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はてなキーワード: 所与とは

2024-02-26

anond:20240226003213

ベイズ推定ってあるでしょ?

これをざっくり脳内状態Dを所与として仮説Hがある時にP(H|D)を求めることができるよね

そしてそういう判断日常生活で常に行なっているし、むしろタイパが良い

精度と時間トレードオフがあるし、ベイズ推定タイパに適する

2023-12-17

anond:20231217091017

まったく個人的な考えだけど。

貯金を増やしても「金がある」という感覚にはなれないと思うんだよな。

収入所与とするなら、それを金で持っているか、欲しいものに置き換えているか、の違いでしかない、というのが俺の考え。

豊かさを感じるためには、自分が使える金自体を増やす必要があると思う。

 

俺の場合趣味仕事にしたので、私費を投じて趣味をするのとは桁違いの金が使えて、それが満足の源泉の一つになっている。

野球好きな人で言ったら、「すごいプレイヤーを集めたチームを率いたい」という願いを私費でかなえるのはほぼ不可能だけど、大はナベツネ三木谷、小は監督GMとして雇われれば、金を稼ぎながらやりたいことができる。

自分が使える金を増やす一番普通な方法自分収入を増やすことだけど、それはなかなか容易じゃない。

少なくとも俺にとっては、こちらの路線の方が実現可能性が高かった。

2023-09-18

anond:20230917225638

ほんと女ってブスの自覚あるものでも衣食住が所与に近いものって思えるくらい甘いんだな

2023-04-08

anond:20230408103142

ポリコレ所与とかレイシスト権威主義奴隷

もし真面目にポリコレやってたらロシアを支持している。そんなやついない。

なので所与な訳がない。

2023-03-02

anond:20230302121839

こう言う考えがもう差別的なんだよ

だいたい本人にとって若く女性であることって所与であってそうである強みなんて意識するもんじゃないだろ。

もし若い女であることの強みを聞くなら採用した側に聞くべき。

マイノリティから属性ならではの視点技能があるのではと期待されて聞かれる。

2023-02-06

法律上結婚意味シュリンクすることの試案

そもそも同性婚を主張する人はなぜ「結婚」という状態にこだわるのか考えてみた時、本邦における「結婚状態」には少なくとも2つの期待がかかっていることに気づく。仮にA、Bと整理しよう。

整理
A

現在 or 近い将来に子を持ち、次世代を育む意志を持っていることを確認する機能

この機能はそのペア政府社会から出産子育て支援を受けるに値するか確認する場面で使われる(ここでの支援には、配偶者控除扶養控除、生まれた子に社会が出費することも含む)。国という組織が、自らの末長い存続を所与とするのであれば、これを実現する認証手段としての結婚制度化し、彼/彼女支援することは合目的といえる。

B

互いがパートナーと扱われることを望んでおり、現に権利義務を共有する共同体であることを確認する機能

この機能は、他者が「その二人を共同体と見なせるか」を確認する場面で使われる。保険医療不動産関係イメージやすい。また、高度に契約社会と化している現在では、公的私的わず簡易にこれを実現できる手段を国が運営することもまた合理的と言える。

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問題なのは結婚という枠組みがAもBも成してしまっているが故に、Aだけ使いたい時にBが、Bだけ使いたい時にAが邪魔になる場面があることである

例えばAの機能をより大きく捉えている人にとっては、同性婚は納得し難いだろう。その認識において「結婚状態」にある「夫婦」は公的支援優遇を当然に受ける。その上で同性婚ペアは異性婚夫婦よりも「次世代を育む意志を持っている」期待値があまりに小さいからだ。なお「異性婚でも子を持たないケースがある」「同性婚でも養子を設けるケースがある」という反論が考えられるが、それはあくま期待値の大小の問題であって、より期待値の高い異性婚にベットしない理由にはならない。

対してBの機能をより大きく捉えている人にとっては、同性婚を(また近親婚さえも)認めないことが不合理に見える。彼/彼女がBを行使する場面は概して手続きにすぎない場面であり、そこで受けるベネフィット出産子育て支援のそれよりも極めて小さく、社会的なデメリット(出費)が見当たらないからだ。

新しい「結婚

以上のように捉え、結婚制度からAを取り除き、Bの機能シュリンクすることを考えてみたい。ちなみにBではなくAを取り除くのは、利用する場面が多いであろうBの機能に、使い慣れた「結婚」という言葉を当てがいたいだけであって、本質的にはどちらを取り除いても以降の検討は崩れない。

結婚」した状態がBの機能を持ちAの機能を持たないようになった社会では、結婚したペアへの優遇は行われないだろう。扶養控除などもなくなる。結婚あくまで2人の関係性を確認したものであって、そこから次世代を育む意志を持っているか」は確認できないかである。「次世代を育む意志」を確認できないペアに、次世代再生産を名目として支援優遇は当然行えない。

対して、次世代とは関係のない場面、例えば「片方の病状を他方へ開示して良いか」「片方の保険金を他方へ支払って良いか」「両者の年収を合算し支払い能力とみなせるか」というような「2人を共同体とみなしうるか」が重要な場面では、引き続き結婚という手続き重要視される。

この時、同性婚や近親婚を結婚の枠組みに入れるハードルは下がるだろう。そのペアが子をなすかは関係ないし、なした子の遺伝子がどうという議論も当然埒外になる。副次的な面として、選択夫婦別姓へのハードルも同時に下がると思われる(別姓の問題の一つが「子の氏をどうするか」)。

次世代育成の支援事業になる

そのような社会でも、出産子育てに対する支援は行われる必要がある。(国が自らの存続を目指すことは所与規定たから)

現代日本での「結婚」の枠で行われていた、次世代再生産への期待に免じた優遇は、特定要件を満たしたペアに対してのみ行われる「出産子育て支援事業」へ統合されるだろう。

まり単にペアに「近い将来に子を持ち、次世代を育む意志があるか」を確認し、満たせば支援するという単純な構図に落とし込むことができる。要件をどうするか、という議論は当然起こるが、現在日本での「結婚とは何か」という議論よりは容易に解けるだろう。なんなら「実際に子がいる証」や「実際に不妊治療をおこなった証」を要件にすれば、より方程式簡単になる。

現に、内閣府が行う結婚新生活支援事業対象は「39歳以下」に限定されている。要件=対象=目的フィットさせるだけで済む「事業」とすれば、問題簡単になることの証左と言えるだろう。

結論

こうして、「結婚」は2人の人間関係性だけを規定する枠組みとなり、次世代再生産とは切り離された。

有史以前からある結婚観念、すなわちつがいとなることと生殖することを同一視する観念が消えてしま宗教保守層は嘆いたというが、それ以外の大多数は自分が損をする変更とは捉えなかった。

また契約法律要請によって「共同体として扱われる証明」を欲していた同性/近親カップルニーズを満たせることとなった。さらに「出産子育て支援事業」は、真に対象とすべき人へより多く届くようになった。なんらかの理由特定人物共同体が組めない人(シングルマザー/ファザー)であっても事業対象となったことは、喜びを持って迎えられた。

社会制度の組み替えで最大幸福は増えた訳である

補遺

一部の企業や団体では、自治体認証した「同性パートナーシップ」をもって、共同体とみなす動きがある。まさに結婚のBの部分だけを切り出そうとする試みだろう。しか社会への広まりスピードは緩く、やはり結婚自体意味合いを変えてしまった方が手っ取り早いと思う。

同時に「同性パートナーシップ」は夫婦同等とみなすが、内縁関係の異性は夫婦同等とはみなさない、というねじれ現象も生じている。筆者はまさにこの状態に身をおいていて(夫婦同姓を避けるため婚姻届を出していない)、弊害を食らっている。

直近、子供を作るつもりがなく社会の維持に役立たないので、国から優遇されたいという思いは一切ないのだが、パートナーとの関係大家保険会社に証明する手立てがなく困る場面が多い。

2022-07-02

表現の自由」についてのメモ的なもの

 下記のエントリーanond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。

1. 表現の自由とはなにか?

 目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。

 ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスター撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来ツイッター批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスター撤回すべし」等の意見つぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。

 はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所肯定すれば、抗議者の表現裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。

2. 規制概念

 元々のエントリーでは次のような言明がある。

言いたかったのは、フェミニストあくまで「女性実質的表現言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストリベラル派が目指すのは、あらゆる階級属性の人が等しく表現の自由行使できる社会だ。

 これに対するブコメはこう言っている。

preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品ほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りしかない/そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い

 後段の「そもそも平等のために表現規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないか不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスター掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要利益であり、自己表現利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様であるノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科実名暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現抑制されている(この事件では、慰謝料請求裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシー保護のために表現抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。

 名誉毀損プライバシーは具体的な個人利益問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組政治的公平性)を保護するために、表現抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果もつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事大阪市長橋下徹トーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現規制しろと言う主張」だから規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。

 なお、念のためにいえば、プライバシー名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自見解に過ぎない。

3. 「表現の自由」は個別的特殊的な権益なのか?

 ここからは元のエントリーとの関連性は薄くなる。

 選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか日本表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制公務員政治的意見表明やストの広範な禁止放送資源の分配問題政府情報保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガアニメ」の自由ということになっている。また、「アニメマンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノ合法化;「有害図書販売規制廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。

 「表現の自由」を掲げる政治家言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由抑制している制定法を改廃するのではなく、規制対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだからお目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的普遍的権利を掲げながら、規制廃止を唱えるよりも、特定表現に限って規制免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物特定出版社特定作品群を代表している場合、その他の出版社表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家言動ナイーブに受け止めてはいけない。

 なお、私は実は「アニメマンガ」の中の特定作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体けしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。

4. 「エロ」の規制をめぐって

 「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論憲法上の権利として保護されないはずである憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本最高裁の考え方もそうであろう:

なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統観念修正要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブー漸次姿を消しつつあることは事実であるしかし性に関するかような社会通念の変化が存在しま現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範存在することも否定できない。それは前に述べた性行為非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたもの今日ではもはや一般猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚麻痺しており、真に猥褻もの猥褻と認めないとしても、裁判所良識をそなえた健全人間観念である社会通念の規範に従つて、社会道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医役割を演じなければならぬのである

最大判1957(昭和32)年3月13日 刑集11巻3号997頁:チャタレイ夫人の恋人事件

エロ」の自由擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理桎梏いかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノ出版自由対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデン憲法典の一部を構成する出版自由に関する法律は、出版自由制限できる場合限定列挙する。児童ポルノ出版自由制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁判例を変更していない。捜査機関取締り方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルトビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずであるしかし、この最大の桎梏存在認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガアニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガアニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。

 丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから規制される前に対処する政治家必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。

※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである

※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。

※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノ合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲事件の流れだ。

※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的規制問題として評価できよう。

※5 むしろ出版社利益を守るためと考えれば、個別出版について規制お目こぼししてもらう活動大事だろう。だが、あくま出版社権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。

※6 日本出版されている成人向けマンガイラスト児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁マンガ表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国立法255号[2013年]223頁)。このような判断日本最高裁がするかというと、全然しないだろう。

2022-04-17

anond:20220417230457

作品メッセージ性というのは1冊分くらいは読んでみないと分からんものから

一枚絵から受け取れる印象だけをメッセージ性にすり替えるのはあまりにも可哀想だぞ

そういうのはマスメディアがやる恣意的な「切り取り」と同じ手口だ

巨乳女子高生、というキャラをメインに据えることを所与として

往年の男性作家だと、彼女が良い人脈に恵まれて守られつつ周囲に癒やしを与えるのほほんとした優しい世界、を描きたがるのに対して

近年の女性作家だと、ドロドロとした世間に渦巻く悪意や人間のおぞましさをシニカルに描きたい欲に駆られがちというだけで

どちらが優れているとかリアルとかどう描くべきみたいな正しさは存在しないんだよ

フィクションなんだから

2021-12-29

anond:20211229180106

所与えることは支援団体で出来る

それで10万円給付貰ったホームレスたくさんいるしな

ちょっとボランティアについて学びな

2020-11-21

anond:20201121181708

文化美術界隈で発言力がある人、政治経済分野に疎すぎて、そもそも予算分配が少なすぎることが問題なのに、

それは所与としてどう分配するのが最適か?という考えるだけ無駄問題を延々と解こうとしてる印象

問題の設定が間違っていることに早く気づけばいいのに

2020-08-28

anond:20200828092623

羽生さんは羽生さんだからまれつきのCPU所与として筐体とかの条件はどう設定するの

あんだけ頭良かったらさすがに無収入は無いんじゃないの

仮に歴史上最高の五体満足のヒヨコ鑑定士とかならとかそういう話?

2020-08-09

anond:20200809005143

俺も大きい感情あるし自分でもその感覚はとても大事だと思うんだけど、一方で他の人もきっと等しいくらいに感情があるのだろう。

から自分だけ大きく揺り動かされたことについて滔々と語ってもいいのだろうかと思うわけだ。これは卑下なんだろうか。卑下といえば卑下かなぁ?

あと言及増田でも所与というか与件なっちゃってるんだけど、感情の強さや大きさを比べる流れになるのは生産性が少ないと思う。

大きな個人的感情を語る弊害一種と感じている。

2020-07-31

前は女叩きをするネット民に対して「うわあ」って思う程度だったし

たまに巻き込まれそうになっても

一貫しておかしなこと言ってるってわかるから

立ち去ることができたけど

最近になって女性側も男性に対して偏見から発言する一派があると知って

そういう人たちをまた男性とかが一段上の立場を取って

本気で一日中バカにしてるみたいな界隈があると知った

でもみんな本当は原因は恋愛が思い通りにできないからってことは

心の奥底では分かってる人が多いと思う

それって庶民が貧しくなったからだし、

スマホさえあればいつでも2次元や2.5、配信者等々

寂しさや人恋しさを手軽に解消できるから

煩わしい事を所与としつつ異性と一緒にいる良さがなくなったからだよね

そして戦後じわじわ破壊されて来た地域社会の繋がり

これで誰かの息子に娘をあてがう的なものがなくなった

根本原因(社会とか)が直らないことをわかってるから

から画面越しの異性を悪く言ったり見下したり、

人を愛したり慈しんだりするためにあった心と膨大な時間

人を蔑むために使って紛らわしてるんだよね

悲しい

でも自分にはどうすることもできない

そういう政策を掲げてる人に政治献金すればいいのか?

でも生まれから今まで公約って守られないものだと身についてしまってる

これも敗戦よく訓練された結果だよな

生活保護叩きとか、地域叩きとか

老人叩きに若者叩き

から分断工作は本当に酷いと思ってきたし

あと人間は目に見えないものや内的なもの

実際に悪く言える相手転嫁して叩くのが性質だっていうのもわかるんだけど

男性女性で争わせるって

もうこれ以上分割できないことなのに

(LGBTQ+の人は一旦ごめん)

絶対だめだと思うんだ

でも、たぶん誰にも止めることはできない

私も結婚しました報告とか子どもの話とかは辛くて見られない

そういう生理的な、根源的なことで異性叩きをしてるんだろうから

って、日本全体でみたら男女で争ってる人なんかごく一部なんだろうけど

心が痛む

2020-07-19

コロワイド株主が考える大戸屋TOBのこと

タイトルにそれほどの意味は有りません。一応中立的に書いているつもりですが、念のため立場を明確にしておいた方が良いかと)

(この手のニュースを見聞きする度に、考えをまとめておきたいなと思いつつ放置していましたが、ようやく行動に移すことができました。)

一向に正される気配のない、TOBに関する誤解

背中を押してくれたのは、こちらの記事

コロワイド「お騒がせ会長」が32億円の詐欺被害に 大戸屋買収に暗雲 | デイリー新潮

コロワイド会長が癖のある人物であることについては今更どうこう言う話ではないし、M資金詐欺に引っかかったという話も、真偽のほどを判断するほどの知見は私にはないが、「本当でも不思議ではない」と、私は思ってしまう。

私が気になっているのは、後半の有識者?によるコメント

 企業法務に詳しい高橋弘泰弁護士は、この被害による大戸屋買収への影響をこう分析する。

経営トップ詐欺に引っかかったと公にすれば、会社イメージにとって決してプラスにはなりませんし、株価が上がる要素も全くない。となれば、大戸屋HD株主が、コロワイドが呼び掛けているTOB賛同するのでは難しくなるのでは」

である

この手の話について最初に私が考えをまとめたいと思ったのは、ライブドアによるニッポン放送買収のゴタゴタがあったころなので、随分と昔のことになる。

が、今回上記記事コメントを見る限り、TOBに関する誤解(と私の考えていること)は、10年以上前から全く変わっていないと言わざるを得ない。

端的に言うと、大戸屋の(大株主ではない)一般株主立場で考えると、「株価が上がる要素も全くない」ことが真実であるなら、株主は「株式市場で売却する」か「TOBに応じる」以外の選択肢は考えにくいという事である

企業価値が向上するからTOBに賛成する」はあり得ない

言うまでもなく、TOBは「対価を出すので、株式を売ってください」と宣言する行為であり、「TOBに応じた株主株主ではなくなる」事が前提となる。

その前提で考えると、仮に大戸屋コロワイドの子会社となり、「とてつもない企業価値の向上が見込まれる」とするならば、これはステークホルダーの多くにとって大変喜ばしいことである。では、一般株主TOBに応じるべきであろうか。当然ながら答えは「NO」。TOBに応じた株主は、当然「元株主」となり、その後のTOB価格を大幅に上回って上昇を続ける大戸屋株価を、指をくわえながら見しかいかである

多くの株主がそう考えるのであれば、TOBは成立しないことが予想される。だからと言って、TOBに応じれば企業価値の向上を享受することはできない。ましてや一般株主立場では、自身TOBに応じるか否かでTOBの成否が左右されるようなものではない。自身TOBに応じず、他の株主の応募に期待をする、あるいはTOB価格が引き上げられるのを期待するのが自然対応となる。

では逆に、大戸屋コロワイドの子会社となり、「とてつもない企業価値の低下が見込まれる」とするならば、これは大戸屋経営陣、コロワイド大戸屋及びコロワイド株主等にとって極めて望ましくないことである

説明必要はないと思うが、株主にとってそのような状況は避けたいところである。が、TOBに応じて「元株主」となるのであれば、話は全く変わってくる。

企業価値を大幅に落とすであろう大戸屋の姿を残念だと思いながらも、懐が痛むわけではなく、というかむしろ懐は温まったという事で、ちょっとおいしいものでも食べようかという気分にでもなってしまうのではないだろうか。

株主ががっしりスクラムを組んでTOBを阻止できれば良い、が、失敗した場合悲惨である。ましてや一般株主立場では、自分一人の行動がTOBの成否にさしたる影響も与えないというのであれば、とりあえずTOBに応じておいて、脱出の道を確保しておくことを、道義的立場から非難できるものではないと私は考える。

TOBの成否の本質は、「買収された会社の将来が悲惨であればあるほど、TOBには応じざるを得ない」に集約されるといっても過言ではない。

まり経営権を巡って「プロキシー・ファイト」をするのであれば、双方で経営ビジョンと将来性を大いに語り合って戦いを交わせばよいのであるが、一度TOBとなれば、「TOBの対価」と「買収後の将来性」を天秤に掛ける以外に、一般株主にとって判断材料となるものなどなく、「TOBの対価」を所与とすると、「買収後の将来性」が低いほど、TOBは成立しやすく、将来のビジョンなど語っている場合ではないのである

企業法務に詳しい弁護士」の方は、別に株主へのアドバイスを求められているわけではないので上記のようなコメントでも良いのかもしれないが、私は大変的外れものだと思うし、株主の方にアドバイスするのなら、「そんなやヴぁそうな人がトップ会社に狙われているのなら、悪くない価格TOBを出してくれている間に逃げたほうがいいんじゃないの」と言うべきである

からこそ、「企業価値の向上」がM&Aお題目であり、産業政策的にも実際に求められる成果であるのに対して、TOBに関してはその本質企業価値破壊する要素を併せ持つため、産業政策としてTOB企業価値の向上に資するための適切なルールを構築することが求めらる。

(ご参考)

マイケル・ミルケン - Wikipedia

ジャンクボンドの帝王1980年代アメリカを吹き荒れたLBOの嵐の立役者の一人。

TOB破壊的な側面を最も忠実に具現化し、大金持ちになった人。一度大金持ちになれば、一時収監されようと屁でもない。そんなアメリカンドリームの体現者。

一旦おしまい

随分長くなってしまったので、一旦この辺で。タイトルを「コロワイド株主が考える大戸屋TOB顛末」としていたものの、顛末までたどり着けなかったので修正

他に書きたかたこととしては

TOBが成立してもTOBに応じた株主全ての株式が買い取ってもらえるわけではないというルールはすごくまずいという話

大戸屋経営陣がホワイトナイトを連れてくるのは難しそうだという話

・仮に大戸屋ホワイトナイトを連れてくることに成功した場合コロワイドは急転直下ホワイトナイトに株を押し付け可能性があるという話

・今後、大戸屋株価TOB価格を下回って推移し、TOBが成立する可能性が高い(と私が考えている)という話

大戸屋経営陣や、従業員有志が「TOB反対」を株主アピールするのであれば、MBO、EBO、MEBOを目指すのが筋であるという話

大戸屋経営陣の最後抵抗としては、「株主優待の異常な拡充」という禁じ手が、実現可能性は別として存在するという話

・「株主優待の異常な拡充」作戦は、コロワイドが先達であるという話(但し、守りではなく攻めに活用したという話)

・FC比率を考えると、TOBが成立してもコロワイド株主優待で大戸屋食事をすることはできないだろうという話

など。ここまで書いて何となく満足してしまったので、結局書かないことになりそう。

2020-06-20

anond:20200620124434

気持ちはわかるよ。所与条件が違うからな。増田にとってはギャンブル、偶然性により結果がもたらせるゲームなんだけど、別の人間関係が得意な人にとってはRPGシミュレーションゲームのように、ある結果を引き出すために特定行動を取る、攻略方法理解できるゲームになる。

anond:20200619104939

日本になぜGAFAが生まれなかったかとか、

あのときホリエを、あのとき金子勇氏を逮捕しなかったらとか、

なぜ家電会社が没落したのかとか、

過ぎたことなんてどうでもいいねん。過去なんて変えれないし。そのへんのレイヤー勝負付いたんだから無視だよ。所与条件なんだよ。

でもなんで今の今このときTikTokも生み出せないのかSpotifyに並び立つものが無いのかXRでも負けそうなのかは真剣反省しないとヤバイ

このままだと時代局面ごとに下のレイヤーに段階が進んでいっても新規レイヤーが産まれ局面でもこれから先もずっとずっとずーーーっと負け戦の撤退戦領土が小さくなって実りが減ってビンボーになって飢えていく方向にしかならないが、それでいいのだろうか

これは経営者がわるいとか、誰がわるいとかカネがないとか環境が―教育が―とかデータ量がとかずっと何かしらの理由を見つけて人のせいにして何もしない日本国民全体の問題だと思われる。

anond:20200619104939

日本になぜGAFAが生まれなかったかとか、

あのときホリエを、あのとき金子勇氏を逮捕しなかったらとか、

なぜ家電会社が没落したのかとか、

過ぎたことなんてどうでもいいねん。過去なんて変えれないし。そのへんのレイヤー勝負付いたんだから無視だよ。所与条件なんだよ。

でもなんで今の今このときTikTokも生み出せないのかSpotifyに並び立つものが無いのかXRでも負けそうなのかは真剣反省しないとヤバイ

このままだと時代局面ごとに下のレイヤーに段階が進んでいっても新規レイヤーが産まれ局面でもこれから先もずっとずっとずーーーっと負け戦の撤退戦領土が小さくなって実りが減ってビンボーになって飢えていく方向にしかならないが、それでいいのだろうか

これは経営者がわるいとか、誰がわるいとかカネがないとか環境が―教育が―とかデータ量がとかずっと何かしらの理由を見つけて人のせいにして何もしない日本国民全体の問題だと思われる。

2020-02-15

ポリコレフェミが暴れるほど野党は勝てなくなる

リベラル野党ポリコレフェミに加担する→ポリコレフェミが大暴れをする→オタク層が離れる→ポリコレフェミが大暴れする→一般層や浮動層、主力であった女性票野党離れを起こす→ポリコレフェミが大暴れをする→穏健派支持層が離れる→ポリコレフェミが大暴れをする→まだまともな思考であったフェミ層が離れる→そして野党支持層の先鋭化がより進む

ポリコレフェミが暴れる毎に票が減るまさに悪循環の構図。

それに伴い支持層ポリコレフェミ被れに純化していく悪夢しか言えない状況を招いているのが今。

それと今の野党やその支持者に対して切れて嫌悪しているのって実の所与党支持者よりも嫌がらせを食らった元野党支持者や浮動票の方が多いんだよね。

普通に裏切り嫌がらせ受けている分単なる与党支持者よりも恨みが深いからね。

何もオタクだけじゃないよ、リベラル嫌悪しているのは。

寧ろ与党支持者からすれば、勝手に自滅している分万々歳と言った感じでしょ。

投票率が落ちて与党の得票率も良いわけではないのに勝てないのはそういう事。

フェミポリコレを称したリベラル支持者とやらが暴れ続ける限り野党に勝ち目はないのは事実

れいわなら勝てるとかあいつら夢見過ぎだよ。

そもそも消費税選挙でも勝てないのは前回でとっくに証明したわけ。

それに一般人はおろか元支持層すら界隈そのもの自体毛嫌いしているのだから

そりゃ反差別平等と称して、実際は何でも気に入らないモノを規制しにかかり、逆差別を行っているのだから一般から嫌われるのも必然だよ。

2019-02-23

ちんこ幸運を願う

ちんこが好きだ。

あいや、お前の股にぶら下がっているそれじゃない。すまないが、汚いからさっさとしまってくれ。

東京ちんこ倶楽部というTwitterアカウントがある。

ちんことはそのアカウントを指す通称だ。

性的意図微塵もない。

僕はそのアカウントが好きで、随分前からフォローして、遠くから眺めてコンテンツとして消費させていただいている。

しかし、彼がコンテンツとして面白いのは、その裏に、人間としての苦しみ、それも、他の人間よりも苦しみ、悩み、不条理な苦さを感じ尽くした、そういう苦しみがあるからだ。

僕のような、ふらふらと生きている人間よりも、彼のコンテンツの方が面白いのは、彼のそういった経験的背景があるからに他ならない。

ただ、痛みは共有できないものだ。アーレントもそう言っているだろう。

彼の、表に現れた痛みは、イロニーとなって、まさにこのグローバル資本主義社会日本的経営の融合物としてのブラック企業におけるスローガン「圧倒的成長」というフレーズを通して、表象再現前化された。

しかし、それは彼の痛みではない。彼の痛みを表象再現前化することによってコンテンツ化され、一般化されたものであって、彼の痛みそのものではない。

「圧倒的成長」

彼の生み出すコンテンツ楽しいしかしそれは、それをコンテンツとして享受することが許される限りのことである

彼は、その痛みの中で、しかしなお苦しみ続けている。

僕はそれを、コンテンツとして楽しんでいる、いるがしかし、苦しい。

これはルソーの「憐憫」であろうか?

これはスミスの「共感」であろうか?

繰り返すが、「痛み」は個人的ものであり、共有できないものだ。

憐憫」も「共感」も、それを人々の社会、こう言って良ければ「類的存在」としての我々を、所与としてではなく、帰納的に成立せしめるところの作用ではあるけれども、

しかしながら、それが個人のものの、内的な連関にまで届くわけではない。

ならば、僕の苦しさは、むしろ他人の不幸をコンテンツとして楽しんでいるという現実にあり、(しか芸術というのは、ゴッホにせよ金子みすゞにせよ、やはり不幸を源泉にしている場合が多いのだが、)人の不幸を享楽する自分というものが受け入れられなくて苦しいのだろう、この偽善者め。

と、言ってしまえばそれまでかもしれないが、やはり僕は、単にそうはいえない。

僕は、案じている。

あるコンテンツとしてのイロニーという、一つの優れた作品を通じて知った、その先にいる人を、僕は案じている。

彼は、外から見て、明らかに容易ならざる状況にあると思われる。

そして、そういった状況に陥った多くの知り合いは、その、最後には、(最後にはというのは寿命でということではなくて、)究極の選択をすることが多かった。

それこそ、「ツバメのように」。

いや、しかしこうやって、僕がここに書くことすら、単に僕の享楽であり、それは彼には関係のないことだ。

「放っておいても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」

いや、そうなんだけれども。

じゃあお前は何ができるんだ、金か、体か、法か、などと言われたとしても、僕は何もできない。

から、単に案じている。

案じていることを、ここに念の為あくま念の為、書き記しておく。

それだけのことだ。

僕にできることは、何もない。

いずれにしても、風は吹くのだから

2018-12-20

anond:20181220160614

たとえばさ、不動産を購入するとき不動産サイトで「近くに公園ある」とか「コンビニ2分」とか、病院だの駅から距離だの書いてあるわけだけど、その「書いてあるという現実」とは別に不動産価格には「近くに公園がある権利」やら「駅から5分である権利」ってのは、べつに含まれてないんだよな。公園はなくなるかもしれないし、駅だって別の場所移設されるかもしれない。それは別に不動産所有者の所与ではないわけよ。

であるからして、この話の未来方向の敷衍として、今現在付近児童相談所介護施設刑務所や核廃棄施設がなかったとして、その不動産所有権に、それらの施設未来永劫付近に作られない作らせないという権利付属してない。

希望は述べることができるかもしれないが、本質的には自身権利はない」ってあたりが線の引きどころなんじゃねえかな。好悪の問題として発言はできる(好悪なので、複数条件や施設ダブスタでもかまわない)けれど、それがあたか住民権利だなんて思い上がらないようにする――くらいの線引。

2018-10-22

竹村訳も含めて読んだことがなく、ジェンダー論などの知識もない素人が単に該当部分の前後英語として読んだ感じでは以下のように思った:

章のまとめ的な段落であることも踏まえると、この部分の those attributes は直前の true / false / real ... ではなくて前段落gender attributes と解する方が自然と思う。

gender attributes は acts とともに前段落で the various ways in which a body shows or produces its cultural signification と言い換えられている。これは たとえば「逞しさ」「優しさ」など、特定ジェンダーと結びつくとされる属性のことを指している、と素人には思われる(この議論文脈での常識的解釈については知らない)。バトラーはそれは expressive ではなく performative なのだという。表現的なものではなく行為遂行的なものだ、くらいに思われる。

まり、含意としては

ジェンダー自体は真とか偽とか(略)にはなり得ない。それどころか、「逞しさ」や「優しさ」のような行為遂行的な属性を確かに帯びているジェンダーは、まさにそれ故に、徹底して根本的に不確かなものともいえる」

と読める。

これを踏まえると、この段落の訳はほぼ竹村訳でよいが、those attribute を「そのような属性」と訳すと直前の「真実」などと解する誤解を呼ぶので、前段落を踏まえた理解を促す語を補った方が素人には親切な気もする。

加えて、incredible にポジティブ意味での「すばらしい」のような informal な意味も重ねて込められていると読むのはこの文脈では合わないし、そんな安っぽい言葉遊びをする理由がないように感じる。ここで斜体になっているのは単純に credible / incredible の対比と、確かな所与と思われているジェンダーが実は根本的に不確かなものといえるのだ、ということを強調したものと考えた方がいいと思う。その上で、それって incredible なことだよね、という読みを促すという意味では文彩の一種だと言えなくはないと思うが、解釈ファンシー過ぎる気もする。


【補足 2018.10.23

1.

竹村訳は誤訳範疇かという気がしてきた:

竹村As credible bearers of those attributes . . . を「そのような属性の確かな担い手とみなされているジェンダー」と訳しているが、As credible bearers を単純に読めば「信頼に足る担い手であるジェンダー」とか「確かな担い手であるジェンダー」であり、「とみなされている」というニュアンスを補う必要はない。ここはバトラージェンダーが「そのような属性の確かな担い手である」と考えており、それを前提に結論を述べるところとして読むのが素直だと思う。

竹村が「とみなされている」としたのは、おそらく竹村も those attributes が直前の true / false / . . . を指すもの誤読しており、「ジェンダーは真なるもの(略)にはなり得ない」と「真なるもの(略)という属性の確かな担い手である」という相反する命題接続する必要ができたためだと思う。そのため credible を「人びとがそう信じている」という雰囲気で読んで留保ニュアンスを加えたのではないか

those attributes を gender attributes ととれば「(「男らしさ」等の)属性の確かな担い手であるジェンダー」でそのまま意味が通じる。

ただし、竹村訳の前段落を読んでいないので、ひょっとしたら竹村訳のままでも正確な理解ができるのかもしれない。

2.

段落の expressive / performative:

performative を行為遂行的と訳すのはわりと一般的と思うが、適切な訳語は知らない。前段落でいわれていることは、一般的な語彙の延長で読めば、 gender attributes / acts は予め備わっている gender identity を基準として(たとえば)「男らしさ」と評価されるものではなく、反復して演じつづけることで事後的に特定ジェンダーが帯びる「男らしさ」なのだ、くらいの意味に思えた。

2018-10-18

anond:20181018164418

本人に責任のない親の罪で殴るのって近代法国家の行いでしたっけ?

現代俺らが近代法国家に生きているのは先祖がそれを獲得したからなわけね。つまり現代俺らが近代法国家に生きている」ってのは先祖遺産なわけよ。増田はその先祖遺産をあたか所与の権利のように振り回しているけれど、所与でも権利でもないのよ。遺産なだけ。そして遺産を受け取った以上、望むと望まざるとにかかわらずその歴史的経緯という連鎖継承せざるを得ないわけ。「近代法国家の行いでしたっけ?」なんて都合よく遺産を利用しておいて、負の側面を拒否しようというのは卑劣行為よ。

増田個人オタクでありもしかしたら弱者男性で、遺産から大きな利益を受け取ってないというのは事実かもしれないけれど、そんなの何の関係もないのよ。「現代人(遺産継承者)だ」というだけでもうすでに「関係者」なのよ。その歴史連鎖否定することも逃げることも誰にもできないっていうだけ。

オタクは「男性ゆえのメリット」も受けてないんだから殴られるのは間違ってる。

反撃するのみ。

そもそも増田という個人メリットを受けてるから叩かれてる」なんて妄想は誰から挿入されたの?

何度も言うように公平性原理から、男女お互いに殴り合えばいいし、それは歴史的経緯があるってだけの話だよ。そして殴り合うときに、戦術的に見て、相手のチームの弱いところを攻撃するのは合理的でしょ? それだけのことになにか正当性とか倫理性をもちこもうとする増田おかしいよ。

2018-10-15

anond:20181015202501

比較優位という言葉を調べれば、それが強迫観念じみた妄想であることがわかるだろ

日本場合経済が縮小してるから誰かの利益は誰かの不利益というマイナスサム状態になっているが、

経済成長状態では誰かの富を奪わなくても誰が豊かになることは可能

平成以降の日本人は、頭が悪くマクロ経済センスがないので、

このゼロサム、もしくはマイナスサム状態所与として思考してる人間があまりにも多い

2018-04-09

文系でも理系でもいいけど定義が人によって違ったり範囲が広そうな言葉を使うときはその文章に置ける定義を明確に示して欲しい。

どんなにむちゃくちゃな定義の仕方であろうとその定義所与であるとすれば結論同意できるのであれば論理的であると言えると思う。その定義おかしいというのはまた別の批判(例えば印象操作であるとか)である

理系論理的と感じるのはこの定義個人によるブレが少ないからだ。1は1だし2は2である。ここに争いがないから話がスムーズだ。

しか言葉は難しい。自分はいまだに右翼左翼保守リベラルがよくわからない。

自分にとって当たり前の定義も人によってはわからなかったり違ったりする。

時と場合によって定義を使い分けられると訳が分からなくなる。

から曖昧言葉を使うときはその場におけるものでいいか定義を示してほしいし、対話であれば定義を問うといいだろう。

定義が異なれば結論が異なるのは当然である定義を共有しているのに人によって結論が異なる場合はどこに違いがあるのかを探せばよい。そういう話は面白い

2018-02-17

はてブ女性専用車両に対する知見に頭がクラクラした

ふだん差別人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。

かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。

しかし、彼ら運動家否定できる倫理的根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?

実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。

以下は、ハフィントンポスト記事に対してスターを集めていた上位2つ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/

1.これが女性専用車でなくプロレスラー専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ。

そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為道徳性が疑問とされている。

そもそも、この運動代替の効かない公共機関における、特定属性を押しやる「専用車」それ自体問題になっているのであって、なにも「女性専用であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?

また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動価値毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要からだ。

2.女性専用車必要性裏付けられる悲しい話。

この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間不安に駆られる状況こそ、Aが必要証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?

賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。

ただ、浅薄ロジックはさておき、問題意識理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性裏付けている、というわけだ。

この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。

なぜ、女性けが「暴力からの隠れ家」の恩恵あやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。

まり女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性排除することは、一般成人男性それ自体潜在的な暴力の行使であることを前提としているのではないか

なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。

例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコタイイランインドブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり欧米流行りのディストピアドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。

  • Women-only train carriages: Keeping women 'safe' by separating them from men is Handmaid's Tale territory

http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men

女性トイレレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定属性けが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等負担を強いられるべきではない)、代替選択肢存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性潜在的な暴力被害者であり、男性潜在的な暴力行使である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。

はてブの皆さん、差別人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性世界標準以下の性欲アニマルから仕方ない」で開き直っていいんですか?

余談だがロケットニュースでは、ニュースタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。

https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/

キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。


追記:

はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterブコメで寄せられた、いくつかの重要質問に答えます。

  

手段が低コストであることが、その手段正統性付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラク解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。

マシなものがないのではなく、マシなもの鉄道会社選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。

これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題しろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源痴漢です。しかし、ここでは対策方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法妥当か)が問題になっているのです。

また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性お断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。

その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。

もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社営業自由一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的認知されていることをもって、女性専用車両存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢倫理問題しろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法から正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。

ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米リベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。

アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。

ただし、代替手段のない公共サービス鉄道、それも日本通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性女性関係において、暴力的非対称性一般的存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴ議論にも通じるものがあるかも知れませんね。

それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。

しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。

これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員監視カメラガンガンに配置する(もちろん通常車両なおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。

これである程度は、無関係人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的理由はどこにもないでしょう。

女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。

いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンス勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的ディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレ風呂と違って、ジェンダープライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。

しか男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。

これは、以前Twitter流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定集団が抱えている痛み・苦しみが、特定属性排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?

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