」人間なんだよ。
今どき、「聾桟敷」は使われなくなっているし、「盲判」も微妙になってきている
これらはそういう障害を隠喩として抽象化し、物事をわかりやすく表現する技術だ
「産(生)みの苦しみ」という慣用句は、辞書に2つの意味が書かれている
そのまま文字通りの出産の苦しみの意味と、それを隠喩として何かを創造したり、
新しく何かを始める大変さの意味だ
ただし、「うまずして女か」は流石に言い過ぎだ
他の言葉を隠喩として使う以上、文字通りの意味も含んで受け取られるのは当然だ
まあ、「配慮が足りませんでした。すみませんでした」って謝れば済む話だけど
隠喩ではないが、俺は足が少し悪いから、旧世代には悪気なく「びっこ引いて大丈夫?」
とか言う人たちがいる
特殊な訓練を受けた6人の時空犯罪者たちが、任務のせいで入り込んでしまった死のループから抜け出すために、モノリス的な奴を使って時空航行装置をいい感じにアレしてたんですね。
そんでまあなんだかんだで時空の狭間で並行世界の時空航行装置まで辿り着いたから2つの航行装置の力を使って何かアレしようとしてる所で、「保管庫で時空凍結した別の仲間を見てきてくれ」って言われて見に行ったんですよ。
んでまあ冷凍睡眠装置を見たら、今回の任務が始まったばかりの姿で保管されている仲間(今までの旅の間に2人が消滅してる)の1人が無事であるのは見つかったんですけど、1人はそもそも冷凍睡眠装置にいないんですよね。
それを報告しに艦橋に戻ったら、2つの航行装置の間でソレをアレしてる影響によって世界が抽象化されていってなんか真っ白い宇宙に点と線がフワフワと浮いてるだけになって、まあインターステラーの最終局面みたいな空間に入っちゃったわけです。
んで、このあとどうしたら脱出できるのかな、そもそも今どんな状況なんだろうって考えてたら、世界がフリーズしたんですよ。
最初、時空同士をアレした結果として世界が止まったんだと思ったんですけど、ふと気づいたんですね「あっ、俺の脳がこの状況についてこっからどういう理屈をつければいいのか分からなくなったな」って。
ストーリーテラーとしての俺の脳が全然分かってない展開をSF映画やゲームのツギハギでなんとかやってたんですが、最後の最後に派手にSF考証ぶっこんでそれっぽく最後の時空跳躍かます直前に、「そもそもどういう理屈で跳躍させればよくてそのためには主人公たちがどういう操作をすべきで世界はどういう風景になるのか」ってことが分からなくて夢が処理落ちしたわけです。
途中まで結構ソレっぽく頑張ってたのに、なんかもう完全に萎えて起きちゃいましたよ。
どうしようもないなら割り切って心象風景みたいな所で赤ん坊の泣き声でも流しておけばよかったんちゃうかと思ってしまうわけですが、それをやらずに最後まで頑張ろうとした俺の無意識の姿勢も否定しがたくはありますね。
夢ってたまにこういうことありません?
前回どういう感じだったのか言えって言われても覚えてないんですけど、たまにこういうのあるなあって感覚だけは残ってるんですよ。
数えることを学ぶときに無限に遭遇し、永遠に数え続けることができることに気づきます。
それほど独創的な観察ではないですが、いつでも1を足してさらに大きな数を得ることができるため、数えることに終わりがないことが、無限の重要な性質です。
無限にはさまざまな種類があるため、それほど単純ではありません。 1、2、3 などの自然数の量は「可算無限」と呼ばれる最も単純な種類の無限にすぎません。
正式には、自然数から他の集合への1対1の写像(注: 勝間さんではありません)がある場合、この集合は自然数と同様に無限であることを意味し、同じ種類の無限です。
実数の場合、その写像が存在しないので、より大きな無限となります。
さて、無限に演算を定義するとどうなるでしょうか。無限大に1を加えても無限大になります。自然数のある数を無限大で割るとゼロになります。
つまり無限大に1を加算すると、結果は同じ種類の無限大になることを意味します。
これらの関係を方程式として記述する場合には問題が起こってしまうことがよく知られます。
無限大を無限大で割ったり、無限大にゼロを乗算したりする場合はさらに意味不明になります。
実際には数学者は無限に対処する方法をよく知っています。ただ注意しなければならないのは、その無限がどこから来たのかを追跡することです。
たとえばxが無限大になると無限大になるx squareのような関数があるとします。
無限大がどこから来るのかがわかっていれば、もう一方から1を引くこともできます。
たとえば、1/イプシロン、1/イプシロン二乗、イプシロンの対数などの用語がある場合があります。
しかし2つの項が同じ無限大であり、イプシロンの同じ関数であることがわかっている場合は、数値と同様に加算または減算できます。
物理学では通常、これを行う目的は計算の最後にそれらがすべて互いに打ち消し合い、すべてが理にかなっていることを示すことです。
したがって数学的には無限は興味深いですが問題はありません。数学に関して言えば、無限をうまく処理する方法を知っています。
数学的な意味で存在します。つまりその特性を分析してそれについて話すことができるという意味です。
科学的には、観察を説明する必要がある場合にのみ、自然理論の要素が「存在する」と言えるからです。
そして無限を測定することができないので、観察するものを記述するために実際には無限を必要としません。
無限大は測定できないという問題は、ゼロの問題と密接に関係しています。
たとえば、点の数学的抽象化を考えてみましょう。物理学者は点粒子を扱うときに常にこれを使用します。点のサイズはゼロです。
しかし、実際にサイズがゼロであることを示すには、無限に正確に測定する必要があります。
したがって、測定精度が許容するものよりも小さいことしか示せません。
宇宙や時空のような一見無害なものであっても。空間の数学を書き留めた瞬間、そこにはギャップがないと想定します。
無限に多くの無限の小さな点で構成された完全に滑らかな連続体であると仮定します。
数学的にはこれは扱いやすいため便利な仮定です。そしてそれはうまく機能しているようです。
それがほとんどの物理学者があまり心配していない理由です。彼らは無限を有用な数学的ツールとして使用しているだけです。
おそらく物理学で無限とゼロを使用すると間違いが生じるのは、これらの仮定が科学的に正当化されていないためです。
そしてこれは、宇宙や量子力学の理解に役割を果たす可能性があります。
ジョージ エリス、ティム パーマー、ニコラス ギシンなどの一部の物理学者が、無限を使用せずに物理学を定式化する必要があると主張したのはこのためです。
24.3.18
体調の最悪期が続いていて、そうなると言葉も出てこなくなるので本当にどうにかしないといけないが、立ちあがろうとすると何かしら厄介事が降り注いできて、自分を甘やかしたくなってまた不健康にというループ。彼女とは「いいね」でなんとなく繋がっている感を味わっているが、俺が週末旅行していたことを知られていないように、俺のアップしたものは念入りに見られているわけでもなく、礼節の範囲内でのいいねであり、ただそれが単純に嬉しいという微笑ましさ、いや気持ち悪さか。自分が今あらゆるものに興味を持続させられないように、他者も俺に興味などないのだという当たり前の思考ができないバランスの悪さはおそらく生まれ付きで、唯我独尊を唱えながら弟子もいない悟りもしない釈迦。悟れないというのはつまり執着を捨てられていないということだが、問題は俺が何に執着しているか自分でわかっていないところで、叶えようも捨てようもない極度に抽象化した希望だけが耳元から首の後ろをフワフワと周回していて落ち着くことがない。それがなくなった時に訪れるのが自由か悟りか諦めか死なのか、希望を弄んできたようでいて弄ばれながら夜に沈んでいる
なんかさぁ
みんな当たり前のように使ってるけどよく考えたらハートマークって「心臓」だよな!!
いやラヴっぽい感じで胸が苦しいとかみたいな形容することはあるにせよさぁ
そっから臓器の記号、しかも取り出したばかりのfleshな感じのモノを用いるって考えようによっては振り切れてるよな?
「心」←これも本質的には同じっちゃ同じだけどわりと抽象化できてるというかギリギリ形を意識しないでいい感じにまとまってるやん?
♡だとやっぱよりそのものの形に近いんよ。赤色に塗ったりしてさらに臓器感出るし
昔の人たちが心が胸じゃなくて脳にあるって感じになった世の中だったらみんな「🧠キュン」とかやってそうでそっちもなかなかやな