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はてなキーワード: 批評家とは

2024-10-27

マジで分からん

巷のアンチ弱者男性論者が言ってることをまんまなぞっただけの増田を、実名でやってる批評家とかがXで引用して好意的意見を述べるってどういうことなの?

こんなのただのマッチポンプじゃん

2024-10-21

anond:20241021084839

• 一部の批評家は、増田さんの理論がやや単純化されていると指摘しています。つまり奴隷を売り捌いただけで全ての国家の発展や衰退を説明するのは不十分であり、他の要因(地理的文化的歴史的背景など)も考慮する必要があるという見解です。

ノーベル経済学賞受賞者の主張は?

ダロン・アセモグ教授ジェームズ・A・ロビンソンが共著した『国家はなぜ衰退するのか』(原題: “Why Nations Fail”) は、国家繁栄や衰退を説明するための経済政治理論を展開した書籍です。以下がその主な内容の要点です。

 

基本的な主張

1. インクルーシブ(包摂的)制度エクストラティブ(収奪的)制度

• アセモグルとロビンソンは、国家成功や失敗は、その国の経済政治制度が「インクルーシブ(包摂的)」か「エクストラティブ(収奪的)」かによって決まると主張します。

インクルーシ制度は、市民が広く経済活動に参加し、創造的に活動できる環境を整え、政治的に平等発言権を与えるものです。これにより、イノベーションが進み、持続的な成長が促進されます

• 一方、エクストラティ制度は、権力が少数のエリート層に集中し、資源や富がその一部に吸い上げられるシステムです。このような制度は、長期的には経済発展を阻害します。

2. 歴史的事例

• 著者たちは、歴史的な事例を用いて、インクルーシ制度エクストラティ制度国家の発展にどのように影響したかを示します。たとえば、18世紀産業革命時のイギリスと、植民地時代南アメリカ諸国比較することで、政治的・経済的な制度の違いが繁栄と衰退を左右することを説明しています

3. 「クリティカル・ジュンチャー(転換点)」

国家繁栄するかどうかは、「クリティカル・ジュンチャー(転換点)」という重要歴史的瞬間にどのような選択をするかに大きく影響されます。たとえば、イギリスグロリアス革命を経てインクルーシブな制度採用し、経済成功を収めましたが、他の国々は同様の転換点で異なる選択をし、エクストラティブな制度を維持した結果、経済発展が停滞しました。

4. 地理的文化的要因の否定

• 著者たちは、国家繁栄や衰退を説明するための他の理論、例えば地理的要因や文化的要因だけに基づいた説明批判しています。彼らは、これらの要因よりも制度の違いが国家の成長や失敗を左右する主要な要因であると強調しています

 

書籍の意義と影響

• 『国家はなぜ衰退するのか』は、経済成長や国家の発展において制度が持つ決定的な役割を強調しており、現代政治経済学や開発経済学において非常に影響力のある理論となっています

• 本書は、国家リーダーシップ制度改革重要性を強調し、発展途上国いかにして収奪的な制度からインクルーシブな制度に転換できるかを考えるための指針となるべきとしています

 

問題点批判

• 一部の批評家は、アセモグルとロビンソン理論がやや単純化されていると指摘しています。つまり制度の違いだけで全ての国家の発展や衰退を説明するのは不十分であり、他の要因(地理的文化的歴史的背景など)も考慮する必要があるという見解です。

この本は、国家成功や失敗を理解するための強力なフレームワーク提供しており、その理論現代政治経済分析において広く採用されています

2024-10-15

車とかゲームとかラーメンとか、その道のプロでもなんでもない批評家がうるさすぎる

プロからしてみると的外れ発言ばかりなんだけど

2024-10-02

九  与次郎が勧めるので、三四郎はとうとう精養軒の会へ出た。その時三四郎は黒い紬の羽織を着た。この羽織は、三輪田のお光さんのおっかさんが織ってくれたのを、紋付に染めて、お光さんが縫い上げたものだと、母の手紙に長い説明がある。小包みが届いた時、いちおう着てみて、おもしろくないから、戸棚へ入れておいた。それを与次郎が、もったいないからぜひ着ろ着ろと言う。三四郎が着なければ、自分が持っていって着そうな勢いであたから、つい着る気になった。着てみると悪くはないようだ。  三四郎はこのいでたちで、与次郎と二人で精養軒の玄関に立っていた。与次郎の説によると、お客はこうして迎えべきものだそうだ。三四郎はそんなこととは知らなかった。第一自分がお客のつもりでいた。こうなると、紬の羽織ではなんだか安っぽい受け付けの気がする。制服を着てくればよかったと思った。そのうち会員がだんだん来る。与次郎は来る人をつらまえてきっとなんとか話をする。ことごとく旧知のようにあしらっている。お客が帽子外套給仕に渡して、広い梯子段の横を、暗い廊下の方へ折れると、三四郎に向かって、今のは誰某だと教えてくれる。三四郎はおかげで知名な人の顔をだいぶ覚えた。  そのうちお客はほぼ集まった。約三十人足らずである広田先生もいる。野々宮さんもいる。――これは理学者だけれども、絵や文学が好きだからというので、原口さんが、むりに引っ張り出したのだそうだ。原口さんはむろんいる。いちばんさきへ来て、世話を焼いたり、愛嬌を振りまいたり、フランス式の髯をつまんでみたり、万事忙しそうである。  やがて着席となった。めいめいかってな所へすわる。譲る者もなければ、争う者もない。そのうちでも広田先生のろいにも似合わずいちばんに腰をおろししまった。ただ与次郎三四郎けがいっしょになって、入口に近く座を占めた。その他はことごとく偶然の向かい合わせ、隣同志であった。  野々宮さんと広田先生あいだに縞の羽織を着た批評家がすわった。向こうには庄司という博士が座に着いた。これは与次郎のいわゆる文科で有力な教授であるフロックを着た品格のある男であった。髪を普通の倍以上長くしている。それが電燈の光で、黒く渦をまいて見える。広田先生坊主頭と比べるとだいぶ相違がある。原口さんはだいぶ離れて席を取った。あちらの角だから、遠く三四郎と真向かいになる。折襟に、幅の広い黒襦子を結んださきがぱっと開いて胸いっぱいになっている。与次郎が、フランスの画工は、みんなああいう襟飾りを着けるものだと教えてくれた。三四郎肉汁を吸いながら、まるで兵児帯の結び目のようだと考えた。そのうち談話だんだん始まった。与次郎ビールを飲む。いつものように口をきかない。さすがの男もきょうは少々謹んでいるとみえる。三四郎が、小さな声で、 「ちと、ダーターファブラをやらないか」と言うと、「きょうはいけない」と答えたが、すぐ横を向いて、隣の男と話を始めた。あなたの、あの論文を拝見して、大いに利益を得ましたとかなんとか礼を述べている。ところがその論文は、彼が自分の前で、さかんに罵倒したものから三四郎にはすこぶる不思議の思いがある。与次郎はまたこっちを向いた。 「その羽織はなかなかりっぱだ。よく似合う」と白い紋をことさら注意してながめている。その時向こうの端から原口さんが、野々宮に話しかけた。元来が大きな声の人だから、遠くで応対するにはつごうがいい。今まで向かい合わせに言葉をかわしていた広田先生庄司という教授は、二人の応答を途中でさえぎることを恐れて、談話をやめた。その他の人もみんな黙った。会の中心点がはじめてできあがった。 「野々宮さん光線の圧力試験はもう済みましたか」 「いや、まだなかなかだ」 「ずいぶん手数がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」 「絵はインスピレーションですぐかけるからいいが、物理実験はそううまくはいかない」 「インスピレーションには辟易する。この夏ある所を通ったらばあさんが二人で問答をしていた。聞いてみると梅雨はもう明けたんだろうか、どうだろうかという研究なんだが、一人のばあさんが、昔は雷さえ鳴れば梅雨は明けるにきまっていたが、近ごろじゃそうはいかないとこぼしている。すると一人がどうしてどうして、雷ぐらいで明けることじゃありゃしないと憤慨していた。――絵もそのとおり、今の絵はインスピレーションぐらいでかけることじゃありゃしない。ねえ田村さん、小説だって、そうだろう」  隣に田村という小説家がすわっていた。この男は自分インスピレーション原稿の催促以外になんにもないと答えたので、大笑いになった。田村は、それから改まって、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞きだした。野々宮さんの答はおもしろかった。――  雲母か何かで、十六武蔵ぐらいの大きさの薄い円盤を作って、水晶の糸で釣るして、真空のうちに置いて、この円盤の面へ弧光燈の光を直角にあてると、この円盤が光に圧されて動く。と言うのである。  一座は耳を傾けて聞いていた。なかに三四郎は腹のなかで、あの福神漬の缶のなかに、そんな装置がしてあるのだろうと、上京のさい、望遠鏡で驚かされた昔を思い出した。 「君、水晶の糸があるのか」と小さい声で与次郎に聞いてみた。与次郎は頭を振っている。 「野々宮さん、水晶の糸がありますか」 「ええ、水晶の粉をね。酸水素吹管の炎で溶かしておいて、両方の手で、左右へ引っ張ると細い糸ができるのです」  三四郎は「そうですか」と言ったぎり、引っ込んだ。今度は野々宮さんの隣にいる縞の羽織批評家が口を出した。 「我々はそういう方面へかけると、全然無学なんですが、はじめはどうして気がついたものでしょうな」 「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験証明したのです。近ごろあの彗星の尾が、太陽の方へ引きつけられべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです」  批評家はだいぶ感心したらしい。 「思いつきもおもしろいが、第一大きくていいですね」と言った。 「大きいばかりじゃない、罪がなくって愉快だ」と広田先生が言った。 「それでその思いつきがはずれたら、なお罪がなくっていい」と原口さんが笑っている。 「いや、どうもあたっているらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなるほど引力のほうが負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片からできているとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされるわけだ」  野々宮は、ついまじめになった。すると原口が例の調子で、 「罪がない代りに、たいへん計算がめんどうになってきた。やっぱり一利一害だ」と言った。この一言で、人々はもとのとおりビールの気分に復した。広田先生が、こんな事を言う。 「どうも物理学者は自然派じゃだめのようだね」  物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 「それはどういう意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生説明しなければならなくなった。 「だって、光線の圧力試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然献立のうちに、光線の圧力という事実印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのという装置をして、その圧力物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」 「しか浪漫派でもないだろう」と原口さんがまぜ返した。 「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」 「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだからそれからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。 「すると、物理学者は浪漫自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士比較を持ち出した。 「さよう、イブセンの劇は野々宮君と同じくらいな装置があるが、その装置の下に働く人物は、光線のように自然法則に従っているか疑わしい」これは縞の羽織批評家言葉であった。 「そうかもしれないが、こういうことは人間研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」と広田先生がまた問題を大きくしてしまった。 「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家が質問した。広田先生は、すぐ、 「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」と答えた。「じっさい人間たる我々は、人間しからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」  小説家はそれで黙った。今度は博士がまた口をきいた。 「物理学者でも、ガリレオ寺院釣りランプの一振動時間が、振動の大小にかかわらず同じであることに気がついたり、ニュートン林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、はじめから自然派ですね」 「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。 「あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。v※(アキュートアクセント付きE小文字)rit※(アキュートアクセント付きE小文字) vraie. なんでも事実でなければ承知しない。しかしそう猖獗を極めているものじゃない。ただ一派として存在を認められるだけさ。またそうでなくっちゃ困るからね。小説だって同じことだろう、ねえ君。やっぱりモローや、シャバンヌのようなのもいるはずだろうじゃないか」 「いるはずだ」と隣の小説家が答えた。  食後には卓上演説も何もなかった。ただ原口さんが、しきりに九段の上の銅像悪口を言っていた。あん銅像をむやみに立てられては、東京市民が迷惑する。それより、美しい芸者銅像でもこしらえるほうが気が利いているという説であった。与次郎三四郎九段銅像原口さんと仲の悪い人が作ったんだと教えた。  会が済んで、外へ出るといい月であった。今夜の広田先生庄司博士によい印象を与えたろうかと与次郎が聞いた。三四郎は与えたろうと答えた。与次郎は共同水道栓のそばに立って、この夏、夜散歩に来て、あまり暑いからここで水を浴びていたら、巡査に見つかって、擂鉢山へ駆け上がったと話した。二人は擂鉢山の上で月を見て帰った。  帰り道に与次郎三四郎に向かって、突然借金言い訳をしだした。月のさえた比較寒いである三四郎ほとんど金の事などは考えていなかった。言い訳を聞くのでさえ本気ではない。どうせ返すことはあるまいと思っている。与次郎もけっして返すとは言わない。ただ返せない事情をいろいろに話す。その話し方のほうが三四郎にはよほどおもしろい。――自分の知ってるさる男が、失恋の結果、世の中がいやになって、とうとう自殺をしようと決心したが、海もいや川もいや、噴火口はなおいや、首をくくるのはもっともいやというわけで、やむをえず短銃を買ってきた。買ってきて、まだ目的遂行しないうちに、友だちが金を借りにきた。金はないと断ったが、ぜひどうかしてくれと訴えるので、しかたなしに、大事の短銃を貸してやった。友だちはそれを質に入れて一時をしのいだ。つごうがついて、質を受け出して返しにきた時は、肝心の短銃の主はもう死ぬ気がなくなっていた。だからこの男の命は金を借りにこられたために助かったと同じ事である。 「そういう事もあるからなあ」と与次郎が言った。三四郎にはただおかしいだけである。そのほかにはなんらの意味もない。高い月を仰いで大きな声を出して笑った。金を返されないでも愉快である与次郎は、 「笑っちゃいかん」と注意した。三四郎はなおおかしくなった。 「笑わないで、よく考えてみろ。おれが金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることができたんだろう」  三四郎は笑うのをやめた。 「それで?」 「それだけでたくさんじゃないか。――君、あの女を愛しているんだろう」  与次郎はよく知っている。三四郎はふんと言って、また高い月を見た。月のそばに白い雲が出た。 「君、あの女には、もう返したのか」 「いいや」 「いつまでも借りておいてやれ」  のん気な事を言う。三四郎はなんとも答えなかった。しかいつまでも借りておく気はむろんなかった。じつは必要な二十円を下宿へ払って、残りの十円をそのあくる日すぐ里見の家へ届けようと思ったが、今返してはかえって、好意にそむいて、よくないと考え直して、せっかく門内に、はいられる機会を犠牲にしてまでも引き返した。その時何かの拍子で、気がゆるんで、その十円をくずしてしまった。じつは今夜の会費もそのうちから出ている。自分ばかりではない。与次郎のもそのうちから出ている。あとには、ようやく二、三円残っている。三四郎はそれで冬シャツを買おうと思った。  じつは与次郎がとうてい返しそうもないから、三四郎は思いきって、このあいだ国元へ三十円の不足を請求した。十分な学資を月々もらっていながら、ただ不足だからといって請求するわけにはゆかない。三四郎はあまり嘘をついたことのない男だから請求理由にいたって困却した。しかたがないからただ友だちが金をなくして弱っていたから、つい気の毒になって貸してやった。その結果として、今度はこっちが弱るようになった。どうか送ってくれと書いた。  すぐ返事を出してくれれば、もう届く時分であるのにまだ来ない。今夜あたりはことによると来ているかもしれぬくらいに考えて、下宿へ帰ってみると、はたして、母の手蹟で書いた封筒ちゃんと机の上に乗っている。不思議なことに、いつも必ず書留で来るのが、きょうは三銭切手一枚で済ましてある。開いてみると、中はいつになく短かい。母としては不親切なくらい、用事だけで申し納めてしまった。依頼の金は野々宮さんの方へ送ったから、野々宮さんから受け取れというさしずにすぎない。三四郎は床を取ってねた。  翌日もその翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかった。野々宮さんのほうでもなんともいってこなかった。そうしているうちに一週間ほどたった。しまいに野々宮さんから下宿下女を使いに手紙をよこした。おっかさんからまれものがあるからちょっと来てくれろとある三四郎講義の隙をみて、また理科大学の穴倉へ降りていった。そこで立談のあいだに事を済ませようと思ったところが、そううまくはいかなかった。この夏は野々宮さんだけで専領していた部屋に髭のはえた人が二、三人いる。制服を着た学生も二、三人いる。それが、みんな熱心に、静粛に、頭の上の日のあたる世界をよそにして、研究をやっている。そのうちで野々宮さんはもっと多忙に見えた。部屋の入口に顔を出した三四郎ちょっと見て、無言のまま近寄ってきた。 「国から、金が届いたから、取りに来てくれたまえ。今ここに持っていないから。それからまだほかに話す事もある」  三四郎ははあと答えた。今夜でもいいかと尋ねた。野々宮はすこしく考えていたが、しまいに思いきってよろしいと言った。三四郎はそれで穴倉を出た。出ながら、さすがに理学者は根気のいいものだと感心した。この夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然としてもとのとおりの位置に備えつけてあった。  次の講義時間与次郎に会ってこれこれだと話すと、与次郎はばかだと言わないばかりに三四郎をながめて、 「だからいつまでも借りておいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄りには心配をかける。宗八さんにはお談義をされる。これくらい愚な事はない」とまるで自分から事が起こったとは認めていない申し分である三四郎もこの問題に関しては、もう与次郎責任を忘れてしまった。したがって与次郎の頭にかかってこない返事をした。 「いつまでも借りておくのは、いやだから、家へそう言ってやったんだ」 「君はいやでも、向こうでは喜ぶよ」 「なぜ」  このなぜが三四郎自身はいくぶんか虚偽の響らしく聞こえた。しか相手にはなんらの影響も与えなかったらしい。 「あたりまえじゃないか。ぼくを人にしたって、同じことだ。ぼくに金が余っているとするぜ。そうすれば、その金を君から返してもらうよりも、君に貸しておくほうがいい心持ちだ。人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」  三四郎は返事をしないで、講義を筆記しはじめた。二、三行書きだすと、与次郎がまた、耳のそばへ口を持ってきた。 「おれだって、金のある時はたびたび人に貸したことがある。しかしだれもけっして返したものがない。それだからおれはこのとおり愉快だ」  三四郎まさか、そうかとも言えなかった。薄笑いをしただけで、またペンを走らしはじめた。与次郎それからはおちついて、時間の終るまで口をきかなかった。  ベルが鳴って、二人肩を並べて教場を出る時、与次郎が、突然聞いた。

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「あの女は君にほれているのか」

 二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手玄関から図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。

「よくわからない」

 与次郎はしばらく三四郎を見ていた。

「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」

 三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実のものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である三四郎は首を傾けた。

「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。

「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」

 三四郎の顔は彫りつけたようにまじめであった。与次郎一口

「知らん」と言った。三四郎は黙っている。

「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。

「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。

 三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、

「せんだってありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。

 手紙文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものであるしか感謝以外には、なんにも書いてない。それだから自然の勢い、感謝感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙ポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままであるそれから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。

 二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。

 表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。

 三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。

「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」

「そう、お遊びに?」

「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」

「いいえ、私も御用なの」

 両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである

バイオリンを買いましたか

「どうして御存じ」

 三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。

いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」

 三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎非難した。

 二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。

 三四郎下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。

 きょうは夜だから屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。

「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリン和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。

 三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。

「ああ、わたし忘れていた。美禰子さんのお言伝があってよ」

「そうか」

「うれしいでしょう。うれしくなくって?」

 野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。

ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。

「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」

 三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。

「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会演芸会に連れて行ってちょうだいって」

里見さんといっしょに行ったらよかろう」

「御用があるんですって」

「お前も行くのか」

「むろんだわ」

 野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめ必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、

「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、

「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。

「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別とあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」

 野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。

「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。

「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。

「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活ありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。

「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。

「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしか佐々木に貸したんですね」

 三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないか一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。

佐々木馬券を買って、自分の金をなくしたんだってね」

「ええ」

 よし子はまた大きな声を出して笑った。

「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」

 三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。

「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。

「よくってよ」と妹が拒絶した。

「よくはないよ」

「よくってよ。知らないわ」

 兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。

だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」

 三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。

 人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。

 下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしか与次郎以上の風である

 三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。

2024-09-30

 三四郎はこの時ふと汽車水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味批評家という字を使ってみた。使ってみて自分うまいと感心した。のみならず自分批評家として、未来存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。  三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。  安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……  三四郎はあくる日例になく早く起きた。  寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎自分経験を残らず話した。 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。  三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味ほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。  野々宮君は昨夜よく寝られなかったものからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田学校へ行く日で、大学のほうは休みから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎おかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。  その代り広田さんの事を聞いた。三四郎広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃先生青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。  帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。  三四郎は新しい四角な帽子かぶっている。この帽子かぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートインキ壺を持って、八番の教室はいる時分である。一、二時間講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科玄関まで乗りつけた。  上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」  三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。  うしろから看護婦草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)  目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。  三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である三四郎ハンドルをもったまま、――顔を戸の影から分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。 「おはいりなさい」  女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくし婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。  戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまり婦人三四郎挨拶をした。この婦人三四郎からだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものみえる。 「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれ風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、 「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。  寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。  おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、 「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、 「ええ」と言う。 「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢服装を頭の中へ入れた。  着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。  うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。  女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。  きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。  肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。  女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろのしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。 「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と言って立ち止まった。 「十五号室はどの辺になりましょう」  十五号は三四郎が今出て来た部屋である。 「野々宮さんの部屋ですか」  今度は女のほうが「はあ」と言う。 「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」 「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。 「ええ、ついその先の角です」 「どうもありがとう」  女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。  三四郎はいさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこからたか与次郎が突然声をかけた。 「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。  二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、 「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、 「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。  正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。

anond:20240930192717

2024-09-28

anond:20240926150032

アイドルとして批評するならね。

純粋パフォーマーとして見て巧拙を論じることはできるし、敢えて下手に見せてるんだ云々というのはアイドル批評家がやればいいこと。

2024-09-26

anond:20240926111531

アイドルの曲やダンスであっても、そういう曲が生まれるに至った歴史・経緯とか時代流行りとか、アイドル業界なりの文脈抜きでは批評なんかできない

単純な歌唱ダンス技術巧拙ですら「上手すぎずほどよく下手なのが良い」って時代だってある

もちろん消費者とかファンならそんなもん考えなくて良いよ、批評家なら考えろって話でしかない

2024-09-25

「大物作家」の「なろう系に批評視点を加味した小説」?

読み手書き手が「密着」しているらしい「なろう系」には、「批評の付け入る隙間」が無いのだろう。

から批評援護射撃によって下駄を履かせてもらえるジャンルである純文学作家」が、

文壇内で批評家の役目も果たしている「大物作家」の「なろう系に批評視点を加味した小説」を

絶賛するのは不思議でもなんでもない。

文壇政治」というやつだ。

白人酋長って、純文学作家様なら土人が書いてる転生モノで新しい作品が書けるはず、って発想のことだよね

「異世界×日本スゴイ」に秘められた“欲望”とは...ラノベ界→純文学界へ“転生”した市川沙央が読む『大転生時代』(島田雅彦 著) | 文春オンライン

この記事代表的なんだけどさ、ブコメがすでに多数指摘してる通り、「なろう系」を語る批評家って、「なろう系」全然読んでなさそうだな……ということがありありと伝わってくるよね。

まあ、なろうなんて安っぽい娯楽でごぜぇますから一生読まなくてもいいと思いますけども、それでも読んでもない人には「なろう系は〇〇ばかり」とか「なろう系にはない発想」とかい表現は使ってほしくないわけだ。

純文学というハイカルチャーの一員だから、遥か下に位置する(ナ)ローカルチャーなんて数作読めば語れると思ったか白人ましゅごいです!!!

市川沙央の書評ツッコミを入れていく

(主に男性向けを念頭に置いて解説する。実は2024年小説家になろうほぼほぼ女性向けサイトなのだけど、歴史的には最近まで女性向けは傍流であったし、「なろう系」などという言葉を使ったとき女性向け作品イメージされることはおそらくまれからだ。)

その「小説家になろう」に投稿されていた『転生したらスライムだった件』が異世界転生ブーム火付け役と言われる間違いなくように

2013年連載開始の転スラが火付け役なわけねーじゃん。

俺はログホラが書籍化されたあたり、2011年くらいからなろうを眺めているんだけど、そのころにはとっくに「異世界転生」がテンプレとして確立して流行してる。

定説では、ゼロ年代に隆盛を極めた二次創作文化からの輸入設定だろうといわれていわれてるな。

「好きなマンガ世界に行ってキャラたちと交流したい」という素朴な欲望を実現するために「マンガ世界に転生」という設定が流行り、それがWeb小説読者の中で当たり前のお約束として定着したあと、誰かがオリジナル作品でも「異世界転生」が使えると大発見したわけ。

異世界転生」に限らず、Web小説文化とは、お互い設定をパクり合う一種生態系を通して、お約束を研ぎ澄ましていくもの

転スラが火付け役なんて言っちゃうのは、出版界で一番売れた作品しか見てねーんだろうな。

俺は一般小説も読むから、転生と聞いて「異形の設定が突然現れた!」と興奮して世代論を語りたくなるのもわかるけどさ、海面から顔を出した氷山の一角を見たところで、氷がどのように成長してきたかわからん

お約束形成過程を知ろうとすれば、そう異形でもないということがわかるはずなんだけどな。

ここまでパワフルな大転生時代が招来された要因はひとえに、読者の欲望ダイレクトに満足させるストーリー展開にある。主人公チート能力による問題解決連続、いわゆる無双状態快感を求める若者層(実質的中年層という説もある)

俺TUEEEモノというジャンルのことだな。なろう小説は決して俺TUEEEモノだけの世界ではないので「ひとえに」とまで言うと嘘だが、Web小説で人気を得るためには必ず意識しなければいけない、大本の土台的なジャンルであることは同意できる。

ただ一つ付け加えると、俺TUEEE小説の魅力というのは、現代日本大谷旋風や藤井竜王名人ブームと全く同一のものであり、決してなろう系特異なものではない。

大谷ファン藤井ファンも、野球将棋ルールすら知らない人が大多数だろう。ただ大実績を積み重ねるという情報、「クソ強えー!」ただそれだけの情報原始的で荒々しい魅力は、他の洗練された娯楽コンテンツのどれよりも普遍的に我々を惹きつけるものだ。

よく大谷藤井を称賛するのに、「マンガだとリアリティがなさ過ぎてボツになってしまう」という言葉が使われるが、これはなろうの俺TUEEEモノがなぜ受けるかという理由でもある。

それは転生とか異世界とか、リアル現代日本から舞台を変えてしまうことで、読者が求めるリアリティ基準を下げ、摩擦なく最強キャラを出すことができるからだ。事実として、大谷より強い野球選手も、藤井より強い将棋棋士も、Web小説界には人気作品として普通に存在する。

なお、なろう系を読んでるのは若年層か中年層かという話は、お金のない若年層がWebでタダで小説読んで文化を盛り上げて、お金持ってる中年層が書籍化された本を買い支えている、という見方定説のはず。

われわれにとって理想世界はつねにどこか遠くにある異世界ガンダーラ)であり、理想世界を構築するための力とは、上から与えるものか、与えられるものであり、落差を利用した一発逆転の魅力の前では、内発的な自立心と漸進性など相手にされない。私はこうした異世界転生ジャンルの発生原理を、ギブミーチョコレート症候群と呼んでいる。

俺は『異世界食堂あんまりきじゃないんだけど、この批評はさすがに『異世界食堂』を読めていなさすぎる。

異世界食堂」とは、1週間に1度だけ異世界から来客が訪れる、現代日本食堂を指している。誤解しやすいが舞台異世界ではなく日本だ。

そして小説異世界食堂』も1週間に1度だけ更新された。作中設定と、小説更新頻度の一致は何を意味するか。

小説更新異世界食堂開店見立て、読者を異世界住民見立てているのである

なろう読者は毎日毎日異世界主人公が大活躍する小説を読んでいる。異世界冒険者であったり、国王であったり、魔王であったり、感情移入しながら読んでいる。

そして、感情移入継続したまま、週に一度、異世界食堂入店する。直前まで読んでいたなろう小説では戦場無双していた竜王も、異世界食堂の中では特別人間ではない。庶民食堂常連の1人として料理が運ばれてくるのを待つのである

そして、洋食屋で食べる料理の素朴な美味しさを追体験したあと、感情移入を解いた読者は、冒険者になったつもりで小説を読み耽るのもいいけど、気になる食堂を訪ねるのも楽しそうだなと思うようになる。

そして、異世界食堂は平日5日、どこかにあるはずの現実のお店として、読者である日本あなたが訪れるのを待っている……、これが小説異世界食堂』の仕掛けである

異世界食堂』の毎話に挟まれる、

・一応ファンジーです。

・剣も魔法存在しますが、あまり活躍しません。

・店主は普通おっさんです。料理以外できません。

という但し書きは、このアンチなろう性をわかりやすく読者にアピールしている。

よって「理想世界はつねにどこか遠くにある異世界ガンダーラである」という市川沙央の読みは完全に誤読だ。

遠い異世界に夢中になってないで、身近な幸せにも目を向けようよというのが『異世界食堂』のメッセージなのだ

(ついでに言うと「一発逆転」もおかしい。異世界食堂は、異世界関係なく日本ちゃんと繁盛している店という設定だ)

なお余談だが、「ギブミーチョコレート症候群」というような、人を病として勝手に診断しレッテルを貼る行為は、10年後には炎上ネタになってそうな気がする。

——巷に出回ってる小説なんて自分に都合のいいユートピアを作りたいだけじゃないか。何の障害もなく、他者存在していないから、どんなヘタレも無敵になれる。本当の異世界あんゲームみたいにイージー世界じゃない。

これは小説から引用であるので正確な文脈はわからないのだが、こういうこと言う人には、「あなたはリゼロスバルくんになれるんですか?」と聞きたくなるな。いや転スラのリムルくんでもいいし、他の主人公でもいい。なれるの?

かに、彼ら主人公は都合のいいチートを持っている。しかし、同じチートを与えられれば、あなたにも同じことができますか?と問われれば、間髪入れず無理と答える程度には英雄的だ。リゼロスバルくんは死んでも生き返るという能力を持つが、何十回と死に続けても諦めず立ち上がり続けることなぞ、常人には絶対不可能だ。

この島田雅彦の書く一文からは、島田異世界転生の表面的な部分しかメタれていないことがありありと伝わってくる。

真に、異世界転生を突き詰めて考えるならば、問題として提出すべきなのは「都合のいいチートを得た、ただそれだけなのに、なぜもともと平凡だった現代日本人が英雄になれるのか」である

転生系ライトノベルの型(パターン)においては「わたしは突然前世記憶を思い出した」の一言存在と一回性の人生尊厳をまるごと抹殺されてしまう転生先本来人格について本作は透明化することなく、むしろ転生という事象から生じうる共存理想をいくつかのかたちで示している。

世界設定のお約束の共有によって発展したライトノベル異世界転生にはない、前世や転生先となる異世界設定および各キャラクターの奥行きとオリジナリティバリエーションの多彩さはまさしくSF醍醐味であり純文学の風格。

?????

それ、転生モノの一大テーマですけど?????

かにスルーして単純化する作品もたくさんあるよ。一方で、転生モノの見せ場と言えるくらいには、問われ解答されてきたテーマでもある。

島田雅彦『大転生時代』の解答は、2つの魂が1つの身体共存するとのこと。

なろう視点で見ると、身体共存モノはそう珍しい設定ではない。というかそれ転生モノじゃない。いわゆる脱法転生モノという類のもので、なろう運営異世界転生転移モノに対しランキングで不利になる規制をかけたとき特にかなり流行っていた印象だ。現地人を主人公にしつつ(規制回避)、日本視点を都合よく設けることができるからな。 09/26 00:50追記:有名なろう作家の丘先生がそれだと規制回避できないし、当時流行っていた印象はないとコメントされていた。私も薄っすらとした記憶で書いていただけなので、当時人気作を連発して書かれていた丘先生のほうが間違いなく正しいであろう。訂正する。

(09/26 02:20追記:勢い余って筆を滑らせたので、精神同居モノってなろうではどういう立ち位置なのか少し考えてみる。記事の本筋に関係ないので小文字とする。まずなろうは巨大すぎて、全体としてどうなのかというのは語るのは困難だ。自分所属するクラスタから見ればこうとしか言えない。自分TSF(性転換)ジャンルクラスタにいたので、その視点で見るとTSFでは精神同居はさほど珍しくない。『果ての世界で』とか『銀髪巫女』とか『二人で一人の剣姫』とか?R-18で言うとせなちかさんの作品とかがあるよね。ただ、TSFは主流派ジャンルではないのでこれを以て「精神同居はよくある」は言いづらい。次に、なろうでいくつかのワード検索して、上位のものを見てみると『取り憑かれた公爵令嬢』とか『悪ノ令嬢シャーロット中の人は、彼女を護りたい』とか女性向けでいくつか人気作がヒットする印象だ。広い意味で見れば超人気作の『悪役令嬢の中の人』も精神同居系女性向け作品のうちに入るかな。ただ、冒頭に主に男性向けで考えるぞと書いてしまったので、スタンダード男性向けだとどうだろう……。『みつばものがたり』は精神同居の転生モノだがキワモノが強いなぁ。「実は日本人だった先祖の声が頭に聞こえる」とか、そういう設定の作品あったような気がするが、なかなか見つからない。なろう創作者の気持ちで考えれば、男性向けで精神同居させるなら、TSFにする気がする。精神同居ジャンルにかなり近い設定としては、器物転生ジャンルが挙げられるだろう。『転生したら剣でした』『黒姫の魔導書』とか。主人公である転生者は、持ち主と心で会話し、時には体を乗っ取って動かすこともある、みたいな、これは精神同居と外形的にはほとんど一緒かな。こっからはもう全く関係のない話。奇遇なことなんだけど、この数日間、精神同居系ジャンルたくさん摂取しとったなと気がついた。自分は実は最近ずっとWeb小説読んでなくて、ここ2週間くらいのときに少しだけ読み返した程度なんだが、『みつばものがたり』は該当だし、なろう系以前の作品2008年のArcadia連載の二次創作から生モノに含めるのは出来ないんだけど、『聖なるかな』の二次創作THE FOOLは転生、人格乗っ取りの是非、精神同居、全て要素として含まれている作品だし、イッキ見したアニメ戦国妖狐』はまさに精神同居と共存のあり方について描いた作品であるはてブ経由で読んでた『絶対死なないステラ姫』とか『スパイダーマンオクトパスガール』も精神同居だよな……。)

「転生=人格塗りつぶし問題からは、「主人公は、前世自分とどこまで連続していて、どこから不連続なのか?」「主人公地球存在か? 異世界存在か?」「主人公の本当の両親は地球の親か? 異世界の親か?」など、物語面白くする様々な問いが派生する。名作と呼ばれる転生モノは、少なくとも部分的には答えようとするものだ。

島田雅彦の『大転生時代』は、市川沙央の書評を読む限り、問いに真正から取り組むのではなく、ただ回避しただけにしか見えない。

(4ページ目から5ページ全体)

市川沙央氏の文章は全体的に意味が取りづらいが、4ページ目から特に何が言いたいのかわからない。連想ゲームで思いついたことを繋げているだけに見える。いくつかわかるところだけコメントをつける。

異世界転生ジャンルが、経済的文化ギャップから生じうる植民地化の欲望を下敷きとしていることをすでに述べた。

「すでに」というので、前の文章を読み直したが、ただのチェリーピッキングだ。

市川沙央は『異世界食堂』を誤読していることは先に述べたが、一方で『異世界食堂』が「日本スゴイ」モノであるのは正しい。「食」という文脈で、日本異世界より文化的に上回っているという設定であるのも正しい。

しかし、『異世界食堂』が、転生/転移モノの代表的作品か?というと、全く違う。

先に引用した、「一応ファンジーです」「剣も魔法存在しますが、あまり活躍しません」「店主は普通おっさんです。料理以外できません」からわかるように、『異世界食堂』は正統派的なろう系作品の逆を行くものである

まり正統派とは「主人公が剣と魔法で大活躍」する作品のことだ。

となると、はて、日本に剣や魔法があっただろうか? そう、異世界とは剣と魔法先進世界であり、日本は剣と魔法後進国だ。ギャップ上下が逆なのである

よって、大多数の転生モノにおいて、主人公無双する力を身につけるのは異世界においてである。転生者だから強いわけではない。超一流の戦士の家に転生したかであるとか、転生設定を完全に抜いても成り立つような作品が多い。

1ページ目の、

無双状態を引き起こすチート能力とは、主人公異世界人たちつまり世界世界ギャップによって生じるもの

という表現ときは、「主人公日本では活かせない巨大な才能を持っている」という風に善解すればギリ意味は通るかなと考えたが、4ページ目で「経済的文化ギャップ」とギャップの中身を限定してしまったところで、市川沙央は言い逃れ不能な馬脚を露わにしたと言える。

(正確に言えば、「日本古武術を修めていたから強い」とか、「魔法イメージが力の源泉であり、日本人は水などをH2O化学式レベル理解しているから強い」とか、文化ギャップ無双する作品もないわけではないが、稀な設定だし、説得力があまりないのでかなり昔に廃れているはず)

ポストヒューマンSF

俺は序

2024-09-16

anond:20240916234433

なんで批評家って、洋楽離れが〜とか若者洋画を見ない〜とか、英語圏文化帝国主義走狗みたいなこと言うんだろうな

あれが一番理解できないわ

MUSICA掲載 伏見瞬さんのBUMP OF CHICKEN『Iris』ディスクレビューについて

伏見瞬さんが書かれたMUSICAの『Iris』のレビューについて。

「この人はBUMP音楽性が好きじゃないから、難しい言葉評価しないと書いている。否定的であれば中立だと勘違いしている。購買層ではない人間外野から何か言っているだけなので読むに値しない。気分が悪くなるので読まなくていい」というポストを見かけたが、読解力に難があるのだろうか?まず冒頭の部分でしっかりと評価ポイントを挙げているよ。

その上でファンアーティスト関係から成り立っている「物語」(BUMPはこれが巨大)、BUMPという大きなバンドが持つ「伝播力」といったもの排除し、純粋に『Iris』というアルバムの「音楽だけ」について批評している。これディスクレビューとして非常に真っ当な行為だと思う。

そもそも伏見さんは照沼健太さんとともに「てけしゅん音楽講座」というYouTubeチャンネルを持ち、その中で何度もBUMPを取り上げ、時には観ているこちらが苦笑いをしてしまうほどの熱量思い入れたっぷり楽曲解説している。この人はBUMPがとても好きなんだと思う。

伏見さんは批評家で、批評家に対してポジ以外の批評をするなというのは無理があるし、批評であるという責任において明確なスタンスを示してレビューをしただけ。そのスタンスは決して中立である必要はない。内容が気に食わないのは勝手だし、気分が悪くなるのも勝手しか批評家に向かって「購買層でもない外野否定的なことを書くな」は暴論以外の何物でもないよね。さらに言えば購買層でもない外野言論の自由はないの?

特に最近邦楽界隈では体感として「全肯定以外は認めない」人達が増えているし、文章全体像を把握せず、インパクトの強い一節だけに引っ張られて「これは否定だ」と騒ぐ人が増えている気がするけど、あれだけ言葉の使い方に繊細な配慮をしている藤原基央が、BUMPが好きであるなら、すぐに飲み込めなくてもいいから、まずは文意を汲み取れるまで何度でもその文章を読んでほしい。多様な声があるのが健全なんだよ。それに伏見さんは難しい言葉は使ってないよ。

2024-08-30

anond:20240830150556

芸術が良いものなのは間違いないんだけど、なんでそれの批評家あんなでかい顔してるのか本当にわからん……

現場で働いたりする学芸員とかはわかるんだよ。でも例の人なんかは芸術のものに関して評価評論して、あまつさえ過去の誰かが言った評論を繰り返してるだけだったりするわけじゃん?

せめてこう、謙虚になるか、最悪でも「てめえらは芸術も知らねえ馬鹿」みたいな態度は改めるべきなんじゃねえかなあと

2024-08-28

ぼくは批評家が嫌いだ

ぼくは批評家が嫌いだ。

何故なら彼らは口先ばかりで、さも自分が判っているかのように語る。

それが堪らなく嫌で、腹が立つ。

本当に分かっているなら作ればいいじゃないか

ここがいいとか、ここが悪い。

あれは実は〇〇を表現しているから趣がある…なんて得意げに語り出すのを見ると、腹が立つのを通り越して呆れてしまう。

建築家だったら建築の何たるかを知っていれば建物建築するだろう。

小説家だったら小説の何たるかを知っていれば小説執筆するだろう。

批評家解釈ばかりで講釈を垂れ、作品の良質さをさも自分の手柄のように語る。

それが卑しくて、ぼくは見るに堪えない。聞くに堪えない。

本当に本質理解しているなら、作り手に回るはずだ。

それなのにクリエイターにはならず、批判されるのを忌避し、自分あくま批判する立場に留まるというのは、とても卑しく、俗的で、社会を狭め貶める行為であると、ぼくは思うのだ。

2024-08-26

北村紗衣さんに対する須藤にわかさんのBluesky発言

北村紗衣さんとツイッターでニューシネマのお話をしたのでまとめました(編集なしの完全版)

こういう記事が上がってたんだけど、よくよく読むと「完全版」といいつつ本人がBlueskyで投稿してたこと&自分がまとめたあとに投稿したコメントがまとまってなかったので、せっかくなのでその辺もまとめときますね。

Blueskyの主要な投稿まとめ

https://bsky.app/profile/niwaka-movie.com/post/3l2jetkahwb2i

北村紗衣の反論を読んで俺としては勉強になったなぁと思ったことがもう一つあったのでこっちに書いておくと(ツイッターの人は文章が読めないので)、この人は「昔はよかった」の人らしいということで、具体的にはコード期・プレコード期はハリウッド女性が輝いていたけどニューシネマ期は輝いていない、というようなことを書いていた。 美人ドレスで着飾ってレディとして大事にされた時代と、大事にはそうされないけどジーンズを履いて自由に何でもやってよかった時代と、どちらが女の人にとって良いだろうか、というのは、その人のフェミニズムに対する考え方によって変わってくる。それがあの反論ブログからは見えて良かった。

https://bsky.app/profile/niwaka-movie.com/post/3l2jeykpzqi2r

ニューシネマ期の映画ちゃんと観ている人なら、男だけでなく女の人の表象も、あの時代多様化したことは、いちいち指摘するまでもなくわかってることだろうから

https://bsky.app/profile/niwaka-movie.com/post/3l2jbxyydck2u

だってその人なんか俺に対する引用RTで「家にある本を読み返したらやっぱりにわかさんがおかしい」とか言ってたんだもん。映画を見るんじゃなくて映画の本を見るんですよ、反論のために。こっちは映画の話をしてるんだからそんなの話にならないじゃないですか

https://bsky.app/profile/niwaka-movie.com/post/3l2k647xdas2y

なんか俺が北村紗衣をインフルエンサーと書いたことにめちゃくちゃ怒ってる人たちがいるんですけどこないだのニュース記事でもカマラハリス党大会インフルエンサー読んで若者アピールとか書いてあったし単にネット上でえいきょうひょ影響力のある人ぐらいの意味しかないのになんでそんなに怒る人がいるんだよ

https://bsky.app/profile/niwaka-movie.com/post/3l2kjk5u6ou2k

いやていうかマジでBlueskyの治安の良さというかさ、当たり前なんだけど他人にガーって罵詈雑言吐きながら噛みついてくる人がいないっていうの、すごくなくてこれが普通のはずなんだけどすごいな。逆になんであんなにツイッターの人は壊れてるんだろう。北村さん本人は(頑固だな~)と思いつつまぁそれでも壊れてはいなかったですけど、その取り巻きなのかなんなのかわかんない人らの品の無さと話の通じなさときたらとんでもないよ。なんなんだろうねあれは。やっぱりツイッターの水に違法な興奮剤とかが入ってるんじゃないかな…

https://bsky.app/profile/niwaka-movie.com/post/3l2kr6zlev22x

北村紗衣に「あなたじゃあニューシネマ何本観たんですか」って聞いて「10本以上は見てますよ」って半ギレのリプが帰って来た時には不覚にもちょっとかわいいなお前…!と思ってしまたことを告白反省しながら今日は寝ようと思います

https://bsky.app/profile/niwaka-movie.com/post/3l2mrpbvtp42k

個人的意見なんですが批評家を名乗る人が自分よりも批評対象作品を観ている人に対して「本数マウントしてるー」とか言うのは情けないと思います批評家批評対象をまずすべて鑑賞するぐらいのところから始めた方が論に説得力は出ると思います

増田感想

2024-08-25

anond:20240825135042

映画って色々な考え方とかがあって、名作もあれば駄作もあるけど、そこがまた面白いよね!っていう映画ファンにとって、いきなりフェミニズム批評家とやらが「映画なんてあんまりたことないけどフェミニズム視点からはクソだよね」「全然考えられてないし、面白くない」「白人男性中心で反省してない」って言われたら言い返したくもなるよな、っていう風に見えました。

anond:20240825135042

映画って色々な考え方とかがあって、名作もあれば駄作もあるけど、そこがまた面白いよね!っていう映画ファンにとって、いきなりフェミニズム批評家とやらが「映画なんてあんまりたことないけどフェミニズム視点からはクソだよね」「全然考えられてないし、面白くない」「白人男性中心で反省してない」って言われたら言い返したくもなるよな、っていう風に見えました。

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

2024-08-17

アーサー・C・ダントー提唱した「アートワールド」とは、芸術作品が成立するための社会的概念的枠組みのことを指します。彼は1964年論文「The Artworld」で、この概念提唱しました。ダントーによれば、芸術作品はそれ自体物理的な特性だけで芸術であるわけではなく、周囲の芸術的な理論批評歴史的背景、そしてその作品芸術として受け入れる社会的合意など、「アートワールド」と呼ばれる文脈によって芸術作品として認識されるのです。

この枠組みの中では、アーティスト批評家、鑑賞者、美術館ギャラリーなどの文化的社会的要素が、作品芸術性を定義づけ、芸術とされるための文脈形成します。したがって、芸術とは「アートワールド」によって成立する文化的産物であり、その文脈無視しては理解できないものだとダントーは論じました。

2024-08-09

anond:20240808211558

往年の2ちゃんねるっぽいスレで好き

ここの住人は批評家が多いかテキスト面白いのは事実だけど、ヴィジュアルもっと訴えてもよいと思う

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

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