はてなキーワード: 手詰まりとは
自分では自分のことをオタクだと思っていて、実際オタクとの関わりも多かったんだけど。
いざハマってるジャンルへの熱が冷めると、周りのオタクたちと違って自分には他の引き出しがないことに気がついた。
それは漫画・アニメ・ゲーム・小説もそうだし、それ以外の引き出し。絵なんかの二次創作だけでなく、服とか音楽とかスポーツとかDIYとか、そういう一般的なものまで含めて他の引き出しが自分には何もなかった。
結局自分はよくいる「オタク以外やれることがないからオタクをやってただけの人」なんだなあと絶望しつつ、新たな自ジャンルを求めて少しずつ何か摂取しよう。
……と思ったが全く気乗りしない。
それもそのはず。観ようとしてる作品は『誰かとの関わりに使いたい』という下心が入ってしまっていて、純粋に作品を楽しむ気持ちが起きない。
思えば今まで「面白そう!」という理由以外で何かを見たことはなかったし、今となってはその「面白そう!」すら『自ジャンルを見つけたい』下心に犯されてしまっている。
そんなわけで、逆に全然興味無いものを観てみようかなと思った。
ひとまずdアニでスポーツジャンルをスクロールして適当なところで止めた作品を観ることにした。Free! 1期を観た。なかなか面白い。
しかし2期へ踏み出すためにまた二の足を踏んでしまっている。期待してしまっているのだ。期待して何かをするのが本当に苦手らしい。
これを観ているあなたが、今まで観た中で一番どうでもよかった作品、面白くもクソでもなかった作品を教えて欲しい。
ジャンルは映画でもアニメでもドラマでも、漫画でも小説でもなんでもいい。
できればプライムかdアニで観られるとありがたい。
教えて欲しいのは
・作品名
の2点。
あらすじはできれば言わないで欲しい。
ニュージランド(以下NZ)は思った以上にコレクティブでクレバーなチームだった。
が、力差としてPKまでもつれる相手ではなかっただろう。日本は手詰まりなまま自滅して、PK戦で息を吹き返したに過ぎない。
NZの守備は確かに固かった。そして、日本の攻め方をよく研究していた。
日本の主要戦術である堂安と久保が中央でこねくり回す攻め方に対して数的優位を守り、次第にパスの出し先やフィニッシュの角度を狭める意図があったのは明白だった。そして、日本は走らされ、ガス欠になった。
一方、日本はそうした硬い守備に対して、固い守備に対して、工夫がなかった。
・自陣からのビルドアップで縦に早いフィードと足の早いサイドが一気にカウンターを仕掛ける
・サイドチェンジやポジションチェンジを多様して、守備陣を散らす
・ワンタッチのパス回しで中央、外に無規則に展開して、相手ディフェンスを崩す
・守備陣をペナルティエリア内に引きずりこんだ後に、バイタルエリアのフリースペースからミドルを打つ
・ドリブラーを投入して敵陣でファウルを得て、フリーキックを得る
打つ手がないまま90分が過ぎ、森保監督は交代カードを切ったが、特に効果もなく延長30分も浪費した。
PK戦はフットボーラーズロシアンルーレットと言われる。つまり、運だ。
しかし、この試合で日本が幸運だったのはPK戦だけではない。NZに危険なアタッカーがいなかったことだ。一部危ない場面があったが、NZのミスで救われた。他のチームだったら、得点されていたかもしれない。
自滅しかけた日本代表がたまたま運に救われ、勝ち上がれたに過ぎない。
月イチの○○杯とレジェンドレース、たまに6回出来る獲得量の少ないデイリーレースしかやることがないし、
ウマ娘も実装こそされても各ウマ娘の能力とか比べても、大して変わんない。
それどころか、継承させたら本来の得意距離じゃないようなレースでも得意距離のウマ娘と同じようにレースしちゃうし。
単に姿がそれぞれ違う程度で中身がみんな同じなんだよね。
まあ、そんな事いったら他のソシャゲも同じなんだけど。一部飛び抜けてて人権キャラ的な存在がたまにいる以外はみんな同じようなもんだけど。
ウマ娘に至っては、ほとんど横ばいで代わり映えしないから、ぶっちゃけもう飽きている人が多いんじゃない?
一緒に始めたフレンドたちももう8割やめちゃってて、ログボもらうくらいでやめちゃってて悲しい。
それすら面倒くさくなったから、もう起動すらしなくなりそう。
もっとこうアプリ起動するのが楽しみだなあっていうような面白みがあればいいのにね。
マンネリっていうよりもやることが全然無くて飽きちゃうんだよね。
だから感じるのか、これ以上はもう同じものをちょっと弄ってアプデするくらいしかやること無いんじゃないのかなって。
どうせ衣装変えたウマ娘とたまーに新規が出るくらいしかガシャも変わんないし。
というか、衣装替えをもう実装しないといけないって手詰まりどころの問題じゃないと思うんだよな。
やっぱもう手詰まりで少し弄ったアプデしか出来ないんだろうなって。
それでも金を突っ込む人は減らないと思うし安泰なんだろうけど、変化のないゲームはなあ。
随分とキツい状況のようだ。
何度も不満や気持ちを思い切って伝えているにも関わらず、相手がそれに対して対応してくれておらず、根本解決に至っていない。
夫自身も優しさからくるものか、相手にも不快感を与えたかもしれないと若干自己嫌悪に陥っているようだ。
見てみると段階がある。
第一段階は、なぜセックスができないのかの疑問だ。これは解決している。
第一段階。
客観的に見ればセックスに応じない妻に対して夫の不機嫌は当然の反応なのだが、
夫が思い切って客観的に妻がセックスに応じられない明らかな理由を問いただしたところ、
「もう、セックスをする気になれない」との回答が得られた。
これをちゃんと伝えない妻も世の中にはいて、ここで拗れることは多々あるのだが、
しかも数次にわたり「する気になれない」との回答が得られている。
ここで、夫がセックスを諦められたのなら一件落着だ。
だが夫は、夫婦生活においてセックスは欠くべからざる要素であるという認識だ。
「妻がなぜセックスに応じてくれないか」については「もう、セックスをする気になれない」の回答が得られており、これは妻の偽りのない状況である。
今度は、夫が「それでもセックスがしたい」という次のコンフリクトの対処に焦点が当たる。
第二段階。
妻側も、「セックス以外は」夫側に譲歩しようとする姿勢が見て取れる。
夫は、それに対して感謝はあるものの、一番の目的であるセックスが慎重にかつ確実に逸らされていることがわかるため、満足に至ることはなく、むしろ不満が鬱積し抑圧されている状況だ。
夫は自分が最も大事にしたいセックスが蔑ろにされており、妻はセックス以外は夫に何とか対応しようとしてくれているため、感謝と怒りが綯い交ぜとなっており、混乱している。
「セックス以外は」順調であるがため、なおさらセックスが満たされない焦燥が肥大化しているように見受ける。
そして困ったことに、夫側の主張によればそのセックスは単純な性欲ではないため、性風俗産業の利用といったいわゆる外注では解決できない。
妻その人とセックスできなければ満たされないのだ。
まあ浮気や不倫といったリスクが排除されるためこの観点からは良いことだが、
妻側の意思の変更以外には解決がなく、現状打破の解決策の狭隘という意味ではむしろ手詰まり感は更に強い。
(余談だが、「お前だけを愛している」という感情は、無条件の愛ではなく、むしろこうしたコンフリクトを生じることがままあることを社会は知る必要があると感じた)
気になるのは「大事な話だからまた話そうね」という妻側のセリフである。
気休めならこんなセリフは言わない方が良い。
本当にしたくないなら「する気になれない」を繰り返せば良いだけである。
或いは妻側も、「大事な話を繰り返せばセックスの要求を諦めてくれる」ことを暗に期待しているのかもしれない。
それであるなら大事な話はすればするだけ亀裂を深めるだけである。(両者の気持ちが不変であることを前提)
心の奥底では、これ以上踏み込んだら「破綻」も覚悟するような賭けに出なくてはならないかもしれない予感を無意識に感じているのかもしれない。
お互いに。
…夫婦生活にはセックスが前提であり、これに応えない場合は応えない方に責任があるというのが、法的側面も含めた我が国の社会の解釈である。
だが責任問題として争いをすることも夫の望むところではないだろう。
だが、一番求めているものが、お互いの間ですれ違い、もつれていく。
もし妻が浮気しているのならここまでダラダラ書いたことは完全にムダだが、
そんな片鱗すらないというのなら、
お互いの最も望むものが噛み合わず、つらく、くるしいという人間関係のコミュニケーションそのものなのかもしれない。
吐き出してスッキリしないのなら、
このままの現状を維持することが夫側の目的ではないと思われる。
行くところまで行かなければこのすっきり感は得られないだろう。
そしてこれは心の問題であり、
形式的に「夫が諦める」を選択しても「妻がセックスに応じる」を選択しても、
そこに心が本当に存在していなければ、どちらにしてもどちらの「スッキリ」も得られないだろう。
上辺だけ、形だけ、その場しのぎのことをやったとしたって、
夫も妻もそれは必ずわかってしまうだろう。
現に夫は形式上諦めようと試みたが、あらゆる心の反応が嵐のように起き、諦めることは(今のところ)できないことは証明済みである。
「夫が本心から心の底からセックスを諦めてくれた」とは到底言えない状況だったからだ。
同じように、妻がたとえセックスに応じてくれたとしても、そのセックスの反応、満足度等々から、
「妻が本心から心の底からセックスに応じてくれたとは到底言えない状況」がセックス最中・セックス後に感じて取れてしまったら、
妻がたとえ何百回セックスに応じてくれてもこの問題は解決しない。
「わかった、セックスは諦める」
これは言葉だけでは、形だけでは、そして実際にそうしてみただけでは、どれほど意味がないかがわかるだろう。
たとえ他人からはどれほど幸せに溢れた夫婦生活や家族生活が営めたとしても、
『自らが本心から望む人生』において永遠の飢渇に苛まれることは疑いがない。
………或いは、この世界において、心の底から望むものなど決して叶うことはないのだと思い知ることも必要なのかもしれない。
周囲を見回してみれば、そうした選択をしている大人は数限りなく数え切れないほどおおぜいいる。
どちらを選ぶのかは夫の選択であり、
そして、妻もこの選択に参加しなくてはならないだろう。
そうな・・自分や自分の同類はずっと「セルフネグレクト」してるだけ、だな。
症例にまつわるエピソードをたくさん読んで、聞いて「うわ、ダメだこれ!」って焦らないと、まずいよな。
「悪い癒やし」に溺れるとほんと人生の時間を無駄にする。悪い癒やしがなければ生きられないような悪意で染め上げられてしまった事が運の尽きで。
ああ。
その世界で生き残れる人間を観ても「ちっとも羨ましくない」んだよ。
ちゃんとしたところでその「羨ましくない人」にしかなれないんだから、ちゃんとするメリットってもんがない。
「損得で動くな」と言われても、じゃあ多分それって潜在的には「損をし続けろ」って事だよね? と。得してる側からそれ言われてもふざけんなだし、損してる側から言われたら「あんたみたいにだけはなりたくない」としか、ならない。
なんか哲学的な思考を経て「善」側の意識に唐突に目覚める以外、ない。
「わかったーーー!!!」つって。
わかった! わかった!! 嬉しい、嬉しいっ!つって。
今の仕事も転職もしんどい。どっちもちょろちょろやってるけどしんどい。
ぬるく働くための転職ってどうやればいいんだろう。
転職サイト、エージェントって「素晴らしいあなたの能力を発揮できる職場を!」みたいなポジティブなやつばっかり・・・。
やる気ない人間なんて転職補助したところでいいところに転職できないし、成功率も低いだろうし当然なんだけど。
求人情報も、前向きにXXに取り組める方!とか。仕事なんて仕方なくやるのに。
寿命があと5年くらいだったらいいのに。
今の職場ほんとに苦しいが、次の仕事が見つかる前に退職はだめだとかバイトは将来苦しいからやめておけとか知り合いが何度も言ってきて手詰まり感がやばい。
どうしたら普通に生きれるんだろう。
男女関係なくみんな最初は良い人生にしようと自分なりに努力しているはず。
親から虐待を受けて最初からハードモードの不幸な人もいるだろうけど、それでもそこから抜け出そうと何度もトライしたはず。
思春期にもなれば異性を意識して、できるだけ好感度を上げようと一人残らず努力した。
持って生まれた能力やルックスがダメなのかもしれないし、努力の方向性や力の入れ方を見極める知識がなかったのかもしれないし、貧困で努力することもできなかったかもしれないし、病気や障碍に起因するものかもしれない。
正直他人からアドバイスされる程度のことは何度も何度も何度も死ぬほどやってきたんだよ。
気を使って何も言わなかったのにイケメンがそれを褒めて良い雰囲気が漂う
気を使って何も言わなかったことに後悔するが
自分が言ってもただのセクハラにしかならず嫌な顔をされたことが何度もあるのでそれを思い出す
結局、言っても言わなくても手詰まりなのだが、こちらの気分は悪くなる
ため息をつく
これ、昔は気にしてなかったけど最近殊更に強くなってきた
喜ばれるかキモがられるかって
・そういうのを言っていいキャラクター性
・容姿
・言い方
などで総合的に決まると思うんだけど
人によって8割のシーンで喜ばれる人と、8割のシーンでキモがられる人がいる
8割で成功する人は次もやっぱり言うし、8割のシーンでキモがられる人は次も言わない
言わないことで「普段そういう事言わない人」となり、成功率は下がる
___
多分性別なしにしても成立する
自尊心がひたすら傷つく、顔には出ないけど
顔に出しても言葉に出しても一個も良いこと無いし我慢する以外選択肢ないよね
表層に出した瞬間にクソダサいしね
でも心の中はしんどい感じ
___
選り好んで褒めてもイジっても喜ばれるしチヤホヤされるイケメンが居るのよ
美人に褒められたりイジられたりしてデレデレしてる男みたいな感じ?
自分の想い人もデレデレしてるのとか、それなりの年でデレデレしてるの見るとちょっとキツイよねっていう
___
何でこんな盛り上がったんだろ?
ここで言ってる一般化した話のイケメンって厳密にルッキズムだけじゃなくて「キャラクター性(コミュ力)」も含んだつもりだった
って言っても具体的事例であるその人は周りから「イケメン」って言われてるからやっぱりグロさは残るけどね
「◯◯さんはそういう所気づいてくれるから良いよね」
ってチヤホヤ&デレデレするのを見る度に
自分も参考にしてそういう風に行動するべきなんだろうか?と思うんだけど、いやいや待てよ、と上記で書いたような考えをするわけだ
危ない危ない、危うく真似して火傷するところだったと
たまーに火傷するしね
彼と俺では、例えるなら貴族と一般市民のように、別の生き物なんだと言い聞かせている
人によってやっていい行動の権限が違うんだと
自分だけがそれを許可されていないという自体になるから、頭がバグる
例えば長い時間を共に過ごしている同僚が、何かおしゃれをしてきた時に、すごく褒めたくなるんだけど触れると嫌そうに「ありがとうございます」と言って話を広げないというのを何回か経験すると
もう褒めるのを我慢するようになる
他人から褒められて喜んでるのを横目に見て、彼・彼女らと自分は別の存在なのだと言い聞かせて無言を貫く
そこへイケメンが颯爽と「今日の服かわいいね」で話が盛り上がる
「それ自分も思ってた」「けど言わなかった」「自分の行動は間違ってなかったのか?」
それを貫いた結果「この人は褒めない人」「無口でノリが悪い人」という感じになる
それで余計に言えなくなる
なんか生きるって難しいね
運良く良い場所で働けるようになったと思ったら、スペックが高い人(貴族たち)が多くてなんか難しいわ、悪い面だけじゃないし、彼ら彼女らは皆善人なんだけどね
たぶん周りの貴族率は自分と合致してないと多分しんどい、というか難しい
そういえばTikTokで、海外のイケメンが突然通行人にキスして喜ばれるみたいな企画があるんだけど
極端に言えばああいうのも似てるんじゃないかな、やらせかもしれないけど
そもそもで言えば他人がどう思おうが自分が褒めたいから褒める、が生き物として正しい気がするんだけど、社会的には間違いだよね
共感性が強いとできないし
ファイザーが当初の予定を消化できなくて供給が追い付かず、EUがファイザーに対してキレ散らかしてる位だし
それでEUが輸出規制かけてるから、日本にも入ってこなくなりそうになってんのよね
とりあえず、高齢者に使う分の3600万回分は確保して6月末までに入れる様だけど、残りの3億回分は
年内に入ってくるかどうかは、EU次第になってしまってる。基本合意して、一部は正式に契約も結んでるのにね。
国内で生産する為に、武田製薬などに300億円も投資してんのに、製薬会社も成果あげらんないし割と手詰まりではある。
とは言え、AZのワクチンなんて自殺願望でもなければ打ちたくない。
韓国で死者出しまくってて、ワクチン接種しはじめてからコロナ死者数よりもワクチン接種で死ぬ人の方が多いくらい。
スプートニクや、シノファームのワクチンは仕組み的に劣るし、mRNAワクチンが打てないのならば、俺は打ちたくない。
○ご飯
朝:なし。昼:味噌煮込み。夜:人参と玉ねぎとしめじと豆腐の鍋。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
火曜日と水曜日のヘタり率がヤバい。なんか食生活とか運動習慣とかを見直さないといけないのかしら。
○お便り返信
> 「むきゅーはややー」って何や?
番組独自の挨拶です。思春期にアニラジを聴きすぎたせいで番組独自の挨拶をしてからじゃないと文章が書けない体になってしまいました。
むきゅーは東方プロジェクトのパチュリーの口癖、はややーは咲-Saki-の瑞原はやりの口癖ですが、東方はえちえち同人誌でしか知らないし、咲は読んでるけど麻雀知らないしで、別にそこまで思い入れがあるわけではないです。
○グラブル
土アスポンと風アスポンを4凸。これで残りは光アスポンだけ。
マジでプシュケー集め嫌いなので、ここまででだいぶモチベが削られた。
つらつら。
・グラブル
今の貯石額は377連。目標はレジェフェス限コンプとクラウディアとヴィーラを引く。
目標のレジェフェス限コンプは達成してるので、グラフェス限コンプに手を出すか悩み中。
新キャラ実装もあるし、レジェフェス限以外にもヴィーラとクラウディアの限定が出たら引きたいしで、天井分はあるが余裕は常にない。
ゲーム的にはそろそろヒヒイロ掘りに手を出さないと手詰まりになるので、ヒヒイロ掘りに効率のいいキャラや石を集めないといけない気がするんだけど、
・プリコネ
今の貯石額は890連ぐらい。(石をスタミナにも使うゲームなので流動的)
フェス限もツムギも揃えてるし、天井引き下げもあったので、正直石を過剰に持ちすぎてる。水着サレンと正月キャルぐらいは引いてもいい気がする、
ただゲーム的にはアリプリもクラバトもモチベが皆無で、ルナの塔とイベントボスSPだけが心の支えなので、まあなんか良いかなって。
・ワーフリ
今の貯石額は201連。星のかけらが278個。
ワーフリは無料石じゃ天井できない代わりに、有料石でもらえるカケラを次のガチャに引き継げるシステムなので、おはガチャが大得なんだけど、なんかモチベがなくおはガチャ課金すらしてない。
正直目標設定をうまく出来てないので、それと課金の是非も含めて少しこのゲームとの付き合い方を考えよう。
魔族姉妹好きだけど、うーむ。
シナリオイベントの武器掘りをもう少し優しくして欲しいなって。
・ウマ娘
今の貯石額は243連。
まだ好きなアグネスデジタルが未実装なせいで色々なリソースを切れずにいる。星3交換チケも交換してないし、スタレも引いてないし、その他諸々殆どのリソースを切らずに遊んでる。
早くアグネスデジタルが来て欲しいなあ。
# 麻雀歴について
月々のお小遣いが300円なのに、1日に100円負けて(点0.1でやっていた)毎回大泣きしていた記憶がある。
中学生から同級生に麻雀仲間ができて日々楽しく打っていた。放課後に、ほぼ毎日のように打っていた。部室で牌やカードを使って打つこともあったが、当時はゲームボーイアドバンスの通信ケーブルを繋いで打つことが多く、そのために中古のアドバンスSPを購入した覚えがある。一応同級生の中では打っている期間が長いこともあってそれなりに打てるつもりでいたが、ある時から、いつものセット仲間がフリー雀荘に通い始め(今はどうか知らないが、当時は高校生でもフリー雀荘で普通に打てた)気づいたら全然勝てなくなっていた。こいつだけには一生勝てそうに無いなあと思うほどの差を感じた。
大学にはいかなかった。就職してからはたまに学生時代の仲間と卓を囲んだり、職場の同僚と打ったりしていた。たまにふらっとフリー雀荘に行くこともあったが、大体勝てないし、緊張して普段通り打てなかったり、点数計算間違えたり、大体負けまくっていて全然良い思い出がない。
2年ほど前に始めた。一人で地方で住むことになり、仲間がいなくて寂しかったのかもしれない。特段勉強はしなかったが、特に壁に当たることもなく380戦程で5段になった。その後1000戦ほど費やし苦労して6段になったが酔っ払って打ったりコンディションが悪いとすぐにレーティングを溶かしたので、少し真面目に打つことを心がけた。同時に放銃率などの数字も気にして、たまに牌譜を見直して反省してみたりして、天鳳で勝つための方法を探り始めたのはこの頃だったように思う。
# 伸び悩み そして降段
少し専門的な話になる。
当時の記録を遡ると、5段昇段時の数字が
放銃率13.5%
副露率38.4%
平均順位2.36
対戦数379
1位29.6%
2位27.2%
3位率21.1%
4位率22.2%
端的に言えば、めちゃくちゃ仕掛けて上がりまくる麻雀だった。放銃率はギリギリ及第点だが、特上卓(4段以上になると打てる)に移ってからレベルが上がったので、なかなか上がらせてもらえず、和了率が下がった分放銃率が上がった。フリーやセットのような、1着の価値が高い麻雀では正しい戦略だが、圧倒的にラスを引いた時のマイナスがでかい天鳳ルールには適さない。このあたりまでは、学生時代にそれなりに打っていた蓄積だけで戦っていた(日常的に麻雀を趣味とする人で、それなりに自分が打てると自負する多くの人が、おおよそこの辺りのレベルだと思う)が、その後伸び悩み(結局7段昇段までに2000戦程度を要した)自分の打ち方を変化させることを迫られた。
6段になると、ラスを引いたときのマイナスがシャレにならなくなる。例えば特上卓東南戦だと、1位+75、2位+30、3位±0、4位-120。1位から4位まで一回ずつ引くと、15点もマイナスする(セットだとトントン)。一度は運で6段に昇段したものの、その後負けまくって一瞬でレートを溶かし、一気に4段まで降段した。放銃率も14%を超えた。一度は心が折れそうになって、天鳳から離れていた時期もあったが、時折思い出したように打ち始めた。牌譜を検討して改善点を洗い出したり、いくつか戦術本を読んで、いろいろ打ち方を変えてみたりした。
振り返ってみると、実戦と反省、試行錯誤の成果が大きかったように思うが、中でも参考になった戦術本をいくつか挙げてみたいと思う。
リーチ判断、押し引き、ベタ降り手順(対リーチの危険度比較)の参考にした。ひと昔前にネット麻雀で強いとされている戦術について、統計的な裏付けをした本という認識。最新の戦術とは少し違いはあるかもしれないが、今でも十分な教材として通用しうる。特上卓を抜けられない中級者にとって、自分の判断を改めて見直すためには良い教材だと思う。
副露率が35%を超える人にとっては有用な教材になりうる。副露率が高いと、中終盤での押し引きを単純化しやすいが、その分いつの間にか損な選択を強いられているケースが多発する。親リーに対して2者が降りている状態で1000点愚形を無限押しせざるを得ない状況は泣ける。そんな人にとって、面前で柔らかく構えて先制リーチには14枚からベタ降りする、副露手には危険牌を吸収しつつ、面前で押し返す戦略を取れるようになると、戦略の幅が広がる。そんなきっかけをくれる本。
参考にしたというほどでもないが、初中級者が読むには良い本だと思ったので推薦。ネットで無料で読める。最近実写化もされた。多少戦術が古い感も否めないが、麻雀覚えたての人にとっては、今でも十分な教材になるかと思う。
お知らせさんの鬼打ち天鳳位の麻雀メカニズムも読んだが、少し内容が難しすぎた。難読の上に、書籍に書いてあることを実戦で活かせるようになるまでに、数百から数千戦の実戦が必要になると思う。超上級者の思考が垣間見えるという点では良書。
# 確かな手応え そして7段へ
4段に降段してから、400戦ほど試行錯誤を重ね、ようやく再び6段に復帰することができた。相変わらず放銃率は14%を超えている(四人打ち7段の平均放銃率が12.5%なので、せめて13%台、可能なら13%台前半まで下げたいところ)し、褒められる成績ではないが、はじめて6段に昇段した時よりも微かに手応えを感じていた。その間に主に以下のポイントを中心に修正を心がけた。
まとめると、鳴きすぎ、副露手と対リーチ時の他家に対するケアが甘い、ケイテン取りすぎ(某氏の「ケイテンは勝負手」という独り歩きした言葉を鵜呑みにするとひどいことになる)といったこと(結果として放銃率が高い)を自分の弱点と認識していた。無論いまだに上記の弱点はあるが、多少改善していると信じたい。あと、それまでは特東赤速で打っていたが、多少東南戦の方が勝ちやすい気がしたのでボリュームを増やした。6段になってからはほとんど東南戦しか打っていない。東南戦のほうが時間はかかるが、局数が長い分強者が勝ちやすく、上振れを引いたときの上昇幅も大きくなる。それまで特東で2000戦近く打ちまくった経験が、南場での条件戦で相対的に有利に働いた感もある。
6段に昇段して100戦くらいした頃、某Microsoft製のAIとマッチングした。たまたまトップを取れたが、牌譜をみてびっくり。今までみた牌譜で圧倒的に衝撃を受けた。色々と特徴はあるが(勢いでお知らせさんのsuphx本を買ってしまった)中でも最も凄いと思ったのは押し引き。特に副露手に対する速度計算とケア。自分よりも数段階前倒しでケアしていることに驚いた。次に中盤の手組み。スリムに構え、終盤で手詰まって損な選択を迫られるケースがほとんど無い。そして手役とドラに対する意識、特にホンイツ。その他細かいところではション牌字牌の先切りと、一枚切れ自風への価値。2,3巡目でもsuphxはション牌字牌より1枚切れ字牌の価値を高く見積もる傾向(この判断が勝率に直結しているとは思わないが。suphxの最も優れた点は押し引きだと思う。)がある。
以後、副露手に対するケアと中盤の手組みを意識して改善した結果、ラス率が2%程度減少した。たったの200戦程度なので数字自体は参考にならないが、これまでに無い手応えを自覚した。結果として、おそらく多少の上振れをひいてはいる気はするものの、再度6段になってからは300戦程度で7段に昇段することができた。直近200戦のラス率は21±2%前後で推移していたはず。この位の数字をキープできれば、おそらく数百戦で7段に昇段できるはずだ。
# 7段昇段時の成績
放銃率14.1%
副露率37.3%
リーチ率18.9%
平均順位2.48
対戦数2425
1位25.9%
2位24.8%
3位率25.1%
4位率24.2%
R2060
昇段まで残り20ptで3ラス引き、残り20pt再挑戦でsuphxに連対を阻まれ、その後2ラス引いたときは泣きそうになったが、最後はあっさり3トップで昇段することができた。長かった。本当に長かった。
技術向上のためにやったことと言えば、とにかく実戦。そして自分の打った牌譜を見直して再検討。とにかくこれの繰り返しに尽きる。戦術書はいくつか読んだが、中でも上にあげたものが役にたった(ように思う)。強者の牌譜をみて検討するなど、他にもっと良い手段があったかもしれないが、自分にとっては、今一つ自分でない人の牌譜をみて検討するという気力が起きなかったでやっていない。他にプロのリーグを観戦したり、youtubeで麻雀関連の動画を漁ってみたりはした。どれも楽しくてタメになるコンテンツだったが、果たして自分の技術向上に活かされているかという微妙なところ。辛うじて、うに丸さんの押し引きと、鳴き読みに関する動画、渋川難波プロの天鳳名人戦牌譜検討動画の切り出しコンテンツで、ケイテンの方針などは参考になったような覚えがある。
ちなみに天鳳7段は、ゲームの中では上位3000番付近、競技人口全体では上位0.3%に入るかどうかというところ。プロ雀士と言われる人の平均的な実力はこの付近だと思われる。麻雀知らない人(がここまで読んでいるとは思えないが)向けに説明するとこんな感じだと思う。もし大きく違っていたら訂正してほしい。
昇段して数日たった今になってじわじわ嬉しさを噛み締めている。たかがゲームとは言え、最後の数百戦は寝食を忘れ死に物狂いでコミットしたことが結果的に運良く実を結んだことへの実感と自信。代償に、ただでさえギリギリだった体重が6kg減ったこと。費やした概算1000時間。今となっては、本気で取り組んで心底良かったと思っている。
一方で、麻雀というゲームの果てしなさ、というかある種の不毛さを感じないでもない。例えば特上卓で平均順位2.50と2.45の人では、スポーツ競技に例えると地方トーナメントで1回か2回勝ち上がれるかどうかという選手と、シード選手ほどの明確な差がある。ところが、両者が仮に100戦戦ったとして、前者は1着から4着を25回ずつ取るものとする。後者は、前者が4着を取ったゲーム2回分を、それぞれ1着と2着で終える計算になる。着順の合計の差はたったの5。
ところがこのくらいの着順は、麻雀の運要素で軽く吹き飛んでしまう。仮に東南戦を打つとして、1戦あたり平均40分程度。100戦程度でも、4000分=66.6時間かかる。大体月一でセット麻雀打つ人が一年で費やすくらいの時間だ。仮に毎週打つにしても年間400戦程度。その程度では両者の差は運で吹き飛んでしまう。実力差がある程度数字に反映されるためには最低1000戦、できれば2000戦ほどは必要になってくると感じる。この認識は間違っているかもしれないので、統計に詳しい諸兄がいれば教えてほしい。
そんな競技、言ってみれば運ゲーの世界で数千、1万数千と打数を重ね、天鳳位まで上り詰める人は一体どれほどの鍛錬を積み重ね、神経をすり減らしているかと思うと途方もない。反省して改善を施そうと努力したところで、その微差を改善した結果が数字に現れるのは少なくとも1000戦以降。単純計算で666時間もの時間がかかる。果たしてその間ブレずに方針を貫くのは非現実的で、仮に結果が数字に現れたところで、本人は何が数字を良い方向にもたらしたのか検証する術がない。ものによっては時の運に吹き飛ばされ、永遠に結果が出ないものもあるかもしれない。こんなブラックボックスの中で、競技プロ含めガチ勢は日々細かい努力を重ねているかと思うと本当に凄いと思うし、不憫でもある。
いったん満足したし、仕事も忙しくなるのでしばらく麻雀から離れようかと思っていたが、1日休んだだけで鳳凰卓への興味がむくむくと湧いてしまい、結局課金して遊んでしまった。たった鳳南を6戦打っただけだが、ひとまず現時点では戦えている感触はあって一安心している。散々不毛だと書き散らしたが、麻雀自体は楽しいし、友人とセットもしたいし、今後も適度にゆるゆると楽しんでいきたいと思う。
たかが新人7段が偉そうにと思われる方が大半だと思うが、麻雀好きの誰かの参考になれば幸甚である。もう少し初心者にも寄り添った内容にしたかったが、申し訳ない。
最後になるが、改めて。麻雀は素晴らしい。いつか増田諸兄と同卓した際には、お手柔らかにお願いしたい。
(追記)
そっか、あるわけないか。ごめんごめん。
じゃあ、仮に有るものとして聞いて欲しいんだけど、今日乗った電車の吊革は本当にひどかった。
最近コロナの影響も何のそので、通勤電車の混雑がまたひどいけれど、今日も座席に座るどころか狛犬ポジションも取れず、
やむなくドア前の吊革を掴んで、押し合いへし合いする車内の圧力に流されまいと思ったんだ。
ところで、吊革で身体を支えるときって、その輪っかにほんの指先を絡めるだけでいいのに、
なぜか手全体まで力が入り、自然とグーの形になってるんだよ。知ってた?
そうだよな。俺も今日まで気づかなかったわけよ。
車圧の苦痛に耐えるので精一杯だから、手がグーだかパーだか考えてる余裕なんて、まあ無いわけで。
でも手汗は気にしろって?
それはともかく、なぜ気づいたかというとな、今日の吊革はゴムみたいに伸びてさ、そのグーの手が、そのまま吊革の下に居た通勤友達の頭にゴーンって当たったんだ。
人間ってとっさの場合、本当にイテッって言うのな。わりと無口な奴なのに。
いや、グーの手というと、まるでこぶしで殴ったかのように聞こえるダメ絶対だが、それは心外。
吊革を掴むと手首は下側になるわけで、正確には、手の付け根のわりと硬い部分でゴーンっていったわけよ。
まあ、グーで殴るよりひどいか。
とにかく、人間の頭って強打した場合、本当にゴーンって音するのは新発見。♪ゴーン
というか、あんな手の硬いところで重力加速度のまま叩かれたら、たしかに痛いだろうことはよくわかるけど、
まあ、まさかのまさかで吊革がゴムのように伸びるとは思ってなかったわけよ。ビヨンビヨーンのダッダーンなわけよ。ひとりエキスパンダーなわけよ。
だから、つい思わずププッって吹き出し笑いしちゃった。通勤友達もそれに吊られて一緒にププッ。
乗客みんなもそれ見てププッププッ。君もププッププッ。
そして、証拠を見せるごとくに吊革を2、3回ビヨンビヨーンさせては通勤友達も大いに納得。
乗客たちも笑いに包まれて、混雑で殺伐とした車内に温もりが生まれた。愛が生まれた。
しかし、それでも代わりの吊革を誰も回してくれないわけよ。ゴムゴムの吊革じゃ、通勤の嵐に耐えられないわけよ。
思えば、「嵐は愛に気づくために吹いてる」のだから、本当の愛には嵐が必要なんだね。おードリーム。
とにかく、ゴムゴムの吊革じゃ満員電車というウェーブに立ち向かえない。
それに俺、身長が160cm無いじゃん。いや、今さらまじまじ見なくても。
だから、吊革の上にある鉄パイプを掴もうと思っても手が届かない。
つまり、ひとりパイプフィニッシュ。排水口じゃなく俺が手詰まり。
このままじゃカーブで、コロナ対策で全開の窓から車外に飛ばされてしまう。
しかしだ。狛犬ポジションも取れない車内の混雑具合が、このときばかりは功を奏す。
難しい話は聞きたくない?
そんなことがあろうか、いやそんなことは…え、いやそんなこと…いや、じゃあスキップしよう。
とにかく、車内の密密具合が波動と同じ働きをもたらしたってこと。
つまり、先のププッとした笑いは車内の先頭部と最後部まで、すなわち運転手と車掌までウエーブのごとく伝達し、笑いの位相速度は電車の群速度を越えるのだと目の当たりにしたのだけれど、
それくらいぎゅうぎゅうに詰まる人間の圧力というウエーブにゴムゴムの吊革で、足元おぼつかなく立ち向かう俺の危機感は伝達しなかったようだ。
「吊革にお捕まりください」どころじゃねぇんだよ。まあ手錠みたいな形だけれども。
仕方なく圧力波なるウエーブに身体の一切を委ねるも、いつもの吊革のようには踏ん張りが利かないから、その振幅には吐き気と新たなイベントを催すほど。
仕方ないので、危機感を通勤友達に伝えようと、心もとないゴムゴムの吊革をできるだけ伸ばし、ゴム鉄砲のように友達の頭を狙うわけだが、
吊革をビヨーンと腕がちぎれるほど伸ばすと、吊革が鉄パイプから外れる。その勢いで電車の天板も外れ、酸素マスクが落ちてきた。
マッハ7と言われる高速からディスクブレーキが働き、人圧がウエーブとして身体ごと前傾する中、
くせの強い車掌さんことキャビンアテンダントは、車内放送で衝撃防止姿勢と車内設備を教える。
前傾姿勢を取り、顎を引き、頭を前の座席に付けるとのことだが、俺には座席どころかゴムゴムの吊革しか無い。
こんな吊革が何の役に立つんだ!いや、人生において役に立たないものなど無いはずだ!
とりあえず顎を引き、前傾姿勢についてはディスクブレーキの勢いでみんな100点。スリルも満点。
あと、禁煙車は3号車らしいが、酸素マスクがあるからどうでもいいわけで、さっそく酸素マスクを身に付けよう。
そう。知ってのとおり「酸素マスク」とは、酸素で作られたマスクだね。
「空気イス」と同じ意味合いだとは、なるほどわかりやすい例えだね。
それでもさすがコロナ禍と言うべきか、周囲を見ると、マスクをしたままその上に酸素マスクをつける奴が居た。
しかしそれはまだマシな方で、酸素マスクの上にマスクを付ける奴も居た。マスクドマスクだった。
しかし、それは一見シュールに見える行動だろうが、理由の無い行動ではない。
与えられた酸素マスクはその広義性に本来の意味を失わないよう、マスクのみなのだった。
もっとわかりやすく言えば、そこにあるのは酸素を放出するマスク面のみで、それを固定する耳バンドは無かった。
つまり、耳バンドを無くすことで本来の酸素マスクの定義(酸素マスク=酸素で構成されたマスク)を片鱗でも感じさせる心憎いマスク、
いや心憎いマスターことくせの強い車掌の気遣いなのであり、マスクドマスクはその車掌に対する返歌、
すなわちバンド代わりにマスクを使うという逆転人生な行動だったわけだ。
一方で、すっかり存在を忘れていた通勤友達には、だからか!と気付きが生まれたようだ。
つまり、バンドが無かろうと、天板から外れたゴム製の吊革でマスク面を顔面に縛りつければよいわけか!
人生において役立たないものなんてないわけだ。上出来じゃないか!
そんな天空の城もブレーキが効き始め、コロナ対策で全開になった窓から脱出できるくらいのスピードになった。
300km/hくらいかな。
鉛直方向にね。いよいよ茶番は終わり、嵐のような風当たりの中を人がゴミのように脱出すべきときだが、
愛が生まれる代わりに、玉座の間こと窓の間からは何かが出ていくだけじゃなく、何かが入ってくる。
そうするとゴミは細かいからみんなの目に入って、大方の予想どおり「目が~目が~」の大合唱。
乗客みんなの大合唱に、欲望という名の電車ならぬ、聴衆という名の車掌こと、くせの強い車掌は、
そこで大団円を感じて無料でスマイルするわけだが、私と通勤友達も目の前が見えないもんだから、
なんだかんだ有耶無耶ってなって、私だけ会社に無事到着。今日の昼飯は春を感じるしらす丼。
ところで、しらすってさぁ、色合いも柔らかさもミニチュアの「吊革」みたいだと思わない?
って話から、こんな長々とした展開になったわけだけれど、もう昼休み終わっちゃうよ?
そっか、電車に「吊革」なんて無いんだっけか。そうだったね。ごめんごめん。
景気が良くならないんよ。
一度大規模経済危機に至ると「政府が何もしないのが望ましい」とそのまま。
そして、金利や、金融緩和はされるが限界がある。金利や金融操作は新自由主義かケインズ主義かというのはあるがさておく。新自由主義は純粋自由主義と比べて金融操作を許すか?という点で違いがある。
でも、金利がゼロで、金融緩和で買うべき株式や国債がなくなった状態までいった。
金利は資金の需要と供給のバランス。だけど、資金需要がないと公定金利がゼロでも借りられない。
株式や国債は企業や政府が資金調達するときに変わりに発行するものだから、企業が資金調達しての支出をせず、政府の裁量が良くないという状態だと増えない。
実態の資金需要がないのに、金だけ増えると、不動産に金が集中してのバブルと崩壊もあり得る。
ということで、政府なり企業が資金調達しての支出をしないと手詰まり。
更にいうと、ケインズ主義は突発的な供給不足には対応しづらい。例えば石油を頼ってる中東で戦争が起きたとか、一部産業が弱くなった国で外貨借金が増えすぎて輸入ができなくなったとか。
新しく大手ジャンルにハマったものの、既にジャンル者の交友関係は固定されていて新参者には見向きもされない。
腐女子であればまだ救いはあったものの、腐女子ではないのでTwitterなども簡単に繋がりができない。
オタク友だち募集のWebサイトなども使ってみたが、募集してみても全く見向きもされない。
唯一Twitterで繋がっている人が同じジャンルが好きなのだが、その人から交友関係が増えることもない。
ずっとその一人に萌えをぶつけるのも迷惑だろうし、もっと色々な人と繋がりたい話がしたい。
社会人じゃリアルで見つけるのも難しいし、Twitterやネットでは手詰まりな感じで本当に気が滅入っている。
せっかく好きになったのに、萌えが発散できなくてなんだか熱が冷めてしまいそうになるし、古参が楽しそうにしてるのをみてると苦しくなる。
安倍晋三という人は非常に凡庸で、具体的な政治指針もなく、しかしその時その時の流れに上手く乗ってなんとなく生き残るタイプの政治家であった。
それは彼が一番最初に脚光を浴びた北朝鮮協議と拉致被害者帰国の時もそうであったし(彼はそれまでに北朝鮮問題に深い興味を示したという記録も伝聞もないが、以降はずっとあの青リボンをつけている)、
その注目度から幹事長に大抜擢され、官房長官、さらには首相にまで上り詰めた。
しかしその政策は小泉政権を継承したもので、彼の独自性はほとんどなかった。もっとも前任者があまりにも政治家として強い個性の持ち主だったということもある。
だが、政府・自民党ともに彼にその統率が取れていたとは言いがたく、政治家、とりわけ首相の適正には疑問がつきまとった。どうにかまとめ上げられたのは、自民党になんとなく漂う保守思想とそれを具体化した「美しい国」という空虚なスローガンがあったからだ。
だがあいまいとした政治思想だけで日々の政治が回るわけもなく、様々な政治問題が噴出。現役農水相の自殺などというトップクラスの政治暗部が明るみになったところで、参院選敗北。自身は病に伏して一度表舞台を去ることとなる。
1度目の華々しい舞台は、あまりにも役者不足、という結末に終わった。
だがそこで政治生命が終わらなかったのは、血統のなせる技と祖父譲りの悪運なのか。
民主党政権が機能不全に陥ったところをとどめを刺す形で震災発生。この社会不安から生じた反民主・2000年代回帰の流れ(いわば振り子運動である)に乗る形で、周囲の反対を押し切って総裁復帰・そして首相に返り咲く。
そして今日再び病に倒れる形での辞任を表明した。
この第二次政権ははたして、どんなものであっただろうか。まだその総括は出来ないかもしれない。
政権成立直後、目に見える形で株価はバカみたいな上がり方をした。株価先導の形で企業業績は回復し以降6年景気を押し上げた。大量の金を市場に注ぎ込む金融政策は一つ結果を出したとは言える。
しかし結局くだんの3本の矢は揃わずじまいで、このコロナでこの政策はいよいよ手詰まりである。
これも含め、本来であれば政府政権与党一丸となって一環した指針の下、さまざまな政策を大きく動かさなくてはならなかったが、結局政権初期以外そういう形はほとんど見られなかった。
結局のところ、安倍晋三首相は同じことを繰り返しただけではなかったのだろうか。首相として各所への人選は悪くなかったが、配置した人材をほとんどコントロールできず適切な機能を与えることが出来なかった。
本来であれば各省の歩調を合わせ利害関係者の調整を行うべき内閣官房(官邸)は、各職が見えない権力を握る中、政府内のただの権力装置に成り下がり、効率的かつ効果的な施策の支障を来すまでになった。
首相本人が制御を行うでもなく、その権限を適切に行使することなく、その権力装置自体が権威化して好き勝手に行動してしまう。第1次と第2次の問題点の違いはそこに突き詰められそうだが、それは結局、共通して安倍氏本人が役者不足であったのだろうという印象だ。
あまりにもなにも背景が見えない凡庸な彼の素は結局、政権交代直前野田元首相との党首討論の時のあの、終始自分の判断を先送りし他者に判断をゆだねる彼だったのではないだろうか。
少子化対策として、実子を育てることが罰とされてから、ちょうど10年が経った。
それ以来、全ての子供は里子となり、結婚や出産の有無に関わらず、大人が抽選で子供を育てるようになったのだ。
つまり、子供を産んでも育てる苦労をしなくて済む可能性が高くなったってこと。
逆に言えば、結婚しなくても子育ての苦労をするはめになるかもしれなくなったってこと。
この事実は、既婚率を跳ね上げた。一人暮らしで子育てしたら、人生手詰まりだもんね。
そして、法律に定めるように、子供は大人になると元の家に帰る義務があるので、子供を産むメリットは以前通り享受できた。
つまり、子育ての苦労だけ社会に100%お任せできるようになったので、人工子宮の実現もあり、少子化は嘘のように解決してしまった。
新しい家族の形こそ、人類を消滅から救ったのだった。人類の最大目的のためにはなりふり構わないその姿勢が、世界の関心を惹いている。
兄は専門学校をすぐ中退したり、奨学金を借りて大学に入り直したのにバイトも就活せずに引きこもり、今年度でニート2年目の20半ばです。
私は大卒で今年度から社会人になったが、兄の存在をどうにかしないといけないと考えている状況です。
一番の問題がお金で母が兄と同居して養っているが(私は県外就職)、母はもうすぐ定年だし非正規なのでお金の余力なんて殆どなく、年金もあてにならない。
家族で詳しくお金の話はしてないが、母だけなら今後どうにか暮らしていけるが兄を養うのはかなり厳しい。
唯一の救いはそこそこの公営住宅に超格安で住んでいるため、災害がなければ母が死ぬ頃までは住宅の心配はする必要がなさそうなことくらい。
派遣や契約社員、バイトでもいいからせめて働いて少しでも稼ごうとしていればまだ救いがあるけど、本当に何もせず引きこもっている
私や母があれこれ言っても兄は病気だとかあーだこーだ言い、働こうとしない。
そろそろ現実を見てもらわないといけないのだが、まだ現実に直面する気はないらしい。
世の中既にこんな文章は大量に出回っているんだろうが、自分の思考を言語化する目的で表題について考えてみることにする。
冗長で長くなってしまったが、もし読んでくれる人がいればありがたい。
かなり幼い頃から自分は不細工だと認識していたし、運動もからきしだったためか、早々に自分は「男らしく」はなれないと気づいていた。
ほとんどの男子児童は小学校卒業までには一人称が「俺」になるが、自分は「俺」という一人称が野蛮に思えて「僕」という一人称を使い続けた(今もそうだ)。
ここまで明確に言語化はしていなかったが、人生の早い段階で「男らしさ」みたいなものに対する嫌悪感を明確に感じていた。
口は達者な方だったので一対一なら女子にも口喧嘩で勝てたが、相手が複数になると大体泣かされて帰宅していた。
男子にも女子にもそれぞれ固有の嫌なところがあると思っていた。
やや特殊な環境で、中学は完全に男子校、高校は女子もいたが全体の10%前後だった。(見る人が見れば大体ある程度見当がつくかもしれない)
高校に入って共学クラスになった生徒もいるが、中高6年男子オンリーのクラスだったという生徒も多い(私もそうだ)。
そんな理由で、高校は男子校的な雰囲気と共学的な雰囲気が同居していた(前者のほうが強かった気もする)。
ちなみに女子生徒からは、当初はかなり困惑したがそのうち気にならなくなったという声を多く聞く(サンプルサイズは極小)。
私はやはり「男らしさ」みたいなものには馴染めなかったが、だからといって別に居心地が悪かったということはない。
恋人なんか端から諦めていて、「男らしさ」的なノリはあくまでネタとして捉えているオタクが自分の周囲に多く居心地が良かったからだろうと思う。
ただ、(おそらく悪気は全くないのだが)女子がいるという事実を忘れたかのように自分を男子校出身だとアイデンティファイしてしまう友人たちに微かに苛立ちを覚えてはいた。
「クラス対抗競技で女子がいるクラスには絶対に負けたくない」「◯◯さん女子なのに理数系強くて凄い」と無邪気に思ってしまう自分にも気づいていた。
総括すると、ややマイルドなホモソーシャル環境で中高時代を過ごしたおかげで、同性だけから構成される空間の良さと悪さを両方知ることが出来た。
男子校では「男らしさ」をやりたい人はやればいいし、「男らしさ」に馴染めなくても馴染めない人間同士で連帯することが出来る。
そして、「男らしさ」をやりたい人々もそうでない人々もお互いに仲が良かった。
そういう懐の広さが男子校の良さだった。
男子校が「男らしさ」を助長するというのは必ずしも正しくないし、むしろそれをやらなくても楽しく生きていけることを教えてくれる。
ただ、同時に異性に対してかなり排他的である、あるいは個人の中で排他性が強化されるというデメリットもある。
一定の人々は、そういう排他的な感覚を異性の前で隠すということを覚えないまま大学生になり、社会人になってしまうのかもしれない。
もちろんこれは明確に欠点なのだが、男性のみの集団だけでなく女性のみの集団でも同様のことは言えるように思う。
さて、ツイッターという悪い遊びを覚えた私は大学に入学する頃にはジェンダー意識をすっかりこじらせていた。
社会のメジャーな領域において女性が男性よりも不利な立場にあることは理解している。
しかし実感として別に自分が楽に生きているとは思えないし、男がこんな社会を作ってきたのだと言われても自分のことではないのでどうしようもない。
日常において性差別を行っていると言われても、そもそも異性と雑談のような会話をする機会がほとんどないので身を振り返りようがない。
男性全体のあり方と自分のあり方を勝手に分離してしまうのが厚かましく思えて、謂れのない批判を日々受け続けているような気がしている。
だから、メジャーな領域における女性の不利さへの鈍感さに比してフェミニストのわずかな瑕疵やオタクへの攻撃に対して非常に敏感になってしまう。
女を生きることの苦しみに思いを馳せつつも、特に炎上しているような話題ではフェミニストを批判するツイートのほうが論理的だと感じることが多かった。
多分これはフェアな態度ではないなと思い、ある時期から意識してツイッター上でフェミニストをフォローするようになった(体系的に学習しないのは単に私が怠惰だからである)。
そうすると、「女であるが故の連帯」ということを明に暗に唱える人々がいることに気がついた。そういう人ほど男性のホモソーシャルを攻撃していることにも。
第一に、一部のフェミニストにとってフェミニズムとは男女同権主義ではなく、女権拡大主義でしかないのだと考えた。
私のフェミニズム的思考の源流は、身体的に男性であるというだけで「男性」と括られることへの違和感であった。
(ちなみに私はシスのストレートであるし、それに関して疑問を持ったことはない。セックスするだけなら男性とも出来る気はしているが恋愛感情は女性にしか持ったことがない)
つまり身体性から離脱すること、「男に生まれても女に生まれても生き方が変わらないこと」が目標だった。
だから、「この世の中は女にとって辛いものなのだから、女しか持っていないものはガンガン活用していくべきだ」という態度は理解は出来ても共感できない。
私が勝手な期待だったのだけれど、スタンスがはっきり違うことを改めて意識して裏切られたような気持ちになった。
第二に、女性だけが持っているらしいポジティブな「シスターフッド」みたいなものが心底羨ましくなった。
私は先程男子校の懐の広さについて書いたけれど、これは恐らく「同性のみからなる集団」のメリットである。
そうした「同性のみからなる集団」の特質に加え、どうやら女性には女性だけが持つ「シスターフッド」なるものがあるらしい。
何度も言われていることだが、男性の多くは馬鹿話と趣味の話と仕事の話は出来ても辛さを共有することは出来ない。
弱みを見せたくないというのも無くはないが、どうせ真面目に共感されることはないとわかっているからというのが大きい気がする。
実際、自分だって男性から何か弱さを打ち明けられても「うーん大変だねえ」くらいのことしか言えない気がする。
相手が女性となれば話が変わってくる。多分、親しい同性よりもそれほどではない異性のほうが親身になって話を聞くだろうし、共感を示すだろう。
性欲由来の優しさだなんて言いたくはないけれど、恋愛対象でも性的対象でもない人間の辛さを親身になって聞くことは自分にはかなり難儀なことだ。
男性の多くはセルフケア能力も性的に興味がない他人をケアする能力も欠けているし、それを改善する方法も全く思いつかない。
基本的に男性は他の男性に興味がなく、馬鹿話と趣味の話と仕事の話が出来る相手を望んでいるだけなのだと思う。
だから、お互いをケアできる人間同士の「シスターフッド」という関係がとても羨ましい。
もちろん、ケアをする能力というものを女性一般が持っているとは思わないし、前述のような理由で辛いことは男性に相談するという女性も多いのだろう。
それでも、多分ブラザーフッドに比べればシスターフッドはかなり現実的だ。
しかし、結局はシスターフッドだって別に女性万人が適用できるものではないし、そんな良いものではないんじゃないかという冷笑的な気持ちになることもある。
男子校は心地よかったけれど、誰かが私と肩を組もうとするたびに私は反射的にその手を跳ね除けていた。
自分が女に生まれていて女子校に入ったとしても、多分ベタベタしたことは出来なかっただろう。
結局ブラザーフッドにせよシスターフッドにせよ、自分が男/女であることにためらいも屈託もない人間だけのものでしかないのだ。
自分は明確に男/女であるが、男にも女にもなりたくない卑屈な人間として、ブラザーフッド/シスターフッドを嘲笑してやろうと思っている。
少し話が変わるが、感覚としてBLを愛好する男性はGLを愛好する女性に比べて遥かに少ない。
ストレートの人間に限って言えば、女性が好きな女性に比べて男性が好きな男性というのは少ないのだろう。
男性から見れば、ブロマンスなど女性にとって都合が良いファンタジーでしかない。
男は無徴だなんて言うと怒られそうだが、実際身体感覚として男性同士で共有できる「徴」みたいなものは思いつかない。
あるとして、「男はつらいよ」は「女のほうがつらいよ」によってポリティカルにインコレクトで不健全なものにされてしまった。(ここにもやるせない怒りはある。もうどうしろと...。)
愚痴ばかりでは締まらないので、身勝手でも現状の希望を書いて終わりたい。
私はやっぱり異性の恋人が欲しい。
生きているだけでしんどいこの世の中で、なんとかお互い傷を舐めあえる恋人が欲しい。
何とか自分に与えられた分以上は与えるように努めたい。
大学では何とか異性と話せる程度にはなったし、卒業したころには(私の思い込みでなければ)ごくわずかながら友人も出来た。