はてなキーワード: 払拭とは
きらら批判の常套句「中身がない」とは、「強い物語性ではない」ということであり、そのこと自体が作品として低劣ということにはならない。
ある作品で、登場人物が死ぬとすれば、制作者は悲劇として、感動的な演出を施すだろう。見る者は感動し、涙を流すかもしれない。
しかし、それはある意味では暴力を受けたことで流した涙ではないだろうか。
人が死ねば悲しいに決まっている。それが心からの感動と言えるだろうか。
感動とは、あからさまな演出によって生み出されるものとは限らない。
誰かが死ぬ必要もなく、あらゆる困難を必死で乗り越える必要もない。何らかの試合を勝ち上がる必要もない。
きらら作品は、何かを成し遂げなければ人間の価値はないという観念を否定した、真に人間を肯定した物語だった。
こうした物語を作るために、多くの漫画家は細心の注意を払ってキャラクターを創造する必要があった。
何気ない描写を気に入ることができれば、それだけできらら読者としての立派な作品鑑賞であり、感動だ。
確かにきらら作品に強い物語性のあるものは少なかった。しかしそれは悪ではない。単にそういう作品が好きか嫌いかという問題でしかない。
「中身がない」とは大味な物語に慣れた者の麻痺でしかないと言いたい。
ところで、近年のまんがタイムきららは組織レベルで、「中身がない」という意見を肯定し、批判を乗り越えたということを定説にしようとしている。
「「かわいい女の子が出てくるだけだ」「読めるレベルではない」などと、ネット上でたびたび批判されていた」
「そんなイメージを覆し、現在の「きらら」は読み応えのある漫画を連発するに至っている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/91bde76822f54bdad7f6fc68a5375aa384b2b494
漫画家・ヒロユキ、今だから話せる「きらら」黎明期と同人誌の制作秘話
――今では考えられないことですが、2010年前後までは「きらら」は漫画好きから蔑視されていた印象もありますよね
瀬古口:そうしたイメージを覆す作品を立ち上げたいと思っていました。
https://realsound.jp/book/2023/03/post-1277885.html
『ぼっち・ざ・ろっく!』担当編集・瀬古口拓也インタビュー 「4コマ雑誌「きらら」の固定観念を払拭する企画を出し続けてきた」
「中身がない」という固定観念を払拭した代表的作品として、公式が祭り上げたいのは『ぼっち・ざ・ろっく!』にほかならない。
『ぼっち・ざ・ろっく!』には確かに物語が(比較的)あるし、登場人物の成長だってある。それは確かに重要な要素だが、問題は他にもある。
『ぼっち・ざ・ろっく!』の作者・はまじあきと担当編集・瀬古口拓也は、近年インターネットにおいて当たり前の語彙となった、「陰キャ」という言葉を前面に押し出すことによって、多くの人の共感を集めることに成功したのだ。
何をもって「陽キャ」「陰キャ」であるかという議論を超えた、曖昧かつ乱暴な分類によって性格が評価されることに人は慣れすぎた。
今や「チー牛」「弱者男性」という言葉をいくらネット上で言い放っても、誰も怒らないし、誰にも怒られない。
これは「淫夢」や「ハセカラ」のような人権侵害コンテンツによって育まれた、感覚の麻痺と考えることができるが、ここではこれ以上語らない。
いついかなる局面においても物怖じすることなくいられる人間などまずいない。
誰もが自らの陰気な心を自覚しているために、「陰キャ」という言葉を捨て去ることができない。
こうしてインターネットを超えてメディアでも当たり前のように用いられるようになった「陰キャ」という語を、『ぼっち・ざ・ろっく!』は目ざとく早くに見つけた。
(もちろん「陰キャ」が純粋にネット由来の言葉であるとは言っていない。ただ十年前の「インターネッツ」において「陰キャ」という言葉が今ほどに使われていただろうか?)
まんがタイムきららは、確実に存在して容易に解消することのできない劣等感を獲得することで、「中身のある」ものになれた。
まんがタイムきららは「中身がない」から乗り越えたことを定説化しようとしている。それはかつてのきらら作品の否定だ。
現在のきららは、かつての遺産を裏返すことで生まれ変わろうとしている。
つまり「あのきららが今ではこんなに中身のあるものに変身している」ということだ。
ただしその手段が、「陰キャ」という借り物であり、上品とは言えないネットスラングの中から穏当なものを選んだに過ぎないものであることを忘れてはならない。
2010年代のきらら作品のアニメ化ラッシュは、いつしか昔のこととなっている。
もはやきららに中身がなかったという記憶すら、かつてのアニメ・漫画ファンにとっての認識として忘れ去られるのではないか。
例えば今(またはこれからの)中高生が、「昔のきららはつまらなかったが今では面白くなった」という認識を実感できる保証はあるだろうか。
まんがタイムきららは、雑誌という全体のレベルで大きな物語を作り上げていったわけではない。
あるいはこれからきららは新たな方向へ進み、さらなる成長を遂げることができるかもしれない。
ただしその体力はどれくらい残されているだろうか。
まんがタイムきららからアニメ化の発表が絶えてどれほどの時が経っているだろう。
結婚して十数年が経過した。
夫とは初めて会った時からなぜか、「この人と一緒になるんだろうな」っていう直感めいた思いが強くあって
元々、家族をもつことや結婚という形態に全く憧れもなかった私なのに
「きっとこの人となら大丈夫」と根拠のない自信とともに結婚した。
何かを話していても、話していなくても一緒にいる時間が楽しくて仕方ない。
毎日、なんでこの人のことこんなに好きなんだろうと不思議に思うくらい。
夫の親族のことももれなく大好きだし、自分は結婚相手に恵まれたランキング世界で一番に違いないと思い込んでる。
でも!なのに!
うっかり、本当にうっかり男友達のことを好きになってしまった。
そんなことない、勘違い、思い違い、って自分の中で打ち消し続けてたけど、何度塗り替えてもやっぱり好きだという思いが払拭できない。
こんなに結婚生活に満足しているのに、どうしてこんなことになってしまったのか。自分でもさっぱりわからない。
夫を粗末にしたら罰が当たると思っている。夫を裏切りたくない。
友達ともこれからもずっと、じーさんばーさんになってもお茶飲んでられる関係でいたい。
どう考えても、友達への恋心をなんとか飼いならし、これまで通り夫とは夫婦として仲良くしつつ
友達とも普通に楽しいお友達関係を続けていけるのがいいに決まってる。
この年になって自分にこんな感情が生まれることを全く予想していなかったので
どうこの思いにケリをつければいいのかのアイディアが全くわかず途方に暮れてる。
もっと若ければ。失うものが何もなければ。深く考えずにうっかり好きだと告げてしまったことだろう。
態度やふるまい、彼が私にしてくれていることを総合的に考えると
彼も私に少なからず好意をもってくれていることはわかる。いくら鈍感な私にもわかる。
若い頃よくそうしたように、「デートでこんなところにいったら楽しいだろうな」とか「どういうセックスするんだろう」とか そういうくだらない妄想はしてみたりはする。
しかし!私は既婚者。うっかり夫以外の男性と肉体関係になどなってしまったら彼が責任を問われる立場になるのだ。
そんなリスクを冒してまで枕を共にしたいかと言われたら決してそうではない。
若い頃の身勝手な恋愛とは違って、年齢を重ねてくると「相手が喜んでくれることが自分にとっても幸せ」という発想が生まれてくる。
だから無謀に突っ走って私利私欲を満たすよりも男友達とはこれからもずっと仲良くしていたい、できれば笑っているところ、楽し気にしている姿を見ていたいと思っている。
それなのに、理性では抑えきれない、どうしようもない欲が自分の中に渦巻いているのがわかる。
彼が別の女性と親し気にしているところが見えると胸が苦しくなる。
自分には大事な愛するパートナーが既にいて、安全な場所でしっかり守られているにもかかわらず
他の男になびいている自分が許せないし、そもそも彼に嫉妬するなんてまったくのお門違い、そんな権利は一ミリもない。
早くこんな気持ち、持っていても育てていても相手にぶつけても誰も幸せになれない気持ちを成仏させて
彼とも夫とも普通の気持ちで何も気にせず一緒にいられるようになりたい。
今は 夫に対しても どこか嘘をつき続けているような後ろめたさがあって
彼には 好きだという気持ちを隠し続ける苦しさがあり
共通の友人に思いを悟られないようにしなくてはという不自由さもあり
なんかもう色々面倒くさい。
人を好きになるっていったいどういうことなんだろう。
この人と一緒にいたい
この人のことを知りたい
どこからどこまでが、既婚者が配偶者以外の異性にもっていていい感情なの??
まとまらないけどなんか吐き出したら頭が整理されてきた。
ためらってる理由はここに書いた「私が既婚者だから」以外にも実はたくさんあって
もし好きな相手と思いが通じ合ったとしても、その先、私の願望を共有してもらえるかといったら 多分それは超えることが難しいハードル。
1)
いつの頃からかものすごい男根信奉というか、一定以上のサイズの人でないと興奮できないことに気づいた。
色や形にまで自分の好みがはっきりあることを自覚したので、そこから外れた性器であった場合100年の恋も醒める。中折れされると殺意が芽生える
2)
基本的に被虐嗜好だが、スイッチ入ると相手を急に虐めたくなる。それも結構えげつない責めをしたくなる
(顔面騎乗して放尿したのを飲ませたり〇ンコ食わせたり首絞めたり肉がえぐれるほど引っかいたりしたくなる)
…書きながら片想いしてる相手を罵ってションベン飲ませてることを想像して濡れてきてしまった。もう終わってる
1)を満たしたうえで なおかつ2)まで受け入れられる男性なんて夫以外にいるわけがないよね
ここまで読んでくれてありがとう。今まで誰にも言えずどこにも書かず1年以上こじらせてたので、なんかすごいスッキリした
更に面倒くさいことを付け加えると、夫には寝とられ性癖がありまして。数年前からずっと
彼氏をつくってほしい
自分以外の男とセックスしてその様子を聞きながらオナニーしたい
膣内射精された他の男の精液が流れ落ちるところを見ながら罵られたい
と懇願され続けていたんですよ
だから、私が別の男性に心惹かれることとか なんならセックスをすること自体が、実は配偶者に対する裏切りではなく 寧ろ大好きな夫がずっと望んていたこと。
という、この何ともいえないシチュエーション。あー書けば書くほど面倒くさい状況だ。やっぱり こんなん知り合いには絶対話せないよね。
性別は女。
最初はちょっと配信者に興味があったから、遊びで手を出しただけのつもりだった。
機材も2万弱くらいの初歩の初歩、一枚絵とかはイラストレーターさんにお願いすると一枚でウン万とか飛ぶから、商用使用可能なAIイラスト作成ツールを使って自分で呪文を打ち込んでイラストを作らせてサムネとか配信画像とかに使ってた。
そしたら、恐ろしいくらいチャンネルが伸びた。1ヵ月経つか経たないかで収益化可能になった。
でも、世間のAIイラストに対する風当たりは厳しい。法律でもグレーとされていて、このまま活動を続けるのは危ないと感じた。
配信者仲間にも窘められたし、私自身も正直AIイラストで収益化するのは気が引けた。
お金を受け取るのなら、それ相応にまずは自分がクリーンな状態になるべきだと思った。
しっかりとお金を出してイラストレーターやモデラーにお願いし、Live2Dと立ち絵を作ってもらい、お披露目会をした。
収益化も同時に解禁し、お祝いスパチャ等をもらって同接もそれなりの数字がとれたので、これで安心して活動ができると思っていた。
その日からLive2Dを使ってVtuberとして配信を続けていたのだが、日に日に再生数が減っていくばかりだ。
確かに絵柄は少し変わったけれど、同じキャラ、同じ声、同じ音質、何も違わないのに見てくれる人が半分以上、いや十分の一くらいまで減っていった。
チャンネル登録者も増えなくなった。とりあえず現状維持はしているけれども、このまま続けていたら減っていく一方だと思われる。
それに、周りの動きも怪しくなってきた。
私より大手の配信者たちがこぞってAIイラストを使って動画を上げ始めている。大手だけではない。AIイラストを避けていた周りの配信者達も実は…みたいな感じでどんどん取り入れ始めた。あんなにみんな嫌がっていたのに。
そして再生回数やサンクス、スパチャをもらってガンガン稼いでいる。
気持ちはわかる。
配信者、投稿者は数が命だ。数を打たなきゃ伸びない。その度にイラストレーターに依頼をしていたらYouTubeでの稼ぎなんてマイナスになるだろう。それに、納期によっては動画が出せずに旬を逃すこともよくあることだ。
AIイラストはそれらを全部払拭してくれる。呪文を入れれば無料で、数秒で、好みのイラストがつくれるのだから。
私は何か間違えたのだろうか?
ちゃんと作品には敬意をの気持ちを持ってAIイラストと決別したのに、AIイラストを取り入れた人たちと雲泥の差がついた。
私は今地の底を這いつくばっている。
そして、AIイラストと今の絵柄の中間くらいの絵柄のイラストレーターにお願いしてサムネ画像を作ってもらっている。サムネさえ良ければ人は食いつくと言われているので、ASMRということもありエロ売りではないのだが、ちょっとエロめのイラストを描いてもらう予定だ。
ASMR用の機材も変えた。大手の人程高価なものではないが、いい音が出る機材を新調して音質にもこだわった。
ちょっとした遊びのつもりだったのに、もう50万くらい投資している。
今回頼んだイラストのサムネで3ヵ月くらい活動を継続して、ダメそうだったらもう潔く引退しようと思う。
私が一連の対応とそのファンの対応やいろんな意見を目にして流石にモヤモヤが止まらないので、ここに書き残します。
まず、9月30日に起こった一連の出来事について、細かいことは分かりません。
その経緯などもいろいろあーでもない、こーでもないと書かれていますが、少なくとも1つの原因ではないのだと思います。
私がモヤモヤしているポイントは2つ、一つは理事長をはじめとした運営について、もう一つはファンについて
A. 運営について
明日、6日からの花組の公演再開については「出演者の体調面に十分配慮し、公演運営に万全を期してまいります。」という発表がありました。
退団される方もいらっしゃるので、公演再開については否定的な意見はありません。
①「30日の公演を休演のお知らせだけ出して通常通りやる」
②「1日は公演自体は休演にしたものの、宝塚舞踏会は『昨日の報道については哀悼の意を表します。しかしながら、現時点では詳細は公表しません。舞踊会は自己研鑽の場なので予定通り開催することをご理解ください』という言葉で開催する」
流石に、花組公演の前に改めた意見表明はなされましたが、公式の記者会見については開かれないままです。
週刊誌の記事やSNSの誹謗中傷については発表内容の通りだと思います。
一方、週刊誌の内容に対しては、今後明らかにしていかなくてはいけない内容です(今晩の発表では記事の事実関係については一切触れませんでした)。
管理職、責任を担う立場としての自覚を改めて持っていただきたいです。
そして、このようなウェブ上での発表内容と、劇団の内部での共有内容、全く一緒なんてことないですよね?
事前に組子に発表内容に関連する方針については共有されているんですよね?
事実関係の共有はする必要があるか議論が別れるので、そこはともかくとして、
対応策についてHPの「専門家にも入っていただき、一人ひとりの心のケアなどにも時間をかけ、生徒の心情に寄り添」う具体的な方策について、10月2日にメッセージが出された前、せめて同日には組子の皆さんに共有されていたのですよね?
この件に限らず、コロナの集団感染の際も対応が後手後手になっている印象です。
管理体制が果たして機能しているのか、変えていくつもりはないのか?全くもって不信感が払拭できないまま、幕が上がろうとしています。
B. ファンについて
宝塚歌劇団のファンの皆さんは(運営よりもはるかに)「清く正しく美しく」を実践されて、ごく一部、偏見を流布している方やスタッフに理不尽な行動をしている残念な方を除いて、部をわきまえて静かに見守る姿は心から敬意を表します。また、演者の皆様への応援の気持ち、支えていきたい熱意も素晴らしい姿勢だと思います。
だからこそ、今回の件についてはちゃんと向き合われませんか(もちろん、多くの方がモヤモヤを抱えている)。
公演再開を望む気持ちは理解できますし、再開をすると決めた組に対してできる応援をすることはいいことだと思うのですが、
起こったこと、そして、それに対しての姿勢がちょっとお花畑な方が散見されるのが残念です。
「宙組は〜」と今回の出来事を宙組という組の問題のようにおっしゃる皆様
「なぜ、宙組で起きていたであろう課題が他の組には起こっていない」と断言できるのでしょうか?
間違えなく、不確かな情報に基づく噂や憶測あるいは誤った情報の拡散や誹謗中傷は控えるべきです。
しかし、この出来事の受け止め方は重く、真摯にあるべきだと思います。
また、先日した、運営の杜撰な対応やこれからの宝塚歌劇団としての体制のあり方については、ファンからこそ、強く伝えていくべきではないのでしょうか?
少なくとも、個人的にはただ安易に「公演再開!やった〜!」「公演中止、悲しい、、、」ってのは違うのかなと思います(再度申し上げますが、退団される方もいる公演に対して、できる応援をする姿勢については心から敬意を表します)。
ジュエリーの知識も興味もないし匿名宝飾店のこともよく知らない人に女なんかどうせジュエリーの価値なんてわかってなくて情報食ってるだけだから名前変えたらあっさり釣られてるみたいなこと言われてて悲しい。
「高級そうな雰囲気の店に4℃の商品を100万円で置いたらいつも4℃をdisってるブランド大好き婚活おばさんに大人気」とかを想像して溜飲を下げてるんだろうけど、そういう人はそもそもあんまり来てないか来ても買わずに帰ったと思うよ。
そもそも匿名宝飾店が大人気だったというのがブクマカの妄想じゃん。インスタの#匿名宝飾店は864件しかないし、tiktokの#匿名宝飾店も25個しか動画なくて動画のコメントもあんまりついてない。twitterの種明かしまでのツイートは数えてないけど10分あれば全部読めるくらい(ネタばらし後は爆発的にツイートが増えた)。
匿名宝飾店は単なるジュエリー販売店ではなくテーマパーク。有名なブランドということだけ入口で明かされてた。入場無料でディズニープリンセスやサンリオみたいなメルヘンなジオラマにジュエリーを組み合わせたものを見学できて、指輪のサイズを確かめてもらえるサービス、ドリンクとネイルオイルのプレゼント、商品の試着、パーソナルカラーや顔タイプごとのオススメジュエリー紹介、SNSにクチコミを投稿するとジュエリーとか入浴剤みたいなものがもらえるガチャガチャがあって、最後にアンケートに答えるとマカロンがもらえてブランド名も明かされる仕組み。アクセサリーはその後買える。
店内写真の撮影は大歓迎でインフルエンサーにも宣伝させてたから、店内の様子を把握してから行った人が多かったはず。
https://twitter.com/BOHE_BABE/status/1705098800300535897
匿名宝飾店、100坪以上ありそうなポップアップストア出して11日間で4000人来場ねぇ。1日360人、営業9時間だから、時間40人か。滞在15分だと寂しい感じだし、1時間ならまあまあなので、実際のコンテンツ次第。(後略)
こんな意見があったけど、この内容だと1時間じゃ足りないかもしれないね。
来場者コメントの傾向はインスタとtiktokとtwitterで全部同じだったのがちょっと意外。
https://twitter.com/search?q=匿名宝飾店 until%3A2023-9-20&src=typed_query&f=live
読んでもらえれば「匿名宝飾店のジュエリーは4℃を毛嫌いしてた女たちに大人気になった」なんて雰囲気じゃないのはわかると思うんだけどみんな読まないだろうから要約するね。
ジオラマの写真とガチャガチャの景品の写真が一番多くて、その他のコーナーの写真や試着した姿を上げてる人も多かった。購入した品の写真は確か一つもなかった(昔使ってた4℃をせっかくだからと磨いて久しぶりに付けてきた、という人はいた)。とにかく「楽しかった」「かわいかった」みたいな感想が多くて、展示も接客も良い優れた企画だったんだろうと思ったよ。指輪のサイズチェックのサービスはとても評判がよかった。「先入観をもたせずにジュエリーを楽しむなんてすごく新鮮」と書いてる人が多かった。3割くらいいた。
ブランド名が明かされたときの気持ちを書いてる人は意外と少なくて、5%くらいしかいなかった。多くは驚いてたけど、驚いた理由は書いてなくてよくわからなかった。
4℃だと見抜いたらしき人はちらほらいたけどみんな親切でネタバレしてなかった。そりゃ「あの有名ブランドがなんと匿名で!」なんて煽りにしたから特定したくなったというのもあるだろうけど、それ以前に4℃みたいな大手ブランドの品をそのまま出したらわかる人多いに決まってる。ただオープンハートは展示されてなかったからそこで気づかない人はわりといたかも。
ジュエリーそのものについてかわいいとか欲しいとか感想言ってる人は少なくて、1%くらいしかいなかった。買ったとか買うとか言ってる人は5人もいなかった。
ともかくこれからもジュエリーを着けたりもらったりする層の4℃へのイメージはあんまり変わらないと思う。
人気が上がって中古価格が上がるってことも…ないと思うなあ、もし上がったら謝る。
②4℃は誤解されたり風評被害を受けてたわけじゃなくて実情に沿った評価がされてる
(姉妹ブランドでなく本家の)4℃が学生など若い人向けだったり、値段が安かったり、そこまで近しくない関係の人に贈られることが多かったり、キャバ嬢によく贈られたりするのは本当のことなのにそのイメージを払拭なんてできるわけないよ。
ドンキがヤンキーの店と思われてるのもapple信者がカッコつけだと思われてるのもアクシーズがデブ女ヲタ御用達だと思われてるのも風評被害じゃなくて本当のことでしょ。
実態と異なるっていうのは「量が多くて値段がそれ相応、味より座れることが重視されてる、庶民向け」と特徴がそっくりなのに全然イメージが違うコメダとスタバみたいなことだよ。
仮に4℃がひっそりバレずに改名したり廃業して他のブランドが同じ地位を占めたりしてもやっぱり同じことになる。どうしてもイメージをつけたくないなら定期的に潰してやりなおすくらいしかないんじゃない?
③匿名宝飾店は4℃のイメージをさらに濃厚にしたような店構えなので4℃が嫌いな人は買いに来ない
4℃が嫌いな人はざっくり二つに分けられるけど多分どちらも匿名宝飾店には買いに来ないと思う。
・匿名宝飾店はハリーウィンストンとかヴァンクリみたいな高級ブランドショップに全然似てないので高級ブランド大好きおばさんは買いに来ない。
・「もう歳をとったから4℃のオープンハートみたいなのは可愛すぎて着けられない」と言うおばさんは甘々メルヘンに飾り付けられたジュエリーは買いに来ない。
結局買いに行ったのはもともと4℃のようなジュエリーが好きな人ばかり(人気ブランドなんだからもちろん大勢いる)で、4℃が嫌いな人が来てうっかり惚れ込んじゃうようなことはほとんどなかったと思う。
純粋にテーマパークとして来た人、指輪サイズ調べサービスやネイルオイル目当てに来た人もいただろうけど商品はあんまり買わなそうだ。
仮に「天一がステキな店構えで匿名出店したら若い女性にヘルシーだと大人気に!(実はあっさりしかメニューにない)」とかがあったら、「天一のイメージが変わった!」よりも「イメージが変わったんじゃなくて商品が変わったのでは…?」と思われるでしょう。
4℃でよく売れてる代表的商品はオープンハートなど甘い系統のだから、それを置かないのは天一でこってりを置かないみたいなもの。
とはいえ匿名宝飾店に置かれたものもやはり4℃なのでそこそこ繊細で複雑な意匠で、若い人に好まれるタイプ。歳をとってシワやしみが増えると繊細なジュエリーは負けてしまうので自然と大ぶりなものを好む人が増える。4℃はこれからも主に若年女性に好かれておばさんはそこまで着けないブランドであり続けると思う。
あるブランドが名前を隠して人気が出たからといって、「そのブランドを普段嫌ってる層に人気が出たんだろう」と根拠もなく思い込むのは愚かしい。
それなのに4℃は本質を見抜けないバカ女が手のひらを返して大人気になったという風潮だけがもう一人歩きしてるんだなあと思うと空しい。
Xとかヤフコメとかで書くと個人攻撃されそうなんでここに書く。
ここ数日よく出てくる「性別変更手術をしないで戸籍の性別を変更したい」というアレに対する反論というか素朴な疑問について。
先に前提として自分の立場を書くと私はトランスではありません。
手術要件をなくせと言ってる人の主張を見るとその根拠になっているのが
・性別変更をするために不妊手術をさせられるのは過去の優生保護法と同じ人権侵害である
・性別変更をすることでホルモンバランスなどが著しく崩れ健康面をそこなう
・性別変更手術は非常に高額であり、金銭面に余裕がなければ性別が変えられないのはおかしい
・将来的に自分で子どもを出産したいと思っているトランスもいる
・身体上同性パートナーと婚姻をすることができない不利益がある
といったところだと思う。
というかこれ以上になにか説得力のある根拠を挙げている意見を見かけない。他に意見があるなら教えてほしい。
しかしそれらの根拠のもとになっているのは全部「私達はかわいそうな存在なので周囲が変わってほしい」という意識であって、その主張が通った場合にどのような社会的混乱が起こるかを想定してそれをどう解決すればよいかという提案は一切ない。
まるでそこにどんな混乱や不具合があろうと、自分たちが「かわいそう」ではなくなればそれが解決であると言わんばかりである。
私は選択的夫婦別姓や同性婚は全面的に賛成の立場であり、その実現のために法的な根拠や歴史を勉強し、それによって失う可能性のあるものや侵害される権利をできる限り想像したり、誤解(同性婚が導入されたら悪用犯罪者が増える、少子化が進むなど)をしている人には統計や諸外国の事例などを調べて細かく反論をするようにしている。
それでもなかなか政治家に近い人達は理解をしないのが現状ではあるのだけど、この「手術要件の撤廃」についてはそうした姿勢が一切見られていないのが非常に腹立たしい。
当事者ではないので完全に理解することは難しいのだが、ホルモン注射や性器の切除・拡張手術が苦痛を伴うものだということはわかる。
その上でどうしても一言言いたいのが、「何のために戸籍の変更が必要なのか考えたことがあるのか?」という疑問だ。
よくよく考えてみれば「なぜ性別変更手術をするのか」というのは、「法律的にそうしなければ性別変更ができないから」ではない。
自分自身の体の性別に違和感があり、それを解消したいという気持ちがあるからではないのか。
現在の法律の要件というのは「これをしなければ性別変更できませんよ」ということからできたものではなく、自分の体への違和感を解消するために手術をした人に対してその体に合った国民生活(もっと言うと行政サービス)を送れるようにするためという趣旨からだ。
そこをどうも今主張されているトランスの方々は勘違いをされているようで、「変更するための法的要件が手術なので仕方なくやっている」という考えを前提に主張しており、目的が手段へすり替わっている。これがどうもおかしい。
だから「手術要件がなければ自分の体を変更することなく性別を変更できる」と喜んでいるわけだろうが、そこに矛盾を感じる人はいないんだろうか?頭が悪いのか哲学がないのか知らないが。
もし彼ら・彼女らの主張がまかり通って手術をしない体で戸籍の性別変更ができたとしたら、自分の体の性別は生まれたときから変化がないのに戸籍だけが変更されることになる。
その場合だが、その戸籍という紙切れ一枚に性別が変更されたと記載されればそれで彼ら彼女らの「自分の性別への違和感」はきれいに払拭されるのだろうか?
私達の性別は戸籍にそう記載されているからそうだとなるのではなく、自分の体の分類として記載をされるものだ。
しかしトランスとして手術要件を不要にしたがる人たちは、自分自身が自分に対して感じる違和感はそのままでも、戸籍が変更されればそれで性別が変わったと思うらしい。
さらに踏み込んで言えば、過去に自分の性別に違和感を感じて高額の金銭と身体へのリスクをおかして手術をした人たちというのは、「自分の気持ち」の中の違和感をなくすためにそれを行っている。
対して手術をしたくない自称トランスの人たちは「戸籍」という「他人の目」からの客観的事実さえ変更さえできれば自分の中の違和感は払拭できると言っているようなものである。
彼ら・彼女らの言う「違和感」というのは自分の中から出てきたものではなく、他者からの扱いでしかないと言っているわけである。
それがどんなに危険かというのは女子トイレ騒動で十分に世間に知られているはずなのに、自分は一切変わらなくても他人の目が変われば世の中ハッピーになると考えているのか全く反論に対する気概も準備もない。バカなの?と言いたくなる。
性自認がどうであろうとそれは個人の自由だし、好きなように自認して周囲にカミングアウトすればいいと思う。
ですが自分の自認を満足させるために周囲の視線を自分に都合のよいように強制しようとする姿勢はどうも好きになれない。というか愚かだとすら思う。
何より一番この流れにイライラするのは、そうした主観・客観といった深い問題があるこの議論に対し、「かわいそう」だけで認めようとする裁判官や政治家がいてしまうということだ。
もうちょっとましなやつがトランスを代表してもらいたいのだが、どうして表に出てくる連中というのは揃いも揃って頭が悪いのだろうか。
25歳会社員。
給料低いのに社会保険料高すぎてずっとムカムカしてたんだけど、最近病院にお世話になることが多く考えが変わった。
社会保険等高くていいから、ずっと国民皆保険制度を保って欲しい。
・手術を伴う1週間の入院をすることになったが、元は数十万円のものが自己負担1万円くらいですんだ。
ありがたすぎる、本当にすごい
・歯科に定期的に通院して、治療・検診・クリーニングで自己負担は年間約3〜4万くらい
・肌の乾燥がひどくて皮膚科で保湿剤を処方してもらっていて、自己負担は年間約1〜2万円くらい
普通に売ってるスキンケア用品でこの効果を得るためには何円かかるんだろう。
スキンケアが年間2万でできるのは熱い 最高すぎる
厚生労働省に頭が上がらん
こう書くと、「社会保険料毎月納めてるから得はしてない」とかいう人いるけどねー
ジャニーズの報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。
その理由は単純で、自分の性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。
被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分は性的加害者でもある。
相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会のときに寝ているところを触りに行った。
生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。
その時は自分の兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。
その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。
それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子の父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。
その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。
葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。
すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。
どうしたのか聞いてみると、父親に自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。
その子の母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。
少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん(増田の名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分が男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。
はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。
今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。
その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまったことがフラッシュバックのように思い出された。
それはつまり、自分が性的加害をその子にしてしまったことが原因で男性恐怖症になり、今日の今日まで苦しみ続けていたということではないか。
いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか。
それなのに加害者である自分だけが許されているとはなんておかしな状況なのか。
今頃あの世ですべてを知ったこの子の父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子に真実を突きつけてしまう残酷さに負けてしまった。
保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。
自分が性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間のキャンプ体験合宿に参加したときのことだった。
インドアな自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子供10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然を体感する教室だった。
悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれたテントで眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。
2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。
自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。
戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。
今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。
ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。
一つは尿意によるものか快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。
同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。
今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。
もう一つは、性的欲求の解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。
あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。
それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。
相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。
それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。
全ては想像力の欠如であったのだと思う。
好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。
ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。
ジャニーズの報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。
自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。
そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。
それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなものが相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。
加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。
それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。
学生時代、同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイやホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感を払拭できないままでいる。
思春期を迎えて、されたことに対する意味が理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。
そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。
わたしの被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。
断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。
される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。
そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。
ジャニーズの報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。
報道を止めてほしいわけではない。
ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。
その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。
ただ単純に、一人の大人から数百人の児童が被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。
彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。
それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。
大人であれば立ち止まれたものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。
そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。
金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。
それはもう端的に言って地獄だ。
どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているものが地獄すぎる。
今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。
そんな地獄が地獄を生む呪いの連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。
少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。
もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。
近年、日本における生涯未婚率は上昇しており、男性の生涯未婚率は2022年で28.3%となったそうだ。これは50歳時点で婚姻歴のない人の割合を示したものなので、現在の20代が50歳になる頃にはこの数値が更に上昇していることが予想される。
さて、私は23歳で、今年度末で大学を卒業する大学生の男である。結婚について考え始める事はまだ早計だとは思うが、今まで女性との交際経験はないほか、性格面でも容姿面でもいわゆる「非モテ」に分類されるような人間である事、他にも、食べ物の偏食が激しい、就職後も実家暮らしの予定であり一人暮らしの人と比較して自立した生活力が低いなど、総合的に考えて結婚に向かない要素が多く、約3割の人が生涯未婚となる社会において自分が7割の結婚できる側の人間だとは到底思えない。
そのため、生涯独身で生きていく覚悟をする必要があると考えたが、それに対して漠然とした不安もある。そこで今回は、その不安を言語化してまとめるため、この記事を執筆した。
生涯独身で生きていくにあたって、大きく分けて3つの不安がある事に気づいた。
まず一つ目は、年齢を重ねてから後悔する可能性があるという事である。
結婚には「適齢期」があり、歳を取ると結婚する事は難しくなる。そのため、若い間は独身である事を気にしていなくても、一般に結婚が難しくなるとされる30代後半以降になってから、「若い頃に結婚しておけばよかった」と感じ、後悔してしまう可能性がある。
生涯未婚で過ごした場合、仮に自分が結婚していたら幸福になっていたかどうかというのは全く分からない。そのため、隣の芝は青く見えるという言葉のように、結婚している人が羨ましくなったり、結婚しなかった事を後悔する可能性が高いと危惧している。
結婚した場合、新婚旅行や結婚式、子育てといったライフイベントを経験する事になるが、結婚しない場合にはそういったイベントがなく、非常に平坦な人生となる事が想定される。もちろんその方がラクという見方もできるのだが、少々つまらない人生となってしまう事は否めない。
もちろん一人で趣味を楽しんで過ごすということもできるが、趣味には飽きがくるだろう。
また、人間は、年齢を重ねるにつれて、自分が楽しむよりも他者を楽しませる事に充足を感じるようになるように思う。そのため、家族を持って、配偶者や子どもを楽しませるような人生を送った方が、充実した人生になる事が予想される。
私には母方の祖母と父方の祖母がいるが、いずれも子に非常に頼っており、高齢者が家族の支援無しに生きていくのは非常に難しいのではないかと感じている。
高齢者が家族の勧め等無しで自ら老人ホーム等に入居するというのはあまり想像ができない。かといって、一人で暮らしていれば、加齢による生活力の低下でいずれは限界が来るし、突然倒れても誰にも気づかれないといった危険性もある。
あいにく、私には兄弟どころか従兄弟もおらず、老後に頼れる親戚が存在しないため、生涯独身で過ごした場合の老後に対する不安が大きい。
私はこの記事を執筆する事で、生涯独身に対して漠然と不安に思っている事を言語化する事ができ、少しスッキリした反面、これらの不安と付き合っていかなければいけない今後の人生に対して憂鬱に感じてしまった。
あのさ、
しょっちゅうチャンネル情報が変わりました!ってなってその都度都度チャンセル設定をし直すんだけど、
これそうなった場合録画に失敗している可能性が120パーセントなので、
この現象いったいなんなのかしら?って
ひとつ私が思うに熱すぎてHADレコーダーおかしくなったかもしれない問題の仮定。
ここ最近夕方からタイマーで付けて夜に帰ってきたときに涼しくしてみる作戦が功を奏したのか
それ以降その現象は起こってないんだけど、
これ本当に熱さが原因なのかしら?
よく分からないわ。
でもさー
もうそろそろ買い替えの季節かも知れないし
そーなるってーと
旧レコーダーの中身を全部見尽くさなくちゃいけない総ざらえよ!
これもこれで大変な作業で
新しいものを買ったとて
旧コンテンツの消化に追われる日々なのよね。
でもこう言うのって
新しいのぽーんと買った方が
すごい機能アップしていて
迷うわー。
にしても
近ごろのこの忙しさたるや!
たるたるよ。
「う」のつくものでも食べて精でも付けたい季節の日にちはもう1日昔だったっけ?
今でも間に合いそうなので
なにか滋養滋味のあるものを食べて夏バテしないようにしたいわ。
うふふ。
もうさー
朝も昼もそんなにがっつく食べるエネルギーがないので、
蕎麦が命をつないでいる感じね。
これがな買ったら今頃私死んでいるかもだわ。
生きるけど!
なんのフレーバーも無い状態の素のウォーラーを冷え冷え冷たいものを飲むのが朝の爽快よ。
とにかく暑いわ。
暑いすぎるってレヴェルを超えているわ。
ほんと。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ある日、貞子は井戸から謎の力によって突然現れました。彼女は不思議な力によって井戸の闇から解放されたのです。最初は混乱していた貞子でしたが、すぐに自分がこの世界に戻ってきたことを理解しました。
貞子は人間界に戻ってから、彼女の生活を再建する必要があることに気づきました。人々が彼女のことを怖がるだろうことを理解していた彼女は、普通の生活を送るためにその恐ろしいイメージを払拭しなければなりませんでした。
彼女は街中を歩きながら、スーパーマーケットやレストランにアルバイトを求めるポスターや広告を見つけましたが、どこでも彼女の恐ろしい姿を見た人々が驚いて逃げてしまうので、面接のチャンスがありませんでした。
しかし、ある日、セブンイレブンで求人広告を見つけた貞子は新しいチャンスを感じました。彼女は怯える人々を避けるために、長い髪を顔の前に垂らし、不気味な笑顔を隠し、フード付きのジャケットを着て、姿を変えることに決めました。
自信を持って面接に挑むために、面接前にはセブンイレブンの商品知識や接客の基本を猛勉強しました。そして、面接当日、彼女は気を引き締め、ドアを開けて店内に足を踏み入れました。
店内は明るく、忙しい雰囲気で、笑顔で働くスタッフがお客様にサービスを提供していました。貞子は初めてのアルバイト面接に緊張しましたが、頑張らなければならないという強い意志で自分を奮い立たせました。
面接官が彼女を迎え、いくつかの質問をしてきましたが、貞子は目を背けることなく、丁寧に答えました。面接官は初めは彼女の奇妙な見た目に戸惑いましたが、貞子の姿勢と覚悟に感心しました。
最後に、面接官は貞子に「あなたはなぜセブンイレブンで働きたいと思っていますか?」と尋ねました。すると、貞子は優しく微笑んでこう答えました。
「私は人々に善意を示し、役立ちたいと思っています。私が恐ろしいと感じられることもあるかもしれませんが、本当の私はそれではありません。私は新しいチャンスを得て、普通の生活を始めたいと願っています。」
面接官は彼女の答えに感銘を受け、貞子の姿を変えている理由を尋ねました。貞子は自分の過去を説明し、井戸から解放された経緯を話しました。
驚いた面接官はしばらく考えた後、彼女にチャンスを与えることに決めました。彼は彼女の強い意志と変わりゆく姿に感銘を受け、彼女が普通の生活を取り戻す手助けをしたいと思ったのです。
こうして、井戸から出てきた貞子はセブンイレブンでアルバイトを始めることになりました。彼女は笑顔でお客様に接し、真摯に仕事に取り組みました。最初は驚く人もいましたが、徐々に彼女の努力が認められ、周囲の人々とも打ち解けていきました。
貞子は自分の過去を背負いながらも、新しい人生をスタートさせました。セブンイレブンのアルバイトを通じて、彼女は人々との交流を築き、優しさと奉仕の心を示し、最終的には恐ろしいイメージを克服することができました。そして、井戸から出てきた彼女の心には、新たな希望と未来への期待が輝いていたのでした。