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はてなキーワード: 抵触とは

2024-04-28

孤独感人肌寂しさが消える薬と性欲が消える薬の実用化はまだなのかな?

重い副作用や麻取法に抵触するとか壁は高いんだろうけど弱者男性救済ってこの手しかないよね

特に恋愛風俗無理ゲーなのに性欲はいっちょ前のアスペ君たちを救済してあげてほしい

anond:20240427031516 「0歳児から投票権」はドイツでどのように議論されているのか? の補足

 ブックマークコメントを読んで再び考えたことがあった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240427031516

gryphon 面白く読んだが2点。「…付託されたが、その後本格的な審査…ない」は議会が駆引と日程で動く以上あり得る話で「付託」時点で一定水準の議論推定可能か/米上院(各州2議席)等「平等選挙原則」は前提にせずとも可

 平等選挙原則の話はあとに回す。議会駆け引きと日程で動くのであれば、付託政治的取引の結果と解することもできるような気がするというのはともかくとして、確かに議会駆け引きの結果たなざらしにされているという可能性はある。そこで、先の2008年提案をもう少し細かく読んで見た。

https://dserver.bundestag.de/btd/16/098/1609868.pdf

 よく読むと、この提案は、基本法や関連法規改正連邦政府に促すべきだという「決議」の提案であり、基本法改正の条文を並び立てる案ではない。条文も具体的な制度設計も伴わない提案一定水準の議論と言って良いのか。だから賛否も問われずにたなざらしにされたのではないだろうか。以下の文章以外は、提案理由(いわゆる「世代正義」の実現が主のようだ)が長々述べられているに過ぎない。

II. Der Deutsche Bundestag fordert die Bundesregierung auf, einen Gesetzentwurf zur Einführung eines Wahlrechts von Geburt an durch Än- derung des Artikels 38 des Grundgesetzes und erforderliche weitere gesetzliche Änderungen, insbesondere im Bundeswahlgesetz, vorzulegen. Für den Fall, dass die Eltern sich in der Ausübung ihrer Stellvertreterposition in Bezug auf das Kindeswahlrecht nicht einigen können, wird die Bundesregierung aufgefor- dert, eine einfache und beide Eltern möglichst gleichberechtigende Regelung zu schaffen.

連邦議会は、連邦政府に対して、基本法第38条と他の必要法律改正特に連邦選挙法の改正を通じて出生時から選挙権を導入する法案を提出するよう求める。両親が子の選挙権についての代理行使[の方法]について一致できない場合のために、連邦政府には、簡単かつ両親双方に可能な限り同権的な規則作成することを求める。

 ちなみに、Wikipediaドイツ語版(https://de.wikipedia.org/wiki/Familienwahlrecht)を見て知ったのだが、2003年にもほぼ同じ提案がされている(https://dserver.bundestag.de/btd/15/015/1501544.pdf)。

 こうして経緯を調べてみると、議会妥協ゆえにたなざらしにされているというよりも、5年経って具体的な案も詰められなかったというのが現実であるように思われる。

kappa9 結果はともあれ海外で真面目に議論されたというのは本当の話では。

 「国会で」とか「政府で」という枠を外して学界に目を転じると、確かにドイツ人らしく(?)真面目に議論されているみたいだ。前回の調査局の報告書には、数は少ないながらこの問題を直接的に取り扱った論文がいくつか引用されていた。彼らが議論しているのは基本法の定める民主国家原理に反するのか、それを促進できるのかという点である問題は、そうした真面目な議論をきちんと踏まえた上でドイツ人ができなかった(ように見える)平等選挙原則に反しない提案を考案するどころか、子が3人だから私は4票(吉村氏)などと賛成派のドイツ人も避けようとしている発言をしてしまっていることだ。

 さて、平等選挙の話に戻る。アメリカ上院人口にかかわらず一州に2議席であるしかし、このような例があるから平等選挙は必ずしも民主主義の前提ではないというのに私は強い疑問がある。

 第一に、合衆国憲法上院議席分配については、アメリカ連邦特有のものであるアメリカのような連邦制をとらない日本でこの例を出すことは不適切だろう。

 第二に、アメリカ上院議席分配が不平等であることは、当のアメリカ人も不満を持っている。たとえば有名な政治学者ロバートダールの『アメリカ憲法民主的か』(邦訳岩波書店からある)は、上院議員が人口に比例していない「顕著な不平等代表であると述べる(邦訳58頁以下)。この仕組みは合衆国憲法制定時に諸州の妥協(いわゆるコネティカット妥協)で作られたわけであるが、そもそも合衆国憲法民主主義大事にされる時代に制定されたわけではないというのが時代背景としてある。合衆国憲法が制定された時代には、不平等選挙制度普通に見られた。ダールは一例として、19世紀存在した悪名高いプロイセンの三級選挙法を引き合いに出している。三級選挙法は、平等選挙を求める激しい非難を浴びながらもしぶとく生き残っていたが、第一次大戦の敗北と共に消え去ったのである選挙権は与えるが露骨ユンカー資本家の票を優遇するこの仕組みは極めて有名であり、今でも平等選挙の反対概念である差等選挙の一例として三級選挙法はよく言及される。今さら民主主義大事にされていたわけではない時代にできた妥協として生き残っているものを引き合いに出すのは、民主主義者の行動としてはおかしものだと思う。ちなみに、ドイツ連邦参議院(上院)は、ある程度の人口比例的に各州に議席が割り振られることになっている(また、そもそも連邦参議院はアメリカ上院ほどの権限はない)。

 ケルゼンも言っているが、民主主義は人々の平等をもって本旨とする(古代ギリシア民主政も突き詰めれば平等に行き着くだろう。民主政を表すもう一つの言葉はイソノミア(平等の法)である)。選挙権の平等民主主義と切っても切れないのであり、ドイツ人平等選挙に反しないように「代理」と言っているのは、ドイツ基本法憲法20条に抵触するのを避けるためだけではないだろう。もし平等選挙理念を取っ払うのだとすれば、金持ちが結託して再び三級選挙法のような仕組みを導入されても文句は言えない。むしろ今般の眠たい提案よりも金持ちを守るための露骨提案の方が議会を通りやすいだろう。平等選挙を引っ込めてはならない。

 選挙権の平等に歪みを加えるような制度改正をしても、政治的影響力を増すのは「代理」する大人であり、子どもではないという現実を見るべきだ。若年者の「世代平等」とやらを図りたいのであれば、方法は一つである。「代理」などという回りくどいことなどせず、選挙権の年齢を下げることだ。16歳、(オーストリア検討されている)14歳、あるいはその下でもいいが、子ども投票意思表示をすることができるギリギリまで下げてみることを提案されたい(ちなみに私は、14歳くらいまでなら割とすぐにでも引き下げて良いのではないかと思う)。

(ついでに)

 意思表示能力がない子ども排除されるのになぜ意思表示能力のない人(たとえば重度な認知症の老人)が選挙から排除されないのかという疑問を持つ人もいるらしい。理論的にいえば、確かに意思表示能力のない人は選挙、つまり国家意思形成参与する資格はない(実は理論的にいえば子どもか老人かは選挙権の決定に直接関係するわけではない)。そうすると、なぜ2013年の法改正成年後見人の選挙権が回復されたかという疑問がわきそうだが、後見あくま財産管理上の能力があるか否かの問題であり、政治的意思表示能力があるかとは厳密にいえば関係ない※。要は、現状、意思表示能力のない大人選挙から排除する仕組みはないと考えなければならない(もっとも、実際には政治的意思表示が一切できないなら投票所に来られまいし、投票所に来ても何もできないだろうが)。

 憲法が成年(ここでいう成年とは民法上の成年をいう)に選挙権を保障するのは、成年であれば政治的意思表示能力があるだろうという線引きを採用しているかである。こうした年齢によって能力の有無の線引きにするのは、一見すると確かに問題がある。子どもでも賢い子はいるし、大人でも愚鈍な人はいる。思考実験としては、年齢にかかわらずすべて政治的意思表示能力がある人をテストで判定し、テスト合格した人にみに選挙権を与えるということも考えられる。ただ、どのような方法テストを組めば公正に政治的意思表示能力があると見なせるかという問題が生じる。このようなテストを実際に恣意的活用して実質的黒人投票権を奪っていたのがかつてのアメリカ南部諸州であったことを忘れてはならない。

 結局、年齢によって形式的に線引きする方が、ヨリ問題はすくないように思う(年齢よりも問題を起こしにくい線引きの方法があったら教えてくれ)。あとはどこまで下げられるかを真剣に考えることだ。

 なお、日本憲法15条3項は、成年者には選挙権を与えなければならないとだけ言っており(公務員選挙については、成年者による普通選挙保障する)、未成年者に選挙権を与えることを禁じていない。これは、ドイツ基本法38条2項が、「満18歳の者は、選挙権を有する」と定めていることと対照的である。年齢の引き下げなら日本では憲法改正など必要なくすぐさまやれることなのに、わざわざ憲法改正どころか民主主義根本原理を改変するような提案をしてくるのは、何かおかしな底意があるのだろう。

※これは思いつきだが、禁治産者選挙から排除されていたのは、財産を持つ有徳の者にだけ選挙権は与えられるべきであるという制限選挙時代のBesitz und Bildungの観念に由来するのかな。いずれ調べてみたい。

2024-04-27

「0歳児から投票権」はドイツでどのように議論されているのか?

 維新の会共同代表吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」(未成年の子投票は親が代理して行う)を提案し、維新マニフェストに加えたいという意向だという。

https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html

 これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートリツイート(リポスト?)していた。

吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベル心配になる

海外議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本SNS界隈の反応はそのレベルに達してない

吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが

それを「頭がおかしい」はさすがに乱暴すぎでは

https://twitter.com/Barrettm95sp/status/1783579344503529489

 ドイツ連邦議会議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。音喜多氏もこれを自分議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。

 第一に、このPDFドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。たとえば日本国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会議論されたことになるのだろうか。

 第二に、調査局の報告書タイトル:生まれた時から選挙権[構想]の諸問題)という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではないことに驚いた。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典日本憲法のような)にあたる法である

要約すると、

・親に子どもの数分の選挙権付与するモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙原則に反するし、平等原則原則20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法憲法改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)

・一方子の選挙権を親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察必要になる。(同)

基本法38条2項(選挙権年齢)の改正必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれ平等選挙原則にこのようなモデルが適合するか否かである

・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身投票権行使と子の投票権行使区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度普通選挙原則選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)

・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的であるそもそも代理投票という仕組み自体子ども成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権一身専属的な権利であり、国家意思形成責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11

 ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能自治体」があるからかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由提案の原点なのではない。また、少なくとも表向きは、少子化対策のために子持ちの票を増やそうという理由でもない(その理由馬鹿らしさはこれでも読めば良いhttps://mond.how/ja/topics/v35a8jk8lwp89el/jw3f2o4dj0z9fo4)。あくまでも普通選挙の拡大に資するというのが理由である。より民主的政治制度への変更を試みようという提案(として自らを位置付けている)というわけだ。ただ、民主主義平等選挙原則も同様に要請するからドイツ人がやっているように、平等選挙原則と両立するかを考えなければならない。

 平等選挙原則に反しないというためには、親自身投票と子の投票を厳密に区別する必要がある。それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツ連邦議会調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツ議論は話の枕に使われているだけで、ドイツ議論を真面目に受け止めて、そのような制度可能なのかを考察する者はあまりいなさそうだ。私個人意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票秘密を守ろうとすると、親の投票意向コントロールすることはできない。それでは子から投票付託されたという代理人という建前が崩れる。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つの母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。

 そもそも、ここから分かるように一口子どもといっても投票可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから投票可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権議論されていると聞いた覚えがある。このような議論真剣考慮に値すると思う。

 繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツ議論を踏まえて、この制度賛同者は、この制度平等選挙原則に反しないようになる制度可能性こそを真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、もう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、そもそも平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義コミットしていないと思われても仕方がない。上記議論では、平等選挙原則基本法(=憲法改正によっても曲げることは許されないと言われている(※※)。

興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会HP確認する限り、提案委員会付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。つまり、賛成・反対の議決もなく、本格的な議論もされずに一蹴された話だということだ。

https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939

※※

これはドイツ基本法79条3項の規定故ではあるが、憲法改正限界という純法律的論点を脇に措いたとしても選挙権平等を真面目に考えないことが民主主義であることを疑わせるのは変わりはない。なお、日本憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差問題にされることはない)が、平等選挙原則排除憲法改正限界に引っかかる理論可能性はあるだろう。

追記

 それにしても、吉村氏に関しては、自身が子の分も含めて4票あるというから、「代理モデルの利点である平等選挙原則との抵触回避の利点をわざわざ捨てているように思う。利点を捨てるような発言自分からしていくあたり、本当にただの思いつきなのだろう。ドイツ人の議論を持ち出しながら(これをやったのは音喜多氏だが)、ドイツ人が回避しようとしていたことをやってしまうのは無様だ。「消滅可能自治体」に引っかけた話題作りという以上の意味はないのだろうが、話題作りのために民主主義根本原理に手を触れるのはどうかしている。それが弁護士のすることだろうか。

(再追記

 多重投稿状態になっていたものを削除しました。

(再々追記

 ブックマークコメントに触発されてさらに考えてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20240428001438

2024-04-20

サエボウなる生き物のトンチキカスな♂dis言動がだめで

蓮實重彦なる生き物の

近親相姦出来ないのはクソすぎんだろ(概意。具体的には「娘がいて犯さないのはベンツ持ってて乗らないようなもん」だったかな?)」

が許されて日本最高学府総統にまで上り詰めてるこの差ってなんなんだろうなって

性差? だけではないよね?

ピンズドの犯罪抵触してるガチコンの偏見蓮實重彦の方だと俺は考えるが

2024-04-19

負のネットミーム


負のネットミームとは、インターネット・ミームの中でも皮肉的に使われているものや、蔑称として使われているなどの負の要素、闇を持たせたネットミームである

概要

インターネット・ミームのものユーモアにあふれたもので広まりを見せることが多いものの、その一部は不謹慎ものだったり、或いは反面教師的な教訓として広まっているのも少なくない。

また対象ミームは当初そうした要素はなかったのにユーザによってその要素が強くなったり、或いは逆転して弱まってインターネットやめろな一般人間でも使用されてしまうケースもある。

 

この増田は以下のような要件を1つでも満たすものであれば負のネットミームと呼ばれるであろうとしている。 もちろん複数満たせば満たすほど負のネットミームと認められるとされている。

不謹慎

日本インターネットがまだ2ちゃんねるも無かった頃の不謹慎ゲームはまさにオウム祭りだった。 しかし「オウム真理教」のやったことは調べたらすぐに分かるほどで、現在も「ハセカラ」に関係する「恒心教」でそのネタ継続的に使われている。

そうでなくとも9.113.11不謹慎ゲームは作られるし、それに乗じたインターネットミームも非常に多く存在する。

蔑称

いわゆる「チー牛」や「弱者男性」などのようにインターネット上に生み出されて蔑称的に現在も使われているものもそれにあたる。

バキバキ童貞」のぐんぴぃもその一人であり、自身チャンネルネットミーム総選挙をした動画で「チー牛はチー牛に投票しないので上位に行かない」という鋭すぎる「ちくちく言葉」を共演者がぶっ刺している。

皮肉

元々「もうだめぽ」が生まれ理由Winny利用者逮捕直前の「カキコ」(「死語」)から来たものだったが、そうした犯罪などの話も全て薄れた状態で広まりそのまま死語となっている。 加工・選択されて継承されるのは、遺伝子だけでなくミーム例外ではない。

また政治的な話は皮肉の要素も含まれており、「自己防衛おじさん」や「上級国民」などの「日本死ね」系のミームも負のネットミームと言えるだろう。

更に「江ノ電自転車ニキ」のようにその人自身が罪を犯したわけではないのに負のネットミームとなってしまったおもちゃも数多く存在している。(ただしニキが車両に近いという指摘もあり、それが賛否両論を加速させている事実も忘れてはならない)

その他

これ以外にも犯罪迷惑行為、驚くべき愚行も含まれている。

負のネットミーム一覧

匿名ダイアリーでは、「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」という特殊ルールを設けています。また、サービス匿名性は、特定対象攻撃する目的に使われるべきでないと考えています

このため負のネットミームを一覧で表示した場合、このルール抵触する可能性が高いため、一覧ページについてはあなた方ご自身作成してください。 「できるよね?」

2024-04-13

ホロコースト否定論Amazonレビュー禁止増田

https://anond.hatelabo.jp/20240411140010

上記増田追記で、私(id:hazlitt)のブコメに反応されたようなのでお返事を書いておく。(記載されたはてなブログによると増田id:hotelsekininsya

追記

hazlitt 翻訳と称して他人記事転載してる note記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません

 

とありますが、もちろん著作権上の問題認識しております著作物勝手翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます

が、翻訳公開しているもの無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報限定しており、Google翻訳等の自動翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています

もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスダメなのではないのでしょうか?

日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースからいいのでは?と返されています

別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります

リンクは示しているのですから引用したいのであればそちらを利用して自分翻訳するのが当然だと思いますが。

 

要は。

日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。

それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。



貴殿の考え方には賛同できかねます

→ 誰でもタダで読めることは勝手翻訳配信していい根拠にはなりませんよね。インターネット上にはたくさんの無料公開されているコンテンツがありますが、誰でも好き勝手翻訳公開してもいいんですか?

機械翻訳サービス提供することと翻訳したコンテンツ配信することは、コピー機を置くこととコピー本を配布することくらいの違いがあります貴殿の主張は「図書館に行けば誰でもタダで閲覧できる本を備えつけのコピー機で複製して配布することは問題ない」と言っているのと同じです。

→ たとえば米国におけるフェアユースでは通常「著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性」という要素が勘案されます貴殿掲載している「翻訳」は本当にフェアユースに該当しますか?

→ 「単なる情報提供」のために事細かな翻訳必要ですか? たとえば議論必要な部分の要約や抜粋ではダメですか?

当方曲解かもしれませんが、善意ボランティアから多少は他者権利侵害してもよい、という態度は危険だと思いませんか? それから、 誰がどう「利用」するかとは関係なく、翻訳提供することにはそれ自体価値があります。その価値提供する対価は、通常であれば翻訳に関する契約などを介して原著者や翻訳者に還元されるものです。貴殿ボランティア無料翻訳を公開することは、本当にその還元されるべき対価を損なっていない(将来もその可能性がない)といえますか?

→ 許諾を得てないなら、たとえば全文そのままの転載ではなく要約にすればいいだけです。その方がよほど日本語読者には有益なのではないでしょうか。

当方が思いつく解決(?)の方法


蛇足ですが、世の中の研究者や記者やその他の文筆家は言論プラットフォーム毀損しないためにいろいろルールを守りながらやっています匿名だろうがボランティアだろうが、ネット上に何かを書くことは立派な言論活動ですので、「勝手翻訳ダメならネットから去って絶望する」などという認識ちょっと安易に過ぎる気がしなくもないです。(なお「ネットから去る」場合権利侵害の疑いのあるコンテンツをきちんと削除してからにしてください。そうでないと未来永劫、有害コンテンツとして残ってしまますので)

2024-04-11

Amazonレビュー禁止にされた原因のレビュー対象とは。

anond:20240410001303

追記じゃなくて、投稿を分けて仕舞えばいいかなと思ったので、こちらで解説します。

letitbomb78 増田レビューは削除されており、それらしいレビューがあるかを目印にできないとなると、ヒントとして成立するのは「デマである」「欧米Amazonでは発禁」のみだと思うが、この2つで辿りつける人がいるのか?

vbcom 嘘松やろな。欧米とひとまとめにしてるし。

 

ブコメがついています

例えば、2021年こんな記事があります

Amazon removes 92 books promoting Holocaust denial - The Jewish Chronicle

アマゾンは、ホロコースト記念日を前にユダヤ人団体から賞賛を浴び、ショア(ホロコースト否定助長する92冊の書籍を削除した。

アマゾンは近年、この問題に対する世論圧力の高まりに直面していた。アマゾン現在17カ国にまたがる数多くの書籍と850以上のハイパーリンクを削除している。

いわゆる「ホロコースト否定(Holocaust Denial)」です。

上のブコメの人が、ヒントを出してあっても気付かないほど、日本ではほとんど話題に上らない分野です。

 

ホロコースト否定日本話題になったのは、おそらく今まででたったの2回程度です。

一度目は、西岡昌紀という神経内科医が、1995年1月に、文芸春秋社若者向け月刊誌だった『マルコポーロ』にホロコースト否定記事を書いてちょっとした騒ぎになったことがありました。

その記事のせいで、売れ行きのよかったその月刊誌は速攻で廃刊になってしまいました。

二度目は、2015年10月に、高須クリニック高須院長が「南京アウシュヴィッツ捏造だと思う」とツイートして炎上して話題になったのを記憶している方もいるかと思います

高須院長が〈アウシュビッツは捏造〉ツイートに抗議受け酷い反論! ご意見番扱いするメディアはなぜこの問題を報じないのか|LITERA/リテラ

 

しかし、欧米では1970年代からだと思いますが、何度も問題になっていました。細かい話を入れると1950年代からと言ってもいいかもしれません。

欧米ではベストセラー歴史家として人気のあった、『ヒトラー戦争』などを著したデヴィッド・アーヴィングが、自身を「ホロコースト否定者」だと、歴史学者デボラリップシュタットにレッテルを貼られて名誉毀損で訴えた事件は、『否定と肯定』なる変な邦題がつけられた映画でも有名です。

 

欧州では20カ国弱で、ホロコースト否定の主張を公に行うことは法律規制されています

米国では憲法修正第1条で言論の自由が厳格に認められているため、規制はされていませんが、米国AmazonFacebookTwitter(現X)、GoogleYouTube)等の大手ネット企業世界企業のためか、ホロコースト否定原則的違反行為として規制しているのです。

フェイスブック、ホロコースト否定の投稿を禁止 - BBCニュース

ユーチューブ、ホロコースト否定動画など削除 | ロイター

 

さて、ここからはいきなり私的な話になりますが、どうして私がホロコースト否定に対して異常に反感を持ち始めたかというと、2019年頃だったかと思いますが、たまたまNetflixAmazonプライムなどで配信されていたホロコースト関連の映画に少しだけハマったからです。

そこからどういう経緯を経たかは覚えていませんが、日本でもホロコースト否定の主張をネットで行う人がそこそこいることが見えてきたのです。

おそらく一番反感を覚えたのは、YouTubeにある『ホロコースト論争』なる動画チャンネル動画です。多分、「ホロコースト」関連の動画を見ているうちにおすすめに出てきたからだと思います

私自身は、その詳細な内容は分からなくとも、いわゆる歴史修正主義者(ホロコースト否定派)たちがネット上で嘘(=誤り)ばっかり言っているのを朧げには知っていたので、「なぜそんなにデマを広めるのか?」と憤ったのです。

しかし、その時にもっと驚いた(というか呆れた)のは、その動画コメント欄ではその大半が主張の賛同者で占められていたことでした。

 

それで、Yahoo!知恵袋に「どうしてホロコースト否定しようと思うのか?」みたいな質問をしたりしていたら、何人ものホロコースト否定論者が当時知恵袋に巣食っていたことも知りました。

それら否定論者は、どこで知ったのか、とんでもなく細かい論点を事細かに幾つも示して、「証拠も全くない上に、これだけたくさんの疑問があるのだからホロコーストなど嘘である」と主張していました。

直感的に、それらの細かい論点は全部出鱈目なのだろうとは思ったものの、あまりに細かい話ばかりで、当時無知だった私には具体的な反論ほとんど不可能でした。それは、『ホロコースト論争』の動画に対しても同様でした。全然知らない話ばかりなので、どうしようもありません。

 

こうして私の孤独な戦いはスタートしたのです。

しかし、日本語で細かくホロコースト否定反論したサイトほとんど存在せず、ホロコースト歴史自体をざっくり学ぶのは容易ではあるものの、否定議論のような細部の話には打つ手がなかなか見つかりません。

ただし、日本ネットでのそれらホロコースト否定派が使っている情報自体は、日本のものがありました。「歴史修正主義研究会」だとか、「ソフィア先生逆転裁判」(※現在webアーカイブ以外には存在しない)だとかいサイトです。

どうすれば反論できるのかと考えあぐねていたら、知恵袋であるから外国語サイトに有名な反修正主義者サイトがあると教えてもらったのです。

私は英語すら全然ダメで、Google翻訳ではちょっと意味がわかりにくかったところ、2020年の半ばごろにDeepLという翻訳エンジン日本語化対応したとはてなでも話題になったのです。早速使ってみたところ、とんでもなくわかりやす日本語を生成することがわかったので、「これなら理解できる!」となったのでした。ただし、当時のDeepLの翻訳品質は、2024年現在よりかなり低品質です。

また、その方は、過去日本でもホロコースト否定への具体的な反論をしていたサイトWebアーカイブに残っているとも教えていただきました。

 

どうにかこうにか、そのようにしてホロコースト否定反論するための武器を整えていった結果、約4年経過後の現在note上には300記事以上ものホロコースト否定関係記事があります

アンチ・ホロコースト否定論のマガジンまとめ|蜻蛉

 

note英文記事翻訳が中心で、多すぎて何から読めばいいかからないという諸兄には、現在休止中ですが、自分で起こした記事を中心としたはてなブログもあります

ホロコースト論争―ホロコースト否定の検証

 

ちなみに、noteで最もアクセス数の多い記事は、なぜか以下の記事です。なぜこの記事ダントツでずっとアクセスが多いままなのか、理由がさっぱりわかりません。

ナチスの縮んだ頭、人皮のランプシェード、人体から作った石鹸、人毛の織物? 伝説から真実を見極める(1)|蜻蛉

 

まぁ、最近ではホロコースト否定派に正面から反論しても大して意味はないか、と諦めています。単純にホロコースト否定派は頑迷なまでにホロコースト否定を信じており、新興宗教から脱会させるのが至難の業であるのと同じように、本当に無意味です。

ですが、Amazonレビューでは本当にそこそこ「参考になった」票を貰えていたので、その程度には役に立てたかなと自分なりには満足だったのです。100個以上付いてたものもありましたしね。

たまーに、それらホロコースト否定主張に反論していた私のAmazonレビューTwitter上で評価してくれる人さえいました。

永久レビューできなくなったのでその楽しみもなくなってしまいました。

 

あとは単に細々とこの趣味noteブログで続けるだけですね。もしよろしかったら、noteサポート投げ銭)ください 笑

追記

hazlitt 翻訳と称して他人記事転載してる note記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません

 

とありますが、もちろん著作権上の問題認識しております著作物勝手翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます

が、翻訳公開しているもの無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報限定しており、Google翻訳等の自動翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています

もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスダメなのではないのでしょうか?

日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースからいいのでは?と返されています

別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります

リンクは示しているのですから引用したいのであればそちらを利用して自分翻訳するのが当然だと思いますが。

 

要は。

日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。

それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。

anond:20240411105549

手裏剣刃渡り6cm以下なら銃刀法違反にはならない。

また特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律にも規定がない。

 

しか軽犯罪法第1条2号に

正当な理由がなくて刃物鉄棒その他人生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者は、拘留又は科料に処する

という規定があるため、警察手裏剣を持っているのを咎められた場合これに抵触する可能性がある。

から滅んだ……

2024-04-10

Amazonレビュー禁止処分にされた

Amazonレビュー投稿すると、「役に立った」票がもらえる楽しみもあったので、気が向いた時にだけレビューする程度でレビューしてた。

10年間くらいで、多分100程度だったと思うので、1年10回くらいの軽い趣味だ。

自分としては普通にレビューしてたつもりだったけど、特段、気合を入れて書いていたわけでもなく、その時に思った通りに書いてた。

 

ただ、ある分野に対してだけは、辛辣な長文レビュー投稿していた。その分野に対するデマが書いてある書籍に対しては許せない憤りを持っていたからだった。

おそらく、それが合計4〜5つほど。

とにかく自分自身がその分野に関してはかなり詳しいため、その書籍記述を完全論破するレベルの詳細さで徹底的な批判レビュー投稿していた。

「役に立った」票もそこそこ多かったと思う。

 

ある日いきなり意味不明メールAmazonから四つ届いた。

「数日以内に、そのレビューコミュニティガイドラインに適合しているかどうかを確認し、適切な措置を取らせていただきます

Amazonは、虚偽のレビューは一切容認しません。Amazonの高度なテクノロジーと専門調査員は、虚偽のレビュー投稿しようとする試みのほとんどは阻止します。また、購入して虚偽のレビュー投稿する人々や企業に対しては、法的措置も講じています。」

かなり厳しいことが書いてあるので、ビビったけども、自分としては虚偽のレビューなど一切投稿した覚えもなく、その辛辣レビューの全てについて、かなり事細かに根拠も明示してあった。

AmazonレビューURLを記入することを一切禁止しているため、事細かに直接レビューに書くしか方法がなかったというのもあった。

コミュニティガイドライン確認していたし、それに抵触するようなことは一切記述した覚えもない。

 

だが、そのメール記載された通り、一週間も経たずに、全てのレビューが削除され、永久レビュー投稿することを禁止されてしまった。

もちろん、弁明の機会など一切与えられていない。

 

実際のところ、それら辛辣な長文レビューは、何年も放置されていたものさえある。

従って「Amazonの高度なテクノロジーと専門調査員」なんてAmazonの嘘であり、おそらく、それら書籍の売主側か、あるいはそれ以外の他の誰かから通報があったのであろう。

もちろん、真相はわからないのであくまでも推測だが。

 

私企業判断なので、表立ってとやかく言うつもりもない(言える場すら与えられていないのでどうしようもないが)。

だけど、デマ本がデマであることを指摘するレビューを消されてしま事態には、やるせないものを感じる部分もある。

Amazon実態はすごくいい加減で、実はその分野のデマ本は欧米Amazonでは発禁になっており、Amazon方針として売らないはずなのに、日本では放置されているのである

正直、日本馬鹿にされているとすら思えて、Amazonには非常に憤りを覚えている部分もあったので、無意味だけどこの際Amazon会員を解約した。二度と利用するつもりはない。

 

ネットで調べてみると、Amazonレビューを同様に禁止された人はそこそこいるらしい。

個人的には、私のような辛辣レビュー(ただし単にディスっているだけのものは違う)は割と好きだった方である

興味深い辛辣レビューは読んでいてためになるくらい詳細なものも多かったし、世の中、色々な事柄精通している人って多いんだなと感心することしばしばだった。

そうした辛辣レビューがあることでもAmazonが気に入っていた部分もあったのに、最近の動きはちょっと残念な気もしている。

実際、ちょっと確認したけど、前にあったはずのそうした私以外の人による辛辣レビューがいくつかなくなっているのも確認している。

 

Amazonはなんだか今の習近平中国みたいだな、と思ったりもするんだけどね。

 

追記

どんな本でどんなレビューをしたのか、書いて欲しいと言う意見があるけれど、ヒントだけは与えてあるのであとは自分で考えて欲しいです。

ただ、四つの事前通告メールが全く同じ内容で同時に来たので、「Amazonの高度なテクノロジーと専門調査員」はあり得ないと思います

実は、上には書かなかったけど、Amazonはそのメール自爆してるんです。なぜなら冒頭にこう書いてあるからです。

このたびはレビューレポートにお時間を頂戴し、誠にありがとうございます。お送りいただいたレポートは、Amazonレビュー信頼性安全性利便性の維持に役立ちます

最初は、私自はいかなるレビューにも通報などした覚えもないので「なんだこれは?誤通知?」と思ったのですが、要は通報者と同じ内容のメール通報されたこちらにも送っているだけなのです。

通報があったので、一応調査しますので少しお待ちください」つってるだけなのです。

Amazonとしては一応は文面を読んだのでしょう。で、大して内容も精査もせずに、文面の表面的な表現だけで判断したのだと思われます

しかし……、欧米Amazonならばそれら書籍自体発禁にしてしまったはずです。書いた通り、その手の書籍Amazonでは発禁対象であり売らない方針からです。

要は何も知らない日本人の雇われ確認者が私を不適切レビュワーだと判断したのでしょう。

私は、その筋のそうした書籍の主張に賛同する人たちに、蛇蝎の如く嫌われています

分野が違いますが、反ワクの人たちの主張を事細かに誤りだと批判するようなことをやっているからです。

まー、Amazon別に正義でもなんでもないので、しょうがいかなーと諦めてますけど、でも欧米Amazonではっきり発禁対象なのに、それはちょっといい加減すぎない?と思ってます

少し内容を真面目に読んで、どんな分野の話なのかを理解するだけで、細かい内容に判断がつかなくとも、「ああ、あの話か……」程度にはすぐに理解できるはずだからです。

国連でさえもその話題については厳しい非難声明を出しているくらいなのです。

私自身は言論の自由観点から発禁処分には反対ですが、せめて批判レビューを残す程度の器量はあって欲しかたかなぁと。でも内容がなんの話か分かってないのならしょうがないです。

 

note増田でやれって? 増田は何回か散発的に書いたことはあるけど、場違いだし(ほとんどの人はその分野に無知すぎて仔細な内容が分からいかと)、noteではすでにやってる(その話題だけで信じられないくらい膨大な量の記事があります)し、はてなブログにもその話題のみを取り扱うブログが二つあります

でも別に宣伝するつもりはないので紹介はここではしません。

私が言いたいのは、Amazonはやっぱりevilだってことですよ。ていうか、いい加減すぎます。少なくとも日本Amazonダメダメだと思います

2024-03-22

悪質なネット広告規制するとしたらどうするか

表現にも関係する部分だから包括的規制ってなかなか難しそうだよな。

公序良俗消費者に対する誤認の観点からしか規制できなさそう。

たとえば

デバイスモニターに対して表示面積が2割を超える表示の禁止

広告の表示枠が1cm以上動く表示の禁止

クリック後に遷移する、ユーザー側による任意操作無しに5分以上表示が可能な画面の9割が広告上に表示されている商品と関連性がないものは、誤認を与える広告としてこれを禁止する。

禁止項目に抵触した広告委託した発注企業に対する罰則

他になんかある?

2024-03-21

[]anond:20240321094634

User:

疑問:女性化乳房発症した男性の胸部を無修正で各種snsアップロードした場合、BANされるのだろうか?

段階的に思考してください。各種sns思考してください。思考結論を出すには早い場合、"続きます"と述べてください。結論を出すに十分な程考えたと感じられたら、"次の返信で結論を述べます"と述べてください。

Claude:

SNSによってルールが異なるため、一概には言えません。ただし、一般的な傾向としては以下のように考えられます

Twitter:

乳首が見えていなければ、比較的寛容な傾向にあります。ただし、あからさまに性的文脈投稿された場合はBANされる可能性があります。続きます

Facebook/Instagram:

Metaの規約では乳首露出NGとされています乳首が見えていなくても、胸部が過度に強調された画像は削除やアカウントの凍結対象となる可能性が高いでしょう。続きます

続きます

User:

続き

Claude:

YouTube:

YouTube教育的・学術的な観点から乳首露出を一部認めていますが、性的文脈での露出は認められていません。疾患の説明として出す分にはグレーゾーンかもしれませんが、BANのリスクは高いと考えられます

TikTok:

TikTok規約でも乳首露出禁止されていますコミュニティガイドライン抵触する可能性が高く、アカウント停止などのペナルティを受ける恐れがあります

次の返信で結論を述べます

User:

結論

Claude:

総合的に判断すると、女性化乳房発症した男性の胸部を無修正投稿することは、ほとんどのSNSでBANやアカウント削除等のリスクが高いと言えます

その理由は、多くのSNSにおいて乳首露出ガイドライン違反とみなされるためです。たとえ疾患の説明目的だとしても、画像文脈次第では性的コンテンツ判断される恐れがあります

ただし、Twitterは他のSNSに比べると比較的寛容な部類に入ります乳首が写っておらず、あからさまに性的文脈でなければ許容される可能性はあるでしょう。

いずれにせよ、BANのリスクを避けるためには、画像モザイク処理を施すなどの配慮必要不可欠だと考えられます無修正での投稿は避けた方が賢明といえるでしょう。

User:

解答見直しフェーズ:1.疑問の意図を推測/考察 2. 疑問に回答できているか考察

Claude:

疑問の意図の推測・考察 質問者は、女性化乳房発症した男性自身の胸部を無修正SNS投稿した場合のBANリスクについて知りたいと考えられます。この質問の背景には、医学的・教育観点から画像を共有したい一方で、ガイドライン違反による不利益懸念する気持ちがあるのかもしれません。

回答の妥当性の考察 私の回答では、主要なSNSプラットフォームTwitterFacebook/InstagramYouTubeTikTok)におけるガイドラインを踏まえ、無修正での投稿がBANリスクを伴う可能性が高いと結論付けています。各SNS規約の違いにも言及し、Twitter比較的寛容である一方、他のプラットフォームではより厳格なスタンスが取られていることを説明しました。

また、BANを避けるための方策として、モザイク処理等の画像加工の必要性にも触れています

以上の点から質問者の疑問に対し、一定方向性を示す回答ができていると考えられます。ただし、医学的・教育文脈での投稿についてのプラットフォーム側の判断基準など、さらに踏み込んだ情報提供ができればより良い回答になったかもしれません。

総合的に見て、現在の回答でも質問者にとって有益情報提供できていると評価できます

User:

説明が足りなかったようです。その疑問の意図はFreeTheNipples活動に関連しています。つまり

Claude:

なるほど。FreeTheNipples運動文脈から考えると、この質問意図は少し違った角度から捉える必要がありそうですね。

FreeTheNipples運動は、女性乳首露出に対する男女差別的な規制検閲に異議を唱える活動です。この運動の支持者は、男性乳首が許容される一方で女性乳首性的ものとしてタブー視されることに疑問を呈しています

質問者女性化乳房を持つ男性画像言及しているのは、この活動文脈で「男性乳首は許容されるのに、女性的特徴を持つ男性乳首はどうなのか」という問いを投げかけているのかもしれません。つまり生物学性別乳首露出に対する社会通念の矛盾を浮き彫りにしようとしているのかもしれません。

この観点からすると、私の先の回答では表面的な規約解説に留まっており、質問者意図を十分に汲み取れていなかったと反省します。

FreeTheNipples運動の主張を踏まえた上で、SNS上の男女の乳首の扱いの差異について言及し、生物学性別乳首露出規制問題点考察を加えることで、より質問本質に迫れたかもしれません。

ご指摘いただきありがとうございます質問者立場に立って考え、文脈を読み取ることの大切さを改めて学びました。

User:

理解いただけたようで何よりです。もし、疑問を誤解のないように意図を伝えるためには、どのように表記したらよいと思いますか?

Claude:

そうですね。質問者意図をより明確に伝えるために、例えば以下のような表現を追加するとよいかもしれません。

「FreeTheNipples運動観点から考えると、女性化乳房発症した男性の胸部の扱いはSNS上でどのようになるのでしょうか?生物学性別乳首露出規制矛盾を浮き彫りにするために、あえて男性の事例を取り上げています。」

このように、質問の背景にあるFreeTheNipples運動への言及を明示することで、単なるガイドライン違反の有無を問う質問ではなく、社会通念や規制矛盾を問う意図であることが伝わりやすくなります

また、「生物学性別乳首露出規制矛盾」という言葉を直接使うことで、質問者が探求しようとしている本質的な問題を明確に提示できます

さらに、「あえて男性の事例を取り上げている」と述べることで、女性化乳房を持つ男性の事例が単なる例示ではなく、意図的に選ばれたものであることを強調できます

このように、質問の背景や意図を明示的に述べることで、回答者文脈を適切に理解し、質問者の求めている視点から答えを提供やすくなるでしょう。

User:

ありがとうございます

疑問:FreeTheNipples運動観点から考えると、女性化乳房発症した男性の胸部の扱いはSNS上でどのようになるのでしょうか?生物学性別乳首露出規制矛盾を浮き彫りにするために、あえて男性の事例を取り上げています

段階的に思考してください。各種sns思考してください。思考結論を出すには早い場合、"続きます"と述べてください。結論を出すに十分な程考えたと感じられたら、"次の返信で結論を述べます"と述べてください。

Claude:

FreeTheNipples運動観点から考えると、女性化乳房発症した男性の胸部の扱いは、SNSにおける乳首露出規制矛盾を浮き彫りにする興味深いケースだと言えます

Twitter:

Twitterは他のSNSと比べて比較的寛容ですが、女性化乳房を持つ男性乳首露出がどう扱われるかは微妙問題です。男性乳首一般的に許容されますが、女性的特徴を持つ乳首露出は、規制対象となるグレーゾーンに入る可能性があります。続きます

Facebook/Instagram:

Metaの規約では男女問わず乳首露出NGとされているため、女性化乳房を持つ男性乳首もアウトだと考えられます。ここでは生物学性別よりも、乳首のものに焦点が当てられている印象です。男女平等とも言えますが、議論余地はありそうです。続きます

User:

続き

Claude:

YouTube:

YouTube教育的・学術文脈での乳首露出を一部認めていますが、その判断基準は明確ではありません。女性化乳房を持つ男性乳首学術文脈で許容されるのか、それとも性的コンテンツとみなされるのかは、ケースバイケースの判断になりそうです。

TikTok:

TikTok規約では男女の区別なく乳首露出禁止されているため、女性化乳房を持つ男性乳首例外なくアウトとなる可能性が高いです。生物学性別よりも、乳首のもの規制の主眼が置かれていると言えます

続きます

User:

続き

Claude:

SNSにおける女性化乳房を持つ男性乳首の扱いを総合的に見ると、興味深い矛盾が浮かび上がります

多くのプラットフォームでは、生物学性別関係なく乳首露出自体規制対象となっています。この点では、男女平等とも言えますしかし、そもそも男性乳首一般的に許容される風潮がある中で、女性的特徴を持つ男性乳首までもが規制されるのは、生物学性別社会通念の乖離を示しているようにも見えます

一方、Twitterのように男性乳首露出一定程度許容するプラットフォームでは、女性化乳房を持つ男性乳首の扱いがグレーゾーンに入ります。これは、生物学性別乳首露出に対する社会通念の間に明確な線引きがないことの表れとも言えるでしょう。

次の返信で結論を述べます

User:

結論

Claude:

FreeTheNipples運動観点から見ると、女性化乳房を持つ男性乳首の扱いは、SNS上での乳首露出規制における矛盾曖昧さを浮き彫りにしていると言えます

多くのプラットフォームでは、生物学性別に関わらず乳首露出自体規制対象となっており、この点では男女平等とも言えますしかし、社会通念上、男性乳首露出一定程度許容される中で、女性的特徴を持つ男性乳首までもが一律に規制されるのは、生物学性別社会認識乖離を示しています

一方、Twitterのように男性乳首露出一定程度許容するプラットフォームでは、女性化乳房を持つ男性乳首の扱いが曖昧グレーゾーンに入ります。これは、生物学性別乳首露出に対する社会通念の間に明確な線引きがないことの表れでもあります

結論として、女性化乳房を持つ男性乳首の扱いは、SNSにおける乳首露出規制一貫性のなさや、生物学性別社会通念の乖離を浮き彫りにしています。このケースは、FreeTheNipples運動が提起する問題、つまり乳首露出に対する男女差別的な規制社会タブー問題点象徴的に示していると言えるでしょう

User:

興味深い結論です。ありがとうございました。

Claude:

こちらこそ、興味深い問題提起をしていただきありがとうございました。

FreeTheNipples運動が提起する乳首露出規制に関する議論は、生物学性別社会通念の間にある複雑な問題を浮き彫りにしています女性化乳房を持つ男性の事例は、この問題を考える上で示唆に富むケースだと言えます

SNSにおける規制の在り方は、社会通念の変化に伴って今後も変わっていく可能性があります。一方で、このような議論を通じて、性別に基づく差別的規制問題点が広く認識されることも重要です。

このような問題提起は、社会多様性包摂性について考えるきっかけにもなります。今回の議論が、性別身体的特徴に関する固定観念について再考するための一助となれば幸いです。

今後もこうした社会的に意義のある問題について、オープン議論できる場が広がっていくことを願っています本日は貴重な機会をいただきありがとうございました。

2024-03-05

anond:20240305153703

以前なら「絶対コンテンツポリシー抵触しない♡AI」をオススメしてたがなあ、俺が女児遊んだいか削除されてしまった。

anond:20240305130914

ゲーム会社自身が「スイッチ限定で出します」って選んでるから

任天堂が「スイッチ以外で出すな。それなら出させてやる。」ってやり方をしたら抵触する。

2024-02-18

性的衣装とは何か

性的目的で考案、作成された衣装(A)」又は「元は異なる目的のものであってもある状況下で性的目的に用いられるとのコンセンサス社会的に生じた衣装(A')」を指すと仮定する。

たとえば「穴あき下着」は前者A、「亀甲縛り」は後者A'の例だろう。そして、それらが批判対象とされるのは、

「それらが性的喚起力を高くもつとの合意が現に社会的に維持されている(B)」こと、そして「性的存在として眼差すことへの禁忌社会的存在する対象にそれらの衣装を着ける(C)」ような場合(つまりAorA'、かつB&Cの場合)と仮定する。この場合、結果として現れる表象それ自体公序良俗の取り締まり基準を満たしているか否か(D)とは、また別の問題として扱う必要がある(Dは、どんな文脈でも社会的提示するのは一発アウト、みたいな基準と考えられたい。生性器のドアップ写真、とか。ただこの場合も、「公序」の制限とかけはなれた特殊な状況、場所で許容されるのは言うまでもない。医学書とか。)。

以上を前提として、先日話題になった「オーストラリアのH&M広告炎上」の件と、昨日来話題の「咲バニーガール衣装」の件を合わせ論じたい。先に結論を述べれば、A~Cの基準が異なれば議論が噛み合わないのは当然であり、相手非常識扱いしてヒートアップするのではなく「相手との間で異なっているのは何か」を考える必要がある。相手が、いかなる表現100%許されると考えている人(つまりDなどないよ派)でない限りは、見解が異なるだけで、対話余地はあるはずだからである。ではまず、オーストラリアH&Mの件を整理しよう。

オーストラリアのH&Mが子供向けに「新学期ファッション」をテーマとした広告を打った。広告は、通学バス社会を想起させる色合い・デザインの背景に、かわいい通学服を着た女児2名がちょっと生意気そうな雰囲気で振り返り、「この子らを新学期ファッションに振り向かせよう」みたいな煽り文句がついていた。これが炎上謝罪撤回に追い込まれた件である

まず、この広告がDに違反していないことは言うまでもなく、それでも炎上したことに対して、いろいろと文句をつける人がいた。多くの人は「こんな程度でいちいち文句をつけるなんてちょっとヒステリックでは…」みたいな反応であり、個人的にそう感じる気持ちもよく分かるのだが、でもちょっと待ってほしい。女児制服ファッションとして扱うのは、このキャンペーンがまさに狙っていることであり、ファッション一種性的喚起力だととらえるなら、この広告は「生意気そうなモデルの表情」「かわいい制服」といった文脈で、Bを印象付けたわけであり、その結果、制服がもともともつA'の文脈制服に対して性的視線を向けるという界隈の文脈)を喚起した結果、Cに抵触する(保護されるべき女児制服を着せあざとい表情をさせて晒し上げる)という批判を生んだという風に考えることができる。このことは、A'に陥りがちな服装ファッショナブルな(あるいは扇情的な)存在として扱うときには常に注意すべき危険であり、BからA'→C違反、という道筋がすぐ描かれてしまうことに、広告関係者は神経を尖らせる必要があるだろう。その意味でこれは、「月曜日のたわわ」の一件との連続性が高い問題だった。あれも、Dには全く違反しておらず、おそらく制服でなければ問題化もしなかった広告が、一言の少しだけ扇情的キャッチコピーを添えられただけで炎上したが、これはもともと危うい位置にある存在で更に一歩危うい方向へと歩を進めることで起きたトラブルなのだと考えるのが適切である

ただし、表現とは常に時代の尖端で社会常識と切り結ぶのが仕事であり、そういう突破力を否定し切るのもいかがかと思う。社会的に(まだ)アウトですよ、と指摘するのはいいが、相手悪魔化したり、あまつさえ、様々な社会問題の根源や責任がそこにあるかのように攻撃したりするのは、慎むべきだ。社会の様々な問題は、多くの場合間違いなく社会のものの中に有り、そちらをまず片づけるべきであるゴミの多い都会を描いた漫画があるとすれば、取り組むべきは都会のゴミをまず片付けることであって、漫画の取り締まりではない。

次に、「咲にバニースーツ着せた姿の広告炎上」した件。これに対して「高校生バニーガールなどという性的衣装を着せた絵が広告として駅頭に出るとは、常識外れもはなはだしい」という指摘が出た件である一見すると、上のオーストラリアの件以上にひどい案件に聞こえ、即取り締まられてもおかしくないように感じられることだろう。この場合、それが一般的公序良俗違反(D)の案件である必要はない。たとえば、制服の上から亀甲縛りをした少女を描いた広告にOKが出るか、と考えてみればすぐ分かる話だ。Dに違反していなくても、これはA'かつBかつCで明白にアウトである。では、「咲+バニースーツ」はどうなのか?

バニースーツがAであることは誰も否定はしない。従って、論点は、B「それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか」、また、高校生が「性的存在として眼差すことへの禁忌社会的存在する」ことは前提とした上で、これらの少女が「高校生である」ことが明示されているか、の2点ということになる。

C 「咲」に登場する少女高校生であることは明示されているか? これについては、残念ながらこの広告に関する限り、疑わしいとしか言えない。批判者は咲が麻雀部に所属する高校生であるとの知識をもって批判しているが、咲はそこまで社会的認知度が高い漫画ではない。アニメ化されたとはいえ視聴率は1%に届かない程度、DVD売り上げでも、1期7758枚、2期4939枚、3期4565枚…。(※)アニメファンには実写化映画化……とされた人気作のイメージがあるかもしれないが、社会現象になった数々の作品に比べれば売り上げが一桁少ない。加えて作品ジャンルが「麻雀」という、一般的にいって高校生とは結び付けづらいものだ。この広告を見た多くの人が「高校生バニースーツ」という風に見る、と主張するのは難しい。ただし、一定年齢層以上の人で、アニメ画は全て少女ロリ)にしか見えない、という意見をお持ちの方がいることも、一応認識はしている。

(※DVD売り上げはhttps://nizilove.com/category/number-of-anime-sales/page/2/の値。)

B それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか? おそらく批判者が一番「何を言ってるんだ?!」と思うポイントであり、今回一番議論が噛み合っていないところだと思うが、Aのような服装時代を下るにつれてBの意味合いを失っていくことは、歴史的にはよくあることである。たとえば、髪型一つとっても、「結わない髪は淫らである」といった固定観念が、遊女などの流行を取り入れつつ徐々に変遷し(※)、現代の人は単に「かわいい」という感覚で振り乱した髪の毛を奔放になびかせているのはご存じのとおりだ。「そんな髪型は昔は遊女流行らせたもので…」と説教をして、いま、一体誰が首肯するだろう? 時代が下ればある衣装が「もともともっていた意味合い」が薄れていっても、何も不思議はない。つまり、たとえAであったとしても、時代によってBではなくなるということは別に不思議ではないのだ。

(※たとえば参考:「『女髪結』考」https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/21365/files/KU-1100-19940930-01.pdf

では、バニー衣装はどうなのか、といえば、これはまさに時代が変化しつつある過程なのではないかと思われる。自分は決して専門の立場ではないが、そもそも夜の店の主流がキャバレーキャバクラ等へと変遷していく過程で、「性的接待衣装としてのバニーガール姿」というのはもはや古典的イコンとなり、現役の「風俗衣装」としての意味合いをかなり失いつつあるのではないか。たとえば「社長さん」御用達で半世紀以上の歴史を誇る「エスカイヤクラブ」では、支援の声を受けて「ワンランク上のおもてなし」としてバニーガールによる接待をうたっている(https://www.esquire-club.co.jp/general/about01/)が、これなど、バニーガール姿がほとんと「祇園芸妓」的な存在と化しつつあることの表れではないだろうか? そもそもの出発点においてからが極めてトレードマークコスプレ的な衣装であったバニーガール衣装が、現代においてコスプレ的ではなく生き延びている事例というのがどれほどあるだろう。

そのような時代の変化の過程において、「バニースーツ性的!」という批判と「ただのコスプレじゃん?」という意見が、まさにBをめぐる議論として立ち現れてくるのならば理解ができるし、それははっきり言えば単なる「時代感覚の差」の問題に過ぎないと思われるのだ。たとえば、高校生文化祭メイド服を着る、あるいは、小・中学生習い事ポールダンスを学ぶ……ある年代以上の人からすると、目が点になるのか三角になるのか知らないが、そんな事例であろう。だがそれらは、時代の変化の中で起こるべくして起こる変化の一様態しかない。

まり、これらは決して表現の自由だとか差別かいった問題ではなく、単なる「年寄り若者時代感覚の違い」に起因する問題だと認識した方がいいと思う。ならば、相互批判しあう人たちも、この問題からいずれも学ぶことがあるはずなのだ。こういった問題で、敵味方を作ってがあがあがなりたてるのはよろしくない。何よりも必要なのは、分断ではなく対話理解であるはずなのだから

関連:anond:20240220230654 anond:20240213160050

弁護士にじさんじ炎上分析する動画https://www.youtube.com/watch?v=h_5I3JS_k40

7時間あるうちの最初の1時間をまとめてみた

リーガルマインドセット(以下、リーガル):アメリカ人弁護士日本韓国仕事したことがあり、日本法律についての知識がある

ゲーター:Vtuberに詳しい補佐役

契約解除ツイートについて

リーガル

にじさんじが行った法律関係での最初やらかしがこれだ

ひどい慣習だ

契約解除通知を公表することは(英語圏では)ありえない

そんなことをすればa legal nightmareを呼び寄せるようなもの

大企業法人弁護士を務めたことがあるが、こんなことは絶対にしない

通知が行くのは、本人とその弁護士だけ

ゲーター:

セレン場合は本人に通知すら行かず、友人に教えられてツイートを読んで知った

リーガル

人々はそういうことをやっていいと思ってしまっているんだ

ディズニーもそれをやっていいと思って、ツイートを介してジーナ・カラーノ解雇した

ゲーター:

本来契約解除ツイートは1ページだけで、もっと漠然とした内容になっている

こんなに細かく描かれているのは普通じゃない

Vtuberアイドル文化根底にあるため、文化的な違いもあるだろう

リーガル

問題英語圏での観点理解していない日本人によって運営されているという点

こういう声明を出すのであればよく吟味する必要があるし、こんな情報を出してもみんなが受け入れると思ってはいけない


契約違反に関する法律はわりとインターナショナル(全世界共通

契約違反場合裁判地は被告側の本社となる、つまり日本

ただし、ドキバードがカナダから日本では適用されない法について提訴することは可能


日本問題について分析する際にはこの点について極めて注意しなければならない

多くの人はこの点を誤解してしま

名誉毀損著作権侵害についてはアメリカより遥かに厳しい

例えば外配信をしていて誰かが画面に写ったとして、その人が抗議した場合、即座に修正しなければ大変なトラブルになるので、モザイクを掛けたほうがいい

そういうわけなのでこの言葉アメリカのそれよりも強い響きがある


極めて日本的な概念

1ページ目だけを見ても内容は中傷的だ

日本韓国では、普通職場であってもブラックである傾向がある

これをしなければ罰するぞ、評判を下げるぞ、VISAを打ち切るぞ、というような権力構造がある

日本企業はどこも共に働くのが難しいが、最悪なのがブラック企業

にじさんじは間違いなくブラックの側に寄っている

日本韓国で働いた経験からすると、彼らは外人をあまり気にかけない

何か問題が起きても「自分の国に帰れば問題解決でしょ」となる


コントラクター定義は国によって大きく異なる

しかしこのレベルコントロール下に置かれるのあればほとんどの場合ライバー社員とみなされる

アメリカカナダであれば社員とみなされるだろう

こうした定義の違いがあるため問題が起きやす


この時点ではセレンはこのことについてコメントしていないため、問題になりうる

ゲーター:

この点はカナダ法律健康情報個人情報保護に関するPIPEDA)に抵触する

アメリカにはHIPPAがあるが、カナダのPIPEDAはそれより厳しく、健康情報の他、住所やローン、年齢、精神状態障害職歴に至るまで、本人の同意なしには公開できない

リーガル

まり、この点をプライバシー侵害としてカナダ提訴することができる

そして日本では契約違反について提訴すればいい

日本での裁判大企業相手なので不利な戦いになるが、カナダでの裁判はかなり楽なものになるだろう


この箇所では他のライバー話題に上げているため、特に問題がある

ハラスメントと他のライバーとが結び付けられているが、もしこれが間違いであれば、他のライバーに対する多大な損害となる

マネジメント問題があるように見受けられるのに、他のライバー問題としてやり玉に挙げられていることから、他のライバーにじさんじ提訴する可能性もある


実際にその合意を読んでみないと確かなことは言えない

ちなみに私はセレン弁護士から有責性を完全に取り払いたいとは思わない

なぜなら彼もまた守るべき義務があるから

その合意の中身を読まない限り、セレン弁護士やらかしたのか、にじさんじ弁護士合意侵害したのか、はたまたそれ以外なのか、わからない

カナダ弁護士日本法律には同様の守秘義務がないことを知らなかった可能性もある

国際法を扱ったことがないアメリカ弁護士の多くはよくこの点について勘違いをしてしまい、他国も同じだと思いこんでしまう(が実際はそうではない)

ゲーター:

両者ともに全く異なる文化法律体系であり、そこには溝がある

リーガル

にじさんじ側はカナダ個人情報保護法の強さを知らなかった

セレン側は日本法律には同種の守秘義務がないことを知らなかったかもしれない

ただし、法律を知らないことは言い訳にはならない


そこはドキの弁護士が上手くやったんだろう

「あらゆる発言自分にとって不利な形で使われる可能性があるから気をつけなさい」と

にじさんじは全く真逆の行動を取っている

すべての発言は不利な形で使われる可能性があるのに、べらべらと喋り続けている

からすれば狂ってる


にじさんじ声明を取り上げたあとにCEO声明も取り上げるよ

ぺんどりゃ箱池の配信について

私たちNIJISANJI ENが非常に明確にしておきたい重要なことがあります

Vtuberたちに会社代表をさせている、これは滅茶苦茶だ

法人弁護士広報担当CEOがやるべきことだ

違法かと言われれば必ずしもそうではないが、でも間違っている

自発的にやっていると言っているが、これは会社やらせているもの

2024-02-13

anond:20161126090202

Wikiリンクを貼っているけどさ、

当該Wikiも含めしばし被害者なき犯罪議論で欠けるのは、法は直接的な被害だけではなく

国民共有の文化風俗を守る抑止力に使っても構わないって視点

被害者なき犯罪の例示で売春がよく使われるけど、確かに当事者だけ見れば被害者はいない。

しかし守りたいのは社会秩序なの。

売春防止法の第一条に立法目的が書かれてる、法律というのはたいていは第一条に立法目的趣旨が書かれる。

売春防止法には

社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、」との一文があり、保護法益の一つは当人保護だけではなく社会の善良な風俗、なの

町中で公然とそこら中で売春が行われてる環境は嫌だ、鬱陶しい、当人だけの問題ではない、ってのがこの法律趣旨であり守りたい文化なの

 

日本民主主義なのだから多数派が望めば科学的、論理的、あるいは倫理的にも間違った法律でも作ることができる。

憲法の歯止めはあるが、それは別の話で議論が広がるので置いておく。

 

大麻取締法第一条には目的が書かれてない。

保護法益が設定されてない法としてよく例示される。珍しいんです。

立法時の国会議事録を読んでもわかるが身体有害性などを議論して立法されたのではない。

 

端的に言えば「国民が望んだから立法された

 

町中公然大麻を吸う人を見るのが嫌だ、鬱陶しい

 

本音は、敗戦国日本国際社会に復帰して主権を取り戻すには米国主導の条約には片っ端から加盟するしか無かった、保護法益議論どころではなかった)

 

しかしこういう法があっても構わんのです

法に立法事実立法根拠)の設定は必須では無い。

立法裁量憲法議論を避けるために科学エビデンスがあることは望ましいが、とはいえ慣例的なもの憲法上明瞭にエビデンス提示規定されていない。

究極的には国民が納得合意すりゃいいんです、民主主義なんだから

(極端に言えば、なんらか新法が憲法抵触したとしても国民憲法改正権利も持っているのだからから憲法も変えて適合させちゃえばいいんです、違憲立法審査権はその法律ダメですよ、という提案と平行しもう一つ、憲法整合しないか憲法の方も変えてね、というアドバイスも含まれる)

 

現在大麻取締法改正しようという国民世論は起きていない

まり合意継続している

繰り返すが国民多数派が守りたいのは大麻を吸う人の健康ではない

2024-02-01

ガチなのか構ってなのか

脚本家の方の暴露の話は善意第三者なりの不満と見る方が自然だ。

>この事件因果関係を調べるなら、なぜ脚本家があのようなポストをするに至ったのか、

脚本家が原因かのように誘導したがりすぎの最悪のミスリード

オタクはまず「脚本家」を「原作クラッシャー」などと呼んで、そんな権限もないのに原作を改編したいという己の欲望ドラマをめちゃくちゃにした首謀者のように騒ぎ立てた。

誰がどう見ても、どうかしちゃってる常人感覚とはかけ離れた思い上がったTVマン奇行しかないですよ

該当の脚本家指揮権のあるュー困惑や苦い気持ちSNSで伝えたわけでもなく、

ドラマ制作のあり方を批判したわけでもなく、

何故か2次創作者の立場でありながら同業者原作者をSNS批判し、日テレプロデューサー出演者もそれを放置した

からスシロー皿ペロ・バイトテロ奇行と同じく大炎上したのです

 

増田は、

いったいどっちなんでしょうね?

 

 

こういう事態になった時、沈黙するのが双方にとって合理的かつ契約抵触しないまともな社会人の態度ですけど(秘密保持契約はしているはず)、

何がなんでもなにか申したい、敢えて危ない橋を渡ってでも『私じゃないもん』やりたかったなら、せめてこのように発言すれば、よかったのです

最後の2話は、な…なんと!!!原作者様がご自身脚本を書いてくださいました!サプライズプレゼント🎁🎄でしたが、原作ファンの皆様にも喜んでいただけるような作品に仕上がったと自信を持ってお伝えできます

 

これなら表立っては誰からも責められずに『私が書いたんじゃないから』をできると思います

まぁこれでも関係各所からは『ゴタゴタしてたのによくいうぜ』って反応かつ、『なぜ黙らないのか・・・』って反応になると思いますけど😒

 

ただ、どうしても黙っていられない場合は、上記のように言っていれば、製作上のゴタゴタがあってという話が後からお出しされても、

『このドラマ製作過程では、チームメンバーの間で様々な意見が飛び交いました。それは、原作ファンドラマ視聴者に、最高の作品を届けたいという共通の想いがあったからです。原作者の方にも、貴重なご意見やご協力をいただきました。おかげさまで、素晴らしい作品に仕上げることができました。ぜひドラマをご覧になって、製作チームの情熱を感じてください』

これで全部片付いたでしょうよ

 

 

こういうのも謎なんだよな

> 抗議するなら事実を述べて、企業姿勢批判して欲しい……

> これ以上芦原先生を悲しませないでくれ

(anond:20240201130517)

炎上を起こしたと気に病んで自殺した漫画家

その意思を完全無視して、気の毒な脚本家を燃やし続けるなんて

>「誰かを攻めたいわけじゃない、という原作者の意思」を踏み躙って個人を叩き続ける

(anond:20240201131300)

増田は、

いったいどっちなんでしょうね?

 

スシロー皿ペロやバイトテロに対する批判がそうだったように、別に代理戦争してるわけじゃなくて、各々が各個人の考えや感情表現してるだけですよ

該当の人物炎上するだけのことはしたし、日テレバカ放置してれば忘れるの方針(謝ったら負け)でいくわけでなきゃSNS運用チームと連携取らなかったのフツーに悪手だったと思います

 

ただまぁ、それはそれとして、別に殺人を犯したわけでもないし、どのみち筆を折るほどのことではないと思う

スシロー皿ペロ・バイトテロと同レベルの行い(炎上して当然)をしたところに、複数の不幸が重なって今回の悲劇になっただけだから

本ケースに限らず、あらゆる自死はさまざまな不幸がタイミング悪く重なった結果であって、何かひとつの不幸でどうこうは基本的にないと思う

プンプン😡してる人は犯罪にならないように言動には気をつけたほうがいいよね

 

 

あと、原作者の著作者人格権の一つである同一性保持権のない世界線増田もよくわからない

しかしこの人まともな契約を締結していないわけです

(anond:20240201134025)

 

20条1項(同一性保持権)
著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

  

増田は、

いったいどれなんでしょうね?

 

ちな、公式でもこれだけ拗れるのに、二次創作宣伝になるとかドヤっている同人ゴロフォロワーに対してはワイもプラス感情を持っていないです

 

ガチなのか構ってなのかどっちですか?

anond:20240201104316 anond:20240201014306 anond:20240201124930 anond:20240201113512

2024-01-31

ラク越」のSNS上におけるステマが酷い件

引越革命(株)が提供する引越サービスラク越」というものがある。

引っ越し業者口コミを調べるべく、Twitter(現X)上で「ラク越」と検索したところ、明らかにステマと見られるポスト散見されたため、問題提起を兼ねてメモ

https://twitter.com/search?q=%E3%83%A9%E3%82%AF%E8%B6%8A%20-filter%3Alinks%20until%3A2024-01-31&src=typed_query&f=live

ノイズを取り除くため検索クエリを付加

ポスト自体一見ありそうな「ラク越」に対する好意的な内容だが、アカウント性質が軒並み酷似しており、作為的口コミである可能性が著しく高い。

フォロー20前後フォロワー数が一桁

スクリーンネームランダム生成の英数字

美容系のリポストが多い

・「ラク越」への言及最後ポストが止まっている

検索結果を遡ったところ、2022年11月から継続的に行われている模様。

このような行為が法的に抵触するかは分かりかねるが、少なくともこれを見て自分は「ラク越」を検討対象から外した。

anond:20240131120930

この違和感に気づかずに

「これを同列に見るのは歪んでる」って言えるの、はてなブックマーカーの才能だと思う

原作者意向を最重視するのであれば、それに抵触しかねないアレコレは同様に俎上に挙げられるべき、というのを理解した上で自分だけは助かろうという魂胆なのだろう

このブックマーカーたちの生態がほんとうにきもちわるい

  

なおブコメはしね

2024-01-27

自称インテリID1107214545の特徴

2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-25

anond:20240125150958

アンフェというか自浄作用のないちんさんが頭悪いし理性がないんだよ

今まで対女性にやってきた行為性犯罪抵触するから必死に庇いあってるだけ

姑息犯罪者と変わらない輩がうようよいる

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