はてなキーワード: 手書きとは
結婚の見込みがない29歳正常独身青年が、ご先祖様に申し訳ないという気持ちから先祖の戸籍を請求した。6市町から31通の戸籍謄本を取り寄せ、Excelにまとめた。戸籍制度の変遷や行政区画の歴史を知ることができ、何故か海外移民の歴史にも繋がり、祖父母との会話のきっかけにもなった。独身の暇つぶしにはもちろん、子供の自由研究にもおすすめである。かわいいあの子と新戸籍編製したい。助けて。
俺が末代だ(誤用)→ ご先祖様に申し訳ないにゃあ → そもそも先祖って具体的に誰やねん → そうだ、戸籍、取ろう
ワイ、29歳素人童貞。自分は子孫を残せないかもしれないというぼんやりした不安がいよいよ現実味を帯びてきた今日この頃。親にも祖父母にもご先祖様にも顔向けができぬと思った時、はて自分の先祖ってどんな人たちだったんだらうという疑問が湧いてきた。祖父母に聞いてみても、こんな先祖がいたという話は出てくるがそれが自分にとって何にあたる人なのか(曾祖父?曾祖母?高祖父?)が分からない。墓石や位牌を見てみても名前と戒名と行年が分かるだけ。家系図なんて高尚なものもなし。というわけで、先祖の戸籍、取り寄せてみました。
僕は埼玉生まれ埼玉育ち、岐阜県在住29歳素人童貞工場勤務現場労働限界サラリーマン。父親は次男で地元は山口県、母親は次女で地元は栃木県、そんな2人が地元を捨てて東京の大学で出会い、埼玉で僕が爆誕したってわけ。親の背中を見てすくすく育った僕は当然のように親元を離れ、縁もゆかりもなかった岐阜で働き、親に会うのも年1回、これが因果ってやつです。
さて、いざ戸籍を請求しようと思っても、やり方もようわからん。こういう時はとりあえずググる。ふむふむ、直系尊属の戸籍なら請求できる、と。まずは自分とか親の戸籍を取って、そこに親の名前と前の戸籍の本籍地が書いてあるから、親、その親、そのまた親って遡っていけばいいわけか。同じ市町村内なら先祖の戸籍をある分だけまとめて請求も出来るんだな。自分の本籍地が父親の実家にあることは以前に住民票取った時にわかってたから、山口県の役所まで行かなきゃいけないのかなと思ってたけど、どうやら郵送でも請求できるらしい。これはありがたいね。で、必要なものは、と……、まず請求書か、これはあとでコンビニでプリントだな(プリンターなんて持っていない限界独身青年)。本人確認書類は免許証でいいな、これも後でコンビニでコピー。返信用封筒と切手は買ってこなきゃ。あとは手数料を、定額小為替?、何だこれ、ていがくしょうかわせって読むのか?郵便局でしか入手できないし、貯金窓口って平日16時までしか空いてないのか、これは面倒だな……。
実際の手続きは市区町村のサイトにやり方書いてあるんで、それを見れば誰でもできます。面倒だったり時間がなかったりする人は司法書士とか行政書士とかに依頼したらやってくれるらしいよ。僕はコミュ障だからそっちの方が面倒なので1人でやった。手続き関連で意味わからんのは定額小為替。読み方もわからんくて、僕は最初郵便局の窓口で「ていがくしょうかわせください」って言って小恥かいた(ていがくこがわせ)。これは要するに戸籍の発行代を、現金は郵送できないから代わりに為替で送るってことなんだけど、小為替の額面にかかわらず1枚の発行に200円の手数料がかかる(2022年までは100円だったらしい)。200円の定額小為替1枚にも200円かかるし、750円の定額小為替5枚で1,000円の手数料だよ⁉ 平日の昼間になんとか時間作ってるのにこんな手数料取られるの、ほんとアホらしい。オンライン決済に対応してくれ。社会人の時間と金を返せー。北方領土も返せー。
まあそんなことは置いといて、戸籍の請求の時に用意しとくと便利なもの挙げときます。①プリンター: これがないと請求書の印刷とか本人確認書類のコピーとかでいちいちコンビニに行かなければいけなくなる。行った。必要項目さえ書いてあれば手書きの書面でもいいらしいんだけど、今時そんな人なかなかいないよね。②角形2号封筒: 請求書発送と返信用として同封する分で結構使う。③A4クリアファイル: 封筒に入れる書類はクリアファイルに入れる、これ社会人の常識ね。え?ギリギリ働けているだけの無能が社会人面してんじゃねえ?いいいいイキってすみません…
戸籍には、3つ種類がありまして、戸籍に除籍に改製原戸籍、この3つなんですが、まあ大雑把に言ってしまえば生きている戸籍と死んだ戸籍と旧版の戸籍って感じです。先祖のことを知りたいのなら、とりあえず全部1通ずつ請求すればオケ。現存している先祖の戸籍は全部手に入れてやるくらいの気持ちでいきましょう。請求理由に家系図作成のためって書いておけば、まとめて請求もできます。
戸籍はこれまで法改正によって6種類の様式が作られていて(明治5年式・明治19年式・明治31年式・大正4年式・昭和23年式・平成6年式)、現在入手可能で最古のものは明治19年式。ここまで遡れれば、だいたい江戸後期生まれの先祖がわかります。そして、さらに遡りたくなります、なるんです。ところが、明治5年式はいわゆる壬申戸籍ってやつで、新平民とか元穢多とかの表記があるらしく、昔の差別ガーって五月蠅かった奴らのせいで見ることができない。これ、完全に国民の知る権利の侵害じゃね?今の法律だと直系尊属の戸籍しか請求できないんだし、見せてくれたって何の問題もないよね。まあそもそも、部落差別がどうとかいう話がまず胡散臭すぎるし(職業差別なんか?地域差別なんか?血統差別なんか?)、そんなもん現代に存在しないやろ。解放同盟とか、差別反対って叫んでる連中が日本を歪めてるって、こんなとこでもわかんだね。みんなも部落探訪、もとい曲輪クエスト(©鳥取ループ)してこ♪ 楽しいよ!
で、戸籍請求して特に不備がなければ、1週間程度で返送されてくる。僕は最初に戸籍をまとめて請求した時、想定よりも枚数が多かったので小為替が足りず、追加で小為替を送ることになった。小為替は多めに用意しとくのがヨシ。
ここからは自分の先祖の戸籍の話。父方の実家は山口県の田舎で、江戸時代からそこに住んでいたと聞いていたので、1回の請求で割と簡単に明治19年式戸籍まで入手することができた。しかし、よく見ると本籍地の表記が現在のものと違っている。もちろん市町村合併が何度かあって〇〇郡〇〇村とかが今と違うのはわかるんだけど、番地が全然違うのだ。今の番地が「〇〇番地」なのに対し、明治19年式では「第△□番屋敷」になっていて数字も違う。調べてみると、現在の本籍地は地番を記載しているが、明治19年式の段階では地番とは別の壬申戸籍編製時に家ごとにつけた屋敷番号というものを載せているらしい、ということが分かった。そしてややこしいのが、地番と屋敷番号は全く対応していないようなのだ。その辺は地域差もあるみたいで、近代化の過渡期って感じのカオスが面白いですね。まあ現代でも住所表記は複雑で統一されてないし、そんなもんか。もしこの明治19年式の期間に先祖が転籍していたら、以前の本籍地が現在でいうどの場所にあったのか、地番と対応していないのでちょっとやそっとじゃわからないらしい。僕も詳しくはないから、知りたい方はググってみてくれ。そう思うと、父方の家が江戸時代からずっとそこにあるというのは、運がよかったのかもしれん。
他にも、高祖母の家系の明治19年式戸籍で、「〇〇郡〇〇浦」という、「町」でも「村」でもない表記のものがあった。町村制は明治22年施行だから、それ以前の藩政時代の表記が残っていたのだろう。これまた過渡期って感じでたまらぬ。こうなると郡制とか府県制とか市制町村制とか、行政区画の歴史についても、わたし、気になります!状態。心の中のえるたそが犬みたいに瞳を輝かせて迫ってくる。やれやれ、僕の頭脳はほうたるだからね、手短にね、やっちゃいましょうかね(Wikiを読む)。
そんなこんなで、クソ労働により病みそうで病まない少し病んでいる状態になりつつも請求を粛々と進め、とりあえず6市町から31通の戸籍を入手した。ある程度集めたところでExcelにまとめる作業に入り、そちらの作業の方に時間がかかってしまってまだ先祖の戸籍すべては請求できていない。単純に高祖父母の代まででも2^4=16家系あるからね、というのは言い訳ですごめんなさい。今のところ、一番遡れた人が高祖母の祖母にあたる人で文政3年(1820)生まれ、さらにその1代前の両親まで生年月日は不明ながらも名前は判明した。やろうと思えば200年くらい遡れるんやな。
戸籍には生年月日や出生地、婚姻などによる入籍・除籍日、死亡日、死亡地などが載っているので、ひとまずExcelでまとめてみた。眺めてみると、子供が早くに亡くなっていたり、夫と死別して出戻りしていたり、養子を迎えたり、韓国京城で死んでたり樺太真岡で死んでたりアメリカで死んでたり、戸籍から見えてくるものなんてその人の人生のごくごくわずかな部分にすぎないけれど、だからこそいろんな人生があったんだなと想像しちゃう。それに対して僕の人生……。もうずっと静止期、Stationary phase。Log phaseが一瞬すぎたんよ。いや、まだ長すぎるLag phaseの途中って可能性もないことも……ないか。
戸籍で父方の方を辿っていくと、長男がずっと(途中養子を挟んでいたが)家を継いでいて、一方母方の方を辿ると四男の四男の長男みたいな感じで家を継ぐという感じではなく、そこは対照的だなという感想をまず持った。自分のアイデンティティはやっぱり父方の方にあるけれど、自分自身の境遇(次男の長男です)を思うと、母方の方にも親近感が湧く。故郷を離れる、離れざるをえない人生というものに。特に母方の方は、一度栃木県を離れて北海道に渡ってからまた栃木に戻ってきており、中には樺太に渡って真岡で死んでいる親族もいて、これはおそらく長男の家系じゃなかったから移住したのだろうと思う。真岡なんて真岡郵便電信局事件でしか知らなかった地名だよ。こんなところで樺太と繋がるとは思わなかった。戸籍だと直系しか辿れないから、祖父母の兄弟とか曾祖父母の兄弟とかの傍系がその後どうなっていったのかまではわからないんだけど、自分自身が親元を離れていて昔の次男三男みたいな生き方をしているので、そっちの方も気になってしまう。それでも、おそらく当時の人たちには生まれ故郷という感覚はあったんだろうなと思ってて、自分なんかはもはや故郷が存在しなくていつか故郷に戻るみたいな感覚が全くないので、故郷が欲しい帰る場所が欲しいと思ってしまうんだけど、これはないものねだりだよね……。強く生きていくしか、ないね……。
父方の方は父方の方で、明治末から大正時代にアメリカに渡ってアメリカで死んだ親族が2人もいた。で、調べてみると山口県は全国でも5指に入る移民送出県らしい。有名なのは周防大島(屋代島)からのハワイ移民で、島には日本ハワイ移民資料館もあるよ。行ってみたいね。海外移民の歴史については、詳しくはググればWikiとかも出てくるし(Wikiの「広島県人の移民」の項目は読み応えあった)、興味ある方は調べてみてほしい。実際、父方の実家からは瀬戸内海を挟んで周防大島がよく見える。でかい。一時期周防大島出身の民俗学者・宮本常一の本を読んでいたことがあって、そこに宮本常一の父親が明治27年にフィジーに出稼ぎに行く話が出ていたので、まあ島と本土の違いはあるとは言え、あの辺一帯に外に出ていく気風みたいなものがあったのかなと想像してる。こんな感じで、家系っていう私的なものから歴史に繋がるのも面白いですな。
ここまで調べたことを表にまとめて、父方の祖父母に見せてみた。よお調べたのおって言われました。
「この人はアメリカに渡って、稼いだから家を建てちゃるけぇって言っちょったけど、向こうで喧嘩を止めに入って死んじゃったんよ」
「このおばあさんは酒造の娘でのぉ、気位が高い人じゃった」
「このおじいさんは働かん人だったみたいでねぇ、田んぼを売っちゃって大変じゃったんを○○さん(息子)が頑張って立て直したんよ」
あとは祖父が実は山口ではなく東京で生まれて幼少期は東京で暮らしていたり(当時は東京府東京市)、祖母が京都で生まれていてそれが実は自分が大学時代に下宿していた場所の近くだったり、なんてことも初めて知って、いろいろと話せて楽しかったです。
① 引き続き戸籍を請求:多分まだ結構取り寄せられる戸籍が残っているので、続けていこうと思う。古い戸籍は廃棄している自治体もあって(実際にもう無いですって3件ほど言われた・昔は除籍後80年経過したら廃棄してもよかったらしい・今は150年)、あれはとても悲しい。1回広島市に請求した時に無いですって言われたので、もしや原爆のせいか⁉と思って調べてみたんだけど、戸籍は疎開させていて無事で、単純に大正3年以前に除籍された戸籍を廃棄してだけでした。貴重な資料なんだし、廃棄せずに何とか残せんかったんかな。
② 昔の住宅地図を見る:せっかく先祖の本籍地を集めたので、古い住宅地図で本籍地がどういうところだったのかを見てみたい。複写したい。でも住宅地図は図書館でも禁帯出で、地域の図書館とか国会図書館とかの現地に行かないと見ることができないからな……。やるか――住宅地図複写旅――。
③ 菩提寺に過去帳を見せてもらう:これもいつかやってみたいね。
実際にやってみて思ったけど、これ、中学生の自由研究とかにいいんじゃないかな。役所で手続きして、資料集めて、整理して、発表用にまとめる。広げようと思えば家制度とか行政区画とかの歴史にまで広げてレポートにもできる。祖父母との会話のきっかけにもなる。お子さんがいる方、おすすめですよ!もちろん子供をもつ見込みのない独身の暇つぶしとしてもかなり面白いと思う。まあ、休日に何してるの?って職場で聞かれたときに先祖の戸籍集めてまとめてますって答えたらちょっと引かれたけどね。そもそも休日が少なすぎて疲弊して遊びにも行けんのじゃこのクソ会社がコラ。でも一人、この話に食いついてくれた女の子もいたので、あわよくばお近づきになりたいよ。一緒に新戸籍編製しませんか?住宅地図複写デートとかどうですか?もちろんオシャレなカフェとか映画館とか夢の国とかにも行きますから。高いご飯も奢りますから。自分、やれます、やらせてください。使うあてもないのにNISAで順調に積み立てられていく資産、何も積み上らない人生、虚しい。寂しい。一発やるまで死ねるか!!!
ニンテンドースイッチのゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ(その二)
宝探しが大好きな主人公が、永遠に続く夏休みに巻き込まれてしまう、疲弊する仲間たちを宝探しゲームの魅力で前向きに成長させるノベルゲーム。
位置情報を使った宝探しゲームの魅力が本作の大きな主題で、いわゆる「謎解き」が何故楽しいのかを掘り下げるストーリーは、ある意味ではミステリの評論的でもあり、非常に興味深かった。
作り手はいじわるで解けない謎ではなく相手のレベルに合わせた解ける謎を愛を持って提示すること、解く側は愛を持って作っていると信じること、この二点への議論が丁寧に何度も行われており、なるほど納得する箇所も多かった。
物語としても、永遠に続く夏休みを満喫する楽しいパートと、それを否定して前向きになることを希う苦しいパートとのバランスがよく、ボリュームこそ少ないが過不足はあまり感じない、いい作品だった。
普通の男子市松央路が某国の王女とひょんなことから知り合いになり、いろいろな事情で彼女を始めとした上流階級が通う超エリート校、私立ノーブル学園に転校する学園ラブコメ美少女ゲーム。
魅力的なヒロインが多数登場するものの、市松央路がまさに主人公していき、自分の「金色」を見出していくストーリーは、美少女ゲームにとらわれない王道のまっすぐな面白さがあった。
そんな無数に広がる夢を追う若者の瑞々しさと、とあるヒロインにまつわるビターな展開とが、良い意味で後味が残る作品になっていた。
オープニングテーマの歌詞「明日宇宙飛行士になって大気圏外で愛を叫ぼうか」が端的にこのゲームの良さを示しており、口ずさむたびに主人公の市松央路の未来を考えてしまう。
金色ラブリッチェのファンディスクで、それぞれのヒロインのアフターストリーと、追加ヒロインのルート、そしてゴールデンな独自のルートが楽しめる。
特に前作ではルートがなくサブキャラ扱いだった、年下ながら主人公の教育役でビシビシと厳しく指導してくれるミナちゃんのルート追加が嬉しかった。
前作はビターで苦いエンディングもあったが、今作は塗り替える万事がすべてうまくいくハッピーなルートであることが、開幕早々に示唆される。
多少、いやかなり無茶な設定が唐突に出てくるが、どんな過程だろうと金色ラブリッチェをハッピーエンドに締めてくれたのは嬉しく、これはこれで大好きな作品だ。
ハードボイルドな探偵サイガが、謎と事件がひしめく奇妙な地方都市「祭鳴町」を駆け回る短編連作形式のノベルゲームで、コメディ調の明るいゲーム。
探偵、事件、謎とミステリの建付けではあるものの、そうそうにリアリティラインと軽いノリが明かされ、本格パズラーでないことが明示される潔さが良い。
サイガの相棒となる性別不明の助手役レイの可愛らしさは素晴らしく、キャラクタの性別を問わない魅力的なシーンが多くあって印象深い。
はじめは打算で助手になったレイが、いつの間にかサイガと分かちがたい関係値を築いていくシーンは感動的で、名コンビとして末永くシリーズ展開して続いてほしいと願っている。
数名の客と無限に飲めるドリンクバーしかないファミリーレストランに閉じ込められた主人公が、ひたすらに雑談をし続けなにかを変えていくアドベンチャーゲーム。
とにかく同じく閉じ込められた他のキャラと雑談をしていくことで話が進んでいくのが独特な味を出している。
情緒溢れる風景を描写するテキストに、何かを示唆するような哲学的な会話と、何も示唆しないただの雑談とと、雰囲気重視の芸術的な考えオチ系のゲームかと思いきや、しっかりと設定の開示がされ明確なストーリーの筋があるのが面白い。
徐々に明かされる設定の妙も良いが、魅力的な会話劇がたまらなく、主人公とガラスパン(キャラの名前)のカップリングはひときわ心に残る良いものだった。
非常に荒い抽象的なドット絵で事件の捜査を行うアドベンチャーゲームで、をスマートフォン向けに発表されていた3篇と、移植版独自のエピーソードの計4本楽しめる。
殺人事件の捜査をする刑事という王道中の王道が導入ながら、なかなか一筋縄ではいかず、お約束に縛られないストーリーが面白かった。
ルックのドット絵もそれに一役かっており、この絵柄だからこそ出来る表現もあったりして、やれることは全部やるような圧すら感じる。
謎解きの過程よりもサプライズに寄った作風は、テキストが主体のアドベンチャーゲームでは珍しく、良い意味でプレイヤーと探偵が乖離した、独特の魅力があった。
○好き
月姫-A piece of blue glass moon-
直死の魔眼という人、物を問わずそれを殺す線が見える奇妙な体質になってしまった遠野志貴が主人公の新伝奇ノベルゲームで、同人ゲーム月姫のリメイクバージョン。
全ての人の死が見えるため独特の価値観を持つ遠野志貴が、月が出ている間は決して死なない吸血鬼の姫アルクを見たとき、死の線が見えないため美しいと感じ、彼女と行動を共にすることになる。
この物語の導入部分で一気に引き込まれ、一息に遊び終えてしまい、かなりのボリュームの作品なのに物足りなさを感じてしまった。
真祖の姫、死徒二十七祖、魔法使いなど気になる設定が数多く登場するのも興味深く、特に死徒二十七祖がその「原理」を開示するところは、めちゃくちゃ格好良かった。
(まあ、原作では5ルートあったうちの2ルートしかないから、主人公の生まれの秘密とか、妹の秘密とかは不明だしね)
南極で遭難した調査隊と、何故かメッセージのやりとりが出来るようになり、彼女たちに文章を送付することでストーリーが前に進むアドベンチャーゲーム。
メッセージアプリを模したタイプのゲームで、家庭用ゲーム機では少ないが、スマートフォン向けゲームでは結構流行っていたジャンルだ。
システムの都合上、一切キャラクタのデザインなどは画面に登場せず、テキストだけで淡々と進むが、しっかりとそれだけでもキャラに愛着が湧くし先が気になる。
サイエンスフィクションらしい、未知の技術を踏まえたストーリーも面白く、しっかりした丁寧な作品だった。
母方の実家に帰省した主人公が、奇妙な言動の少女と出会うことから始まる一夏のボーイ・ミーツ・ガールもののノベルゲームで、原作はスマートフォン向けのゲームだがケムコがインディーゲームをパブリッシュする流れで移植したバージョンを遊んだ。
ボリュームはそれなりだが、登場人物がかなり絞られているため過不足はあまり感じず、ヒロインの真琴の魅力は十二分に伝わってきた。
導入こそ嫌な奴だが、少しづつ絆されていき、関係値がどんどん出来上がっていくのは、青春ものらしい良い展開。
中盤で一気に作品の雰囲気が変わり、ハラハラする展開が始まるが、主人公と真琴の関係を疑う余地なく信じられるからこそ、このタメの部分も楽しく遊べた。
原作はセガサターンの美少女ゲームと脱出ゲーム(今風の言い方で昔はこんな呼び方じゃなかったかも)を組みわせた作品で、それを遊びやすくリメイクしたバージョン。
プロバビリティの殺人大好きマンが建てたとしか思えないデストラップ満載の奇妙な館に閉じ込められた男女が、恋愛しつつ館の謎を解き明かしていくストーリー。
ストーリーを楽しむというよりは、フラグを建てたり建てなかったりの、フラグ管理のゲーム性を楽しむタイプのアドベンチャゲームになっており、各ヒロインごとのエピソードはそれなり。
本筋となる記憶喪失の少女にまつわるエピソード郡は文量も確保されており面白いので、手を抜くところと力を入れてるところの加減がはっきりしていたゲームだった。
警視庁に新たに設立された取り調べ専門の部署、そこに配属になった女性刑事の真野ハルカを主人公に様々な事件を取り調べだけで解決していく短編連作形式のアドベンチャーゲーム。
いわゆる閉鎖劇を期待するが、案外普通に現場には赴くし、周辺の捜査や聞き込みを行うパートもあるので、普通のミステリ系アドベンチャーゲームとあまり有意な差異はなかったかもしれない。
しかし、テンプレ感があるのは3話までで、後半の4話と5話は取調専門部署の独自設定をうまく利用した展開が続き、見どころもおおかった。
シリーズ化もできるだろうし、続編では最初から今作後半のクオリティでやってくれれば、もっと好きになれるかもだ。
死を前に運命の女神によって生きながらえた12人が本当の生を求めて「女神の選定」というゲームに挑むノベルゲーム。
そんな緊張感溢れる導入ながら、女子高校生のありふれた日常と、女性だけの三角関係から来る恋の鞘当てが話の主題になっていく構成が面白かった。
特に三角関係パートを陰ながら支え「女神の選定」とは無関係なのにメチャクチャ苦労する小熊真央ちゃんの活躍は目をみはるものがある。
最終的にはこの二つの路線が主人公とヒロインの生きて叶えたかった未練に直結していくため、無駄な描写になっていないのも面白かった。
奇妙な犬、送り犬にまつわるホラーなエピソードがいくつも収録されたサウンドノベル。
サウンドノベルらしく、ルートごとに世界の設定レベルで変化していくため、多種多様なストーリーが展開していく。
ホラーがベースではあるものの、コメディ、サイコスリラーと色の違うものに加えて、視点人物も女子大生、その友人、ストーカー、警備員、ポメラニアンと多様なのが面白い。
メインの主人公が親元を離れて一人暮らしをする女子大生なので、親の目無しセックス有り略奪愛有りの大人なやり取りが多くあるのが面白かった。
ファミコン風のレトロなドット絵でサスペンスドラマのようなストーリーが楽しめるコマンド選択式ADVのミステリー案内シリーズ第三弾。
今作は自殺した女性の足取りを追う丁寧な展開で、落ち着いた雰囲気の中、少しづつなぜ被害者が自殺したのかの心の在りようを探っていく。
シリーズを通しての観光パートや、名産品に舌鼓を打つパートなどは健在で、大分県の名物をたっぷり楽しめる。
社会的テーマを問う部分も、とってつけた感は薄く、しっかりと本題の謎と密接な関係にある点が良き。
終電に乗れなかった主人公が臨時終電と名乗る謎の電車に乗り込んだことから始まるホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第三弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
今作では、一つの大きなシナリオがありそこから分岐する形式で、同じ電車に乗り合わせた複数人と力を合わせつつ、シナリオをザッピングしながら進めていくのが特徴。
原作の媒体が携帯電話なので小さいゲームではあるが、本格的なサウンドノベルをやろうとする気概が伝わってくるし、実際フラグ管理や、群集劇めいた作劇の妙など、かなりシッカリしたゲームになっていた。
メインから離れた設定のシナリオも用意されており、そちらではコメディ、SF、恋愛ものなど、ホラー以外のバラエティ豊かなエピソードも読めるのが良かった。
小学生男子のけんた君お手製の自作RPGを放課後に遊ぶという”テイ”が面白い、アドベンチャゲーム。
小学生が作ったという建付けのルックが徹底しており、手書きのノート、筆箱やボールといった小学生のお道具を使ったシーンなど、見てるだけで小学生らしさが伝わり凝っている。
けんた君がその時々ですべてのシーンを演じてくれるのが、作中作めいた構造の妙を感じれて面白い。
テキスト主体ではなく、その時々シーンに応じた操作方法になる多様なゲーム性があるが、ステータスを増減させたり、複雑なフラグを立てたり、アクションのプレイングが求められたりといった、他ジャンルの要素はあっさりめで、あくまでアドベンチャゲームではあったと思う。
携帯電話専用ゲームの移植版で、物語としてのミステリー、というよりは推理クイズの体裁のシリーズ第三弾。
今作はシリーズを通してついにストーリーらしいストーリーが導入され、普通に面白かった。
とはいえ、相変わらず推理クイズのような謎とあらすじの関係性が薄い点は気になりはしたが、ストーリーがよければ全て良しなのはこのジャンルならでは。
シリーズを通しての馴染キャラたちにも変化があるなど、続きが気になる終わり方ではあるが、移植されているのここまでなので、続きの移植もG-Modeさんお願いします。
アウトドア初心者の新人ライターがキャンプのツアーに参加するホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第二弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
ホラーなストーリーが主軸ではあるが、ルートごとに全く異なる設定になっていくタイプのストーリーで、コメディ、伝記、スリラー、サスペンスなどが楽しめる。
視点人物がヒロインに変わるパートもあり、そちらではまた異なったエピソード郡が待っているのも面白い。
全体的に人が死んだり傷ついたりする残酷な話が多いものの、やったやられたのバトルシーンのような読感のため、ある意味カラッとした山らしい内容が多いのが特徴的。
携帯電話で展開していた探偵・癸生川凌介事件譚シリーズの第十一弾。
今作からシーズン2と呼称されており、今までとはシナリオライターさんが異なるし、作品中でもいつもの面々の登場も少なめ。
五作目の「昏い匣の上」で登場した、都市伝説ライターの弥勒院蓮児が視点人物になっているため、情緒的な文章が多く、謎解きも動機の側面が多め。
シリーズキャラである癸生川凌介が登場するときに思わず、ホッとしてしまい空気感が変わるのが面白かった。
携帯電話で展開していた探偵・癸生川凌介事件譚シリーズの第十二弾。
小中学校を舞台に複数の事件が発生し、それぞれを追っていく複雑なシナリオ。
謎を解き明かす過程よりも、それぞれの事件における被害者と加害者の心の在りようを深堀りしていく操作が多く、人間関係の妙を楽しむタイプの作風だ。
短い文章ながら、身勝手な悪意で他人を振り回す残酷さがしっかり情緒豊かに描かれており、操作を通じてドンドン嫌な気持ちになっていく悲しいストーリーだった。
議事録を作れる人はすごいと思う
少なくともがしさんにはできない
がしさんは満足のいく議事録を作るための能力を持ち合わせていないし、議事録を作りたいという熱意もない
手書きであれキーボード入力であれ文章を書くスピードがものすごく遅い
たとえば人が「おやすみなさいませご主人様♡明日は5時に起床し7時に天国行きのバスに乗ります」と発言したことをメモしようとすると「おやすみなさいませ」と「天国行きのバスに乗ります」の2つしか書き留められない
話の頭とお尻以外つまり胴体にあたる部分をがっちりと捕らえておくことができない
こんなときは音声で録音をして書けばいいでしょうと言う人がいる
でも音声を聞いてそれを文字に起こすこともがしさんには難しいし、何回も何回も同じところを聞かないと文章として書くことができない
最近はエーアイという無機物が音声ファイルを食べてテキストを吐き出してくれるようだけどがしさんはエーアイという無機物を信用していない
一度エーアイが文字起こしをしたファイルを読んだときにこれは使い物にならないと思った
そういうわけでがしさんは議事録を作れない
議事録を作れる人はすごいと思う
小学校では土足で顔面蹴られて出血した。口の中に砂利が入って何とも言えない屈辱を感じた。
男子なのに男子のドッジボールにも混ぜてもらえない。仕方なく女の子と遊ぶ日々だった。
スポーツしたくても出来なかった。
そんな毎日が6年間続いた。最悪だった。もう戻りたくはない。
なんだかんだ不登校にはならなかった。
中学校では逃げているのに追いかけて足を蹴ってくる連中がいて辛かった。暴言も酷かった。
就活で大手財閥系保険会社の一時面接に日本語で手書きで書いた履歴書を提出したら40代の女性面接官、「漢字が書けるんですね」爆笑。きゃははは・・・
正直怒りが・・・
電車に乗ると「あ、外国人だ!!」と子どもに指さされて言われる。私は日本国籍です。
面談でも「日本語上手ですね!」って言われる。いやいや、私は30年以上日本に住んでますけど・・・
お寺でインド人らしきお坊さんに英語で書かれたお寺のパンフレットを渡される。
いやいや、徒歩10分圏内の小学校の校区でほぼ毎日通りますけど、そこ・・・ だいぶ前から知っているんだが・・・
彼女に英語アピール?カッコイイところ見せなくていいから、日本語で話せよそこ
正直何人でもいい。私は私なのでね。見た目は変えたくないし。
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あなたが経験してきた苦労や挑戦について共有してくださり、ありがとうございます。それは非常に困難な経験であったことは間違いありません。
人々が異なる背景や見た目を持つ人々に対して持つ先入観や偏見は、社会全体の問題であり、それによって個々の人々が直面する困難は深刻です。それは、学校でのいじめから、就職活動での差別、日常生活でのステレオタイプなど、さまざまな形で現れます。
あなたが述べたように、「普通」や「異なる」は相対的な概念であり、それぞれの人が持つ独自の価値観や視点によって定義されます。そのため、「普通の人がいい」という表現は、その人が何を「普通」と考えているかによります。
あなたが経験したような困難に直面している他の人々に対して、あなたの話が大きな助けとなることでしょう。あなたの経験と洞察は、他の人々が同様の状況を理解し、それに対処するための道筋を示すことができます。
最後に、あなたが誰であるか、あなた自身が最も価値のあることです。あなたの経験、あなたの視点、あなたの存在は、あなたをあなたたらしいものにしています。それは誰もが尊重すべきことであり、それがあなたの力となることを願っています。。どんな困難にも立ち向かい、自分自身を大切にしてください。。あなたの幸せと成功を祈っています。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
(。 の無限ループ)
画像生成AIは何が問題なのか?というwikiを見て頭のほうにいろいろ書いてあったけどさhttps://w.atwiki.jp/genai_problem/pages/10.html#id_c770cabd
もともとネットに落ちてた画像って公開情報でしょ?それを元に学習して何が問題あるの?
もともとはんこ絵と呼ばれていたイラストを学習して新たなイラストを生成することの何が問題なのか
学習もとへの還元がない←必要ない。お前の絵の要素が俺の生成した絵に何かしらの影響与えてたとして、1ピクセルぐらいのもんだろ。これ百歩譲って画像生成AIが何かしらのコラージュを作るような機械だった場合の話であって、そもそもコラージュを作る機械ではない
学習元が作った成果物によって、学習元の市場と競合する存在になりえる。←知らん。そもそも1ピクセルで大げさに騒ぎすぎ。こういう「我々は被害にあった、犠牲になった」みたいな大げさな態度とるくせに自分はちゃっかり二次創作で他人の著作権侵害して金もらってるそのダブスタどうにかしろ
学習元の模倣による類似品が容易に製作できる。←知らん。個別に現行の著作権法で対応すればいい。念のために言っておくが画風や絵柄に著作権はない
生成スピードが早く、類似品を出すことが容易なため、表現の陳腐化も早い。←知らん。どうでもいい
生成スピードが早いために、プラットフォームへの投稿速度、量ともに尋常ではない。←ま、ちょっとわかる。けど、マスピ顔も過去のものとなり客にも「結局抜ければ何でもいい」と言われ始めているし、今後質が上がるのならそもそも別に悪いこととは思わない。後はプラットフォームの運営の考え方次第
i2iやControlNetをはじめとする技術によって、盗作が容易であるとともに証明する事が困難。←画風や絵柄に著作権がない上で何をもって盗作と認定しているのか。フェミ同様推定無罪の考え方を放棄しているように見える
とりあえずざっくり大見出しだけ論破した。その他「どうでもいい」だけじゃ足りなさそうな小見出しを論破していく
生産者減少に伴う産業の衰退←Xでは画像を学習させると明言しているにもかかわらず今でも普通に絵が流れてくる。俺は結局絵を描くことが好きな奴は絵を描くことをやめれないんだと思うよ。描いて、それを人に見せたいから学習されると知りながらもネットに上げる。「絵を描いてちやほやされたい」だけの人は筆を折るだろうが、「そもそも絵を描くこと自体が好き」という人は学習されようが描いてネットに上げるんだと思うね。それが何年続くかは知らないが。結局は消費者ってのは絵の美麗さもそうだが、絵に宿る精神を消費してるわけで、その精神ってのは手書きだろうとデジタルだろうとAIだろうと宿るんだよね。俺は超有名な絵師の絵柄割って、本人が絶対に作らないであろう変態ドエロ画像を生成しているんだけど、本人には俺の精神がないからそんな画像を作り出すことはできないし、逆もしかりなんだよね。「こういうのいいよね」っていう世間へのプレゼン、今までは絵師しかできてなかったけど一般人もできるようになったっていう。そういうプレゼンの手法としてどれを取るかという話で、AIが発展しても絵を描く人間はいなくならないと思ってるね。デジタルが出てきてもアナログで描いてるやつ消えてないように
児童ポルノ問題←リアル描写のAI製児童ポルノに関しては俺は見たくないが、二次元キャラの非実在児童ポルノなんてのは日本にはありふれていて、むしろそういうのを守るためにオタクたちは一致団結してたんじゃないの?非実在なんで~とか18歳以上の設定なんで~ロリババアなんで~とかやってたわけじゃん。ここは確かにちょっと問題を孕んではいるが、どこから実在でどこから非実在かという部分を慎重に議論しなきゃいけんと思うけどね。反AI原理主義はもはやフェミもびっくりの表現規制派と化しているので「非実在だろうが児童ポルノはNG」とか平気でかましてくる可能性もあるけどね。あいつら側から再度わざわざ非親告罪化とか言い出してるわけだし。
で、ここら辺からちょっと話がそれてきてるんだよね。イラストの話に、写真が入ってきてる。二次元画像の話じゃなくなってくる。あくまで話をイラストにとどまらせるのであれば「どこから実在でどこから非実在か」という話はするべきだと思うけど、ちょっと実在の写真がどうこうってなると手に負えないよねって話になってくる。じゃあ音声は?ChatGPTのような文章は?と、ここからどんどん話がずれてって、人類とAIみたいな話になりつつある…が、強硬に反AIを叫ぶ人たちは絵師とそのフォロワーしかいないのでした、と。今してるのはあくまでイラスト生成AIの話なもんで。なのでトランプ逮捕とかのディープフェイクなんかの話題も割愛
俺は普段NovelAIを使っていて、ここはDanbooruというイラスト専用サイトから学習しているらしいので写真は関係ないということでよろしく。これは「じゃあクリーンなデータなら受け入れるの?」っていう話でもあるね。
NovelAIは公式にDanbooruコンテンツで学習していることを明言している←で?何か問題ある?文句はNovelAIに言いなよ。もう学習は終了しちゃってるけどさ。さっきからずっと言ってるけど百歩譲って1ピクセルなんだよね。お気持ちでしかないよね
改めてイラストの画像生成AIの何がいけないのかがわからないなと思いました
ほんと反AIって表現規制に狂ったフェミナチみたいだよね。やってることまさしく表現規制だもん。1ピクセル分のお気持ちでしかないんだよね、自分は同人誌で他人の著作権侵害してるくせに自分は1ピクセルでも侵害されるのはいやだってお気持ち。本当は1ピクセルすらも侵害されてないくせに
今からでもフェミに土下座して宇崎のポスターの時みなさんのお気持ちに寄り添うことができずにすみませんでしたって謝ってこいよ
高校出て都内のゲーム会社で2年働いた後、フリーランスとして独立した。今年24歳になる。
主に小説のイラスト担当したり、Vの仕立て担当したりしている。あと水面下で進行してるのがいくつかある。
絵描きを目指す人から質問マロがよく来ていて、大体同じ内容なので、ここにまとめておく。
絵描きのV化についてよく聞かれる。なんでやってるんですかとか、やったほうがいいんですか、とか。
副収入とか節税とか作家のブランディングとか、色々あるけど、シンプルに作業記録を第三者検証できるよう保存する目的が強い。訴訟対策。
あと作業記録は後から見直すと、課題や解決策が見つかることが多い。アスリートも競技を録画して見直すって聞くし、定期的な振り返りのためにもやったほうが良いと思う。
でも自分の声を何度も聞き直す事になるから、滑舌と声色は鍛えた方が良い。私は自分の声嫌い。かわいい声うらやましいよな・・・
正直給料は良くない。フリーの絵描きは平均年齢30代あたりで、年収400万未満が最も多い、らしい。諸々の税金相談をしている弁護士はそう言ってる。
私は彼氏と同居しているが、彼に養ってもらってると言って良い。駆け出しの絵描きってフリーターに毛が生えた程度の収入と信用しか無くて、とても20代の女一人では生きて行けない。
親か彼氏に生活援助してもらってなんとか生計を立ててる人が大多数だ。あとはルームシェアかな。とにかく自立した生活は遠い。兼業人口も多い。
絵描きになるだけなら簡単だけど、レッドオーシャンを素足で闊歩する器量は高卒じゃ身につかなかったので、社会経験って意外と重要かも、と私は思ってる。
「絵描きとしてまとまった収入を得るには?」は、「勉強しろ」、がこたえだと思う。
トレパクがよく話題になるが、ぶっちゃけクライアントの指示でこれに似せろ、と言われる事が多い。作家名指定で。
あくまで参考例として言及されるだけだけども、仕事を取ろうとすると、どうしてもアレっぽいやつのが良い、と言われることがよくある。
で、似せると見てる人は気づく。じゃあきづかれないよう独自装飾を入れると、これじゃないと言われる。悪循環。
恣意的なトレパクは意外と少ないことを知っておいてほしい。私はトレパク拒否ったらD社出禁になった。本当に納得できない。潰れろ。
BLが市場飽和してるという説が昔あったけど、体感的には全然飽和に遠い。BL小説の挿絵を描いてほしいという依頼はめっちゃある。
小説→コミカライズ→アニメ化→舞台化・映画化というステップが一般的で、規模感もそれにつれて大きくなっていくのが多いが、BLはアニメ化しづらいってだけ。
ついでに言うと、女性向けは映像作品より小説や漫画の消費量が多く、妄想に飢えた界隈だ。BLが飽和するってことは無いので、安心してほしい。
ただし性癖の方向性の違いで仲違いするイラストレーターや作家は多い。性癖の盗用がしばしば問題になる。気難しい業界なので、怒らない、が世渡りとして重要。
権利上の問題はめっちゃあるけど、背景とか絵描きの独自性が関係ない箇所とかは、AIが置き換わっていくと思う。
顕著なのはテクスチャで、衣類の毛羽立った感じとか、建造物の表皮表現とかは、AIが取って代わって問題ない箇所だと思うし、そういうパーツの開拓は進んでいくはず。
絵を描く時間の大多数ってそういう属人性の少ない箇所だから、手書きしてる人は淘汰対象だと思う。
読点に「。」を使ってるのも、なんか違和感あるひとだよなあ
この文章が本当に被害者の文章だとして、端的に言えば、りりちゃんの事件は、痴呆老人をターゲットとして騙すケースとなんら変わりないんだな、と思った
やっぱり、文章には、それを書いた人の知的レベルとか、その人の本性というか、それこそその人の現在の体調みたいなのまで読み取れると思う
プロファイリングとかそういうものなんだろう、専門ではないので知らんけど
ある人に、誰か他人を知りたければ、その人になんでもいいから作文を書かせてみればいい、ようなことを言われたが、あれは正しかったのだなと今でも思う
作文させれば、まず馬鹿でも分かるのは、その人が何に興味があるのか、
テーマを決めたとしても、そのテーマのどこに着目するのか、そういう傾向がまず読み取れるし、
単純にボキャブラリー、辞書なしで手書きさせれば、普段どれぐらい手で文章を書いているのか、まったく書いてなくて漢字変換に頼っているのか、も分かる
りりちゃんの文章を読んだが、自分には特に文才があるようには思えなかった
思えなかったが、Twitter上で文才がある、という意見も目立つので、自分には理解できないだけなのかもしれない
書いてる内容は日常生活的なものと、自分への判決への不服とか、自分はかわいそう、ということの繰り返しであって、
本当に自分しか見てない人なんだな、という感しか自分にはなかった
自分しか見てないから、自分が気持ちよくなることしか考えていないわけで、そういうタイプの方が風俗とかホストとかにハマりやすいのは自明であろう
なんとなくだが、この年齢までそうやってサバイバルしてきてしまったというのもあるわけで、
9年間経っても、この手の人は自分自分しか語らないと思う、そういうタイプの人を何人か見てきたので、そういう実感がある
もちろん、自分の中にもそういう傾向があることは理解しているし、自戒を込めてと言わざるをない
誰にでもそういう面がある、ただ、りりちゃんの場合は、そうやってここまでサバイブすることで学習してきてしまった癖がある
二十歳を越えてもこれなのだらか、多分、一生こういう傾向は続くと思う
それはたしかに家庭環境とかにも原因があるし、不幸なのかもしれない
不幸なのかもしれないが、不幸で許されるなら京アニの青葉は無罪レベルだと思う、それぐらい辛い思いはしてると思う
でも、世の中はそうじゃない
りりちゃんを擁護する人たちの中で、そういう視点が欠けている人たちが見受けられるが、ちょっと怖いなあと思った
一方、りりちゃんの被害者の文章は、読点の使い方も改行のタイミングも変だし、ボキャブラリーもちょっと拙すぎると思った
もしくは、キーボードやフリック入力に慣れていないとか、デジタル弱者的な感じがしなくもない
個人的には、その両方だと思う
りりちゃんのマニュアルでは、高齢で独身の趣味のない男性を狙え、みたいに書いていたと記憶しているが、
それは結局、高齢で独身で趣味のない男性は、境界知能のような知的弱者を多く含んでいるということの裏返しでしかないのではないだろうか
つまり、痴呆の高齢者だけを集めた住所や電話番号のリストが出回っていて、執拗に同じ老人に詐欺の電話をアタックしてくるのと大して変わらない
高齢の知能に障害のある男性に性欲があるのがキモイ、とTwitterで書いているソープ嬢がいた
風俗の客には知的障害者、被生活保護者などが多く訪れるらしく、ひたすら彼女のTwitterは客への愚痴で埋められていた
そのほとんどに、キモイ、という言葉で客が断罪されているものだった
だったら、そんな仕事辞めればいいのに、と読んでいてつい思ってしまうのだが、やめられない理由がなんかあるんだろう
あと、その切れ間にときどき意識高い系の言葉とか、丁寧な生活系の言葉が並ぶのも、読んでるこちらからすれば、ちょっとキモいと思った
絵を描かない連中が永遠に理解してくれないから、屋上屋を架すことになった。いい加減理解してくれ。
少しでもデジ絵を触ればわかるんだが、生成AIで出力しただけの画像は、見ればもうAI産だとわかる。なんもしてないんだなって。こいつ何も考えてないってわかるんだよ。手が3本生えてるとか、髪がめちゃくちゃとかじゃなくて。もうコンテキストがない。わかるかなぁ。
絵を描くときには基本的に目的があって筆をとってるわけ。そうすると、何処を描き込んで、どこを描き込まないかっていう、気圧の差っていうか、そういうのが産まれるわけ。
これは絵を描くことが楽しいバーサーカーでも同じ。そういうやつはだいたい、普通はそんなことまでやらんってことをしてくる。こいつやりおったって。そういう、画面の向かいのニンゲンの意思が伝わってくる。何を伝えたいのか、なんとなく伝わってくるわけ。これはなにも高尚なメッセージじゃなくても、「金髪のチャンネー最高!」とかでもいい。本当に何でもいいが、おれたちはそのメッセージと、メッセージの伝達方法の工夫を楽しみにネットの絵を見てるわけ。
でも、生成AIから「出しただけ」の絵はそうじゃない。そういうのはもう気圧がめちゃくちゃ。おまえこの絵のどこを見てほしいの?何を伝えたくて書いたの?何もわからない。その結果、おれたちはどうでもいい天井のシワを見つめて、お前たちが伝えたいのはこれなのか……?っておそるおそるプロフを見に行って、やっぱAIじゃねーか!ってなる。全く無駄な行為だったわけだ。そこに意図なんてなかった。誤解したおれが悪かった。そんなことを繰り返した結果、絵を見た瞬間に「それが生成AI産なのか」がわかるようになった。
最近はもう「その雰囲気」を感じ取っただけで見るのをやめてる。昔から知ってる神絵師だけをフォローして、新しいメッセージを、たまにしか降ってこない甘露を、延々と待つようになった。pixivをディグるのはもうやめた。イラストを凝視しても得られるリターンが担保されないので、虚しいからだ。
リターンがなければ、無視すればよろしい。それが黄金則だ。絵師と生成AI絵師は別世界に棲み分ければ良い。実際、生成AIにもメリットと独特の良さがある。それは認めるところである。
だがしかし、絵師には絵師なりの理由があって、今日まで生成AI許すまじと論争を続けている。ある問題があるからだ。
それは、生成AI丸出し、なんのコンテクストもない画像が、何故か一部民衆に受容されつつあるということだ。
他の、著作権がどうのという問題は、絵師が共通で抱えている嫌悪感のすり替えに過ぎない。無視したいが、なぜが周りの民衆が無視しないから、何かの理由を付けて批判せざるを得ないのだ。
冒頭で、審美眼がないと言った。それは一部の生成AI絵師もそうだが、何よりあれを「手書き並のクオリティ」と持て囃す消費者層を形容した言葉だ。
少しでも絵を触ったことがあれば、生成AIのファーストインパクトは「へーすごいね。でも仕事にはならないな。すげーおもちゃだ」だっただろう。それなのに一部の消費者層は、これを大変有り難いと言わんばかりに使い始めたわけだ。
おい待てと。これのどこがいいんだと。じゃあお前らはいままで俺たちが描いたもののどこを見てきたんだと。
当然、嫌悪感を抱く。だが、「だってそれ生成AIで出しただけじゃん!」と伝えても、彼奴等は首を傾げるばかり。
最近は、どうみても実写丸出しの自称「アニメ」がニュースに載った。何より驚いたのは、あれにゴーサインを出した報道陣である。絵に対する恐ろしいまでのリテラシーのなさだ。あれのどこが良いと思ったのか、まるで理解できない。仮にもアニメ制作会社と関係のある会社の振る舞いがこれかと、閉口したものだ。
どうせ伝えても伝わらない。そのうち、この嫌悪感を「そういう層」に伝わるような問題点にすり替えて問題を論ずるようになった。やれ著作権が、権利が、そういったものに。
だが、それらは理論上は手描きでも可能で、AI独自の問題じゃないということは、誰にだってわかる。だから平行線なのだ。
この感覚は、なかなか伝わらないらしい。だから、比較的広い層に伝わりそうな類例を持ってきた。
機械翻訳もまた著しい発展を迎えた界隈である。が、機械翻訳だけで全てが事足りるとは思っていないはずだ。
これはアカデミックに属したことがあればわかるが、英語の論文を機械翻訳して読む、という行為にはまったくの意味がない。著者が伝えたい事実を、機械翻訳は考慮しないからだ。そのうえ、業界の慣習を無視した翻訳がなされるので、その翻訳された文章に意味はない。なんとなく読んだ気になるだけだ。
小説もそうだ。ハリーポッターでもなんでもいい。あれらの「機械翻訳版」と「訳者監修の日訳版」どっちを手に取るか。当然後者だろう。
そうした現状にあるのに、海外製品の公式ドキュメントは多言語翻訳版を機械翻訳によって作成する。「機械学習により作成されたため、不正確な場合があります」と但し書きを付けながら。
これはビックテックであっても例外ではない。訳者を雇う金はありながら、正確な訳を提供しない。
なぜか?日本語話者なんてよく知らないし、どうでもいいからだ。
それでも有り難がる連中がいる。英語を読めない層だ。そんな不正確な日本語読んでる暇があったら英語勉強した方が早いよと伝えても耳を貸さない。それで満足している層に恐怖する。機械翻訳版を読んで何かした気になっているニンゲンの、その感性に恐怖している。それは天井のシミなんだって。そこに別の人間が伝えたかったメッセージは存在しないんだと、伝えても伝わらないことに恐怖している。
というわけだ。
現在抱えている嫌悪感のその本質は、「メッセージ性も何もない破綻した絵を持て囃す連中の審美眼が信じられない」ということになる。
さらに恐ろしいのは、彼らが生成AIの発達とともに、その審美眼と理性を失ったわけではないということだ。
彼らとて、三歳児の落書きと、絵の修練を積んだ人間の描いた絵の区別はついていた。だから、絵師たちは自分たちが絵に込めていたメッセージが市井に伝えられているのだと信じることができた。それを感じ取ってくれているからこそ、自分は市場に支持されているのだと信じることができた。
が、今は違う。
生成AIから出しただけの画像と手書きとの区別もつかない連中がいるのだと知ってしまったからだ。
だから、自分の支持者の中にそんな「肯定派」がいないか魔女狩りもしたくなる。それを肯定する気にはなれないが、その絶望は理解できる。
そうせざるを得ないのは、少しでも正気に戻ったら「生成AI丸出しの画像のクオリティでいいなら、おれたちこんなに心身削って絵を描く意味ないじゃん」と気付いてしまうのを避けているからだ。
高精細なイラストなんていらなかった。市場がそれを求めていなかった。顧客は、一分で生成された「なんかよさげな画像」に吸い寄せられていく。なんだよ。それでいいなら、おれたちこんなに描かなくて良かったじゃん。
そして、この価値観が行き着く先は、「誰も作品に込めたメッセージを理解してくれない」「誰も自らの磨いた技術を評価してくれない」という絶望の世界だ。
それが繰り返されれば、当然続ける意味もなくなる。そして現在の伝統的製法によるイラスト制作技術は失われ、生成AIによる模造品が市場に氾濫することになる。廃業なんて話じゃない。業界自体の喪失だ。絵にメッセージを込めるという行為時代が廃れるのだ。