はてなキーワード: 戦争法案とは
くそ暑い中駅前で戦争法案反対について演説ビラ配りをしていた人たちがいたのでちょっと会話した。
「ご協力ください」とビラをわたされたので「平和って何だと思います?」と聞いてみた。
「まずは戦争をなくすことです」と元気な返事が返ってきたので、
「そうですか、私は自分さえよければ人の迷惑を考えないなんて人がいなくなければいいなって思うんです」と返す。
「同意いただけますか、ではちょっとあちらを見てくださいな」と後ろを指差した。
彼らは日陰を占領してビラ配り演説をしているので道行く人たちはよけるため日向を歩いている。
なんか謝ってたが結果は見ずにその場を去ったので彼らがどうなったかは知らない。
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/ldp-and-neautrality?utm_term=.frxNNDbd#.ojWZZ8qz
教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方
この教師は「戦争法案」という言葉をねつ造してワアワア騒いでいる活動家のたぐいだと思われ、その人は中立とは思えないんだよなあ。
自民党のやり方がまずいのは間違いないけど、こういうおかしな教師が有害なのも間違いないわけで。
一番間違いないのはこれを匿名じゃないと書きづらいのはつらいなあということだけど。
で、それは必死に戦争法案とか言って情緒をあおるような発言をしてきたやつらの成果であって。
終戦間近の軍需化学工場に学徒動員されていた若者たちの話である。
SEALDsの代表やT―nsSOWLや山田洋次が共同代表をつとめる反戦劇とあって、会場の白髪率は異常に高く、アベ許さないと書かれたカードをカバンにつけた人もちらほら。
けれどわたしは何も知らずただなんとなく観劇した。面白かった。映画や小説やアニメや漫画やいろいろ見るけどその中でも特別素晴らしいと思った。
ファンタジーのふりをした戦争物やSFもののふりをした恋愛ものはよくある。宣伝文句と実際のテーマが違うのはむしろデフォだ。
イラク戦争の時もミュージシャンが曲を作ってテレビに取り上げられてたし、「反戦」というわかりやすいお題目で客を寄せつつ好きなことを表現するんだろうと思っていた。
演劇の内容自体はそんな偏りがなく、そもそもエンタメとして完成度が高かったからだ。
ところが実際は違った。完全に左翼による左翼のための芸術だったのだ。
役者も裏方も一致団結して反戦という表現に取り組んでいたのだ。
役者自ら戦争法案反対デモ等に参加し、劇のビラを配った。そういう左翼的表現活動を真面目にやる世界があると初めて知った。
違和感を持ったのは芸術の扱われ方だ。わたしは今まで芸術には受け取り手の自由があるもんだと無意識に思っていた。作者の意図を一応汲んだ上で好きに解釈する自由。
だがあの劇は作る側も反戦、中身も反戦、受け取る側も反戦でそれ以外はなかった。
そんな芸術があるということも初めて知った。
T―nsSOWLの高校生が役者と同じ壇上に上げられて、ちやほやされて、利用される光景も直に見るとなかなか辛かった。
「平和法案(と仮に呼称するが)であることと矛盾しない」と「戦争法案という主張は筋が悪い」は別でしょ。
これと「安保法制は平和の維持を目的にしている」「安保法制は平和の維持に寄与する」は全く矛盾しないでしょ。
それとも「戦争法案」が筋が通ってるって思う人は、日本だけじゃなく世界各国、国連憲章に対しても「集団的自衛権は戦争につながるから禁止すべき」って考えてるの?
じゃあ、お前は(元増田がお前だとして)どういう意味で「筋が悪い」と書いたんだ?
「その集団的自衛権を行使するという名目で戦争している国が実際に存在している」という現実を踏まえて
「集団的自衛権の行使を許可する法案は戦争法案だ」と主張することの、
何が「筋が悪い」と?
念の為にもういちど書いておくが「筋が悪くない≠正しい」ね。