はてなキーワード: 抗生剤とは
2021夏、世間はコロナで医療崩壊の真っただ中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
半年経って当時の日記を発掘したので、正月休みで暇な今せっかくなので当時の日記を日記を増田に供養する。
経緯を言うと、膀胱炎を放置していたために、血中に細菌が侵入し、敗血症性ショックになり、生死の境をさまよったのである。
コロナワクチン接種とタイミングが重なってしまったため、副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまいました。
本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。
膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。女性に多い病気で、自覚症状は排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。
おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。
そして膀胱炎は放っておくと菌が尿管から腎臓に上がり、腎盂腎炎を発症する。すると発熱や下腹部の痛みが起こる。
さらに放置すると血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、血圧が低下し、ショック症状を起こす。これが敗血症性ショックである。
膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。
今回身をもって実感しました。
8/13 (金)
膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。
3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。
もう一回くらいかかったことがあるような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。
この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りて無かったな・・・、と考える。
という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。
この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。
8/19 (木)
あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く
8/20 (金)
発熱はなし。
思い返せばこの日の夜下腹部痛があり、今思えば腎臓が痛かったのかもしれない。
腎盂腎炎になると逆におしっこが出なくなるので、排尿時の痛みはあったが、排尿の頻度が下がったのでこのあたりから膀胱炎のことを忘れはじめ、薬を飲むのを忘れ始める。
8/21 (土)
夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。
8/22 (日)
翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。
帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。
最大で40°C台まで上がった。
ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。
8/23(月)
この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。
頭を動かすたびにガンガンとなる頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。
水を飲んでも胃液を吐いてしまう。水分補給が出来ないのがしんどい。
薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。
熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。
インターネットを参考に薬をバファリンルナiに変えたら効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。
薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。
「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。
そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。
8/24(火)
症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。
#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。
友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。
病院では栄養剤の点滴をしてもらい、コロナに効く解熱剤(カロナール)を頂く。
今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。
もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに、、、
ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。
あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。初診の外来患者なんて後回しよね。
吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA。吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。
カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。
薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。
薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。
おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?
夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…
親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。
タクシー(8000円)で帰りたかったがなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。
しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。
(別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)
私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。
8/25(水)
友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。
これは薬のオーバードーズによる奇行だと思った彼は、とりあえず私を引きはがした。
すると私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。
これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。
すると「それは救急車呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。
ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。
救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。
熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。
最終的に、最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらったらしく(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。
病院到着が午前4時。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。
点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。
最初は医者も原因が分からず、とりあえず白血球の数値が異常に高いことが分かったので、適当に抗生剤を打っていたらしい。
培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。
原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。
8/26(木)
私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。
そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。
両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。
あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。
とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。
8/27(金)
この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。
8/28(土)
この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。
8/29(日)
8/30(月)
食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。
8/31(火)
抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
9/1(水)
退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。
私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。
あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。そしたら原因にワクチンは全く関係ないがワクチン副反応で死んだ人扱いされただろう。
繰り返すが、今回得た教訓は、膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべきだということである。
それから2021年の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。
2021年冬は少し落ち着いていましたが、冬休みにかけてじわじわ感染者が増えてきていますね。また当時のような惨状になると医療機関がまた悲鳴を上げてしまいます。我々は基本的な感染対策を怠らず、淡々と過ごしたいですね。
あとそれから友人に本当に感謝。私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。
それから家族にも本当に感謝。だいぶ心労をかけてしまいました。楽しく労働することで恩返しするね!
ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。
確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日から新学期なので頑張らねば!
以上です。皆様も体にはお気をつけて、、、。
飼っていた犬が天国に旅立った。
最後の1年は痙攣がよく起こるようになって。
落ち着くまでに3~6時間かかってた。
痙攣は脳にダメージが行くらしい。
うちの子は半年で10回以上起こってたからとんでもないダメージだったんだろうな。
とりあえず仕事をやめてずっと側にいた。寝るときもリビングに布団ひいて一緒に寝た。
8月には前足もだめになった。
痙攣で神経にもダメージが行ってるとのことだった。
足が動かなくても、うまく座れなくても、
食欲だけはすごかった!
腎臓の数値も前から悪かったので、腎臓サポートのご飯をあげてた。すごい食い付きでいつも食べてくれてた。
というかうまく食べられない感じで、飲み込むのがしんどいのか、半分くらい残すようになった。
病院に行ったら腎臓の数値がすごく悪くなってるから、点滴をしたほうがいいとのこと。
4日間は病院で点滴と抗生剤の注射をしてもらって、あとは家で自分で点滴をすることになった。
最初はその抗生剤で体調がよくなってたんだけど、日に日にしんどいのか寝れない日が続いて。1時間おきに起きては暴れて鳴いて、抱っこして過ごすって感じで。
犬も飼い主も疲弊してた。寝れないってつらいよね。
点滴の量を増やしても変わりなくて、先生が、
そしたらグッスリ寝てくれて、体調が戻った!
でもそれも1日だけ。
次の日から抗てんかん座薬をもらって、しんどそうなときに入れてたんだけど、効果が2時間くらいしかなくて。
結局次の日またその注射を打ってもらって、ゆっくり寝かせることになった。その注射を処方してもらって、しんどそうなら打ってくださいと言われた。
その日、法事があって、家族が実家に集まった。その日はうちの子も注射後で体調がよかったのか、元気な姿をみんなに見せてた。ご飯もバクバク食べてくれた!
あんな苦しそうな姿を見たら他の家族は泣いちゃうかもしれないな、と思ってたから安心した。
その日の夜、みんなが帰ってからまたしんどくなったみたいで、注射を半量だけ打ってあげた。
多分みんなを心配させたくないからいいところ見せようと頑張ってたんだろうな。
次の日、なんだか息がしづらそうにしてた。ゼェゼェ口を開けて息をしてる感じ?喉から変な音がしてる。
翌日がどうぶつ病院が休みの日だったので、その日のうちに見てもらうことにした。
しんどくなる=部分発作が起こってるということなので、抗てんかん注射を1日に3本打って、まずその発作をなくしてあげましょう。と言われた。
その日も注射を打ってもらった。でも息が荒いのはそのままで、寝てる間もずっと口を開けて息をしてた。お腹から息してる感じかな。
お昼に起きて息がうまくできずにしんどそうにしてる犬に注射を半量だけ打ってあげた。でもあんまり効果なくて。
唯一抱っこしてる間は寝れたみたいなので、家族で代わりばんこに抱っこしてた。置いたら起きるっていう赤ちゃん状態。
その日の夜中、またしんどそうにしてる犬に、注射を打つべきかどうか迷った。お昼は効かなかったし、息苦しいのと発作が本当に関係あるのかちょっと疑問だったから。
でも犬が苦しそうだから、少しでも寝れたらと思い、注射を打ってあげた。
母は苦しそうな犬を見て隠れて泣いていた。
夜中に何回も起きては息ができない犬を抱っこした。途中、晩御飯で食べたちゅーるを吐いて、ちょっと楽そうになったので、詰まってたのかもしれないな…。
次の日の9月14日、自分が一人で犬を見てた。朝から息がすごくしんどそうで、抱っこをしてもしんどそうだった。
体温がいつもより低く感じて、エアコンを止めて布団を何重にも着せて抱っこした。
息が苦しく口が閉じれないので、舌がだらんと垂れていた。朝ごはんのちゅーるもひと舐めもできなかった。
あまりにも舌が乾いてたので指で水をすくって濡らしてあげた。
もしかしたら今日か明日が山場かもしれないと思った。苦しそうな犬を見て、もう無理しなくていいんだよ、と思う自分と、もっと一緒にいたいと思う自分がいて、むちゃくちゃに涙が出てきた。
犬が寝れそうだったのでベッドに置いて仕事をしようとしたら、犬がキャンキャン!と吠えた。苦しいみたい。すぐに抱っこしてあげた。大丈夫だよ~と声をかけながら背中をさすってあげた。
そこから、犬の呼吸が今までにないくらい荒くなって、キャンキャン!と言ったあと、私の顔を見ながら荒かった息がスッと止まった。
私はパニックになって、声をかけながら、カイロで体を温めた、大丈夫だよ、大丈夫だよ、って。
そしたらこっちを見ながら、口がガクガクッと動いた。
多分「もういいよ」って言ってくれてたんだろうね。
朝からずっと苦しそうな表情してたくせに、最後は私の顔を見ながらめちゃくちゃ可愛い顔で死んでいった。
昨日から閉じれなかった口もすっと閉じて、くりくりした目でこっち見ながら、私の腕の中で逝った。
もちろん、覚悟はしてた。
でも耐えられない悲しみが襲ってきて、犬の体がびちゃびちゃになるくらいに泣いた。
最後まで頑張らせてしまった。十分頑張ってたのに。心配させないように可愛い顔で死んでった。
おっきくこっちを見てくれてた目を閉じてあげた。スッと寝れたみたいに、すごく穏やかな寝顔だった。
この2週間、薬なしではしんどくて寝れなかったから、やっと穏やかに寝れたみたいで安心した。
そこからベッドに寝かせてあげて、次の日の朝までずっと散髪してあげたり話しかけたり撫でたり匂い嗅いだりしてた。目の前でただ穏やかに寝てるみたいだった。
次の日、火葬に送った。大好きだったおやつをこれでもかってくらい入れてあげた。朝食べられなかったちゅーるもいっぱい入れてあげた。そこでは泣かなかった。ちゃんと送ってあげられた。
でもそのあとどうぶつ病院に挨拶にいったとき、いつもは犬を抱っこして連れていくから思い出して号泣してしまった。
昨日の夜、注射打たなかったら、もしかしたら、と思ってはあんなに苦しい思いをもうさせたくない、あれでよかったんだと色んな気持ちが葛藤して、涙が止まらなかった。
家に帰ってまだ犬の匂いがするブランケットを抱き締めて、いるはずの場所にいない虚無感に襲われて泣きながら寝てしまった。
起きたら犬は遺骨になって家に戻ってきた。
骨になった犬を見て、もう会えないんだなと実感した。
また涙が止まらなかった。
次の日もまた次の日も、仕事をしてたら大丈夫なんだけど、ご飯を食べてたり、テレビを見てたりすると、ふと最期が思い浮かんでは涙が出た。
犬を送って3日目、それが今これを書いてる今日。
昔の写真を整理しようと思って見てたら、2000枚以上あって、おバカなことしてる動画だったり、ご飯くれって吠えてる動画だったり、見てたらすっごく笑えて、色んな思い出が蘇った。
最後の1年間の介護生活の印象が強すぎて忘れてたけど、犬は17年間すっごい幸せに私たちと暮らしてきたんだった。
絶対に世界一幸せだったよね、ってくらいみんな犬のことが大好きだったし、犬も家族が大好きだった。
この辛さは多分人生で一番の辛さで、人生で一番の悲しみだけど、昔の犬の写真を見てるときだけが今唯一笑える時間。
天国では、自由自在に走り回って、大好きなおやつを食べまくって、グッスリ寝られてるといいんだけど。
もうきっと犬を飼うことはないけど、私が天国に行ったら絶対にまた一緒に過ごそう!
これから前向きに生きていくために記録として書かせてもらいました。
小学生のころからずっと一緒に育ってきた弟みたいな存在だったので、心にポカンと穴が空いてしまった感じで。最期腕の中で死んでいったのを思い出しては泣いてしまう感じです。
ファイザー製1回目のワクチン接種翌日に、41°Cを超える高熱が出た。
そんなこんなしているうちにワクチン4日後の夜中ににけいれんを起こして救急車で運ばれた。
この医療ひっ迫の状態で夜間だし様々な病院で断られ、1時間半くらい粘ってどうにか受け入れてもらえた。
医療リソースが足りない中無理やり私を受け入れてくれた病院ありがとう。治療してくれたお医者さんも看護師さんも技師さんもありがとう。
病名は伏せるが、結局血液中に細菌が入り込んで高熱が出ていたらしい。入院して抗生剤を点滴してもらったら治った。
てっきりワクチン副反応だと思ってしまって対処が遅れてしまった。
倒れた時の対処が少し遅れていたら私は死んでいた。
生きていてよかった。
以上日記です…。書き捨て失礼…。
倉持仁医師、コロナウイルス自宅療養者にイベルメクチン+抗生剤(フロモックス)+軽症者を悪化させる恐れのあるステロイドを処方?
どちらの判断が正しいかわからないので、私に理解できる範囲で調べたのが以下。
「倉持医師が自宅療養のCOVID-19感染者にデカドロンという薬剤を処方した」を事実とする。
ツイッター上の消去された自称患者のツイートであるため、信頼度がそこまで高いわけではないが、おそらく事実であろうという判断が可能と思われる。
まずツイート上では「デカドロン(ステロイド)」とあるため、処方の書き間違いは考えにくいし「自宅療養の人に積極的に処方してあげて欲しい」といっていることから自宅療養の患者であろうと推測できる。
自宅待機で呼吸苦あり、酸素も測定器もない。検査も診察も受けられないのに自宅待機者に医者なら〇〇出しちゃいけないとか、私ならこの薬は使いませんとか、意味不明。実際の患者さん見ての話前提。投薬とは医師患者さんで同意して行うもので、ガイドラインしか知らない人は自分だけそうしてれば良い。
という反応をしているため、自身の処方であると解釈されても仕方ないであろう。
まず、デカドロンとはデキサメタゾンというステロイドホルモンの一種を錠剤にした製品名である。
https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00062800.pdf
というわけで有効な抗菌剤の存在しない感染症であるCOVID-19に対して、やむを得ないと判断される場合でなければ処方してはいけないのがデカドロンとなる。なぜなら、感染症をかえって悪化させるおそれがあるためというはっきりした理由があるわけで。
一般論としてのデカドロンの説明としては以上になるが、コロナ治療の場という場では話が変わるかもしれないというわけで、次。
なぜデカドロンが処方されていたかと言えば、コロナ治療薬としての認証を受けているからと思われる。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61798210R20C20A7MM8000/
ということで、この異常事態では特殊な処方のされ方もされているかもしれないということで厚労省が出している「新型コロナウイルス感染症診療の手引き[第2.2 版]」を見ることにする。
https://www.mhlw.go.jp/content/000650160.pdf
英国での RECOVERY 試験の結果,デキサメタゾンが COVID-19 の重症例の死亡を減少させたとの報告がなされた.……主要評価項目である治療開始 28 日後の死亡率はデキサメタゾン治療群 vs.標準治療群において全体で 21.6% vs. 24.6%(年齢調整リスク比:0.83 [95% CI 0.74-0.92], p<0.001)とデキサメタゾンによる致死率低下を認めた.さらに呼吸サポート別では人工呼吸器装着患者の致死率は 29.0% vs. 40.7%(リスク比:0.65, [95% CI 0.51-0.82], p<0.001),酸素投与のみの患者の致死率は 21.5% vs. 25.0%(リスク比:0.80,[95% CI 0.70-0.92], p=0.002)とデキサメタゾンによる死亡率低下を認めたが,酸素投与の必要のない患者の致死率は 17.0% vs. 13.2%(リスク比: 1.22, [95% CI:0.931.61],p=0.14)とデキサメタゾンの効果を認めなかった.
(RECOVERY Collaborative Group, Effect of Dexamethasone in Hospitalized Patients withCOVID-19: Preliminary Report, 2020. doi: https://doi.org/10.1101/2020.06.22.20137273)この試験を受けて,米国 NIH は治療ガイドラインを 2020 年 6 月 25 日に改訂し,人工呼吸,または酸素投与を要する COVID-19 患者にデキサメタゾンの使用を推奨している.
(NIH COVID-19 Treatment Guidelines https://www.covid19treatmentguidelines.nih.gov)
なお, MERS-Co-V やインフルエンザにおいては,ステロイド投与によりウイルスの排除が遅延し,致死率も高かったとの報告がある.デキサメタゾン以外のステロイド薬の評価は確立していない.
デキサメタゾンの投与で効果が認められたのは、人工呼吸又は酸素投与を要する場合であり、そうでない対象には効果が認められていない(それどころか投与した方が死亡率が高い)。
他のウィルス感染症の場合にはステロイド投与で致死率が高まるという報告も書かれており、原則使用不可の説明書を裏付けているものだろう。
デキサメタゾンが効く理由として、日本感染症学会の「COVID-19 に対する薬物治療の考え方 第 7 版(2021年2月1日)」では
https://www.kansensho.or.jp/uploads/files/topics/2019ncov/covid19_drug_210201.pdf
機序:重症COVID-19患者は、肺障害および多臓器不全をもたらす全身性炎症反応を発現する。コルチコステロイドの抗炎症作用によって、これらの有害な炎症反応を予防または抑制する可能性が示唆されている。
としている。免疫作用として炎症が起こるが、免疫が作用しすぎて炎症が有害になっているため炎症を抑えるためにデキサメタゾンが処方される。
そうすると免疫が暴走していない状態でデキサメタゾンを処方するのは問題ということだろう(免疫が普通に頑張ってくれないとウィルスを排除してくれない)。
他のデキサメタゾンが必要な疾患のためにCOVID-19と並行して治療を行う可能性とかも考えられるのかもしれない(それにしたって、COVID-19が治った後でもいい話でそんなに急いで取り掛からなくてはならないかと思わなくもないけども)。
後は、有害な炎症反応が起こっているが病床が足りないために入院できないで自宅療養をせざるを得ない状態もあるかもしれない(それならそうと説明すればよい気もするが)。
もっと専門的見地から見てやむを得ない事情があるかもしれないので、デカドロンの処方が全くおかしいとは私の調べた範囲では言い切れないが、危険を伴う処方であることも事実ではあろう。
基礎中の基礎の資料しか舐めていない私の理解は全く足りていないだろうが(倉持氏が苦言を呈したようにガイドライン等しか読んでいない)、何も知らない一般人が調べただけでは倉持医師を批判する側の言い分を肯定する資料が見つかったといえるだろう。
これ以上は私の手に余るので終わらせるが、それが本当に効くのならば一医師の経験と勘で終わらせてほしくはないので、ほかの医師でも診断可能なような客観的な基準を示して世界の役に立ってほしいなぁと愚考する次第である。
(これを書き始めた7月8日はこう書いていたのですが結果的にこの3週間後亡くなります)(ネタバレ)
トイレ掃除してる際、そういえばここ2、3日💩ないな、いかんのでは!?
と同居人に心配しすぎじゃないのみたいな空気だされつつ病院につれていく。
早い段階で連れてきてくれてよかった、と先生にいわれ飼い主として自信をつける。
その間に点滴の練習も受け自宅で皮下点滴ができるようになる。これでひとまずプロに打ってもらう技術料が浮いた。
1週間の短期間で先生から合格を貰ったのは私が初めてだそうだ。やったぜ。
ちなみに同居人は点滴の準備と輸液の注入(結構力がいる)、私はねこをなだめ動かないようにし注射針を挿すという役割分担をしている。
家では1日おきの点滴。
最初は経過をみる為、5日おきくらい通院したかな。その度に血液検査をする。
翌月からは月1通院。
血液検査 5,000円
ひと月分の輸液セット 5,000~6,000円
慢性腎不全用の療養食が3,000円(元々少食なのもあって1袋4kg = 1.5ヶ月分くらい)
約15,000~18,000円、が毎月かかる。
ちょっと検査項目を増やすと2~3,000円くらい上乗せになる。
我が家では月1万ずつ出し合い猫財布を作ってそこから出すようにした。
2人じゃなかったら詰んでたと常々思う。
飼い始めた時に入ったペット保険は2011年1月~毎年1回約2万円
2020年12月で契約更新不可になって、まあそれはそうだね預けた分は使い切ったしねという感じで2021年からは保険なし。
そんな感じで約2年、合間にクシャミが止まらなくなり風邪のような症状がでたり目やにが酷くなって点鼻が増えたりとたまに2万こえてうちのお嬢はお金がかかるわね……などと言い合う。
ねこの皮下点滴について。
うちのねこは50ccのシリンジで3本を1日おきにしてました。
初めのうちは、ギチギチのところに液体注入するので肩がムキムキになって強そうになりますが
中期後期になると腹水になりやすいので4本を2日おきに。
普段たるたるに2日くらいは輸液溜まってるのに、減り早くない?となったのが始まり。
食べてすぐに吐くことが増え、食べ直しては水を飲みすぎ(これは腎不全による多飲)を繰り返していくうちにご飯を食べなくなってしまう。
カリカリをふやかしたり大好きなおやつを目の前に持っていったり手を尽くすが、ちゅ~るもそっぽを向かれた時はもうだめだと思った。
調べたら「猫は36時間絶食すると肝臓への影響が急激に出る」とあり、これはやばいと定期検診の予定日前に病院へ。
病院に行くと凶暴になるねこ、抵抗する力もないのか唸るだけでされるがまま。
結果は卵巣のコネコチャンが入る管の部分に膿が溜まっていた。
犬猫の子宮図で解説してもらったんだけど人間とまるで違う形状なのでへー!となった。
で、その膿を除くための手術という手段があるのだけど、この子には麻酔に耐えられる体力がないからお勧めできないと言われテレビでよく見るやつだ……!!などと思っていた。
今この診察のイライラでお家帰ったらごはん食べ始めるかもしれないので見ててね、と言われアハハなどと言っていたらマジで帰った途端ごはん食べに行ったのでめちゃくちゃ笑った。ご飯食べたやったーーー!!!
錠剤を粉砕し、ちゅ~るに混ぜて食べさせようとしたら察しがいいのでちゅ~るまで警戒するようになる。直接口に突っ込む「投薬器」を買った。
結果、数値は戻りこちらの件はなんとか乗り越えました。
そう、腎臓です。
腎臓が悪化すると、腎臓から脊髄に「血つくって!」の信号が送られずひどい貧血に。
造血を促す注射を受ける。元は人用らしい。
赤血球の数値が上がるかを一週間くらいで見るとのことで翌週も通院。
の予定が何を察したのか隠れてまっったく出てこなくなったので薬だけもらいに行く。
「逃げる元気があるなら効果は出てるとおもうので、ねこも人間もお互いストレスないよう診れる時に診ましょう」と言ってもらえて泣きそうになってしまった。だいぶ焦りがあった。
月末、改めて病院。赤血球の数値はちょっと上がったけど、今までの残りが働いてこの後減るかもしれない、とこの日も注射する。注射をしても食事が出来ていないと血の素材が足りないのでご飯食べさせるのに必死。
以前はカリカリしか食べずウェットごはんに見向きもしなかったのにウェットじゃないと食べなくなる。
更に翌週、赤血球の数値が19→21でほぼ変わらず、効いていれば30台まではあがるとのことで、造血注射は諦めて食事を頑張る方向に。
カリカリを食べなくなってからはウェットごはんを小皿に入れて与えていたのだけど、ニンゲンが口元までごはん小皿持っていかないと口にしなくなる。
この頃まだ吐くし、寝ててもえづく音で起きてしまう。元々そばでひと鳴きするだけで起きて「ネコチャンどうした」するタイプではあったけど。
貧血で棚の上を歩いて足を踏み外すことも多くなり、フラフラしてるので心配で目が離せなくなる。
我が家は1階・2階のメゾネットタイプなのだけど、途中で動けなくなったら困るのでできるだけエアコンの効く1階にいてもらうようにする。ねこの拠点が棚の上だったので、床にダンボールを横にして置いたらすんなり寝転んでくれたのは助かった。まだ2階に逃げる元気がある。
食事量も減るのでトイレに💩あるとやったーーー!!!💩あるぞーーー!!と宝を見つけたかのようになるニンゲン、ねこに引かれてたと思う。
相変わらずごはんの摂取量が少ないので、リン数値を気にするよりもなんとか食べてもらおうと好きな味のちゅ~るとウェットのごはん混ぜては、昨日は食べたのに今日は嫌なんですか!?こっちに変えますね!!!!など試行錯誤。気まぐれが凄い。
空腹になると胃酸で吐いてしまうので、家にいる時は2~3時間おきにちゅ~る半分やウェットごはんを与える。2ペロで終わるときもある。食え。
🐱7月17日
2階で寝ていたのを1階の座椅子で寝るようになる。どこでも寝られるのが特技なのが役立つ。
これ以降、急激に痩せていくのがわかるようになる。
軽い。
骨と皮だけじゃんやだーーー!!!もっと食え!!4キロくらいに肥えてくれ!!
実際は2.5kg
しっぽの付け根あたり、骨盤部分が骨の形がわかるほどで、褥瘡が怖くて私の枕をあげた。
顔は元々ほっそりしてたので殆ど変わらないのが救いだった。
🐱7月22~25日
4連休の間、久々にネコチャンが「窓の外を見る」ことを思い出したようす。
が、この時にはいつも通り道にしていた30cm程度のテレビ台にも上がれなくなっている。
窓の前にある棚が定位置だけど、いつも前脚を肘置きのようにしてた窓辺の段差7cmが、ガリガリすぎて高くなってしまっていた。
厚めのクッションを置いたり、窓のサッシをタオルで埋める。窓辺に行くために棚を渡っていたので、窓まで緩やかな階段を作る。
窓辺に行きたそうな時は直接連れて行ったので、1回しか使ってもらう機会がなかった。
寝返りや体勢を変えるのもしんどそうにしているので褥瘡怖いしひっくり返すんだけど、一定の方向が落ち着くのかすぐに戻ってしまう。なんでや。
あまりに食べないので、1日1回注射のシリンジで強制給餌を始める。
とうとうこの時が来たかという感じ。
連休中、ちっちゃい💩1回みただけ。
強制給餌で食べてるのに出てないのまずいな、と思う。
🐱7月26日
🐱7月27日
ネコチャンの首輪に「Catlog」を利用しているのだが、昼から「データなし」になっている。受信機が1階で、2階にいると記録しないのは常なのだけど今回ばかりは話が違ってくる。気が気でない。最短時間で帰宅する。
こんなに緊張しながら家帰ったこと無い。
1階の引き戸が開いていた。最悪のパターン、1階にいながらデータなしは回避した。
2階、少し前までよく引きこもっていた押入れの奥で横になっているのを発見する。
生きてた。安心して泣いたけど、ねこはキョトン顔だった。おまえのせいだよ!!
気が気でない。
帰ったらねこはダンボール寝床で寝ていた。ちょっとくったりしている。
というかよくそんな状態で昨日、重めの引き戸開けて脱走したな!?!??
すっかりトイレには行けなくなってしまい、シートが濡れてないかを確認する回数が増える。
横になるのが嫌なのか、近くの隙間にはまって香箱座りになりきれてない体勢でじっとしている。
連休中、横になっていると前脚の先だけ曲げて上半身起こしてて、変な体勢するようになったと思っていたのだけど、あれは香箱座りしたくても内側に前脚をひっこめる筋力も無くなってたんだな、と前脚を伸ばしたままのねこを見て思い至る。
🐱7月29日
少し仮眠、と朝4時~5時半まで寝る。
ちゃんと息してるのを確認して安心するも、完全に横たわり、呼吸が浅い。
内蔵に負担がかからないよう抱いて、しばらく撫でていると急にむせ始める。
慌てて横に寝かせ、顔と体を撫でながら声をかけていると、一度大きくむせて、そのままねこは止まってしまった。
この間30秒もなかったと思う。
こんな急に動かなくなるんだ。ねこの目と口を閉じる。
直後に同居人が起きてきた。
あと1分早く降りてきてたら……と言っていたが見なくて良かったんじゃないかな。
私も抱かなければよかったのかなと思ったけど、この後どのみち強制給餌だったので抱いて撫でてる時で良かったのかもな、と思うようにしている。
ねこを抱き上げると、首がすわってない赤ん坊よりすわってないので完全脱力したねこは液体だった。
まだ6時にもなっていない早朝、ねこは亡くなりました。
こういう時ってどうるすん?市役所?という同居人に「こんなこともあろうかと、私は事前に頼むところを決めていました」とペット葬儀社のURLを送る。
勝手に決めるのも気が引けたんだけど、卵巣炎症の時点でもう夏保つかどうかの覚悟を決めていたし、それくらいのことを考えてて欲しかったのもあったので。あと夏だし。
春先に実家のねこが無くなった時は、母がお寺でお坊さんにお願いしてたけど、
午前中にいけるかと思っていたら、19:30の予約になったのでびっくり。
直前に同居人がもうひとりの人が休みだから休めない……などと言い出し
「なる……」
と半休だけでももぎ取るという話をした後だったので、全然余裕で仕事して帰ってこられる時間じゃん、と出勤していく同居人。そりゃ電車でカメラロール眺めてたら急に泣き出す不審者にもなろうよ。
その頃私は家で思う存分泣きたくねーー!!と叫びながらひとり号泣していた。
ネコチャンが拠点にしていたダンボールに10時間保つアイスノンを敷き、この時のために事前にストックを増やしていた保冷剤をペットシーツに包み、ねこのそばに入れていく。
片付けるか、と猫砂や爪とぎをゴミ袋に入れ、ねこのごはん皿や水皿、それを置く台を洗う。
いきなり全部片付けるのはネコチャンも「急になんで!?」ってなるかもしれないなと思って、袋に少し余ってた猫砂をトイレに入れ、水皿に水をいれて台に置いた。
ねこにも適応されるかは知らんが四十九日くらいまでは置いときたいな。
冷たくなっていくねこ撫でながらゲームしてた気がする。冷たくなっても毛艶が良い。さすがうちのねこ。
鼻や口から体液が漏れ出てくるのでキッチンペーパーをあてがい、汚れに気づいたら変えてあげた。
動物病院に電話したな。話してるうちに先生も涙声になってて、そりゃ動物好きじゃなかったら獣医なんてならないか~って
考えてるうちに話せなくなったので、また挨拶に伺いますと切ってしまった。
予約時間、葬儀社のスタッフが棺替わりの籐かごを持ってやってくる。ちゃんと絹みたいなきれいな布で、薄手の布団みたいな敷物もセットされてた。
小型犬くらい入りそうな大きさだったのででかい。ねこ横たわらせても半分くらい余る。お花もっと買っておけばよかったな、と笑ってしまう。
お清めや小さい数珠も用意されてて、スタッフが作業するのかと思ったらこちらがやるらしくて、あ、やっていいんだと思いながら体を拭いたり、前脚に数珠を通した。
抱けるのは最期なので、と言われ固くなったねこを抱く。冷たい。
カゴに戻し、お花やカリカリを入れていく。一番好きなおもちゃが「レシート丸めたボール」という超絶安上がりねこだったけどさすがに入れるのはやめた。
ワゴン車に備え付けられた火葬炉にカゴを置き、扉が閉じられる。
ねこの写真をAirDropでスタッフさんに渡したのでこの間に事務所戻ってメモリアルカード作ってくれてた。
生まれ日、没日、四十九日の日付入りのラミネートされたカード。
四十九日あとで調べようと思っていたので助かる。
小さい骨壷で帰ってきたねこ。
遺骨カプセルのキーホルダーもプランに入ってたようで用意してくれていた。
一層ちっちゃくなっちゃったねえ。
🐱8月6日
今受け持ってる中でも一番コントロールが難しい子だったので、本当によく頑張ってたと思います。って言われてそっか、頑張ってたのか。
朝6時半には出勤するので朝の投薬のために毎日5時台に起きたり、は意外と苦じゃなかったなあ。ごはん食べてくれない方がしんどかったしな。
写真を見せたり色々話してるうちに、今こんなこというのも何なんですけど……
といつかまたねこを迎えたくなったら保護猫検討してくださいね、うちも「子猫リレー」っていって預かってる場合があるので、と教えてもらった。
いつか機会があれば今度は多頭飼いしたいな。
🐈💨💨 💨 🐾 🐾 🐾 💸 💸 💸
6/10 ¥6,820 隠れて病院行けなかった日(2週間分の輸液セット)
6/30 ¥19,360 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
7/7 ¥14,960 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
7/23 ¥18,400 血液検査、造血促進の注射、輸液セット
検査内容が増減したり、輸液セットが1週間分だったり2週間分だったりで幅がでてる。
2ヶ月で¥74,698か……頑張ったな…
6/10はセミントラもあったんだけど、病院の先生が「1回うちのねこに使ったやつだけどあげますねー」ってくれたのでめちゃくちゃ助かった。30ml・6,000円するので(輸入品なので病院によって値段違うと思う)
病院に最後の挨拶行った時に余ってた輸液セット持っていったら返金してくれたんだけど1万5千円返ってきて笑った。多すぎ。
普段から失敗した時用に注射針の予備ももらうんだけど、私失敗しないので予備が減らなかったり、最後頻繁に行ってた時の差分が管理出来てなくてわちゃわちゃですよ。
ねこ財布に入れたままにして、今後は月5,000円づつ入れてってそろそろヤバそうな洗濯機や冷蔵庫やコンロがいつ壊れてもいいようにするんだ……。
まあこれだけかかるので、話題になった東大の「腎臓病の治療法を開発」は全てのねこ飼いにとって大きいんですよ。
この記事読んだからこれだけお金絡ませた日記書こうと思ったくらいなので。
「ネコの宿命」腎臓病の治療法を開発 寿命が2倍、最長30年にも 東大大学院・宮崎徹教授インタビュー
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021070800906&g=soc
ねこの腎不全は高齢猫は高確率で発病すると言われているので、飼おうとしてる人は
きちんと保険に入るなり金銭面を盤石にしてから挑んでくれよな。
これはインフルエンザもかかったことがない自分の記憶史上最大の大病を後世に残すために記録するものである。オチとかない。
4時ごろ喉の痛みに気付いて目覚める。風邪でよくある咳が出る系の痛みではなく、飲み込むときの違和感と強めの痛み。口にライトを当てて鏡で見ると、左の扁桃腺らしきものが明らかに赤黒く腫れ上がっている。その奥の喉も血管が太く赤くなっているが、扁桃腺に由来するものだろう。熱はなさそう。
コロナが少し頭をかすめる。コロナの症状的には「喉の痛み」もあるらしいが、咳に関連するものじゃないかなと自分をむりやり安心させる。嗅覚はある。
念のため、夕食後に体温を測ると36.7度だったが、就寝前は37.2度。あれ、やばいかも。明日は医者に行こう。
朝36.9度。
痛みはあいかわらず。
午前は休みを取り、かかりつけと自分では思っているが10年ぶりくらいの内科へ。額で測定する体温計で37.4度だったが、すでに暑くなった時間に移動したせいじゃないのと思う。コロナの検査はできないと言われる。「扁桃腺が炎症を起こしてますねえ」との診断。知ってるし。何か他に症状はというから、痰が出やすいというと、色を聞かれて無色と答える。「抗生剤、炎症止め、解熱剤を出しておきますね」でおしまい。かかりつけやめるぞ。解熱剤はにわかに有名になったカロナールだった。
帰って測ったら36.9度。だから非接触体温計とか信用できないんだよ。
午後は普通に出勤。この頃まで元気。
午後遅くなって頭が回っていないことに気づく。あと重い。幸い体温計を持ってきていたので測ると37.4度。もしかしてあれは予知能力のある体温計だったのか、とか思いながらさっさと帰ることにする。熱とかあったらすぐ休めという柔軟性のある会社で良かった。
夕食には早いしとりあえずベッドに潜り込む。
20時ごろ目が覚め、測ると37.9度。これはやばいぞ。コロナの心配もふたたびよぎる。
夕食はなんとか食べ切れたが、あとから思えばかなり喉の痛みに堪えながらだった。処方された薬もちゃんと飲む。
21時ごろやはり37.9度。解熱剤を飲んで就寝。
就寝と言っても、途中何度も目覚め、連続した熟睡はない。痰がとても多く、それを気管から引っ張り出すのに喉が痛み、いちいち立って吐き出しに行けないので、それを飲み込むのに喉が痛む。一度に飲み込めなかったらやり直し。つらい。
6時ごろ37.4度。
朝食のトーストを食べるのがつらい。なるべく小さくかじって何度も噛んで牛乳も追加で含んでドロドロにしても、飲み込むのに決死の覚悟が必要で、覚悟してても痛いものは痛い。食べなきゃいけないのに大きな苦痛。これ拷問になりませんかね。吐き気まで感じてきたので1枚で切り上げた。いつもは2枚食べるのに。足りないカロリーを補えそうなものはと冷蔵庫を見たら、何年も放置していたゼリードリンクを見つけた。やっぱり痛いけど喉に優しい。
疲れてしばらくまた寝る。
11時ごろ、そうだコロナ検査しようと思い立ち、都道府県のホームページで検査可能な医療機関一覧を見つけ、割と近くの耳鼻科に連絡して事情を話す。「発熱や感染疑いがある場合は診察と検査は屋外でしますが大丈夫ですか、熱中症対策してきてください」と言われかなり不安になる。
着いたら指示どおりインターホンを押して待つと、看護師が出てきて、医院の裏口の脇に連れられ、そこの椅子に座って問診票書いて待っててくれと言われる。ここで診察・採取・会計するんだと。ここ、陽が差してるやん。屋外とは聞いたがテント的な屋根くらいない?普通。しかもエアコン室外機2台も唸ってるやん。こいつが吐き出した熱のおかげで、室内の他の患者の人達は涼しいってか。
持っててよかった折りたたみ傘。日傘代わりにさしながら、喉のことや薬のことを問診票に書いて渡し、医師を待つ。医師が来て喉を見せると「左の扁桃腺に炎症がありますねえ」。知ってるし2回目。「重症の」。そうか、だからあんなにつらいのか。薬は今出てるので十分に見えるが足りないのはないか確認される。症状に変化があったり薬を飲みきっても治らないようならまた来てと。何も考えず近さでここを選んだけど、たしかに耳鼻科のほうが喉の専門だよな。
次は会計。最後に検体採取。綿棒の痛いやつかなと思ったら唾液だった。容器の一目盛分唾液を溜めて渡しておしまい。結果は夕方以降に電話でもらえるらしい。
ちょっと横になってから遅めの昼食。毎回だがつらい。1食分食べるのに時間のかかること。
37.9度。解熱剤を飲む。
寝ていてつらいことの一つが痰の処理。飲み込むのが痛くてたまらない。意を決して、洗面器に水を少し入れてベッド脇に置き、ここに吐き出すことにした。そうすると、痰に関するストレスからは大きく解放された。
起きている気力はないので、ほぼ横になりっぱなし、たまに水分補給とトイレで起き上がるくらい。
そうこうして外が暗くなった頃に電話が来る。本人確認して、「結果は陰性、マイナスです」と。淡々と礼を言い、電話を切る。安堵。
ベッドに横になったり四つん這いでうずくまったり座ったり。何をしても楽になれない。
遅い昼食に引きずられて遅い夕食。
38.1度。解熱剤を飲んで就寝。処方された3回分を飲みきったけど明日からどうしよう。
夜中は何度も目覚める。喉だけじゃなく奥歯まで痛く感じるし、頭も痛い。つらい。
しばらくベッドで苦しみながら過ごしたが、解熱剤は必要なのでドラッグストアへ。近くにあって本当に助かる。たしかにアセトアミノフェン系は見事に品切れ。まあなんでもいいだろうと店員に扁桃炎の熱と痛みに効くのはあるか聞くと、やはりどれでも大丈夫だと。このへんがおすすめですよって最後にさらっと指したのはめっちゃ高いプレミアムEXスペシャルクイックみたいなやつらだった。で、選んだのは、イブAと同成分の一番安いやつ。
空腹は避けたほうがよさそうなので、まずは昼食。これも完食できる気がしないのでいつもの半量程度にした。それでも食べるのに1時間くらいかかる。食後、解熱剤を飲む。37.8度。
食べ疲れたのでベッドに倒れ込む。ときどき寝入ったりしながら検温したりとりとめもないことを考えたりする。ふと気づいたのが、そういえば喉が痛くなってから勃起してないぞってこと。朝立ちというが朝だけじゃなく浅い眠りのときはたいてい勃起してるのにそれがまったくない。痛みとか熱と関係あるのだろうか。エロで勃起するかしないかは今は試す気すらしないが。
夕方37.2度。珍しく少し下がった。イブAもどきが効いたのかな?あれ、そういえば痛みも少し和らいでる気がする。奥歯とか頭まで痛くなってない。このまま治っていけばいいがそう甘くはないかな。
甘くはなかった。遅い夕食頃37.7度。痛みもぶり返した。昼と同じくらいだけ食べるので精一杯。
就寝前に解熱剤を飲み横になる。何分くらいで効果が出るのか興味が出てきたので、頭痛が引くのを期待しながら待った。20〜40分のあたりで効果がだんだん出てくる感じがわかって満足した。この薬は痛みも止めてくれる、このことで気持ちに余裕ができた。
7時ごろ36.6度。お、薬の効果がまだ続いてるにしては長いな。回復した?
朝食は食パン2枚食べられた。1日目の痛み程度かもしれない。ちょっと食べ過ぎ感がある。胃が小さくなったかも。
仕事に行けなくもない体調だが、少なくとも午前中は様子を見よう。
もう例の洗面器は必要ないだろう。何度か交換するのにそのままトイレに流していたが、ちょっとした好奇心が頭をもたげる。
痰の物性を知りたい。まずつまんでみる。痰部分と水部分がある程度分かれて1回分ごとのシマになっている気がする。まあそりゃそうだろう。ザルでも使えば水とある程度分離できそうだが、そんな用途に使えるザルはない。今度100均で買っておこう。今できそうな実験はシマがなくなるように全部混ぜることくらいなので、指を突っ込んでぐるぐるかき混ぜたら、なんと結構な粘度の(アダルトな意味での)ローションと同様の物質ができてしまった。痰そのものよりも水の方がはるかに多くてこの粘度である。ムチン恐るべし。感染症があると痰の粘度も上がるらしいからその影響もあるか。
ではこの痰ローションはその目的に使えるのか。つまり前とか後ろに塗りたくればいつもの一人遊びに使えるのか。これはさすがに実行できなかった。まだ賢者だ。これ以上の実験は諦めてトイレに流した。とたん、熱耐性が気になった。実用のためには殺菌が必須だが、加熱殺菌が一番簡単だからだ。ムチンはペプチドに糖鎖がいくつも生えている構造らしい。ペプチドが熱変性して物性が変わると困る。次の実験は決まった。あ、冷凍耐性も調べなきゃ。
こんなことを考えられるのも元気になってきた証拠だ。
36.8度。大丈夫だとは思うが、大事をとって今日も仕事休もう。
夕食はほぼ問題なし。
就寝するも寝入りは良くなかった。なんか夢と覚醒がぐちゃぐちゃに頭を駆け巡る感じがかなり続いた。
勃起した。
処方された薬はあと1日分あるから、念のためこれは飲みきろう。
扁桃炎でググるともっと高熱に苦しんだ人も多いらしい。今後苦しむことになる人はこの記事をみつけてくれるだろうか。もしみつけてくれて、経過の一例と少しでも快適にするための工夫を提供できたなら幸いである。
以上。扁桃炎闘病記録おわり。
https://note.com/hiroshi_arakawa/n/na8399fa5fe4c
で触れらてている
First case of postmortem study in a patient vaccinated against SARS-CoV-2, Torsten Hansen et al., Int j infec t. dis, 2021 Jun;107:172-175
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1201971221003647
86歳男性が接種後18日より増悪する下痢があり、大腸内視鏡の結果虚血性腸炎と診断された。
支持療法を主体とした治療が行われたが腎不全の発生有り体調が悪化したため入院を続けていた。
25日目に リアルタイムPCRによりコロナ陽性と判明。その後発熱・呼吸苦・ラ音聴取があり、酸素投与・抗生剤の投与が行われたが、翌日腎不全・呼吸不全により死亡。
死亡前日の血清検査によりスパイクタンパクに対するIgG抗体は十分であったが、NCPに対するIgG/IgMは見られなかったことから接種により十分な免疫応答があったことがわかる。
剖検では両側広範囲の気管支肺炎・膿瘍形成・球菌の存在が認められた。コロナ肺炎で見られるようなび漫性肺胞障害は認められなかった。
分子マッピングでは肝・嗅球以外のほとんどすべての臓器でコロナウィルスRNAが検出された。
接種後数週前から死亡する直前までコロナ感染の典型的症状がなく、通常発症後7-14日で上昇する IgMの上昇がなかった。咽頭スワブ・剖検検体からは十分なウィルス量つまりは
感染性が示唆される。これらのことより、分子マッピングの結果は感染早期の状態を反映したものと思われる。
これらの所見は特に肺に関して、ワクチン接種は重篤な病態を起こすのを減少させるという動物実験モデルの結果や咽頭スワブでウィルスRNAが持続するという結果と合致するものである。
”Our findings are in line with previous evidence from animal models that immunization against SARS-CoV-2 by vaccination appeared to reduce the severity of pathogenesis, especially with regard to severe lung disease, while viral RNA persisted in nasal swabs ( Van Doremalen et al., 2020;Vogel et al., 2021 )”
今回の結果は、一回のワクチン接種でも免疫応答を引き起こすが、無菌免疫の成立には至らないという従来の説と合致するものである。
感想)少なくともこの結果で"それどころかむしろウィルスが抗体を利用して全身に感染を蔓延させたように見えます。"といえない。論文のポイントとしてはコロナワクチン接種後患者でのコロナ感染早期像についての病理学的知見が得られた、ということでしょう。
もうすぐ11歳の雄。
11年前、生後すぐ数匹で公園に捨てられていたのを近くに住む人が保護して、3ヶ月くらいになってから地域の広告に里親募集した。
私はそれをたまたま見つけて、連絡した。
私が連絡した時には、広告に載せていた子達は既に皆譲渡されていた。
残った1匹がその子だった。
猫風邪がひどくて目も濁っていたので、どうせ貰われないだろうと、保護主はそのまま自分が面倒を見るつもりでいたとのこと。でも一目見た瞬間、私が引き取ろう、と思ってしまった。譲っていただいてもいいですか、と聞くと、ちょっと驚いた様子で、承諾してくれた。
うちに来た当初は怖がって、家具の後ろに潜ってなかなか出てこなかった。ドライフードを出すも一向に食べず、缶詰を開けたらようやくムシャムシャしだした。
家族は最初は猫がくることにちょっと抵抗があったみたいだったが、対面するとすぐにメロメロになった。
猫もそのうち慣れて、いっぱい食べて、一緒に寝て、ゴロゴロ甘えて、後輩猫たちもすんなり受け入れてくれて、面倒も見てくれてうちの家族みんな癒してくれた。
今までいろんな猫を見てきたけど、群を抜いて性格が穏やか。人のことが好きで、いつもちょっとだけ誰かに体を触れてくるように座ったり、休んだりする。
体はやっぱりあまり丈夫じゃなくて、しょっちゅう外耳炎になって病院にはかかってた。
あと食には頑固で、ちょっとでも気に入らないと頑として食べずにハンストする。
でもなんだかんだいっても順調に暮らしていた。
8歳過ぎた頃、後肢が微妙な感じの動きをするようになった。あんまり力が入ってないというか、歩き方がひょこひょこしてた。
病院で検査をしたけど、血液では何も悪いところはないと言われた。
そのうち、壁に突っぱって立ててるキャットタワーは、登れても降りられない、という感じになった。登ってから助けを呼ぶのだ。
そして、次第に登らなくなった。
それから10歳を超えて、歩き方はヨタヨタしてきたが、それでも普通に自分で動いてご飯を食べに皿まで行ったり、トイレはしてた。
GWが明ける日曜の夜、いきなり様子がおかしくなった。ガタン!と体を揺らしたかと思ったらひっくり返ってワタワタして、オナラをした。トイレに連れてってやるとゆるいウンコをしたけど、下半身が踏ん張れないようだった。猫のお尻を拭いて床に置き、トイレの片付けをしていると、床に尿の水溜りができていた。
そこからはもう、グッタリして動けないようだった。ご飯やチュールどころか水も飲まない。横になって、息も荒くなって、不安そうにずっと小刻みに鳴いてる。たまにワタワタと暴れようとしていた。
私も家族も心配で心配で、一晩交代で寄り添って背中をさすったりしてた。
血液検査と点滴。脱水症状と神経系に細菌性の炎症があるという疑いで、抗生剤と消炎剤投与。
3日経って状態がだいぶマシになったので退院となり、今日家に連れ帰ったけど、まだ自分じゃ歩けない。これから歩けるようになる保証もない。神経系の疾患は治るかもしれないし、治らないかもしれないことを聞いた。
ただ、猫にとっては住み慣れた家にようやく帰ってきたという感じがすごく伝わってきた。ずっとゴロゴロ言ってるし、自分でも頑張って動こうともしている。家族にくっついて今は安心したように眠っている。
これからどうなるんだろうという不安と、やっぱり帰ってきてくれて嬉しいという気持ちと、いやがおうにも迫る覚悟と、ぐちゃぐちゃしている。
とりあえずケージを組み立てて、ペットシートを敷き、おむつを買ってきた。
私も家族も仕事や学校で、まるまる24時間はそばにいられない。また倒れたら?ご飯が食べられなくなったら?この3日にかかった入院費は検査、治療費含めて6万とちょっと。保険は年間3万かかっていたわりに使わなかったので解約したそばからこの出費。次入院したら?…いっそもう延命しないと決めて静観する?でも目の前で苦しそうにしてたら、きっと放ってなんかおけないだろう。なるべく猫が楽な気持ちになる選択は?家がいいの?病院で点滴なの?家族の腕の中でスヤスヤしている猫は幸せそうだ。月曜入院させてほんとうによかった。でも。いろんなことが頭の中でぐちゃぐちゃだ。
ぐちゃぐちゃなまま書いた。
読んでくれた人がもしいたらありがとう。
今の神戸の実情です。
神戸の訪問看護師藤田愛さんの投稿をコピーして皆様にご紹介させていただきます。
自分事としてどうぞ皆さんお考え下さい。
敗戦中の従軍看護師はこんな気持ちだったのだろうかとか、毎日ぼきぼき心が折れてゆく。1日回れても8人、重症者が増えてきたので1件ずつの訪問時間が長くなる。
「せめて入院までの間、訪問してくれる訪問看護ステーションをご存じないですか?」
知っているけどないとは言えなかった。「行きますよ」と返事してしてしまうのが、自分の弱さだと分かっている。
有料道路を乗り継いでいく初めての土地、真っ暗だからここは県外か?どこに向かうのかとか訪問先のことなのか、自分のこと何か分からん問いがわいてくる。
到着が21:00になった。家のドアを開ける時に心が定まる。できることをする。
待たせてごめんね。病院の廊下でもいいですから、入院させてほしいとお母さんに手を合わされても、私にはどうすることもできない。咳き込んでいるので、窓全開でも気が散りそうになる。集中して血管を探す、よし入った。ステロイド入りの点滴、焼け石に水でもないよりまし。来てくれただけでも命が見捨てられてないと感じて希望が持てます。
こんなこと誰が知っているのか、どう発信すればいいのか。
今ここに居合わせている私でさえ、信じたくなさの気持ちが反発しているくらいなのに。
大病院で陽性だけ検査して帰宅後、1週間。おいおい、これはこのままじゃ今夜死ぬかも。持病の薬が床に散乱してる飲めないよね呼吸数54回じゃ、まだ30代できることは正しく、危機感が伝わる報告をすること。
保健センターに、数値と判断を伝える「早急な入院治療が必要です、そうでなければ感染症か呼吸不全か心不全かで急死の可能性があります。」
どれだけ同じような報告を保健師が聞いているだろう、悲鳴の向こうにまた悲鳴がある。
「○○病院です。」
「ああ、よかった、ありがとうございます。」
保健師とほんの数分言葉を交わし、一緒に悲しんだり喜べるのが支えとなる。
コロナの訪問は100件を超えただろうか。入院調整中の数の増加に1000分の1と思う。急変を見つけても頼るかかりつけ医も入院もないなら私のやっていることに意味があるのか。いや、あるからやっているのだ。信じたくなくても、一丸となって本気の緊急事態宣言を皆でがんばるしかない。飲食や観光、私の人生の一部だ、絶対に守りたいと思う。だけど今の命なくして、未来はない。
全例入院治療がいいに決まっている。でも叶わないなら、医師にコロナ特例で免責されて、対面なしで在宅酸素、ステロイド、抗生剤、解熱剤、点滴をコンフォートセットにして処方できるようにしてほしい。まだ私自身は実施例は少ないが、これで救える命もかなりある。滞在時間も30分以内に留められる。
でも回復を約束できるわけじゃない。何もせずにいつとも分からぬ入院を待つよりいい。それを離れた家族は知っておいてほしい。たかがそれでも引き受け手がない中で全力を尽くしていることを理解してほしい。この事態について全国民の理解が必要である。県外に住む家族に「おいこらオマエ、治療せんか、入院させろ」とすごまれたってできんものはできん。
ご心配でしょう、そうですよね。私たちが生まれて、急病なら医師の診察、救急車があたりまえでしたね。残念ながら今の神戸はその状況にありません。静かに強く現実を伝えてゆく。もう何回目か覚えていない。30分から1時間はかかる。10人しか担当していない私でさえそれだから、保健所の電話がそんな電話で埋まる。保健師が次々倒れて、より人が減るのもあたりまえだ。倒れなければ休めない。
今、酸素飽和度85%だった方、あかんかと思ってたら酸素、ステロイド、抗生剤3日目、94%にあがったと電話。そんな会話できる人だったことを今初めて知ったわ。私、こう見えて商売人やもの。話得意やねんで。うれし泣きで始まる今日の朝。
妊娠が確定し安定期前後に母子手帳が配布されると、検診時に助成があったり、12週以降の流産や分娩時には出産一時金を受け取れる。
自分の場合は母子手帳を受け取る直前の10週に流産をしたため、10万円近い金額があっという間に飛んで行った。
初期流産は母体が若く健康でも10~20%は起こることなので、今後誰かの参考になればなあと思い、経験や感想を交えながら具体的な費用を残しておきます。
結婚数年目にして子作りを始め、初の妊娠発覚。検診は全て保険外。
初期の稽留流産となる。(胎児の心臓が止まったまま子宮に留まった状態)
流産が分かった時点から、保険適応となるようです。ただし手術に向けての血液検査等で保険外がこのうち¥13,200-かかっている。
胎児が小さければ自然排出されるまで待つ場合もあるが、今回は胎児が大きくなってきており自然流産となると自宅で大量出血の恐れがあり手術を選択。
手術前日の前処置で、水分を吸収し時間をかけて子宮を広げる棒(ラミナリア)を入れられます。
拡張器で膣をつまんで無理矢理広げられ針のような物をグリグリ奥まで刺される。
痛みには個人差あるようだが、私の場合子宮頸管が狭く角度もあったため上手く入らず時間もかかり、経験のない激痛が走り悶絶。人生で一番痛い経験だった。
抗生剤を受け取り帰宅。ラミナリアを挿入している影響で重い生理痛のような鈍痛が続く。
掻爬手術という方法で、匙のようなもので子宮内から胎児を掻き出す手術だ。
中絶の場合は保険外となりおよそ10万前後かかるが、流産は保険適応内。
手術着に着替え分娩台に上がり麻酔で意識を失うが、20分程経ち麻酔が覚めた頃にはまだ手術が続いていた。痛い。怖い。
どうやら子宮口がうまく広がりきらず器材が入らなかったようで、手術中止となった。
恐怖や悲しみと戦いながら手術に挑んだのに、まさか中止になるとは予想だにしていなかったので、泣いた。血も結構出た。
担当医からは、あなたの子宮口の問題で手術が難しいから自然排出を待って、胎嚢が出てきたら持ってきてと言われる。
2、3週間~長ければ2、3ヶ月程かかるかもとのこと。2、3ヶ月も体に悲しみの時限爆弾を抱えて生活するのは精神衛生上よろしくなくないか?
通っていたのは近所でも人気のクリニックだったが信用を失ってしまい、近くの総合病院でのセカンドオピニオンを決める。
紹介状を書いて貰う際に担当医からは「何万人もの手術経験のある僕にできない手術なら、この病院行っても無理だと思うけどね~」なんて言われた。
前回まで通っていたクリニックとは違い、かなり時間をかけて丁寧に内診をしてくれた。
内診で見る限り異常もないし、手術もそこまで難しくはなさそうなので、当院で再トライしてはどうかと言われ、是非にとお願いする。
血液検査や性病検査、心電図等、前回のクリニックで足りていない部分の検査をした。
うち個室代が¥14,000。
大部屋なら差額はかからず総額4万円以内で済むのだが、幸せそうな妊婦や赤子と同室になることが不安で精神安定のため個室にした。
因みにこの病院でも手術前に海綿体の棒を入れる前処置があった。
前回、激痛で死ぬ思いをしたので恐怖に震えながら挑んだが、今回はほとんど痛みも無く時間もかからず、
え?もう全部入った?え???状態。医師によってここまで痛みが違うとは、担当してくれた女医さんに感謝……感謝……
手術も前回とは変わり真空手動吸引法というもので、体に負担が少なく手術による合併症のリスクも少ない手術らしい。
海外ではこちらの吸引法が主流だそうだが、日本は医師の平均技術も高いことも影響してか、掻爬術のままの病院がまだまだ多い。
手術自体は麻酔があり怖がらなくていいものだが、自身は酒が強いせいもあってか、とことん静脈麻酔が効きづらいのがしんどい。手術中、寝たり目覚めたりを繰り返して唸っていた。
手術は無事成功し、術後はベッドを血で汚してしまったりもしたが本当に痛みは全くなかった。
中身がなくなってしまったお腹への違和感と切なさだけは残った。
一週間後の検診。血液等の残留物を出し切るために子宮収縮の薬を1週間服用したが、子宮内に血が残っていたので処方箋を変えてもらった。
「サイトテック」という元々は胃薬なのだが、副作用として子宮収縮効果が強く出るらしく、妊娠の可能性がある女性には禁忌の薬だ。
この薬に変えたとたん血が下からドバドバ出た。胃薬なのに副作用怖すぎへんか。
胃薬のおかげで子宮も回復。手術から約1か月半後に生理がきて、やっと全て一段落。
それに加え今回私は¥5,000支払い診断書を出してもらい、個人で加入している医療保険に手術給付金を申請し、10万円戻ってきた。医療保険、初めて入っていてよかったと思えた。
因みに自然流産で完全排出されたら手術給付金は受け取れない……
以上、ざっくりですがこんな感じ。転院がなかったり日帰り手術であれば、もう少し費用は抑えられると思う。
そして金額より何よりも、夫や家族や友人に頼ったり、難しければ病院やカウンセラーを頼り、気分転換もしっかりして精神的なケアを怠らずどうか鬱にならないよう。
私は自身のメンタルが強かったこに加え周りの支えもあり何とか持ちこたえましたが、流産によりホルモンバランスが一気に変わり産後うつに近い状態になることもあるそうです。
その前からなんだか本調子でないなと思っていたが、朝、起きたらのどが痛かった。
とっさに家に飾ってある花の匂いをかいだら、きちんと匂いがして、かなりホッとする。
次に悩んだのが職場に行くかどうかだ。
「朝起きたらのどが痛くてさ・・」と説明しているうちに、休めと言われるに決まっていることに気づき「・・休もうと思う。」と言った。
家人にも「もちろんそうしな」と言われる。
このご時世、のどが痛いのに職場に行くのはバカがすることだろう。
でも、自分の場合、家人に電話することでそれがやっと腑に落ちたというか、電話しなければへたすりゃ出勤していた気がする。
自分の判断能力の低さにやや引いていたところに、もう一つ問題が起きた。
親の会話を聞いていた子供が、「私ものどが痛い」と言いだしたのである。
自分がのどが痛いだけなら家でしばらく様子を見るつもりだったのだが、ここでもう一つの判断、病院に行くかどうかを迫られることになる。
しかし、子供は2週間前、ウィルス性でない感染症にかかっている。
それが治りきっていない可能性があり、その場合、抗生剤を変えて処方してもらう必要がある。
ネットで調べてもコロナの初期症状は強い倦怠感、のどの痛みである。
この時期、自分ののどが痛いので休みますというのは、いいづらい。
勤め先では、コロナが出た場合、同室の人たちは濃厚接触者として2週間自宅待機だし、下手すると建物ごと封鎖される可能性もあるという通達が出ている。
周囲への影響を考えたら、最初の一人になりたくないというのが正直なところだ。
嘘はついていない。
でも、なんとなくごまかしているような気がして(実際にごまかしている)、嫌な気持ちだった。
病院はとても空いていて、スムーズに検査できた。検査の結果、子供は以前かかった感染症が陽性だった。
自分も子供と同じ感染症で陽性だった。病気の原因が分かってこんなにホッとしたのは初めてだ。
以前とはまた別の抗生剤を処方された。今度は効いてくれよな。
長くなったが、これで最後だ。
今回のことで、ウィルス性以外の感染症で、本当だったら抗生剤を飲んだ方が良い人が、結構な割合で誰にも言わずに我慢してる可能性があるんじゃないかなというのと、
実際コロナだったとして、病院にも行かず、職場にはその可能性を報告せず、家でどうにか過ごしている人は、結構いるのではないかと思った。
そしてその何%かは、運悪く死ぬ。
8日
出来たかも?
喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい
検査薬 陽性
んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかないかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜
でもほんおいまらら
と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない
22日
初診
下の子を出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ
ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後の生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度
来週また診てみましょうとのこと
夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……
体がしんどいと思考がネガティブになったり普段は何てことない子どもの声にいちいちイライラしてしまう
つらい
翌月8?9?日
胎芽やっぱり確認出来ず
そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかわからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)
なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子どもの相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。
まぁまだ確定ではないんだけど
子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情
誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体に問題がっていうより精子とか卵子とかに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さない旦那がしょんぼりしてたのはちょっと切なくなった
改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた
診察だけでも数千円かかるから……
なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………
8日
9:00
昨夜22時〜絶飲食
お腹すいた
「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち
処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望
終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす
10:00
点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。
その後処置室へ
10:25
処置室へ
寒い。
処置どうこうより「全身麻酔で意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた
10:40
処置開始
全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は
「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」
知らぬ間に数十分過ぎてた
運ばれてるんだろうなー
「捕まっててくださいね」
ベッドに移動したんだろうなー
などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)
薬を嗅がされて…みたいなドラマやアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる
気付いたら個室ベッドの上だった
血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)
そしてまた眠る
11:15
初めて目を開けながら喋れたのがこの時
「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」
たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた
たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず
とにかくいろんな夢を見てた
12:47
起きる
13時過ぎ
しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー
痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む
食後診察
お腹すいた
こちらで用意するものは診断書(保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…
帰宅後の様子
1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)
でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝
翌日
再診
出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可が下りる
貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー
翌々日
寝て過ごす
昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む
翌々々日
あれー身体かるーーい!と思って朝から家事をバタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ
しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった
しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…
いったいなんなんだよ毎回!
客のモロくそプライベートどんな理屈があればそんなにカジュアルに聞けるの?あなたゲイですか?って初対面の人に聞くか?聞かねーだろ!
えーえー、こちとら病気知らずで医者嫌い、五体満足を持て余す健康優良不良中年10年やってますがなにか?新型コロナ禍が吹き荒れようが医者行くようなことは歯医者の定期検診と性感染くらいならものですよ。
ところが前日我が息子に並々ならぬ違和感を覚え(灼熱感という)、過去の戦歴から光の速さで午前休を取得し、再登場時の赤髪のシャンクスよろしく馴染みの泌尿器科へ直航したわけですよ。
そしたら案の定淋病orクラミジアだろうと(2年ぶり2回目)。まあいいですよそれは、想定内です。んで、抗生剤を処方され隣の調剤薬局入ったら冒頭のこれ!
2年前に全く同じケースで行った時に「今日はどうされました?」って言われそん時は驚愕しましたが、紳士たるものこの程度の横暴で心を乱してはならぬと思い、業界特有の事情や理由があるのかもしれないとスルーを決め込んだわけでした。
で、今回。さすがにイラッとして「それはどういうことですか?」聞いたら、「ええ、ですから今日はどのような症状でいらっしゃったのかと」なんて宣うものだから、ちょっと考えて、強めに「それ、いう必要あります?」って言ったら「すみません」だと!すみませんてなんだよおい!他に客も居るんだよ!?
なにがどういう理屈でそんなこと聞けるわけ?医療関係者って最もそのあたりの事情に神経質になるべき人たちなんじゃない?そりゃあクソ田舎の場末の調剤薬局とはいえ、いやそんな場所だからこそ余計にプライベートに神経質になるべきなんじゃないのか!?俺、なんか間違ってるかおい!
とまあそんな感じで怒り浸透、心のグランドラインは大荒れ、自慢の赤髪も怒髪天どころかレッドラインを凌駕する勢いで本稿をしたためているわけである。投稿をもって私の心の海賊船は概ねカームベルトへ到達したので、願わくば増田諸兄の体験談や、薬局勤め増田のご意見なぞ拝聴できれば幸甚の極みである。
今夜は産まれないとタカを括って、いつもは湯船に入るけど、シャワーのみ。
寝付きが悪い。寝る前にやってたゲームを夢の中でもプレイしてる。
今振り返ると、前駆陣痛(本陣痛?)でお腹が張ってたから寝付きが悪くて夢を見てたのかもしれない。
6:55 破水
目が覚めてTwitter巡回してたら、どぅるんって胎動が下の方であった直後にシャバっと破水。
お股を手でガードしてトイレまで辿り着くも、便座に座る前に盛大にバシャっと床に落ちる羊水😂
陣痛の痛みはなし。
不規則に張る程度。
麻酔投入①
足、下腹部、腹部に保冷剤を当てられて、麻酔の効きをチェック。下腹部は本当に何も感じない(°_°)
4cmのバルーンを挿入。麻酔が効いてるため違和感程度の痛み。
麻酔がないとかなり痛いらしい、と先生から聞いて、麻酔の効きに感謝する。
11:00 やっと朝ごはん。そういえばたまに痛いかも!?程度の痛み。
11:30 お昼寝。蒸気でホットアイマスクつけてすやぁ(´-`)💤
陣痛用ご飯。かわいいサイズのおいなりさん1つとお味噌汁、一口ゼリー3個。
陣痛が激しくなったら、これしかご飯食べられないのかとびびる。
13:00 陣痛(腹部鈍痛)5分間隔に。
ゲームのイベントが14時〆だからひたすらリズムゲームに熱中。ゲームに気を取られてたら、結構痛くなってきた。
麻酔②追加。
13:45 陣痛2〜5分間隔に。
麻酔③追加
14:15 内診。4センチのバルーン挿入入れたところ、なんと子宮口5センチに😲
バルーン分よりもより開いてる‼️
ずっと上向きで寝てたら、👶の心拍が80位まで落ちる。
(正常域は110〜160程度)
助産師さん3〜4人がバタバタと駆けつけ、ちょっと異常な雰囲気。
麻酔④追加
この麻酔④から、助産師さんを呼んで注入してもらうのではなく、自分で手元のボタンを押して任意のタイミングで麻酔入れられるタイプに。
無痛分娩代(+10万円)払ってるから、絶対に痛くないお産にしようと意気込み、躊躇なくボタンを押すことを決意。
15:30 やっぱり上向くと👶の心拍が下がっちゃう。酸素マスクつけて横向きに。
やることなくて暇だから、「新鮮な空気美味しいねえ」とか「あと何時間で会えるかなあ?」とかひたすらお腹の中に話しかける。
16:30 陣痛の間隔2分おきに。👶の心拍も安定してるから、酸素マスク外す。
17:00 内診。子宮口は変わらず5センチくらい。子宮口をやわらかくするための注射をお尻に打つ💉
導尿ついでに内診したら、👶の頭の位置が下がってきてるとのこと!
18:30 促進剤やめて明日にするorつづけて今日産む会議。
→つづけるに決定!👶頑張るよー!
19:00 隣の分娩室にいきなり経産婦さん(破水始まりの子宮口全開?)はいってくる。叫び声にびびる。
隣の妊婦さんと助産師さんの「はーーー」の呼吸に合わせていきむ練習する。
廊下で助産師さんが旦那さんに電話してて、「ついたときに生まれてるかもしれません」って言ってるの聞こえる…。
こんなに叫ぶほど痛くなるのかと震えて、「この人は無痛じゃない無痛じゃない」と心の中で念仏のように唱える。
隣の人の叫び声にびびって麻酔のボタン押しそびれたから、この日一番の痛みが2分毎に。
キリキリ系痛さじゃなくて、鈍痛系痛さ。
痛さとしては、2日目の生理痛で「今日はもう仕事休んでしまおう」と心が折れる数年に一度の憂鬱な生理の日レベル。
20:00 導尿②
やったあー!!!
(新型コロナのため立ち会い出産は分娩直前1時間程度とのルール。)
でも相変わらず上向きで寝ると、👶の心拍が90くらいまで下がる。
場合によっては(心拍下がる状態が続くようなら)帝王切開or鉗子分娩かもしれないと医師に告げられる。
ただ、もう鉗子できる位置まで下がってきてるから、あとは鉗子で引っ張るだけとのこと。
このあたりから、ずーーーーんっとお尻の骨が内側から押される感じ。(痛くはない。違和感。)
21:00 旦那到着🚕
待ち望んだ子宮口全開(((o(*゚▽゚*)o)))
助産師さんからもらったクラリセージ(分娩促進成分あり)のアロマを嗅ぐと、ちゃんと陣痛の波が来る。
アロマのパワーすごい(°_°)‼️
22:00 微弱陣痛になっちゃってたから、頑張っていきもう、次に👶の心拍下がったら鉗子分娩にしよう(帝王切開はしない)と医師が決める。
でも無痛で微弱陣痛だから、いきむタイミングがなかなか掴めず。
NSTの数値が上がったタイミング(陣痛がきたタイミング)でぎゅっとお腹&お尻に力を入れてみる。
この時点でもお腹の痛みはなし、お尻の骨をズーンと押される違和感しかなく、旦那、助産師、医者と冗談言いながら笑って話せる程度。
10回位いきんだところで、これ以上なかなか降りて来ないからと鉗子分娩に切り替え。
いきむタイミングで助産師さんにグイグイお腹を押されたけど、麻酔のおかげでその痛みもなし。
押してる助産師さんは大変そうだけど、痛みがないから結構他人ごと。笑
ただ、何回目かのいきんだタイミングで助産師さんが、何かをさっと拭き取ってポイッとゴミ箱に投げ入れる動作をしてたから、💩を漏らしたんだと思う。
そんな状況も冷静に観察できるくらい痛くない。
いきむタイミングで、肛門に指を入れられて、内側から押してもらう。
このとき推しカプの姿がふっと脳裏をよぎり、わたしは無痛の麻酔が効いてるから全然痛くないけど、いつも痛い思いをさせてごめんね、となぜか懺悔の気持ちになる。
会陰をチョキンと切開する。痛くない。
鉗子の挟む器具をつけてもらう。
微弱陣痛とともに5回くらいいきんだら、つるん!で頭が出てきて、にゅるん!で肩から下が出てきて産まれてきてくれた。
体力全然余ってたから、大きい声で「おつかれさま、よくがんばったねー!かわいいー!!!」を連呼。
23時以降
「会陰縫う回数なるべく少なくしてください」ってお願いするも、「細かく塗った方が綺麗に縫合されるよ」的なことを言われ、体感8針〜10針くらい縫われる。
「麻酔が切れる前に縫合おわりますように」とひたすらに願ってたから、この時間が一番長く感じた。
あとは麻酔が切れるのを待ち、部屋に戻って就寝。
生後1週間たった今は、よく寝て、よくおっぱいを飲んで、布団をキックで蹴り飛ばす脚力強い子を育ててます。
出産時より、今の方が授乳等の肩こり、おっぱいの張り、抱っこの腱鞘炎で体の節々が痛い。
兄弟に出産祝いとしてエステ券を要求したから、届くのが楽しみ。
破水始まりで、病院到着後すぐに麻酔を投入したこともあり、「痛い」とは1度も言わなかった。
これは病院が「麻酔で、生理痛レベルの痛みをMAXにする」との方針で、すぐに麻酔を入れてくれたおかげ。
また、わたしが「無痛分娩代の元取るぞ!麻酔入れまくるぞ!」と気合十分で挑んで、全然痛くなくても麻酔投入のボタンを30分〜40分に1回は押したおかげ。
痛みがないことで、ソフロロジー式呼吸やお腹の中の👶への声かけに専念することができて、結果穏やかな楽しいお産につながった。
ちなみに一番痛かったのは、38w頃の前駆陣痛。
寝てたら急にキリキリ系の痛みがきて、「痛い💢💢💢」と半ギレ状態で目が覚めて、身体中汗びっしょりだった。
38w時点で96mmと頭が大きかったので、帝王切開の可能性もあると言われていた。
自然分娩じゃないことに対する申し訳なさ等は予習段階から一切なし。
無事に健康で生まれてきてくれたら、分娩方法は問わないよってお腹の中の👶に言い聞かせてた。
インスタで鉗子分娩で生まれてきた頭の長い👶の写真をあらかじめ見てたため、頭が引き延ばされて生まれてきた👶を見ても、「まあそうだよね!」という気持ち。
頭の長さは生後2日で元に戻った。
ただ、やっぱり頭は大きい笑
だっこしてると頭がかなり重い笑
すでに腱鞘炎になりかけてるため、バンテリンの手首サポーターのお世話になってる🙏
分娩時間は11時間、鉗子分娩もしたから一般的に「最高の安産!」というわけではないけれど、個人的には最高に楽しくていいお産だった。
痛みを感じることがなかったから、心に余裕を持てたことが一番の要因かな。
無痛分娩=時と場合によってはかなり痛い、とは知ってて、かなり運要素が強いものだと思ってたけど、幸い当たりを引くことができてよかった。
本当、私はたまたま今回運良く麻酔がきっちり効いてくれたおかげで、今後あるかもしれない第二子の出産に対する恐怖まで取ってくれた。