はてなキーワード: 抑留とは
横田めぐみさんが拉致されているという情報を我が国に教えてくれたのは、実は韓国の心ある何人かが決断した結果だった。十三歳の少女が下校の途中に拉致されて抑留され続けているという情報は、韓国に自然に入ってきたのではない。自由、人権といった普遍的価値観にたって第一線で北朝鮮と戦っている人々が、本来なら外国人に関する情報収集は優先順位が低いにも関わらず、これは許せないと考え、命をかけて入手してきた情報だった。
ところが、日本の当局は提供された情報を活用しようとはしなかったので、意図的なリークがあったのだ。私はその過程について一定程度、詳細を知っている。いまはそれを公にはできないが、めぐみさんたちが帰ってきたら、知っていることを公開し、日本政府に韓国の関係者に勲章を出すべきだと求めるつもりだ。
北朝鮮情勢を見てると、世界史の教科書に残るような歴史の舞台が作れるのではないかと妄想して、ワクワクが止まらない。朝鮮半島北部は、米国、中国、ロシアの利害が錯綜して、あたかも火薬庫の如く状況となっているが、逆にいえば、この3大陣営の利害さえ一致できれば、朝鮮半島処分の問題として、一挙解決は可能だ。しかも役者がすごい。米国はトランプ、中国は習近平、そしてロシアはプーチンだ。以下、妄想。
・場所は、黒海沿岸の保養地とか、ベルリン郊外の森の中とか、オーストリアのシェーンブルク宮殿とか、それなりに歴史に残ってもカッコいい場所。
・3大陣営の首脳が、もっともらしい理屈をつけて、近辺諸国に外交日程を組む。その合間を縫って極秘会談。
・米国は、北緯38度線を超えての北朝鮮地域の大幅な占領にはあまり興味をもたない。むしろ韓国との関係を含め、徹底した軍事リスクの除去を求める。そのため必要な徹底した武装解除とイムジン河以北数十キロの緩衝地帯化を行う。
・中国は、人民解放軍を中朝国境を超えて平壌にまで進軍。占領統治の中心をなす。核攻撃等で、汚染、荒廃した国土だが、中国にとっての緩衝国として傀儡政権を樹立、枢要部を実質支配下に置く。
・ロシアは、立ち位置が難しい部分はあるが、北朝鮮北部東岸のロシア入植地域のロシア民保護を名目に、朝ロ国境を超えて突如南下、不凍港を租借確保する。必要があれば、数万人規模で北朝鮮民をシベリアに連行、抑留し、極東開発のため数年間の労働資源としても良い。
・合意成立後、直ちに3大国は北朝鮮一斉攻撃だ。米国は、戦術核の使用と国境付近の砲兵やミサイル基地への無力化攻撃、空爆。中国は、北京に北のミサイル照準が合わせられたことを名目に、平壌ほか主要都市への核攻撃。そして、もっとも精神的打撃が大きいのが、友好国と考えていたロシアの参戦だろう。これで北朝鮮は、トップの金正恩以下、末端まで総崩れになる。
・日本も、総理に歴史的発言を用意しておかなくてはならない。インテリジェンス面で信用されていない我が国は、上記を米国から知らされるのは直前であるが、官邸でのぶら下がり取材ではこう言い放って内閣総辞職だ。「嗚呼、極東の天地は複雑怪奇」と
朝鮮戦争はなぜ起こったのか?http://kiyuuji.hatenablog.com/entry/2017/05/08/215902
韓国の李承晩政権は日本の対馬、竹島を韓国領だと勝手に主張し始めた。 だがアメリカは全く認めなかった。 そこで李承晩は、国際法上、まったく根拠のない未勝手な「李承晩ライン」を引き、まず竹島を実行支配した。 日本が戦後処理で何もできないことをいいことにだ。
※韓国の不法拿捕により抑留された日本漁民は3929人、拿捕時の攻撃による死傷者は44人、物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る。
さらに日本の対馬、九州北部への侵攻しようとしたのだ。 そのことに気づいたアメリカは李承晩に警告を与える。
「国連軍による占領統治中の地域に軍事進駐するなら在韓米軍は朝鮮半島から引き揚げる。」
対馬に攻め込もうと韓国軍主力戦力は移動を開始し、国境である38度線の韓国軍側防御が完全に手薄になった。
「アメリカの西太平洋における防衛線は、アリューシャン列島から日本列島、沖縄に至る線である」 との発言をした。
この発言を聞いたソ連のスターリンは北朝鮮金日成(キムイルソン)に命令、南侵攻作戦を決行する。前年に建国した支那も加勢した。
そしてついに朝鮮戦争が始まった。
http://anond.hatelabo.jp/20161204230447
様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年もの間ゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛にさらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチ・ドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たちは労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだから、まさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。
いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。
連行にはナチ・ドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド「青色警察」、オランダ「緑色警察」、フランス、ルーマニア、ハンガリー警察、ウクライナ、リトアニア、ラトヴィア、エストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。
多くの非ユダヤ系住民が強制連行を目撃している。玄関口から、歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。
駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車が収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官が随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方のソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可が下りるまで何時間も停車していたからである。
すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。
ヨーロッパ西部とバルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所に抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人の場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパ系ユダヤ人が貨物列車ではなく客車で移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。
列車が絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから各労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」
脱いだ衣類は消毒に廻された。女性は衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性は女性と子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。
アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれた場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。
ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。
ナチス・ドイツが構築した排除の装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり、絶滅収容所のガス室をもって終わった。
(出典:http://www.theguardian.com/world/2015/oct/31/somalia-fishing-flotillas-pirates-comeback)
5年前、エイル(Eyl)の町外れにある砦が、ソマリアでもっとも悪名高い海賊の根城になっていた。
インド洋から素晴らしい波が打ち寄せる朽ちかけた町では、拿捕された船が浅瀬に抑留され、大物海賊達が権謀術数を巡らし、彼らの乗り回す大型のSUVが連なっていた。
エイルはソマリアに存在したあらゆる悪徳の見本市だった。内戦と20年に及ぶ戦いがもたらした無政府状態は国家のもっとも基本的な制度すら破壊し、銃と身代金がすべてを支配する場所となった。
無法状態と命の危険を伴う混沌状態は、2012年の映画「A Hijacking」(訳注:原題はKapringen。邦題は『シージャック』)で見ることができる。この映画ではデンマークの貨物船が海賊によって拿捕され(訳注:以下ネタバレにつき削除)
遅ればせながら、西側諸国が海賊退治のために軍艦の派遣を行い、NATO、合衆国とEUの軍事力が、海賊を無力化し、乗っ取りと人質の時代を終わらせ、戦いに勝利したかに見えた。
5年後、エイルは大いに変わった。海賊は去り、根城となっていた砦だけが残された。ソマリアの各地で見られるように、この歴史的な建物も長い間整備されなかったため、荒廃している。海岸に立つ小さな砦は、エイルが以前は何で名を知られていたかを思い起こさせる。サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン、19世紀のジハード主義者で民族主義者の詩人にして、20世紀初期にはイギリスと戦い「狂気のムッラー」と呼ばれていた人物のことを。
地元民にとって不幸なことに、海賊が去るとともに、別の侵略者が帰ってきた。
世界の関心は別の場所に移ったが、イエメンやイランや韓国のような国々からやってきた漁船団が、国際条約を無視して、ソマリアの豊かな漁場を略奪しはじめた。町の経済を支える地元の漁師達は壊滅的な打撃を受けたこの乱獲こそが10年前、沿岸の村々の生活のすべを破壊し、最初の海賊行為を生み出したとされている。
ソマリアの3000kmに及ぶ海岸線は、世界でも最も豊かな漁場に面しており、サメやマグロやイワシやエビやロブスターに満ちている。不法操業する漁船団は、便宜置籍船制度(訳注:船舶の登録料を軽減するために、リベリアやパナマのような安い国に船籍を置くこと。漁業資源管理においては、他国の漁船になりすますことで、本来の国別の漁獲高割り当てを無視した操業を行うこの種の行為が問題視されている)を隠れ蓑にしている。彼らは他の地域からやってきたソマリア人の武装船によって守られており、近づいてきた地元漁民の船に体当たりを行ったり、銃で撃ったり、漁具を破壊したりする。これらの恐ろしい戦いの大部分は外部の目の届かない場所で行われ、報道もされていない。
エイルの漁師達の間では、外国の漁船団を苦々しく思う気持ちが広がっている。
多くのソマリア人は、無力なソマリア政府に代わって、NATOとEUの軍艦がより多くの密漁船を取り締まるように求めている。
湾岸諸国から資金援助を受けたプントランド(訳注:ソマリア内の半独立地域。実質的な国家内国家となっており、独自政府が地域内の司法・行政も担当)の海洋警察はボサソの港に拠点を置き、紅海で不法操業する船の取り締まりで多少の成功を収めているが、エイルまではなかなか手が回らない。
「海賊行為があったからNATOが来た。しかし、海賊行為の原因は、密漁だ」とエイルの職員ファイサル・ワイスは言う。
「NATOが海賊を追い払えるなら、密漁船を追い払わない道理なんてないでしょう」
このことは、プントランドの海賊取り締まり担当大臣であるアブドゥラー・ジャマ・サレフも指摘している。西側先進国は「こそ泥を捕まえることはあっても、大物はそのままだ」と。
55歳の精悍な漁師、ムーサー・ムハンマドは最近受けた攻撃の被害、洋上で切断された彼の漁網を示した。
彼にとって、このことは海賊のための武器を手配し、かつてやっていた生活に戻るための小さな一歩に過ぎない。
NATOとEUの両方が2016年の終わりに派遣期間を終える。西側諸国は監視任務に当たっている艦船を、地中海やその他の必要とされている場所に移したがっている。
「NATOが去れば、おれ達は奴らを攻撃する」ムハンマドは言う。彼の目に写る西側の軍艦とは、密漁船を守っている存在に過ぎない。
「おれ達は殺る。覚悟はできている」
困窮した漁師たちが、その原因である外国の密漁船から金品を強奪したことが、現代ソマリアの海賊行為の始まりだった。
韓国の大型原油タンカー、サンホドリーム(Samho Dream)の解放のために950万ドルの身代金が支払われたことで、それは何百万ドル単位の金が動く組織犯罪へと成長した。
2011年の初めに、海賊は700人を超える人質を拘束していた。
エイルの海岸線で小さなホテルを経営する女性、アシャー・アブデカリムは言う。
「あのときは本当にめちゃくちゃでした」
彼女は、少なくとも、海賊がいなくなったことについては感謝している
「みんな武器を山ほど持っていたし、しょっちゅうそれを撃っていた。チャット(qat。カートとも。嗜好品もしくは弱い麻薬)も使いすぎてましたし。平穏とはほど遠い状態でしたね」と彼女は回顧する。
一方、エイルの職員、ファイサル・ワイルは苛立ちと共に「何も変わっていない」と言っている。
「振り出しに戻っただけだ。密漁船は戻ってきた。こうなってしまうと…私は海賊も復活するのではないかと恐れている」
「密猟が、立ち直ろうとしているソマリア経済の貴重な財源を強奪しているのです。本来の収入があれば、たとえば不可欠なインフラを整備したり、医療を改善したり、教育を再建したり、荒廃した牧草地を復活させたりといったことができたはずなのに」ソマリアの沿岸地域の援助に携わっているNGO、Adeso(African Development Solutions)の代表、Degan Aliは言う。
しかし、ソマリアの沿岸地域で多くの雇用を生み出せるはずの水産業を育成しようという国際援助の試みのうち、この地で行われたものは、無数の既得権益の網に絡み取られてあえなく沈没してしまった。エイルに国連の援助で建設された冷凍設備は、完成から1年以上経っても稼働していません。これを使えば漁師達は水産物を輸出することが可能になるのですが、誰がそれを仕切るのかということでの論争が続いている
海賊は依然として、ソマリアでは広く共感の対象となっている。外国で逮捕され、2年から24年の刑を言い渡された海賊達が刑期を努めるためにソマリアに送還されて来るが、プントランドのボソサとガローウェの刑務所に投獄されているのは、言わば将棋の「歩」に過ぎない。海賊の首領たちは依然として逮捕されていない。「取引」で得た莫大な資産があれば、弱体な警察当局からの追跡から逃れることなど造作もないだろう。
3月に海賊はイランのダウ船2隻を中部ソマリアで捕らえた。うち1隻は後に脱出した。一月後、国連の報告書では、悪名高い海賊、ムハンマド・オスマン・ムハンマド「Gafanje」がこの攻撃を企てたとされた。
「海賊時代がいまだ終わったわけではない、ということが見落とされています。依然として50人ほどの人質が捕らえられています。その大部分は密漁船の乗組員です」海賊問題を扱うNPO、Oceans Beyond Piracy (OBP) のジョン・スティードは指摘する。
しかし、現状が、西側諸国がインド洋に引きつづき海軍力を展開するコストを負担し続けるほどかは、はっきりしていない。彼らが急にいなくなれば、情況は悪化するかもしれない。
プントランドの海賊取り締まり担当大臣であるサレフは、ソマリア人は厳罰化が進められたことを知っていると言う。
「死刑を含める厳罰化がなされた。みな、海賊行為が容赦されなくなったことを知っている。以前は金の問題だったが、今回は海賊自身の命の問題になった。やるなら死ぬ覚悟が必要だ」
目が見えなくなる夢をよく見る。
目が見えないのに夢をみるとは矛盾しているようだが、
夢の中のわたしは白い杖をもって間違って知らない街まで電車で行ったり、
知らない男に犯されたり、怖い夢がほとんどだった。
わたしは取り立てて取り柄は無いけど、
目だけはくりっとしていて褒められることが多い。
そんなんで取り柄を失うことを恐れているのかなと思っていた。
昔は年に2・3回見る程度だったけど、一昨年ぐらいから月に1・2回。
今年になってからは週に1回は見るようになり、気持ち悪いので母に話してみた。
いつも明るい母はいつになく話を真剣に聞くと「それはあなたの姉が呼んでいる
のかもしれない」と呟いた。
なにそれ怖いと思って意味を聞くと、
私には3つ離れた姉がいて彼女が5歳の時に交通事故で亡くなったそうだ。
はじめて聞いた話だった。
母は「あなたの幼い頃のことだからきっと忘れたのよ」と言った。
なんで姉と思ったのかと聞くと、
とさらに怖いことを言い出した。
その場は、はははと笑って終わらせたけど死ぬほど怖かった。
「このまま夢を見る回数が増えてくると本当に乗っ取られるじゃないか」
と思い夜が怖くなった。
怖くて眠れない夜が続き、寝不足になった。
心療内科に行こうか悩んだ。
ドリエルは飲んでみたが効かなかった。
そのせいか、夢をみているのかどうかわけがわからなくなってきた。
そして今朝、目が覚めたがまぶたが開かなくなっていた。
このまま視力を失うのかと思って半狂乱になった。
ああーあああーと騒いでいると、
母が2階の自室へやってきて「ほら、お姉ちゃんがやってきたでしょ」と耳元で囁いた。
怖すぎて母を突き飛ばそうとすると目が開いた。
母は「あなた飲み過ぎなのよ」と言って、1階へ降りていった。
鏡をみると、昨日オールドを飲み過ぎたせいか、目やにが固まっていた。
俺はダメだと思ってる。
推定無罪の観点から捜査を進めるべきだと思うし、何より痴漢をしてないのに“した”と無理矢理認めさせられるのは如何ともし難い屈辱だ。
警察は何に置いても被害者女性の味方だけど、先に言うと現行犯逮捕でないから、痴漢したと容疑を掛けられた時点では犯罪者ではない。
その犯罪者の可能性があるだけの人間を“罪を認めるまで拘置所で21日間抑留”するのは人権問題に当たらないのか?と思う。
弁護士を呼んだ場合でも、多かれ少なかれ示談させる方向に向かわせようとするので痴漢容疑者にとってはきわめて厳しい状況が続く。
もしかしたら無実かもしれない人一人の人生が破綻してしまうかもしれないのに、警察や弁護士、司法や社会の見る目が痴漢の有無関係なく厳しいのは異常だと思う。
そしていざ裁判になると司法は痴漢容疑者の有無を聞かず99.999%で有罪としてしまうのだから、司法社会および民主主義社会とは思えない杜撰さだ。
本来、司法というのは公的な立場から公平に裁く事を目的とする場のはずなのに、痴漢案件については物的証拠および状況証拠を判断材料にせず、ヒアリング等でまとめた調書のみで
この容疑者を裁こうというのだから、旧態依然の魔女裁判だと言える。
裁判員制度も痴漢事件のようなヒアリングのみの判断材料の元では明らかに不公平な中での判断となる。
結局は人の感情論というあいまいな判断基準の元に裁定が下されるのだから、痴漢容疑者の心理状態は計り知れないほどの緊張と疲労困憊を味わう事になるし、
裁判員の方もこれで合ってたのか、実は冤罪者を罪に陥れるんじゃないかという恐怖もあって適切に判断する事が出来ない。
まして女性は同じ女性である痴漢被害者に同情し容疑者を敵視するのは明らかだし、男性は無駄な正義感でもって容疑者を叩こうと考えるはずだ。
これでは推定有罪かつ有罪100%だと有識者から非難されるのも当然だと思う。
では痴漢冤罪の立証は不可能か?というと、仮に立証が可能だったとしても、司法というのは一度下した判決を覆すのは司法を否定することになるといったチャチなプライドから、
なので、感情論で決められる痴漢事件というのは、きわめて後進的というか痴漢事件における判断というのが状況証拠もないというのは異常だと思う。
今回の騒動に関して、日本だと様々な反応が出てる。「竹島とかどうでもいいから、応援します」から「国交断絶だ!」まで、「なんとなく反応しているファン」とか言うのも含めて。そして、その多様性があっていいと思う。
こと領土問題に関しては、当事国の国民の意見に「多様性」があるのが当然だという前提はおかしいと思うけどな。
「領土(領域)」というのは、「人民」「主権」に並ぶ国家を構成する三要素の一つなわけ。
「領土」が奪われた時というのは、「人民」を奪われたり「主権」を奪われたりした時と同じ反応を示すのが、当時国民としての正しい姿だと思う。
特に竹島の場合、不法占拠の際に日本の漁民が韓国の警備艇から銃撃を受け、多数が死傷し、死傷者よりも遙かに多い人達が不当に抑留された過去もある。
「人民」の命を奪い、「主権」を毀損し(不当に日本国民を逮捕抑留し、解放の条件として様々な事柄を当時の日本政府に要求した)、そして現在は「領土」を不当に占有している。
それでも不快感を覚えないというのは、思うだけなら当人の問題だからまだいい。しかしそれを堂々と主張して日本国内で肯定的に受け容れられるべしというのはおかしい。少なくとも、強烈な批判は覚悟するべきだ。
他国が自国の領域を侵害する事を是認してしまえば、いずれはこの国が他国を侵す事を是認する事になりかねない。「あいつらが俺の物を盗んだのがOKなんだから、俺があいつの物を盗むのもアリだろ」と。
またそんな国が他国の侵略を諫めても何の説得力も持たない。「自分の物が盗まれた時に何もしなかった奴が他人の盗みには駄目だしするのかよ(プゲラ)」。
そういう意味では、韓国国民があんな風に強烈に反応する事自体は正しいと思ってるよ。それでも理屈の上では日本が正しいと思うけど、今の日本にはそれを実現させる力がない。
本来であれば、今のような段階に至る前に、何らかの形で双方が妥結するような状況を作り上げるべきだった。互いの敵愾心を解き、互いに詫び、互いに許し合える関係を築くべきだった。領土問題を理想的且つ平和的に解決した人類史上初のモデルケースになる可能性も、かつては確実にあったはずだった。
もう何もかも手遅れだけどな。