はてなキーワード: 抗不安薬とは
身元がバレるのが嫌なので多少フェイクを入れて愚痴を吐き出させてもらう。
ASD子供が高校に入学して3ヶ月。そして不登校になって2ヶ月になる。
きっかけは体育の授業で「おまえの態度が悪い。なぜ皆と同じことできない」
同級生から「アイツのせいで巻き添えを食らった」と陰口を食らって
不登校になってしまった。入学時の環境調査票に、「発達障害ASDあり。
WISCで言語性IQは150だが動作性IQは80で、小学校で不登校経験あり」
と申告しておいたにも関わらず、体育教員にガツンとやられてしまった。
管理職や特別支援コーディネータと支援会議を開いて、やっと体育を
見学できるようになった。(体育は3単位なので3ヶ月欠席すると
未履修になって退学になる)。授業に出席さえできれば単位が取れなくても
履修が成立するのでやれやれと思っていたら、子供が泣きながら帰ってきた。
話を聞くと体育主任が見学中の子供に近づいて「おまえ運動しないと
単位やれないからな。あとで教官室に運動しにこい」と言われたそうだ。
あっけに取られていた我が子は「了解いたしました」とやっとの思いで
答えたら「了解いたしました?おまえ何様のつもりだ?」と何回も言われて
泣きながら「承知しました」と言い直されたそうだ。
すぐに学校に連絡して事実確認したが、相手はそんなことは言ってないと
一点張り。第3者がいないので言った言わないの水掛け論になってしまった。
が繰り返し書かれていたように思う。
相手のごく一面しかしらないのに、分かった気になる人間の多さに辟易している印象も受けた。そう言うものへのアンチテーゼとして、分かりづらい一貫性のない作品にしたのかもしれない。
主人公は自暴自棄な気持ちで家出して、鉱山に入るまでは世界に現実感を感じられず、自分の周りで起こる出来事に対してお客様気分でいた。抗不安薬や抗うつ薬を飲んだダウナー状態に近い。体操座りして足元のアリの行列をただ眺めているような。
ただ、鉱山の飯場に入り、獰猛なコウフたちから自分に対する嘲笑や、
鉱山の穴(シキ)の中で生命の危険を感じるうちに世界に生きる実感を取り戻す。
ただ世界への実感を取り戻すにしても、そこで自分の生活の指針を決めて一貫した行動を取るかというとそうではない。あくまでその瞬間だけ取り戻したように思うだけで、死への衝動や現実感の喪失はその後も共存している。
人間の行動はたまたま口にしたことに大きくされるが、あとから振り返ると一貫したストーリーがあるかのように思ってしまう。
普通の小説なら、生の実感を感じて以後一貫性を持つストーリー展開をするだろう。
現実感の喪失や死への欲望も未来への希望も一時的なもので、ころころ一番上に来るものが変わるけど、その瞬間の自分にとっては一番上に来ている感情がリアルで必然性を持っているように錯覚してしまう感じ。
マジで男が怖いよ
痴漢する奴も社交辞令を本意だと勘違いして近づいてきてトラウマ植え付ける上司も体目当てでナンパしてくるヤリチンも全員死んでくれという感情しか湧かなくなってきたのが嫌だ 全ての男のチンコ切り落としてそのまま人類絶滅した方が幸せになれるって一瞬でも思ってしまったのが嫌だ 人間は全員生きていていいのにね
ツイッターで男と交流をしてもこいつなんとなくストーカーやられそうだなとかこいつなんとなくオフパコ狙ってそうだなとか女だからって理由で近づいてそうだなとかそういう事ばかり考えてしまって何も楽しめなくて嫌だ〜〜〜〜つらい〜〜〜〜私はただ同好の志が欲しいだけなのにね どうしてこうなってしまうんだろうね 私はどうしたらいいんだろうね どうしたら楽になれるんだろうね
ツイッターでこういう奴はだいたい体目当てのヤバい奴っていう情報を集積したサイトがあればなあって何度思ったことかよ
ネトストと痴漢と上司のセクハラで精神を全部殺されてしまったよ 肉体も死んで楽になりたいよ ここで「どうせ死ぬならその前にやらせてくれ」とか考えた男全員のチンコ輪切りにして肉体は八つ裂きにして全部土に埋めて虫の餌にしてから自殺したいよ あ〜あ お前らのせいです
専門学校を卒業した後、その道に進む覚悟が無かったことが理解できたのでフリーターから派遣、その後やっと正社員になりほっとしたのも束の間。
給料は情熱価格、メンタル病む人間続出でもれなく私もメンクリコース。現在は傷病手当金をもらいつつ、自己研鑽は向いてないので今まで蔑ろにしていた生活環境を見直している。
情熱価格で働き、買い物や外食で浪費していたのに比べると、入ってくる金額は下がるもののずっと生きやすい。
現状だけで考えるならとても幸せだ。
下手というよりは素人目だがセルフネグレクトに近い状態だと思っている。
調子の良い日は床の見えない母親の部屋を深夜まで付き合って片付け、ゴミを毎日だし、リビングが家族で食事をとれるようにした。
家族もメンタル弱めだが、最近は奮起する気力が弱いだけで、一緒になって一度きれいにすれば気持ちがあがるし、仕事のモチベーションもあがっていいことづくめだった。
片付けをしなければならない理由が子供部屋おばさんにはあった。
2時間ほど前に、引越しにむけて洋服の整理をしなければならないのに体が動かず、絶望感が襲ってきて抗不安薬を飲んだ。
絶望した気持ちを増田にぶつけようとした瞬間、彼氏から昼休みの連絡がくる。
それだけで、がんばれなくても幸せになった。
昼休みになんとなく話したいなと、思ってくれる存在があることが嬉しい。
すぐ調子に乗るので、ラインした後はスーパーに引越し用のダンボールをもらいにいった。
互いに大切にしている友人もいるが、私の存在をわかりやすく認められたい。
とりとめのない文章が続くが、
私の両親は離婚しており、その当時は家庭環境も良いとは言えない、金銭的にも厳しい生活だった。
男性は怖い、男女の仲も醜く壊れるのならばなりたくない、そう思って生きてきた私にとってそれはもう、怖じ気づくしかないだろこの状況!!
世の中には様々なブルーがあるらしく
引越しブルー、同棲ブルー、マリッジブルーなど一通り検索した。
検索したところで、そういうもんがあるんだな程度の感想にしかならないが、新しい環境へ一歩踏み出すことができた自分を褒めたい。
受験生なのに文字を読んでいるだけで頭がパンクしそうになる。血管引きちぎれそうで脳みそが熱い。前までできていたことができない。3年で受験資格が消えるのにもうあと3ヶ月しかない。勉強できない。したくないのかもしれない。どっちなのかもわからない。こんなネチネチした言葉は出てくるくせにな。クソ。
このまま生きていても迷惑になるだけだと思うと死にたいのに死ぬのも迷惑だろうと何も行動できない。死ぬのも金か他人への迷惑がかかるのゴミ。ほーんとゴミ。私がゴミ。
早く働きたいけどこんなので雇ってくれる会社があるのか。同年代が就活していたり働いていたりする中私はどうやって生きていけばいいんだろう。
合格もできない。受験生にすらなれない。何者でもない。甘ったれている自分が嫌で嫌で涙が出てきて、冷静じゃないことを客観視している自分もいて、抗不安薬を飲んで頭が動かなくなってまた一日が終わる。死にたい。
一番軽いベンゾジアゼピン系抗不安薬、5mg、3シート食べた。飲んだんじゃなく食べた。甘いんだ。いい大人なのに。
断薬の理由は後述するとして、あるきっかけで心療内科にかかり、診断書をもらって2年間断続的に休職し、新年度から復帰しようとしたら出鼻挫かれて再度休職か、いや経済的に、といった迷いの時期だった。
その数ヶ月前は、考えすぎて眠れず頭が痛くなると、頓服で薬を飲むようにしていた。薬の効果は、思考スピードが緩くなる、体がほかほかする、入眠しやすくなるなど。反面、思考から論理性がこぼれて溶け出してネガティブな方に感情的になってしまう効果もあった。悲しさ、寂しさ、怒りも増幅される。大声で泣いたりした。夜中にダイニングの床を水拭きしながら子どもみたいにギャン泣きしたこともある。攻撃的にもなった。安心できる居場所が欲しくて、大声を出した。
断薬は、迷惑をかけるのは嫌だということを家族で話し合って決めた。
となると、仕事に行くためには体調を管理しなければならないので、睡眠時間の確保が生活の「要」となる。これが家族としての自分の責任、家族の条件。
話し合いの次の日から、入眠の障害になり得るものを極力避けることに全神経を注いだ。苦手だったのは、考えすぎないこと。フラッシュバックがスパークすると、傷口に白血球が集まってくるように思考が沸き立ってしまうので、覆い隠すように作業に没頭する必要があった。計算問題とか、床の拭き掃除とか。
10段階での頭痛怠さ動悸のしんどさ、食事の内容、買ったもの、トイレの回数、ベッドに入った時間、中途覚醒時間、起床時間、考えた時間が多かった事柄などを記録した。読み返してルーティーン改善の参考にした。
まあまあうまくいっていた。最初にコケた原因も分かってる。そこから改善してきている。睡眠時間が伸びて、頭痛も弱くなっている。このままうまくいければ、仕事に行ける時間も増やせると確信していた。自分の責任をやっと果たせるようになる。
でもダメだった。ベッドに入ったのが23:20、頭痛が強くなりしつこいフラッシュバックに対応していて結局眠りに入れたのはスズメが鳴き始めた時間帯だった。アラームは聞こえなかった。
車の音、子どもの声、夕方に目が覚めた。自尊感情は尽きてた。当然。当たり前。当然のことができてない。家族を支えていない。普通じゃない。頭が痛い。心臓がうるさい。耳が立つ。腕が重い。
だから薬を1シート食べた。頭が痛いのをやめてほしい。心臓がうるさいのをやめてほしい。耳が立つのをやめてほしい。腕が重いのをやめてほしい。普通じゃないのをやめてほしい。家族を支えられないとかやめてほしい。仕事ができないとかやめてほしい。ありえない。家族としてありえない。なんでこんなんになっちゃったんだろう、なんでこんな思いしてるんだろう、いつまで続くんだろう。
いい大人なのに、甘いやつのおかげでゆっくりしてきて、正義の酔っ払いになっていた。
家族が仕事から帰ってきて、一言も喋らなくて、目も合わせなかった。
頭痛から逃げるために救急車を呼んだ。かかりつけの心療内科にいけと言われただけだった。家族の車とは別にタクシーで帰ってきた。家ではたくさん話をした気もするし無言だったような気もするけど、喪失感ははっきり覚えている。
家族が寝たあと、追いシートを2つして、深夜の県道を歩いて市を跨ぎ、コンビニでタバコとビニール紐を買って、血圧を計算して柵かなんかで首を吊った。
お久しぶりです。
https://anond.hatelabo.jp/20200401035340
の増田です。
みなさまのお陰様で無事に年を越しましたので、記念になにか書きたいと思います。
上記の文をしたためたのは昨年志村けん氏がご逝去し、全国に緊急事態宣言が発令され世間が急速にピリピリとし出した時期でした。
当時はかなりのバッシングにひどく参っていましたが、それから厳に感染症対策をしながらも、常連のお客様の厚いご支援とご信頼の元になんとかお仕事をいただいて、なんとか今日まで食いつなぐことが出来ました。
その期間でお陰様で体調を崩すことなく多少なりとも蓄財ができましたし、医療従事者様の懸命な活動と不幸にも感染してしまった方々の知見の蓄積により、万が一自分が感染したとしてもなんとか、少し頭を下げれば生きて日常生活に戻れるのではないか?と希望を抱けるほどになりました。
もし万が一にでも陽性になってしまったら全財産で身辺整理して首をくくるしかないと思っていた頃とは大違いです。
それに加え、追い詰められていた時期はかなり酷い幼少期のフラッシュバックに悩まされ、すれ違う人間すべてが憎く酒に溺れている間だけが正気と言うきつい鬱に苦しんでいたのですが、幸運にも相性のいい抗不安薬と出会うことができ今はとても安らかな気持ちで暮らしています。
しかし世界も日本も私の住む街も、状況としては何も変わっていません。
私は相変わらず山間の田舎町で春をひさいでその日暮らしをするアラサーの限界女ですし、頼る所もない吹けば飛ぶような人生で、独り身でなるべく親族に迷惑をかけない死に方をずっと考えているようなありさまです。
持病に慢性扁桃炎と逆流性食道炎、気管支喘息と肺炎の病歴がありますから、もし何かあれば真っ先に倒れて入院の準備をしてくれる身内も友人もいない人間です。
それでも、今私は幸せです。
ときどき目に入る人間すべてが憎くて、自分より恵まれた人間全員殺してやりたくなる日もありますが、そんな私に数十分数万円の価値を感じて、私と会うと元気になるよ、がんばれるよ、ありがとう、と言って、私の生活を支えてくれるお客様がいる限り頑張れます。
とても健全じゃありませんが、友達も居らず恋人や家族や子供を望めない私にとってお客様は唯一無二です。
かけられた言葉は、一生の宝物です。
追記です。
コメントなんてつかないと思っていたし、ついても期待はしていなかったけど、いただいたコメントがみんな優しくて泣きそうになっている。
記事を書いてから数日後、倒れて病院へ行って抗不安薬とか処方してもらった。
状況は全然改善していないし、毎晩のように目が覚めてひどい動悸と吐き気とたたかっている。
このまま死にたい気持ちに抗って生きていくしかないけど、なるべく死なないように頑張ってみる。
コメントくださった方々、本当にありがとうございます。
追記終わり。
竹内結子さんの自死について、産後うつではという憶測が飛び交っていた。本当の理由を私たちがわかるはずがないのに、みんな好き勝手言っていた。産後うつについて声高々にこんなにつらいんですってSNSで発信される人もたくさんいて、これを機に産後うつについて認知が広まるのはいいことなのでは、とも思っている。彼女の死の真相とは別として。その中に、「子どもを残して死ぬなんて信じられない」という声に対して、ちょっとだけ私の考えを書いてみる。
私には3歳の子どもがいる。夫婦ふたりの生活もいいけど、子どももいたらいいな、私たち二人の子どもを育てたいと思って、産んだ子だ。自分で決めた。子ども好きの夫は結婚当初から子どもが欲しいと言っていた。だけど、正直、自分の生きてきた人生もそこそこしんどかったので、こんな世界に自分のエゴで人間一人生み出していいのか、とも悩んだ。でも、子どもの人生について、こちらで辛いかどうかなんて決めつけることもできない。シンプルに、自分の子どもに会いたいという気持ちが勝った。
そうやってきちんと計画して、順調に生まれた子どもは、どこも悪いところなんてなくて、発達も問題ない、人懐こくて賢くて快活明朗元気なかわいい子だ。私のことをとても好きでいてくれて、「お母さん子」なんて言葉はないけど(おばあちゃんっ子、とかあるのに)、とにかくいつでも「おかあさん」と言ってずっと私にくっついていたがる。こんな素晴らしい子が私の子なんて、私にはもったいないとすら思う。
私は希死念慮が高い。でもそれを必死に隠して生きている。学生時代にものすごく嫌なことがあって、それから日々死にたいと思っていた。死にたい、というか、明日目が覚めずに死んでいたらいいのに、という風に思っていた。なんやかんやあって、毎日そう思う日々からは解放されたのだが、時折無性にこの世から消えてしまいたい気持ちはなくならない。実際に行動は起こしたことがないので、親しい人にも誰にも、夫にすら、実はたまに死にたがっている、ということはばれていないと思う。今までは主に孤独感が引き金でよく死にたいと思っていたが、夫と結婚して気持ちは安定していた。子どもがいたら、そういう気持ちはもっと収まるかと思っていたが、甘かった。
子育ては本当に大変だ。出産前の想定なんて甘すぎた。想像の何倍も何十倍も大変だ。そして、苦労はすべて子どもの笑顔に報われるかと言うとそういうわけではない。
何が大変か。まず、子育て自体が大変。慣れない授乳に睡眠不足、子どもや自分の急な体調不良。すぐ泣くし、すぐ怒る。コロナ禍では衛生面にもより神経質になる。でも、こういうのは、それこそ子どもの笑顔ひとつで報われた気がするんだよね。
大変なのはそれだけでなく、社会も厳しい。育休をとったら、もうお前はしばらく会社に貢献できないから辞めてほしいと言われた。大学の就活はリーマンショック後だったこともありうまくいかなくて、それでもなんとか辿り着いた正社員職だった。結局自己都合退職、ということになった。労基署に相談しても無駄だった。結構冷たい対応をされたので、傷口に塩を塗られたようだった。こんなことがあるのか、と絶望した。そりゃ少子化になる。出産育児金や子育て支援等、行政のサポートはあっても、実際こんなもんだ。正社員じゃなくて、契約社員、派遣、アルバイト、そういう人は産休育休もなく自分から辞めるしかない。そうなると育児休暇の手当ももらえない。
結局、今は子を保育園に預けて別のところでパートとして働いている。給料は二分の一以下になった。その分業務レベルは簡単だし、責任もない。有給はとりやすいので、育児と両立しやすい。職場の方も優しい。それでも、今の収入だと毎日が不安だ。第二子なんてとても考えられない。(夫とは結婚当初から生活費を折半している)
それに、子どもと遊歩道を散歩していたら突然知らないじじいから「うるさい!早く子供を連れてどっか行け!」と怒られたこともある。
地域のイベントに出た時、小さい子どもの隣は嫌だと言って不機嫌そうに席を離れたおっさんもいた。
どちらのパターンも、うちの子は騒いでなかった。子連れってだけで突然怒る人もいるから怖い。
基本的に見知らぬ人でも子どもに優しいコミュニティにいる。特に役所の人はとても親切だ。エレベーター優先させて乗せてくれたり、手続きを丁寧に教えてくれたりして、泣きそうなくらい嬉しかった。あと、その辺で出会う学生の子、おばちゃんやおばあちゃんも優しい。
突然怒ったり、挨拶しても無視するのは大抵いい年の男の人、特にじじい。挨拶もできないなんて、この人たち、職場でどういう風に生きてきたんだ?
一度、子どもが、セカンドバッグをもった強面のおっさんに挨拶したことがあって、よく声かけたなと思ったのだけど、その人はとても優しい声で挨拶を返してくれた。大抵の人はいい人なのに、たった1割の嫌な思い出がトラウマになる。臆病な私は、なるべく周囲に迷惑かけないようにびくびくしながら踏ん張っている。
あと、これからのことを想像すると苦しい。子どもがいじめられたら、逆にいじめる立場になったら、とか
今後事故にあったら、とか、病気になったら、犯罪にあったら、とか
大学卒業まで経済面は大丈夫か、留学費用や塾の費用は賄えるか、とか
そういう不安が波のように襲ってくる。
子どもはかわいい。かわいいけど、たまに自己犠牲や理不尽なこと、不安なことが多すぎてしんどい。
子育てを辛いと思う自分は、母親失格じゃないかといつも頭のどこかで思っている。みんな普通にやっていることなのに、自分にはできない。自分には我慢できない。
子供に手をあげたことはないし、感情的に怒らないよう、何かあったときはきちんと叱るように心がけている。育児本や発達心理学の本も読んで勉強している。
それでも、遊んだおもちゃを片付けない、夜ご飯を食べない、お風呂に入らない、朝起きない、いつまでも泣き喚く、そういう、子どもが自分の言うことをきかないとき、思わずを手をあげたくなる。子どもは自分とは別の人間で、自分の思い通りになるはずがない、ということは百も承知なのだけど、それでもしてはいけないこと、しなくてはいけないことは、何度も何度も伝えているのだから少しはわかってほしい。必死で我慢している。虐待は絶対だめだってわかっているけど、いつも隣り合わせな気がする。
ネットで、「そもそも子どもが泣くのは悪いことではない」という言葉を見たけど、やっぱり泣き声というのは聞いていてとても不快だ。泣いている本人だって、嫌な気持ちがあって泣いているんだから、早くその気持ちを取り除いてあげたいというのはいつも思う。
たまに怒るが、基本は褒めるように心がけている。もともとのんびりした性格で、子どもが生まれる前は声を荒げて怒る、なんてことしたことなかった。なるべく、小さなことは気にしないようにしている。いつだって子どもの幸せを願っている。毎日かわいいね、大好きだよって寝る前に伝えるようにしている。だから私はいないほうがいいんじゃないかと思う。
ママ友もいない。保育園のママたちと全くうまくしゃべることができない。保育園の送迎の時だったり、公園で子どもたちが遊んでいる間だったり、軽く言葉を交わしているママ達を見て憧れる。
自分は母親に向いていないと思う。たまにうまくいかなくて泣いていたり落ち込んでいたりすると、夫に、みんな普通にやっているんだから、と言われる。そういう時、あ、じゃあ私は向いていないからリタイアしようかな、という気持ちがよぎる。私の両親も夫の両親も健在で、関係は良好で、家も近くていつでも頼ることができる。それでもやっぱり苦しい。誰にも頼れない状況で子育てしている人もいるのに、こんなにサポートしてくれる人がいる環境で躓いている自分はなんてダメなんだろう。
自分はこの子の母親じゃないほうがいい、いなくなっちゃったほうがいい、そう思う。自分はこの子の人生に悪影響を与える存在になりそうだから、早いうちにいなくなろうと思う。
子どもが死へのストッパーになるのでない。死んだほうが子どものためなのだ。
夫はしっかりしているから、親や義両親と協力して夫が育てたほうがいいと思う。夫はかなり子育てをしているほうだとは思うけど、趣味や友人づきあいで土日、平日の夜いないことも多く 、やっぱり育児は母親がメインでするもの、という考えが根付いていて、言葉の端々にその考えが窺える。
私がいなくなることで、メインで子育てをする苦しさを夫にわかってほしい、という気持ちも少しある。夫には感謝しているし、嫌いではない。実は夫に復讐したい気持ちもほんの少しあるのも本当だ。
結局自分は不安や嫌なことから逃れたいだけの自分勝手な人間なんだと思う。こんな勝手な人間、やっぱり母親じゃないほうがいい。
それでも、私がこの状況からひとり逃げて、子どもに「お母さんがいない」と言わせること、それで寂しい思いを押し付けてしまうことがどんなに酷か、ということは容易に想像できるので、なんとか踏ん張っている。でもそれにいつまで耐えられるのかはわからない。
僕は、精神障害を持ちながら、精神科の仕事に関わろうとしている人間だ。メンヘラがそんな仕事をするなとか、そもそも精神障害者は害悪だとか、逆にそういう人だから患者さんの気持ちを汲めるとか、いろいろな意見があるが、取り敢えずそういうのは一旦置いておくとして、僕が仕事に関わる時に心がけていることをここに書き記していこうと思う。後で読み返してまた気付きが得られるようにという目的も含めて。
一番注意していることは、患者さんの前では僕は医療職の一人であるということだ。僕がいくら手首が傷でズタズタで、パニック発作を抗不安薬OD気味に飲んでなんとか抑え、今にも道に飛び出してトラックに轢かれるか目の前にあるビルの屋上から飛び降りようかしそうな希死念慮とどん底の鬱がある身体を引きずって歩いているとしても、患者さんの前では僕は一人の医療職であって病者ではない。僕の具合が悪いからって医療の提供の質を下げることは許されない。僕の状態がどうであろうとその事実は変わらないのでそこは忘れてはならない。最近、抗不安薬を飲み足し飲み足し行っていて、自分のことで精いっぱいでこれを忘れそうになる。自戒。
注意していること2つ目、自分の苦しみと患者さんの苦しみが同義であると勘違いしないようにすること。患者さんが僕と同じ病気にかかっていたり僕と似たような逆境(虐待、いじめ、不登校、無職など)を体験していたりすると、安易に「あ~それわかります、つらいですよね」と共感してしまうことがある。いやもちろん患者さんの苦しみに共感的傾聴をすることはとても大事なのだが、安易な共感は危ない。なぜなら同じ病気の人が同じ苦しみを抱えているとは限らないし、似たような逆境体験だからといって全く同じ体験をしてきたわけではないからだ。僕の生い立ち、家族関係、友人関係、問題の背景、経過は患者さんのそれとは違う。患者さんの話をしっかり聞かないと、僕の体験を元にその人に介入してしまうなんてことになりかねない。簡単に共感できてしまう患者さんのケースこそ、自分との距離を意識的において扱わないといけないのかもしれない。
そして注意していること3つ目は、自分のことをよく理解しておくことだ。自分と患者さんとの境界が曖昧だとたいてい良くないことが起きる。まず、僕が患者さんの感情に引きずり込まれる。自殺未遂して入院してきた患者さんを診た時、ああ僕もああやって自殺したいなという思いが頭から離れなくなり、かなり調子を崩した。患者さんとの間には必要十分の距離をとらないといけないのだ。そして、自分のことをよく理解しておかないといけないのは、お互いの間に望ましくない感情が生起した時に最善の対処をできるようにする必要があるからという理由もある。患者さん→医療者に生じる感情としては、いつも優しい言葉をかけてくれる医療者を患者が好きになってしまったり、逆に患者さんが医療者にトラウマティックな人(虐待してきた親、DVしてきた恋人など)の像を投影して医療者を攻撃してしまったりというものがある。まあこれはよくあることなので医療者側も容易に気が付くし、やんわりと「恋人の関係にはなれないことになっているんです、ごめんなさい」と諭したり、時間を要するが医療者は敵ではないことを伝え続けたりできる。厄介なのが医療者→患者さんに生じる感情である。とある患者さんの言動が僕に不快感を与えるものだったりすると、たとえそれが精神疾患によるもの/生い立ちからどうしようもないこと等をわかっていつつも患者さんの言動が嫌いになってしまうことがある。しかもこの感情は自分ではなかなか気付きにくいときている。医療者側から「あなたのことは嫌いです」「あなたのやっていることは悪いことです」という姿勢が患者さんに伝わると、治療・信頼関係は崩落する。だからこの気持ちは自分でもしっかり気付いていないといけない。僕は患者さんと向き合うと同時に、自分自身とも向き合う必要があるのだ。
でも、精神疾患を持った精神科領域の医療者ってどうなんでしょうね。許されないことなんですかね。迷惑なんですかね。僕にはわかりません…
書いとるが?
HSPのひとは、身体醜形障害になりやすいみたいよ。美容整形の人もほとんどがそうらしい
単なる不細工くらいはなんの障がいにもなりやしない
実際不利になるとされるレベルの外見についてはちゃんと障がい者認定がされる
目鼻口があるべき位置についていてない、皮膚の裂傷/欠損と大きなアザや火傷があるなどだね
けど、ブサイクは障がいにならないという事実がHSPを苦しめるのでは?
本人が外見のせいで精神的に苦しんでいるのは事実なのに誰の共感も得られない
そしてこの精神的な苦しみは甘えでもなんでもなく生得なものだし
一度、カウンセリングとか行ってみるとよいと思う
○ 身体醜形障害研究⑦-HSPと整心精神医学とレジリエンスとマインドフルネスの関係
HSPは、相手の感情を察知しやすいので、母親の自分に対するネガティブな感情を過剰に察知し愛着障害を来たしやすく、
しいては「基底欠損」、「自己の障害」から思春期失調に至り易く、思春期失調症候群、パーソナリティ障害、身体醜形障害、気分変調症状態などになり易い傾向がある。
また、感覚過敏、ストレス耐性の低さは前帯状皮質の活動性の低下、自律神経の易刺激性となり、自律神経失調症を招きやすい。
HSPのストレス耐性の低さから、慢性的なストレス下に置いては脳内アドレナリンの低下とセロトニンの低下を招き慢性うつを罹患しやすい身体環境となっている。
HSPはストレス耐性が低いのが特徴だが、それはすなわちストレスからの復元力・レジリエンスが弱いことでもあり、
HSPへの基本的な対処法としてはレジリエンスを強める方法であるマインドフルネスレジリエンス療法(MBRT)が適応されることは前回までにみてきた。
HSPは元々ストレスによって脳が疲弊、疲労しやす状態にあるのである。
○ 美容整心メンタル科では身体醜形障害や美容整形依存、思春期失調症候群の遠隔診療(オンライン診療)
下記はカリフォルニア大学のビアンカ・アセベド博士の研究紹介動画と書籍と記事(Pod cast)、
興味があればどうぞ
HSP brain studies
https://www.youtube.com/watch?v=qep36Vy_0pE
> Did you know that the brain of a highly sensitive person (HSP) works differently?
> The results of fMRI brain studies conducted by Dr. Elaine Aron, Dr. Art Aron, Dr. Bianca Acevedo and their colleagues are quite fascinating.
エレイン・アロン博士、アート・アロン博士、ビアンカ・アセベド博士らが行ったfMRIによる脳の研究結果は、かなり魅力的です。
[Amazon] The Highly Sensitive Brain: Research, Assessment, and Treatment of Sensory Processing Sensitivity 1st Edition
https://www.amazon.com/Highly-Sensitive-Brain-Assessment-Sensitivity/dp/0128182512
> The Highly Sensitive Brain is the first handbook to cover the science, measurement, and clinical discussion of sensory processing sensitivity (SPS),
> a trait associated with enhanced responsivity, awareness, depth-of-processing and attunement to the environment and other individuals.
> Grounded in theoretical models of high sensitivity, this volume discusses the assessment of SPS in children and adults,
> as well as its health and social outcomes.
> This edition also synthesizes up-to-date research on the biological mechanisms associated with high sensitivity,
> such as its neural and genetic basis. It also discusses clinical issues related to SPS and seemingly-related disorders such as misophonia,
> a hyper-sensitivity to specific sounds. In addition, to practical assessment of SPS embedded throughout this volume is discussion of the biological basis of SPS,
> exploring why this trait exists and persists in humans and other species.
>
>The Highly Sensitive Brain is a useful handbook and may be of special interest to clinicians, physicians, health-care workers, educators, and researchers.
『高感度脳』は、感覚処理感度(SPS)の科学、測定、臨床的考察を網羅した初めてのハンドブックです。この巻では、高感度の理論モデルに基づいて、子どもと成人のSPSの評価、健康と社会的転帰について論じています。また、高感受性の神経基盤や遺伝的基盤など、高感受性に関連する生物学的メカニズムに関する最新の研究をまとめています。また、SPSの臨床的な問題点や、特定の音に過敏に反応するミソフォニアなど、一見関連していると思われる疾患についても解説しています。さらに、この巻全体に組み込まれたSPSの実用的な評価に加えて、SPSの生物学的基盤についての議論があり、なぜこの形質がヒトや他の種に存在し、持続するのかを探っています。
臨床医、医師、医療従事者、教育者、研究者にとって有益なハンドブックです。
[foreverbreak] Highly Sensitive People How to Tell If You’re an HSP + Shedding Light on This Misunderstood Trait
非常に敏感な人々 あなたがHSPであるかどうかを見分ける方法+この誤解されている特性に光を当てる
https://foreverbreak.com/podcast/s1/e5/
まぁ、アセベト博士でなくてもいいけど(TEDとかにもあるよ)
ってなってるね
○ 社会不安障害(SAD)の患者さんは治療の機会を逃しています。
海外では、SADは一般的に理解度が低く、治療の機会を得にくい病気とされています。
海外で行われた調査によれば、SADの患者さんの約2/3は病院に行っておらず、
また、病院に行っている場合でも「自分がSADであると認識して受診した」患者さんは3%にすぎないという結果となっており、
一方、日本では、SADという名称や病気の症状については、あまり認知されておらず、
その症状の原因を「自分の性格のせい」であると思って、治療を受けていない(病院に行っていない)方が多いようです。
SADは発病すると、他の精神疾患(うつ病、アルコール中毒、パニック障害など)を併発する割合が70%を超えるとも言われていますので、
SADの症状が現れている場合は、それは「性格のせい」ではなく「病気である」と認識して、早めに専門医(精神科や心療内科)の診断を受けてください。
SADの治療法には大きく分けて、薬物療法と認知行動療法の2つがあります。実際の治療では、この2つの治療法を併用することが多くなっています。
・薬物療法
最近の研究では、SADは脳(セロトニン神経系とドーパミン神経系)の機能障害により発症するのではないかと推測されており、
現在もその発症原因について、世界中で研究が進められています。
海外では、早い時期から薬物による治療の研究が盛んに行われており、既にSADの治療薬として承認され、
患者さんの治療に使われている薬(一般名:パロキセチンなど)もあります。
一方、日本では、SADという病名で国(厚生労働省)に承認されている薬は一つしかなく(一般名:フルボキサミン)、
患者さんの症状により抗うつ薬や抗不安薬なども治療で用いられています。
現在、SADという病名で承認を受けるために進められている治験(国から薬として承認を受けるための臨床試験のことです)もあります。
・認知行動療法
認知行動療法は薬物療法より歴史が長く、精神療法の中でも重要と考えられている治療法ですが、日本ではあまり知られていません。
認知行動療法では、エクスポージャー、ソーシャルスキルトレーニング(社会技術訓練)などの方法を用いて、
実際に恐怖を感じる場面に直面したときに感じる不安感を自分自身でコントロールできるようにします。
薬物療法と違い、副作用が少ないのが利点ですが、患者さん自身もかなり努力しなければなりません。
そのため、認知行動療法では、問題点を順番に洗い出していき、解決できそうな問題、患者さん自身も大きな不安と感じないような小さな問題から
○ 社会不安障害(SAD)の診断
SADの診断基準には、米国精神医学会編「精神疾患の(strikethrough: 分類と診断の手引)診断・統計マニュアルDSM-Ⅳ」、
WHO編「精神および行動の障害」ICD-10 などいくつかあります。
- よく知らない人と交流する、他人の注目を浴びるといった、1つまたはそれ以上の状況において顕著で持続的な恐怖を感じ、
自分が恥をかいたり、不安症状を示したりするのではないかと恐れる。- 恐れている社会的状況にさらされると、ほぼ必ず不安を生じる。
- 自分の恐怖が過剰であり、また、不合理であることに気づいている。
- 予期不安、回避行動、苦痛により、社会生活が障害される。または、その恐怖のために著しく悩む。
※罹患(りかん)期間:症状が出始めてから現在に至るまでの期間のことです。
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僕は精神医学を専攻している学生だが、1ヶ月、精神科の閉鎖病棟に入院してきた。ここがどんな場所なのか、学生の視点から書いてみる。
入院直前、タスクが多すぎてキャパオーバーのまま稼働して3週間、僕の精神状態は日増しに酷くなっていった。倦怠感、強い不安,酷い不眠、すべての事柄に対しての虚無感など。極め付けに強い強い希死念慮。とにかく死にたくてたまらない。そしてついにもう死のう!と決意して準備をした。最後の気力を振り絞って絶対に休めない課題だけは終わらせ、部屋を片付けて遺書を書いて、最期に親に会いに行って、普段精神科から処方されているベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠薬を大量に飲んで飛び降りを試みた。
まあ失敗したからこの文章書いてるんですけど、人に見つかって病院に搬送され、僕がなんとしてでも死にたいんだと主張したために親に連絡がいって医療保護入院(僕の意思は汲まれずに、親や配偶者等の同意を得てなされる事実上の強制入院)となった。閉鎖病棟で、フロアから外に出ることはできない(出入り口に二重に鍵がかかっている)。
この病棟の1日の流れは次の通り。
8:00 朝食
10:30-11:30 作業療法(ストレッチ、アイロンビーズ、簡単なスポーツなど)
12:00 昼食
18:00 夕食
21:00 消灯
入院して1週間経つまでがとにかくつらかった。入院したからといってすぐに症状が治まるわけではない。常に心拍数が120あって不安がとまらずベッドにうずくまっていた。死にたかったのにこうして病院で保護されている自分も許せなくて、死にたいのに死ねない苦痛に襲われた。慣れない環境に放り込まれてしまったので病棟の雰囲気もわからず怖かった。もう殺して、と思った。
僕の場合、入院したからといって特に積極的な治療はなく、普段通っていた精神科で処方されていた薬がそのまま出されるので飲む、それだけだった。医師は1日に1回病室に来てくれて少し話をするが、看護師は配薬の時に来るだけであとはマジで何もない。つらい気持ちを看護師などに聞いてもらおうとすればできたのかもしれないが、僕は自分の気持ちを他者に伝えるのが苦手だったのと、ここの病院は看護師が事務的で話をしたり患者の行動観察をしたりといったことを全然しなかったので、話さなかった。入院生活はただ自殺未遂をした人間を死なせないために病院に閉じ込めておくだけという感じだった。精神医学徒からすればこれはあまり好ましくない。看護師の人手不足問題もあるが、患者の気持ちに寄り添いながら必要であれば話をするのが理想。看護師でなくとも臨床心理士や公認心理師がやる仕事なのだが、この病院の臨床心理士は患者と面談をするどころかガチで何もしない人だった。唯一、作業療法士だけが平日毎日病室に顔を覗かせてくださって、「今日はデイルームで10時半からストレッチをやりまーす。アロマを焚くしハーブティーもありますよ。よかったらいらしてくださいね。」とケアしてもらえたのが心の救いだった。
2週間も経つと不思議と希死念慮が和らいできた。外界にいる時は「早く死ななきゃ!とにかく死なないといけない!」と焦っていたのが、自殺が物理的に不可能な空間に閉じ込められるとその焦燥からは逃れられる。だんだんと自分が落ち着いてきたことを感じた。ベッドとトイレしかない監視カメラ付きの保護室(要するに独房)からも出て普通の個室に移ることができた。主治医から「きみは専攻が専攻だから退院日は任せるよ」と言われたので、「今すぐ死ななきゃ!」という切迫感がほぼなくなった1ヶ月後に退院した。とはいえ、死にたくなくなったわけではない。僕は常になんとなく死にたいと思っているのが日常だ。
今回入院した精神科単科病院は、前述の通り医療スタッフによるケアがあまりにもお粗末だったのでオススメしたくない。病室にナースコールも無かったですからね。不安発作とか解離を起こして動けなくなってしまった時はどうしろというのか。そして閉鎖病棟という場所は暇すぎてやはりおススメしたくない。スマホを没収されるので何もすることがなくなるし、1日が永遠に感じられて結構苦痛である。暇なのは他の患者も同じなのでデイルームでお喋りでもできればいいのだが、僕がいたところは年齢層が高くて話し相手になる人が皆無だったので無理だった。デイルームにはテレビがあるが、僕はワイドショーやバラエティー番組が嫌いなので見なかった。ナースステーションで貸してくれる色鉛筆と用紙で塗り絵をしてなんとか暇をつぶした。なお色鉛筆はなぜか16時には返却しないといけなかったのだが。孤独だった。
結論:精神科閉鎖病棟での入院はする前もしている間もしんどすぎる。回避できる人は家族に監視してもらうなり実家に帰るなりして全力で回避してください。まあ、そう簡単にいかないからこうなってしまうんですけどね。みなさんご自愛ください。
下記はカリフォルニア大学のビアンカ・アセベド博士の研究紹介動画と書籍と記事(Pod cast)、
興味があればどうぞ
HSP brain studies
https://www.youtube.com/watch?v=qep36Vy_0pE
> Did you know that the brain of a highly sensitive person (HSP) works differently?
> The results of fMRI brain studies conducted by Dr. Elaine Aron, Dr. Art Aron, Dr. Bianca Acevedo and their colleagues are quite fascinating.
エレイン・アロン博士、アート・アロン博士、ビアンカ・アセベド博士らが行ったfMRIによる脳の研究結果は、かなり魅力的です。
[Amazon] The Highly Sensitive Brain: Research, Assessment, and Treatment of Sensory Processing Sensitivity 1st Edition
https://www.amazon.com/Highly-Sensitive-Brain-Assessment-Sensitivity/dp/0128182512
> The Highly Sensitive Brain is the first handbook to cover the science, measurement, and clinical discussion of sensory processing sensitivity (SPS),
> a trait associated with enhanced responsivity, awareness, depth-of-processing and attunement to the environment and other individuals.
> Grounded in theoretical models of high sensitivity, this volume discusses the assessment of SPS in children and adults,
> as well as its health and social outcomes.
> This edition also synthesizes up-to-date research on the biological mechanisms associated with high sensitivity,
> such as its neural and genetic basis. It also discusses clinical issues related to SPS and seemingly-related disorders such as misophonia,
> a hyper-sensitivity to specific sounds. In addition, to practical assessment of SPS embedded throughout this volume is discussion of the biological basis of SPS,
> exploring why this trait exists and persists in humans and other species.
>
>The Highly Sensitive Brain is a useful handbook and may be of special interest to clinicians, physicians, health-care workers, educators, and researchers.
『高感度脳』は、感覚処理感度(SPS)の科学、測定、臨床的考察を網羅した初めてのハンドブックです。この巻では、高感度の理論モデルに基づいて、子どもと成人のSPSの評価、健康と社会的転帰について論じています。また、高感受性の神経基盤や遺伝的基盤など、高感受性に関連する生物学的メカニズムに関する最新の研究をまとめています。また、SPSの臨床的な問題点や、特定の音に過敏に反応するミソフォニアなど、一見関連していると思われる疾患についても解説しています。さらに、この巻全体に組み込まれたSPSの実用的な評価に加えて、SPSの生物学的基盤についての議論があり、なぜこの形質がヒトや他の種に存在し、持続するのかを探っています。
臨床医、医師、医療従事者、教育者、研究者にとって有益なハンドブックです。
[foreverbreak] Highly Sensitive People How to Tell If You’re an HSP + Shedding Light on This Misunderstood Trait
非常に敏感な人々 あなたがHSPであるかどうかを見分ける方法+この誤解されている特性に光を当てる
https://foreverbreak.com/podcast/s1/e5/
まぁ、アセベト博士でなくてもいいけど(TEDとかにもあるよ)
ってなってるね
○ 社会不安障害(SAD)の患者さんは治療の機会を逃しています。
海外では、SADは一般的に理解度が低く、治療の機会を得にくい病気とされています。
海外で行われた調査によれば、SADの患者さんの約2/3は病院に行っておらず、
また、病院に行っている場合でも「自分がSADであると認識して受診した」患者さんは3%にすぎないという結果となっており、
一方、日本では、SADという名称や病気の症状については、あまり認知されておらず、
その症状の原因を「自分の性格のせい」であると思って、治療を受けていない(病院に行っていない)方が多いようです。
SADは発病すると、他の精神疾患(うつ病、アルコール中毒、パニック障害など)を併発する割合が70%を超えるとも言われていますので、
SADの症状が現れている場合は、それは「性格のせい」ではなく「病気である」と認識して、早めに専門医(精神科や心療内科)の診断を受けてください。
SADの治療法には大きく分けて、薬物療法と認知行動療法の2つがあります。実際の治療では、この2つの治療法を併用することが多くなっています。
・薬物療法
最近の研究では、SADは脳(セロトニン神経系とドーパミン神経系)の機能障害により発症するのではないかと推測されており、
現在もその発症原因について、世界中で研究が進められています。
海外では、早い時期から薬物による治療の研究が盛んに行われており、既にSADの治療薬として承認され、
患者さんの治療に使われている薬(一般名:パロキセチンなど)もあります。
一方、日本では、SADという病名で国(厚生労働省)に承認されている薬は一つしかなく(一般名:フルボキサミン)、
患者さんの症状により抗うつ薬や抗不安薬なども治療で用いられています。
現在、SADという病名で承認を受けるために進められている治験(国から薬として承認を受けるための臨床試験のことです)もあります。
・認知行動療法
認知行動療法は薬物療法より歴史が長く、精神療法の中でも重要と考えられている治療法ですが、日本ではあまり知られていません。
認知行動療法では、エクスポージャー、ソーシャルスキルトレーニング(社会技術訓練)などの方法を用いて、
実際に恐怖を感じる場面に直面したときに感じる不安感を自分自身でコントロールできるようにします。
薬物療法と違い、副作用が少ないのが利点ですが、患者さん自身もかなり努力しなければなりません。
そのため、認知行動療法では、問題点を順番に洗い出していき、解決できそうな問題、患者さん自身も大きな不安と感じないような小さな問題から
○ 社会不安障害(SAD)の診断
SADの診断基準には、米国精神医学会編「精神疾患の(strikethrough: 分類と診断の手引)診断・統計マニュアルDSM-Ⅳ」、
WHO編「精神および行動の障害」ICD-10 などいくつかあります。
- よく知らない人と交流する、他人の注目を浴びるといった、1つまたはそれ以上の状況において顕著で持続的な恐怖を感じ、
自分が恥をかいたり、不安症状を示したりするのではないかと恐れる。- 恐れている社会的状況にさらされると、ほぼ必ず不安を生じる。
- 自分の恐怖が過剰であり、また、不合理であることに気づいている。
- 予期不安、回避行動、苦痛により、社会生活が障害される。または、その恐怖のために著しく悩む。
※罹患(りかん)期間:症状が出始めてから現在に至るまでの期間のことです。
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では無いな
○ 社会不安障害(SAD)の患者さんは治療の機会を逃しています。
海外では、SADは一般的に理解度が低く、治療の機会を得にくい病気とされています。
海外で行われた調査によれば、SADの患者さんの約2/3は病院に行っておらず、
また、病院に行っている場合でも「自分がSADであると認識して受診した」患者さんは3%にすぎないという結果となっており、
一方、日本では、SADという名称や病気の症状については、あまり認知されておらず、
その症状の原因を「自分の性格のせい」であると思って、治療を受けていない(病院に行っていない)方が多いようです。
SADは発病すると、他の精神疾患(うつ病、アルコール中毒、パニック障害など)を併発する割合が70%を超えるとも言われていますので、
SADの症状が現れている場合は、それは「性格のせい」ではなく「病気である」と認識して、早めに専門医(精神科や心療内科)の診断を受けてください。
SADの治療法には大きく分けて、薬物療法と認知行動療法の2つがあります。実際の治療では、この2つの治療法を併用することが多くなっています。
・薬物療法
最近の研究では、SADは脳(セロトニン神経系とドーパミン神経系)の機能障害により発症するのではないかと推測されており、
現在もその発症原因について、世界中で研究が進められています。
海外では、早い時期から薬物による治療の研究が盛んに行われており、既にSADの治療薬として承認され、
患者さんの治療に使われている薬(一般名:パロキセチンなど)もあります。
一方、日本では、SADという病名で国(厚生労働省)に承認されている薬は一つしかなく(一般名:フルボキサミン)、
患者さんの症状により抗うつ薬や抗不安薬なども治療で用いられています。
現在、SADという病名で承認を受けるために進められている治験(国から薬として承認を受けるための臨床試験のことです)もあります。
・認知行動療法
認知行動療法は薬物療法より歴史が長く、精神療法の中でも重要と考えられている治療法ですが、日本ではあまり知られていません。
認知行動療法では、エクスポージャー、ソーシャルスキルトレーニング(社会技術訓練)などの方法を用いて、
実際に恐怖を感じる場面に直面したときに感じる不安感を自分自身でコントロールできるようにします。
薬物療法と違い、副作用が少ないのが利点ですが、患者さん自身もかなり努力しなければなりません。
そのため、認知行動療法では、問題点を順番に洗い出していき、解決できそうな問題、患者さん自身も大きな不安と感じないような小さな問題から
○ 社会不安障害(SAD)の診断
SADの診断基準には、米国精神医学会編「精神疾患の(strikethrough: 分類と診断の手引)診断・統計マニュアルDSM-Ⅳ」、
WHO編「精神および行動の障害」ICD-10 などいくつかあります。
- よく知らない人と交流する、他人の注目を浴びるといった、1つまたはそれ以上の状況において顕著で持続的な恐怖を感じ、
自分が恥をかいたり、不安症状を示したりするのではないかと恐れる。- 恐れている社会的状況にさらされると、ほぼ必ず不安を生じる。
- 自分の恐怖が過剰であり、また、不合理であることに気づいている。
- 予期不安、回避行動、苦痛により、社会生活が障害される。または、その恐怖のために著しく悩む。
※罹患(りかん)期間:症状が出始めてから現在に至るまでの期間のことです。
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